tag:blogger.com,1999:blog-35542835429110794322024-03-14T02:31:08.421+09:00Hassankonakatahassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.comBlogger185125tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-9086892149191537182024-03-01T20:16:00.042+09:002024-03-02T21:52:28.782+09:00『イスラーム諸学の革新・要約』とイスラームの解釈学的アプローチ<p>『イスラーム諸学の革新・要約』とイスラームの解釈学的アプローチ</p><p><br /></p><p>1.はじめに</p><p><br /></p><p>本稿は、現代世界に求められるイスラームの解釈学的アプローチにおけるガザーリーの『イスラーム諸学の革新・要約』の有用性とその限界を明らかにする。</p><p>現在の世界は、サミュエル・ハンチントン が予言した低強度のフォルトライン紛争が同時多発的に世界中で発生し、特にガザ戦争以降、第二次世界大戦後の国際秩序の既得権益を守ろうとする欧米(+日本)とその偽善と不正に異議を申し立て、西欧列強が作ったゲームのルールを変えようとする「グローバルサウス」と総称される非西欧文化圏の対立が一挙に加速、先鋭化し、コントロールの利かない世界大戦に発展しかねない危機的状況にある。</p><p>この現状はミクロとマクロの両レベルでの行き過ぎたアイデンティティ・ポリティクスによって煽られた人々の分断をもたらす国家主義的で排他的なジンゴイズムの言説の世界各地での増大を特徴としているが、それにはデジタル資本主義の急速な発展によって引き起こされた側面が大きい。私見によると、この全世界/人類を巻き込む破滅的な戦争の危機を解決する鍵は、創造物への絶対的な忠誠を要求する偶像崇拝の束縛から人類と地球を解放する共役不能な異なる価値観を有する複数の文明圏が共存する新たな国際秩序を構築することにある。</p><p>そのためには、自己と異なる文化的背景を有する異文明圏の住人である「他者」の世界観、価値観を理解しなくてはならず、それには異文化理解の方法論としての解釈学的なアプローチが必要である。しかし我々が今必要としている解釈学的方法が古典研究や人類学などで用いられる異文化理解の方法論とは異なることを認識するには、現代の時代精神(Zeitgeist)を文明的に概観する必要がある。 そこで迂遠になるが、ここではサミュエル・ハンティントンの論文『文明の衝突』を手がかりに現代世界を紐解いてみよう。</p><p>ハンティントンは、西洋文明が普遍的な文明ではないことを認め、国際関係のルールは将来、非西洋文明のさまざまな主体によって決定されるだろうと予測し、非西洋文明との戦争がより頻繁になるだろうと警告した。それを放置すると世界大戦に発展する可能性があるため、西側諸国は他の文明の宗教的前提を理解し、彼らが大切にしているものを考慮して共存する方法を見つける必要があるのである 。</p><p>しかし、冷戦勝利後の全能感と多幸感に浸っていた西側諸国は、ハンティントンの忠告に耳を貸さなかった。 彼らは西洋の世俗主義を普遍的な文明、非西洋文明を劣ったものとみなし、その真実性の主張(Wahrheitsanspruch)を無視し、近代西洋文明の非西洋文明への度重なる文化的侵略の隠れ蓑として自らの経済力と軍事力を利用した。 </p><p>その結果、西洋文明に対する最も可能性の高い脅威は儒教文明とイスラーム文明の同盟にあるというハンティントンの事前警告にもかかわらず、イスラーム文明の中で最も西洋化された国であったトルコはないがしろにされ、反西洋文明圏に追い込まれるという事態に至っている。 </p><p>しかし、より注目すべき失敗はロシアの扱いである。 ハンティントン自身はロシアの封じ込めに楽観的であり、1993年の出来事に基づいて、ロシアとウクライナは同じ正教文明内のスラブ民族であるため、文明の点で共存できると述べていた。 </p><p>ハンティントンは、ロシアを西洋文明と正統派スラブ文明の間で世界で最も重要な「引き裂かれた国」と表現し、ロシアが伝統主義的、全体主義的、権威主義的な反西洋世俗文明の陣営に加わる可能性があることに気づいていた。 しかし、彼はロシアを日本と並んで近代西欧文明に近い国と考えていた。ハンチントンによると、短期的にはロシアや日本との協力関係を促進し維持して、中華儒教世界やイスラム世界の軍事力の拡大を抑え、地域的な文明間紛争が大規模な文明間戦争にエスカレートするのを防ぐことが西側の利益になることは明らかである。それゆえ彼は「ロシアは儒教文明やイスラーム文明といった西洋文明陣営に追いやられるべきではない」と考えていた。</p><p>しかし同時に、上で述べたように、ハンティントンは、長期的にロシアと共存するためには、西側は近代西側文明の真実の主張(Wahrheitsanspruch)を放棄し、ロシアの価値観が西洋文明の価値観とは相容れないものであることを受け入れた上で妥協点を探さなければならないと付け加えることを忘れなかった。</p><p>しかし欧米はハンチントンの提案に応えるどころか、自由、人権、民主主義の名の下に、正統文明を分断しようとし、西洋世俗主義文明による文化侵略政策を推進した。 その結果、今日私たちが見ているように、欧米は正教スラブ文明帝国であるロシアを中国、北朝鮮、イランの側に追いやることになり、期せずしてハンティントンが予言したいわゆる「儒教文明とイスラーム文明の同盟」がロシアを触媒として形成されることになったのである。さらに、2023年10月以来紛争を引き起こしたガザにおけるイスラエルの大量虐殺行為に対する西側諸国の支持は、西側文明が提唱する人権、民主主義、自由などの二重基準と偽善を暴露した。 この支援により、総称して「グローバル・サウス」として知られるアジアとアフリカ諸国の大部分が、西洋文明に対する反対だけを理由に反西洋的になるようになった。</p><p>だからと言って、ここでの論点は西洋文明の二重基準と偽善を批判することではない。 そうではなく重要なのはハンティントンが「西洋文明は西洋的であり、また近代的でもある。そして非西洋文明は西洋になることなく近代になろうとしてきたのである。 …非西洋文明は、近代の一部である富、技術、技能、機械、武器を獲得しようと試み続けるだろう」と述べた西洋近代文明の二重性である。</p><p>ハンティントンによれば、文明とは「人々の最も高度な文化的集団であり、人間を他の種から区別するものを除いて人々が持つ最も広範なレベルの文化的アイデンティティである。そしてそれは、言語、歴史、宗教、習慣、制度などの共通の客観的要素と、人々の主観的な自己認識の両方によって定義される」</p><p>イスラーム文明、中国文明、正統スラブ文明、インド文明などの非西洋文明は、主観的な自己同一化によって民族の自己同一性を維持してきた。しかし、共通の客観的要素という観点から見ると、絶滅の危機に瀕しているブラジルの未接触の先住民族を除いて、地球上のすべての民族は現在、「近代化された」西洋のやり方を採用を強いられている。</p><p>西洋帝国主義列強によるアジア・アフリカの植民地化の時代であった19世紀に、西洋列強によって未開人のレッテルを貼られて奴隷のように扱われ植民地化されるのを回避するために、アジア・アフリカの全ての民族が西洋化を強いられたのである。この現象は一般に「富国強兵」政策と呼ばれている。その結果、西洋式の学校教育が義務化され、時間と生産活動の管理、近代的な工業生産と戦争が、ライフスタイルの西洋化を目的とした厳しい規律訓練を通じて実現した。</p><p>この意味で近代西洋文明は「普遍文明」として特徴づけることができる。したがって、たとえ中国の儒教文明、イスラーム文明、オーソドックス教会スラブ文明などに属していても、現代人はすべて近代西洋文明の一員とみなすことができる。</p><p>ハンティントンが雄弁に表現したように、私たちは皆、二つの文明の間で「引き裂かれ」ている。 イスラームを信仰する日本人であり、歴史的に黒船来航により開国を余儀なくされ第二次世界大戦の敗戦後の軍事占領によって「民主化」されるという米国の圧倒的影響を受けた国である日本で仏教と神道のルーツを持つ家族の中に生まれた筆者は近代西洋文明、儒教中華文明、日本固有の文明、そしてイスラーム文明の間で四つに「引き裂かれている」ことを自覚しているが、数は重要ではない。本質的なのは、非西欧文明に属する人間はすべて、近代西洋文明と自分が生まれ育った文明の間で「引き裂かれ」ているという葛藤を自覚しなければならないことである。</p><p>本稿では、この現象を社会学用語で「疎外(alienation, Entfremdung)」、イスラーム学のアラビア語で「グルバ(ghurbah)」と呼ぶ。 イスラームの疎外、グルバが、現代世界において、イスラームについての知識も理解もない非イスラーム文明圏の住人に対してだけでなく、イスラーム文明の地で生まれ育ったムスリムにイスラームを伝える場合にも、解釈学的なアプローチが必要とされる理由である。</p><p><br /></p><p>2.イスラームのグルバ(疎外)</p><p>イスラームへの主観的な帰属意識は、現在のような世界的危機に対処するには役に立たない。そうした主観的な帰属意識を共有する者の多さは、むしろ有害無益である。なぜなら自称、他称のムスリムたちが主観的にはイスラームの教えに則っていると信じ込んでいる行動の多くが往々にしてイスラームの根本教義であるタウヒード(唯一神信仰)の原則に反しており、むしろ預言者ムハンマドが厳しく非難した「ジャヒリーヤ(「無知」を意味するアラビア語。イスラームに対比して用いられ,預言者ムハンマドにクルアーンの啓示が下る以前のまだイスラームを知らないアラブの状態を言うが、歴史用語としてはムハンマドの時代に先行する約150年間のアラブ社会を指す場合が多い) への呼びかけ(‘azā’ jāhilīyah)、あるいは党派/部族意識(ta‘aṣṣub)でしかないからである。</p><p>確かに、客人をもてなすことや貧しい人々への慈善行為などイスラームの美徳は、学者であるか庶民であるかを問わず、今なお民族の違いを超えて多くのムスリムに身体化されて共有されている。 しかし規律正しい時間厳守のライフスタイルは、近代西洋文明の産業資本主義段階で「教育」の名の下に人々に強制された労働倫理とともに、「ハビトゥス」(ピエール・ブルデュー)、あるいはエートス(マックス・ウェーバー)となって学校、工場、軍隊などの施設での訓練を通じて具体化され、無意識のうちに私たちの行動を支配している。</p><p>この意味で、私たちがクルアーン、ハディース、また千年ほど前に書かれたイスラーム学の古典を読んだとしても、それらの解釈の仕方やそれを読むことの社会的意義は、ホワイトカラー労働者が獲得すべき知識と教養に他ならない。それらの知識と教養は近代西洋文明の枠組みの中で定義され、教育の一環として学習され、その習得は社会的地位に直結している。</p><p>それゆえ現代世界の危機に対処できるダイナミックな勢力としてイスラームを復活させたいと心から願うのであれば、単にイスラームへの主観的な帰属意識を誇るだけでは十分ではなく、内省を通じてイスラームを理解しようとする自分たちの行動や属性の客観的なパターンが近代西洋文明によって飼い慣らされ、近代西欧文明の価値観を体現していることにまず気づかなければならない。言い換えれば自分自身がイスラーム文明から疎外されていることを認識し、対自的な自己理解を達成するためには、自分自身を反省の対象にしなければならない。</p><p>自分自身のイスラームからの疎外を客観的に認識することは学問的に困難なけでなく、それを主観的に認めることは感情的にも苦痛な試練である。しかし、ガザーリが『学知の革命(Iḥyā’ ‛Ulūm al-Dīn)』で強調しているように、悔い改め(タウバ)は救済の出発点であるため、イスラームを真に理解するためにはまず自己の誤りを自覚することが不可欠なのである。</p><p>しかし教義的にもイスラームの疎外に必ずしも落胆する必要はない。なぜならイスラームの疎外が預言者のハディースで予告されており、それ自体がイスラームの真実性の証しでもあるからである。 </p><p>「イスラームは奇妙なものとして始まり、また奇妙なものとして始まった姿に戻るだろう。奇妙な者たちに幸あれ」(ムスリム正伝集)</p><p>「『大食漢どもが呼びかけあって大盆に群がってくるように、諸民族があなたたちを貪ろうと呼びかけあうようになる』とアッラーの使徒が言われ、「その日には我々は少数なのか」と尋ねられると 「いや、その日あなたがたは多数だが、あなたは激流を流れる塵芥のようなゴミでしかない。アッラーがあなたの敵の胸からあなたへの恐れを取り除き、あなたの心中に弱さを投げ込むからである」と答えられた。更に「 弱さとは何でしょうか」と尋ねられると、 「現世への愛と死の恐れである」と答えられた。(アブー・ダーウード正伝集)</p><p> 約千年前、ガザリーの師であったアブドルマリク・ジュワイニー(シャーフィー派法学者、アシュアリー派神学者:1085年没)はすで「そして私たちの時代は、その状態からそう遠くない」と述べている ジュワイニーによると、彼の時代には学匠たち(a’immah)は姿を消し、その後継者は絶え、似非学者たちはシャリーア(クルアーンとハディースの明文の教え)の枝葉末節にこだわって本質を見失い、新奇な珍説を唱えて物議を醸す問題を引き起こしたが、彼らの研究の目的は、無内容な美辞麗句で煙に巻いて議論に勝ち、無知な学徒や大衆の注目を集めることだった。それでは、シャリーアの知識は衰退し、その担い手は居なくなり、異説を列挙した書物の数は増え続けるだろう。しかし書物が増えても正しく指導してくれる教師がなければ、独学は混乱と理解の欠如を招くだけであり、人々はもはや全てを読むことができなくなり、我慢強く学ぼうとの興味が失せ、学ぶ者がいなくなるのである。 </p><p>イスラームの疎外は預言者の孫弟子(tābi‛)の時代にすでに起こっていた。預言者ムハンマドの時代には女性はモスクで男性と一緒に祈っていたがハナフィー法学の一通説では女性は自宅で祈るべきである。</p><p>ハナフィー派の法学者でハディース学者でもあったバドルッディーン・アイニー(1453年没)はその理由を以下のように説明している。</p><p><br /></p><p>アッラーの使徒ムハンマドの未亡人アーイシャは「もし使徒様が生きていて女性たちが今何をしているのかを見ていたとしたら、イスラエルの民の女性たちと同じように、女性たちがモスクでの祈りに参加するのを必ずや阻止しただろう」(ブハーリーとムスリムの正伝集)</p><p>著名なハディース学者でハナフィー法学者のバドルッディーン・アイニー師はアーイシャのこの言葉を解説して「もしアイーシャが、近頃の女性が様々な僻事や悪行に手を染めているのを目撃していたら、女性のモスクへの立ち入りをもっと厳しく禁じるていただろう」(Badr al-Dīn al-‘Aynī, ‘Umdah al-Qāri’, Vol.3, p.230) </p><p><br /></p><p>アイニーは、カイロのアッバース朝カリフを名目上の宗主とする当時のスンナ派の盟主であったマムルーク朝治下に生きた碩学だった。アイニーが生きたアッバース朝カリフ政権下のマムルーク朝時代のムスリムでさえ、イスラームから疎外されていたことを自覚し、預言者ムハンマドの死後に彼の弟子たちの間で起きたものの何千倍ものイスラームからの逸脱が起こったことを嘆いていた。このような歴史的背景を考慮すると、西洋列強によって文化的に植民地化され、近代西洋文明に部分的に組み込まれている今日のムスリムが、どれほどの疎外を感じているのかを考えなければならない。</p><p>イスラームからの疎外の最も深刻な問題は、イスラームからの疎外の現実に無自覚であることである。特に今日では、クルアーンやハディースだけでなく、何万冊ものイスラーム学の古典がインターネット上にアップロードされている。さらに有名なウラマーは言うまでもなく、イスラーム諸国のイスラーム問題省や大学や、民間のイスラーム組織、正体不明の有象無象の自称宣教師、説教者によって発布された「ファトワ」が大量に存在する。実際、これらのファトワの一部は現在 AI によって作成されており、この割合は将来的に更に増加していくだろう。イスラームに関する「情報」はかつてない規模で爆発的に増加している。 しかし、正しい理解のない情報は知識ではない。{憶測は決して真理の代わりにはならない} (クルアーン10章36節)</p><p> むしろそれらの情報は人々に自分の無知に対する謙虚な認識を失わせ、うぬぼれと虚栄心を生じさせ、 そして最終的には学ぶことに倦み疲れさせ興味を失わせる、真理を覆い隠すノイズに過ぎない。これが現代におけるイスラーム疎外の現代的形態なのである。</p><p>既述のように、この種のイスラームからの疎外の前兆はジュワイニーの時代に既に現れており、ジュワイニーの弟子であったガザーリーの著作『誤りから救うもの』や『イスラーム学知の革命』はその疎外の克服を目指して書かれたと言われている。 </p><p>しかし現代のイスラームの疎外は、ジュワイニーやガザーリーの時代よりもはるかに複雑かつ深刻である。 ガザーリーは、当時のイスラーム疎外への処方箋として、『哲学者の意図』や『哲学の自己矛盾』などで当時流行していた哲学者の語彙や論述スタイルを、利用し、シャリーア、つまりクルアーンとハディースの明文テキストから演繹されたイスラームの本質を同時代人にも理解できるように「神学、法学、スーフィズム」というパッケージの形で提示するスタイルを編み出した。。</p><p>現在求められているのは、ガザーリーが彼の時代に採用したアプローチに似ている、つまり現代西洋文明に固有の語彙と概念的枠組みを用いてのイスラームの本質を伝えるための新しい方法の定式化である。しかしそれらの語彙と概念枠組みはあまりにも深く根付き身体化されているため、その影響を対自的に自覚することは難しい。現代人の心に届く言葉で伝える解釈とは、イスラームが疎外されているために現在私たちが直面している文化的、社会的、経済的、政治的な問題にイスラームがどう対処できるかを示す解釈である。</p><p>本稿では方法論として解釈学的アプローチが使用されるが、それは「非イスラーム文明で生まれ育った非ムスリムにイスラームを伝える」といった月並みの異文化コミュニケーションの方法論ではない。 むしろ、幾重ものベールの背後に隠されたアッラーのメッセージを解読するための最初のステップは、自分自身がイスラームから疎外されていることを自覚し、自己の「内なる西洋」の毒を「自ら身を切り血を絞り出し」て解析し、その解毒剤を探し出すことなのである。</p><p><br /></p><p>3. イスラームと解釈学サイクルの理解</p><p>前章で述べたように、今日ではイスラーム文明の中で生まれ育ったムスリムにとっても、解釈学的アプローチは不可欠である。 現在、統計ではムスリムの数は15億人から20億人と言われているが、アラビア語を母語とする人の数は約3億人に達する。 イスラームの経典、クルアーンとハディースはすべてアラビア語で書かれている。 したがってアラビア語を知らない人は、たとえムスリムであっても、アラビア語のイスラーム本来のメッセージを突然聞いても、その内容は一言も理解できないだろう。</p><p>非アラビア語を母語とするムスリムにとって、異文化間のコミュニケーションにおける翻訳の最も基本的な形式、つまり異言語間翻訳の必要性は自明である。 標準アラビア語(背側アラビア語)では、古典アラビア語と現代アラビア語は文法的に近く、外国人向けの標準アラビア語文法教育においては両者に明確な区別はない。 </p><p>しかし、すでに述べたように、預言者ムハンマドが生前長年にわたって親しく言葉を交わしていた高弟たちでさえ、自分たちの導き手である預言者を失った後は、クルアーンとハディースのメッセージを理解することができなかった。</p><p>言語学では、意味を統語論(syntaxs)的意味、意味論(semantics)的意味、語用論(pragmatics)的意味に分類する。 古典アラビア語は現代アラビア語文法で理解できるため、アラビア語話者にとって「内なる西洋」であるイスラームの疎外感を認識することは困難である。 しかし、クルアーンとハディースの統語論的意味や意味論的意味はアラビア語話者にとって理解しやすくても、彼らがライフスタイルを共有し、「言語を共に生きる」ことがなければ、語用論的な意味は理解できない。</p><p>そして、クルアーンとハディースは、その統語的意味を文法的および辞書的な神学的意味で説明する釈義を書くために人間に啓示されたのではなく、自分の置かれた状況を診断し、その中でどう生きるべきかを知るための「ガイド」として、それを行動の指針として使うために啓示されたのである。言い換えれば、イスラームにとって本当に重要なのは実践的な理解、あるいはプラグマティック(語用論的/実用的)な理解なのである。。</p><p>だとすれば、排外主義やジンゴイズムによる分断と紛争による人類滅亡を救うダイナミックな力としてイスラームを復活させるために必要なのは、イスラームの解釈学的な理解でなければならない。</p><p>イスラームに対する解釈学的なアプローチの必要性は、アラブ人にとっても非アラブ人ムスリムにとっても同様であり、すべてのムスリムに共通の課題であるが、非アラビア語話者の場合には解釈学的アプローチの必要性は明らかであるのに対して、アラビア語話者にとっては解釈学的アプローチの必要性はかえって理解が難しい。</p><p>そこで本稿では、イスラームとは全く触れずに非イスラーム文明で生まれ育った非アラビア語話者がイスラームをどのように理解し、どのようにその理解を他の人々と共有すべきかについて、主に『イスラーム学知の革命・要約』の和訳を例に用いて解釈学的なアプローチとは何かを明らかにしていく。なお以下では『イスラーム学知の革命・要約』を『要約』と略記する。</p><p>「部分は全体から理解されなければならず、全体は部分から理解されなければならない」と表現される解釈学的循環は、シュライエルマッハー(Friedrich Ernst Daniel Schleiermacher) に始まり、ディルタイ(Wilhelm Dilthey) 、を経て発展し、ガダマー(Hans Georg Gadamer) のもとで普遍的な重要性を獲得したものであり、あらゆる種類のテキストの解釈に適用できる包括的な理論となっている。</p><p>創造主なる神アッラーの創造物である宇宙には、たとえ私たちには理解できなくても、それぞれに独自の表現によるあらゆる被造物の創造主への賛美が響きわたっている。宇宙とは、万物の創造神に向けられた賛美が複雑に織り込まれたテキストである。ガリレオは、聖書と宇宙は神によって書かれた二冊の本であると述べたが、セム系/アブラハム的唯一神教のアッラーの意志を理解するための主要な文書の役割を担っているのはむしろクルアーンと宇宙である。</p><p>クルアーンは、創造神にいかにイスラーム(服従)すべきかを教えると同時に、宇宙とは被造物がどのように神に服従しているかを洞察するために読むべきテキストである。イスラームを理解するとは、世界の真相を把握し、人間の生活を支配する原則を理解することであり、イスラームを正確に理解するには、宗教に関する包括的な知識が必要となる。しかしそのような理解は一夜にして得られるものではない。イスラームの理解の道行は、全体の断片的な側面の探求から始まる。しかし部分を理解するには、解釈学的循環によりその部分が置かれた文脈を認識することが不可欠である。</p><p>イスラームの教えは、信仰告白句「lā ilāh illā Allāh」に簡潔に表現されている。「lā」という用語は英語の否定詞「no」であり、「ilāh」は神を意味する。「illāh」は「しかし」を表し、「Allāh」は崇拝に値する真の神を意味する。 イスラーム全体の探求を始める出発点としては、簡潔なこの信仰告白句が最適である。この句はイスラームの最小の断片、「部分」であるが、それを構成する単語との関係においては「全体」となる。</p><p>このイスラームの信仰告白句を総合的に理解するには、まず「lā ilāh」(神は存在しない)を理解する必要がある。ただしこの最初の部分「lā ilāh」だけを取り出すと、神の存在の否定となる。「lā ilāh」まで読んで、本を閉じ、イスラームの教えは神を否認する無神論だ、と結論したなら、それはイスラームの理解として不完全であるばかりか、完全な根本的誤解となる。</p><p>これは極めて簡単な例にすぎないが、イスラームを学ぶことの本質が凝縮されている。ゼロからイスラームを理解する旅に出ようとする者は、特に日本のようにムスリム学者と実際に接する機会が少ない環境では、最初は不完全で偏った情報から始めるしかない。つまり包括的な文脈を欠いたたまたまその時点で自分に提示されたイスラームの不完全で部分的な断片をイスラームだと思いなすことになる。</p><p>「lā ilāh illā Allah」という信仰告白句のフレーズは甚だ簡潔であるため、その全体を簡単に見渡すことができる。しかしクルアーンという啓典となると、文庫本(岩波文庫)で3巻、学術書となると分厚いながら一冊に収まる一点の書物であるが、一目で見渡せる量ではなく、概要、大意であれ全文の意味を理解することは簡単なことではない。クルアーン全巻を暗唱しているのは言うまでもなく何千、何万ものハディースに精通していた千年前のアラブ系のイスラーム学の碩学たちにとってさえ、その意味を理解するのは容易なことではなかった。長年にわたって数多くのクルアーン釈義書(tafsīr)が書き継がれてきたのはそのためである。</p><p>たとえアラブ人であっても、特に西洋の社会文化システムの枠組みの中で教育を受けたアラブ人にとって、何年もかけて古典アラビア語を習得し、古典釈義書を参照しながらクルアーンを研究することは、解釈学的螺旋を昇る最初の第一歩としては適切ではない。なぜならば解釈学的サイクルのうち、全体に見通しを与える部分は、それ自体が一目で見渡すことができる包括的な全体でなければならないからである。</p><p>その意味でイスラームを学ぼうとする初学者に、ガザーリーの『要約』をテキストして用いることは、たとえ部分的なものであるとしても、イスラーム理解の予備的な概要を提供し、イスラームの全体を垣間見る、という目的に役立つ。その理由は次章で詳しく説明しよう。</p><p><br /></p><p>4.イスラーム学の革新</p><p>クルアーンとハディースに明らかにされた神の意志を理解するために、イスラーム文明は 神学、法学、スーフィズムの三つの学問分野を確立した。アブー・ハーミド・ムハンマド・ガザーリー(1111年没)は、神に仕えるイスラーム研究体系の発展において極めて重要な役割を果たした。彼は、精神性を失い外枠となった「外面の学問」(‛ilm ẓāhir)神学、「内面の学問(‛ilm bāṭin)」であるスーフィズムとを有機的に統合することによってこそれを達成したのであり、 彼の記念碑的な大著『イスラーム学知の革命』は、この統合の証である。</p><p>イスラーム学の書誌学者として名高いハーッジ・ハリーファ(1657年没)は、『イスラーム学知の革命』の永続的な重要性を強調し、それをスンナ派イスラーム研究の標準的な古典であり、『神学大全』と呼んでいる。シーア派神秘哲学者でハディース学者のファイド・カシャーニー(1680年没)による『イスラーム学知の革命』の注釈である『白い大道(al-Maḥājjāh al-Bayḍā')』は、それが世界的に認められ、よく練り上げられた構造を有し明晰に書かれ論理的に整理されていると述べている。つまり同書はスンナ派とシーア派の間の根深い宗派対立を超えて900年以上にわたって世界中のムスリムの間で広く受け入れられており、あらゆる形の党派主義による人間社会の分断が特徴的な今日の世界において、非常に貴重で有益な作品と言うことができる。</p><p>この意味で『イスラーム学知の革命』も『要約』にも、人間相互間の問題(‘ādāt)に焦点を当てた第二部に「イマーム/カリフ職」に関する章が含まれていないことは注目に値する。この時代、ガザリー自身が『信条における中庸(al-Iqtiṣād fī al-I‛tiqād)』の中で述べているように、神学書の中にイマーム/カリフを擁立する義務を論証する「イマーム・カリフ職」の章を設けるのがイスラーム学の慣行であった。そうであるならばイスラーム学大全である『イスラーム学知の革命』に「イマーム・カリフ職」の章が存在しないのは不自然であり、説明を要する。 その理由の一つは、ガザリがイマーム/カリフ論を論ずるに足る重要な問題とは考えていなかったことである。それどころか、彼はこれをムスリムの間の分裂と内戦を助長する可能性のある危険な問題とみなしていた。</p><p>ガザーリーの時代には、アンダルスのウマイヤ朝と北アフリカのファーティマ朝の両王朝がカリフを自称し、アッバース朝カリフの権威が失墜しただけでなく、イスラーム世界全体で半独立の地方政府が乱立して混乱に陥っていた。イランでは、イスマーイール派の分派のニザール派がアラムート要塞から暗殺部隊を派遣し、アッバース朝カリフを宗主とするセルジューク朝に対して激しい武力闘争を行っていた。</p><p>ガザーリーは「それは狂信、独善、党派意識の源泉であり、たとえそれが正しかったととしても、それを深入りするよりも避ける方が賢明である。正しくてさえ避ける方が良いなら、間違っていたならどれほど有害であろうか」と述べているが、誰が正当なイマーム/カリフかについて議論することは、合理的な議論によって解決され統一をもたらすのではなく、独善と分裂と内戦を招くだけだという彼の政治的見解は当時の政治状況を反映していると考えられる。 </p><p>しかし、『イスラーム学知の革命』にカリフに関するセクションがないことは、ガザーリーが読者に「政治」から完全に遠ざかるように促していることも、彼が権力者に媚びへつらい、その不正を容認する「静寂主義者」であったことも意味しない。それは『イスラーム学知の革命』にはカリフに関する章の代わりに「勧善懲悪(amr bi-l-ma‛rūf wa-nahy ‘an al-munkar:善を命じ悪を禁ずること)」に関する章を設けていることによって裏付けられる。 この章では「勧善懲悪」の主体がカリフではなくすべての信者であることが強調され 、カリフがはむしろその悪行、不正、暴虐が非難される対象となる。((暴君に対する勧善懲悪を進めて、ガザーリーは「最高の殉教者は、ハムザ・イブン・アブドゥルムッタリブであり、次に、イマームの前に立ち、彼に服従し、神の意志に反する行為を禁じた人物であり、そのために殺された者である」「不義の支配者のもとでの真実の言葉は最高のジハードであり、そのような行為をした者が殺された場合、彼は殉教者である」の二つのハディースを引用している))</p><p>ガザーリーは、イマームの正当性について論ずることが、イスラーム社会に分裂や内紛が生じさせることを警戒していたが、彼のこの懸念は「勧善懲悪」にも当てはまる。 彼によれば、「勧善懲悪」には、(1)告知(ta'rīf)、(2)忠告(wa'aẓ)、(3)脅迫( takhshīn fī qawl)、(4)暴力による強制阻止(man' bi-qahr)の4つの段階がある。しかし権力者(スルタン)に対しする暴力による脅迫や強制的阻止は、内戦(fitnah)を引き起こし、既に悪い状況をさらに悪化させる危険があるために許されない。</p><p>但しガザーリーは、内戦の危険がなければ、それは許され、さらには推奨されるだろうとも付け加えている。 自分の同時代のウラマーが臆病な俗物であり、暴君を前にして何も言えなかったという『イスラーム学知の革命』での彼の痛烈なウラマー批判は、それを裏付けている。</p><p> </p><p>シャリーアはカリフの擁立(naṣb al-imām)が命じていることがイスラーム法学の合意事項であることをガザーリーは認めているだけでなく、政治哲学的にカリフ制が不可欠性であることを論証している。 シャリーアが最後の審判に至るまで妥当するとの法的安定性の観点からも、人々がカリフ制の義務を理解することは教学的にも極めて重要である。しかし当時の現実に照らすと、イスラーム法的に正当なただ一人のカリフを選ぶ法的義務をいかに果たすべきか、と、実践に踏み込んで考えることは、学識を欠く初学者が無い知恵を絞ってみても、かえってイスラーム共同体の分裂、紛争、内戦を招くだけなので考えない方がましであると『要約』は教えているのである。私見によると、この『要約』のリアリズムはイスラームの疎外という現在の状況においても示唆的である。</p><p>厳密な学術的研究、特に数学を基礎とする研究では、体系的な「積み上げ」式アプローチが不可欠である。この学習スタイルでは、各ステップが個々の概念 (パスカルが「幾何学の精神」と呼んだ哲学) の正確な理解に基づいて、一歩ずつ着実に歩を進めることが求められる。 しかし、宗教、文化、文明の理解には、それとは別のアプローチが必要となる。事象の全体を「瞬時に」(tout d'un coup)、「一目で」(d'un)把握できる「繊細な世親」が必要となるのである。 。こ繊細な精神により解釈学的循環が可能になり、全体とその構成部分の理解の間での不断の螺旋状の上昇による理解の深化が実現するのである。本稿ではこの解釈学的理解の深化の過程を「解釈学的螺旋」と呼ぼう。</p><p>異言語および異文化翻訳の場合、最初のステップは字義通りの翻訳、または逐語訳であり、「ソース言語」のテキストを別の「ターゲット言語」に翻訳する。 例えば、5世紀初頭頃、日本は朝鮮半島を経由して中国から漢字とともに仏教や儒教などの中国文化を学んだ。 そして、最初の日本語辞書『新撰字鏡』は、9世紀末から10世紀初頭に僧昌住によって書かれた。 </p><p>辞書を使った逐語訳は、厳密な学術研究の体系的な「積み上げ」式アプローチに似ており、幾何学の精神と相性が良い。クルアーンとハディース、そしてイスラーム学の古典はすべて、辞書で各単語のアラビア語の意味を調べれば、一語一語日本語に翻訳できる。しかし、解釈学の文脈では、この逐語訳は理解の手始めの最も低いレベルでしかない。</p><p>前述の通り、イスラームの信仰告白句は英語では「No god but Allah」と訳される。英語の「God」は通常、日本語では「神」と訳される。しかし、特に8世紀に書かれた古事記 や日本書紀 のような作品を紐解くと、日本語の「神」には、先史時代以来の重層的な含意が意味があることが分かる。そしてそれらの意味は、クルアーンの「神(ilāh)」の意味とは大きく異なる。逐語訳はイスラームやセム系あるいはアブラハムの一神教に対する深い理解のない一般の日本人にとっては、イスラームの大まかな理解の第一歩としてなら許容可能ではあるかもしれない。しかしその時点で理解したと思って何の疑問も抱かず好奇心を失い知識を求める旅(ṭalab al-‛ilm)を止めてしまっては、イスラーム文明圏の住人たちの平均的なイスラームの理解のレベルにさえ達することはできない 。</p><p>こうした解釈学的螺旋は『要約』の翻訳にも同じことが当てはまる。したがって同書を読み進めるに当たっては、個々の単語の厳密な意味の理解にこだわるのではなく、この一冊の本もまた本来の理解の対象である「全体」の「一部」に過ぎないことに常に自覚的であることが不可欠となる。『要約』を読む目的は、「一目で」そして「一息に」全体像を見渡すような読書体験を通じて『要約』に通底するロジックを「一気に」把握することにあるからである。</p><p>筆者は、6年前にイスラームに改宗したばかりの日本の大学でアラビア語を学ぶ学徒のために、アラビア語古典原文講読のテキストとして『要約』を選び1年余りをかけて通読し 、昨年(2023年)マルマラ大学神学部の山本直輝先生と共訳して公刊したが、最優先事項は、真のイスラームの知識を求める初学者にこの作品をできるだけ早くアクセスできるようにすることだった。つまり『要約』の翻訳は、イスラームの厳密な文献学的読解を目指す学究を読者として想定してではなく、イスラームに興味を有するすべての識字層の読者を念頭において行われたものなのである。</p><p>従って『要約』がその「一部」として位置付けられる「全体」の文脈を設定することは読者に委ねられている。その文脈には、宗教現象全般でも、セム系/アブラハム的一神教でも、イスラーム文明でも、スンナ派イスラームでも、より専門化された古典イスラーム文献研究でも、あるいは『要約』の元になった『イスラーム学知の革命・要約』自体であっても構わない。読書の目的を選ぶ責任はあくまでも読者自身のものなのである。</p><p><br /></p><p>5. 解釈学的地平融合</p><p>解釈学的には、イスラームに対する私たちの理解は解釈学的循環を経て、地平線融合の途切れることのないプロセスを通じて上向きに螺旋を描く。 ただし、私たちが立っている地平線を正しく認識することなしには、実りある地平の融合 は起こり得ないことに注意することが重要だ。</p><p>19世紀の西洋の時代以降、東アジアの中国文明、アフロ・ユーラシアのイスラーム文明、東ヨーロッパのロシア正教文明を含む地球全体が、世俗主義的な近代西洋の文化植民地、西洋文明の従属文明となった。 西洋文明の 私たちは、歴史的なイスラーム文明の多くの要素を共有し続けている一方で、政治、経済、教育、文化制度などのさまざまな領域でその覇権の下にいる。 すなわち、私たちは現代西洋文明と伝統的なイスラーム文明の両方からの二重の疎外を経験しているのである。</p><p>実際、疎外感は単なる客観的事実ではなく、主観的に認めるのが苦痛なトラウマ的経験でもある。 しかし、私たちの人生を解釈学的螺旋と地平融合の場として考えるならば、疎外はむしろ新たな真実の開示の機会として積極的に見ることができる。</p><p>翻訳理論では、元の言語を「ソース言語」と呼び、翻訳された言語を「ターゲット言語」と呼ぶ。 クルアーンの日本語翻訳の場合、「原文言語」は古典アラビア語、「訳文言語」は現代日本語となる。 本稿では、文化解釈学において解釈される文化を「ソース文化」、その中で解釈される文化を「ターゲット文化」と呼ぼう。</p><p>最初の段階では、私たちが生まれ育った幼少期の母語や、初等・中等教育で学んだ語彙のネットワークからなる「ターゲット文化」の中で、さまざまな「ソース文化」を解釈する。</p><p>気が付いた時には我々は国家に登録された家族の子供である。 次いで国家の管理する学校に通う子どもたちには、定められた学齢に達すると、国家が定めた国語あるいは公用語で書かれた教科書が与えられ、定められた学区で固定の人数のクラスに配置され、国家によって任用された教員によって定められた国家が定めたカリキュラムを教えられる。それが私たちの「ターゲット文化」である。</p><p>国家も国語も学校も住民登録も家庭裁判所も法定通貨も存在しない時代に預言者ムハンマドの信奉者たちがどのようにしてシャリーアの知識を獲得したのかを理解するための最初のステップとしては、我々は「ソース文化」に自分の先行理解を投影するしかない。「ターゲット文化」となる現代アラブ世界では、初等教育は「タルビヤ(tarbīyah)」、中等教育および高等教育は「タアリーム(ta‘rīm)」と呼ばれる。事実「イスラーム的タルビヤ」や「イスラーム的タアリーム」などの表現が使用されており、本質的に近代西洋文化の概念を預言者の時代に押し付けている。これは完全な時代錯誤、誤解であり、よく言ってもミスリーディンであるが、その是非を問うても無意味である。なぜなら最初の段階では、それ以外のことはできないからである。</p><p>第二段階から解釈学的循環が始まる。ここで「ターゲット文化」は現代アラブ文化であるが、「ソース文化」は西欧列強による文化植民地化以前の前近代・イスラーム世界である。実際、近代以前の西洋とイスラーム世界は、ヘブライ語聖書のヘブライズムとギリシャの学問であるヘレニズムという二つの学問体系を共有する双子文明であり、学校制度などではイスラーム世界の方が進んでいた。アラブ・イスラーム文化は西洋文化に大きな影響を与えてきた。</p><p>したがって、ソース文化とターゲット文化の間の距離は近く、はるかに理解し易い。そして現時点では、アラビア語と西洋諸言語の両方で「客観的な」学術研究があり、それも参照することができる。ガザーリーの『要約』が解釈学的アプローチの最も適切な参考文献として使用できるのもこの段階である。</p><p>解釈の最初の段階では「ソース文化」の個々の概念を「ターゲット文化」のそれに類似した概念に置き換えるだけで理解できたように感じて、それで十分である。しかし次の段階では、ソース文化とターゲット文化の近似概念の正確な意味を、それぞれの意味ネットワークの文脈に戻した上で、文献学的手続きによって厳密に確定し、その微妙な差異を明らかにした上で、それぞれの分化システムの中における両概念の構造的な位置と機能を探らなければならない。</p><p>この段階では、同じ単語、たとえ類似した概念であっても、異なる歴史的文脈ではまったく異なる状況の現象である可能性があることが理解される。この段階で初めて、解釈学的地平融合が起こり、西洋近代文化を古典イスラーム文化との違いを意識して相対化し、逆に古典イスラーム文化をその意識を介して相対化し、その過程において認識主体としての二つの文明の間で「引き裂かれ」た自己の変容が生ずる。 </p><p>我々は現在、ナショナリズム、人種差別、ジンゴイズム、排外主義の蔓延から生じる分裂と紛争の増大によって加速される世界のブロック化、グローバリゼーションと様々の非国家主体の増殖による相互確証破壊理論 による拡大核抑止の向こうかによる核戦争のチキンレースによる第三次世界大戦の脅威に直面している。</p><p>私見によるとこれらの問題は、世俗主義的な現代西洋文明によって促進された「本来の自己」の存在を前提に自己と他者との差異を強調する行き過ぎたアイデンティティ・ポリティクスによって引き起こされたものである。それゆえ古典的なイスラーム研究と近代西洋に生まれた世俗主義を批判的に比較するための指針として『要約』を利用しすることで、解釈学的なアプローチを通じて、自他の相違を強調する排外主義の蔓延という現代の課題に対するイスラーム文明のあるべき対応とは何かを明晰に分析することができるのである。</p><p>実のところ、次のような疑問が生じる。数千年にわたってイスラーム文明が発展させてきた多元主義社会における多言語、多民族、多宗教の共存システムを、近代西洋文明の文化帝国主義的覇権主義に対抗するものとして、今日の国際関係においてどのようにして復活させることができるのだろうか?そしてさらにどうすればそれをムスリムと非ムスリムの双方に効果的に伝えることができるだろうか?</p><p>しかし実のところ、ガザーリーの『要約』を参照しての哲学解釈学を通じたイスラーム文明と近代世俗西洋文明の地平融合は、準備段階にすぎない。現代の危機を克服するための真のイスラーム的対応の探求は、哲学的解釈学の範囲をはるかに超えているからである。哲学解釈学は、イスラーム文明と近代西洋文明の間で引き裂かれている現在のムスリムの疎外感を癒す効果をもたらしているに過ぎない。</p><p>実際、ガザーリの『要約』の文脈で証明されているように、イスラーム文明と現代の世俗的な西洋文明を融合するために哲学解釈学を採用することは、単なる初期段階を表している。 現代の危機に対処するためのイスラーム的解決策の探求は、哲学解釈学の領域を超えている。 哲学解釈学は、イスラーム文明と西洋文明の間で引き裂かれているムスリムが経験している現在の疎外感を緩和し、トラウマからの回復を促進し、新たなスタートを切るのに役立っていますが、まだ始まりにすぎない。 私たちの前には、挑戦的で未知の道が待っている。</p><p><br /></p><p>6.ネオ・イジュティハード</p><p>一般的なケースに適用できる規定(ḥukm)をシャリーアから演繹するにせよ、特定の実際の問題にいかに対処すべきかを問われて回答(iftā')するにせよ、現実を深く理解しその状況の中で具体的にいかに行動すべきかを考える必要がある。</p><p>我々の用語では、「現実の理解」とは、「ターゲット文化」の文脈における状況の理解に相当し、「現実を深く理解しその状況の中で具体的にいかに行動すべきかを考える」とは、すなわちクルアーンとハディースの「ソース文化」の文脈における意味が文献学的に確定できる「明文テキスト(nūṣūṣ)」を通して、「現実を深く理解しその状況の中で具体的にいかに行動すべきかを考える必要がある」とは「解釈学的地平融合」が求められることを意味する。 </p><p><br /></p><p>既述のようにガザーリーはイスラーム研究を神への奉仕に捧げられた学問として再生させた。当時偽善的な形式主義に堕していた神学と法学にスーフィズムの精神性を吹き込み三つの学問分野を統合することでそれを達成した。そして、シャラフ・ナワウィー(Sharaf al-Dīn al-Nawawī:1277年没) の『諸目標(al-Maqāṣid)』を皮切りに、神学、法律、スーフィズムを一冊の本に纏めた初学者(ṭalabah al-'ilm)向けのイスラームのさまざまな入門書が書かれてきた。</p><p>クルアーンは一冊の書物ではあるが、論理的に順序付けられた章に編成されておらず主題毎に整理されてもいない。ましてや数百万冊のハディースは預言者ムハンマドによって書かれた本でさえなく、多くの伝達者によって記憶された預言者の記憶を聞き取り調査をした後世の学者によって収集された記録のコレクションである。そのように乱雑に並べられた膨大なハディースやクルアーンを「一目見て(d'un seul respect)」「瞬時に(tout d'un)」把握できる人間はいない。 </p><p>ガザーリーが統合した神学(uṣōl al-dīn)、法学(fiqh)、スーフィズム(taṣawwuf)の三対の教義体系は、初学者(ṭalabah al-'ilm)がシャリーアの総体を学ぶために、ウラマーが8世紀半ばから13世紀半ばまでの約5世紀にわたって切磋琢磨し地平融合を繰り返し解釈学的螺旋を昇りながら作り上げた「解釈体系」である。</p><p>しかしアイニーが生きた14-15世紀や、ガザーリーとその師のジュワイニーが生きた11-12世紀だけでなく、預言者の高弟子たちさえも神の啓示を授かった完璧な指導者である預言者ムハンマドの死後、「グルバ」つまりイスラームからの疎外を自覚していた。</p><p>ガザーリーでさえハディース学は弱かったと言われており そして、ハディースに精通した学者ḥāfiẓ、ḥujjah、ḥākim (「ハーフィズ・ハディース」とは10万のハディースについて、その内容や伝承経路の全てについて知識を持つ者、「フッジャ」とは30万のハディースについて、その内容や伝承経路の全て、そしてその語り手の伝記情報について詳しく知る者のことであり、ハーキムとは、語り継がれているすべてのハディースについて知識を持つ者のことである)は偉大なウラマーの中でも稀であった少数だった。「たとえイスラーム学の文献がすべて失われてしまっても『イスラーム学知の革命』だけが残ればそれだけで十分である」とまで称賛された『イスラーム学知の革命』も、実のところ、神の啓示の全体に直接アクセスできずクルアーンとハディースを自分で解釈することのできない学徒のための「間に合わせ」でしかない。</p><p>私見によると、初学者がイスラームを理解するための第一歩の教材としての『革命』の重要性はまだ失われていないとしても、ウンマ(ムスリム共同体)の今日の危機に対する処方箋としてはすでに期限切れになっている。それはイスラームに関する情報が不足しているためではなく、今の時代が議論に勝ち富や名声、権力を獲得することを目的とした空虚な美辞麗句や奇を衒った詭弁、フェイクニュースがインターネット上に溢れている時代だからである。今の時代、真実は曖昧になり、何が真実なのかはもはや誰にも分からない。ジュワイニーはこのような状況を既に予見していたが、今日の現実は彼の予測を上回っている。インターネット上で質問をするだけですぐに回答が得られるこの時代に、何十年にもわたる学問の修行に勤しむ動機付けはもはや殆ど失われている。また疑わしい正体不明のWebサイトを閲覧すると、誰もが自分の好みに合った回答を見つかることができる。したがって、『要約』のような短い書物であっても、碩学の指導の下で忍耐強く読み切る学徒は稀である。</p><p>したがって、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが「梯子の上に登ったなら、梯子を捨てなければならない」(Tractatus Logico-Philosophicus:6.54) (Tractatus Logico-Philosophicus:6.54)と言ったように、ムスリム知識人、特に若い世代は、ガザーリーの『要約』を読み終えれば、それを捨て去り、未知の新たな段階に足を踏み入れなかればならない。この新しい段階を「ネオ・イジュティハード」と呼ぼう。</p><p>スンナ派イスラーム法学の一般的な見解によれば、既成の法学派の方法論に束縛されず、クルアーンとハディースを独自に解釈できる「無条件のムジュタヒド(mujtahid muṭlaq)」はもはや存在しない。しかしイブン・タイミーヤ(1328 年没)が『シャリーアによる政治(al-Siyāsah al-Shar‘īyah)』の結語で述べているように、すべてのムスリムはこの世で啓示の命令を実現するために自分の能力と知識の限りを尽くして努力しなければならないという意味で、イジュティハードを義務付けられている。</p><p>法学で概説されているイジュティハードの資格を満たしていないにもかかわらず、私たちは、スンナ派だけでなくシーア派のハディースも含む何百万ものハディースのテキストにインターネット上で容易にアクセスできる時代に生まれ合わせた以上、私たちはイブン・タイミーヤが述べた意味でのイジュティハードを行う使命があるのである。</p><p>そしてそれを実践するためには、(1)私たちが実際に住んでいる現代の世俗主義的な西洋文化の「ターゲット文化」を理解し、(2)ソース言語である古典アラビア語でクルアーンとハディースが語っていることが、我々が住んでいるこの世界で何を行うことを求めているのかをターゲット言語の適切な表現に置き換えて理解し、(3)その理解した内容を「ターゲット文化」の若い世代の共感を呼ぶ最も適切な形で伝える表現方法を理解しなければならない。</p><p>ネオ・イジュティハードの解釈学的なアプローチでは、イブン・カイイムが述べているように 、「ソース文化」から「ターゲット文化」への翻訳は弁証法的であり、解釈学的螺旋となる。 ここで強調しなければならないのは、たとえこの解釈学的アプローチが弁証法的であっても、最も重要なことは「ターゲット文化」の理解であり、特に現代の危機への対応においては、未来を担う若者の「ターゲット文化」の理解であるということである。彼らの心に響く言葉で語りかけるすことが重要なのである。 なぜなら、クルアーンやハディース、イスラーム学の古典を自由自在に引用しどれほど雄弁に滔々と論じたて、高尚な説教を行おうとも、彼らの心に届かなければ、それは単なる衒学趣味の自己満足に過ぎないからである。</p><p><br /></p><p>7.結論に代えて</p><p>したがって、イスラームの解釈学的理解を達成するには、まず我々が永遠で不変の強固な基盤の上に立っているという幻想を払拭する必要がある。これは、本質主義者がしばしば抱く誤解だ。既に引用した「イスラームは奇妙なものとして始まり、また奇妙なものとして始まった姿に戻るだろう。奇妙な者たちに幸あれ」と「大食漢どもが呼びかけあって大盆に群がってくるように、諸民族があなたたちを貪ろうと呼びかけあうようになる」との二つのハディースがこの自覚への手がかりを提供する。</p><p>預言者の地平と我々自身の地平の違いの認識に基づいて求められる地平の融合は、現代の西洋文明をヒステリックに拒絶するものでも、無批判に受け入れるものでもない。それは「叡智は信仰者の迷いラクダである。それゆえそれを見つけた者がそれに最も権利がある」(『ティルミズィーのスンナ集成』)と「ある民族の真似をする者はその者の仲間である」(『アブー・ダーウードのスンナ集成』)の二つのハディースのバランスを考慮して行われなければならないが、イスラーム学の標準的な古典である『要約』は参照するのに最も相応しい参考文献と言えよう。</p><p>しかし中庸のバランスは確かに重要だが、近代西洋文明と衰退したイスラーム文明との間の安易な妥協を決して伴うべきではない。地球規模の人類生存の危機に対処し、異なる文明間の公平な共存を促進する新たな多元的国際秩序を生み出すには、人間の理解を超えこれまで何人も思いつかなかった真に独創的なイジュティハード、「目に見えず、耳に聞こえず、人の心に思い浮かぶことがないもの(mā lā ‛ayn ra'at wa-lā udhn sami’at wa-lā khaṭara ‛alā qalb bashar)」(ブハーリー正伝承が収録するハディース)が求められる。我々の若者たちの中に、未だ姿を現していないヒジュラ暦15世紀の「革新者(mujaddid)」(「革新者/ムジャッディド」とは、イスラーム暦の変わり目に現れ、イスラーム共同体を刷新すると言われる改革者を意味する) を見出す洞察を主が我々に授け給いますように。</p><p>したがって、この「ネオ・イジュティハード」の段階において最も重要なことは若者の「ターゲット文化」を理解し、彼らの心に響く方法で話しかけることである。筆者がラノベの形でイスラームの入門書『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社2020年)を書いた理由は、それが今では東アジアの若者だけでなく、西洋、中東、中央アジアのムスリムの若者にとっても「ビルドゥングスロマン(教養小説)」、生きる指針、成熟の為のロールモデルとなっているからである。(「トルコの若者は『心臓を捧げよ』と話しかけてくる…イスラーム圏で日本アニメが愛されている納得の理由」『プレジデントオンライン』(2024年1月16日)参照。https://news.infoseek.co.jp/article/president_77566/)</p><p>筆者は現在、その続編でムハンマド・ブン・ハサン・シャイバーニー(ハナフィー派法学者:805年没)の『大スィヤルの書』とフーゴー・グロティウス(オランダの国際法学者1645 年没)の『戦争と平和の法』の比較によって、異なる文明、帝国、国家間の正義に基づく多元国際社会の共存の原理と規則からなる「真の国際法」とは何かを提示する『愛紗と学ぶイスラーム国際法』を執筆中である。同書が若い同胞たちのネオ・イジュティハードの呼び水となりますように神佑を祈り筆を擱く。</p><p><br /></p>hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-52931739262480318232021-11-13T04:47:00.001+09:002021-11-13T05:19:38.178+09:00アンドリュー・H・ワトキンス著「タリバンの復権から3ヵ月後の評価」 (CTC SENTINEL第14巻第9号) 序文仮訳<p>タリバン政権の3ヵ月後の評価</p><p><i>(CTC SENTINEL</i>第14巻第9号)</p><p>著者</p><p>アンドリュー・H・ワトキンス</p><p>要旨:過去10年間にタリバンの影の統治が浸透し、軍事的・政治的な勢いが増しているにもかかわらず、復活したイスラーム首長国の最初の3カ月間は、国家の統治の担当に苦労していることが明らかになった。タリバンは、政権掌握に専念し、脅威には迅速かつ厳しく対応してきた。彼らは国家の管轄や構造を明確に定義しておらず、2021年8月15日以前と同じように活動を続けている多くのメンバーたちに長期的な計画を知らせていない。タリバンの指導者たちは、内部の結束を維持することが引き続き重要であると考えている。これはタリバンの昔からの特徴であり、差し迫ったアフガニスタンの経済的・人道的危機への対応の障害となる可能性が高い。</p><p>2021年8月15日、春先に開始された激しい軍事作戦でアフガニスタンの大部分を制圧した後、アシュラフ・ガニー政権指導部と実質的にすべての治安部隊が姿を消ししたカブールに、タリバンは進軍しほぼ無血で同日中に入城した 。(注1)</p><p>欧米が支援するイスラーム共和国の崩壊は迅速かつ広範囲に及び、米国やその他の同盟国が混乱した避難を完了するために奔走している間にも、タリバンは直ちにその空白に踏み込んだ。</p><p>ある意味では、タリバンは自分たちの幹部たちや戦闘員を、手早く新設の政府に押し込んだ。タリバンは2カ月足らずの間に、国内に残っているほとんどの政治指導者から忠誠を誓うか、少なくとも黙認のジェスチャーを引き出し、暫定政府(あるいはそのように見せかけた政府)の閣僚を任命し、都市部では厳しいく強圧的だが概ね秩序ある新しい治安体制を確立し、国境をしっかりと管理し、経済的苦難を考慮して税関を設定した。周辺国との地域内域外交を行い、山岳地帯の州で起きた抵抗運動を迅速かつ冷徹に鎮圧し、イスラーム国ホラーサン(ISK)支部に対する戦闘や、多くの元治安当局者への報復など、治安上の課題を根絶するために多くの資源を投入した。 (注2)</p><p>しかし多くの点で、タリバンの意思決定は、指導者たちの協議と合意形成による時間のかかる保守的なものであることが明らかになった。それは彼らの武装闘争が長続きした原動力であったが、全国規模での責任ある迅速で効率的な統治には妨げにもなる(注3)。 </p><p>政権復帰後もタリバンの行動の多くは、彼らがそうではないと主張したり、観察者が不和の証拠だと指摘したりする行為であっても、タリバンを特徴づける目標や原則に基づいている。</p><p>1)タリバンは、組織レベルでも個人レベルでも、脅威の認識に基づいて行動している。20年以上にわたって抵抗運動を存続発展させるためには、潜在的な脅威を常に認識し、解決する必要があった。脅威を特定し、狙いを定め、排除するか、懐柔することは、昔も今もほとんどのタリバンのメンバーたちの中心的な仕事である。</p><p>2) タリバンの指導者たちが政策を議論したり、戦略的な行動を決定したりするときには、内部の結束力を維持することを優先し、それを確実にするような選択をしてきたという一貫した実績がある 。(注4) 派閥による権力争い、若い戦闘員の間での過激化した意見、ISKによるイデオロギー的な挑戦、技術者の能力不足にもかかわらず、政権を取ってからのタリバンは、抵抗運動であった時期に育んできた結束力を今のところ維持することができている。しかし、アフガニスタンの民衆に大きな犠牲を強い、飢えた民衆を遠ざけたり、近代国家を維持するのに十分な資金を確保できなかったりするリスクを冒してでも、内部分裂を防ぐことを最優先しようとの決意によって、あらゆる場面で意思決定がなされてきた。</p><p>3)最後に、イスラーム共和国の崩壊とタリバンの全国制覇があまりに早かったため、8月15日の時点ではタリバンはまだ不安定で、国内の掌握には更に努力を要すると考えられていたことが忘れられがちである。</p><p>政権を握ってからの3ヶ月間、この反体制組織は、自分たちが倒した国家とあまり変わらない近代国家の輪郭に沿って機能し始めようと、あるいはそうする気がない/できない場合には、少なくとも機能しているように見せようと奔走している。(注5) タリバンの各層のメンバーや戦闘員たちは、ジャーナリストやアフガニスタンの人々に、この国の問題を解決するには時間がかかると繰り返し語ってきた 。(注6)このような能力不足のために、タリバンは多くの点で戦時中のデフォルトのスタイルや作戦モードに戻り、民間人に厳しい制限を加え、場合によっては人権侵害、誘拐、殺害を行っている 。(注7)</p><p>本稿では、この最初の3カ月間の出来事を、ガバナンスと安全保障に焦点を当てて検証する。第1章では、タリバンがカブールに侵入した後の政権交代を検証する。第2章では、タリバンが権力を固めていく過程での、タリバンの統治の主要な目標と原則を明らかにする。第3章では、タリバンの政府形成と統治スタイルを詳細に検討する。第4章では、「イスラーム国」の挑戦にどう対応したかなど、安全保障に対するタリバンのこれまでの取り組みを評価する。第5章では、過去3カ月間に同グループが課した社会的制約、「イスラーム国」との関係にどう対応したか、女性の教育問題への取り組み方など、タリバンによる社会サービスの提供について検討し、最後に、結論を述べる。</p><p>筆者は、8月15日以降、アフガニスタンの複数の地域に残っていた数十人のアフガニスタン人や外国人に遠隔地でインタビューを行った(安全上の理由で正式なインタビューができなかった場合は、証言を得た)。本稿では、国際的なメディアやアフガニスタンのメディアの報道を引用しながら、和平交渉や政治的イデオロギーに対するタリバンの考え方や、結束力を重視してきたタリバンの長い歴史について、筆者のこれまでの研究成果を紹介する。</p><p>注:本稿では主にタリバンを単一のアクターとして捉え、そのように分析している(ただし、全体を通して派閥や個人の行動には注意を払っている)。しかしそれは、タリバンの錯綜した利害関係者、派閥、部族連合、思想潮流、家族の徒党、個人(時には国境を越えた)のネットワークの複雑さや多様性を無視したり、最小化したりすることを意図したものではない。そうではなく、この分析手法は選択は認識論的、文体的なものである。米軍や外国軍がアフガニスタンに駐留していた時期でさえ、タリバンは指導者の死を2年近くも極秘にしていた。この3ヵ月間、アフガニスタンでは多くのことが変化してきた。タリバンの様々な構成要素とそれらの間の力学に関する外部の人間の認識はしょせんは不完全で、すぐに時代遅れになる可能性が高いことは確かなのである。</p><div><br /></div><div>(注1)反乱軍の2021年キャンペーンについては、Jonathan Schroden, “Lessons from the Collapse of Afghanistan’s Security Forces”, <i>CTC Sentinel</i> 14:8 (2021)参照。</div><div>(注2) 元治安当局者の標的については、Yogita Limaye, "Amid violent reprisals, Afghans fear the Taliban's 'amnesty' was empty," <i>BBC</i>, August 31, 2021.</div><div>(注3) このグループの意思決定の遅さは、武装抵抗勢力としてのタリバンが戦争の政治的解決を目指して米国との交渉を開始した過去2年間のほとんどの期間で目立っていた。米国およびイスラム共和国の代表者との交渉の中で、タリバンは何度も重要な場面で、指導部に持ち帰って厳しい協議をするために一時中断を要求した(そのために何度もパキスタンに戻っている)。Kathy Gannon, "Taliban leaders visit Pakistan to talk Afghan peace push," <i>Associated Press</i>, August 24, 2020.</div><div>(注4)Andrew Watkins, "Taliban Fragmentation: Fact, Fiction and Future," <i>U.S. Institute of Peace</i>, March 2020.</div><div>(注5)タリバンは、COVID-19の対応が実際には貧弱なものであったことを増幅させようとした広報キャンペーンと同様に、各州での閣僚会議や法令、活動を広報しているが、その中には包括的で持続可能なサービス提供を開始したと思われるものはほとんどない。パンデミックへの対応については、Ashley Jackson, "For the Taliban, the pandemic is a ladder," <i>Foreign Policy</i>, May 6, 2020.</div><div>(注6)一例として、Ayesha Tanzeem, "What's next in Afghanistan. "を参照。VOA speaks with a Taliban footsoldier," <i>Voice of America,</i> October 21, 2021.</div><div><br /></div>hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-8045934344732183402021-10-14T00:08:00.003+09:002021-10-14T00:16:42.151+09:00試訳(Tentative translation of Speech by Minister of Foreign Affaris of Afghanistan):「アフガニスタン暫定外務大臣アミール・ハーン・ムッタキー演説 」 <p>アフガニスタン暫定外務大臣アミール・ハーン・ムッタキー演説</p><p> 於:ドーハ・インスティテュート紛争人道研究センター 2021年10月11日</p><p> Center for Conflict and Humanitarian Studies at Doha Institute 2021/10/11</p><p>あなた方に平安と神の慈悲と祝福がありますように</p><p>こんばんは、何よりもまず、皆さまを歓迎します</p><p>アフガニスタンに平和と安定が戻り、40年に及ぶ戦争の後、初めてアフガニスタンが単一の政治的権威の下に置かれた時に、ドーハで友人たちに会えることを、私は心から喜んでいます。</p><p>ドーハという名前は、アフガニスタンの独立と平和というテーマと結びついています。2020年2月、ここでアメリカと歴史的な協定を結んだことで、外国軍がアフガニスタンから撤退し、主権が回復し、大きな前向きの変化が生じました。</p><p>良き友スルタン・バラカト教授とその同僚の方々が、これまでもアフガニスタン問題の専門家と関係者を集めて学術会議をアレンジしてくださっているスルタン・バラカ先生と同僚の皆さまに大変感謝しています。</p><p>ご列席の皆さま。</p><p>昨年8月、アフガニスタンは重大かつ歴史的な変化を遂げました。この変化は、多くの分析や予測に反して、非常に平和的な形で展開されました。20年間にわたる正当な抵抗の後、私たちはついに、外国の干渉を受けずに独立したイスラーム政府の基礎を築くことができました。</p><p>レジスタンス運動が勝利した時には、流血と大規模な破壊が起こるのが常です。それゆえこの(平和的)展開は多くの人にとって驚きでした。しかし私たちの軍は復讐心を持たず、平和、兄弟愛、相互承認、国民の団結というメッセージを掲げてカブールに入り、長年の政治的・軍事的ライバルをも受け入れました。</p><p>当初、我々は話し合いによって納得の上でカブールに入ることを目指していましたが、旧政権のトップとその治安担当者の逃亡に伴う権力の空白が生じたため、地域のリーダーやカブールの住民から我々の軍がカブールに入り、安全を提供することを求められました。</p><p>参加者の皆さま</p><p>アフガニスタンは全世界に前向きな関係のメッセージを伝えています。我々はどの国の内政にも干渉せず、また他の国も我々の内政に干渉しないことを期待しています。アフガニスタンは、1978年以来、外国からの干渉、侵略、内戦、その他さまざまな不幸の犠牲となってきました。</p><p>私たちは、地域や世界との外交関係、そして国内での良き統治の新たな頁を開きたいと考えています。私たちは、他の国々の正当な利益と要求を十分に尊重し、その代わりに他国からの互恵的な扱いを期待しています。私たちは、アフガニスタンの不安定さと紛争が長期化した主な理由のひとつは、外国人による占領と政治体制への干渉であると考えています。もし外国人による干渉や押し付けられたモデルがなければ、平和を愛する国家としての我々アフガニスタン人は、すでにずっと前に和解し、平和と安定を手に入れていたでしょう。アフガニスタンの状況が改善された主要な原因の一つは、我々の国が政治的独立と自決権を回復したことです。</p><p>外国軍の全面撤退に先立って私もメンバーとして参加させていただいた交渉チームは、アフガニスタンの人々を代表して米国と約2年間にわたる真剣な交渉を行い、2020年2月に合意書に署名しました。ドーハ合意は、アフガニスタンからの外国軍の安全な撤退への道を開いただけでなく、アフガニスタン・イスラーム首長国と国際社会との間の前向きな関係の新たな段階を迎えたのです。</p><p>ドーハ合意は、アフガニスタンと世界、特に米国との関係を定めるための枠組みを提供しています。ドーハ合意が完全に実施されれば、アフガニスタン・イスラーム首長国と米国およびその同盟国との関係における既存のすべての障壁を取り除くことができると、私たちは信じています。そのためにも、当事者はドーハ合意の内容にコミットし続けなければなりません。</p><p>親愛なる皆さま。</p><p>先ほど申し上げたように、私たちは全世界との前向きな関係を望んでいます。私たちはバランスのとれた外交政策を信じており、バランスのとれた政治的アプローチのみがアフガニスタンを不安定な状態から救い出し、私たちの利益と世界の利益を守ることができると信じています。</p><p>また、私たちは協力と相互理解に基づく隣国、地域との前向きな関係を望んでいます。地理的な観点から言えば、アフガニスタンは地域の十字路の役割を果たしています。新政府は、アフガニスタンのこの能力を十分に活用し、地域の大きな経済変革への道を切り開く決意をしています。</p><p>アフガニスタンはイスラーム教国として、イスラーム世界の政府や国家と緊密で前向きな関係を望んでいる。アフガニスタンは、イスラーム世界の重要な一部です。また、アラブ諸国や湾岸諸国との特別な関係を望んでいます。アフガニスタンは外国の紛争に巻き込まれることを望んでおらず、すべての側との前向きな関係を望んでいます。</p><p>さらに、欧州連合(EU)の理解と積極的な関与も求めています。アフガニスタンは、戦争を終えた以上、積極的な関わりを持ちたいと考えています。新政府は、自国民が欧州に避難することを奨励したり、強制したりすることを望んでいません。そのような状況は誰の利益にもなりませんし、アフガニスタン難民がヨーロッパの負担になることも望んでいません。アフガニスタン人は、故郷であるアフガニスタンで豊かな生活を送らなければならないのです。</p><p>錚々たる参加者の皆さま。</p><p>私たちは、グローバルなレベルでの政治的多様性を信じています。思想、イデオロギー、民族、言語の違いは現存しており、この現実は認められなければなりません。</p><p>アフガニスタンという国、そしてアフガニスタン人という国民は、他の世界の国々との類似点と相違点を持っています。私たちが他者との違いを理解しているように、他者もまた私たちとの違いを理解してくれることを期待しています。アフガニスタンでは、外国からイデオロギーや政治モデルを押し付けても、成功しません。今、アフガニスタン人は、自分たちの社会的、国家的、宗教的な価値観に沿った政治体制を樹立する機会を得ており、国内での説明責任を果たすとともに、国際的な義務を果たすことができるようになっている。</p><p>アフガニスタン新政府の内閣は、国内のあらゆる地域から能力ある者が参加する管理内閣です。行政サービスの遅れを防ぐために、我々の指導者(信者たちの長:ハイバトゥッラー・アフンザダ)は暫定内閣を発表することを決めました。改革は内閣と省庁のレベルの両方で行われています。</p><p>私たち(タリバン暫定政府)の下で、前政権(アシュラフ・ガニー政権)で働いていた50万人の公務員が働いており、給料をもらっています。私たちは、前政権で働いていた公務員を一人も解雇しておらず、その能力を新イスラーム政府のために活用したいと考えています。新政府は、既存の能力を差別なく活用し、すべてのアフガニスタン人、特に若い世代が政府に参加できるようにすることを目指しています。</p><p>親愛なる同僚の皆さん。</p><p>私たちはここ数日、上級代表団の一員としてドーハに滞在し、米国をはじめとする各国の代表者と生産的な会議を行いました。これらの会合は、双方の関係にポジティブな影響を与えると信じています。</p><p>ここに改めて、戦争と抑圧の段階が終わったことをお伝えしたいと思います。アフガニスタンは国際関係の新しい段階に入っており、この新しい段階に応じて新たに必要とするものが生じます。それゆえすべての当事者は共通の利益に向けて努力すべきなのです。</p><p>最後になりましたが、長年にわたって私たちに交渉の場を与えてくださったカタール国に、改めて感謝の意を表します。また、本日、皆様の前でお話をさせていただく機会を与えてくださった私の良き友人である「紛争・人道問題研究センター所長」のバラカット教授にも感謝いたします。そして今回の会議に共に参加してくださったゲストの皆様にも感謝しています。</p><p>どうもありがとうございました。</p><p>みなさまの未来が祝福されますように。</p><p><br /></p><p>Speech by Minister of Foreign Affaris</p><p>Director of the Center for Conflict and Humanitarian Studies at Doha Institute Prof. Sultan Barakat, Doha-based ambassadors, representatives of International Organizations and respected academics, </p><p><br /></p><p>Assalam o Alaikum Wa Rahmatullah wa Barakathu, </p><p><br /></p><p>First and foremost, I welcome you all and good evening, </p><p><br /></p><p>I am overjoyed that I see friends in Doha at a time when peace and stability has returned to Afghanistan and for the first time after four decades of war, Afghanistan is under the shade of a single political authority. </p><p>The name Doha is linked with the topic of independence and peace in Afghanistan. In February 2020 when we signed a historic agreement with the United States of America right here, it resulted in foreign troops withdrawing from Afghanistan, our sovereignty being restored and a great positive change taking place. I am very thankful to Prof. Sultan Barkat and his colleagues who, from time to time, have arranged academic discussions between experts and professionals regarding issues affecting Afghanistan.</p><p>Distinguished participants, </p><p>Afghanistan passed through a crucial and historic change last August. This change, contrary to many analyses and calculations, unfolded in a very peaceful manner. Following two decades of legitimate resistance, we were finally able to lay down the foundation of an independent Islamic government without any foreign interference. </p><p>The development was a surprise for many because when a resistance group succeeds, bloodshed and widespread destruction naturally occur, but our forces entered Kabul sans spirit of revenge and with a message of peace, brotherhood, acceptance of one another and national unity, and we even embraced our longtime political and military rivals. </p><p>At the beginning we sought to enter Kabul through talks and understanding, however, following a power vacuum left in the wake of the escape of the head of the former regime and his security officials, community leaders and Kabul residents solicited our forces to enter the city and provide security. </p><p>Honorable participants, </p><p>Afghanistan conveys a message of positive relations to the whole world. We do not want to interfere in the internal affairs of any country, and our expectation from others is also that they not interfere in our domestic affairs. Afghanistan – since the year 1978 – has been a victim of foreign interferences, invasions, civil wars and a range of other miseries. </p><p>We want to open a new chapter of diplomatic relations with the region and the world, and good governance at home. We fully respect the legitimate interests and demands of other countries, and in return we expect reciprocal treatment from others. We believe one of the major reasons for prolonged instability and conflict in Afghanistan has been occupation and interferences in our political structure by foreigners. Had it not been for foreign interferences and imposed models, we the Afghans, as a peace-loving nation, would already have reconciled and attained peace and stability a long time ago. One of the major reasons for the current positive situation in Afghanistan is the political independence and the right of self-determination of our entire nation. </p><p>Prior to the full withdrawal of foreign troops, our negotiating team in which I also had the honor of being a member, held almost two years of serious negotiations with the United States of America on behalf of Afghan people, culminating in signing of an agreement in February 2020. The Doha agreement not only paved the way for the safe withdrawal of foreign forces from Afghanistan, but it also opened a new chapter of positive relations between the Islamic Emirate of Afghanistan and the international community. </p><p>The Doha agreement provides a framework in defining relations between Afghanistan with the world, and particularly with the United States of America. We believe that the complete implementation of the Doha agreement can iron out all existing barriers for relations between the Islamic Emirate of Afghanistan and the United States of America along with its allies. On this basis, parties must remain committed to the contents of the Doha agreement. </p><p>Dear colleagues, </p><p>As I alluded to earlier, we want positive relations with the entire world. We believe in a balanced foreign policy and we believe only balanced political approach can rescue Afghanistan from instability and also protect our interests and interests of the world. </p><p>We also want positive relations with our neighbors and the region based on cooperation and understanding. From a geographical perspective, Afghanistan serves as a regional crossroads. The new government is determined to fully utilize this capacity of Afghanistan and to pave the way for a great regional economic transformation. </p><p>Afghanistan, as a Muslim country, wants close and positive relations with the governments and nations of the Islamic world. Afghanistan is an important part of the Islamic world. We also want special relations with the Arab and Gulf states. Afghanistan does not want to partake in foreign conflicts, rather we want positive relations with all sides. </p><p>Moreover, we also seek to have understanding and positive engagement with the European Union. Afghanistan wants to have positive engagement after closing the chapter of war. The new government does not want its people to be encouraged or be forced to take refuge in the Europe. Such a situation is not in the interest of anyone, nor do we want Europe to be burdened with our refugees. Afghans must have a prosperous life in their home, Afghanistan. </p><p>Distinguished participants, </p><p>We believe in political diversity on a global level. The differences of ideas, ideologies, ethnicities, languages is a reality, and this reality must be acknowledged. </p><p>Afghanistan as a country, and Afghans as a nation have similarities and differences with other world nations. Just as we are able to grasp differences of others with us, our expectation is that others also grasp our differences with them. The imposition of ideologies and political models on Afghanistan from outside has not yielded results. The Afghans now have an opportunity to form a political system in line with its societal, national and religious values such that it will be accountable at home and also be able to fulfill its international obligations.</p><p>Cabinet of the new Afghan government is caretaker and qualified individuals from all parts of the country are represented. In order to prevent delay in government services, our leadership decided to declare a caretaker cabinet. Reforms are being undertaken both in the cabinet and ministerial level. </p><p>We have five hundred thousand civil servants working and being paid by us that also used to work in the previous administration. We have not discharged any former government workers, and we want to use their capabilities for the new Islamic government. The new government seeks to utilize the existing capabilities without any discrimination and allow all Afghans specifically the young generation to partake in the political structure. </p><p>Dear colleagues, </p><p>We have been in Doha for the last few days as part of a high level delegation. We had productive meetings with representatives of the United States and other sides. We believe these meetings will have positive impact on the relations of both sides. </p><p>I once again want to remind you that the phase of war and pressure has ended. Afghanistan is entering a new chapter in its relations and this new chapter has new requirements. Therefore, all parties should work towards our common interests.</p><p>To end, I again express my gratitude to the State of Qatar that has hosted our negations for many years. I would also like to thank my good friend Prof. Barakat, the Director of the Center for Conflict and Humanitarian Studies, who has provided me with the opportunity to be in your presence for a few moments today. And I am also thankful to all the guests who have participated with us in this meeting</p><p>Thank you very much, </p><p>May you remaining time be blessed</p><div><br /></div><div><br /></div>hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-81337154843706365712021-10-07T06:10:00.000+09:002021-10-07T06:10:33.164+09:00 「戦争犯罪で告発された CIAのアフガン人の代理人たちは アメリカで再出発することになった」(2021年10月6日)<p> 「戦争犯罪で告発された CIAのアフガン人の代理人たちは アメリカで再出発することになった」(2021年10月6日)</p><p>アンドリュー・キルティ、マシュー・コール</p><p>『インターセプト』</p><p>(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%97%E3%83%88)</p><p><br /></p><p>https://theintercept.com/2021/10/05/zero-units-cia-afghanistan-taliban/?utm_campaign=theintercept&utm_source=twitter&utm_medium=social</p><p><br /></p><p>― CIAはゼロ部隊とその家族を優先的に避難させ、多くの弱者である米国の従業員や人権活動家を取り残した ―</p><p><br /></p><p>2021年8月24日、アフガニスタンのカブールで、ハミド・カルザイ国際空港への入国を希望するアフガニスタン人たちは、悪名高いCIAが支援する準軍事組織「01」の戦闘員によって締め出されていた。</p><p>タリバンが8月にカブールを制圧する前、アメリカの支援を受けたアフガニスタンのコマンド部隊「ゼロユニット」は、アフガンの戦場の亡霊のような存在だった。CIAのアドバイザーとともに、彼らは恐れられ、近年ではほとんど目立たなくなっていた。</p><p>しかし、タリバンが勝利してから米軍が撤退するまでの慌ただしく激しい数週間、「01」と呼ばれるゼロ部隊に所属する戦闘員たちは、他の連携した民兵たちと合わせてNSU(National Strike Unit)と呼ばれ、アメリカ軍がハミド・カルザイ国際空港を確保するのを助けた。昼夜を問わず威嚇射撃を行い、「01」の戦闘員は、避難便に乗るために空港に入ろうとするアフガニスタン人や外国人の群衆を拘束し、捜索しようとした。同時期にタリバンの戦闘員が他の空港入口で支配権を維持しようと奮闘していたのと同じである。</p><p>8月下旬のある晩、空港の北西ゲートを警備していたアフガン「01」の司令官が、写真を撮っていたインターセプトのジャーナリストに、その戦闘機のアメリカ人ハンドラーに自分の名前を教えてほしいと頼んだ。野球帽をかぶり、腰に拳銃を下げていたそのハンドラーは、ジャーナリストが避難便で出発したいなら、すぐにそうしてくれと言った。その男は、すぐに「私の仲間」(01戦闘員のこと)を避難させると言った。そうすれば、ゲートは完全に閉じられる。アメリカ人は、01戦闘機の司令官に向かって、自分たちがこれから向かう国の国民が報道の自由を重視していることを説明した。</p><p>CIAはゼロ部隊のメンバーのアフガニスタンからの退去を優先させ、7,000人もの元隊員とその親族を飛行機で送り出したが、その一方で、弱者である数千人の元米政府・軍人、人権活動家、援助者が取り残されていた。『アルジャジーラ』が報じたところによると、NSUコマンドーは、元米政府通訳の女性が、自分と夫と3人の子供のためにそれぞれ5,000ドルを渡さない限り、空港のゲートを通過させることを拒否したという。この女性は、自分と親戚が空港でNSUのメンバーに殴られたと言っていたが、賄賂を払う余裕はなかった。米国で訓練された別の軍隊、アフガン国軍のKKA(アフガン・スペシャル・ユニット)の元隊員2人が、カブールの隠れ家で『インターセプト』に語ったところによると、彼らを避難させるための正式な努力は行われず、飛行機に乗ることができた隊員は個人的なコネでそうなったという。2人の元隊員は、空港の北西ゲートに近づいた後、01人の民兵に追い返されたという。それ以来、少なくとも4人のKKA隊員がタリバンに追われて死亡したという。</p><p>同盟国民を避難させるCIAの能力は、他の米国政府機関をはるかにしのぐものであり、この戦争におけるCIAの重要な役割を示している。ワシントン・ポスト紙によると、CIAは2万人ものアフガン人の「パートナー」とその親族を避難させており、これは米国が受け入れた6万人のアフガン人全体のほぼ3分の1にあたる。なお、CIAはコメントを求められても答えなかった。</p><p>CIAの取り組みについての報道は、ほとんどが賞賛されている。しかし、ゼロ部隊は、アフガニスタン全土で数え切れないほどの民間人を殺害した致命的な夜間襲撃で知られていた。『インターセプト』は、「01」部隊がカブール南西部のワーダック州で行った10回の襲撃を記録しており、その中で子供を含む少なくとも51人の民間人が殺害されている。「01」の任務のほとんどは、アフガニスタンの戦闘員が知っているように、少数のCIA「アドバイザー」や、米国防総省の統合特殊作戦司令部から借り受けた米国の特殊部隊が率いていた。</p><p>「米国は、戦争犯罪や深刻な人権侵害を犯した者に安全な避難場所を提供するべきではない」と、この部隊の虐待に関する報告書を執筆した『ヒューマン・ライツ・ウォッチ』のアジア部門アソシエイト・ディレクター、パトリシア・ゴスマン氏は言う。「アフガニスタンでは、これらの部隊は、略式処刑やその他の虐待を含む自分たちの行動に対して責任を負うことはなかった。米国およびこれらの部隊のメンバーを再配置する国は、到着した部隊を選別し、人権侵害に関与した可能性のある者を調査すべきである」と述べている。</p><p>この作戦を直接知る元米情報機関高官によると、このゼロ部隊のメンバーのほとんどはカタールに空輸され、そこでCIA準軍事将校がアフガニスタンの元同僚を米国に送るよう働きかけたという。</p><p>この元米高官、2人の元アフガン情報機関高官、そしてゼロ部隊の一部のメンバーと同じ米軍基地に避難してきた別のアフガン部隊の元コマンドーによると、元アフガン・コマンドーは再定住を待つ間、バージニア州とニュージャージー州の2つの基地を含む米軍基地とドイツのラムシュタイン空軍基地に収容されている。ゼロ部隊の別の少人数グループはアラブ首長国連邦にいるが、数週間以内に渡米する予定だと、元アフガン関係者の1人が「インターセプト」に語った。両元アフガン関係者は、以前ゼロ部隊に所属していて、現在は米国にいる親族と話をしたことがあるという。</p><p>ゼロ部隊は、米国政府内では「モホーク」と呼ばれていたが、CIAが管理する非正規のコマンド部隊としてスタートした。情報機関は、主にパキスタン国境近くの北部と東部にある米国の小さな前哨基地からゲリラ戦闘員として活動するチームを訓練した。このプログラムの当初の目的の多くは、CIAがパキスタンへの国境を越えた襲撃を行うことであった。</p><p>ゼロ部隊は、米国が説明責任を回避するための偽装工作を可能にするもので、ベトナム戦争時のCIAのフェニックス計画に似たところがあった。フェニックス計画では、CIAはアメリカ人指揮官が率いる南ベトナムのゲリラを中心とした地方偵察隊を作った。アフガンのゼロ部隊と同様に、PRUは情報収集とベトコン容疑者の暗殺を行った。</p><p>2010年、アフガニスタン政府はCIAと協定を結び、NSUをアフガニスタンの旧諜報機関である国家安全保障局(NDS)との共同プログラムにすることを決めた。この2人の元アフガン政府高官は『インターセプト』に、このミッションは共同で運営されたが、部隊の資金は引き続き米国政府が独占的に提供していたと語っている。この変更により、CIAは人権侵害や戦争犯罪の告発に対して、もっともらしい反証を主張することができるようになった。</p><p>しかし2019年、アフガニスタンの最上級防衛官僚であるハムドゥラ・モヒブ(当時のアフガン国家安全保障顧問)は、「01」はCIAにコントロールされていると『インターセプト』に語った。「率直に言って、彼らがどのように機能しているのか...完全には把握していません」と彼は当時語っている。「私たちは、これらの活動がどのように行われているのか、誰が関与しているのか、どのような構造になっているのかを明らかにするよう求めてきた。これらの作戦がどのように行われているのか、誰が関与しているのか、どのような構造になっているのかを明らかにするよう求めてきた。」</p><p>ジョー・バイデン大統領が1月に就任した直後、CIAはNDSに1年分の予算を与え、もうゼロ部隊を支援しないし、資金提供も継続しないと言ったと、元アフガン情報機関関係者の1人が『インターセプト』に語っている。</p><p>2021年9月6日、カブールのダウンタウンから数マイル北東に位置し、アメリカがアフガニスタンから撤退する前に中央情報局と「01」が拠点としていたイーグル・ベース内で、アメリカが支援する「01」部隊を示すスプレー・ペイントが見られる。</p><p>カブールの北東の丘の中腹にある広大なCIAと01の施設「イーグルベース」は、かつてはアメリカの最も近い同盟国以外は立ち入ることができなかった。</p><p>高速道路からは、丘の中腹に作られた射撃場と、ベージュ色の建物群に向かって蛇行する細い道路が見える。ヘリコプターの格納庫、弾薬庫、兵舎、そして戦争初期に尋問や拷問が行われていた「ソルトピット」と呼ばれるCIAのブラックサイトなどが見えた。</p><p>右派医療機関のネットワークがヒドロキシクロロキンとイベルメクチンで数百万円を稼いでいることがハッキングされたデータで明らかになった。</p><p>周囲の警備は、アフガニスタンの基準から見ても非常に厳しいものだった。高さ6フィートの土の壁の周りには溝がある。次に、コンセルティーナワイヤー、スチールケーブルでつながれた色あせた赤いボラード、さらにコンセルティーナワイヤーで覆われた高さ10フィートの泥とコンクリートの壁が続き、300フィートごとに高台の見張り台が設置されている。夜間は投光器が全周を照らしている。</p><p>2019年以前、「01」戦闘機は夜間の任務のために車両の護衛隊でイーグル基地を出発していた。ワルダック州での襲撃に「01」を同行させていたNDSの元テロ対策担当者によると、2回のワルダック州でのミッションで護送車が待ち伏せされたことで変化があったという。その後、「01」のミッションのほとんどは、アメリカのチヌーク・ヘリでワルダックに飛来するようになった。イーグル基地周辺の住民が2019年に『インターセプト』に語ったところによると、週に数回、夕刻に出発して夜明け前に戻ってくるデュアルローターのヘリコプターの独特な音を聞いたという。それ以外では、「01」の戦闘機はほとんど見られなかった。</p><p>しかし、タリバンは誰がイーグル基地を占拠しているかを知っていた。2019年7月25日、ゲートに到着した無印のトヨタ・ランドクルーザーで移動するCIA職員を狙った自爆テロが発生したと、タリバンのスポークスマン、ザビフラ・ムジャヒドが同年のインタビューで語っている。地元住民は、その日、屋敷の門で白いランドクルーザーに対して爆弾テロが行われたことを確認した。この事件はメディアの注目をほとんど集めなかった。米軍のアフガニスタン派遣部隊である「確固たる支援任務(Resolute Support Mission=RSM)」(とアフガニスタン・イスラム共和国の治安部隊(ANDSF)に対して北大西洋条約機構(NATO)が訓練・助言・支援を行う任務。これは13年間に渡って14万人が参加し2014年12月28日に完了した国際治安支援部隊(ISAF)に続く任務であり指揮官は元デルタフォース指揮官のオースティン・S・ミラー大将。なおアメリカ軍は訓練だけでなく対テロ作戦の「自由の番人作戦」を行った)。「確固たる支援任務」のスポークスマンは、『インターセプト』に対し、その日にカブールで外国軍の犠牲者が出たことは知らないと述べた。また、CIAもコメントを控えた。</p><p>この広大な施設は、8月末の米軍のアフガニスタン撤退の最終日に火災や爆発物で施設の一部が破壊されて以来、タリバンの戦闘員が占拠している。最後の米軍機がカブールを出発してから1週間後の9月初旬、「01」部隊が着用していたのと同じ虎縞模様のファティーグを黒っぽく着たタリバンの戦闘員たちが、ジャーナリストたちをイーグルベースの廃墟に案内していた。</p><p>タリバンの「バドル」313旅団は、1400年前に預言者ムハンマドがわずか313人で敵軍を制圧したとされる「バドルの戦い」にちなんで名づけられた精鋭コマンド部隊である。彼らを率いるのは、民族衣装にサングラス、手術用マスクをつけた40代の英語を話すタリバン隊員だった。</p><p>その約2週間前の8月26日の夕暮れ時、空港での自爆攻撃とその後の銃撃戦で、米軍兵士13名を含む約170名が死亡した。カブールの住民は緊張していた。夜半前に市内で大きな爆発音がした時、多くの人は2度目の攻撃があったのではないかと心配した。しかし、この爆発は制御された爆発で、弾薬庫、武器庫、車両、イーグル基地内のさまざまな施設が破壊された。CIAが放棄した後、タリバンに残したくなかった施設である。アムネスティ・インターナショナルの武器・軍事作戦担当シニア・クライシス・アドバイザーで、元米空軍爆発物処理官のブライアン・カスナーは、「インターセプト」が撮影した現場の写真を見て、「非常に性急で混乱した撤退だった」と語った。</p><p>銃弾、迫撃砲、手榴弾が、火事で破壊された弾薬庫の炭化した土台の上に散らばっていた。武器庫と思われる焼け跡には、カラシニコフ、ベルト給弾式のPKMやDShK機関銃、ロケット弾発射機、迫撃砲の筒などの銃身が拾い棒のように積み上げられていた。</p><p>寮の建物の中には、ゼロ部隊のトレードマークであるトラ柄のユニフォームがフックに掛けられ、床に散らばっていた。鉄製のロッカーには、戦術兵器のパッケージや若い家族のパスポート写真が捨てられていたが、五角形の軍章には「The Shield & Swords of Afg, NSU (01)」と書かれていた。</p><p><br /></p><p>www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。</p><p><br /></p><div><br /></div><div><br /></div>hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-957707212453342752020-09-29T14:46:00.002+09:002020-09-29T14:46:34.821+09:00第28「名声と偽善」章:『宗教諸学の再生・要約』<p> </p><p><br /></p><p><br /></p><p>第28章「名声と偽善」</p><p> 知りなさい。名声は心(カルブ)が好むものであり、篤信者(スィッディーク)以外はそれを退けることはできない。それゆえ篤信者の頭から最後まで離れないものが支配権(リヤーサ)の愛だと言われる。それでその意味を節に分けて説明する。</p><p>節</p><p> 知りなさい。名声の本質は評判が広がることで、それは非難されるべきものである。例外はアッラーがその宗教(イスラーム)を広めるために有名にされた者である。アナスはアッラーの使徒が以下のように言われたと述べている。「アッラーが護り給う者を除いてその宗教と現世(の生活)について人々から後ろ指を指されるより悪いことはない」。</p><p> アリーは言った。「散財しても有名になるな。噂され知られるために自分を目立たせるな。隠し沈黙せよ。そうすれば平安である。敬虔な者は上機嫌だが、悪人は不機嫌である」。</p><p> イブラーヒーム・ブン・アドハムは言った。「欲望(対象)を好む者はアッラーを認めない」。タルハは一緒に歩いている者たちの方を見て言った。「まとわりつく蠅、灯火に群がる蛾」と言った。スライマン・ブン・ハンザラは言った。「私たちがウバイイ・ブン・カアブと一緒にいて、私たちが彼の後を歩いていると、ウマルが彼をみつけ、鞭で打って言った。『見なさい、信徒たちの長よ、何をするか』すると(ウマルは)言った。「それは付いていく者たちにとっては恥辱、前を歩く者には(思いあがりの)誘惑だからだ」。</p><p> ハサンが伝えて言うところ。ある日、イブン・マスウードが家を出ると、人々が彼の後をついて歩いた。そこで(イブン・マスウードは)彼らに目を向けて言った。「なぜ私についてくるのか?アッラーにかけて、もしあなたがたが私の(家の)扉が閉められた時(の私の姿)を知っていれば、誰も私について来ないだろう」。ハサンは言った。「人々の背後で靴音が響くと愚か者どもは気もそぞろになる」。</p><p> 匿名の徳:</p><p> アッラーの使徒は言われた。「誰も気にもかけず、乱れ髪、誇りまみれで粗末な服を着ていても、アッラーに誓えば、必ず果たす者がいる。バラーゥ・ブン・マーリクはそのような者の一人である」。イブン・マスウードもアッラーの使徒が以下のように言われたと述べている。「誰も気に留めない粗末な衣服を着た者であってもアッラーに請願すれば適い、『アッラーよ、あなたに楽園を祈願します』と言えば、アッラーが現世では何も授けなくとも楽園を授け給うような者がいかにたくさんいることか」。</p><p> アブー・フライラは預言者が以下のように言われたと述べた。「楽園の民とは、王侯に面会の許可を申し込んでも許されず、女性に結婚を申し込んでも結婚してもらえず、発言しても静聴してもらえないような誰も気にかけない粗末な服を着て埃にまみれ髪も乱れた者ばかりである。彼らは困っていることがあっても心の中で繰り返し呟くばかりである。しかし最後の審判の日にその(一人の)光が人々に分配されれば彼らに十分に行き渡る」。</p><p> 以下のように伝えられている。ウマルが(マディーナの預言者)モスクに入ると、ムアーズ・ブン・ジャバルがアッラーの使徒の墓のところで泣いていた。そこで(ウマルが)「なぜ泣いているのか」と尋ねると、(ムアーズは)言った。「私はアッラーの使徒が以下のように言われるのを聞いた。『些細な偽善も多神崇拝(シルク)である。アッラーは、居なくなっても探されず、居ても気付かれないような目立たぬ敬虔な者たちを愛で給う。彼らの心は導きのランプであり、あらゆる暗闇から救われる」。</p><p> イブン・マスウードは言った。「地上の人間には知られずと、天上の天使たちに認められる</p><p>知識の鉱脈、導きのランプ、家の敷布(底本ではأجلاسだがナッジャール版の أحلاسで読む)、夜のランプ、心中の反省、衣服の襤褸のような者でありなさい」。</p><p>「名声欲の非難について」節</p><p> アッラーは仰せである。「それは来世の家であり、我らはそれを地上での驕り高ぶり、堕落を望まない者のために作った」(28章83節)</p><p> 知りなさい。財貨の意味が諸物の所有であったように、名声の本質は心(カルブ)の所有である。そして財貨の所有者がその財貨によって求める対象を得るように、心の所有者はそれによって求める対象を得るのであり、名声はその求める対象の一つである。</p><p> 財貨が職業や産業によって得られるのと同じく、心は様々な行動(ムアーマラート)によって得られる。心は信条によってしか支配できない。ある種の完成に達していると信じられるあらゆる者に対して、人の心は従う。心の所有とは人々に崇拝させることであり、また奴隷にすることである。そして財貨が愛されるなら、名声は猶更である。</p><p> 知りなさい。名声は支配と主権を求める霊の糧である。というのは霊はアッラーの命令の世界に属するからであり、それは人間に対して主権と支配と奴隷化を求め、完全性を愛し、それを求める。それゆえあなたはこの欲求のない(底本ではينفعكだがナッジャール版のينفكで読む)者を見つけることはできないだろう。</p><p>節</p><p> 知りなさい。魂はただ賞賛されることで安らぎ、それで感激する。なぜなら魂は充足を愛し、それ(賞賛)によって充足を感じるからである。逆に非難されるのを嫌うのは、(魂は)不足を嫌い、それ(非難)によって(自分に何かが)不足していると感じるからである。</p><p>名声欲への処方の説明:</p><p> 知りなさい。名声欲に憑りつかれた者は、名声を欲し、それをいかに増して、被造物(人間)の心を奪うかにしか関心がなくなる。そしてそれによって偽善と偽信仰を余儀なくされる。</p><p> それゆえアッラーの使徒はそれ、つまり金銭欲と名声欲を家畜の柵の中の獰猛な二匹の狼に譬えられ、言われた。「水が草を育むようにそおれは偽信仰を育む」。その対処は知識と校医の組合せである。</p><p> 知識とは、その目的が心の所有であることを知ることである。我々は(心は)たとえ澄んで健全であろうとも、その最後は死であることを既に明らかにした。それは正しく永続するものではない。地上の東西全ての者があなたに跪拝しても、50年たてば跪拝した者も跪拝された者も生存していないのである。あなたはあなた以前に死んだ有名な者たちと同じである。それは実体のない幻の充足である。なぜならそれは死によって消滅するからである。</p><p> それはハサン・バスリーがウマル・ブン・アブドゥルアズィーズに書簡を送った時に書いたとおりである。「あなたが死が書き定められた者の最後の者で既に死んだかのようであれ」。そこで(ウマル・ブン・アブドゥルアズィーズが)その返事に書いた。「あなたが現世に存在しないかのように、またあなたがすでに来世にいるかのようであれ」。彼らは末路を見すえ、来世が近いことを知っていたのである。</p><p> 行為について言えば、彼らにはそのための道がある。彼らの中には酒に似た飲み物を飲み、人々が酒を飲んでいると誤解して彼を避ける者もいる。また中には禁欲によって有名であっても、風呂に入り、別人の服を着て現れ、道の途中で止まり、遂には人々が彼(の正体)を知り、彼を捉え、服を脱がせ、殴って、「この泥棒め」と言って追い出すような者もいる。</p><p> そのための最短の道は孤立と知り合いのいない場所への移住である。地元で隠棲するなら人々が自分が隠棲し引き籠ったことを知っているために一種の偽善を免れない。</p><p>賞賛を好み非難を嫌うことから救われるための処方の説明:</p><p> その原因が充足が幻想にすぎないためであることは既に述べた。それには根拠がなく、此岸でしか意味がなく、たとえ賞賛が宗教的な事柄についてであっても来世では無意味であることを知れば、それは幻想でしかない。というのは充足は良き末期によってでしかないが、それはこの危険を乗り越えた後だからである。</p><p>この章の第二の主題「偽善」の説明</p><p> 知りなさい。偽善(リヤーゥ)は禁じられており、偽善者はアッラーの御許で御怒りを被った者である。「礼拝に気もそぞろで偽善的に(他人に)見せるだけに礼拝する者たちに災いあれ」(107章4節)とのアッラーの御言葉がそれを示している。またアッラーは仰せである。</p><p>「その主に拝謁することを望む者は善行を行い、その主の崇拝において何物も並べてはならない」(18章110節)。</p><p> また「アッラーの使徒よ、どうすれば救われますか」と尋ねられ、(預言者は)答えられた。「しもべが人間(の表か)を意識せずにアッラーに服従することである」。また(預言者は)言われた。「あなた方に対して最も心配なのは小さな多神崇拝です」。(人々が)「アッラーの使徒よ、小さな多神崇拝とは何でしょうか」と尋ねると、(預言者は)「偽善(リヤーゥ)です。アッラーは『最後の審判の日にしもべたちにその行為に対して報われる時に、『お前たちが下界で偽善的に(行為を)見せびらかした者たちのところに行って彼らの許に報償があるか見るがよい』と仰せになる。」また(預言者は)言われた。「アッラーに『悲しみの谷』からの庇護を求めなさい」。そこで「アッラーの使徒よ、それは何ですか」と尋ねられ、(預言者は)答えられた。「(他人に)みせびらかすために偽善者にクルアーンを読誦する者たちのために用意された火嶽にある涸れ谷です」。</p><p> アブドゥッラー・ブン・ムバーラクはその伝承経路である男から以下のように伝えている。</p><p>その男はムアーズ・ブン・ジャバルに言った。「あなたがアッラーの使徒から聞いたハディースを私に語ってください。」</p><p>(その男は)言った。「すると(ムアーズは)私が彼は泣き止まないのではないかと思うほどに泣いた後で静かになり、それから言った。「私はアッラーの使徒が私に『ムアーズよ』と言われるのを聞き、彼に『ここにおります。アッラーの使徒よ。あなたは我が父母より大切ンあ御方です、アッラーの使徒よ』。そこで(預言者は)言われた。『あなたに記憶すればあなたの役に立つが、それを忘れて失くしてしまうと、最後の審判の日にアッラーの御許であなたの弁明が尽きてしまうようなハディースを話しましょう』」。ムアーズよ、アッラーは天地を創造する前に7人の天使を創造された。それから7つ天を創造しそれぞれの天に、それぞれに門番の天使を作り、それらに威厳を備えさせました」。</p><p> (ムアーズは)言った。</p><p> それから記帳天使たちがしもべの行為のうちの善行を取り上げて進み、それを浄めて増やし、それを第二天まで届けると、第二天担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴れ。私は誇りの天使である。この者はその行為で現世の名誉を求めていた。我が主はその行為が私を超えて他の者(第三天以上の担当天使たち)に渡してはならない、と仰せである。この者は人々の集まりで彼らに対して自慢したからである。</p><p> (ムアーズは)言った。</p><p> それから記帳天使たちは喜捨と斎戒と礼拝の光に悦び満足してしもべの知識を持って第三天に向かって昇っていった。するとその(第三天)担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴れ。私は傲慢の天使である。この者はその行為で現世の名誉を求めていた。我が主はその行為が私を超えて他の者(第四天以上の担当天使たち)に渡してはならない、と仰せである。この者は人々の集まりで彼らを見下したからである。</p><p>(ムアーズは)言った。</p><p> それから記帳天使たちは蜂のブンブンうなる羽音のような賞賛、礼拝、大巡礼、小巡礼の騒音を立てるしもべの行為を携えて第四天に向かって昇っていった。するとその(第四天)担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴り、それでその背と腹を殴れ。私は自己満足の天使である。我が主はその行為が私を超えて他の者(第五天以上の担当天使たち)に渡してはならない、と仰せである。この者は行為を行う時に、自分の行為に自己満足を混ぜ込んだからである。」</p><p> (ムアーズは)言った。</p><p> それから記帳天使たちは実家に向かう婚礼の花嫁のようにしもべの行為を運んで第五天に向かって昇っていった。するとその(第五天)担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴り、それを彼の肩の上に担がせよ。私は嫉妬の天使である。なぜならその者は人々を嫉妬し、学びんで自分の行為と同じことを行った者、崇拝の功徳を得た全ての者を嫉妬し、彼らを謗っていたからである。我が主はその行為が私を超えて他の者(第六天以上の担当天使たち)に渡してはならない、と仰せである」。</p><p> (ムアーズは)言った。</p><p> それから記帳天使たちは礼拝、浄財、小巡礼、大巡礼、斎戒のようなしもべの行為を携えて第六天に向かって昇っていった。するとその(第六天)担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴れ。なぜなら試練や害悪に見舞われたアッラーのしもべを少しも慈しまず、見下して見捨てた私は慈悲の天使である。(我が主は)その行為が私を超えて他の者(第七天以上の担当天使たち)に渡してはならない、と仰せである」。</p><p> (ムアーズは)言った。</p><p> それから記帳天使たちは雷鳴のような音響、陽光のような光を放ち、三千の天使が同行する斎戒、礼拝、扶養、イジュティハード、敬神のようなしもべの行為を携えて第七天に向かって昇っていった。するとその(第七天)担当天使が彼らに言う。「止まり、この行為でその行為者の顔を殴り、それで彼の四肢を殴り、それでその心に錠をかけよ。我が主は私に、その者と我が主の顔を望んで行わなかったあらゆる行為とを遮断せよ、と命じられた。なぜならその行為においてアッラー以外を意識し、法学者たちの間での高い地位、学者たちの許での評判、諸国での名声を望んでいたからである。我が主はその行為が私を超えて他の者に渡してはならない、と仰せである。アッラーだけに捧げられたのでない行為は全て偽善(リヤーゥ)であり、アッラーは偽善者の行為を受け入れません」。</p><p> (ムアーズは)言った。</p><p> それから記帳天使たちは礼拝、浄財、斎戒、大巡礼、小巡礼、良い性格、沈黙、アッラーの唱念斎のようなしもべの行為を携え、第七天の天使たちの行列と共に昇っていき、遂に全ての覆いを過ぎ去りアッラー御前に至った。そして彼ら(天使たち)は彼(アッラー)の御前に立ち、彼のためにアッラーのみに捧げられた行為を証言します。</p><p> (ムアーズは続けて)言った。</p><p> アッラーは彼らに仰せられる。「あなたがたは我がしもべの行為の記帳天使であるが、私はその魂(ナフス)の監視者である。あの者はその行為で私を意識せず、それで私以外を意識していた。それゆえ彼には我が呪いがあり、天使たちは皆、「この者にあなたの呪いあれ、またこの者に我らの呪いあれ、七つの天とその中にいる者たちもこの者を呪います」。</p><p> ムアーズは言った。</p><p> 私は言った。「アッラーの使徒よ。あなたはアッラーの使徒であり、私はムアーズです。どうすれば救われるのでしょう。」</p><p> すると(預言者は)言われた。「あなたの預言者に倣い、クルアーン読誦者などのあなたの同胞に対する誹謗に口を慎みなさい。自分の罪を自分で負い、彼らにそれを担わせるな。彼らを非難することで自分を浄め、自分を彼らの上に立たせようとするな。現世の行為を来世の行為に混入させるな。あなたの口座で高慢に振舞い、あなたの悪い性格を人々に疎んじさせるな。他の人間がいるところで一人だけと密談してはならない。また現世の善福が立たれないように人々に対して孤高になってはならない。人々(の間)を引き裂いて、最後の審判の日に獄火の犬があなたを噛み千切ることがあってはならない。アッラーは『活発に活動する者たちにかけて』(79章2節)と仰せである。ムアーズよ、それ『活発に活動する者たち(ナーシタート)』とは何か分りますか。」</p><p> 私が「あなたは私の父と母より大切な御方です、アッラーの使徒よ、それは何でしょうか」と言うと、(預言者は)「肉と骨を焼き尽くす(ナシャタ)獄火の犬です。」と言われました。私が「あなたは私の父と母より大切な御方です、アッラーの使徒よ、だれがこのような難題に耐えられるでしょうか。誰がそれから救われるのでしょうか」と尋ねると、(預言者は)言われました。「ムアーズよ、アッラーが易しくされた者には易しいこと。あなたは自分のために望むことを人々にも望み、自分が嫌うことを他人がされるのも嫌だとおもえば十分です」。</p><p> (ムアーズ)は言った。「私はこのハディースの内容への訓戒のためにムアーズ以上にクルアーンを多く読む者を知りません」。</p><p> イクリマは言った。アッラーはしもべにその意図に応じて、その行為に応じては与えないものを授け給う。なぜならば意図は、偽善が入り込まないほど更に奥深くにあるものだからである」。</p><p>偽善の本質の説明:</p><p> 「偽善(riyā')」は「見ること(ru'yah) 」の派生語、「声望(sum‛ah)」は「聞くこと( samā‛)」の派生語である。「偽善」の語義は人々が自分たちの許での地位を見ることを求めることであり、人々の許での地位を求めることは、崇拝行為以外の行為によることもあれば、崇拝行為によることもある。</p><p> それゆえ崇拝行為以外における偽善とは粗末な服を着たり、それ(服)をたくし挙げてたり、黄色い顔をし、目を窪ませ、髪をほつらせ、声を潜め、無理にゆっくり静かに歩いたり、悪筆で書いたりして見せることである。これらのことは全て崇拝行為による偽善の保管物である。それらの目的が他人にみせびらかすことならばそれらは全て禁じられている。</p><p> 学者が説教で韻をふんで博識をみせびらかすのも同じである。それ(韻文)によって宗教がより受け入れられる近道になることを狙っているなら別で、説教の核心でのその(韻文を使う)意図が正しいこともあり、その場合は許されることもある。</p><p> 偽善は崇拝行為の要件についてであることもある。それは人々が自分について禁欲的で敬虔だと思い込むようにと人々の前で長々と屈身礼と跪拝することである。無理に人々の前で行う必要がないため、自宅で長々と屈身礼や跪拝をすれば偽善を免れることができると思って、わざと独りでそうするかもしれない。しかしそれがその決意であればそれ(偽善)を免れるどころか、偽善を増すことになるのである。</p><p> これについては偽善とは名声を求めることである、と言うのが正しい。そしてそれは崇拝行為についてか、それ以外についてかのどちらかになる。財貨について合法なものを求めるような崇拝行為以外についてであれば、ごまかしがない限り禁じられていない。しかしそれ(ごまかし)は財貨についても名声についても同じように禁じられているのであり、名声を求めることが全面的に禁じられているとは考えるべきではない。というのは、生活の必要のために必要最小限の名声は僅かな財貨は必要に鑑み求めることが許されるのと同じである。そしてそれが「私をこの地の宝庫の上に置いてください。私は博識な管理人です」(12章55節)とのユースフの言葉の意図するところである。それゆえ財貨について既述の通り名声にも毒と仙薬が共に存在するからである。</p><p> 多くの財貨がアッラーの唱念を妨げ気を逸らすように、多くの名声も同じである。自分から求めたのでなく大きな名声を得たのであり、それでアッラーの唱念から気が逸れないなら、それを利用するのは、気前良さ、利他、福利を被造物(人類)に及ぼすことによって大きな財貨を使うのと同じである。それゆえその規定は既述の多くの財貨の規定と同じである。</p><p> 名声は預言者たちや学匠たちや正統カリフの名声を超えることがあってはならない。そうならず、それによってアッラーから気を逸らしてはならず、それ(名声)が無くなっても悲しんではならない。それで美しい服を見せるため(リヤーゥ)に人間の間に出ていくことは禁じられていない。なぜならそれには崇拝行為による偽善(リヤーゥ)でなはいからである。それはアーイシャの伝承が示している。</p><p> アーイシャは言った。「アッラーの使徒は教友たちのところに出かける時には水鏡を眺めターバンと髪を整えられました。</p><p> (アーイシャが)言った。「私が『アッラーの使徒であるあなたがそんなことをするのですか』と言うと、(預言者は)「そうです。アッラーはしもべが同胞たちの前に出る時には彼らのために着飾るのを愛で給います」と言われた。</p><p> そう、それはアッラーの使徒の崇拝行為であったのである。なぜならば(預言者は)被造物への宣教を命じられていたのであり、もし人々に見下されたなら、それ(宣教)がダメになるからである。</p><p> 知りなさい。偽善にも段階がある。もし行為の目的が100パーセント偽善であれば、それは崇拝行為を完全に無効にする。崇拝行為の意図において偽善が優勢であった場合もこれとほぼ同じである。</p><p> もし崇拝行為と偽善が拮抗しており両方を意図した場合、どちらにも傾かずに保身が出来れば、それで儲けものである。</p><p> 基本が崇拝行為の意図であれば偽善が劣位となる。偽善がなかったとすれば崇拝行為に向かう。崇拝行為を意図しない単なる偽善であっても偽善は侮れない。行為の大本が損なわれるこことはなくとも、報償が減るか、その偽善に応じて罰せられる。「私は多神崇拝(シルク)を最も必要としない自足者である」とのアッラーの御言葉は、(崇拝行為と偽善の)二つの意図が等しい場合を指しており、この最後の種類を排除するものである。</p><p> 知りなさい。もし偽善が信仰の原則に及ぶならそれは偽信仰(ニファーク)であり、獄火の最下層に永遠にとどまる。信仰の原則ではなく法的義務の原則に関わっているなら、より(罪は)軽い。(偽善が)(法的)随意行為や崇拝行為の諸性質に関わっている場合については既に述べた。、</p><p>隠れた偽善の説明:</p><p> それは黒蟻よりももっと隠れたものであり、それは被造物に見られることで崇拝行為を損ねることはないが、崇拝行為の遂行に影響することもない。しかしその崇拝行為を知るか見るかしなくてはならず、それを喜ぶ。これが隠れた偽善である。</p><p> 偽善を防ぎ治療する方法はその原因が財貨と名声への愛、賞賛への愛であることを知ることだが、それについては既に述べた。その後で生ずること(次の段階)では、アッラーが自分の秘密をご覧になっており、いずれ(最後の審判の日に)自分に「私はあなたを見る者たちの中で最も(評価が)甘い者である」と仰せになることを熟考するのが良い。それからもしそれ(名声)を得た者が行き着くところ(死)、ぞれ(名声)が死によって消えることを熟考すれば、その脱却が望ましいことが分る。</p><p>罪の隠蔽の軽減措置の説明:</p><p> 知りなさい。純粋信仰(イフラース)の基本は内密でも公然でも同じであることである。ウマルは言った。「あなたがたは公然の行為に気をつけよ」。人々が「信徒たちの長よ、公然の行為とは何ですか」と尋ねると、ウマルは答えた。「あなたがたの誰かがそれを見ても恥ずかしくないことである」。</p><p> (預言者は)言われた。「これらの醜行の何かを犯した者はアッラーの覆いに隠れなさい」。罪が表に出ることは自分自身からの場合と同じく他人からであっても忌避することが望ましい。</p><p>偽善を恐れて崇拝行為を放棄することが許されないことの説明:</p><p> 我々は言おう。動因は偽善の元ではない。その過程で虚偽が恐れられる。それゆえ崇拝行為を放棄するのは望ましくない。なぜなら悪魔の目的は(人間が)崇拝行為をやめてしまうことで達成されるからである。だから崇拝行為を敢行し、(偽善を治す)薬で偽善を防ぎなさい。それゆえ彼ら(スーフィー)のある者は言う。「偽善とは被造物(人間)が見ているからといって崇拝行為を放棄することである。被造物(人間)のためにそれ(崇拝行為)を行うのは純然たる偽信仰(ニファーク)に他ならない。</p><p>節</p><p> 崇拝行為の中には、カリフ職、イマーム職、スルタン職や教育や説教のような被造物(人間)に関わるものもある。(預言者は)言われた。「正義のイマーム(カリフ)の一日は独りで行う60年の崇拝行為に優る」。</p><p> 知りなさい。敬虔な者たちはそれから逃げる。なぜならそれには大きな危険があるからである。なぜならそこでは財貨や名声やその他の厄災によって内面の諸属性が動揺するからである。それゆえ預言者は言われた。「どんな集団の後見人であれ、最後の審判の日には腕を鎖で首に繋がれてやって来るが、彼が行った正義がそれを解き放つか、不正がそれを固く結びつけるかのいずれかである」。</p><p> それゆえ理性ある者は危険な場からは逃げるのが正しい。それゆえ自分自身を見つけなさい、そして自分を支配しているのが(来世での崇拝行為の)報償を求めることであれば行いなさい。その徴は自分の代わりになる者が現れたらそれで満足し、怒らずその者を任用することである。理解し益を得よ。アッラーこそ正答を最もよくご存知である。</p><div>「</div>hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-30846350479388175842020-06-12T20:08:00.002+09:002020-06-12T22:59:19.791+09:00コロナ禍を生きる ―人々は眠っている。死んではじめて気づく<div dir="ltr" style="text-align: left;" 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「コロナ禍を生きる - 人々は眠っている。死んではじめて気づく」<br />
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1.序<br />
この連載も今回で最終回ですが、前々回、前回とパレスチナとトルコという個別の問題に焦点を絞って扱ったCOVOID-19について、イスラームに絡めて巨視的に論じてみようと思います。<br />
まず最初に言っておかなければならないのは、私の予想は大きく外れた、ということです。COVOID-19自体の出現は誰にも予想できませんでしたので、それが予想外だったのは当然ですのでそのことではありません。<br />
本連載で何度も繰り返しているように、現代のムスリム世界にイスラームは形だけしか残っておらず、国家のレベルでも社会のレベルでも個人のレベルでもイスラームの教えは実践されていません。それはヨーロッパの植民地支配によって骨抜きにされた現在に始まってことではなく、文明的にはイスラームの絶頂期とも言われるアッバース朝時代においてすらそうでした。しかしこの話をし始めるとキリがないので、詳しくは拙著『イスラーム学』(作品社2020年)、特に第6章「末法の法学」をお読みください。<br />
現代のムスリム国家、ムスリム社会、ムスリムの行動は基本的に全て西欧の領域国民国家、資本主義、西欧近代科学の論理に基づいており、イスラームは表面的な文化的残滓以上のものではありません。外の人間にはまるで別物に見えても、違いは表層の見かけだけに過ぎません。それはちょうど「COVOID-19」が、日本語では「新コロナウィルス」、英語ではnovel coronavirus、中国語では「新型冠状病毒」と書かれるので、日本語、英語、中国語を知らない人間にはまったく別物に見えても、実は同じものであるのと似ています。<br />
そのことはよくよく分かっていたつもりでしたが、それにしてもここまでだとは思っていなかった、というのが予想外だった、という意味です。また私は1982年に東大のイスラーム学研究室に進学し1983年にイスラームに入信して以来、イスラーム学研究室出身のただ一人のムスリム学生であり、ずっと自分の世界観、価値観が他の日本人とは違い、理解されないことを自覚して生きてきました。またエジプト留学以来、25か国以上のムスリム国を訪れましたが、そこでも日本文化の中で育ち13-4世紀のスンナ派国法学を専門とする古典イスラーム学者として、自分たちがイスラームを実践していると信じている現代の自称ムスリムたちとも全く別の世界観を生きていることをいやというほど痛感してきました。しかしCOVOID-19に対するムスリム世界、日本の反応を見て、私自身の世界観と感性が、ここまで日本人とも現代のムスリムたちとも、勿論、それ以外の世界の人々とも、ここまでかけ離れていたのか、と我ながら驚かされました。今回はそれはなぜか、というお話をしていきましょう。<br />
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2.<span style="white-space: pre;"> </span>専門性とは何か<br />
世界を巻き込んだCOVOID-19ですが、最初に事実関係についてはっきりさせておきましょう。政府も新型コロナウイルス感染症対策専門家会議などというものを立ち上げて、様々な提言を行っており、SNSでは「専門家以外は黙っていろ」といった怒声、罵声が飛び交う一方で、自称、他称の専門家の言葉があふれています。しかしそもそも「専門家」とは誰のことなのでしょうか。どんな学問分野であれ知識というものは「有る」「無い」という二値論理で語れるものではありません。ですから本来は学問に専門家、非専門家などという線引きはできません。<br />
しかしそれでは西欧的近代社会の基盤となる研究、教育が組織できないために、できあがったのが博士という制度です。学問を「人文科学」、「社会科学」、「自然科学」に分け、それらの全てにおいて、特定の分野において世界中の先行研究を全て押さえたうえでそれまで誰一人考え付いたことがないことを確認されたその時点で反証不能とその分野の専門家によって認められた学説を立て人類に新しい知見をもたらした者にのみ博士の称号を与える、というルールを作りあげることでやっと、互いの研究内容を理解していない教員同士がすべての大学教員をひとしなみに科学の研究者として扱い学生に専門教育を提供する専門家という同業者集団としてまがりなりにも相互認知し自己組織化することが可能になり、「大学」という制度が成り立っているのです。<br />
博士論文の審査制度からも明らかなように「専門家」の「専門」を理解できる人間は、「専門家」しかいませんので、だいたい世界中で数人しかいないのが普通です。それ以外の人間は「専門家」の「専門」分野については「客観的」には判断できません。そして「客観的」に「専門家」以外が「専門家」について、何の「専門」かについて判断できるのは、「博士論文」のテーマだけです。勿論「博士論文」のテーマの内容を理解できる、というわけではありません。博士論文のテーマにまで専門性を狭く絞ると、その「分野」の「専門家」ですら査読者に選ばれた数人をのぞいて本当には理解できないのが実態です。素人が「客観的に専門性を判断できる」というのは、内容がわかなくても、そのテーマに関しては、それで博士の論文審査が通っている以上、その研究者がその論文のテーマに関してだけは全く目を通さなくてもそれがその者の専門であると、判断して良い。<br />
医学の専門家などというものはいないのは勿論、伝染病の専門家、インフルエンザの専門家などというものはいません。たとえば、私の場合、本当に専門と言えるのは、13‐14世紀にシリア、エジプトで活動し膨大な著作を残した大イスラーム学者イブン・タイミーヤ(1328年没)の政治哲学だけです。「イスラーム学の専門家」や「イスラーム法学の専門家」はもちろんな存在しませんし、「イブン・タイミーヤの専門家」でさえいません。医学を例にとるなら、私の持病の痛風のような古来からあり標準的な治療法が確立している病気でも、痛風の全てを知っている専門家などいません。例えばインターネットで検索してみると痛風に関する博士論文として獨協医科大学の染谷啓介「痛風の実験的研究 : 尿酸塩結晶食作用に及ぼすvinblastineの影響」、慶應大学の安田大輔「尿酸のラジカル消去機構を規範とした新規抗酸化活性医薬品リード化合物の創製研究」、近畿大学の中尾紀久世「漢方医学に学ぶ薬食同源素材からの尿酸生成阻害作用生薬、並びにその有効成分の探索に関する研究」などが見つかります。これが専門というものです。博士論文のテーマ以外については、専門である場合もあれば、違う場合もある、としか言いようがありません。医者の場合は、専門医という制度もあるので、たとえば痛風専門医はそれ以外に比べれば痛風に詳しいぐらいのことは言えますが、それは研究者のレベルでの専門性とは違う話です。たとえば日本救急学会、外傷医学会専門医の木下喬弘先生は「『専門家』って微妙な用語で、例えば峰先生はウイルス学者ですが感染症臨床の専門家ではないし、EARL先生は感染症臨床の専門家ですが基礎研究やってるわけではないです。私は救急医療が専門で公衆衛生もやってますが、同じく基礎研究はわかりません。そして3人とも感染症疫学が専門とは言い難い。」とツイートしています。<br />
博士論文以外にも学会誌に発表された学術論文によって専門性を判断することも理論的には可能ですが、実際には自分自身がその分野の博士クラスの研究者でなければ難しいでしょう。最近話題になったABC予想の証明が良い例です。最も厳密かつ客観的と思われている数学ですら、京大の望月教授の論文が国際学術誌『PRIMS』に受理されるのに査読が7年あまりに及び、しかも欧米で意義が相次いでいます。「学術論文」は玉石混交であり、箸にも棒にもかからないゴミのような「石」が大半な一方で、逆に研究者のレベルなら一定の手続きさえ踏めば誰でも同じような結論を導ける程度の博士論文と違い、「玉」の場合は同じ分野の同業者でも見解が分かれることもあり、「専門家」でない人間には判断のしようがありませんので、結局、誰が何の「専門家」なのか「素人」にも分かる基準としては博士論文のテーマを調べて、それと照らし合わせるしかない、ということになります。もちろん、博士論文で扱っていなくても、十分「専門家」並みに詳しい人というのは居るのですが、それは「検証」できないので、その言葉を信ずるかどうかは、占い師の占いを信ずるのと変わらない、「客観的」でない、というのはそういうことです。<br />
そして大学の博士の期間は特例はあっても5年が標準です。COVOID-19は2019年の冬ですからまだ発見から半年ほどしか経っていません。どんな分野であれ、半年かそこらの研究で「専門家」を名乗れるほど、「学問」とは安易なものではありません。特にCOVOID-19のように狭義の医学の研究だけとっても発生源とされる中国が政治的な理由から、調査、研究、その発表の自由を制限しており、基本的なデータさえ十分に得られないところでまともな専門的学術研究がなされようがありません。更に公衆衛生のような、医学だけでなく経済、政治、政治も世界各国のそれぞれの国内法の違いまで考慮しなければならないような分野に「専門家」などまだいるはずがありません。<br />
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3.科学と価値観<br />
と、関係のなさそうな話を延々と論じてきたのは、要は、この問題に関して、政府の専門家会議も含めて誰一人「専門家」などおらず、自称、他称の「専門家」たちの言うことも、現段階ではとても学術的に厳密な議論といえるものではないので鵜呑みにしてはならない、ということです。逆に言えば、「専門家」たちでさえいい加減なデータに基づいた大雑把な議論しかできないのですから、誰でも過去の伝染病の事例などに基づいて雑な議論をしてもよいということです。<br />
もう一点、重要なのは、科学が語るのは事実「Sein(ある)」だけであり、規範「Sollen(すべし)」ではない、ということです。ですから、医学の専門家の科学的根拠に基づいていると謳っていても「~すべき」という提言は、たとえ「専門家」たちの言葉であっても彼らの「専門知」に基づくものではなく、すべて個人的価値観による意見の押し付けでしかありません。<br />
医者の場合、たとえ明日処刑が決まっている死刑囚であっても健康な状態で処刑できるようにその健康維持に最善を尽くす、といった極端な人命尊重の職業倫理を有する人々です。そういう価値観を有する人の提言が目の前にいる病人の命の尊重に極端に偏ったものになるのは無理もないことです。数字に表れる富の増大を至上価値とする経済学者、万事を自己の権力の増大の手段として利用する政治家の提言が偏っているのはなおさらです。<br />
と、前置きはここまでにして、なぜ私がCOVOID-19に対する世界の対応が予想外だったのか、具体的にお話していきましょう。<br />
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4.<span style="white-space: pre;"> </span>歴史の中の伝染病<br />
生理学博士で進化生物学者でもあるダイヤモンド博士は『鉄・病原菌・銃』の中で、ヨーロッパの植民地主義者たちによる先住民の抹殺において、伝染病の方が武力よりも大きな役割を果たした、と述べています。<br />
「インフルエンザなどの伝染病は、人間だけが罹患する病原菌によって引き起こされるが、 これらの病原菌は動物に感染した病原菌の突然変異種である。家畜を持った人びとは、新しく生まれた病原菌の最初の犠牲者となったものの、時間の経過とともに、これらの病原菌に対する抵抗力をしだいに身につけていった。すでに免疫を有する人びとが、それらの病原菌にまったくさらされたことのなかった人びとと接触したとき、疫病が大流行し、ひどい ときには後者の九九パーセントが死亡している。このように、もともと家畜から人間にうつった病原菌は、ヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸、南アフリカ、そして太平洋諸島の先住民を征服するうえで、決定的な役割を果たしたのである。」<br />
これまで多くの伝染病の流行にもかかわらず、かつては今よりはるかに人口が少なく医学も未発達でそれらの伝染病に対する有効な治療法もなかったにもかかわらず人類が今日まで生き残ってきたという事実自体が、医学が発達し人口も急増し80億人に達しようとしている現在、人類というレベルで伝染病がその存続を脅かすリスクは限りなく小さいと言えるでしょう。14世紀のペストの世界的大流行では当時の人類の推定総人口4億5000万人が3億5000万人にまで減少したと言われていますが、それでも人類は生き残ったどころか、ヨーロッパでは労働人口の減少により労働条件の改善と農工業の効率化がはかられ、社会、経済が発展したとも言われています。最近の最大の伝染病の流行は1918-1920年のスペイン風邪(インフルエンザ)の流行で、当時の地球の総人口20億人弱のうち2千万人から4千万人が死んだと言われていますが、それによっても人類は滅びず、その後も人口は増え続け、今やむしろ多すぎる人口が問題となっています。<br />
スペイン風邪のグローバルな流行は人類の滅亡が懸念されるほどの危機にはいたらなかったばかりか、民族の消滅、国家崩壊はおろか、さしたる社会問題も引き起こしませんでした。『鉄・病原菌・鉄』は、伝染病は人類全体を滅ぼすほどではなくとも、民族、国家のレベルでは存亡の危機とも言える脅威となりうることを教えています。しかしCOVOID-19は対症療法しかなくまだ誰も免疫を持っていないとされる(私は本当かどうか疑っていますが)状態でも感染者の致死率はシンガポールなどでは1%を下回っており、医療崩壊が起きている場合でも10%ほどでしかありませんので、地域的な民族、国家レベルでさえもその存在を脅かすほどの危機ではないことは明らかです。<br />
私たちがよく知る世界史上の民族、国家レベルでの存亡の危機となった伝染病は、1346年から1352年にかけて流行し当時のヨーロッパの全人口の4分の1が失われイングランドやイタリアでは人口の8割が死亡し全滅した街や村もあった黒死病(腺ペスト)です。しかし既に述べたようにヨーロッパは医学的には有効な治療法を発見できないままにペスト禍を克服し、それどころか遡及的に分析するなら、後の産業革命、科学革命の準備をすることになりました。<br />
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5.イスラームと伝染病<br />
前回述べた通り、イスラームは預言者ムハンマドとその弟子たちの正統カリフの時代にペスト(ターウーン)の流行に遭遇しています。そしてターウーン(伝染病、腺ペスト)にに対しては、その地への人の出入りを禁ずる、とのロックダウンの法規定が定められています。実はこの規定は「天使たちは言う。『アッラーの大地は広大ではないか。その中で移住せよ』」(クルアーン4章97節)と、大地は全て神のものであると宣言し、「大地を旅し、(アッラーが)いかに創造を始めたかを考察せよ」(クルアーン29章20節)と、人間の移動の自由を認めるのみならず神の創造の御業を想うために世界を見て回ることを積極的に勧めるイスラームの教えの中で例外的に移動の自由を制限するものです。<br />
クルアーンに「我ら(アッラー)は使徒を遣わさない限り、罰することはない」(クルアーン17章15節)、「律法(トーラー)が降示される前には、イスラエル(ヤコブ)が自分自身に禁じたものを除き、すべての食べ物はイスラエルの民に許されていた」(4章93節)とある通り、スンナ派イスラームは人間の義務負荷は理性ではなく啓示により、預言者によって法が与えられない限り人間は「自由」であり、すべては許されている、と教えます。<br />
「自由」と「権利」について本格的に論じ始めると更に10回連載を続けても足りませんので、ザックリとした話をすると、イスラームは(近代ではなく)現代西欧的な人権は認めませんが、絶対的な自然権と啓示による義務の反射としての権利を認めます。<br />
啓示による義務の反射とは、神が殺人、窃盗を禁じているので、生命、財産の尊重の義務が生じ、その反射として生命、財産の権利が生れることを意味します。イスラーム法理学はイスラーム法の義務の反射として生ずる権利を、身命、財産、理性、血統/名誉、宗教の法益に整理します。<br />
絶対的自然権とは、人間が作ったのではない自然に対する処分の「自由」です。人は開いているところであれば陸であれ海であれどこでも好きなところに移動することも、留まることもでき、木の実であれ、魚であれ、動物であれ、石油であれ、好きに取って処分できることを意味します。私がこれを「絶対的自然権」と呼ぶのは、法を前提とする義務の反射ではないからです。ですからどこにでも行くことができる、と言っても、自分に移動手段があればの話で、体が不自由で動けなかったり、遠方で乗り物がなくてたどり着けなかったり、船がなくて海や川が渡れなかったからといって、誰かが連れていってくれるわけではありません。木の実にしろ、動物にしろ、魚にしろ、石油にしろ、自分で手に入れれば好きにして構いませんが、自分で取ってこなければ、誰も持って来てはくれません。<br />
この「絶対的自然権」とは、「権利」というよりむしろ「事実」そのものに近い、西欧的な「権利」が発生する起源にある最も根源的な「規範」である「自由」としての「事実」です。イスラーム法の義務の反射として生ずる権利は、啓示の神への信仰を前提としますが、この「絶対的自然権」は、神の顕現に先立って生成する権利です。つまり絶対的自然権はイスラームの第一信仰告白「ラー・イラーハ・イッラー・アッラー(no god but Allah)」の前段「ラー・イラーハ(no god)」に基づくもので、無神論者、世俗主義者、理神論者とも共有できる政治的議論のプラットフォームだと私は考えています。私が国境の廃絶、領域国民国家の牢獄からの人類の解放としてのカリフ制再興をムスリム諸国のムスリムたちだけでなく宗教にかかわらず日本人相手にもずっと説き続けているのはこのためです。残念ながら、「絶対的自然権」、つまり究極の「自由」を信じないリヴァイアサンの偶像崇拝者、多神教徒には話が通じませんが、それは自称ムスリムでも、それ以外でも同じことです。<br />
この連載でも、それ以外の場所でも、現在のムスリム世界がイスラームとは無縁、自称ムスリムたちが名ばかりで、実態はリヴァイアサンの偶像崇拝者でしかないことは繰り返し繰り返し述べています。ですから今更、COVOID-19に対する対応がイスラームの教えに反しているからといって、驚きはしません。しかし、今述べたように、ロックダウンは絶対的自然権、「自由」の制限ですので、特別な、意味を持ちます。カリフ制再興を自らの使命と心得る私にとっては特に、です。そこでこの問題を少し掘り下げましょう。<br />
前回詳しく述べたように、ハディースにある「ターウーン」の流行時のロックダウンが狭く「腺ペスト」を意味するのか、伝染病(ワバーゥ)一般の規定なのか、そしてまたロックダウンが厳密な移動禁止規定なのか、柔軟な行動指針としての推奨規定なのかは、イスラーム法学者の間でも見解が分かれています。私自身は、ハディースのターウーンは腺ペストを指しているが、他の伝染病にも状況に応じて類推して行動指針とすることができる、と考えています。<br />
というのは、預言者の時代のアラブの間では都市は伝染病が多いことが知られており、特に伝染病の多くでは幼児の死亡率が高いため、新生児は乳母をつけて砂漠に送って育てさせる習慣があったからです。預言者ムハンマド自身も乳母ハリーマによって砂漠で育てられました。また預言者が移住した農村であったマディーナは岩山の商都マッカと比べても、より湿気が高く更に伝染病が多い土地であり、預言者ムハンマドと共にマッカから移住した教友たち(ムハージル―ン)たちはその気候を嫌っていました。それにもかかわらず新生児を砂漠に送って乳母をつけて育てさせるアラブ人の慣習は、慣習としては残りますがイスラーム法には組み込まれませんでした。ですから、通常の伝染病には状況に応じて個々人が理性で判断すればよく、共同体の存続を脅かすターウーン(腺ペスト)にだけ、絶対的自然権を制限し人々の移動を禁ずるロックダウンを行動指針として定めた、と考えるのが妥当だと私は思います。<br />
スンナ派ムスリム世界はおおむね、ロックダウンを命ずるターウーンを典拠に国際線の乗り入れを全面的に停止したり、国内でもさまざまなレベルの移動制限を実施しています。私は個人的には、COVOID-19は現存する数々の伝染病と比べてもターウーンと類推するほどの脅威ではなく、むしろ風邪やインフルエンザと同じような個人的な注意喚起の対応で十分であり、絶対的自然権を制限するロックダウンを強制するのは間違いだと思っています。そもそもイスラーム法は神と個人の関係を律するものであり、法人の概念は存在せず、国家によって強制されるものではありません。勿論、イスラームを知らない人間には近代国家の刑法のように映るものがイスラーム法にあるのも事実です。例えば手首切断刑が定められている窃盗罪については、クルアーン5章38節に「男と女の窃盗犯にはその手を切断せよ…」と書かれています。つまりこれは近代国家の刑法のような、窃盗犯の手首を我々が切断する、という国家による声明ではありません。そうではなく、礼拝をせよ、喜捨をせよ、といったムスリムに対する命令と同じく、窃盗犯に対してその手を切断せよ、とのムスリムに対する神の命令なのです。<br />
この場合、命令形は複数形になっており、連帯義務を指します。連帯義務とは、誰かが行えば他の人々は免責されるが誰も行わなければ共同体の全員が罪に陥るような義務です。刑罰の執行はこの連帯義務であり、カリフとその代官が執行の義務を負い、彼らがそれを実行しなければ神に背いたことになります。ちなみに、窃盗犯は死後の最後の審判で裁かれ窃盗の罪で火獄で罰せられますが、悔い改めてこの世で手首の切断刑を受ければ、それが罪の償いとなり、来世での罰を免じられます。ただの窃盗の禁止なら、ムスリムに対する「盗むな」という命令になります。実際、普通のイスラームの規定に関しては、そのような形の命令だけで、違反者に対して刑罰を課す命令は定められていません。たとえば有名な豚肉食の禁止やラマダーン月の断食に関しては、現世でのカリフとその代理人による刑罰は特に定められておらず、禁止を守るかどうかは個人の良心に任されています。<br />
クルアーンやハディースの中で、カリフとその代理人に対して違反者への刑罰の執行が命じられている規定、いわゆる「イスラーム刑法」をアラビア語で「フドゥード」と言いますが、フドゥードの法益は「フクーク・アッラー(アッラーの権利)」、それ以外の規定の法益を「フクーク・アーダミーイーン(人間の権利)」と呼びます。フクーク・アッラー(神の権利)と言うと、狭義の宗教儀礼のように勘違いされるかもしれませんが、そうではなくムスリム共同体全体にかかわる公益と定義されています。フクーク・アーダミーイーン(人間の権利)は婚姻法や商法などで、個々人の事情によって判断が大きく変わるもので、当事者間で解決するのが原則で、どうしても解決できず、裁判になった場合にのみ裁判官、行政官が介入することになります。<br />
といっても、公然と禁を破った場合は、豚を食べたこと、断食を破ったことではなく、公然と神の命令を破ることで、神の法の権威の否定、ムスリム共同体全体の法秩序に対する挑戦とみなされるため、フクーク・アッラー、公益に反する罪を犯したされ、フドゥードの一つである背教罪で罰される可能性が生じますが、それはまた別の話であり、ここではこれ以上踏み込みません。<br />
ターウーンのハディースも原文は「もしターウーンのニュースを聞いたなら、そこには行ってはならない。もしあなたがいるところにそれが発生したらそこから逃れてはならない」とあり、個々人に対する命令であって、カリフとその代官への都市のロックダウンを命ずるものではありません。これまでムスリム諸国ではターウーンのハディースを指針に都市のロックダウンなどを行っている、と書いてきましたが、正確には、ターウーンのハディースは、カリフとその代理人にロックダウンを命ずるものではなく、個々のムスリムに都市間の移動を止めるように命ずるもので、公権力による強制が命じられていない、という点で、近代国家の感覚だと都市間移動自粛勧告、といったニュアンスです。<br />
近代国家にも国会の作る法律の他に、法律の下に行政府の発する行政命令があるように、イスラーム法にも、クルアーンとハディースに基づくシャリーア(天啓法)の規定の範囲内で、カリフには独自の状況判断に基づいて行政命令を下すことができます。しかし、預言者の後に無謬の宗教的権威の存在を認めないスンナ派イスラームでは(12代イマームが9世紀に神隠しにあってからは、シーア派も事実上同じです)、行政命令は必ずしも神の命令に沿っているとは限りませんので、ムスリムは最終的にはクルアーン、ハディースを参照しつつ、自分自身の判断で行政命令に従うか否かを決めなければなりません。同様にカリフとその代理たちも行政命令の発布の可否を最後の審判において神に糾問されることになります。<br />
伝染病の対策としては罹患した者を隔離するのが良い、というのは経験的にもハディースに照らしても間違ってはいませんので、ターウーンのハディースを典拠としたCOVOID-19対策としてのロックダウンの行政命令は神の命令に明白に反する、とまでは言えません。しかし前回も述べた通り、非ムスリム諸国の対応と比べると、ムスリムの対応は神の命令に従うことを求めた結果ではなく、単なる覇権国の後追いであり、現在のムスリムは、非ムスリムと同じく死の脅威を煽られ不安に駆られ領域国民国家というリヴァイアサンの偶像の命令に唯々諾々と従う偶像崇拝者にしかみえません。<br />
私はやはり絶対的自然権、移動の「自由」を制限するターウーンのハディースは、腺ペストレベルの人類レベルではなくとも地方の共同体の滅亡のレベルの脅威となる伝染病にしか類推(キヤース)しないのが正しく、ハディースの知恵は現在にも通じると思っています。<br />
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6.ウィルスの変化<br />
ウィルスは進化が早くどんどん変わっていくためにワクチンを作ってもいたちごっこにしかならず完全な防疫は不可能です。ダイヤモンド博士も「インフルエンザがしょっちゅうはやるのは、抗原の部分がちがう新種のインフルエンザ ウイルスが登場しつづけているせいである」と言っています。生まれたばかりのCOVOID-19にしても既に3つの型に分化しています。京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授らの研究グループによると新型コロナウイルスには最初に発生した無症候性も多い弱毒性のS型、それが変異したK型、武漢でさらに変異した感染力の強いG型の3種類があり、日本人には新型コロナウイルスの免疫があったので死者数を抑え込むことができたことになります。日本政府が武漢以外の国からの入国制限を始めるのが遅かったおかげで、K型への集団免疫ができ、感染力や毒性の強いG型の感染を大幅に抑えることができた、つまり他国に比べて入国制限のタイミングが遅かったために、逆に感染予防に功を奏した、ということです。米スタンフォード大学の生物物理学者マイケル・レヴィッド教授は、英紙テレグラフで「都市封鎖は、国民の生命を守るよりもむしろ多くの死亡者を出す結果を招いている」と英国での都市封鎖に異を唱え、「専門家が統計を誤って読み解き、新型コロナウイルス感染症の実際の疫学を誤ってモデル化している」と指摘しています。また20年1月に中国で新型コロナウイルスの感染が拡大した際、武漢市の感染者数と死亡者数のデータを独自に分析し、「新型コロナウイルス感染症による死亡者数は3250名程度にとどまる」との精緻な予測に成功したノーベル賞受賞者でもある生物物理学者マイケル・レヴィッド・スタンフォード大学教授は、COVOID-19感染症が発生すると、都市封鎖など、感染拡大防止のための措置が講じられるか否かにかかわらず、2週間にわたって指数関数的に感染者数と死亡者数が増加したのち、増加ペースが鈍化するという数理パターンが認められると分析し、「COVOID-19には感染拡大防止のための措置とは無関係の独自の動力学があるのかもしれない」と述べています。また前回紹介したトルコ東部の80万にが収容されているシリア人難民キャンプでもCOVOID-19対策をしないうちに集団免疫が成立し劣悪な医療環境にもかかわらず死者がゼロであった、という例も、騒ぎ立てずにいつの間にか集団免疫が成立している、というのがCOVOID-19対策として最善であることの例証となっています。また医療崩壊を起こし6月1日の時点で3万人以上と世界でも3番目の死者を出しているイタリアのサンラフェーレ病院の院長は臨床的観点からCOVOID-19が変化し弱毒化し致死力が大幅に低下していると述べています。<br />
勿論、最初に述べた通り、COVOID-19についてはまだ本当の意味での専門的な学術研究は蓄積されていませんので確かなことは言えません。また仮に上久保教授の研究が正しかったとしても、入国制限を遅らせたことで感染を抑えられたのは偶然的要素が強いので、対策をしないのが最善と言い切ることなどできないのは当然です。しかし5月27日時点での日本のCOVOID-19による死者は公式発表ではわずか882人です。ちなみに2018年の日本の年間死亡者数は約136万2482人で、死因の1位は腫瘍で37万3547人、2位は心疾患20万8210人、3位老衰10万9606 人、第4位は脳血管疾患で10万8165人、第5位が肺炎で9万4654人です。COVOID-19の場合、死亡率は低く症状が出た場合でも、実際に死ぬのはほとんどが肺炎を起こした場合です。肺炎は、誤嚥性肺炎3万8462人を合わせると13万3116人で日本人の死因の第3位になります。1年を通じて肺炎で約13万人がなくなっている事実を鑑みて、約半年で千人弱しか死亡していないCOVOID-19肺炎を特別視することにどれだけ意味があるのでしょうか。多くの批判を浴びている厚生省のクラスター対策班の西浦教授による全く対策を行わなかった場合の試算に基づく最大の見積もりでさえ推定死亡者数は42万人にでしかありません。これは共同体レベルの滅亡の脅威にはほぼ遠い数です。腫瘍による死者数に近い数ですが、腫瘍の予防と治療などの対応に比べてもCOVOID-19に対する反応はやはり常軌を逸しているとしか言えません。<br />
精神科医の和田秀樹国際医療福祉大学院教授も、アメリカでは2017~18年のシーズンには6万人以上の死者を出していたが、アメリカからのインフルエンザの感染を防ごうとの動きは一切なかったし、アルコール関連死も年間約5万人だがアルコール全面禁止化の動きもない事実をあげ、東京で推定感染経験者数約83.7万人、感染して入院した者の累計で4880人、死亡者数189人(5月11日現在)の病気をそこまで特別視する必要があるのか、と問いかけます。目前の『感染拡大』にばかりとらわれ他の重要なことを冷静に考えないこうした対応を、和田先生は「視野狭窄」と呼んで批判しています。<br />
日本の年間死亡者数を見たところで、人口動態による共同体の存続への脅威という観点からCOVOID-19の問題を考えてみましょう。COVOID-19は完全に放置しなんの対策も講じなかった場合でも最大42万人の死者しか出しません。ところが厚労省の2018年の人口動態統計によると2018年の出生数と死亡数を比べると 91万 8397人に対して136万2482人で44万4085人の減少です。これは2017年と比べるとそれぞれ94万6065人と134万397人で39万4332人よりも更に4万9753人減少していますが、この人口の自然増減は数・率ともに12 年連続で減少かつ低下しているのです。つまりCOVOID-1に全く対策を講じなかった場合最悪の死亡数の見積もり42万人よりも、人口の自然減44万4085人の方が多く、しかも今後ますます減少することが予想されているのです。日本という国、日本人の共同体の存続にとっては、COVOID-19よりも出生数の減少と高齢化社会の進展による死亡率の増加の方が遥かに重要で緊急性がある問題であると私は思います。<br />
またCOVOID-19の感染爆発を抑えるため、自粛要請と称して、多くの店が閉店を強いられ、統計の数字にはまだ表れていませんが、多くのバイトや契約社員が職を失い、既に倒産、廃業した会社も少なくありません。COVOID-19による自粛要請による経済的被害が1997年の消費税の3%から5%への引き上げに端を発しアジア金融危機のあおりで山一証券などの金融機関が倒産し1997年度、1998年と-0.7%、-1.9%と2年連続マイナス成長を記録した平成不況のものより大きくなるのは確実ですが、平成不況では自殺者の数が1998年に前年の2万3494人から8261人急増し3万1755人となって以降は10年余り3万人前後の状態が続きました。<br />
こういったことを考え合わせると効果が不確かであるにもかかわらず絶対的自然権である移動の自由を制限するロックダウンを強制するよりも、年間の事故死、病死、自殺などの数ある死亡の原因と数と現在まで明らかになっている範囲でのCOVOID-19の危険性と予防法と罹った場合の対策の「客観的」な情報を官民をあげて提供し、どうするかは個々人の判断に任せるのが、もっとも適切な対応だと私は思います。<br />
勿論、ウィルスが変化しやすいということは逆に強毒化する可能性もあり、より警戒を強めるべき、とも考えられるかもしれません。しかしそれを言うならそもそもまったく未知の致死率百パーセントで空気感染し潜伏期間が長い人類をあっという間に滅ぼす新型ウィルスが現れる可能性もあります。私はCOVOID-19が中国が開発した生物兵器だったとは思いませんが、将来中国、ロシア、アメリカなどが凶悪なウィルス兵器を開発するかもしれません。そうなると未知のウィルスに対応できるようにあらゆる場合を想定した医学の研究に、国家は安全保障の予算の最大限を割かなければならなくなります。いや、それなら伝染病より危険は大隕石の衝突への備えはどうするべきなのでしょう。こううい愚かな思考を「杞憂」と言います。<br />
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7.不安の伝染と自粛警察<br />
分子生物学者の福岡伸一もCOVOID-19について「エボラ出血熱やマールブルグ病のような致命的なウィルスが攻めてきたわけではない。むしろ致死率が高いウィルス病は、宿主を殺してしまうゆえに広がることが少ない」と述べ、「世界を混乱に陥れた」のは「急速に伝播されたのはウィルスそのものというよりも、人々の不安である。これほど大きな社会的・経済的インパクトが地球規模でもたらされるとは、誰も予想できなかった。」と述べています。私もこの福岡氏の「現実的な」意見に賛成です。危険度とは釣り合わない巨大な社会的・経済的インパクトを地球規模で及ぼし世界を混乱に陥れたのは、ウィルスではなくて人間の不安であり、不安を煽ったメディアです。<br />
「コロナ禍」が起こる前には、不安を煽るのが商売のメディアの格好の題材がイスラーム・テロでした。「コロナ禍」の後では、彼らが煽ったイスラーム・テロなどたとえ起こったとしても、通常の犯罪の誤差として無視できる些末事だったことが誰の目に明らかになったかと思いますが、そもそも起こる確率自体が殆ど存在しませんでした。実際に日本ではイスラーム・テロなど一件も起きていません。まぁ、イスラーム研究者としては、そういうデマでも、文科省や外務省がイスラーム・テロ対策のポストを設けて、イスラーム地域研究者の若手の就職先が広がりましたので歓迎ですし、この連載自体がそうした言説の産物とも言えるわけですが。「コロナ禍」はイスラーム・テロとは規模が3桁違いますが、それでも共同体にデモグラフィックな変動をもたらすようなリスクではそもそもありません。それを、世界を分断し、政治・経済・社会的混乱を引き起こす大問題にしてしまったのは、COVOID-19の危険を書きたて不安を煽ったマッチポンプのようなメディアの責任が大きいと私は思っています。<br />
前々回、パレスチナで日本人がコロナと呼ばれて嫌がらせを受けた問題を取り上げましたが、中国で発生したとされるCOVOID-19問題には最初から差別と他罰的行動がつきまとっています。自分は健康であり、COVOID-19をうつす他者を隔離させる自分の行動は正しく、それに従わない者は悪である、というのがその論理です。それが民族レベルで表れたのが、新しい「黄禍論」とも呼ぶべき東洋人差別でした。欧米での感染者数、死亡者数が東アジアをはるかに超えた今も、2020年5月12日付のドイツの地方紙が、デュッセルドルフにあるミシュランの星付きレストランの料理長がSNS上で「中国人はお断りだ」と書きこみ、それに対して中国系をはじめとする多くのネットユーザーから「人種差別」との批判が噴出したと報じています。<br />
14世紀のヨーロッパでのペストの大流行に際しては、当時のキリスト教会はペストをユダヤ人のせいにし、1391年には「ユダヤ人に対する聖戦」を煽動し暴徒がユダヤ人街を襲いおよそ4万1000人のユダヤ人を殺害したと言われる他、ヨーロッパ各地で多くのユダヤ人が殺されています。現在のヨーロッパではまだこのような事態は生じていませんが、中東、アフリカでCOVOID-19が蔓延し、COVOID-19の感染が疑われる難民が大挙してヨーロッパに押し寄せるようなことがあれば、ヨーロッパが「先祖返り」することは十分に考えられます。中世の宗教は現代では民族であり、民族浄化が「現在の魔女狩り」です。ユーゴスラビア内戦や、コソボ紛争などで起きた民族浄化を思い返せば、デモグラフィックな大変動を伴う民族問題が今日において大きな危険を秘めていることが分かります。<br />
この「魔女狩り」が、内側に向けられたのが、「自分は健康であり、COVOID-19をうつす他者を隔離させる自分の行動は正しく、それに従わない者は悪である」という「自粛警察」です。自分は陰性であると決めつけ、COVOID-19陽性であるかどうかも分からない他人を家に監禁し、外出する時は他人から離れること、マスクを着けることを強要し、あまつさえ飲食店などの営業妨害をしてまわるのが「自粛警察」で、大日本帝国の隣組を思い出させます。サウジアラビアで暮らしていた私は、「ムタウワー」と呼ばれる「宗教警察」が頭に浮かびます。<br />
そもそも病人は犯罪者ではないので犯罪者扱いすること自体が間違い、というより罪ですが、相手が罹患者であるかどうかも分からない、罹患者であっても接触したからといっても感染するかも分からない、また感染したからといって症状が出るかも分からない、しかも自分自身が罹患者かもしれない(陰性証明があっても、それが間違っているばあいもあれば、その後に罹患した可能性があるので同じことです)と、誤った前提にたって可能性の低い憶測の上に憶測を重ねた妄想から生まれたのが「自主警察」です。視野の狭さと独善を特徴とするこの「自主警察」現象は、残念ながら洋の東西を問わずどこにでも存在します。<br />
アメリカの実験心理学者アーヴィング・ジャニスは、集団がストレスにさらされ、全員の意見の一致を求められるような状況下で起こる思考パターンを「集団的浅慮」と呼び、その兆候として、以下のような特徴を挙げています。(1)代替案を充分に精査しない、(2)目標を充分に精査しない、(3)採用しようとしている選択肢の危険性を検討しない、(4)いったん否定された代替案は再検討しない、(5)情報をよく探さない、(6)手元にある情報の取捨選択に偏向がある、(7)非常事態に対応する計画を策定できない。和田秀樹先生は、この「集団浅慮」に陥った集団には、(1)自分たちは無敵だという幻想が生まれる、(2)集団は完全に正しいと信じるようになる、(3)集団の意見に反対する情報は無視する、(4)ほかの集団はすべて愚かであり、自分たちの敵だと思う、(5)集団内での異論は歓迎されない、(6)異論があっても主張しなくなる、といった行動パターンが見られる、と言います。魔女狩り、ヘイトスピーチ、宗教警察、自粛警察を統一的に見る視点です。<br />
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8.連帯義務と公益<br />
もちろん、何をしてもよい、ということではありません。イギリスではCOVOID-19の自称者に唾をかけられた駅員とタクシー運転手がCOVOID-19で死亡しています。殺意をもって故意に唾を吐きかける行為をとがめるのは構いません。COVOID-19とは関係なく、他人に唾を吐きかける行為は、洋の東西を問わず礼節に反する悪行だからです。そういう行為をしたわけではなく、ただこれまで通りの行動をとっていた人たちには何の咎もありません。そして重要なことは、自粛警察が犯罪者扱いしている市民にとっての自粛警察も罹患者であるかどうかも分からない、罹患者であっても接触したからといっても感染するかも分からず、また感染したからといって症状が出るかも分からないという点で全く同じだということです。つまり「自分は健康=正しい」と思い込んでいる「自粛警察」自身も、彼が罹患しているか疑わしいので罪深いととして攻撃する相手も疑わしいという点で全く同じということです。違いはただ自粛警察の被害者がその可能性は小さく日常生活を失うデメリットの方がより大きい、と判断して自ら感染して死亡するリスクを引き受けて外出して行動してるのに対して、「自粛警察は」、政府の「自粛要請」の「虎の威」を借りて、自分の判断を他人に強要しようとしていることです。リスクを避けたいなら外出しないデメリットを甘受してでも自分たちが外出しない、あるいは防護衣をつける、あるいは慰謝料を用意して止めてもらうように頼むのが筋です。(ご不便をおかけします、という丁寧なお願いの言葉も慰謝料の一種です)。自粛警察の論理は休業補償という自らの責任は果たさず、「自粛要請」という語義矛盾の理不尽な強要を行う政権と同じです。しかしおそらく日本人の大半にはこの論理の方が、私が「筋」と考えるものよりもすっきりと腑に落ちるのでしょうから、もはや大幅に字数をオーバーしていますが(いつものことですが)、少し丁寧に私が言うところの「筋」を説明しましょう。特に「自粛警察」に共感する人間は洋の東西を問わず、視野が狭く、独善的ですので。<br />
問題の根本は、自粛警察は、自分たちが公益に従っており、「自粛」しない者が、公益を無視し私益に則って行動している、と思っていることです。しかしそもそも「公益」とは何でしょう。先に述べたように、イスラームでは「公益」とはザクっと言うと、「アッラーの権利」であり、共同体全体の存続にかかわることであり、それゆえ公権力が介入すべきことです。それ以外は私益です。勿論、イスラームでは、公益であれ、私益であれ、アッラーの法に照らしてその可否が問われることは当然の前提です。公益とは私益の総和ではありません。これはルソーが特殊意志の総和としての「全体意思」と「一般意思」を区別したのに対応しています。個人の私益、欲望の総和である「全体意思」を、共同体全体の福利によって矯正したものが「一般意思」です。ルソーの「一般意思」の正確な理解は難しいので、これ以上を知りたい人は自分で調べて考えてください。「人間は個人としては有限で無力だが、類としては無限で万能である」と言ったのはマルクスですが、個人は遅かれ早かれ死ぬものであり、重要なのは個人の生死ではなく、共同体の存亡です。まぁ、人類もそのうち滅びますが、まだもうしばらく時間があると思いましょう。そう思わないと話が終ってしまいますので。<br />
既に少し述べましたが、COVOID-19はかつてのペストのような「恐ろしい」伝染病と違い、人類レベルでも国家や地方都市のレベルでも共同体の滅亡をもたらすようなリスクはありません。そもそも医学が未発達で治療法もなかった時代のペストの流行で人類の総人口が4億5千万人しかいなかった時代に1億人が死んで3億5千万人にまで減っても人類は生き延びたのです。医学が発達し人類全体で80億人、日本には1億2千万人も人間が存在する現在、極端な話、人口が10分の1に減っても生物学的レベルでは共同体は生き残れるかもしれません。しかし問題は単純に人口総数ではなく人口構成です。日本の人口が1年に44万人以上減っているのは出生数が死亡数を上回り、その差が増え続けている、つまり高齢化が進んでいるからです。ですから日本で人口の9割が死んで10分の1に減っても各世代が一律に死んだのなら、その後に若者が尊重され希望を持つ社会になり出生率が回復しさえすれば日本は蘇ります。しかし人口の3割が死ぬだけでも、それが30歳以下に集中すれば日本は百年絶たずに滅亡するでしょう。その意味でも幼児死亡率が高いインフルエンザと違い、死亡者が高齢者に偏っているCOVOID-19は大きな脅威ではありません。つまり、COVOID-19問題は共同体の存亡にかかわるような公益に関する問題ではなく、個人のライフスタイルの好悪、私益の問題でしかない、ということです。公益に関する議論とは人口減、高齢化対策のようなものを言うのです。<br />
私益が重要でない、と言っているわけではありません。逆です。私益は個々人にとってはかけがえなく大切なものです。中でも生命はそうです。しかし、それは自分にとってだけであり、他の人間にとっては大切でもなんでもなく、その尊重を求めることは倫理的に不可能だということです。ヴィトゲンシュタインなら「倫理の文法において」とでも言うところでしょう。他人に倫理的に求めることができるのはせいぜい人類全体、あるいは民族や国家の存続を脅かす行為を避けることだけです。もちろん、人類、国家、民族、共同体などどうでも良い、取りあえず周囲のものに迷惑をかけなければそれでよい、という価値観も存在します。ただそういう人たちとはそもそも倫理の議論が成立しない、のでここでは無視します。倫理学の議論に慣れていない読者のために、蛇足ながら補足を加えると、どんな共同体もどうでも良い、という人間とは倫理の議論が成立しない、ということはそういう人間を殺してしまえ、ということでもなければ、一緒に仲良く暮らしていくことができない、ということでもありません。飼い犬と倫理的な議論が成立しなくても仲良く一緒にくらしていけるのと同じ、というシンプルな話です。<br />
客観的、理性的に公益を論ずることと主観的、感情的に私益を主張することは厳密に区別しなければなりません。人類の視点に立って倫理的に論ずる場合には、自分にとって得か日本人の利益になるか、などといった私益を顧みず、シリア軍の連日の空爆で樽爆弾で殺されているイドリブの市民、イエメンでサウジアラビアとその同盟国によって包囲され飢餓と伝染病で命を失っているサナアの子供たちも自分と同じ一人の地球人として平等に扱われるために何をすべきか、を考えなければなりません。日本人として倫理的に論ずるなら縁もゆかりもなくとも、原発事故の被害によって未だに自宅に戻れない福島の人々、米軍基地の存在に苦しめられている沖縄の人々がどうすれば日本人として自分たちと同じ生活ができるかと心を配らなくてはなりません。<br />
しかし私的領域では私たちは法が許す範囲で自分たちのことだけを考えればよく、遠く離れた見も知らぬ人のことなど考えなくても構いません。そもそも70億人を超える人類全体のことを考えることなど不可能ですから、知りもしない人間に同情するふりなどする必要はどこにもありません。イスラームは、公共の安全と秩序の維持に責任を持つカリフとその代理人には、「フドゥード(イスラーム刑法)」の執行と、私人間の「人間の権利(フクーク・アッラー)」を巡る訴訟の裁定においては、私益を離れてあらゆる人間をイスラーム法が定めるカテゴリーに則り平等に扱うことを命じていますが、私人にはすべての人間を平等に扱えなどとは決して求めません。むしろ預言者ムハンマドは「アッラーの道に費やした1ディーナールと、奴隷解放に費やした1ディーナールと、貧者に施した1ディーナールと、あなたの家族のために費やした1ディーナールの中で最も(来世での)報酬が多いのはあなたの家族のために費やしたものである」(ムスリムの伝えるハディース)と述べて、貧者への施しよりも家族の扶養を優先するように教えています。<br />
COVOID-19の話に戻ると、COVOID-19は共同体の存亡のかかった公益の問題ではないので、公権力は医学、公衆衛生、経済などを総合的に考慮して他の伝染病とバランスのとれた扱いをすることが求められます。公益と私益を区別すれば、医療崩壊への懸念にも別の見方をすることが出来ます。COVOID-19問題は、はからずも日本の人工呼吸器不足の実態を露呈させました。医療機関に人工呼吸器を充実させるべきだ、という議論は一般論としては異議はありませんが、COVOID-19への対応としての妥当性には疑問があります。<br />
たとえば、『ビジネスインサイダージャパン』は、「48時間治療をしても回復しなければ場合によって人工呼吸器を外す」といったニューヨーク州の人工呼吸器の使用方法に関するガイドラインの一部と「人工呼吸器があれば助けられるのに、人工呼吸器が無い……。一方で、あと数日で亡くなってしまう可能性が高い患者に人工呼吸器を使い続けている……」との新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の会見での武藤香織教授の発言を引用し、自分たち自身が「あと数日で亡くなってしまう可能性が高い患者から人工呼吸を取り外しその分を助けられる患者の治療にあてる」との「この究極の選択を問われる当事者であることを強く意識させる」と書いています。<br />
こうした当事者面をしたお為ごかしの感情論の綺麗ごとがはびこるのも、視野狭窄の私益と公益の混同のせいです。患者の家族であれば家族のためにできるだけのことをしたいと思うのは当然です。また医者とは目の前にいる患者であれば1秒でも長く生かそうと務めるのが職業倫理です。しかしそれは私益であり、他の人間には関係のないことです。実はニューヨーク市周辺でCOVOID-19患者2600人余りを対象とした大規模研究で対象となった患者の死亡率は21%でしたが、人工呼吸器が必要になった重症者の死亡率は88%、65歳以上の人工呼吸器使用者の生存率はわずか3%だったことが明らかになっています。要するにCOVOID-19患者に限れば人工呼吸器の効果は極めて低いのです。<br />
世界中のすべての病人の手に全ての必要な医療器具を届けることができる状況にあるなら、全てのCOVOID-19患者に人工呼吸器を用意するのも良いでしょう。しかしユニセフ協会によると、2017年において8億4,400万人が清潔な飲料水にさえ事欠き、不潔な水を飲むことで命を落とす乳幼児は年間30万人、毎日900人以上にのぼっています。清潔な飲料水さえあれば死ななくて済む乳幼児を毎日900人も平気で見殺しにしておきながら、殆ど救命の役に立たたないCOVOID-19患者につける人工呼吸器が不足していて誰に回すかを医者が選ぶことを「究極の選択」と深刻がってみせ、人工呼吸器を買い揃える権限と責任、それを患者に使う権限も責任もないただの部外者に当事者だと錯覚させるような詐術も公益と私益の混同から生じます。<br />
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9.ブラック労働への呪縛からの解放から公正な社会へ<br />
権限も責任もない人間が、自分の私益にすぎないものを公益のごとくに見せ掛けて他人を支配する詐術の一つが、医療関係者や運送業者などを「なくてはならない」と持て囃しブラック労働に呪縛するお為ごかしの呪いの言葉です。こうした呪いの言葉は世界中で普遍的に見られますが、中でも特に主語が曖昧な日本でよくみられるように感じます。医療関係者にしろ、運送業者にしろ、高級を取っている役人や大企業の役員たちが快適で安全な暮らしを送るために、その人が「働かなければならない」理由は一つもありません。嫌なら辞めればよいのです。少なくとも、こういう呪いの言葉が口にされる「先進国」では辞めても生活保護が受けられ、死ぬことはありません。そうすることによってはじめてそれら人々が、ブラック労働から解放され、その社会的有用性に相応しい給与と待遇を受けることになります。<br />
COVOID-19に対する自粛要請の唯一の良かった点は、今までいかにも「しなくてはならない」と言われてきた仕事のほとんどが不要不急であったこと、そして多くの民間企業が大打撃を受ける一方で、COVOID-19対策に国家が介入すべきとの声を利用し、「アベノマスク」のような無用の長物に不透明な巨額の資金が投入されたことが明らかになったことです。ですから、本当になすべきことは、現在の不正な搾取のシステムを支えている医療関係者や運送業者などに、「『外で働かなければならない』人たちのことを考えろ」などと猫なで声でブラックな環境に労働者を「呪縛する」呪いの言葉をかけることではなくて、「あなた方は不当な条件でブラックな職場で働き続ける必要などない、辞めて良いのだ」と解放の言葉を贈ることです。<br />
ここでもイスラームの考え方を紹介しておきましょう。既述のようにイスラームでは、義務を全ての責任能力者が行うべき個人義務と、誰かが行えば他の人々は免責されるが誰も行わなければ共同体の全員が罪に陥る連帯義務に分けます。イスラーム教育やジハード(聖戦)、イスラーム刑法の執行のような宗教行為だけでなく、農業、製造業、医学など共同体に必要な仕事も連帯義務になります。自分が何の責任も負わず相手の立場に立ったふりをして呪いの言葉を述べるのではありません。連帯義務とは、他の誰もが行わなければ、自分も神の前で罪を犯したことになる、義務です。医療関係であれ、運送業であれ、「外に出て行わなければならない」のは今そこで働かされている人間ではなく、それを必要とする社会の全ての人間であり、その人間がブラックな環境に耐えかねて「職場放棄」をしたとしても、罪に陥るのは、その者だけではなく、全ての人間が連帯責任でその罪を負うのであり、全ての人間が実際に最後の審判で裁かれる当事者になるのです。イスラームの国法学者イブン・タイミーヤ(1328年没)は、ムスリムが連帯義務を負う社会が必要とする仕事で労働者が正当な権利を奪われ不当に働かせることがないようにすることが為政者の義務であると述べています。<br />
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10.終りに<br />
連載も最後なのでまだまだぜんぜん言い足りないのですが、大幅にまた字数をオーバーしてしまったのでそろそろお別れです。最後に思いっきり大雑把な話をして締めくくりとしましょう。<br />
COVOID-19の感染には、韓国のキリスト教カルト「新天地イエス教証しの幕屋聖殿」や、イタリアのカトリック教会、イランのシーア派聖廟などがクラスターになって感染が広がったことが大きく報じられたこともあり、「宗教と科学の対立」というヨーロッパの啓蒙主義以来の議論が蒸し返されることになりました。日本の優れた宗教学者の中村圭志先生は、コロナ禍は相当な長期にわたって「端的に合理的に振る舞う」ことへの圧力が持続するため、宗教にとって大きな打撃となり、神学者・教学者はコロナ禍を切り抜けても、一般信徒は宗教に飽き、宗教の空洞化が進む公算が高い、と予想しています。<br />
この連載でたびたび繰り返している通り、私は現在の世界には、自称他称のムスリムの実践を含めて実際に存在する宗教はほとんどリヴァイアサンとマモンの偶像崇拝でしかなく、そんな宗教の延命にはなんの興味もありません。しかし、コロナ禍によって科学が進歩し人類の行動が合理化する、という中村先生の楽観には与しません。というのは、最初に述べた通り、科学には事実しか語らずいかなる規範も存在しないからです。「存在するものは合理的である」とは哲学者ヘーゲル(1831年没)の言葉ですが、科学の世界には善も悪もありません。存在するものはただあるがままにあり、次の瞬間にはただ消えさるのみです。<br />
「知者の目は、その頭にある。しかし愚者は暗やみを歩む。けれども私はなお同一の運命が彼らのすべてに臨むことを知っている。私は心に言った、『愚者に臨むことは私にも臨むのだ。それでどうして私は賢いことがあろう』。私はまた心に言った、『これもまた空である』と。そもそも、知者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう。」(『旧約聖書』「コヘレートの書」2章14-16節)」<br />
人間が科学的真理に則って暮らそうと、迷信と狂信に生きようと、清廉潔白を貫こうと悪逆非道を尽くそうと、愛する家族に囲まれて希望に満ちて幸せに生きようと、病苦と絶望のうちに孤独死しようと、科学的にはすべてただの粒子の離合集散でしかなく、その間にいかなる違いもありません。ただ無意味に行きて無意味に死んでいくだけです。そもそも科学的に生きることが、「現世的」に「有益」かどうかさえ疑わしいものです。世界の長寿者のリストを眺めても著名な科学者の名前はみつからず、ギネスの日本の最高齢の田中カ子さんは1903年、農家の9人兄弟の三女第7子として生まれ1915年に小学校を卒業後12歳から子守奉公をし1952年にキリスト教に入信し現在に至っており、第二位のシスター・アンドレさんは1904年生まれのカトリックの修道女です。幸せに長生きするのに科学的思考が必要と言うわけでもなさそうです。日本の宗教学者島田裕巳先生によると、職業別平均寿命は宗教家がダントツで第一だそうです。<br />
それはともかく、「科学的であれ」という科学主義の主張は科学の命題ではありません。科学主義者にとって重要なのは科学の教える事実そのものではありません。科学主義者にとっての科学は依存症患者の酒、賭博、麻薬、SNSのようなものです。「科学依存」もまた、生きることには価値はなく、誰もが遠からず無意味に死ぬ、という事実から目を逸らす暇つぶしになる、ということです。科学もまたリヴァイアサンやマモンと同じく人間の欲望が虚空に映し出す幻影であり、人を奴隷にする偶像にすぎません。<br />
中世ヨーロッパではペストの流行は、絵画の「死の舞踏」のモチーフを生み、古代ローマでは快楽主義的標語であった「メメント・モリ(死を想え)」を、死を日常的に意識する内省的なキリスト教倫理の格言に変えました。<br />
人口が半減したような凄惨なペストとちがい、COVOID-19はメディアのヒステリックな過剰反応とは裏腹に身の回りでほとんど死者を目にすることはありません。私自身、会う人毎に聞いていますが、直接の知り合いで陽性反応が出た者は一人もいません。知り合いの知り合いでのレベルで、入院して回復したタクシー運転手の知り合いがいる知人が一人いるだけです。これではペストの流行のように万人が死と向き合う、といった実存的経験を日本社会全体に求めることは期待できません。しかし、自粛要請で、強制的に職場を離れさせられたことで、今まで「自分がいなければこの職場は立ち行かない」、「自分が働かねばならない」、「自分の会社が国を、社会を支えている」と洗脳されていた人たちの一部は、「不要不急」の烙印を押されたことで、無意味な虚業と無駄な消費忙殺させることで現世のあらゆる欲望を無価値化する死を忘れさせる物質主義と資本主義の呪縛による微睡から一瞬であれ覚醒しました。<br />
預言者ムハンマドは「人々は眠っている。死んではじめて気づく」との言葉を残しています。コロナ禍は、世界中に600万人を超える感染者、40万人にせまる死者を出し、航空会社の国際線の運航停止、外出自粛、ロックダウンなどのせいで1930年代の世界大恐慌以来の経済危機をもたらしたのみならず、失業、貧富の格差の拡大、人種・民族差別、排外主義の高揚、非常事態を口実とした国家権力の強化などの様々な社会問題を生み出しています。コロナ禍を奇貨として、自分がいつ死ぬかわからない儚い存在であることに気づいた読者諸賢が再び微睡に戻ることなく、いずれ死に逝く人間にとって本当に必要なものが何かを見出されることを望んでやみません。長い間、連載にお付き合いいただきありがとうございました。ではまたお会いする日まで。<br />
「不幸に見舞われた時に『我らはアッラーのもの。彼の許へと帰り逝く』と言って耐え忍ぶ者たちに吉報を告げよ。」(クルアーン2章155‐156節)<br />
ワッサラーム<br />
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hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-66394305238913118772020-04-03T22:02:00.003+09:002020-04-08T04:14:19.562+09:00ガザ―リー著『宗教諸学の再生要約』邦訳(知識の書・知の徳)<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
本書ガザ―リー著『宗教諸学の再生要約』はオスマン帝国最大の文人キャーティブ・チェレビー(Khājī Khalīfah、1657年没)の書誌学の主著『疑念の払拭(<i>Kashf Ẓunūn</i>)』にも「イスラームの書籍が全て消えて『宗教諸学の再生』が残れば、同書だけで失われたものを補って十分である。」 とまで言われたスンナ派イスラーム学の最も標準的な古典「神学大全」アブー・ハーミド・ムハンマド・ガザ―リー(1111年)の主著『宗教諸学の再生』の要約である。<br />
本訳で底本としたMu’assasah al-Kutub al-Thaqāfīyah(1990年初版)はこの要約をアブー・ハーミド・ガザ―リー自身の作としているが、al-Hay’ah al-Miṣrīyah al-‘Āmmah li-al-Kitāb(2008年版, ‘Āmir al-Najjār, ed.)では、同書を『疑念の払拭(<i>Kashf Ẓunūn</i>)』(24頁)がアブー・ハーミド・ガザ―リーの実弟でニザーミーヤ学院で彼の教授職の後任でもありスーフィーとしても高名であったアフマド・ガザ―リー(1126年没)が『再生の神髄(<i>Lubāb al-Ihyā’</i>)』と命名した要約と同定している。<br />
ちなみに、『宗教諸学の再生』自体の第1章第1節「知の徳」節を全訳すると以下の通りである。<br />
<br />
「知の徳」<br />
そのクルアーンの典拠は以下のアッラーの御言葉である。「アッラーは彼の他に神はないと証言され天使たちと正義を行う知の持ち主も・・・」アッラーがいかに御自身から始め、天使を次に、知識の持ち主を第三位に置いたことを見よ。それが光栄、優越、名誉であることは言うまでもない。アッラーは仰せである。「アッラーはお前たちの中で信仰する者たち、知を授かった者たちの位階を高め給う。」イブン・アッバースは言った。「学者は信仰者より700階梯上にいる。それぞれ階梯は500年の工程がある。アッラーは仰せになる。「・・・知ってる者たちと知らない者たちが同じであろうか・・・」(39章9節)「彼のしもべたちの中の学者だけがアッラーを恐れる」(35章28節)「言え。私とあなた方の間には、アッラーだけで証人として十分。彼の御許から啓典の知。」(13章43節)「・・・私がそれをあなたに持ってきます。・・・」(27章39節)知の力によって(イフリートにはそれが)できることを示して。「知識を与えられた者たちは言った。「お前たちに災い有れ。信仰し善を行った者へのアッラーの報奨はより良い。・・・」(28章80節)来世の偉大さは知によって理解されることを明らかにされている。「これらのたとえはアッラーが人々に示したが、学者しかそれを理解しない。」(29章43節)それを使徒、または彼らのうち権威を持った者に戻せば、それを捜し当てる者たちはそれを彼らから知ったであろう。」(4章83節)<br />
もろもろの事件におけるその判断を彼らの推論に帰し、アッラーの裁定の発見において彼らの位階を預言者の位階に付随させられた。<br />
そして「あーダムの子孫よ、われらはおまえたちに陰部を覆う衣服と装束を確かに下した。そしてタクワーの衣服・・・」とのアッラーの御言葉について、「衣服」とは「知識」、「装束」とは「確信」、「タクワーの衣服」とは「廉恥」を意味するとも言われている。「そしてわれらは知識に基づいて解明した啓典を、・・・彼らにもたらした。」(7章52節)<br />
そしてアッラーは仰せである。「われらは彼らに啓典をもたらし、それを知識に基づいて説明した。またアッラーは仰せである。「人間を創造し明証を教えられた。」「それからわれらは必ずや知識をもって彼らについて語る。・・・」(7章7節)「いや、それは知識を授けられた者たちの胸の中にある明白なもろもろの徴である。」(29章49節)「人間を創り給うた。表現を教え給うた。」(55章3-4節)これらはただその恩寵を示すために述べられているのである。<br />
伝承については、アッラーの使徒は言われた。<br />
「アッラーは良かれと望まれる者には宗教の知解を授け(yufaqqihu)、その導きを示される。」<br />
「知者たちは預言者たちの相続人である。」 周知の通り、預言者であることを超える位階はなく、その位階の相続以上の栄誉はない。<br />
また使徒は言われた。「諸天と地にあるものは知者のために赦しを請う。」 諸天と地の天使たちがそのために赦し請いに務める者の地位に優る地位があろうか。知者は自分自身に専念し、天使たちは彼の赦し請いに専念する。<br />
使徒は言われた。「叡智は貴人の栄誉を増し、奴隷さえ王侯の地位に届かせる。」<br />
使徒はこのハディースで知識の現世における効果を述べているのであるが、周知の通り、来世の方がより良く、より長続きするのである。使徒は言われた。「偽信者(munāfiq)にはない二つの性質は寡黙と宗教の知解(fiqh)である。」<br />
我々の時代の法学者たち(fuqahā':fiqhの持ち主)の一部の偽善のためにこのハディースを疑ってはならない。それはあなたが「理解(fiqh)」の意味を誤解しているからである。「知解(fiqh)」の意味は後述するが、法学者(faqīh:fiqhの持ち主)の最低条件は、来世が現世に優ることを知っていることであり、その知識が本物で持ち主を支配しているなら、偽善(nifāq)と見栄を免れる。<br />
使徒は言われた。「最善の人間とは、求められる時は他人の役に立ち、求められない時は自足している学のある信仰者である、」<br />
「信仰は裸形であり、その衣服は敬虔さ、装飾は廉恥、果実は知識である。」<br />
「預言者職に最も近い者は学者と戦士(ジハードの人)である。学者は使徒たちがもたらしたもの(聖法)を人に示し、戦士は使徒たちがもたらしたものに則って剣でジハードを行うのである。」<br />
「一人の知者が亡くなるよりも、一部族が死に絶えることの方がましである。」<br />
「人間は金鉱や銀鉱のような鉱脈のようなものである。ジャーヒリーヤ(イスラーム以前の無明時代)の選良は、理解した後のイスラームの選良になった。」<br />
「最後の審判の日に学者のインクは殉教者の知と等価に計られる。」<br />
「私のウンマ(ムスリム共同体)のためにスンナの40のハディースを覚え、それらを人々に伝えたなら、最期の審判の日に私がその者の仲保者、証人となる。」<br />
「私のウンマ(ムスリム共同体)で40のハディースを伝えた者は、最期の審判の日に知解者、知者としてアッラーにまみえる。」<br />
「アッラーの宗教を知解する者は、アッラーがその者の問題を引き受け、思いがけないところから糧を恵み給う。」<br />
「アッラーはイブラーヒームに、『イブラーヒームよ、我は智者であり、あらゆる智者を愛する』と啓示された。」<br />
「学者は地上におけるアッラーの受託者である。」<br />
「私のウンマの二種の者が清廉であれば人々も良くなり、堕落すれば人々も堕落する。王侯と知解者(フカハー)である。」<br />
「私がアッラーに自分を近づけてくれる知識を増やさない日があれば、私はその日の日の出に祝福されることはない。」<br />
知が崇拝と殉教に優っていることについて使徒は言われた。「知者の崇拝者より優れているのは、教友たちの最低の者より私が優れているのに等しい。」 使徒がいかに知識を預言者の地位と等置し知識を欠く行為の地位を貶められたかを見よ。というのは崇拝者は励むべき勤行の対象を知っていなければならないので、その知なしにはそもそも崇拝などないのである。<br />
それゆえ使徒は言われた。「知者が崇拝者に対する優るのは満月の夜の月が他の星に優るかのようである。」<br />
「最後の審判の日に三種の者が執り成しをする。預言者、知者、殉教者である。」 それゆえ知は、殉教が徳が(数多く)伝えられているにもかかわらず、位階において殉教に優り、預言の次に優れているのである。<br />
使徒は言われた。「アッラーを崇める手段として、宗教における理解以上の物は何もない。悪魔にとっては一人の知解者(ファキーフ)の方が千人の崇拝者よりも手強い。全ての物に支柱があり、この宗教の支柱は知解である。」<br />
「あなたがたの宗教の最善のものはその最も容易なものであり、最善の崇拝は知解である。」<br />
「知ある信者は崇拝者である信者に70段階優る。」<br />
「あなたがたは知解者が多く、読誦者、説教者が少なく、物乞いが少なく贈与者が多く、知識が実践より価値がある時代に生きている。しかしやがて知解者が少なく、説教者が多く、贈与者が少なく物乞いが多く知識が実践より価値がある時代が人々にやってくる。」<br />
「知者と崇拝者の間には100の階段があり、各段の間は駿馬の早駆けで70年の行程である。」<br />
「アッラーの使徒よ、最善の行為は何ですか。」と尋ねられると、使徒は「アッラーについての知識である。」と答えられた。「私たちは行為について聞きたいのです。」と言われたが、また「アッラーについての知識である。」と言われた。そこでまた「私たちは行為について尋ねているのに、あなたは知識について答えられました。」と言われると、使徒は言われた。「アッラーについての知識があれば僅かな行為でも役立に立つが、無知であれば多くの行為も役に立たない。」<br />
使徒は言われた。「アッラーは最後の審判の日に人々を復活させ、それから知者たちを復活させ、仰せになる。『知者たちよ、我は我が知を汝らに託したのは、汝らについての我が知識によってでしかない。我は汝らを罰するために我が知識を汝らに託したのではない。我は既に汝らを赦した。行くがよい。』」<br />
私たちはアッラーに良い末期を冀います。<br />
また伝聞には以下のようにある。<br />
アリー・ブン・アビー・ターリブはクマイルに言った。「知識は財産に優る。知識はあなたを守るが、あなたが財産を守る。知識が支配し、財産は支配されるのである。財産は費やせば減るが、知識は費やすほど増す。」 またアリーは言った。「知者は昼は斎戒し夜は礼拝に立つジハード戦士に優る。知者が亡くなると、その後継者(の知者)によってしか埋まらない隙間がイスラームに開く。」 また以下の詩を詠んだ。<br />
知者以外に栄光はない<br />
彼らは正道にあり、導きを求める者の案内人<br />
全ての人間の価値は学んだものによる<br />
無知な輩は知者の敵<br />
それゆえ知識を得てずっとそれで生きろ<br />
人々は死者であり、知者こそ生者<br />
アブー・アスワドは言った。「知識よりも偉大なものは何もない、王侯は支配者であるが、知者は王侯の支配者である。」<br />
イブン・アッバースは言った。「スライマーン・ブン・ダーウード(ソロモンの子ダビデ)は知識、財産、王権の選択肢を与えられ、知識を選ばれたが、それと共に財産と王権も授けられた。」<br />
イブン・ムバーラクは「人間とは誰ですか。」と尋ねられ、「学者である。」と答え、「王侯とは誰ですか。」と尋ねられ、「禁欲者である。」と答え、「下衆とは誰ですか。」と尋ねられ、「宗教を食い物にする者である。」と答えた。<br />
イブン・ムバーラクが知者以外を人間とみなさなかったのは、人間が他の動物から区別される特徴は知識だからである。人間は人間がそれによって高貴であるものによって人間なのであるが、それはその身体の力ではない。それならラクダの方が人間より強いからである。またその大きさによるのではない。それなら象の方が大きいからである。また勇猛さによるのでもない。それなら猛獣の方が獰猛である。また食べるためでもない。それなら雄牛の方が大食である。また交尾のためではない。それなら小さな雀でさえ人間より生殖能力がある。そうではなく人間は知のために創造されたのである。<br />
ある賢者は言った。「知を失った者が何で埋め合わせられようか、知を得た者に何か失う者があろうか。」<br />
預言者は言われた。「クルアーンを授けられた者が誰かがそれ以上のものを与えられた者がいると考えたなら、アッラーが重んじられたものを侮ったことになる。」<br />
またフォトゥフ・マウスィリーが「病人が食べ物、飲み物、薬を禁じられて与えられなければ死ぬのではないか。」と言うと、人々は「はい」と言った。そこで(ファトフは)「心も同じで叡智と知識を3日禁じられて与えられなければ死ぬ。」と言った。彼は真実を述べた、身体にとっての食糧が食べ物と飲み物なように、心の食糧は知識と叡智あり、その二つによって生きるのである。知識を失った者の心は病み、気づかないままに死ぬことは必定である。なぜなら現世の欲と雑念に紛れて(自分が病気であることを)感じないからである。それは傷を負っても死の恐怖がその場の傷の痛みを気づかなくさせるのと同じである、しかし死によってそうした雑念が払われると、死んだことに気づき、終わりのない激しい苦痛に苛まれることになるが、その時はもう遅いのである。それは安堵した者、酔いが醒めた者が、恐怖、酩酊中に負った傷の痛みに気づくのと同じである。私たちはアッラーに覆いが取り上げられる日の庇護を冀います。「人々は眠っており死んだ時に・・・」(ハディース)。気をつけなさい。<br />
ハサンは言った。「学者の墨と殉教者の血を測れば学者の墨が殉教者の血にまさる。」<br />
イブン・マスウードは言った。「知識が取り上げられてしまう前にあなたがたは知識を学ばねばならない。知識はその伝承者たちが死に絶えることで取り上げられる。我が魂がその御手にある御方(アッラー)にかけて、アッラーの道に殉教者として死んだ者は、アッラーによる学者たちの厚遇を見て、アッラーが自分たちを学者として蘇らせてくれればと願う。学者として生まれる者は一人もいない。知識は学問による。」<br />
イブン・アッバースは言った。「私は、(礼拝や勤行で)徹夜をするより、夜の一時に知識を学ぶことをより好む。」 同様な言葉がアブー・フライラやアフマド・ブン・ハンバルからも伝えられている。ハサンは「我らが主よ、我らに現世で善福を来世でも善福を与え、獄火の懲罰から我らを護り給え。」との御言葉について「『善福』とは現世において知識と崇拝、来世では楽園のことである。」と言った。<br />
ある賢者は「何を手にすべきか。」と問われ、「あなたの船が沈んだ時にあなたと共に泳ぐもの -つまり「知識」- である。」と言った。また「船の沈没は死による肉体の滅亡を意味する。」と言われた。<br />
またある者は言った。「叡智を手綱とする者を、人々は導師とする。そして叡智をもって知られた者を、衆目は敬意をもって眺める。」<br />
シャーフィイーは言われた。「知の誉とは、それに関わる者は皆、たとえ些細なものであれ、喜び、それを取り上げられた者が悲しむことである。」<br />
ウマルは言った。「あなたがたには知が課される。アッラーには愛の外套がある。知識の一部門でも求める者にアッラーはその外套を着せ給う。その者が罪を犯しても悔い改め、また罪を犯しても悔い改め、また罪を犯しても悔い改め、たとえ死ぬまでその罪を重ねようとも、その(愛の)外套を脱がさないようにと。」<br />
アフナフは言った。「学者はまるで主人であるかのようになり、風格はすべて崩れ、卑小さがその行き先となる。」<br />
サーリム・ブン・アビー・ジャァドは言った。「私のご主人は私を300ディルハムで買って私を解放した。私は『どんな仕事をしましょうか。』と言い、学問を仕事にしました。そして1年が経つとマディーナの総督が私に会いにやってきたが、私は彼に許しを与えなかった。」<br />
ズバイル・ブン・アビー・バクルが言った。「イラークにいた私の父が私に手紙をよこした。『学問をしなさい。あなたが貧しい時はそれはあなたの財産となり、富める時にはあなたの装飾となる。』」<br />
それはルクマーンの子供への遺言の中でも述べられている。「我が子よ、学者たちと膝附合わせ席に連なりなさい。アッラーは空からの雨で大地を賦活するように叡智の光で心を賦活する。」<br />
賢者の一人が言った。「学者が死ぬと、海の魚も空の鳥もそれを嘆く。その顔は忘れられても、その(学問の)記憶は消えない。」<br />
ズフリーは言った。「知は男性であり、大人の男だけがそれを愛する。」<br />
<br />
<br />
『宗教諸学の再生・要約』<br />
<br />
(序)<br />
イスラームの証(フッジャトゥルイスラーム)アブー・ハーミド・ムハンマド・ブン・ムハンマド・ガザ―リーは述べた。<br />
アッラーにこそあらゆる恵みに対する称賛は属す。称賛をさせていただくこと自体(を含む恵み)に至るまで。その預言者、使徒、しもべである使徒たちの長ムハンマドとその御一統、教友、その逝去後の後継者(カリフ)、その存命中の副官たちに祝福あれ。<br />
旅先でかさばって持ち運びが大変なので『宗教諸学の再生』を抜粋しようと思いつき、アッラーに助けを求め、正導を願い、その預言者に祝福を祈りつつ、それに取り掛かった。それは40章からなる。アッラーこそ正答を恵み給う。<br />
<br />
<br />
第1章:知識と学習<br />
<br />
(第1「知の徳」節)<br />
知りなさい。知の徳については、クルアーンに多くが述べられれている。「ムジャーダラ章11節」イブン・アッバースは言った。「学者は信仰者より700階梯上にいる。それぞれ階梯は500年の工程がある。至高者は仰せになる。「ズンマル19節」至高者は仰せになる。「蜘蛛章43節」<br />
また伝承の中には、以下のようなハディースがある。「学者は預言者たちの相続人である。」「最善の人間とは、求められる時は他人の役に立ち、求められない時は自足している学のある信仰者である、」「信仰は裸形であり、その衣服は敬虔さ、装飾は廉恥、果実は知識である。」「預言者職に最も近い者は学者と戦士(ジハードの人)である。学者は使徒たちがもたらしたもの(聖法)を人に示し、戦士は使徒たちがもたらしたものに則って剣でジハードを行うのである。」「学者は地上におけるアッラーの受託者である。」「復活の日には、預言者たちが(信者のためにアッラーに)執り成しを行い、ついで学者が、ついで殉教者たちが。」<br />
またフォトゥフ・マウスィリーが。「病人が食べ物、飲み物、薬を禁じられて与えられなければ死ぬのではないか。」と言うと、人々は「はい」と言った。そこで(ファトフは)「心も同じで叡智と知識を3日禁じられて与えられなければ死ぬ。」と言ったが、彼は真実を述べた、身体にとっての食糧が食べ物と飲み物なように、心の食糧は知識と叡智あり、その二つによって生きるのである。<br />
知識を失った者の心は病み、気づかないままに死ぬことは必定である。なぜなら現世の雑用に忙殺されるからである。しかし死によってそうした雑用から目覚めると、終わりのない激しい苦痛に苛まれることになる。それが「人々は眠っており死んだときに目覚める。」とのハディースの意味である。<br />
学習の徳については「学究には天使が満足して翼で抱きしめる。」「朝に知識の一分野を学ぶことは100ラクアの礼拝よりも良い。」とのハディースが示している。<br />
アブー・ダルダーゥは言った。「学びに行くことをジハードだと考えない者は理性、考えに欠けている。」教えることの徳は「アッラーが知識を与えられた者に、人々にそれを教え、それを隠すな、との約定を取られた時」とのアッラーの御言葉が示している。アッラーの使途はこの節を読まれた時に言われた。「アッラーは学者には必ず、預言者たちになされたように、知識を教え隠すなかれとの約定を取られた。」<br />
預言者はムアーズをイエメンに派遣された時に言われた。「アッラーがあなたを介して一人の男を導かれたなら、あなたにとってそれはこの世界とその中にあるもの(全て)よりも価値がある。」ウマルは言った。「誰かが何かを話して、それを誰か(他人)が実行したなら、彼(話をした者)にも、それを行ったのと同じだけの報償がある。」ムアーズ・ブン・ジャバルは教えることと知について、以下のように述べているが、その伝承は預言者にまで遡ることができる。「知識を学べ。アッラーのために知識を学ぶことは善行、知を求めることは勤行、勉学は賛美、探求はジハード、教えることは喜捨、知をそれに相応しい者に授けることは奉献である。知は孤独の慰め、独居の伴侶、禍福に応じた導き手、親友の中の腹心、朋友の中の同志、楽園への道の光塔である。アッラーは知識によって人々を高め、彼らを人々を牽引し行き先を示す善の先導者、幸福の案内人とされ、彼らの行跡は辿られ、彼らの行為を注視され、天使は彼らの装飾を望み、その翼で彼らを愛撫し、湿ったものも乾いたものも全てが彼らを称え、海の魚介類や陸の獣や家畜、空と星に至るまで彼らのために赦しを請う。なぜならば知識は心の蒙を開き、闇の中で目を照らし、身体の弱さを強め、人は知によって篤信者の境地、最高の段階に達し、知識の思索は斎戒、勉学は夜の礼拝に匹敵し、アッラーが従われ、崇拝されるのは知によってであり、主が唯一の神として畏れられるのも知に基づいてであり、知によって親戚関係が繋がれる。知が主で、行為は従なのである。アッラーは幸運な者には知を授け、惨めな者には知を遮断されるのである。<br />
理性に照らしても、学問の徳は隠れもない。なぜならそれによって至高なるアッラー、その近く、その側に到達するからであり、それは終わることのない永遠の至福、永久の快楽であり、それによって現世の栄光と来世の至福があるからである。現世は来世の畑であり、学者はその知識によって、自分自身のために、その知識の要請に応じた自己修練によって来世の至福のための種を植えるのである。また教育によっても永遠の至福の種を植えることになるだろう。なぜなら人々の人格を陶冶し、彼らを自らの知識により至高なるアッラーに近づけるものに誘うからである。「叡智と良き訓戒であなたの主の道に招き、彼らと最善のもので議論せよ。」(16章125節)それゆえ彼(学者)は選良は叡智によって、大衆は訓戒によって、頑迷な者は議論によって呼びかけ、自分を救い、他人をも救う。これこそ人間の感性なのである。<br />
<br /></div>
hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-78813861415008199842020-03-06T05:30:00.000+09:002020-03-06T05:30:36.469+09:00ボードゲーム「カリフ」イジュティハード<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<br />
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">1 経済アドバイザーを名乗る男が現れ、金貨銀貨を廃止し自国に紙幣を発行する中央銀行を作るよう言ってきた。アドバイスを受け入れるべき?<span lang="EN-US"><span style="mso-spacerun: yes;"> </span><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span lang="EN-US"><w:sdt id="1192805465" sdttag="goog_rdk_0"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1319; mso-comment-reference: _1;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 1;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">シャリーア</span>の認</span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">める通貨<span lang="EN-US">(</span>ナクド<span lang="EN-US">)</span>は金と銀だけであり、義務の浄財(ザカー)の最低額、殺人・傷害の血の代償<span lang="EN-US">(</span>ディヤ<span lang="EN-US">)</span>などは金、銀によって定められています。ハナフィー派では義務の浄財の最低額は金20ディーナールか銀20ディルハムです。(現代の度量衡だと金1ディーナールは<span lang="EN-US">22</span>金で約<span lang="EN-US">4.25</span>グラム、銀は約<span lang="EN-US">3</span>グラム)。殺人の血の代償はアブー・ハニーファは「ラクダか金か銀」と述べており、第二代正統カリフ・ウマルはラクダなら百頭、金なら千ディーナール、銀なら一万ディルハムと定めました。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">金貨、銀貨の品質管理はカリフの職務の一つであり、金、銀の裏付がないただの無価値な紙片を、武力による威嚇を背景に高価な物品との交換を強制することは詐欺に他ならず、カリフであっても許されません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 但し個人の間で自分たちの信用に基づく約束手形を発行するのは自由ですので、金銀をいつも身につけて持ち運ぶ必要はありません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">2 息子がラッパーになりたいと言い出した。父親である貴方はこれを認めるべきだろうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">音楽については、楽器、特に管楽器の使用は禁じられているという説が有力です。預言者ムハンマドも「音楽に伴う</span>
<span lang="EN-US"><w:sdt id="-159616030" sdttag="goog_rdk_1"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190925T0442; mso-comment-reference: _2;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 2;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">笛(ミズマール)</span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">の音と、不運に見舞われた時の呪詛<span lang="EN-US">(</span>じゅそ<span lang="EN-US">)</span>の声は、現世と来世で呪われます」と言われています。但し楽器の定義が曖昧であり、預言者の弟子たちも楽器を使ったとの伝承もあるため、ガザ<span lang="EN-US">―</span>リーなどの法学者も、可否の基準は意図と目的であり、音楽の目的が遊興であり、劣情を煽<span lang="EN-US">(</span>あお<span lang="EN-US">)</span>り、飲酒や婚外交渉などの禁じられた行為の誘因にならないなら許される、と述べています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">ラッパーになりたいと言っているなら、楽器を使わず、神を称え、神に仕え愛と正義を実践するよう訴えるラッパーになるように勧めるべきです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">3 イスラーム法学者同士、ファトワーとファトワーが対立した場合はどうするのでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">ファトワーとは質問に対する答えであり、ムスリムは誰にでも好きなことを尋ねることが出来ます。ですからいろいろな人がいろいろな人にいろいろな質問をするので、いろいろなファトワーが世の中に出回ることになります。自分が尋ねたのでもない人間のファトワーを気にする必要はありません。とはいえ、自分で質問したからといって、そのファトワーに従う義務もありませんし、たまたま目にした知らない人の発したファトワーでも、それに納得すれば従っても構いません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">ただしイスラーム法を学ぶ者の間では、クルアーンと</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="1379363673" sdttag="goog_rdk_2"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1222; mso-comment-reference: _3;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 3;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">ハディース</span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">の解釈はアブー・ハニーファ、マーリク・ブン・アナス、シャーフィイー、アフマド・ブン・ハンバルの<span lang="EN-US">4</span>人の法学祖がイジュティハードで演繹<span lang="EN-US">(</span>えんえき<span lang="EN-US">)</span>した法体系に収斂<span lang="EN-US">(</span>しゅうれん<span lang="EN-US">)</span>し、4つの法学派が確立しているので、自分でイジュティハードできるようになりたいとの志がある学徒はいずれかの法学派に属して勉強してください。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">4 嘘をつくことはハラームですが、つくり物の映画はハラームだろうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">嘘はもちろん悪で、ある意味では最も重い罪です。預言者ムハンマドは、「信仰者が不倫したり、泥棒したりしますか」と尋ねられた時は、「そういうこともあります」と答えらえましたが、「では信仰者は嘘をつきますか」と尋ねられた時には「いいえ」と答え、クルアーン「信仰のない者だけが嘘を吐く」(<span lang="EN-US">16</span>章<span lang="EN-US">105</span>節)を読み上げられました。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span lang="EN-US" style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"><span style="mso-spacerun: yes;"> </span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> しかし定義が曖昧なので法学的な意味でのハラーム(禁止)と呼ぶのは不適切です。預言者ムハンマドも、戦争での策略の場合、いがみ合う人々の仲を取り持つ場合、夫婦の間での御世辞の3つの場合の嘘は許されました。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> クルアーンにも、不信仰者を雷雨の夜の暗闇を歩む者、聾啞<span lang="EN-US">(</span>ろうあ<span lang="EN-US">)</span>の盲人になぞらえる話(<span lang="EN-US">2</span>章<span lang="EN-US">17‐20</span>節)など数多くのたとえ話があります。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 要するに、たとえ話のようにつくり物だと分かっていて誰も騙<span lang="EN-US">(</span>だま<span lang="EN-US">)</span>されず、内容が教訓を得るという良い目的で作られたものであれば禁じられた嘘にはなりません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">5 私財を投じて他人へ施すことと、他人の世話にならないように個人の財産を貯蓄することのどちらを優先すべきだろうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">自分と妻子の扶養分以上の財産があれば、喜捨することが</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="730503194" sdttag="goog_rdk_3"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190925T0748; mso-comment-reference: _4;"></a></w:sdt></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">スンナ</span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">です。しかしイスラーム法は、妻子の扶養を蔑ろにして施すことは罪であると定めています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 預言者ムハンマドは「</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="-450085784" sdttag="goog_rdk_4"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1223; mso-comment-reference: _5;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 5;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">上の手(施す手)は下の手(物乞いの手)に勝る。おまえの扶養する者から始めよ。最善の喜捨は富裕な者によるもの。」「人間にとって自分が養う者を飢えさせることより重い罪があろうか」</span></span><span lang="EN-US"><span style="mso-special-character: comment;"> </span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">と言われています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 妻子の扶養義務を怠って施すことは禁じられますが、妻子の扶養の義務には将来のために貯蓄することは含まれません。将来のことはアッラーに任せればよいからです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<a href="https://www.blogger.com/null" name="_heading=h.gjdgxs"></a><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> アッラーは仰せです。「彼(アッラーを畏れる者)には彼が考えもつかないところから、(アッラーは)恵みを与えられる。アッラーを信頼する者には、かれは万全であられる。」(<span lang="EN-US">65</span>章<span lang="EN-US">3</span>節)<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">6 自分の息子<span lang="EN-US">/</span>娘が同性愛者かもしれない。その場合は息子<span lang="EN-US">/</span>娘にどのように接すればいいだろうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「同性愛」という表現は不正確です。男女の別なくムスリム同士は愛し合うべきですから。禁じられているのは心中の「愛」ではなく「婚外性交」という行為であり、イスラーム法は、全ての婚外性交を禁じていますが、同性性交の禁止はロトの逸話に遡るもので創世記<span lang="EN-US">19</span>章に、クルアーンでは<span lang="EN-US">7</span>章<span lang="EN-US">80</span>-<span lang="EN-US">81</span>節に述べられています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<a href="https://www.blogger.com/null" name="_heading=h.30j0zll"></a><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">しかしハディースには</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="-745809544" sdttag="goog_rdk_5"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1227; mso-comment-reference: _6;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 6;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「アッラーは善悪を定め教えられた。悪行をしようと思ったが思いとどまった者にアッラーは一つの善行を行ったと書き留め、それを犯した者には一つの悪を行ったと書き留められる。」</span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">と言われています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> ハディースには</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="1819066221" sdttag="goog_rdk_6"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1227; mso-comment-reference: _7;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 7;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「ムスリムの隠し事を追求するな」</span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">とも言われており、性行為は秘め事ですから、公然と行わないなら追求すべきではありません。親の義務はクルアーンとハディースを教えることだけです。同性を愛し性交を望んだ者が実行して罪を犯すか、自制して善行の報奨を得るか、どちらを選ぶかは本人に任されます。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">7 イスラム教に改宗したキリスト教徒に、改宗の意思がない配偶者と、成人していない子供がいる場合、家族の中で自分だけがイスラム教徒として生活するということは許されるのだろうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">クルアーン<span lang="EN-US">5</span>章<span lang="EN-US">5</span>節「今日(清き)良いものがあなたがたに許される。<span lang="EN-US">―</span>中略<span lang="EN-US">―</span>あなたがた以前に啓典を授けられた民の中の貞節な女も。」により、キリスト教徒の妻との結婚は許されており、夫のイスラーム入信後も入信前の婚姻契約がそのまま有効です。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">子供については、父親の入信後に生まれたなら自動的にムスリムになりますが、イスラーム入信前に生まれていた場合にはその規定は適用されません。父親は子供にイスラームを教えなければなりませんが、強制はできません。キリスト教に入信した二人の息子に入信を強要して拒まれたムスリムの男が、息子を連れて預言者ムハンマドの許にやって来て「地獄の業火が自分の子供たちに迫っているのを、どうして見逃せましようか」と訴えた時、「宗教に強制はない」とのクルアーンの節(<span lang="EN-US">2</span>章<span lang="EN-US">256</span>節)が啓示され、預言者が二人を放免したと伝えられていることから、子供は成人後に自分で宗教を選ぶことになるでしょう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">8 夫婦喧嘩をして、どちらも主張を譲らない場合、夫と妻のどちらが妥協するべきでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span lang="EN-US" style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"><span style="mso-spacerun: yes;"> </span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">喧嘩の内容によります。イスラーム法は夫と妻にそれぞれ権利と義務を定めていますので、喧嘩の内容が、夫に権利があることであれば、妻はその義務を果たさなければなりません。逆に妻に権利があることであれば夫は自分の義務を果たさなければなりません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 夫の権利は生理期間を除き妻と性交をすることであり、妻の義務は夫の性交の求めに応じ夫の許可がない限り家に居て夫の財産を保管することです。妻の権利は結婚する時に婚資(マハル)、結婚している間に扶養費、離婚する時に離婚金をもらうこと、夫との性生活を楽しむことです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 妻が義務を果たさなければ、クルアーンに「男は女の上に立つ者である。 <span lang="EN-US">―</span>中略<span lang="EN-US">―</span> 反抗的な女たちには諭し、臥所<span lang="EN-US">(</span>ふしど<span lang="EN-US">)</span>に置き去りにし、打擲<span lang="EN-US">(</span>ちょうちゃく<span lang="EN-US">)</span>せよ」(<span lang="EN-US">4</span>章<span lang="EN-US">34</span>節)とあるように夫は言うことをきかせる権利があり</span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">、それでも言うことを聞かなければ離婚します。夫が義務を果たさなかった場合は妻は裁判官に訴え離婚することが出来ます。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">9 日本人でもカリフになれますか。</span><span lang="EN-US" style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span lang="EN-US" style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"><span style="mso-spacerun: yes;"> </span></span><span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> イスラーム法はカリフの資格を成人、理性、イスラーム、イスラーム法の学識、公正さ、敬虔</span><span lang="EN-US" style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">(</span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">けいけん<span lang="EN-US">)</span><span style="color: black;">、男性、政治力、勇気、健常な四肢と感覚、</span></span><span lang="EN-US"><w:sdt id="1888143550" sdttag="goog_rdk_8"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190925T0749; mso-comment-reference: _8;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 8;"><span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">クライシュ族</span></span><span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">の男系出自、カリフの選出手続きをイスラーム学者と政治権力者たちによる選挙か、前任のカリフからの後継者指名、と定めています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">ですから日本人がカリフになるには、クライシュ族の男性が日本に渡来し日本人女性と結婚して生まれた男子が前任のカリフから後継者に指名されるか、カリフに選ばれるかどちらかです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">しかしシャーフィイー派の大学者アブドルカリーム・ラーフィイー(<span lang="EN-US">1226</span>年没)が、武力で覇権を握って</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="-488170096" sdttag="goog_rdk_9"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1245; mso-comment-reference: _9;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 9;"><span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">ダールルイスラーム</span></span><span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">に実効支配を確立した場合、カリフの資格を満たさず、選挙されたのでもなく前任のカリフからの指名もなくとも正当なカリフと認める、との理論を編み出しましたので、クライシュ族でない日本人でもダールルイスラームを武力で征服すればカリフになれることになります。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">10 仕事ができず、いつも皆に迷惑をかけています。自分なりに頑張っているのですがうまくいきません。どうすれば有能な人間になれるでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">一般に無能な人間は有能にはなれません。アッラーは誰にも、できないことをしろ、とは命じられません。あなたはあなたにできることだけを真面目にやればそれで十分です。できない仕事を押し付けてミスが生じたなら、そのミスの責任は、あなたではなく、あなたの能力を見誤った上司にあります。失敗の責任を取るために、上司は大きな権限を持たされ高い給料をもらっているのです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「アッラーは誰にもその能力以上のことは課されません。誰もが自分が稼いだものに権利があり、自分が犯してしまったことに責任を負う。我らが主よ、私たちが忘れたり、ミスを犯したとしても、私たちを責めないでください。」(クルアーン<span lang="EN-US">2</span>章<span lang="EN-US">286</span>節)<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">11 彼女が欲しいのですがなかなかできません。どうすればモテるでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">預言者ムハンマドは、</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="-1729067754" sdttag="goog_rdk_10"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1247; mso-comment-reference: _10;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 10;"><span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「財産、貴い家柄、美しさ、宗教性の<span lang="EN-US">4</span>つによって、結婚しなさい。宗教的な女性を娶</span></span><span style="mso-comment-continuation: 10;"><span lang="EN-US" style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">(</span></span><span style="mso-comment-continuation: 10;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">めと<span lang="EN-US">)</span><span style="color: black;">れば糟糠</span><span lang="EN-US">(</span>そうこう<span lang="EN-US">)</span><span style="color: black;">の妻となる。」</span></span></span><span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">と言われました。学者たちによるとこのハディースは男性にも当てはまります。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="color: black; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">生まれついての家柄は自分ではどうしようもありません。ですので、もてたければ、金持ちになるか、美しくなるか、宗教的になるか、のどれかを目指すのがよいでしょう。化粧すれば少しはカッコよくなるかもしれませんが、美しくなるのもかなりハードルが高いでしょう。金持ちになるのも、元手か商才か運のどれかがないと難しいです。一番簡単なのが、宗教的になることです。内心の敬虔</span><span lang="EN-US" style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">(</span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">けいけん<span lang="EN-US">)</span><span style="color: black;">はなかなか身に付きませんが、モスクに足繁く通ったり、礼拝をたくさんしたり、斎戒断食したり、顎鬚</span><span lang="EN-US">(</span>あごひげ<span lang="EN-US">)</span><span style="color: black;">を伸ばしたり、宗教的に見える振る舞いをするのは誰にでもできますので、やってみましょう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">12 神はなぜ人間を作ったのですか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> アッラーはクルアーンの中で「私が人間とジンを創造したのは、ただ彼らが私を崇拝するためにでしかない。」(<span lang="EN-US">51</span>章<span lang="EN-US">56</span>節)と仰せです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 預言者の高弟イブン・アッバースは、「崇拝する」とは「知る」という意味だと解説しています。人間が創造された目的は神に仕え神を知ることです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> また</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="1610091861" sdttag="goog_rdk_11"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1251; mso-comment-reference: _11;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 11;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「己を知る者はその主を知る」</span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">とも言われています。主に仕えることで、己を知り神を知ることが人間が存在する意味です。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">13 神様が本当にいるのなら、虐げられている弱者を助けないのはなぜですか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">神は「死と生を、あなた方の誰が最も良い行いをするか、あなたがたを試みるために創造した御方」(クルアーン<span lang="EN-US">67</span>章<span lang="EN-US">2</span>節)です。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">生も死も幸運も不運も神からの試練です。虐げられている弱者が、神から命じられている忍耐を行い死後の楽園の報奨をもらい、虐げられた弱者を助ける者が正義を行うことで来世で楽園の報奨をもらう機会を得るためです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">14 万物は神が作ったものなら、どうして食べてはいけない物があるのですか<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">豚肉の禁止(<span lang="EN-US">5</span>節)などが書かれたクルアーン<span lang="EN-US">5</span>[食卓章]は「信仰する者たちよ、契約を守れ。」から始まり、「アッラーは困難をあなたがたに課すことを望まれない」(<span lang="EN-US">6</span>節)を挟み、「(アッラーが)あなたがたと結ばれた約定を思い起こし、アッラーを畏れなさい」(<span lang="EN-US">7</span>節)で結ばれます。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 食べ物だけではなく、人間の行為を含む森羅万象は全て、アッラーの創造になります。食べ物の禁止も、行為の禁止も、全て神との契約であり、人間にとっての悪とは契約に背くことです。神が禁止を定めたのは人間を苦しめるためではなく、恵みを授けるためです。預言者ムハンマドは</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="451592848" sdttag="goog_rdk_12"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1253; mso-comment-reference: _12;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 12;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「悪行をしようと思ったが思いとどまった者にアッラーは一つの善行を行ったと書き留められる。」</span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">と言われました。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 食べたいのを我慢するだけで来世で報奨をもらえるために食べてはいけない物があるのです。しかしもっと大切なのは、禁じられた食べ物を見る度に、神の恩恵を思い出すことです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">15 カリフ制は国家を否定すると聞きました。国家とは何でしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 国家とは幻想、虚構です。国家を否定する、という意味は、存在するものを拒絶して無くそう、ということではありません。存在もしないものが存在するかのように騙<span lang="EN-US">(</span>だま<span lang="EN-US">)</span>されない、ということです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> フランス国王ルイ14世は「朕は国家なり」と言いました。では天皇、それとも首相、それとも「主権者」と言われる私やあなたが日本の国家なのでしょうか。それとも国会議事堂の建物が国家でしょうか。あるいは富士山や琵琶湖が国家でしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 政治学では主権、国民、領土を国家の三要素を言います。しかしそんなものが戦争をしたり、税金を取ったり、子供の教育をしたりするでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">カリフ制と神の法による人間の生き方です。最初のカリフは人類の太祖アーダムです「私(アッラーは)は地上にカリフをおいた」(クルアーン<span lang="EN-US">2</span>章<span lang="EN-US">30</span>節)名前に欺かれ、教育、福祉、安全保障を非在の国家に委ね、国家の名に隠れて人間が権力を恣<span lang="EN-US">(</span>ほしいまま<span lang="EN-US">)</span>にするのを許してはならないのです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">16 いじめを目撃しました。止めたいですが止めると自分が次の標的になってしまいます。どうしたらよいでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">預言者ムハンマドは言われました。</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="1575315893" sdttag="goog_rdk_13"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1257; mso-comment-reference: _13;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 13;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「お前たちの誰でも悪行を見かけたら自分の手でそれを変えなさい。それができなければ自分の舌で。それもできなければ心で。だがそれしかできない者は、もっとも信仰の弱い者。」</span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">いじめている者たちより自分の方が強くて仕返しされないと思えば力づくでとめればよいでしょう。それができそうもなければ、いじめをやめるように説得してとめれれると思うなら説得してみればよいでしょう。それもできそうもなければ、心の中でいじめがなくなるように、と神に祈ればよいでしょう。大切なのは自分に何ができるかを見極めることです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">17 毎日がつらくて死にたくなります。どうしたらよいでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">預言者ムハンマドは言われました。</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="-1938351135" sdttag="goog_rdk_14"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1258; mso-comment-reference: _14;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 14;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「刃剣で割腹自殺した者は、地獄の火中でその刃剣を手にもって自らの腹を永久に刺し続ける者となるだろう。また、毒を飲んで自殺した者は、地獄の火中で永遠に毒をすすり続ける者となるだろう。更にまた、山頂から投身自殺した者は、地獄の火中を永遠に落ち続ける者となるだろう。」</span></span><span lang="EN-US"><span style="mso-special-character: comment;"> </span></span><span lang="EN-US" style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">イスラームでは自殺は禁じられていますが、殉教で死ぬことは勧められています。ムハンマドは言われます。</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="153650379" sdttag="goog_rdk_15"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1258; mso-comment-reference: _15;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 15;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「死後、アッラーの御許で恩典を与えられた者は、たとえこの世とそれに存在する全てを与えられるとしても、再びこの世に帰ることを望む者は一人も無いであろう。だが殉教者は別である。彼は殉教の恩典として受けるものがあまりにも素晴らしい故、再びこの世に戻って殉教することを望むであろう。」</span></span><span lang="EN-US"><span style="mso-special-character: comment;"> </span></span><span lang="EN-US" style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">どうしても死にたければ、過酷な戦場にジハードに行き殉教しましょう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">18 就職活動がうまくいきません。どうすれば良い仕事につけるでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<a href="https://www.blogger.com/null" name="_heading=h.1fob9te"></a><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> アッラーは仰せです。「またアッラーを畏れる者には、彼は脱出口を備えられる。(アッラーは)考えつかないところから彼に糧を恵まれる。アッラーに拠り頼む者には、彼は十全であられる。」(<span lang="EN-US">65</span>章<span lang="EN-US">2-3</span>節) <span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> アッラーにお任せすれば、思いもかけない良い仕事が見つかるかもしれません。取りあえず祈りましょう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">19 幼いわが子がちっとも可愛いと思えません。このままでは虐待しそうです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> あんな芋虫みたいなもの、可愛いと思う方がおかしいです。預言者ムハンマドも当時のクライシュ族の習慣に従って、<span lang="EN-US">4</span>年から<span lang="EN-US">5</span>年、砂漠に送られ乳母の許で育てられ、歩けるようになると牧童として羊などの家畜の世話をするようになりました。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 可愛くない子供は砂漠に送って働かせましょう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">20 実力がないのにチヤホヤされている人を見るとイライラします。ああいう人が注目されないようにするにはどうすればいいでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">預言者ムハンマドは「</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="-381792554" sdttag="goog_rdk_16"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190924T1300; mso-comment-reference: _16;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 16;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">自分に関係のないことは放っておくことが、ムスリムの美点です」</span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">と言われています。 そういう人を見るといらいらするなら、足を引っ張ろうなどと考えず、そもそもそんな人のことなど見ないようにするのが一番です。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">21 保険加入や貯金は神を信じていないことになりますか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">アッラーは「彼らは酒と賭矢に就いてあなたに問うであろう。言ってやるがいい。『それらは大きな罪であるが、人間のために益もある。だがその罪は益よりも大である』。」(クルアーン<span lang="EN-US">2</span>章<span lang="EN-US">219</span>節) と仰せになり、賭博を禁じられました。また預言者ムハンマドはリスク<span lang="EN-US">(gharar)</span>の売買を禁じられました。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">イスラーム法は不確定な未来の売買を禁じています。起きるかどうか分らないリスクに対して決まった対価を与える保険には、禁じられた賭博とリスクの売買の要素があり、合法性に疑いの余地があります。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">またアッラーは「(アッラーは)考えつかないところから彼に糧を恵まれる。アッラーに拠り頼む者には、彼は十全であられる。」(<span lang="EN-US">65</span>章<span lang="EN-US">2-3</span>節)と仰せなので、アッラーへの深い信頼があれば保険や貯金などは要らない、とも言えます。 <span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">しかし、これらは罪や信仰の弱さではあっても、不信仰、多神崇拝にはあたりません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">22 イスラム教のお坊さんはなんという名前なのですか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">神の子や、神の代理人のような特別な人間の存在を認めないイスラームには、聖職者、いわゆる「お坊さん」はいません。それでも日本人から見て、「お坊さん」のように見える人はいます。地方や民族によって、いろいろな呼び名がありますが、アラビア語の主だった名前には以下のようなものがあります。まずはアーリム。イスラーム学者の意味です。複数形のウラマーの方が有名かもしれません。その他、導師を意味するイマーム、老師を意味するシャイフ、教義回答者の意味のムフティーなどの呼び名もあります。またマウラーナー(我らが主)、サイイディー(我が)のような敬称もあります。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
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<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">23 自国内の異教徒は改宗させるべきか?<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> クルアーンには「宗教に強制はない」(<span lang="EN-US">2</span>章<span lang="EN-US">256</span>節)とあります。</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="-894662211" sdttag="goog_rdk_17"><a href="https://www.blogger.com/null" style="mso-comment-date: 20190927T0237; mso-comment-reference: _17;"></a></w:sdt></span><span style="mso-comment-continuation: 17;"><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">バイダーウィー</span></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">のクルアーン注釈によると、使徒の召命以前にキリスト教に入信した二人の息子がいたムスリムが「地獄の業火が私の子供たちに迫っているのを、見逃せましようか」と言って二人の息子を連れて預言者の許に来てイスラームの入信を強要するように求めて預言者ムハンマドの許に来た時、この節が啓示され、預言者は二人の息子を自由にしたと言われています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> また異教徒がダールルイスラームにやってきた場合も、イスラームが実践される姿を見て承服し見習って</span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">自発的に入信しなかった場合は改宗を強制することはできず、以下のクルアーンの聖句により安全に本国に送還しなければなりません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">「もし多神教徒の中に,あなたに保護を求める者があれば保護し,アッラーの御言葉を聞かせ,その後かれを安全な所に送れ。これはかれらが,知識のない民のためである。」(クルアーン<span lang="EN-US">9</span>章<span lang="EN-US">6</span>節)<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="color: red; font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">24 専業主婦の妻が家事を一切やりたくないのでメイドが欲しいと言ってきた。雇ってあげるべき?<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 雇う余裕があれば夫には雇う義務があります。</span><span lang="EN-US"><w:sdt id="-816026261" sdttag="goog_rdk_19"></w:sdt></span><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">イブン・マージャ「夫に余裕があれば、妻は召使いを一人所有する権利があり、夫には召使いの経費を負担する義務がある。それは妻には、夫の身の回りの世話に専念するために家事を司り彼女に仕える召使いが必要だからである。」と夫に妻のために召使いを雇う義務を明言しています。クルアーン<span lang="EN-US">65</span>章<span lang="EN-US">6</span>節に基づき夫には妻の扶養の義務があるからです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal" style="text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";">妻の義務は、夫との性交と貞節を護ること、留守中の夫を家財の保管で、「夫の身の回りの世話」とは快適な性生活の用意をすることです。家事は妻が望まねば、夫は召使いを雇わねばなりません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<a href="https://www.blogger.com/null" name="_heading=h.bkcvhmr9cav"></a><span style="font-family: "MS 明朝",serif; mso-bidi-font-family: "MS 明朝";"> 勿論、これは夫にそれなりの収入がある場合のことで、「アッラーは誰にもできないことは課されない」(クルアーン<span lang="EN-US">2</span>章<span lang="EN-US">286</span>節)の原則により、夫が貧しい場合には借金をしてまで無理に雇う必要はなく、夫婦で家事を分担するか、別れるか、二人で相談して決めます。</span></div>
</div>
hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-11847603634735705102019-10-17T01:02:00.000+09:002019-10-17T14:49:35.273+09:00「イスラーム世界を見る視線の交錯 ——日本とフランスの対話」応答<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<br />
<div class="MsoNormal">
「イスラーム世界を見る視線の交錯<span lang="EN-US"> ——</span>日本とフランスの対話」応答 <span lang="EN-US"> 2019/10/16<o:p></o:p></span></div>
<div align="right" class="MsoNormal" style="text-align: right; word-break: break-all;">
中田考
<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
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序<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
「イスラーム世界を見る視線」という今回のシンポジウムのテーマに深く関わっているので、私事になりますが最初に少し詳しく自己紹介をさせていただきます。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
私は神道の家系に生まれました。子供の頃は夏休みは実家の里の神社で暮らしていました。二人の叔父は今も神主をしております。私自身は無宗教でしたが小学校の時からカトリックとプロテスタントの教会に通いキリスト教に親しんでいました。<span lang="EN-US">1980</span>年に東大に入学して駒場聖書研究会に入会し、<span lang="EN-US">1982</span>年に東大に新設されたイスラム学研究室に進学し、翌<span lang="EN-US">1983</span>年にイスラームに入信しました。卒論、修論ではイブン・タイミーヤの思想を専攻しました。<span lang="EN-US">1986</span>年にエジプトに渡航しカイロ大学に留学し、<span lang="EN-US">1992</span>年にイブン・タイミーヤの政治哲学をテーマにカイロ大学文学部哲学科から博士号を授与されました。留学中にジハード団の学者ムハンマド・ヒジャーズィー師からイスラーム法学などを習う一方、キプロスのナクシュバンディーヤ・スーフィー教団のシャイフ・ナーズィムに弟子入りし、<span lang="EN-US">1996</span>年にはシャーズィリーヤ教団に移りました。その後、<span lang="EN-US">1992</span>年から<span lang="EN-US">1994</span>年までサウディアラビアの日本大使館で「内政における宗教勢力の動向」の調査を委嘱され専門調査員を務めました。その後、帰国し、山口大学、同志社大学でイスラーム学を教えてきましたが、同志社大学一神教学際センター幹事、日本ムスリム協会理事として宗教間対話にも参加しました。<span lang="EN-US">2013-2014</span>年にイスラーム国を<span lang="EN-US">5</span>回訪問し、私戦予備及び陰謀罪で捜査され、本年<span lang="EN-US">8</span>月に不起訴が決まりました。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
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1.日本からムスリム世界を見る<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
私は、ムスリムでありながらムスリム世界を遠くから哲学者の目で眺めているという点でビダール先生と同じであり、イスラーム国の出現の原因と責任が欧米ではなくムスリム世界にあり、その起源がワッハーブ派にあり現代のワッハーブ派が金銭崇拝<span lang="EN-US">(worship of this false God called Money)</span>、つまり銭神崇拝<span lang="EN-US">(Mammonism)</span>であるとの認識においてビダール先生に同意します。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
もちろん、違いもあります。ビダール先生がムスリムとして育ち、旧ローマ帝国領で哲学者として活動されているのに対し、私はキリスト教徒でも<span lang="EN-US">1</span>%以下、ムスリムは<span lang="EN-US">0.1</span>%もいない日本で世俗教育を受けて育ち西欧的な人文社会科学を学んだ後でイスラーム学の訓練を受けてイスラームに入信したという点で、ムスリム世界をより遠く距離をおいて眺めています。またイスラーム国の出現の原因がムスリム世界にありワッハーブ派が起源であることには同意しますが、私の実際に目にしたイスラーム国は決して特別な怪物ではなく、怪物であるとすれば、それは領域国民国家<span lang="EN-US">(territorial nation states)</span>という怪物リバイアサン<span lang="EN-US">(leviathan)</span>たちの一匹に過ぎず、現代のワッハーブ派サウディアラビアの問題も、銭神崇拝とリヴァイアサン崇拝の多神崇拝と考えるのがより正確です。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
ユダヤ教でもキリスト教でもイスラームでも仏教でもヒンドゥー教でも伝統宗教には、生まれながらに信徒である、という受動的なあり方と、教義を学んだ上で本人の意思による入信という主体的な有り方の二つがあり、現実には前者が圧倒的に多数であり、後者の主体的であるべき入信さえ慣習制度化されているのが普通です。これはキリスト教では幼児洗礼の問題としてよく知られています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
私はアッラーとその使徒ムハンマドを信ずる職業的イスラーム古典文献学者ですので、私にとっての「ムスリム」とは、アッラーの御許で<span style="mso-bidi-language: AR-EG;">ムスリムと認められ(アッラーの御許の宗教はイスラーム[クルアーン<span lang="EN-US">3</span>章<span lang="EN-US">19</span>節])救済を約束された者のことでしかなく、自称他称のムスリムたちには興味はありません。とは言っても、誰がムスリムかを神が名指しで教えてくれるわけではないので、神の代理人という概念を持たないイスラームでは、誰がムスリムかは啓典クルアーンと神の使徒ムハンマドの言行録(ハディース)を手掛かりに自分で考えるしかありません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="mso-bidi-language: AR-EG;">2.末法のイスラーム<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="mso-bidi-language: AR-EG;"> 現在世界のムスリムの数は15億人とも言われていますが、その絶対多数はただ先祖がムスリムだったというだけの「名ばかりムスリム」、「エスニック・ムスリム」で、ムスリムの名に値せず論ずるに足りません。</span>預言者ムハンマドも言われています。「食客たちが大盆に互いに呼ばわり群がるように諸国民がお前たちに群がりよせることになろう。その時お前たちは多数だが川面の塵芥のようで、お前たちの心には弱さ(死の恐れ)があり、敵たちの心からはお前たちへの恐怖は取り去られている。」<a href="file:///D:/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%82%8B%E8%A6%96%E7%B7%9A%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%8C%AF%E7%99%BA%E8%A1%A8%E5%8E%9F%E7%A8%BF%E8%A8%82%E6%AD%A3%E7%89%88.docx#_ftn1" name="_ftnref1" style="mso-footnote-id: ftn1;" title=""><span class="MsoFootnoteReference"><span lang="EN-US"><span style="mso-special-character: footnote;"><!--[if !supportFootnotes]--><span class="MsoFootnoteReference"><span lang="EN-US" style="font-family: "游明朝" , serif; font-size: 10.5pt;">[1]</span></span><!--[endif]--></span></span></span></a><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="mso-bidi-language: AR-EG;"> 仏教には</span>、時代が経つにつれて僧侶も戒律を守らなくなり分派の争論により仏法の正しい理解が失われ、教えの形だけが残り中身は失われ、悟り開く者がなくなる「末法<span lang="EN-US">(“sad-dharma-vipralopa”, disappearance of the true dharma)</span>」という考え方があります。日本でも<span lang="EN-US">1052</span>年が末法元年とされ、以来、千年の長い時間を経て末法思想は人々の間に広く行き渡りました。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
イスラームの教えでも、ウンマ(ムスリム共同体)は預言者ムハンマドの時代から堕落を続け、ついには最後の審判を迎えます。最後の審判が何時かは正確には誰にも分かりませんが、最後の審判のさまざまな徴は予言されています。ちなみにマムルーク朝エジプトの大学者スユーティー<span lang="EN-US">(al-Suy</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ūṭī</span><span lang="EN-US"> 1505</span>年没<span lang="EN-US">)</span>は、ムスリムのウンマの寿命を<span lang="EN-US">1000</span>年以上<span lang="EN-US">1500</span>年以下と計算してます。今年は<span lang="EN-US">1441</span>年なのでまだ少し余裕があります。<span lang="EN-US">,<o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
日本の仏教徒の数は人口は約<span lang="EN-US">9</span>割ですが、現代の日本人の思考も行動も釈迦の教えとは殆んど何の関係もないことは日本人なら誰でも知っています。ですから日本人である私には、末法の仏教と同じく、現代のイスラームが形だけでムスリムとは名ばかりであることは、体感的に理解できます。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
キリスト教のように、人が神の子になったり、神の子の代理人がいたり、人に神(聖霊)が憑く、といった概念を持たないイスラームにおいては、誰がムスリムかを判断できるのは、神だけです。しかしイスラームの教えはアッラーとその使徒を信ずる者にしか課されませんから、共同生活を送るには、ムスリムとそうでない者を区別する必要が生じます。ジハードやイスラーム刑法を持ち出さなくとも、食物規定やドレスコードが違えば共同生活が困難なのは、イスラームに限った話ではありません。そこでこの世で暫定的に誰かをムスリムとして扱うかどうか、という問題が生じます。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
カリフとダールルイスラーム(イスラームの家 <span lang="EN-US">d</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US">r al-</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">islām</span>)が存在し、まがりなりにもムスリムが主権を持ち、シャリーア(≒イスラーム法)が通用していた時代には、誰がムスリムか、が問題になることは通常ありませんでした。ムスリムの社会、ムスリムの家庭に生まれた者は自動的にムスリムであり、誰がムスリムかは自明で、あえて問うまでもなかったからです。しかし、カリフがいなくなり、ムスリム世界がヨーロッパ列強によって植民地化され、西欧の法制が押し付けられると状況はすっかり変わってしまいました。名ばかりのムスリムが本当にムスリムか、を問わざるをえないシチュエーションが露呈することになってしまったわけです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
もちろん、既に述べたようにムスリムかどうか、という問いは現世での便宜的な判断であり、他のムスリムについて「その信仰が本物か」を問うものではありません。それは神だけが知ることであり、人間が知ることができることでも、知る必要があることでもないからです。キリスト教とは違いイスラームには内心の信仰を問い質す告解や異端審問のような制度は有りません。人間の内心には干渉しない。これがイスラームにおける「信仰の自由」の意味です。そしてこの世の便宜的な判断はイスラーム法裁判官(カーディー<span lang="EN-US"> q</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">āḍī</span>)が下しますが、イスラーム法裁判官の司法権は預言者ムハンマドの現世の裁定権の延長であるため、カリフ不在の世界では、この便宜的な判断も下せないことになります。これが現在のムスリム社会の混迷の主要な原因の一つです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
4.イスラーム国の誕生の背景<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
イスラームに限らず伝統宗教では、宗教は生得的なものであり、通常それが問題されることはありません。しかし例外的にそれが問われる状況は存在し、イスラーム法にも規定があります。この発表の文脈で重要なのは、学者<span lang="EN-US">(</span>アーリム <span lang="EN-US">‛</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US">lim)</span>と無学者(ジャーヒル
<span lang="EN-US">j</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US">hil</span>)あるいは大衆(アーンミー <span lang="EN-US">‛</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US">mm</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span>)の区別です。無知な大衆には多くを求めるのは無理だとの冷めたリアリズムです。大伝承学者ハーキム(<span lang="EN-US">al-</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">Hākim
</span><span lang="EN-US">1014</span>年没)は「<span lang="EN-US">…</span>地上にクルアーンの一つの節も残っておらず、残っているのは、人々の諸集団の老人や老女が、『我々は、アッラーの他に神はない、とのこの言葉を、父祖たちから受け継ぎ、それを唱えている』ということだけ、となる。」との預言者ムハンマドの予言と、「その『アッラーの他に神はない』との言葉で地獄の業火から救われる」とのムハンマドの高弟フザイファ<span lang="EN-US">(Khudhaifah)</span>の言葉を伝えています。この問題はイスラーム国などのサラフィー・ジハード主義者<span lang="EN-US">(Salaf</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span><span lang="EN-US"> jih</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US">d</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span><span lang="EN-US">)</span>の間でも「無知による免責<span lang="EN-US">(</span><span lang="EN-US" style="font-family: "pmingliu" , serif;">‛</span><span lang="EN-US">udhr bi-jahl)</span>」問題として広く知られ盛んに論じられているものです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
「怪物はあなた方の自身の内側から来たのです(<span lang="EN-US">the monster has come
from your own innards</span>)」とはビダール先生の言葉ですが、イスラーム国 ― ビダール先生が言う「怪物」 ― はまさにムスリムこのムスリム社会の知的、道徳的堕落から生まれたものです。ビダール先生はその慢性病(<span lang="EN-US">chronic illnesses</span>)が、宗教のドグマに対する良心の自由の完全な権利を本当に断固として認める永続するデモクラシーを確立できない無力、政治権力を支配的な宗教的権威から十分に分離できないこと<a href="https://www.blogger.com/null" name="_Hlk19588397">(<span lang="EN-US">powerless in establishing lasting
democracies which really and definitely recognize the complete right of
conscientious freedom towards the religious dogmas; the inability to
sufficiently separate political power from the controlling religious authority</span>)</a>であると書かれています。しかし事実はむしろ、ムスリム社会の慢性病は、人権や平等などのデモクラシーのドグマに対する良心の自由を認めるカリフ制を確立できない無力、宗教的権威を支配的な政治権力から十分に分離できないこと(<span lang="EN-US">powerless in establishing caliphate which recognizes the complete
right of conscientious freedom towards the secular dogmas like democracy, human
rights, and equality; the inability to sufficiently separate religious
authority from the controlling political power</span>)にあります。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
アーノルド・トインビーが「世界の残りと同じく西洋世界の人民の<span lang="EN-US">90</span>%の宗教の<span lang="EN-US">90</span>%はナショナリズム(<span lang="EN-US">nationalism is 90% of the
religion of 90% of the people of the Western World and the rest of the World as
well</span>)」、つまり「国家崇拝<span lang="EN-US">(state worship)</span>」と喝破した通り、ムスリム世界を支配している真の宗教は、イスラームではなく。西欧と同じく民主主義、人権、民族主義<span lang="EN-US">,</span>、国家主義などの世俗主義のイデオロギーです。それは領域国民国家の警察力と軍事力によって、反対者を犯罪者として抹殺するだけでなく、小児期から学校教育の洗脳によって強制されています。ムスリム世界の全ての国で全ての人間を支配しているのは世俗の民主主義によって選ばれた支配者と、議会が定めた法律であり、宗教はその世俗の支配者、議会が「宗教」と認めたもの以外は、たとえクルアーンに明記されていようとも、預言者ムハンマドの言葉であろうとも、非合法化され、それに反対する「自由」はありません。そしてそれらの国家は領域国民国家システムの支配者たちによって正当性を与えられ、つまり欧米諸国の武力によって守られることによって存続しているのです。そして、西欧の真の宗教が、民族主義<span lang="EN-US">(nationalism)</span>、国家崇拝<span lang="EN-US">(state worship)</span>であり、人権も民主主義も平等も全てそれを粉飾するための隠れ蓑に過ぎないことを明らかにしたのがイスラーム国でした。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
5.イスラーム国が明らかにしたもの<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<a href="https://www.blogger.com/null" name="_Hlk19675947">イスラーム国の特徴を一言で言うなら、自由なヒューマニズムの法の支配、</a>つまり法による全ての人間の自由な信仰に基づく支配です。つまり、イスラーム国の理念に共鳴する者であれば誰であれ受け入れ、共に法(<span lang="EN-US">shar</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span><span lang="EN-US">‛ah</span>)に則って支配する、というのがイスラーム国の特徴です。私自身が実際にこの目で見たことですが、イスラーム国の入国審査では、パスポートの提示も求められず、国籍、民族、宗教、思想の違いを問われることなく、誰でも受け入れられます。もちろん、ムジャーヒディーンになって支配する主体になるためには、イスラーム国でもサラフィー・ジハード主義であることが求められたと思いますが、イスラーム国は、万人に開かれています。イスラーム国がインターネットを駆使しして全てのムスリムにヒジュラ(移住)を呼びかけていたことはよく知られています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
欧米がイスラーム国を恐れ、シリアとイラクに干渉して攻め込んだのは、欧米の偽善を暴露するイスラーム国のこの道義的力を恐れたからです。それは欧米によるイスラーム国への攻撃によって故郷を追われたシリア「難民」がヨーロッパに押し寄せたことではっきりします。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
ヨーロッパは、百万あまりのシリアからの「難民」が流入すると、続々と押し寄せる「難民」にパニックに陥り、彼らに国境を閉ざし受け入れを拒否します。今日人権と言われるものの殆どは社会権と呼ばれるもので、普遍的と自称しようとも、ある時代に西欧という一地方の国々の為政者たちが自分たちの趣味と都合で適当に決めた法律に過ぎず、普遍的どころか、アメリカとヨーロッパで大きく違うだけでなく、EU内部でも大きく異なります。特に宗教と政治の関係はそうです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
社会権は、西欧諸国によってこしらえられたローカル・ルールであり、そこに正義などありません。「緯度の三度の違いが、すべての法律をくつがえし、子午線一つが真理を決定する。数年の領有のうちに、基本的な法律が変わる。。川一つで仕切られる滑稽な正義よ。ピレネー山脈のこちら側での真理が、あちら側では誤謬である。<span lang="EN-US">(Trois degrés d’ élévation du pôle renversent toute la
jurisprudence. Un méridien décide de la vérité. En peu d’années de possession
les lois fondamentales changent.. Plaisante justice qu’une rivière borne !
Vérité au-deçà des Pyrénées, erreur au-delà.)</span>」とのパスカルの言葉は今も真理です。しかし他方、 人権の中でも、自由権、特に社会契約以前による国家の成立以前から存在した、と措定される自然権には、ある程度の時代と地域を超えた「普遍性」があります。その中でも最も基本的な権利は私見では移動の自由(<span lang="EN-US">freedom of movement</span>)です。人間は陸であれ、海であれ、空であれ、好きな時に好きな処に移動することが出来ます。移動の自由を妨げることは誰にも許されません。人種であれ、民族であれ、宗教であれ、言語であれ、国籍であれ、人間を差別し、人為的な国境によって中の人間を閉じ込め、外の人間を締め出すことは、人権侵害です。国境により人間の移動の自由を妨げる領域国民国家の正当性を認める者は一人の例外もなく全員が、自由も平等も人権もヒューマニティーも口にする資格がないばかりでなく、「人道に対する罪(<span lang="EN-US">crime against humanity</span>)」を犯しているのです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
戦火を逃れ故郷を捨て安住の地を求めて彷徨う者の移動の自由を奪う者に、自由も平等も人権もヒューマニティーも語る資格は有りません。特にその「難民」たちが故郷を捨てざるをえなくなった原因が自分たちの空爆による責任者であるなら猶更です。百万人の難民が流入したことで<span lang="EN-US">EU</span>はシリア難民の拒否を宣告し、スロバキアのロベルト・フィツォ首相は、「自国にはイスラム教徒を<span lang="EN-US">1</span>人たりとも入れない」と明言し、ハンガリーのオルバン首相も、移民の流入を拒絶するために国境にフェンスを設け、ムスリム移民は受け入れられない、と述べました。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
<span lang="EN-US">EU</span>とトルコの対応を比較すると、問題はより明確になります。人権の擁護者をもって任じ他国にもそれを押し付けるEU、西欧諸国と違い、あからさまなトルコ民族主義を国是とする「国民国家」であるトルコですが、<span lang="EN-US">350</span>万人のシリア難民を受け入れています。言うまでもなく、シリア人は他国民であるだけでなく民族的にもトルコ人ではなく異民族のアラブ人です。しかし、いきなり<span lang="EN-US">350</span>万人もの難民が流入したことでさまざまな社会経済的問題が起き難民に対する不満が高まっているにもかかわらず、コスモポリタンな<span lang="EN-US">AKP</span>は言うまでもなく、トルコ民族主義の<span lang="EN-US">CHP</span>(人民共和党)だけでなく、極右トルコ超民族主義の民族主義行動党(<span lang="EN-US">MHP</span>)の支持者の間ですら、<span lang="EN-US">EU</span>のネオナチのような極右排外主義集団による難民の追放運動は生じていません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
面積約<span lang="EN-US">80</span>万㎡、人口約<span lang="EN-US">8</span>千万人、<span lang="EN-US">GDP</span>約<span lang="EN-US">2</span>兆ドルのトルコが<span lang="EN-US">350</span>万人の異民族の難民を受け入れることが出来るのに、面積<span lang="EN-US">400</span>万㎡以上、人口約<span lang="EN-US">5</span>億人、<span lang="EN-US">GDP22</span>兆ドルの<span lang="EN-US">EU</span>が<span lang="EN-US">100</span>万人の難民しか受け入れられないというのはどういうことでしょうか。このことは、西欧人にとって、人権、平等、自由、ヒューマニティーなどはせいぜい自己欺瞞の建前でしかなく、真の行動原理は、排外民族主義と拝金主義であることを示しています。リヴァイアサン崇拝とマモン崇拝の多神教徒であることで、<span lang="EN-US">EU</span>もサウディアラビアも五十歩百歩でしかありません。もちろん、中で暮らす者にとって、五十歩と百歩の差は重要ですが、私のような哲学者にとっては理論的な差はありません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
移住して来ようとする者たちを締め出した上で<span lang="EN-US">EU</span>の内部の人間にしか保証されない権利は<span lang="EN-US">EU</span>市民の「特権」でしかなく、人間の普遍的権利「人権」ではありません。人権というものがもしも存在するなら、それは特定の人間だけでなく、例外なく全ての人間が有するもののはずです。国籍で人を差別し、難民に自国領に入国する移動の自由さえ与えもせず、他国の人間には自分たちの価値観を押し付けようとする西欧人は、自由、平等、人権、ヒューマニティー、民主主義の擁護者などではなく、自民族優越思想に染まった帝国主義者に過ぎません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
イスラーム国の戦いは、ヒューマニティーを否定する西欧の領域国民国家の支配から人類を解放し、自由なヒューマニズムの法の支配を確立するためのものであり、私たちはイスラーム国を崩壊させたことで、人類の解放の夢を自らつぶしたことになるのです。イスラーム国には別のさまざまな問題があることを私は否定しませんし、イスラーム国がユートピアでないことは言うまでもありませんが、それはヒューマニズムとはまた別の話です。ビダール先生は「経済危機の解決だけによってではなく、本質的に我々人類全体に関わる前例のない精神的<span lang="EN-US">/</span>霊的危機の解決によってしか人類の未来はない。我々はこの根本的な挑戦に応えるために、全地球規模で、一つに纏まることができるだろうか?(<span lang="EN-US">the future of humanity will occur not only by the resolution of the
financial crisis, but essentially by the resolution of the spiritual crisis
without precedent which involves our humanity in its entirety. Saurons-nous
tous nous rassembler, à l'échelle de la planète, pour affronter ce défi
fondamental ?</span>)」と言われています。しかし、そのためには、まず地上の全ての人間が、領域国民国家という牢獄、国境という檻から解放され、望むままに望むところに、<span lang="EN-US">EU</span>であれ、アメリカであれ、日本であれ、イスラーム国であれ、移住することができるようにすることであり、「知識人」の役目は、なによりもまず、それを訴えることだと私は信じています。ですから。我々がなすべきことは、イスラーム国をつぶすことでなく、イスラーム国の成立を奇貨として、イスラーム国のオルタナティブとなる「ヒューマニズムの法の支配」を提示すること、即ち、欧米は国籍による差別を廃して地上の全ての人間に平等な社会権とヘゲモニー国家群の為政者の選挙権を与えること、ムスリム世界はアブー・バクル・バグダーディーに不満なら、より相応しいと自分たちが考えるカリフを擁立することであったはずです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
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<br /></div>
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6.スーフィズムと宗教間対話<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
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ビダール先生は、人類全体に関わる精神的<span lang="EN-US">/</span>霊的危機の解決の希望を、スーフィズム、特に哲学的スーフィズムによる<a href="https://www.blogger.com/null" name="_Hlk19739757">宗教間対話</a>(<span lang="EN-US">interreligious dialogue, ecumenism</span>)に託しているように思いますが、残念ながら私は賛同できません。私自身、一神教学際研究センターの幹事の資格で研究者として、日本ムスリム協会の理事の資格で宗教者として、数多くの宗教対話に参加してきました。また時祷<span lang="EN-US">(wird)</span>も実践しない怠慢な徒弟<span lang="EN-US">(murid, apprentice)</span>ですのであまり名乗りませんが、最初に述べたようにナクシュバンディーヤ、シャーズィリーヤの教団とバイア(誓約)を交わしたスーフィーであり、<span lang="EN-US">Ibn Qud</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US">mah(620</span>年没<span lang="EN-US">)</span>と<span lang="EN-US">Ibn
al-Jawz</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span><span lang="EN-US">(597</span>年没<span lang="EN-US">) </span>から法衣<span lang="EN-US">(khirqah)</span>を受け継いだカーディリー教団の導師であったイブン・タイミーヤを信奉するイスラーム学者として、初学者向けの入門書<span lang="EN-US">Mu</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ḥ</span><span lang="EN-US">ammad Am</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span><span lang="EN-US">n Kurd</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span><span lang="EN-US">(1914</span>年没<span lang="EN-US">)</span>著『シャーフィイー師の学派に則り宗教学を学ぶ初学者の悦び(<i><span lang="EN-US">Sa‛</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US">dah al-mubtadi</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "ms 明朝" , serif;">'</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span><span lang="EN-US">n f</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span><span lang="EN-US"> ‛ilm al-d</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span><span lang="EN-US">n ‛al</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US"> madhhab al-Im</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US">m al-Sh</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US">fi‛</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span></i><span lang="EN-US">)</span>、またオスマン朝期スーフィズムの最高峰と信ずる<span lang="EN-US">‛Abd al-Ghan</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī</span><span lang="EN-US"> al-N</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ā</span><span lang="EN-US">bulus</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ī(1731</span><span style="mso-ascii-font-family: "Times New Roman"; mso-bidi-font-family: "Times New Roman"; mso-hansi-font-family: "Times New Roman";">年没</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">)</span><span style="mso-ascii-font-family: "Times New Roman"; mso-bidi-font-family: "Times New Roman"; mso-hansi-font-family: "Times New Roman";">の『イスラームの真義(</span><i><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">Ḥaqā</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "ms 明朝" , serif; mso-bidi-font-family: "Times New Roman";">'</span></i><i><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">iq al-islām</span></i><span style="mso-ascii-font-family: "Times New Roman"; mso-bidi-font-family: "Times New Roman"; mso-hansi-font-family: "Times New Roman";">)』を翻訳するなど、スーフィズムの意義を認めています。しかし現代のスーフィーにも宗教間対話にもポジティブな意味があるとは思いません。</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
現代においてムスリム世界のスーフィーたちは、人民を抑圧搾取する腐敗堕落した支配者たちの言動を<span lang="EN-US">100</span>%唯々諾々と誉めそやし、彼らにイスラーム的正当性の外観を与えるためだけに存在を許されている茶坊主に成り下がっており、西欧的な基準に照らしても、イスラーム的にも、人類に対してもムスリム世界に対してもポジティブな貢献は見当たりません。彼らの役目は、支配者たちのあからさまなイスラームからの逸脱を糾弾する者に、「原理主義者」、「過激派」、「形式主義者」、「テロリスト」などのレッテルを貼ることだけです。スーフィーたちはこの世の支配者たちの政策を<span lang="EN-US">100</span>%追認しますが、スーフィーの提言によって政策や立法が変わった、という話は一つも聞きません。もしイスラームの教養もない腐敗堕落した支配者たちの思い付きの政策が、すべてスーフィーたちによって賛同できるものであるなら、スーフィーだけの知る深遠な知恵など最初からどこにもないことになります。またスーフィーの精神性<span lang="EN-US">/</span>霊性が、合理的に理解可能な行動や言葉によって示される、つまり祈りが聞き届けられることによる、というなら、アラブのスーフィズムの中心であるシリアでなぜ<span lang="EN-US">25</span>万人が殺され、<span lang="EN-US">500</span>万人が難民になっているのでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
欧米で活動するスーフィーも事情は同じで<a href="https://www.blogger.com/null" name="_Hlk19749875">、欧米で自分たちが築いてきた既得権を失い、迫害、追放されないように、保身に汲々とするばかりで</a>、ポジティブな貢献は何もありません。彼らは欧米に敵対的なアルカーイダやイスラーム国などのためにイスラームフォビアが高まり、自分たちが巻き添えにならないために、彼らはイスラームとは無関係であり、自分たちこそが真のムスリムであると論証し、欧米社会に適応した宗教であるとのお墨付きを得るために西欧の宗教者たちとの宗教間対話に精を出しますが、欧米内部の不公正であれ、欧米と第世界の間の不公正であれ、あるいは地域紛争であれ、行動によってであれ、言論によってであれ、祈りの力によってであれ、なんら解決せず、また男女平等、思想の自由、宗教的寛容、デモクラシーなど西欧の流行の後追いの猿真似以外に、欧米に対してイスラーム、あるいはスーフィズムに独自なポジティブなオルタナティブを提供したという話も聞きません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
プロテスタント神学者小原克博が以下のように述べているように、政教分離と宗教対話が思想の自由や宗教的寛容をもたらさず国家崇拝、排外的ナショナリズムの道具になることは、大日本帝国の歴史が証明しています。「日本近代史においても、万国宗教大会(<span lang="EN-US">1893</span>年)や宗教家懇談会(<span lang="EN-US">1896</span>年)のように、現代の宗教間対話に近いものがあった。しかし、宗教同士の宥和が進むことは、必ずしも日本社会全体が寛容な社会となることを意味しなかった。 ―中略― 宗教の共存そのものが国家秩序に組み込まれ、政教分離の形式のもとに、排他的なナショナリズムの一部として機能した(<span lang="EN-US">In the modern age of Japan there were already interreligious
dialogues such as the World's Parliament of Religions (1893) and the Council of
the Religious Leaders (1896), which seem to be comparable with the contemporary
ones. However, cooperation between religions did not always result in the
tolerant Japanese society as a whole.</span>“ <span lang="EN-US">T</span>”<span lang="EN-US">he coexistence of religions have been embedded into the national
order and played a role of exclusive nationalism in the separation of state and
religion”</span>)。エラノス会議(<span lang="EN-US">Eranos</span>)にも参加し、日本的霊性の唱道者として国際的に有名な鈴木大拙も、日本の軍国主義だけでなくナチスにも賛同していました。政教分離の名の下に民族主義、国家主義を容認する宗教者に高い霊性など期待できません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
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7.モンゴルの寛容とイスラーム世界の世俗化<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
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西洋では政教分離、より正確には「国家と教会の分離」、は近代的価値のように思われていますが、実は、東アジアでは見慣れた光景です。もっとも正確には近代西欧が言う政教分離とは国家により宗教管理であり、むしろ<span lang="EN-US">Weber</span>宗教社会学の「皇帝教皇主義(<span lang="EN-US">Caesaropapism</span>)」に近いものですが。そしてそれはイスラーム世界でも既に経験済みのものです。モンゴルの支配です。モンゴルの侵入により、西遼(<span lang="EN-US">Qara-Khitai, 1218</span>年滅亡)、ホラズムシャー朝(<span lang="EN-US">Khwarazmian
dynasty, 1231</span>年滅亡)、ルーム・セルジューク朝(<span lang="EN-US">Seljūqs of Rūm, 1243</span>年服属)、アイユーブ朝(<span lang="EN-US">Ayyubids, 1250</span>年滅亡)、アッバース朝カリフ国(<span lang="EN-US">Abbasids, 1258</span>年)が滅亡し、イスラーム世界は壊滅的な打撃を蒙ります。モンゴル帝国は血統を重んずる「民族主義」国家でしたが、特定の宗教を公定宗教とせず全ての宗教を保護する「モンゴルの寛容」と呼ばれる政教分離政策を特徴としました。東アジアの元<span lang="EN-US">(Yuan)</span>朝は滅亡まで政教分離政策を続けましたが、残りの3帝国イル・ハーン国(<span lang="EN-US">Ilkhanids
</span>)、キプチャク・ハーン国(<span lang="EN-US">Golden Horde</span>)、チャガタイ・ハーン国(<span lang="EN-US">Chagatayids</span>)はイスラーム化します。支配者のガーザーン・ハーン(<span lang="EN-US">1304</span>年没)のイスラーム改宗後日が浅くモンゴル的「世俗主義」の特徴をまだ色濃く残していたイル・ハーン国に和平使節として訪れたイブン・タイミーヤが当時の状況について貴重な証言を残しています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
彼らは名目的にムスリムにはなっており、イスラームを尊重してはいますが、義務は一部しか果たしておらず、偶像崇拝にも「寛容」です。しかし何より重要なことは、彼らがそのために戦う究極の忠誠の基準がモンゴル帝国の敵か味方かであり、従うべきは支配者の命令であることです。味方であれば異教徒とでも戦わず、敵であればムスリムとでも戦い、神の命令に則っているか反しているかに関係なくて支配者の命令に従うのです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
イブン・タイミーヤは言います。「たとえアッラーとその使徒の敵である不信仰者であろうとも、モンゴル帝国のために戦う者ならば、むしろ賞賛したりそのまま好きにさせておくが、逆にモンゴル帝国から離反したり、反抗する者に対しては、たとえそれが模範的なムスリムであろうとも、戦うことを認める(<span dir="RTL" lang="AR-SA" style="font-family: "arial" , sans-serif; font-size: 11.0pt;">بل من قاتل
على دولة المغول عظموه وتركوه وإن كان كافرا عدو الله ورسوله وكل من خرج عن دولة المغول
أو عليها استحلوا قتاله<span style="mso-spacerun: yes;"> </span>وإن كان من خيار المسلمين</span><span dir="LTR"></span><span dir="LTR"></span><span dir="LTR"></span><span dir="LTR"></span>)」この記述はイスラーム国と戦うムスリム世界の「世俗国家」に住む領域国民国家リヴァイアサン崇拝者たちにそのまま当てはまります。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
またイブン・タイミーヤは言います。「彼らにとってのムスリムというものは、ムスリムたちにとっての、自分たちの中の公正な者、行い正しい者、義務(のみならずそれ)以上の良いことを進んで行う者といった存在であり、彼らにとっての不信仰者とは、ムスリムにとっての、自分たちの中の不正な者、最低限の義務しか行わない者といった者に等しいということである。(<span dir="RTL" lang="AR-SA" style="font-family: "arial" , sans-serif; font-size: 11.0pt;">المسلم عندهم
بمنزلة العدل أو الرجل الصالح أو المتطوع في المسلمين والكافر عندهم بمنزلة الفاسق
في المسلمين أو بمنزلة تارك التطوع</span><span dir="LTR"></span><span dir="LTR"></span><span dir="LTR"></span><span dir="LTR"></span>)」<a href="file:///D:/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%82%8B%E8%A6%96%E7%B7%9A%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%8C%AF%E7%99%BA%E8%A1%A8%E5%8E%9F%E7%A8%BF%E8%A8%82%E6%AD%A3%E7%89%88.docx#_ftn2" name="_ftnref2" style="mso-footnote-id: ftn2;" title=""><span class="MsoFootnoteReference"><span lang="EN-US"><span style="mso-special-character: footnote;"><!--[if !supportFootnotes]--><span class="MsoFootnoteReference"><span lang="EN-US" style="font-family: "游明朝" , serif; font-size: 10.5pt;">[2]</span></span><!--[endif]--></span></span></span></a><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
世俗主義のイル・ハーン国のムスリムたちにとっては、ムスリムとは善良な人、不信仰者とは邪悪な人、ほどの意味しか持ちません。このイブン・タイミーヤの言葉もまた、政教分離の名によってイスラームを西欧キリスト教的な「宗教」に切り詰め、法的側面、政治的側面をイスラームから切り離した現代の世俗主義者のムスリムたちが口にしたとしても、少しも違和感がありません。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
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結語<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
既に述べたように、政教分離や世俗主義は、西欧では最新の流行ではあっても、東アジアでは馴染みのものです。そしてイスラーム世界もまた政教分離・世俗主義のモンゴル帝国による支配によって遥か昔に通り過ぎた道です。もちろん、過去の世俗主義と現代の世俗主義、過去の民族主義と現代の民族主義とは違います。現代の民族主義、世俗主義は、「代表<span lang="EN-US">(representation)</span>」と「法人<span lang="EN-US">(legal body)</span>」という誤魔化しの<span lang="EN-US">(delusive)</span>フィクションによって個々の人間が抵抗できないまでに肥大化し人間の精神と肉体を完全に支配し奴隷化する「可死の神<span lang="EN-US">(Mortal God)</span>」リヴァイアサンを主神とする偶像崇拝です。この偶像神は「大量破壊兵器」で武装した軍隊と警察の暴力を背景に、学校とマスメディアという洗脳機関を通じて、ナショナリズム、エタティズムの教義を、信仰の対象、即ち「宗教」ではなく、普遍的真理であるかのように教え込みます。このリヴァイアサンの許では「宗教」は、リヴァイアサンに隷属する限り、慣習や趣味のように、生き方の本質に社会に影響を与えず、人生の本質に無関係な些末事として「自由」を与えられるのです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
タウヒード<span lang="EN-US">(taw</span><span lang="EN-US" style="font-family: "times new roman" , serif;">ḥīḍ</span><span lang="EN-US">, unification)</span>の教えとしてのイスラームの現代における使命は、精神、身体、社会、経済、政治の全てにおいて超越者のみを志向することにより、被造物によるあらゆるしがらみから解放された自由を全ての人類にもたらすことだと私は信じています。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
「木を見て森を見ず」という諺があります。ムスリム世界の最果て、アブラハムの宗徒が<span lang="EN-US">1</span>%もいない極東に生きるムスリムには、アブラハムの宗徒の世界、ムスリム世界の住人には距離が近すぎて見えないイスラームの全景、本質がかえって見通せる、ということもあるのではないでしょうか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
私見では、我々が生きる現代世界のリヴァイアサン崇拝の本質を理解するためには、ヘレニズム・キリスト教の「受肉<span lang="EN-US">(incarnation)</span>」の概念にまで遡った哲学・神学的分析が必要となります。しかしそれは割り当てられた発表時間と私の能力を超えています。いつか改めて議論する機会があるなら、発表者にとって望外の幸せです。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div align="center" class="MsoNormal" style="text-align: center;">
―――――――――――――――――――――――――――――――――――<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div align="center" class="MsoNormal" style="text-align: center;">
参考文献<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
中田考『イスラーム国訪問記』(<span lang="EN-US"> 2019</span>年<span lang="EN-US">3</span>月、現代政治経済研究社)<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span lang="EN-US">[</span>本書は一般書店では取り扱っておらず、<span lang="EN-US">Amazon.co.jp</span>で販売、発送<span lang="EN-US">]<o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 1.0; text-indent: 10.5pt;">
筆者は「イスラーム国」とその前身である「ヌスラ(助勢)戦線」、「イラクとシリアのイスラーム国」を、<span lang="EN-US">2013</span>年<span lang="EN-US">3</span>月、<span lang="EN-US">9</span>月、<span lang="EN-US">12</span>月、<span lang="EN-US">2014</span>年<span lang="EN-US">3</span>月、9月と計<span lang="EN-US">5</span>回にわたって訪問した。本書は「<span lang="EN-US">ASAHI</span>中東マガジン」に連載されたその記録「イスラーム国訪問記」を大幅に書き直し、未発表の資料と写真を組み込み、新たにイスラーム国の思想と歴史に関する解説、ラッカ在住のキリスト教徒に対して行ったインタビューの翻訳、イスラーム法上の異教徒の取り扱い規定、及びそのインタビューに同行した戦場カメラマンの横田徹氏の手記を新たに加えて編集したものである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div style="mso-element: footnote-list;">
<!--[if !supportFootnotes]--><br clear="all" />
<hr align="left" size="1" width="33%" />
<!--[endif]-->
<br />
<div id="ftn1" style="mso-element: footnote;">
<div class="MsoFootnoteText" dir="RTL" style="direction: rtl; text-align: right; unicode-bidi: embed;">
<a href="file:///D:/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%82%8B%E8%A6%96%E7%B7%9A%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%8C%AF%E7%99%BA%E8%A1%A8%E5%8E%9F%E7%A8%BF%E8%A8%82%E6%AD%A3%E7%89%88.docx#_ftnref1" name="_ftn1" style="mso-footnote-id: ftn1;" title=""><span class="MsoFootnoteReference"><span dir="LTR" lang="EN-US"><span style="mso-special-character: footnote;"><!--[if !supportFootnotes]--><span class="MsoFootnoteReference"><span lang="EN-US" style="font-family: "游明朝" , serif; font-size: 10.5pt;">[1]</span></span><!--[endif]--></span></span></span></a><span dir="RTL"></span><span lang="EN-US" style="font-family: "arial" , sans-serif; font-size: 11.0pt;"><span dir="RTL"></span> </span><span lang="AR-SA" style="font-family: "arial" , sans-serif; font-size: 11.0pt;">قال رسول الله صلى الله عليه وسلم: يوشك الأمم
أن تداعى عليكم كما تداعى الأكلة إلى قصعتها. فقال قائل: ومن قلة نحن يومئذ</span><span lang="AR-SA" style="font-family: "times new roman" , serif; font-size: 11.0pt;">. قال: بل أنتم يومئذ كثير ولكنكم غثاء كغثاء السيل ولينزعن الله من صدور
عدوكم المهابة منكم وليقذفن الله في قلوبكم الوهن. قال</span><span lang="AR-SA" style="font-family: "arial" , sans-serif; font-size: 11.0pt;"> قائل: يا رسول الله وما الوهن قال: حب الدنيا
وكراهية الموت.<span style="mso-spacerun: yes;"> </span>(أخرجه أبو داود) </span><span dir="LTR" lang="EN-US" style="font-family: "ms 明朝" , serif; mso-bidi-font-family: "Times New Roman";"><o:p></o:p></span></div>
</div>
<div id="ftn2" style="mso-element: footnote;">
<div class="MsoFootnoteText">
<a href="file:///D:/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%82%8B%E8%A6%96%E7%B7%9A%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%8C%AF%E7%99%BA%E8%A1%A8%E5%8E%9F%E7%A8%BF%E8%A8%82%E6%AD%A3%E7%89%88.docx#_ftnref2" name="_ftn2" style="mso-footnote-id: ftn2;" title=""><span class="MsoFootnoteReference"><span lang="EN-US"><span style="mso-special-character: footnote;"><!--[if !supportFootnotes]--><span class="MsoFootnoteReference"><span lang="EN-US" style="font-family: "游明朝" , serif; font-size: 10.5pt;">[2]</span></span><!--[endif]--></span></span></span></a><span lang="EN-US"> </span>問題の民(タタール)は、その軍隊は、不信仰のキリスト教徒や多神教徒も含んでいるが、大多数は求められれば(イスラームの)信仰告白の言葉を唱え、使徒を讃えてみせるようなムスリムを名乗る者からなるのであるが、礼拝をする者はごく少数にしか過ぎない。ラマダーンの斎戒(断食と禁欲)は(日常の)礼拝よりは守られている。また彼らはムスリムを他の者たちより優遇しており、さらに彼らの許では真面目なムスリムは敬意が払われている。彼らはイスラームを部分的に実践しており、イスラームの遵守の度合において様々なのではあるが、彼らの大半の依って立つ立場、彼らが戦う立場は、イスラームの諸規定の多くを、あるいは、そのほとんどを無視していることを示している。なぜならば、彼らは最初にイスラームへの入信を義務づけたとしても、その諸規定の遵守を怠る者と戦おうとはしないからである。いや、むしろ彼らは、たとえアッラーとその使徒の敵である不信仰者であろうとも、モンゴル帝国のために戦う者ならば、むしろ賞賛したりそのまま好きにさせておくが、逆にモンゴル帝国から離反したり、反抗する者に対しては、たとえそれが模範的なムスリムであろうとも、戦うことを認めるのである。また彼らは不信仰者に対してジハードを行わず、啓典の民にジズヤ(人頭税)を課し卑しめることもなく、彼らの兵隊たちの誰であれ、太陽や月など好きなものを崇拝するのを禁じようともしない。つまり、彼らの行ないから明らかなことは、彼らにとってのムスリムというものは、ムスリムたちにとっての、自分らの中の公正な者、行い正しい者、義務(のみならずそれ)以上の良いことを進んで行う者といった存在であり、彼らにとっての不信仰者(カーフィル)とは、ムスリムにとっての、自分たちの中の不正な者、最低限の義務しか行わない者といった者に等しいということである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoFootnoteText">
また、彼らの多くは、彼らの支配者(スルタン)が禁じるのでない限り、ムスリムの生命、財産を不可侵としない、つまり、それに手を付けずにはおかない。彼らは支配者(スルタン)がそうしたことを禁じた場合にはそれに従うが、それは命じた者が王だからであって、イスラームの教えのみによるのではないのである。また、彼らの大半は、礼拝、喜捨、巡礼などの義務を遵守せず、自分たちの間の裁きをアッラーの定めに基づいて行わず、彼らの慣習法に基づいて裁くのであるが、それはイスラームに一致していることもあれば、背反していることもある(<span dir="RTL" lang="AR-EG" style="font-family: "arial" , sans-serif; font-size: 11.0pt;">فهؤلاء القوم المسؤول عنهم(ا دَولَة الإلخانية) عسكرهم
مشتمل على قوم كفار من النصارى والمشركين وعلى منتسبين إلى ألإسلام وهم جمهور
العسكر ينطقون بالشهادتين إذا طلبت منهم يعظمون الرسول وليس فيهم من يصلي إلا قليل
جدا وصوم رمضان أكثر فيهم من الصلاة وأعظم من غيره والصالحين من المسلمين عندهم
قدر وعندهم من الإسلام بعضه وهم متفاوتون فيه لكن الذي عليه عامتهم والذي يقاتلون
عليه متضمن لترك من شرائع الإسلام أو أكثرها. فإنهم أولا يؤجبون الإسلام ولا
يقاتلون من تركه. بل من قاتل على دولة المغول عظموه وتركوه وإن كان كافرا عدو الله
ورسوله وكل من خرج عن دولة المغول أو عليها استحلوا قتاله<span style="mso-spacerun: yes;"> </span>وإن كان من خيار المسلمين. فلا يجاهدون الكفار
ولا يلزمون أهل الكتاب بالجزية والصغار ولا ينهون أحدا من عسكرهم أن يعبد ما
شاء<span style="mso-spacerun: yes;"> </span>من شمس أو قمر أو غيرذلك. بل الظاهر
من سيرتهم أن المسلم عندهم بمنزلة العدل أو الرجل الصالح أو المتطوع في المسلمين والكافر
عندهم بمنزلة الفاسق في المسلمين أو بمنزلة تارك التطوع. </span><span dir="RTL" lang="AR-SA" style="font-family: "arial" , sans-serif; font-size: 11.0pt;">كذلك أيضا عامتهم لا يحرمون دماء المسلمين واموالهم
إلا أن ينهاهم عنها سلطانهم أي لا يلزمون تركها وإذا نهاهم عنها أو غيرها أطاعوه لكونه
سلطانا لا بمجرد الدين</span><span dir="LTR"></span><span dir="LTR"></span>)。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></div>
</div>
</div>
<br /></div>
hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-74235912123261981322018-11-17T23:04:00.000+09:002018-11-18T01:15:10.100+09:002018/11/17 於:京都エデン 「どうなるサウディアラビア? ―トルコとサウディの250年戦争―」<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
2018/11/17 於:京都エデン<br />
「どうなるサウディアラビア? ―トルコとサウディの250年戦争―」<br />
中田考(同志社大学客員教授)<br />
<br />
1.<span style="white-space: pre;"> </span>サウディ崩壊のシナリオ:カショギー(ジャーナリスト暗殺)事件で顕在化<br />
2018年10月2日:サウディ在イスタンブール総領事館で殺害<br />
トランプがサルマン国王に「お前の王座は米国の軍事支援がなければ2週間もたない」<br />
サルマン皇太子「サウディはアメリカができる30年前1744年からここにある」<br />
2.<span style="white-space: pre;"> </span>サウディ(第2代アブドゥルアズィーズ在位1765-1803年)-トルコ250年戦争<br />
1818年:オスマン朝のエジプト総督ムハンマド・アリーにより第一次王国滅亡<br />
2018年3月:エジプトのメディアに対してムハンマド皇太子<br />
「オスマン・トルコ(Ottoman)とイランとテロリスト(ムスリム同胞団、IS)は悪の三極枢軸、トルコのエルドアンはカリフ制を押し付けようとしている。」<br />
3.<span style="white-space: pre;"> </span>サウディの特殊性<br />
オスマン帝国存在時にその権威に挑戦、1902年にリヤド首長国として独立。<br />
領域国民国家システムによって承認される前からイスラーム国家として存在。<br />
4.カリフ制としてのサウディアラビア<br />
ワッハーブ派のジハードは、オスマン帝国の支配の正当性を支える当時のスンナ派イスラームに対する全面的否定による「宗教/政治的殲滅戦」。<br />
5.1744年サウディ・ワッハーブ派政教盟約<br />
1744年、ダルイーヤ(リヤド市の一部)でイマーム(教主)イブン・サウード(その末裔がサウディ王家)とシャイフ(首長)イブン・アブドゥルワッハーブ(その末裔がシャイフ家)が「政教盟約」が締結され、ワッハーブ派教団国家成立。<br />
ジハードによるワッハーブ派の教義広宣により、サウード家はナジュドの覇者となり、孫の大サウード(在位1803-14年)の時代には東はアフサー、カティーフからカタルまで、西はヒジャーズ地方全域、北はアラビア半島を越えてシリア、イラクの一部まで、南はアスィール、ナジュラーンからイエメンとオマーンの一部を支配下におき、アラビア湾から紅海に至るサウド家最大の版図を実現。<br />
サウディアラビアは教義的にジハードによる宣教を正当化するのみならず、財政的にも存続のために構造的に不断のジハードによる戦利品収入を要請する軍事拡張主義国家。<br />
5.ワッハーブ派の基本教義と政治理念、国家原理<br />
ワッハーブ派はスンナ派超正統主義アフル・ハディース-サラフィー主義の一派<br />
スンナ派のハディース、クルアーンのみの権威を認め、外来思想、後代の権威否定<br />
特殊ワッハーブ派的思想は政治思想:政教盟約に凝縮されている。<br />
政治理念:①タウヒードの宣教②善の命令と悪の禁止③イスラーム法の厳格な施行<br />
国家原理:①ジハードによる宣教②サウード家の王政の承認③無課税財<br />
6.<span style="white-space: pre;"> </span>第三次王国の成立<br />
第二次王国の最後の教主(イマーム)アブドゥッラフマ―ンの息子アブドゥルアズィーズ(1902-1953年)がリヤドを奪回しナジュドを平定し1902年リヤド首長国を建国。<br />
1913年アハサーを落とし東部州に覇権確立<br />
1925年ヒジャーズ全域制圧(オスマン帝国1922年滅亡)<br />
1926年にはナジュド・ヒジャーズ王国の建国を宣言<br />
1932年サウディアラビア王国と改称<br />
1934年にはイエメンと戦いアスィール地方を併合、軍事的拡大ほぼ終結。<br />
7.<span style="white-space: pre;"> </span>ワッハーブ派教団国家の変質<br />
ジハードを続けるワッハーブ派屯田兵イフワーンを1929年のシビラの戦いで殲滅<br />
*<span style="white-space: pre;"> </span>ジハードによるタウヒードの宣教は、政教盟約に基づくワッハーブ派教団国家樹立のレゾンでトール。ジハード放棄はワッハーブ派教団国家の決定的な変質の印。<br />
*<span style="white-space: pre;"> </span>以後サウディアラビアは、リアルポリティクスにおいて、西欧の領域国民国家システムに完全に組み込まれながら、ワッハーブ派の3つの政治理念と3つの国家原理を掲げる建前を維持し続ける難しい舵取りを強いられることになる。<br />
8.<span style="white-space: pre;"> </span>冷戦とOICの結成<br />
冷戦構造下で、1950年代から60年代にかけてアラブ社会主義の既成秩序への挑戦に対抗し湾岸の王制諸国や保守的なモロッコやヨルダンなどのアラブ王制諸国を糾合し、イスラーム外交の名の下にアラブ社会主義を共産主義=無神論と断じるイデオロギー闘争を展開したのがサウディアラビアの故ファイサル国王(当時の皇太子)。1962年マッカに本部をおく世界のイスラーム団体の調整・支援機関世界イスラーム連盟結成。<br />
エジプト・シリア統合の失敗、シリア・イラク両バアス党の分裂、エジプトのイエメン内戦介入の失敗、第三次中東戦争の敗北などによって、アラブ社会主義は最終的に自壊。ファイサルのイスラーム外交は、1969年のOIC(イスラーム諸国会議機構、後のイスラーム協力機構)の創設決定に結実<br />
9.<span style="white-space: pre;"> </span>ムスリム同胞団の庇護<br />
全体主義抑圧体制アラブ社会主義諸国(エジプト、シリア、イラク等)の「宗教弾圧」を逃れたムスリム同胞団員にサウディアラビアはかっこうの亡命先を提供した。<br />
ワッハーブ派は極めて偏狭であったが、この時期には無神論のアラブ社会主義という共通の敵を前にしてスンナ派イスラーム主義改革派の諸グループを支援し共闘。<br />
10.<span style="white-space: pre;"> </span>反人定法論の成立<br />
1960年代にアラブ社会主義とのイデオロギー闘争の中で、シャイフ家のサウディアラビア初代ムフティー(教義諮問官)ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アール・アッシャイフ(1969年没)『人定法に裁定を求めること(Taḥkīm al-Qawānīn)』執筆。<br />
11.<span style="white-space: pre;"> </span>イラン・イスラーム革命、GCCの結<br />
12.<span style="white-space: pre;"> </span>ホメイニーの「イスラーム法学者の後見」理論に基づいて建国されたイラン・イスラーム共和国は、イラン・イスラーム革命をイラン一国を越えるイスラーム革命と位置づけ、「革命輸出」戦略をとった。ワッハーブ派はシーア派を不倶戴天の仇とみなし、イラクに侵攻しシーア派の聖地カルバラーやナジャフで住民を虐殺し、東部州のシーア派住民に対しても異教徒として扱い迫害。<br />
ホメイニーはイスラーム共和国を樹立するや、「世界イスラーム解放運動機構」、サウディアラビアにも「アラビア半島イスラーム革命組織」を組織。<br />
13.<span style="white-space: pre;"> </span>イラン・イスラーム共和国の成立以降、スンナ派のワッハーブ派宣教国家サウディアラビアとイラン・イスラーム共和国が主導権を争う国際イスラーム運動の基本構図定着。<br />
王制批判の国内への波及防止のため、イラン封じ込め政策。<br />
国内的には、シーア派を憎むワッハーブ派を重用。<br />
国際的には①1981年に湾岸王制諸国(クウェート、アラブ首長国連邦、バハレーン、カタル、オマーン)を糾合し集団安全保障体制構築を目指してGCC(湾岸協力会議)を結成。②世界イスラーム連盟などの配下の国際イスラーム団体を通じて世界のスンナ派イスラーム諸運動を支援しイランに対抗してイスラーム世界の盟主の地位の確保をはかる。<br />
14.<span style="white-space: pre;"> </span>マッカ聖モスク占拠事件<br />
イラン革命はシーア派を超えて全てのムスリムに王制の打倒を呼びかけた。イラン革命に呼応するかのように1979年11月20日(ヒジャラ暦1400年元日)、イフワーンの流れを汲む約300名の武装集団がモスクを訪れる予定であったハーリド国王を廃位し、マフディー(救世主)の支配の到来を告げ人々にマフディーへの忠誠を要求してモスクを占拠。「政教盟約」を根底から否定する流れの存在が露呈。<br />
15.<span style="white-space: pre;"> </span>湾岸戦争から9.11へ<br />
冷戦構造の下ではイラクのバアス党(アラブ復興社会党)サッダーム・フセイン政権は社会主義とアラブ民族主義による王制諸国打倒、アラブ統一を目指す革命国家の急先鋒、つまりサウディアラビアの主要仮想敵であったが、革命の混乱に乗じてイランに攻め込んだイラクをサウディアラビアは「敵の敵は味方」と支援。<br />
ところがイラン・イラク戦争(1980-1989年)が終結するとイラクは1990年年8月クウェートに攻め入り併合。自国の油田地帯にもイラクが手を伸ばすことを恐れたサウディアラビアは米軍を援軍として招き入れた。<br />
異教徒の米軍を「聖地」アラビア半島の国土に引き込んだサウド王家の「イスラームの盟主」としての威信失墜、情報統制の緩和によって、湾岸戦争以降、イスラーム主義者の政府批判の動きが、「覚書グループ」(サルマーン・アルアウダ、サファル・アルハワーリーら著名なウラマー)と呼ばれるイスラーム主義者集団によるファハド国王への上奏文の形を取った一連の政府批判文書の流布によって一挙に顕在化。この「覚書グループ」が含まれていた。またサウディアラビアの富豪でアルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンは米軍を招き入れたサウド王家を厳しく批判、2001年9月11日にアメリカで同時多発攻撃。実行犯19人のうち15人がサウディアラビア人であったことは、それまでサウディアラビアの情報操作によって隠蔽されてきたワッハーブ派の反米感情の強まりを世界に知らしめた。<br />
16.<span style="white-space: pre;"> </span>シーア派の伸長<br />
イラン革命後、イランの指導の下で全世界のシーア派の政治的覚醒。<br />
*レバノン:イラン革命の影響でイスラーム共和制の樹立を目指して1982年に結成されたヒズブッラ―は独自の軍事部門を有し1983年には米仏軍を、2000年にはイスラエル軍をレバノンから撤収させ、レバノン内の「国家内国家」とも言われる存在となった。<br />
*イラク: 2003年アメリカがフセイン政権を打倒しイラクを占領すると、政権を担える勢力はダウワ党とその分派でよりイランに近い「イラク・イスラーム革命最高評議会」などのシーア派イスラーム主義勢力しかなく、イラクにはイル・ハーン国がシーア派に改宗して以来(1304-1353年)のシーア派政権が誕生。<br />
18.アラブの春<br />
スンナ派諸国の腐敗した専制、独裁政権が長期にわたって続き民衆には閉塞感が「アラブの春」を可能に。「アラブの春」で民衆蜂起によって長期独裁政権の崩壊は、スンナ派ムスリム諸国の専制君主、独裁者たちに大きな衝撃を与え、生き残った政権は以前にも増して弾圧を強めることに。<br />
19.「アラブの春」後に政治の舞台に躍り出たのは、厳しい弾圧の中で草の根型の社会運動としてかろうじて生き延びていたアラブ最大の社会運動ムスリム同胞団。個人の覚醒、社会の覚醒を経て、議会主義に立脚し選挙を通じてイスラーム国家を樹立し、各地のイスラーム国家の合邦統一によりカリフ制を再興し、最後に世界をイスラーム化する、というのがムスリム同胞団の綱領。アラブの春の飛び火を最も恐れたのが、国内に多くのムスリム同胞団の出稼ぎ労働者を抱えながら、選挙も人権も自由も平等も存在しない専制王制諸国、特にサウディアラビアとUAE。<br />
20.イエメン内戦<br />
イエメンではイラン革命の影響を受け反米、反イスラエルのスローガンを掲げるシーア派の分派ザイド派のイスラーム主義運動フーシー派(アンサール・アッラー)が2014年に首都サナアを攻略し2015年には完全に政府機能を掌握。サウディアラビアはフーシー派がサナアを制圧すると即座にスンナ派諸国連合軍を組織し、イエメンに軍事介入、アムネスティーから人権侵害を批判される空爆を続けながら3年が経過してもサウディアラビアはサナアを攻略できないばかりか、報復に首都リヤドがフーシー派によるミサイル攻撃に。<br />
21.カタル団交、宮廷クーデター、ワッハーブ派ウラマーの弾圧<br />
サウディアラビアは、2017年6月5日、アラブ首長国連邦、エジプト、バハレーンと謀ってカタルとの断交、経済封鎖に踏み切った。第一次サウディアラビア王国はオスマン帝国によって滅ぼされたが、実際にサウディアラビアを討伐したのは当時半独立状態にあったオスマン帝国エジプト総督ムハンマド・アリー。また冷戦期には、サウディアラビアのファイサルはエジプトのナセルとイエメンで代理戦争を戦っている。また教義的にもエジプトはワッハーブ派が異端視するスンナ派伝統主義イスラーム学の牙城であるアズハル機構を擁しており、厳しく対立。<br />
カタルとの断交は、設立当初より「西欧の基準」の「自由な報道」でサウディアラビアの専制政治、人権蹂躙、腐敗を糾弾するアルジャジーラを庇護するカタルに苛立ちを隠していなかったが、テロの支援を口実に、テロ支援国家イランや、「テロ組織」同胞団との絶縁、アルジャジーラの閉鎖などの要求を掲げて。ついで6月21日サウディアラビアではムハンマド・ブン・ナーイフ皇太子が解任され、代わってサルマーン国王の息子の副皇太子ムハンマド・ブン・サルマーンが皇太子に昇格する「宮廷クーデター」。<br />
これに対しトルコのエルドアン大統領は直ちにカタルへの支持を表明したのみならず、カタル防衛のために軍を派遣。カタルはサウディアラビアの要求を拒絶し、GCCのクウェートやオマーンすら断交に追随せずサウディアラビアによるカタル孤立化の目論見は失敗。これによってサウディアラビアとカタル断交の陰にトルコとカタルの対立があることが顕在化。<br />
カタル断交の背景は2018年3月のエジプトのメディアに対するムハンマド皇太子の「オスマン・トルコ(Ottoman)とイランとテロリスト(ムスリム同胞団、IS)は悪の三極枢軸である」と呼び「トルコのエルドアンはカリフ制を押し付けようとしている。」とトルコのエルドアンがカリフ制の再興を目指している、との非難。<br />
アラブ各地でテロリストの汚名を着せられたムスリム同胞団のメンバーが、カタルとトルコに亡命した。ムルスィーの失脚、逮捕投獄によりアラブのカリフ擁立の夢破れた同胞団が、エルドアンに夢を託した。ナセル時代の同胞団弾圧を逃れエジプトからドーハに亡命した同胞団の精神的指導者カラダーウィーが2017年の5月にエルドアンをオスマン帝国のカリフの別称「スルタン」の称号で呼び、17億のムスリムはエルドアンに忠誠を誓うべきである、と述べ、その映像がインターネットを通じて世界に配信。<br />
サウディアラビアがイラン、トルコ、カタル、テロリスト(同胞団、IS)との敵対に踏み切ったのは、アメリカにイスラエルから距離を取りイランに融和的だったオバマに代わって親イスラエルでイランに敵対的なトランプ大統領の登場のため。<br />
サウディアラビアはイスラエルと結びトランプに全面的に協力しアメリカの支持を得ることで、「イスラーム法学者による後見」論を国是とするシーア派のイラン、カリフ制再興を目指すスンナ派伝統派のエルドアンと同胞団、カリフ制再興を称するジハードによるタウヒードの宣教のワッハーブ派の原理念に忠実なISのムスリム世界統一への動きを阻止し、サウド王家の既得権益を守る生存戦略を選択。トランプの支持を取り付けるために、ムハンマド皇太子は2018年4月アメリカの『アトランティック』のインタビューに答え、ユダヤ人国家としてのイスラエルを承認した。3イスラエルの承認は、サウディアラビア外交の根本的な変化を示すものであるが、とりわけアメリカの大使館のイスラエル移転(2018年5月14日)に対してパレスチナにみならずムスリム世界各地で抗議の声が沸き起こっている時期に、トランプのイスラエル政策を支持し、イスラエルの国家承認を口にすることは、イスラームの盟主を称してきたサウディアラビアの威信を大きく傷つけた。<br />
サルマン・アウダ、サファル・ハワーリーら逮捕、死刑求刑。<br />
21.このような背景の下、カショギー(サウジ国籍『ワシントンポスト』などに寄稿)*2018年10月2日サウディ在イスタンブール総領事館で殺害<br />
サウディの発表:4日全面否定、総領事館を歩いて出た、12日内相殺害否定、21日外相殺害はならず者によって行われた大失敗、25日検察殺害計画的<br />
*23日 サウディ投資会議の日にぶつけてエルドアン演説(サルマン国王のみ免責)<br />
MBS:エルドアンとサルマンの間を引き裂こうとの陰謀は成功しない<br />
*11月1日 『ワシントンポスト』MBS、カショギー殺害後クシュナーとボルトンに電話で危険なイスラーム主義者と誹謗(カショギーは反ワッハーブ派、成文法制定要求)<br />
*イエメン内戦:10月30日ポンペオ、マチスが停呼びかけ<br />
22.サウディの命運<br />
短期的にはカタル・ボイコットとイエメン内戦介入をやめられるかが焦点<br />
*25日MBS:カタルの経済は良好、今後5年で大きな貢献が期待できる<br />
カタル・ボイコットは、真の目標はトルコとムスリム同胞団<br />
*「イエメン内戦は最悪の人道危機」スティーブン・クック米議会外交問題上級研究員『ニューズウィーク』(10月30日)トルコは直接の利害関係なし。(むしろイランに有利なのでトルコも米国もそれほど乗り気でないが人道的に無視できない)<br />
マティス(米)のイエメン停戦の呼びかけはイランの勝利とみなされる。Monitor 11/1<br />
*エルドアンは11月2日付『ニューズウィーク』に寄稿:カショギー殺害はサルマン国王ではない最高レベルからの指示<br />
*11月15日:サウディアラビア検察11人起訴5名死刑求刑と発表<br />
*11月17日CIA! MBAが弟ハーリド駐米大使に命じてカショギーをイスタンブール総領事館に誘き寄せて殺させる。<br />
<br />
纏め<br />
*サルマン朝は始まる前に終わる?MBS専制王制から独裁者(≠啓蒙君主)を目指した<br />
(サウディ王制支持基盤のワッハーブ派と敵対:飴と鞭で黙らせているが)<br />
*サウディアラビアの未来に3つのレベル<br />
①領域国民国家システムvs帝国の復興(西欧、英米、ロシア、インド、中国、イスラーム)<br />
②スンナ派vsシーア派<br />
③スンナ派内:サラフィー、改革派(同胞団)、伝統派、世俗派(反イスラーム)<br />
④サラフィー内:サラフィー非政治派、ワッハーブ派、サラフィー・ジハード主義者<br />
<div>
<br /></div>
</div>
hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-14439832315043348772018-09-20T15:26:00.003+09:002018-09-20T15:29:18.528+09:00イスラーム法学におけるカリフ論の発展覚書<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<br />
نهاية المطلب في دراية المذهب, لإمام الحرمين عبد الملك بن عبد الله بن يوسف الجويني, دار المنهاج, جدة, 1428ه-2007. ج.17.<br />
ولا مطمع في ذكر أوصاف الأئمة وما تنعقد (ص.125) الإمامة به فإن القول في هذا يتعلق بفن مقصود, والقدر الذي يجب الاكتفاء به ذكر الإمام العادل والخروج عن طاعته الواجبة.(ص.126)<br />
<br />
العزيز شرح الوجيز المعروف بالشرح الكبير<br />
أبو القاسم عبد الكريم بن محمد بن عبد الكريم الرافعي القزويني الشافعي<br />
( م1160- 1226 هـ = 555- 623)<br />
<br />
, لبنان1997 - 1417 , دار الكتب العلمية. ج.10, ص.71, فصل: في شروط الإمام- :<br />
وهي أن يكون مكلفا, .... مسلما ... عدلا ... حرا ذكرا عالما مجتهدا ... شجاعا ...ودا الرأي وكفاية وفي (الأحكام السلطانية) لأقضى القضاة الماوردي: اشترط سلامة الأعضاء ... وأن يكون من قريش....<br />
ص.72.: فصل: لا بد للأمة من إمام يحيي الدين ويقسم السنة وينسف المظلومين ويستوفي الحقوق ويضعها مواضعها يصلح الناس فوضى, وتنعقد الإمامة بطرق: أحدها: البيعة ....(ص.73) والثاني استخلاف الإمام من قبل ... (ص.75)<br />
والثالث: القهر والاستيلاء, فإذا مات الإمام وتصدى للإمامة من يستجم شرائطها من غير استخلاف وبيعة وقهر الناس بشوكته وجنوده انعقدت الخلافة لانقياد الناس وانتظام الشمل بما فعل ولو لم يكن مستجمعا للشرائط بل بل كان فاسقا أو جاهلا.... ولأن المقصود من نصب الإمام أن تتحد الكلمة وتندفع الفتن ولو لم تجب الطاعة واالتأبي غالب على الطباع استبد كل برأيه وثارت الفتن ولا يجوز نصب إمامين في (ص.76) وقت واحد, لما فيه من اختلاف الرأي وتفرق الشمل.<br />
<div>
<br /></div>
</div>
hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-13823838921507938442018-08-05T20:51:00.002+09:002018-08-05T20:51:40.457+09:00東西の自然理解 - 環境・生命・倫理 ー イスラームの立場から<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div dir="ltr" id="docs-internal-guid-5e9d86c8-09e7-7aad-bb85-8172bc88d964" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">於:2018年8月5日 京都パレスサイドホテル 東西宗教交流学会 </span></div>
<br />
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">「東西の自然理解 - 環境・生命・倫理」 「イスラームの立場から</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<br /></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;"> 中田考(同志社大学客員教授)</span></div>
<br />
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">1.現代のイスラーム世界でのディスコース</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 大量に「研究」あり。例えば、Dr.Derya Iner(Charles Sturt Univ.)「イスラームにおける環境倫理と生命倫理(Emvimental Ethics and Bioethics in Islam)」 https://www.isra.org.au/site/user-assets/docs/workshop-2a--beliefs-providing-moral-and-ethical-framework--islam.pdf</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 問題を考える手掛かりにならないことはないが、全く信用できない</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 現代西欧の同名の学問論文のフォーマット(環境倫理、生命倫理)にクルアーンやハディースなどの適当な文言を代入しただけ</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 重要なのは、ここのテキストの断片ではなく、伝統イスラーム学には「環境倫理」、「生命倫理」などとおう問題設定、学問分野が存在しなかったこと</span></div>
<br />
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">2.現代イスラーム世界のディスコースの問題点</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 「西欧の世界支配の19世紀」のムスリム世界の植民地化</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 現在世界に存在する「宗教」は、リヴァイアサン(主権国家:権力)とマモン(富:金)の配偶神に隷属する偶像崇拝(「拝金教」by和田秀樹)のみ</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 自称ムスリムたちも実際に崇拝しているのは、神ではなく国家。好例がハラール認証。</span></div>
<br />
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">3.イスラームの合法秩序</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* カリフ制 vs 領域国民国家システム</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 金本位制 vs 不換紙幣 </span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;"> 法人国家と紙幣 = どちらも実体のない、名前、記号 = 偶像</span></div>
<br />
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">4.イスラームの二元論的世界観</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 純粋一神教 = 二元論(神=創造主 vs 世界=被造物)</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 「イスラームは現世(ドンヤー)と来世(アーヒラ) or現世と宗教(ディーン)」</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 広義のイスラーム = 現世と来世 = 世界のあり方の全て</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 狭義のイスラーム ≒ 宗教=来世 (現世と来世の二元論→イスラーム的「政教」分離)</span></div>
<br />
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">5.イスラームのアニムズム的世界観</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 森羅万象がそれぞれの原語で神を称える</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">「7つの天と大地、またその間にある凡てのものは、かれを讃える。何ものも、かれを讃えて唱念しないものはない。だがあなたがたは、それらが如何に唱念しているかを理解しない。…」(クルアーン17章44節)</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 身体部位も全て意識を持つ</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">「その日(最後の審判)、アッラーの敵は集められ、火獄への列に連らなる。かれらが(審判の席)に来ると、その耳や目や皮膚は、かれらの行ってきたことを、かれらの意に背いて証言する。するとかれらは、(自分の)皮膚に向かって言う。「あなたがたは何故わたしたちに背いて、証言をするのですか。」それらは(答えて)「凡てのものに語らせられるようにされたアッラーが、わたしたちに語らせられます。かれは最初にあなたがたを創り、そしてかれの御許に帰らせられます。」と言う。(41章19‐21節)</span></div>
<br />
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">6.死体を傷つけることの禁止</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">「死体の骨を折ることは生者の骨を折るに等しい」(イブン・マージャ、アブー・ダーウードのハディース[預言者ムハンマドの言葉]集成)イブン・アブドルバッル(マーリキー派法学者1071年没)注釈「死者も生者と同じように苦しむ」</span></div>
<br />
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">7.世界の無時間性</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 世界は全て神の永遠の知の中に恒存</span></div>
<div dir="ltr" style="line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝"; font-size: 12pt; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; vertical-align: baseline;">* 来世も神の視点からは現存</span></div>
</div>
hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-79312450380294214122018-06-16T13:38:00.001+09:002018-06-16T13:48:59.169+09:00俺の妹がカリフなわけがない! 【エピソード0】<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
俺の妹がカリフなわけがない!<br />
<br />
<br />
إذا رأيتم الرايات السود قد جائت من قبل المشرق فأتوه فإن فيها خليفة الله المهدي<br />
<br />
若見黑旗來自東方 汝等即往 彼有訶黎佛都羅 乃天導者也<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
【エピソード0】<br />
世界制覇を公約に掲げて生徒会長に当選した俺の妹が「生徒会長」を「カリフ」に改称した。俺の妹がカリフなわけがない!男性であることは、カリフ有資格者の10条件の一つだ!!<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
「カリフになれ」<br />
小さくつぶやかれた言葉が、耳に残る。あれはまだ俺と双子の妹愛紗が四歳にも満たなかった頃。<br />
「お兄しゃま、かりふとはなんでしょう」<br />
「エラい人のことだぞ、きっと。長官よりもエラいんだぞ」<br />
あの頃の俺には、幼児向け特撮戦隊モノの長官が、誰より偉い人に見えていたんだと思う。祖父の今際の枕元でそんな会話をする俺たち兄妹に、父夢眠は無言だった。<br />
「垂葉、愛紗……天馬家の使命を受け継ぐ子どもたち」<br />
俺たちの頭をゆっくりと撫で、そうして祖父は静かに息を引き取ったのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
君府学院は、俺たち兄妹の祖父天馬真筆のさらに祖父天馬真人が設立した、中等部・高等部を持ち、全寮制の、完全学費無料の学校で、自由と正義を実現する人材を創るという理念を掲げている。<br />
でも、完全学費無料で全寮制とか、無理があるに決まっている。普通に考えてどうやって経営するんだ?と思うだろう?俺だってそう思う。<br />
それでも祖父の代までは苦しいながらも頑張っていたようだ。しかし、それも父が経営破綻させて、世界的大企業、石造財閥に譲り渡すことになるのは、祖父の死後あっという間だった。<br />
少人数教育、徳育重視で大アジア主義に基づき、外国語として中国語、アラビア語、トルコ語、ペルシャ語が学べるという風変りな学校だったが、経営破綻した学院をグローバル・エリートを養成する受験名門校へと生まれ変わらせたのが石造財閥の長、石造高遠新理事長だ。<br />
新たにクラスは成績順に分けられ、石造理事長が建てた新校舎に上位クラスを移動させ、中でもプラチナクラスの教室は高遠の徹底したエリート主義、能力主義、信賞必罰の教育方針に基づいて、生徒一人一人の椅子も飛行機のファーストクラス並みの快適さだ……と学院パンフレットには書いてある。<br />
そうして、学院近くの邸宅をも追われ、学院の経営からも身を引いた父は、石造財閥当主の恩情というか、俺は絶対に嫌がらせだと思うんだが、用務員兼雑用として小さな部屋を与えられ、俺たち兄妹もそのまま君府学院に通うことが許されたんだ。<br />
<br />
<br />
<br />
あれから10年、成績順に別れたクラスに、やはり成績順、男女別に分けられた寮へと別れ住むことになった愛紗と顔を合わせることはほとんどない。<br />
「は?愛紗が生徒会長に立候補?え、あり得ないだろ?」<br />
成績最下位クラスのブロンズクラスが定席の俺と違って、愛紗は入学以来常に学年トップを走り続けているし、成績だけで言えば不思議でもなんでもないんだが。<br />
「だって……誰が愛紗になんか入れるんだ?」<br />
俺は生徒会役員選挙告示の前で、本気で首を捻った。<br />
確かに愛紗は成績もいいし、アラブの血が混ざっていると言われれば納得するくらいには、彫りも深く大きな目に小さな頭、整った顔立ちをしている。美人と言って差し支えないと思う。まっすぐに伸びた背中、凜とした立ち姿は彼女が武道を嗜んでいるからだろうか。<br />
だが、いかんせん愛紗の無愛想さは常軌を逸したレベルだ。喜怒哀楽という人間らしい感情を持っていないんじゃないかとすら思わせる。それに生真面目で一切の妥協を許さないという性格だから、友だちらしい友だちはいないはず……いや、愛紗と2人だけの武術部で鍛錬している新免衣織だけは、もしかしたら愛紗の親友と言えるかも知れない。<br />
「親友っていうより、信奉者ぽいけどな」<br />
思わず苦笑が漏れる。高校一年で剣道の全日本大会を征した、剣術二天一流の達人である衣織と、手裏剣術の愛紗。幼い頃から二天一流の継承者として育てられ、武道一筋で浮き世離れした言動で、同級生たちから敬遠されていた衣織に、愛紗だけが生真面目に相手をして、決して笑うことがなかった。そのせいか、衣織は愛紗の信奉者とも言えるほどに、愛紗を慕っているようだ。<br />
「まぁ、でも愛紗が生徒会長とか……普通にあり得ないだろ」<br />
そう、その時は俺もそう思っていた。<br />
生徒会長立候補者は2人。多少美人でも無愛想で、口を開けばウエメセで人をバカにしたような話し方しかできない愛紗には人望とうものが決定的に欠けている。その上愛紗の対立候補・石造無碍は、父のあと理事長になった石造財閥当主の御曹司で、愛紗と同じプラチナクラス、つまり成績トップのクラスで、演劇部部長、さらにテニス部にも在籍しエースでもある、という絵に描いたような王子様だ。<br />
しかもその王子様は学院の広告塔とも言える、子役からのアイドル藤田波瑠哉を筆頭に、見目麗しい男女のお取り巻きを引き連れているのだ。<br />
「だいたい、なんで生徒会長になんかなりたいんだ?愛紗のヤツ」<br />
双子には以心伝心がある、なんて漫画の世界のことだ。俺には妹の考えていることがまったく、これっぽっちも理解できない。<br />
実際、チラホラと聞こえてくる下馬評も圧倒的に無碍有利だったんだ。<br />
そう、その日生徒会総選挙の立候補者演説で、少なくとも無碍の挨拶が終わるまでは、確実に。<br />
「私たちは、神に自由な人間として創造されました。私はこの学院の創立者の掲げた理念に則り、自由と正義に基づく地球の解放の前衛とするために、地上における神の代理人、神の預言者の後継者、カリフとして、生徒会長に立候補します」<br />
壇上の愛紗は声を張り上げるでもなく、淡々とそう言うと言葉を切った。<br />
ざわざわと生徒達の声が広がる。<br />
「なに、あれ?マジで言ってるの?」<br />
「中二病?でもオレらもう高校生だよな」<br />
「あの人、学年トップの天才じゃなかったの?」<br />
戸惑いよりも嘲笑の声が多いのも当然だろう。<br />
応援演説のために衣織が愛紗に近寄っても、ざわついた講堂は静かにならない。<br />
「私たちは生徒会のために、この身と命を捧げます」<br />
愛紗の前に膝を折った衣織が、腰に佩いた長刀を一閃する。<br />
左腕を真っ直ぐに伸ばしていた愛紗は身動ぎもしなかった。<br />
「きゃーーーーー!」<br />
女生徒の悲鳴があがる。<br />
「きゅっ救急車を!!」<br />
「な、なんてことを……」<br />
阿鼻叫喚と化した講堂で、壇上の2人だけが静かだった。<br />
自分が切り落とした愛紗の左腕をそっと持ち上げた衣織が、愛紗に付き従う。<br />
「大丈夫です。救急車は事前に呼んであります。剣の達人に名工の鍛えた刀で切られた者は、切られたことに気づかないと言います。筋肉繊維も神経も骨組織も壊さず切り落とした腕は直ぐに縫合すれば元通りになるはずです。私たちには神のご加護があるのです」<br />
さすがにこの度肝を抜くパフォーマンスの後で、生徒会選挙はいったん中止になった……はずだった。<br />
翌日、愛紗が自らの言葉通り、なんでもない顔をして登校してくるまでは。<br />
立候補者演説、応援演説とも終了していたため、日を改めて行われた投票は、下馬評をひっくり返して、圧倒的多数により、愛紗が当選してしまったのだ。<br />
「いや、まぁ生徒会長になろうと、なんだっていいけどさ」<br />
双子の兄妹として産まれながら、片や成績トップの生徒会長様、片や万年最下位クラスの俺としては、やっぱり少し面白くないっていうか……。<br />
そんな俺の前で生徒会長就任挨拶のために再び壇上に上がった愛紗が淡々とした表情のまま、口を開いた。<br />
「皆さんの信託に基づき、私、天馬愛紗は生徒会を自由と正義に基づく解放の礎とすべく、最初の仕事として、生徒会長をカリフと改称致します」<br />
「ちょっと待てーーーーっ!」<br />
俺は思わず起ち上がって叫んでいた。<br />
「それ、おかしいだろう?なんだってたかが一私立学校の生徒会長がカリフなんだよ、だ、第一高校生が真剣を持ち歩いてるとかあり得ないだろうがっっ」<br />
「はぁ、もう少し静かに、論理的に話せないのですか?衣織が腰に差しているのは、新免家に代々伝わる銘刀《姥捨て》と《過労死》、本阿弥光悦が研いだ逸品で重要文化財に指定された美術品です。丁重に取り扱えば何の問題はありません。」<br />
「いや大問題だろ~、いきなり人の腕を切り落とすのは!」<br />
「あれは古来より伝わる刀の切れ味の鑑定法、試し斬りです。校医のドクター和田も、さすが重要文化財、見事な切れ味、と感心していました」<br />
「あのマッドサイエンティスト、ってか、校内で手術済ませたのか?」<br />
「我らが君府学院の保健室は創立以来救急病院の指定を受けているのです」<br />
「ウソだろぅ…いや……だから、そうじゃなくて、カリフ制なんて、とっくの昔に廃止されてるだろう」<br />
俺だって祖父さんの死後、ちょっとは気になってカリフについて勉強したんだ。<br />
「トルコ共和国でカリフ制度が廃止されたのは一九二四年でしたね」<br />
「あ、ああ、そうだ。なのに……」<br />
「しかし、そもそもカリフ制はトルコ共和国が作ったものではありません。従ってトルコ共和国によって廃止されることもありません。世界はお兄様がネットを覗いて想像していらっしゃるよりもずっと複雑で奥深いものなのです」<br />
「……あっ、うっ」<br />
「では、まだ少し貧血気味ですので、カリフ就任挨拶はここまででよろしいですね?」<br />
これが、俺の妹、天馬愛紗がカリフに就任した瞬間だった……わけがない!生徒会長とカリフが一緒にされていいわけがない!俺の妹がカリフなわけがない!<br />
<br /></div>
hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-1501614239020406132017-12-17T01:16:00.000+09:002017-12-17T01:20:00.327+09:00第二部理論枠組:漸進戦略と圏域政治 第1章 地政学理論:ポスト冷戦期とトルコ Ⅰ. 空間把握、地理認識と地図<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
第二部理論枠組:漸進戦略と圏域政治<br />
<br />
第1章<br />
地政学理論:ポスト冷戦期とトルコ<br />
1. 空間把握、地理認識と地図<br />
フェルナン・ブローデルは『文明史』冒頭の文章において、地理学の文明形成におけるオリジナルな貢献をイスラーム文明の例として示すために、「地図は真の物語を知らしめる」と言う 。実のところ、個人であれ、その個人からなる社会であれ、より大きい尺度の文明の集合であれ、それを支える一番の基礎は、「文明の自己認識」 となる実存意識に対応する空間-時間把握である。<br />
強大な文明が飛躍していくのを先導しその文明の裾野の周辺にある種の秩序を形成する社会は、歴史の舞台に登場した時点から、その影響力によってその歴史の舞台を形作り始める時期の間に、それ自身の故地から世界を認知していく。より単純な地理的環境把握からより複雑な世界把握へと直接的に発展するこの意識は、地図の上に最も具体的な形をとって現われる。戦略思考の形成に関して既に述べたように、地理学は客観的な現実であるが、地図はこの客観的現実の文明的認識過程を経た主観的形態である。天文学が科学の中心を占めた存在認識によっていくつもの文明を作り上げたバビロニア人は天空の物質との関連において地表における空間認識を構築し、イラン人は世界を互いに平等な7つの円から成る7つの領域(国)へ分け、自分達の空間を4番目の中心の円に配置した後に他の6つの円を互いに接する形でこの中心の円の周囲に配置した。<br />
地理に関する最初の系統立った知識は、一方ではエジプトを超えて、他方ではベロッススの現ボドルム湾の端にあるコス島(スタナコ、あるいはスタンチオ、[トルコ語名]イスタンキョイ)において紀元前640年代に設立された学校によりバビロン的知識を手中にしたギリシャ人の地理認識も、自己の文明圏を広げたことで包括的な形を採ったエーゲ海中心の認識である。世界を周囲を大洋に囲まれた平坦な円盤として認識したホメロスの世界観はギリシャの空間認識の限界をも描き出していた。世界を円柱の底面として描いたミレトスのアナクシメネス(紀元前500年代)も同様にギリシャ都市国家群の影響圏が拡散する地域をそのまま広げ続けていくという認識だった。この認識はシチリア島からカスピ海にまで達する一つの世界を思い描いていた。<br />
マケドニアから出発し、東へと伸びる古代文明圏を影響下に組み込んだ(多文化他宗教)混淆的な帝国を樹立したアレクサンドロス大王によって、こうした空間認識とその認識を基にした地図も変化した。 マケドニアからメソポタミア、インドとエジプトへと伸びた帝国に自分の名前を冠した都市(アレキサンドリア)の建設を戦略の支柱に据えたアレキサンダー大王は、自分自身を文明のジンテーゼの地理把握とその(空間)把握の中心概念の具象化としたのである。世界と地理の把握は、アレキサンダー大王の非常に戦略的な決定によって古代エジプト、地中海、メソポタミアの「肥沃な三日月地帯」に建設したアレキサンドリアから始まり、アレキサンダーによってメソポタミア、イラン、インドに相次いで作られたアレキサンドリアの名に由来する都市によって普及していったのである。この認識の学問的下部構造と地図測量学上の実質的な具体化もまたアレキサンドリアによって形を取った。人類のその時代までの知的遺産の蓄積が詰まったこの都市(アレキサンドリア)は、最初の地理基準(経緯度)を作ったエラトステネス(天文学者、数学者、前194年没)は、地理の認識と地図測量学に重要な新しい道を開いたストラボン(地理学者、前23年没)と、最も重要な古典的世界観形成において中心的な役割を演じたプトレマイオス(天文学者、168年没)の仕事の苗床を準備した。これらの仕事の元になった地図がアレキサンダー大王の支配領域の包摂と、その結果としてイランとインドをも地理的認識がその位置づけることになったことは、文明圏と政治的支配の関係を明瞭に示している。<br />
イタリヤ中部の都市国家という自己理解によって生まれたローマも拡大するにつれて、自己を中心とする空間把握を支配領域に広めていった。古典的地図において「Mare Interum(中海)」と呼ばれた地中海はローマ人にとって「Mare Nostrum(我らの海)」であった。西欧からメソポタミアへ黒海から地中海へ広がり(ローマ)帝国の戦略的脊柱を成す幹線道路は、そのネットワークにおいて「全ての道はローマに通ずる」という格言によって空間把握の中心として具体的に認識されていたのである。<br />
キリスト教によって変化した空間把握と地理意識の格好の例もまたアレキサンドリア出身の6世紀の人コスマス・インディコプレウステス(地理学者、没年不明)であった。古典的に知られていた地域を超えて、エチオピア、インド洋、スリランカまで旅し、キリスト教に入信して後に『キリスト教地誌』を著したコスマスの主たる目的は、聖書とキリスト教正統信仰に適合した空間認識を地理学の形式で表現することであった。世界はその時代のものとノアの洪水以前のものとの二つの部分であり、地中海と、イラン、アラブ、カスピの海と湾からなると述べるコスマスは、地表は海で囲まれており、そしてこれらの海の向こうに(Terra ultra Oceanum,海上の陸)人類が洪水の前に住んでいた地域とアダムの楽園があると主張した。<br />
世界は四方に東はインド人、西はケルト人、北はスキタイ人、南はエチオピア人がいると述べるコスマスは、この説明によって、一方でキリスト教の世界観に適合した空間把握、他方で、キリスト教世界を中心とする地理的認識の限界を明らかにした。 この中心を受容をこのように前に持ってこられたことで、アジアの遠くムスリムを破ってキリスト教世界を護るプレスター(司祭)ジョンと名乗る聖王が治める(キリスト教)王国があるとの伝説が出来上がった。教皇アレクサンデル3世(在位1159-81年)は1177年にこの伝説的な王に自らの書簡を託した博士を遣わせた。しかしその教学博士の使節は帰ってこず、ムスリムに敵対するモンゴル王との接触を望んだ教皇インノケンチウス世(在位1198-1226年)が派遣したドミニコ会とフランシスコ会の修道士たちが極東(元朝)に旅した後には、そのような王国が存在しないことが判明した。同じ時期にゴグとマゴグの概念をめぐって紡ぎあげられた議論は、伝説、歴史、地理の知識がいかに入り込んでいるかを示す例に満ちている。しかし、これらはみな内側から見られた連続的な要素であるが、古代ギリシャからローマとキリスト教を経た後で、植民地主義の文化に中でも「私と他者」の区別として近代地理学の認識の形をとって受け継がれた。<br />
イスラーム文明の歴史の舞台への登場も、ブローデルが強調したように独自の地理的諸条件に直接的に関わっていた。古代の文明圏の周辺地帯に現れたイスラームは、アレキサンダー大王の時代に生まれその後に広がった諸文明が影響しあう領域の全てを支配下におさめ、スペインからインド、中国文明圏にまで広がる地域に新しい空間認識が生まれるための土台を用意した。<br />
初期のイスラームの地誌学者たちは、プトレマイオスの伝統の中で(アッバース朝)カリフ・マァムーン(在位813-833年)に献呈された最初の世界地図であったようにプトレマイオスの伝統を大きく進歩させる一方で、他方でバルフ学派の中でイスラーム世界を中心とする新しい空間認識を反映し全く独自の進歩を遂げた。学派の創始者の(アブー・イスハーク・イブラーヒーム)バルヒーは『イスラームの国(Mamlakah Islam) 』の諸地域を扱った地図を作り、すべての地域に地帯の名前を与えた。この学派の重要な代表者の一人マクディスィーは地中海中心の古典的地誌学を超えて、インド洋志向の重要な作品に数えられるが、それまで未知であった地域を加えた地図を作り上げた。バルヒー学派のマッカを中心とする円形の世界の地図を発展させたこと、南北差の再定義は諸文明の「自己認識」から出発して地理的認識を発展させたことの重要な例の一つである。ビールーニーの最初の大西洋とインド洋の間の繋がりを示した地図を発展させたことは、イスラーム文明が広まった地域と空間把握の間の関係を示すこと、後のヨーロッパの旅行者たちによって発展させられた新しい地理学の理解の最初の先触れであるとの点で重要である。<br />
社会が中心の周辺での空間把握を発展させたもう一つの好例はトルコの地誌学である。1072年と1074年の間に書かれた『トルコ語辞典(Diwan Lughah al-Turk )』の著者マフムード・カシュガリーがトルコ語の方言の分布に則って描いた世界地図はべラサグン市を中心としてなされ、7つの川の地域がトルコ系諸部族民の定住地として識別されている。ユーラシアの遠方にあるベルサグンから、すべての古代文明が交差する地域にあるイスタンブールのオスマン帝国の時代の地誌に至る時間は、<br />
空間把握の変化、文明の進化、世界秩序の概念の関係を明白な形で生み出した。<br />
1413年にアフマド・スライマーン・タンジーが作った黒海と大西洋の東岸のヨーロッパとアフリカ沿岸、イギリス(ブリテン)諸島を描いた海図は、同時に空間の地平の早い時代の反映とみなされる。オスマン帝国の地誌学の奇跡の最高峰ピール・ライースの地図は、アレキサンダー大王の文明のジンテーゼの引力圏の古代の全ての遺産がアレキサンドリアで統合されたのと同じことがオスマン帝国の黄金時代のイスタンブールでもなされたことを示している。1567年のマジャール・アリー総督の地図とほとんど同じ時期に発展させられたフマーユーン地図が含む(1)黒海とマルマラ海、(2)東地中海とエーゲ海、(3)中央地中海とアドリア海、(4)西地中海とスペイン、(5)西欧の大西洋岸とイギリス諸島、(6)エーゲ海、(7)モレアス専制公領と南イタリヤ、(8)世界、(9)ヨーロッパと北アフリカ、という9つの地域からなる地図の内容もオスマン帝国の権威がいきわたった領域をカバーしており、古代の地図の伝統を超えた豊富な内容を有する独自なものとなっている。<br />
地球全体の認識を可能にした「地理上の発見」、資本主義の前段階である重商主義、明確な国境の中で組織化される国民国家という現象は、ヨーロッパの(国際政治)秩序の礎石を成すウエストファリア体制が次第に整っていく過程における近代西洋文明の空間認識と経済、政治認識の間の密接な関係を明るみに出す。ヨーロッパを上の中心に置くヨーロッパ中心の世界地図は、ヨーロッパ中心の商業システムとヨーロッパ型の国家形成の広まりと並行して発展したのである。<br />
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hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-31212724774312199782017-11-12T00:42:00.000+09:002017-11-12T00:42:09.535+09:00『フトゥーワ』出版記念講演 要旨<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: center;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">『フトゥーワ』出版記念講演 要旨</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">2017年11月11日 イベントバー・エデン </span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;"> 中田考(同志社大学客員教授)</span></div>
<br style="font-family: sans-serif; font-size: large;" />
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">1.「フトゥーワ」</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">「フルースィーヤ馬術」≒「ムルーアおとこらしさ」≒「<wbr></wbr>フトゥーワ若々しさ」</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">騎手、男性、若者という特定の集団に特有の気質、倫理、<wbr></wbr>理想像などを表す語になった。</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">イブン・カイイム(1350年没)『<wbr></wbr>ムハンマドのフルースィーヤ(騎士道)』(注)</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">「フルースィーヤと勇敢さには二種類ある。<wbr></wbr>最も完全なものは宗教と信仰の持ち主のものであり、<wbr></wbr>もう一つは全ての勇者に共通するものである。<wbr></wbr>本書はムハンマドのシャリーアに適った騎士道について纏めたもの<wbr></wbr>であるが、それは心と身体を共に捧げる最高の崇拝の形態であり、<wbr></wbr>その徒を慈悲深き御方(アッラー)のための戦いに駆り立て、<wbr></wbr>楽園の最上階に導くのである」</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">2.スラミー</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify; text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">アブドゥッラフマーン・スラミー(1021年没)</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify; text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">ニーシャープールで活躍した高名なハディース学者であり、<wbr></wbr>イスラーム思想史上初めてスーフィーの立場からクルアーンの注釈<wbr></wbr>書を書いた。多くの弟子を育てたが、<wbr></wbr>中でも有名なのは同じニーシャープール出身の古典教科書『<wbr></wbr>クシャイリーの書簡』の著者クシャイリー。</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">3.スーフィズムとは</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify; text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">スラミー『スーフィズムについての序論』</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify; text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;">「(スーフィズムの要件)現世における禁欲、念神(ズィクル)<wbr></wbr>と崇拝の励行、人々に依存しないこと、<wbr></wbr>僅かな飲食や衣服で満足すること、貧しい者たちの世話、<wbr></wbr>煩悩の滅却、勤行(ムジャーハダ)、謙抑(ワラウ)、<wbr></wbr>常に志を高くもつこと、<wbr></wbr>最小限しか食べず必要なことだけを話し睡魔に襲われた時だけ眠る<wbr></wbr>こと、自己反省、被造物(人間)から遠ざかり疎遠になること、<wbr></wbr>導師たち(マシャーイフ)の拝顔、モスクで時間を過ごすこと、<wbr></wbr>粗衣の着用」</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify; text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-size: 10.5pt; text-indent: 10.5pt;"><br /></span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify; text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-size: 10.5pt; text-indent: 10.5pt;">(注)</span><span style="font-size: 9pt; text-indent: 10.5pt; vertical-align: baseline;">勇気は人間の性格の中の高貴な性格の一つであり、以下の四つの形で結実する。(1)果敢であるべきところでの果敢さ、(2)自重すべきところでの自重、(3)堅忍であるべきところでの堅忍、(4)転身すべきところでの転身。その逆は勇気の瑕疵であるが、それは臆病、無分別、軽薄、放心である。そして見識と勇気を兼ね備えた男こそが、軍隊を率い戦事行政を行うことができるのである。人には、「男」、「半人前」、「なにものでもない者」の三種がある。「男」とは正しい見識と勇気を兼備した者である。・・・「半人前の男」とは、二つのうちの一つを有するが他方を持たない者であり、「なにものでもない者」とは、どちらも欠く者である。・・・</span><span style="font-size: 9pt; text-indent: 10.5pt; vertical-align: baseline;"> </span><span style="font-size: 9pt; text-indent: 10.5pt; vertical-align: baseline;">ムジャーヒド(聖戦士)には5つの特質がある。どんな軍であれそれらが揃えば、相手の多寡にかかわらず、神佑に恵まれずにはいない。第1:堅忍不抜。第2:至高なるアッラーを多く念ずること。第3:アッラーと、アッラーの使徒への服従。第4:合意があり、失敗と弱体化を招く内紛がないこと。第5:その全ての要、支、そして基礎であるもの、即ち忍耐である。これら5つの上に勝利のドームが建てられる。</span></div>
<div dir="ltr" style="font-family: sans-serif; font-size: large; line-height: 1.2; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt; text-align: justify; text-indent: 10.5pt;">
<span style="font-size: 10.5pt; vertical-align: baseline;"><br /></span></div>
</div>
hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-20374206671505929122017-11-02T19:22:00.001+09:002017-11-02T19:22:47.570+09:00ダウトオウル『戦略的縦深』第一部 2章 2節 3.心理的背景:自我の分裂と歴史意識<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
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3.心理的背景:自我の分裂と歴史意識<br />
戦略理論の欠如の重要な要素の一つは、心理的不安定の原因となるアイデンティティーと歴史意識の間の矛盾とその矛盾が戦略思想に与える影響である。既に心理学の古典となったレインの『引き裂かれた自己』がこの問題を解明する出発点になる。自我の分裂に道を開く心理的危機を究明するこの作品は、心理学以外にも利用できる多種多様な分野における危機を分析する重要な概念と方法論の道具立てを提供している。特にレインが明らかにした実存的安心と自我の関係と、「具体化された(embodied)自我」と「具体化されない(unembodied自我」を区別することで立証したクリティカルな領域、とりわけ政治の領域における多くの問題に関する我々の理解を容易にしてくれる。<br />
レインは、心理学的危機の根本には、個人の実存とその自我の結びつ断絶が見出されると述べ、そしてその断絶が不可避的に自我の分裂をもたらすことを解明した。自己の実存を疎外する人物は、やがて、自我の諸要素の統合性を失う一方で、他者に対しては自己を統合的に見せかける虚偽自我(false-self)の像を作り出す。内的自己(Inner self)と外的自己(embodied self)の間に裂け目が開かれると、危機は深刻化し、自分自身と外部環境の双方との間で発生する危機の迷路に入り込んでしまう。<br />
トルコで起きている多面的な危機もまた、内的自己と外的自己の間の分裂の所産とみなされる。共同体のレベルで、個人の実存に対応するものが、その歴史と地理の次元である。共同体が歴史と地理の次元で自己疎外を起こすと、個人が自己疎外を起こして、虚偽自我に陥るのと似ている。周知のように小学校から歴史と地理の教育に多くの時間が割かれているにもかかわらず、我々は一種の没歴史化の時代を生きている。記念日や祭日を祝うことは我々の歴史の知識を強化する代わりに、超歴史的分野への方向性に道を開いている。1998年にはトルコ共和国建国75周年、1999年にはオスマン帝国建国500周年が祝われた。しかし共和国の10周年行進曲やオスマン帝国のトルコ行進曲(mehter)は、メタ歴史的レベルでの認識を超えて、今日まで連なる我々のアイデンティティーのさまざまな全ての要素を統合する個人アイデンティティー意識と社会的全体性によって、我々は表現することができるだろうか?<br />
伝統の諸要素を受け入れずに、我々のアイデンティティーを偽装すれば、その対極をもたらすことになる。そして内的自己からかけ離れた虚偽自我に続き、隣接する別人たちと同一化しするうちに、ついには、「他者」、敵さえも生み出すことになる。我々の聖なるシンボルのためには戦いも辞さず、引き裂かれた自己の裂け目を埋めようとするが、歴史と地理の次元のすべてを断ち切った新たな引き裂かれた自我を生み出したことには気付くことができない。<br />
内的自己と外的自己の間の裂け目を覆い隠すために、安っぽい勝利に酔い、同じように安っぽい退廃に陥る。我々はサッカーの試合でのトルコの勝利に10周年行進曲に熱狂し、フィンランドに負けたことを審判の贔屓のせいにしている。それゆえ、自分たちの成功を訓練された努力の成果とみなすことも、失敗から学ぶこともできず、事実ではなく事実を超えた心理に目を向け、個人のレベルでの問題においてと同じように、自分たちの実存、つまり歴史を疎外し、また自分たちの環境、つまり地理的次元も断絶するのである。<br />
歴史の記憶と意識が弱い共同体は、その歴史に実存を記銘することが非常にむつかしい。歴史の方向を決める場合、主体的で活動的な共同体と、歴史の成り行きまかせの主体性を欠く受動的な共同体の間の極めて重要な違いもまた歴史的認識の型である。<br />
歴史の意識と記憶が深い共同体は、思いがけない勝利に浮かれることも、敗北主義に陥ることもない。歴史経験から得た情報と現実の力の配置の間に、戦略的合理性と予想に基づく有意味な関係を構築し、慎重に未来図を描くのである。歴史の意識と記憶が弱く受け身で主体性がない共同体は、取り残されるか、取るに足らない成功に酔ったり些細な失敗に落ち込んだりを繰り返す心の弱さから、戦略的決定を下すことができなくなる。それゆえいつも浮沈を経験しするが、成功も失敗も他人次第なのである。<br />
この観点から見ると、さかんに議題にのぼったセーブル条約の共和国建国75周年記念とオスマン帝国建国700年記念が重なったことは意味のある一致である。セーブル条約はオスマン帝国とトルコ共和国の間の「狭い海峡」である。この「狭い海峡」を我々が生き、乗り越えてきた。しかし生きてきたということは、我々がその間ずっとこの「狭い海峡」の恐怖の中で生きてきたということではなく、またこの「海峡」を乗り越えるにもずっと勝利の思い出に浸っている必要はない。<br />
フランス人は今日の存在を続け、戦略的計画を立てるのに、ナポレオンの勝利をずっと思い起こして勝利に酔い痴れているわけでもなければ、ナポレオンの敗北の後のフランス人の命運を握ったウィーン会議の成り行きをいつまでも気に病んでいるわけでもない。同様にドイツ人も、ビズマルクとヴィルヘルム2世によるドイツのアイデンティティーと統一を実現した帝国的勝利が今もドイツの戦略的言説の中心をなしているわけではなく、またセーブル条約が我々を陥れた「狭い海峡」にも似た「狭い海峡」に陥れたヴェルサイユ条約を、自分たちの頭上でずっと揺れているデモクレスの剣のように見なし続けているわけではない。もっと近い過去の例を取るなら、ヒットラーの華々しい軍事的勝利と、その勝利の後の全世界にドイツ民族を軽蔑させ、破壊し、呪わせた敗北を共に経験したアデナウアー、シュミット、コールのようなドイツの指導者たちが、このような勝利-敗北の振り子の不可避の振幅に一喜一憂していたなら、はたしてドイツは今日、歴史の舞台の上、歴史の流れの中で、再び重きをなす国となることができたであろうか。<br />
戦略意識は歴史に、戦略計画立案はその時点でのリアリティーに基づかなければならない。<br />
我々にとってのセーブル条約の記憶と認識は、それに至る過程における我々の問題点を視野に収めた分析によって、評価を下すことができるなら、意味あるものとなる。しかし逆に我々を金縛りにし自己弁護に終始させるような心的トラウマに突き動かされていては、前に進むことはできず、新しいセーブル条約への道を開くことになるのである。物事を歴史の流れの中において見ることができるほど、我々は弱点を克服することができる。<br />
グローバルな、あるいは地域的な野心を持つ国家はしばしば何世紀にもわたる歴史的、地理的、文化的な土台である定数に根差していればいるほど、繰り返しダイナミックに解釈されうる長期的なビジョンを有する戦略思考に基づいた未来志向の戦略計画を立てることができる。対外的な脅威の認識については、長期的な戦略を短期的な戦術に落とし込むことができ19世紀には「太陽が沈むことがない」帝国となったイギリスには長期的で野心的な戦略があったが、力をつけた大国となったドイツがこの(イギリスの)戦略に挑戦する脅威として認識された。第二次世界大戦後、グローバルで野心的なアメリカの戦略が練り上げられたが、ソ連の脅威がこの戦略を妨げる脅威として認識されることで戦術が査定され決められた。日本には太平洋戦略、ドイツには7B(ベルリン-ブダペスト-ベルグラト-ビュクレシュ-ボアズラル-バグダト-ボンベイ)ユーラシア戦略があったが、ドイツも日本も何世紀にもわたるその遠大で野心的な戦略には短期的な脅威の認識が欠けてはいなかった。手段は変わっても、戦略の基本と優先事項は不変なのである。<br />
野心のある国家はその戦略に従って脅威を認識するが、主体性がなく受け身の国家は脅威の認識に左右され近視眼的な戦略を立てる。国家は、理由が何であれ、内部矛盾こそが戦略の基本であると明言している限り、その国が二度と弱体化することはありえない。<br />
他の国の経験からこの問題を自問すれば、この問題をより明らかに理解することができる。IRAの存在の脅威は、少なくとも3世紀にわたって、イギリスの国家戦略、軍事戦略の認識を規定してきたのではなかったか。オクラホマ連邦政府ビル爆破事件(1995年)を起こしたキリスト教原理主義白人優越主義民兵の存在を理由に、グローバルなアメリカの国家的、軍事的戦略がこの民兵たちによって再構築される必要があると言う戦略家が、アメリカでいかなる戦略研究機関に就職できるだろうか?冷戦期にドイツで活動的であった極左テロ組織は、ドイツの東西戦略の中でどう位置付けられていたのか?あるいは国家の内部矛盾を基本的な戦略の優先事項とみなしているようなら、影響力のある戦略を実効に移すことができる野心的な大国の一つになることができるだろうか?わかりやすく、我が国の歴史を例に取ろう。16世紀の「オスマン帝国の時代」を作ったオスマン帝国の大陸と海洋の戦略はこの世紀に広まった「ジェラーリーの乱」を基本とする土台で組織化されるなら、オスマン帝国のこの政界での秩序を作る主張である「世界秩序(Nizam-ı Âlem)」構想など、笑うべき非現実的なレトリック以上のものであったであろうか?<br />
この国の戦略を単なる一極の外敵脅威とみなす視野狭窄は、内的脅威によって認識するなら、仮想敵国を利する弱点となる。ポスト冷戦期の歴史的地理的深みを有するダイナミックなトルコの戦略の定義と実行が必要な時代に、制度的、歴史的、心理的要素によって、トルコの内部矛盾による衰退過程を説明することは、トルコ民族の全ての力を動員する共通戦略構築に対する最も深刻な障害となるのである。<br />
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hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-80875458885565147272017-10-19T15:46:00.000+09:002017-10-19T15:46:29.658+09:00ダウトオウル『戦略的縦深』第一部 2章 2節 2.歴史的背景<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
2.歴史的背景<br />
このグローバルなアプローチと戦略理論の欠如の制度的弱点を生んだより深い原因は歴史的体験の蓄積の中に求められなければならない。それは歴史的体験の最も顕著な特徴の一つであるオスマン‐トルコ帝国の対外政策の伝統の帝国主義‐植民地主義的戦略を実施していないことの中に見出すことができる。 <br />
大国が古典的国家戦略を発展させた19世紀は、植民地の世紀だったが、この19世紀のオスマン帝国にとっての懸案は、国家の一体性の維持とこれ以上の土の喪失を防ぐことに他ならなかった。そしてこれが、国境の内部だけに限定した防衛戦略という現状維持のアプローチがやがて対外政策の慣行となるに至る端緒となったのである。大国はこの理論枠組に則った戦略に従い、国境の内側に留まり、その新しい均衡の維持に努めることになった。<br />
このように失われた全ての部分の後に手に残ったものが守られたことに不安、混乱、恐れ、の中に居れられた、それで国境を超えた領域との関連は切断される。トルコ行進曲の「敵から故地へ」のリフレインのノスタルジックなメロディーの両極の戦略の間で選択がなされる。絶対的な支配か、絶対的な放棄か、となり、支配権が失われた土地は直ちに放棄される一方、新しい国境は死に物狂いで防衛するようになったのである。それが、絶対的な支配と絶対的な放棄の中間の影響領域を作り上げたり、国境を国境を超えた外交によって守ったり、戦略によって同盟したり、放棄せざるをえない領土は自己の戦略に近い政治エリートに委ねたり、大国の間の紛争を利用しながら戦術的可動域を確保するような中間的戦術の余地をなくしてしまう。<br />
これ、オスマン帝国の衰退期の重要な例外の一つであるアブデュルハミト2世が模索した植民地政策である。アブデュルハミト2世の植民政策は(世界の)ムスリムたちに国境を超えて影響し、列強のオスマン帝国に対する浸食政策を一定程度防ぎ遅らせることができた。この理由で、アブデュルハミト2世の33年間には、93回の戦争があった他には、深刻な領土の喪失はなかったが、この中間的を放棄し、「絶対的な支配権か絶対的な放棄」政策を復活した「統一と進歩委員会(青年トルコ党)」の治世に、オスマン帝国は、大国としての存在を、とりわけその最後の支えであったバルカン-中東中軸を、わずかな間に失ったのである。<br />
この両極端の間の行きつ戻りつは、その結果として、オスマン-トルコ帝国の対外政策の伝統であったグローバルな戦略的地平を狭め、戦術的選択肢を減らし、近い地域に対する影響力を失い、内政における矛盾を外敵の脅威に転嫁する悪循環に陥った。尚、重要性は、対外政策の必要性、と国内政治文化の間の調和的各種多様を実現させない。それゆえ、国内政治で支配的になったイデオロギー的言説とプラグマティズムが、対外政策の必要性を棚上げしたのである。<br />
件のオスマン-トルコ帝国の19世紀における対外政策によって例証することができる。この時期のバルカン諸国、カフカース、中東の政治は、絶対的な支配権と絶対的な放棄の間に挟まれたこの戦術の不毛性の好例である。例えば、バルカン諸国を放棄してから後は、オスマン-トルコ帝国の対外政策の伝統におけるこの地域に対する関係は、絶対的放棄の特徴に数えられえる移民に限られることになった。豊かな天然資源を有する中東とアラブ地域を放棄してから後は、イデオロギー上の連環のある東方に背を向ける政策が実行された。シャイフ・シャーミルの(反乱の失敗の)後にカフカースがロシアに引き渡されて以降は、カルス、アルダハン、エルズルム台地の防衛が懸案となった。国際法上も議論があるモスルとキルクークの放棄の後では、この地域での完全に放棄された土への野望が、絶対的支配権を死守すべき東アナトリアに否定的な影響をあたえないように努めた。最終的(1911年)に植民地主義者に奪われたリビアの西トリポリの抵抗戦の後には、北アフリカの喪失が続くことになるこの地域に対する一方的なの関係は、50年後に共産圏に対して我々が西側の友好国であることの証としてアルジェリアのムスリム(の独立闘争)に対してフランスの植民地主義者を支持するという形で示したのである。<br />
バルカン諸国を放棄した後、オスマン帝国が残した文化的、政治的意味での資産の維持に十分な熱意を示さなかったように、国内の政治文化的変化の否定的な影響によって、オスマン帝国の歴史の遺産とイスラーム文化の影響を失うことに為す術がなく、特にブルガリアとギリシャでそうであった。トルコ外交の政策決定者たちは、ブルガリアでのオスマン帝国の遺産である文化の立脚点としての様々な宗教施設の抹消に対して抗議しないままに、政治文化の国境を越えての影響を及ぼすべき関係の範囲について誤った判断を下したが、その結果はジブコフ(ブルガリア総書記)時代の同化運動によって明らかになった。<br />
ポスト冷戦期においてもそれが続いていたことがボスニア政策において明らかになった。対外政策において影響力があった一部の政治家が、ボスニア紛争の最初の局面でイゼトベヴィッチのイスラームのアイデンティティーを嫌って、フィクレト・アブデチュのような世俗の指導者たちをトルコが支援すること望んだ。後になってアブデチュがセルビア人の側についたことがバルカン諸国のイスラームのアイデンティティー及びオスマン帝国の遺産とトルコの域内政治との間の不可避の従属関係を作り上げた。バルカン諸国で破壊された全てのモスク、解散させられた全てのイスラーム組織、文化の領域で消された全てのオスマン帝国の伝統の一つ一つが、トルコがこの地域での国境を超えた影響力の名残の礎石なのである。トルコはバルカン諸国での絶対的放棄のシンボルになった移民の政策の代わりとなるオルタナティブの中庸の政策を取らねばならない。この中庸の政策の土台となっているバルカン諸国のオスマン-イスラーム文化の存続が不可避である。特にバルカン諸国におけるオスマン臣民の子孫の二主要民族、つまりボスニア人とアルバニア人の独立国家を持とうとの試みは、その自然な同盟諸国とトルコの間にある共通の歴史的文化の絆の土台によって支えられていることが必要である。<br />
トルコは、バルカン諸国の政策を、バルカン戦争の悲劇の苦い記憶が織り成し冷戦のパラメーターが強化した東トラキアとイスタンブールを死守せねばならないとの心理的トラウマから解放しなくてはならない。この地域の新たな状況下での東トラキヤとイスタンブールの防衛は東トラキアをめぐる従来の同盟ではなく、バルカン諸国における国境を超えた影響下にある領域を外交的、軍事的意味で能動的な利用対象とすることを断念することによる。今日のバルカンでは地域的な規模での活動的な諸勢力が均衡状態を作り出しており、その自然な帰結としての中間的な形態を、柔軟でダイナミックに使いこなせる国々が影響力を増している。不活発で停滞した国はこの地域でのリーダーシップを失い、次第に孤立化していくのである。<br />
絶対的支配権‐絶対的放棄の二項対立という難題はコーカサスにおいては現実的である。実質的にはエルズルム高原の北東部分でありながら93年戦争以来現在にいたるまでカフカースにおいてはそれと似たような状態になっている。その時以来現在まで、オスマン‐トルコ帝国の対外政策の最も重要な課題は、ロシア-ソ連の拡張戦略においてアナトリアの地政学上の鍵であるエルズルム高原を南西に下ることを防ぐことである。それには、一つは失敗、他は失敗の二つの例外がある。エンヴェル・パシャ(陸軍大臣)の「アッラーフエクベル山脈の悲劇」を生み、カズム・カラベキル(1948年没、大国民議会議長)はロシア内部騒乱を見据えて実現させた活動の結果として、当時の2世紀の間で初めてコーカサスで攻勢に出てカルス・アルダハン国境周辺を取り戻し、ナフジュバン問題でも明確な保証を手にすることができた。この二つの例の帰結は、冒険と見通しのある攻勢との違いに関して、対外政策の担当者に対する重要な歴史の教訓となる。<br />
カズム・カラベキルによる成功は、絶対的支配権を確立しようとの大規模な軍事動員と絶対的放棄を代表する広範囲な人口移動とを調和させる政策の伝統の基礎となる柔軟性をも明らかにしている。危機的な状況を正しく認識し、時を見計らい、外交と軍事を組み合わせ、成功を収める有効な振る舞いができる。<br />
トルコが対コーカサス政策を長期にわたって放棄してきた最も重要な理由は、エルズルム高原の北東での影響力の回復の自信の欠如と新たな93もの戦争の悲劇を繰り返さないかとの不安に由来する弱気である。そのために、冷戦期に、NATOが策定した軍事戦略は単にエルズルム高原の南西の防衛のために設定された。拡大するロシアの同盟勢力を、コンヤ平原に至るまでに、どれほど弱体化させられるかを、計算したのである。<br />
トルコはこの心理的防衛機構のせいで、カフカース地方での自然の同盟者たちを強化し、ロシア人の内部矛盾を利用することに思いもよらなかった。カフカース諸国と中央アジアの問題で見られる政策の矛盾と準備不足の最も重要な原因はこの心理的欠陥である。<br />
トルコの対外政策策定者はこの臆病さを乗り越えてカフカースでも積極的で柔軟な攻勢が必要である。コンヤ平原へ下ることができると考えるロシアはチェチェンへの侵攻でさえ困難に直面した。これは誇大広告ではない。この状況の適切な条件の下での洞察力のある積極的な政策の成果を無視するなら、将来の東アナトリアの防衛にかかる費用は甚大になる。バルカン諸国になぞらえるなら、東トラキアとイスタンブールの防衛は、アドリア海とボスニア、東アナトリアとエルズルム防衛、北カフカースとグロズヌイから始まっているのである。<br />
トルコの中東政策には絶対的支配権‐絶対的放棄のジレンマと戦略計画の欠如が刻印されている。第一次世界大戦後、中東との政治‐文化‐戦略的橋渡しの役割を投げ捨て、背をむける政策を取ったトルコは、この地域でのすべてのグローバルな関係を決定するパワーによる天然資源の分配過程の中で、そこでの五百年続いた(オスマン帝国の)支配権がもたらした利点を十分に活用されていない。この唯一の例外は、フランスの撤退により発生した空白と第二次世界大戦の前の混乱に巧みに乗じたアタチュルクのハタイ作戦であった。<br />
トルコは、中東に対して、特に経済地理的枠組において、背を向ける政策を取ることで、この地域での資源と力の分配を決めるにあたって静的パラメーターだけを勘案しており、文化的意味で疎外されたこの地域の民衆にも、政治的エリートにも十分な影響を行使することができないでいる。しかしトルコには、この地域を放棄したオスマン帝国の生き残りの知的‐政治的エリートと、その歴史的伝統、その様々な共同体の間の文化地理的同質性があり、柔軟に対応すれば、それらの長所それだけで中東に対する戦略の礎石となりうる。ダマスカスやバグダードのようなアラブの多くの大都市では最近までトルコ語で普通にコミュニケーションがとれる社会階層が存続していたのである。トルコは、この階層との良い関係による影響力と歴史的な特権を有する地域国家であるとのイメージを形成しなければ、グローバル・パワーのいくつかの中心地の中東における代表として振る舞うことで、この地域での疎外感を次第に深めていくことになる。<br />
この疎外が進むことでトルコは、この地域における影響力を失うと同時に南東アナトリアを防衛しなければならない現実に直面させられる。国境を超えた優位性を効果的に活用できないでいるトルコは国境とその内部での自己完結性というヨーロッパ中心主義のテーゼを押し付けられている。更に悪いことには、今日のトルコは、この地域を500年間にわたり支配してきた歴史を有するにもかかわらず、この地域にわずか50年の歴史しか持たないイスラエルの諸々の戦略を裏書きすることで、この地域にかかわる政策において域内での疎外を深めてきたのである。イスラエルがシリアに対して行っている和平においてトルコのその資源の和平の諸要因の間にある地域でのダイナミックな利害関係がどこまで柔軟な対外政策の立場を必要としたケースをまたもっと見せる。<br />
この対外政策の弱点の全体という氷山の水面下には、心理的準備不足、戦略理論の見通しの欠如、ダイナミックに変化する条件に適応するのに障害となる硬直した外交的言辞、国内政治文化と対外政治の間の不調和などの様々な問題が隠れている。対外政策策定者は、なによりもまず、国境を超えた戦術を生み出しそれを固持するとの心の準備があることが必要である。そしてその心の準備には、国内世論をその方向に誘導する社会心理的文化とその正当性の基盤の統合が必要である。<br />
そのための心理的基礎は、トルコの地政学的、文化地理的、経済地理的事実から出発する理論枠組の起点であらねばならない。現在に至るまで、欠乏を認識する戦略理論は、欠乏の克服のためには、研究機関によって政策決定者の間に健全な関係回路が形成されなければならない。この戦略を適用するにあたっては、あらゆる種類のイデオロギー的言説の狂信を逃れることが最も大切である。バルカン諸国のムスリム・マイノリティー集団を反体制派への避難所と、すべてのロシア語学習者を共産主義者のエージェントと、すべてのアラビア語話者を反政府派か、保守反動とみなすような決めつけが、さまざまな現象の解釈に無批判になされるままにされてきたことは明白である。1980年代に中東に向けての輸出増大に対してアラビア語話者の不足をきたしたトルコは、今日ではカフカースと中東との関係において、ロシア語話者とロシア研究者の不足があらゆるレベルで痛感された。ロシアとの何世紀にもわたる戦争の歴史を有する民族(共同体)に現れたロシア語話者とロシア研究者の不足は、冷戦期のトルコの政治エリートの中が感じていた不安の典型的な兆候であった。この点で、トルコは、何よりも前に、国内の治安問題を超えて、接触状態にあったすべての地域と諸共同体を分析することができ、役に立つ人材の育成が必要である。<br />
それは、国内政治文化と対外政策の間の再調整が必要であることの最も重要な証である。民衆を信頼しその内部から生まれた民衆文化を統合するためにその力を引き出すことができないエリートは、国境を超えたグローバルな開かれた地平に向き合うことも、国内の治安と統一を守ることもできない。それゆえ歴史的連続性の重要な証の一つである戦略的思考において、心理的要素の問題は戦略の立案の中心になるのである。<br />
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hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-2127333637389960492017-10-13T13:46:00.000+09:002017-10-13T13:46:21.088+09:00ダウトオウル『戦略的縦深』 第一部 第1章 Ⅱ.戦略理論の欠如 組織的、構造的背景<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;">Ⅱ.戦略理論の欠如</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> トルコの対外政策の最も重要な弱点の一つは戦略的及び戦術的行動を首尾一貫した枠組の中で組み立てていないことである。つまり、異なる地域での戦術的行動と適合した上位の戦略を立案することにおいても、戦術を段階的に組み立てることにおいても、深刻な弱点が存在するのである。その結果、そうした戦術的行動は、分を超えると戦略的意味を帯びてしまい、国家の前を塞ぎ、可動域を狭める結果を生む。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> 内的に首尾一貫した連続性を示すと同時に変化してゆく条件に順応できる戦略理論をトルコの立案には相対立するさまざまな弱点があることには、歴史的、心理的、文化的、そして組織的原因があるのである。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> </span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<ol style="direction: ltr; list-style-type: decimal;">
<li style="color: black; font-size: 10.5pt; font-style: normal; font-weight: normal;"><div style="color: black; font-size: 12pt; font-style: normal; font-weight: normal; margin-bottom: 0pt; margin-top: 0mm; mso-list: l0 level1 lfo1;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;">組織的、構造的背景</span></div>
</li>
</ol>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> 戦略理論の欠如には、直接的な制度の構造上の原因が存在する。そうした(戦略立案の)営為の制度的基礎である組織には、外務省、TBMM(トルコ国民大議会)、対外政策に関わるものとしてMGK(国民安全保障会議)、参謀本部、そしてその関連省庁のようなその他の官庁、大学、学術機関、政党、そして官立、半官、独立の研究機関がある。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> 対外政策の政治的、行政的責任を負う外務省は、その責任の自然な帰結としての戦略の分析、説明、オルタナティブの検討において中心的地位を占める。しかし、戦略研究、戦略形成において、良い制度を備え、豊富なリソースを有する国家においてさえ、外務省が政治的、行政的性格を有し、オルタナティブの複数の対立する理論的枠組を設定することは、否定的な影響を与えうる。対外政策を司る組織の行政的性格に由来する通常業務は、律動し、広範囲にわたる深い戦略的分析の障害になることがある。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> 一方、短期の政治的成果の方が長期的な戦略的な成果よりも影響力があり重要になるのは</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;">外交政策を担う組織の政治的次元のせいである。この状況は他の公職にも当てはまる。他方、対外政策の中核をなす優先事項の社会政治的正当性の基礎となる国家機関、戦略アプローチは、優先事項の方向性を左右するのであり、そのために思想的、合理的過程であるべき戦略理論の研究も官僚的、国家的性格を帯びることになる。それもまた単調と停滞に道を開くのである。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> 戦略理論とその理論による分析は、対外政策のオルタナティブが必要である場合に対応できるだけの有益性がある。単調で形式主義の戦略分析は自己限定による不毛なループに陥る。この形式主義的アプローチをイデオロギー的枠組にしてしまうと、不毛なループ、停滞を引き起こす。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> 冷戦期のアメリカとソ連の戦略の相異なる成り立ちは、そのイデオロギー的枠組の比較の最良の教材である。硬化したイデオロギー上の但しさに還元する公式な戦略分析に頼るソ連の対外政策の単調さは、異なる起源に由来するために別のシナリオが可能になったアメリカの対外政策の柔軟性に対抗できなかった。ソ連の対外政策の官僚主義的な硬直した行為は、独立研究機関、戦略分析者たちの多くの視角を包摂する様々なアプローチを検討することができ、それに従って組織的行動を取ることができたアメリカの対外政策の、多くの選択肢を有するダイナミックな行為と対照的であった。ソ連は対外政策担当者たちが行動領域を狭めているときに、アメリカの対外政策担当者は新しい行動領域とそれを実行に移す主体を容易に見出すことができていた。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> トルコの対外政策の組織面を見るなら、何よりもまず外務省を筆頭とする国家機関が、戦略研究を遂行する十分な金銭的、制度的下部構造を備えていない。外務省はその組織の貧しい資能力の範囲内で要請に応じようと務める戦略研究センターは、この地域の他の多くの同種の組織と共に、準備期間がなかったトルコは国家として、人材の点でも組織の点でも多くの限界を抱えている。意思決定過程で戦略分析が必要であると考える外務省を筆頭とする国家組織が、そ戦略分析の必要を適える手段を備えており、官僚主義的に陥らないようにそれらの間で調整がなされることが、戦略理論分析の欠如を克服するために制度的に不可欠な条件である。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> ことなる政治的優先順位を有する諸政党がさまざまな優先事項を工夫し、実行可能な対外政策のオルタナティブを発展させ、そしてそれをTBMMのプラットホームに載せるのもトルコのオルタナティブ戦略研究を積極的に多様化するための重要なリソースとなる。このためにも政党自体が決まりきった日常業務の政治を超えて、長期にわたる行動の基礎となるためには、政治と外交のある意味での学校を持つ必要がある、</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> 政党がその内部に長期的なパースペクティブで国政の議題を準備することができるスタッフを抱えていれば、政権が交代しても、言論と政策アプローチの伝達において政治的意思を官僚組織に容易につなぐことができる。全く準備期間を経ていない野党のスタッフが政治権力を使える立場にアクセスすることは、政治意志を官僚機構のスタッフにつなぐコミュニケーションを破壊し、きわめてデリケートな言葉と慎重な動きを要する対外政策の実行に否定的な影響を与えることがある。相異なる対外政策を有するいろいろな政党を正しく知らしめる戦略アプローチを理論化し、議会に届けることは、対外政策の国論をより理性的に正しく方向付けることができる。一部の国でみられる「影の内閣」の制度は、継続性のある戦略と政策の研究に実効性を与えることができる。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;"> </span><span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">大学と独立研究機関の政策形成への参加は、この問題における長い伝統が存在することと、この参加を継続的なものとすることを保証する下部構造と、財政支援の保証を必要とする。こうした組織の知的生産と分析力の増加は、グローバル規模の戦略を展開する国の対外政策を支える最重要要素の一つとみなされる。国際関係が急激に変化する時代において国家戦略に新地平を開くグローバルな規模と内容を有する理論枠組の構築とその枠組を補完する地位的専門領域が成立すれば、ダイナミックな諸条件に素早く適合し、突発的自体にも適切に対応する対</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">外政策への反映が実現する。そうして作られた対外政策の優先事項の社会政治的な正当性の基礎形成にこうした組織が貢献していることも見逃されてはならない。大学は単なる教育機関の一つではなく、同時に研究機関とも見做されており、独立の研究センターが持続的な財政支援を見出しうる環境に参加することが、対外政策の社会的組織化の下部構造を構成する。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"> トルコでは、経済のボトルネックによるにせよ、人口増加圧力が教育を必要とするためにせよ、大学は研究機関としての性格から遠ざかり、次第に国民教育と就職に役立つ高等教育機関に変わってしまったことが、大学が戦略理論とその分析を継続的に遂行することを妨げている。大学の構造の中で様々な分野で専門化のために設立された諸機関が十分な資金と機関に必要な物理的下部構造を有していないことが、そのユニットの組織化を遅らせ、この領域の空洞化の進行に道を開いている。この格好の例が、EUへのフルメンバーシップを申請した1987年以来現在に至るまで、数多くのECの機関が設立されたにもかかわらず、EUの多くの分野での専門家の不足を託っていることである。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"> トルコで見られる戦略理論の欠如はまた、政治学者と政治実務家の間の制度的断絶の徴とも見做される。大学と学術環境はこの種の理論的営為が不足しているだけでなく、政治実務者である官僚や外交官との橋渡しをする有効なチャンネルともなっていない。こうした理由で、マハンとスパイクマン<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftn1" name="_ftnref1" style="mso-footnote-id: ftn1;" title=""><span><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-language: JA; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">[1]</span></span></span></span></a>によるアメリカのグローバル戦略、ハウスホファー<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftn2" name="_ftnref2" style="mso-footnote-id: ftn2;" title=""><span><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-language: JA; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">[2]</span></span></span></span></a>のドイツ、マッキンダー<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftn3" name="_ftnref3" style="mso-footnote-id: ftn3;" title=""><span><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-language: JA; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">[3]</span></span></span></span></a>の英露の戦略に関する影響の研究に類似した対外戦略の理論‐実践関係についてのアプローチは、トルコにはまだ</span><span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;">存在しない。最新のフクヤマ<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftn4" name="_ftnref4" style="mso-footnote-id: ftn4;" title=""><span><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-language: JA; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;">[4]</span></span></span></span></a>とハンチントン<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftn5" name="_ftnref5" style="mso-footnote-id: ftn5;" title=""><span><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-language: JA; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;">[5]</span></span></span></span></a>の「新世界秩序」の思想や、その理論を、アメリカの政治実務家がグローバルな紛争に対して戦略的に使用することが正当であることを支持していること、及びキッシンジャー<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftn6" name="_ftnref6" style="mso-footnote-id: ftn6;" title=""><span><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-language: JA; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;">[6]</span></span></span></span></a>やブレジンスキー<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftn7" name="_ftnref7" style="mso-footnote-id: ftn7;" title=""><span><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-language: JA; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;">[7]</span></span></span></span></a>のような理論</span><span style="font-family: "游明朝",serif; font-size: 10.5pt; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-bidi-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;">‐実践について独自の経験を有した戦略理論家がプロジェクトを立案していることが、この関係がどれほど重要であるかを示している。</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><br />
<div style="mso-element: footnote-list;">
<br clear="all" /><span style="font-family: MS Pゴシック;">
<hr align="left" size="1" width="33%" />
</span><div id="ftn1" style="mso-element: footnote;">
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftnref1" name="_ftn1" style="mso-footnote-id: ftn1;" title=""><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; font-size: 12pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-font-family: "Segoe UI"; mso-fareast-language: JA; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">[1]</span></span></span></span></span></a><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"> </span><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">N.J. Spykman,
<i>The Geography of the Peace</i>, New York: Harcourt Brace, 1944.</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span></div>
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</span><div id="ftn2" style="mso-element: footnote;">
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</span><div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftnref2" name="_ftn2" style="mso-footnote-id: ftn2;" title=""><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; font-size: 12pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-font-family: "Segoe UI"; mso-fareast-language: JA; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">[2]</span></span></span></span></span></a><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"> </span><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">Karl
Haushofer, <i>Bausteine zur Geopolitik</i>, Berlin, 1928, <i>Weltmeere und
Weltm</i></span><i><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast;">ë</span></i><i><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">chate,</span></i><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"> Berlin, Zeitgeschichite Vertag, 1941, <i>Geopolitik
des Pazifischen Ozeans</i>, Heidelberg, Kurt Vowinckel Vertag, 1938.</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><div id="ftn3" style="mso-element: footnote;">
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftnref3" name="_ftn3" style="mso-footnote-id: ftn3;" title=""><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; font-size: 12pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-font-family: "Segoe UI"; mso-fareast-language: JA; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">[3]</span></span></span></span></span></a><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"> </span><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">H.J.
Mackiner, “The Geograhical Pivot of History”, <i>Geographical Journal</i>,
1904/23, pp.421-442. </span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><div id="ftn4" style="mso-element: footnote;">
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftnref4" name="_ftn4" style="mso-footnote-id: ftn4;" title=""><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; font-size: 12pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-font-family: "Segoe UI"; mso-fareast-language: JA; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">[4]</span></span></span></span></span></a><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"> </span><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">F. Fukuyama, “The
End of History?”, <i>The National Interest</i>, 1989/16(Summer)pp.3-18,<span style="mso-spacerun: yes;"> </span><i>The End of History and the Last Man</i>,
New York, The Free press, 1992.</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span></div>
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><div id="ftn5" style="mso-element: footnote;">
<span style="font-family: MS Pゴシック;">
</span><div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftnref5" name="_ftn5" style="mso-footnote-id: ftn5;" title=""><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; font-size: 12pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-font-family: "Segoe UI"; mso-fareast-language: JA; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">[5]</span></span></span></span></span></a><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"> </span><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">S. Huntington,
“The Clash of Civilizations”, <i>Foreign Affairs</i>, 1993/72(Summer), 22-49,
The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, New York , <a href="https://www.blogger.com/null" name="_Hlk495663642">Simon & Schuster, 1996.</a> Ahmet Davuto</span><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: TR; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">ğlu, “The Clash of Interests; An Explanation of the World
(Dis)Order”, <i>Perceptions, Journal of International Affairs</i>, Dec,
1997-Feb. 1998, 11/4, pp.92-121.</span></div>
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</span><div id="ftn6" style="mso-element: footnote;">
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</span><div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftnref6" name="_ftn6" style="mso-footnote-id: ftn6;" title=""><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; font-size: 12pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-font-family: "Segoe UI"; mso-fareast-language: JA; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">[6]</span></span></span></span></span></a><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"> </span><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">Kissinger, <i>Diplomacy</i>(The
New World Order Reconsidered), New York, Simon & Schuster, 1994.</span></div>
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</span><div id="ftn7" style="mso-element: footnote;">
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</span><div style="margin: 0mm 0mm 0pt;">
<a href="https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=3554283542911079432#_ftnref7" name="_ftn7" style="mso-footnote-id: ftn7;" title=""><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"><span style="mso-special-character: footnote;"><span><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; font-size: 12pt; mso-ansi-language: JA; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-bidi-language: JA; mso-fareast-font-family: "Segoe UI"; mso-fareast-language: JA; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">[7]</span></span></span></span></span></a><span style="font-family: "Segoe UI",sans-serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-bidi-font-family: Tahoma; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";"> </span><span style="font-family: "游明朝",serif; mso-ansi-language: EN-US; mso-ascii-font-family: "Liberation Serif"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: "Liberation Serif";">Zbigniew
Brzezinski, The Grand Chessboard: American Primacy and Its Geo-strategic
Imperatives, New York, Basic Books, 1997.</span></div>
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hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-7787890270611683952017-10-09T00:52:00.000+09:002017-10-09T00:52:53.789+09:00ダウトオウル『戦略的縦深』第一部 第二章:戦略理論 希少性とその解決 1.トルコのパワーの要素の見直し<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
第二章:戦略理論 希少性とその解決<br />
1.トルコのパワーの要素の見直し<br />
近年ではしばしば、トルコの国際関係における正しいパワーの潜在力がどれほどの規模であるか、そしてそのパワーの潜在力が外交的視点からどれだけの規模で使用可能であるのかに関して議論がなされている。この問題における議論とアプローチは、両極端の間を行き来している。ときには静態的で場当たり的な評価によって、トルコが手に入れることができるパワーの潜在力は、実際より遥かに下のレベルで見積もられ、トルコにとって外部のパワーセンターが用意した政策を適用するように努める。また時としては逆に、トルコのパワーの定数と潜在的な変数は、新しい国際情勢における新規でダイナミックなパワーであるとの大いに楽観的な観測がなされる。<br />
90年代を特徴づけていた不安定な同盟関係にある国々の短期間に移り変わる行動と、対外政策における官僚主義のリスクを負わない外交の間を揺れ動き、戦術的行為が戦略的に統合されないこともまた、この問題において共通の観方が存在しないためである。「細くて長い道」で始まったEUの冒険も、「おお、入ろう、おお、入ろう」という態度と、「入らないこともある、唯一の選択肢がEUというわけではない、と人々は考えている」という考え方の間で行きつ戻りつしていた。希望に満ちて主張される「アドリア海から万里の長城まではトルコ世界である」とのスローガンは、時として中央アジア諸国さえも警戒させ弁解を要する危うさともなる。イスラーム世界に対する友愛と文化的紐帯の言葉は、東と南からやってくる脅威の認識と反対である。スローガンに過ぎない西洋への帰属と感情の籠った第三世界への帰属の間で板挟みの外交辞令は、外務大臣の気持ち次第で移り変わるものに過ぎない。<br />
この戦略的希少性の最も重要な原因は、対外政策の構造の主な要素としての、定数と潜在力の与件の視点の首尾一貫性のない変化によって、この与件を、魅力的な影響で、対外政策の影響に変わる戦略思考は、政治意志と戦略計画の主題における希少性である。短期間のラディカルな変化を示すことが可能でないことのために対外政策構造の定項要素である歴史、地理、文化、人口の要素の観点、政治エリート、官僚機構、平凡な市民の間の深刻な差異を示している。一つの集団が対外政策における最も重要な基礎とみなす歴史的、文化的諸要素が、別の集団からは、最も重い足枷とみなされた。(全ての当事者に)共有される視点で理解されるべきトルコの地理も深刻な差異の焦点である。またトルコが近くの圏域との統合を押し進めるべきであるとの思想と、できる限りこの圏域での影響を地域を超えて拡張し多面的に統合する必要があるという考えの間の対立もまた、もう一つの別の要素となっている。もっと客観的な人口についてさえも見解が一致しているわけではない。この点に関して、トルコの最も重要な資産である若年人口でさえ、時として最大の障害と否定的に評価されるのである。<br />
潜在力の与件という点でも、状況はそう違わない。政治的意思と行動に左右される短期間においてさえそれが変化することの好例は、定項与件と名付けた経済力、技術力、軍事力の最も戦略的な要素の一つであるエネルギー問題において見られる対応の不一致である。<br />
これらの全ての与件に著しい影響を与える政治的意思に関しても、ここ10年の政治的不安定がもたらした短期政権のせいで、大きな浮き沈みがあった。時の政権に左右される政治的意思形成は、政府外要因が入り込むことで更に複雑化する。物理力が異なる方向性に分散させられると、その客体は動くことができないか、不安定に揺れ動くしかないように、90年代のトルコの対外政策も秩序や調和からはほど遠い外見を呈していた。対外政策の優先順位における突然の変化は、戦略的連続性を著しく弱めてしまう。90年代のトルコの対外政策の連続性を示す唯一のものは外務大臣の度重なるすげ替えだけであった。それは他の要素としての戦略立案にも深甚な影響を与える。有効な戦略計画によって対外政策が大きく左右されると、内的整合性を毀損し、ひいては対外イメージをも損ねることになる。<br />
パワーの構成要素について今日なされている議論における最も重大な誤りは、パワーの定項のダイナミックな解釈が活発でなく、遅れていることである。イデオロギーの優先順位が、歴史と文化のパラメーターと照らして、冷戦期においては正しかった諸前提が、地理のパラメーターに照らして、静的な枠組で分析されているのである。対外政策における重大な逸脱に道を開いた静的な解釈と遅れも、元来は(パワーの)定項と潜在力を調和的に長期的な戦略的の一体性の一環として扱われなかったことの結果である。これも我々に戦略計画と政治的意思の欠如の問題に直面している。<br />
90年代に入って我々が採用したと称される対外政策の言説が、90年代の終わりにかけて謎のイメージの悪化を被った原因もこの戦略的一貫性の欠如である。逆に二千年代に似たようなイメージの悪化がなかったのは対外政策の主な要素に関して共通の戦略理論の基礎を形成できたからである。<br />
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<br /></div>
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hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-59312020254632094262017-10-05T18:50:00.001+09:002017-10-05T18:53:36.523+09:00エデン発表要旨「中東溶解‐呪われたクルド民族主義 ― カイロ大学の“先輩”小池百合子を語る」2017/10/3 <div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
「中東溶解‐呪われたクルド民族主義 ― カイロ大学の“先輩”小池百合子を語る」<br />
<br />
2017/10/3 イベントバー・エデン<span style="white-space: pre;"> </span> 同志社大学客員教授 中田考<br />
<br />
発表要旨・資料<br />
<br />
*中東人の発言は全て(一つの例外もなく)ポジショントーク、小池はそれを日本に。<br />
<br />
*中東人類学者アーネスト・ゲルナー(Ernest Gellner, d.1995)のナショナリズムの定義<br />
「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である」<br />
<br />
*アラブの二つの定義:①アラブ人を父とする者 ②アラビア語を話す者(ムスタウラブ)<br />
①カフターン族(南アラブ) ヤアラブ・ブン・カフターンを名祖<br />
②アドナーン族(北アラブ) マアド・ブン・アドナーンを名祖(アブラハムの子イシュマエル[イスマーイル]を太祖) <br />
つまり、小池百合子はアラブ人(ムスタウラブ)<br />
<br />
*「民族(部族、人種、語族)」概念は古来より存在。しかし現代の「nation」とは別。<br />
古代アラブにも疑似ナショナリズム的イデオロギー存在:アサビーヤ、ジャーヒリーヤ<br />
「世情の堕落の多くは、財貨や名声などを取って、ハッド刑を免除することから生じるのである。それはアラブやトルコやクルドの遊牧民、村落民、都市民、農民、カイスやヤマンの諸党派、定着民の指導者や名士や貧者たち、将軍や将校や兵士たちなどの堕落の最大の原因なのである。」<br />
「血縁、郷土、人種、法学派、神秘主義教団など、イスラームとクルアーンの呼び掛けからそらすものはすべて、ジャーヒリーヤ時代の挽歌なのである。」イブン・タイミーヤ(1328年没)<br />
<br />
*ナショナリズム:第一次世界大戦、第二次世界大戦の原因、史上最悪のイデオロギー<br />
イスラームはジャーヒリーヤと戦うためにもたらされた。「現代のジャーヒリーヤ」ナショナリズムこそイスラームが戦うべき対象。<br />
<br />
*ダウトオウル『戦略的縦深』<br />
「国際関係の中でのある国家の固有の存在感とパワー(G)に関し、こうした関心に対応する可変的な定義を発展させることができる。定数(SV)、歴史(T)、地理(C)、人口(N)、文化(K)として、変数(PV)は、経済力(Ek)、技術力(Tk)、軍事力(Ak)として定義され、一国の力をこのような形で示すことができる。<br />
G=(SV+PV)×(SZ×SP×SI)<br />
この定式で、SZは戦略思考、SPは戦略的計画、SIは政治的意思を意味する。<br />
SV=T+C+N+K & PV=Ek+Tk+Ak となるので、この式を展開すると<br />
G={(T+C+N+K)+Ek+Tk+Ak)}×(SZ×SP×SI)となる。」<br />
国際情勢分析の3レベル:①地政学(長期)②(中期)③国際関係(短期)<br />
<br />
*中東溶解:①シリア、②イラク、③イエメン、④湾岸諸国 (遠因:カリフ制の崩壊)<br />
①シリア:25万人以上が死亡、総人口の約半数1千万人近くが難民化<br />
(イラン・イラク戦争でイラン支援)<br />
*直接の原因:1.アラブの春 2.1982年ムスリム同胞団殲滅(ハマー事件)<br />
←1965年サイイド・クトゥブ処刑、1949年バンナー暗殺(エジプト)<br />
(ムスリム同胞団vsアラブ社会主義 ←→ アラブ王政諸国vsアラブ社会主義諸国)<br />
*トルコ国境の町コバネの対IS戦いで国際テロ組織PKK(クルド労働党)の分派のクルド勢力[クルド民主統一党(PYD)人民防衛隊(YPG)]支援 ペシュメルガ協力<br />
<br />
②イラク:破綻国家 内戦、難民、国家分裂(2014年イスラーム国、クルド独立)<br />
*直接の原因:1.湾岸戦争(1990-1年)シーア派、クルド人蜂起弾圧(米見捨てる)<br />
2.アメリカのイラク侵攻、サダム政権崩壊(2003年)、イラク分裂<br />
(2001年「9・11」→ アメリカ軍アフガニスタン侵攻タリバン政権崩壊<br />
→ アフガニスタン破綻国家化)<br />
3.シーア派政権[特にマーリキー政権在位(2006-2014年)]の悪政<br />
(シーア派各派、サダムの治世にイランが庇護)<br />
4.アラブの春<br />
A.スンナ派弾圧→ 2014年 スンナ派反シーア強硬派イスラーム国誕生<br />
B.クルド自治政府予算カット→ 2017年 クルド自治政府独立国民投票<br />
<br />
③イエメン:最悪の人道危機 サウジ主導のアラブ連盟軍介入以来8千人以上が死亡<br />
コレラ感染の疑い37万人<br />
*直接の原因:1.イラン・イスラーム革命 1979年 シーア派革命輸出<br />
2.アラブの春 2012年アリー・サーリフ政権崩壊 <br />
3.ハーディー政権崩壊 2015年 シーア派ザイド派首都サナア制圧<br />
サウジ主導のアラブ連合軍サナア空爆<br />
<br />
④湾岸諸国:サウジアラビア(世界第4位の軍事大国)「宮廷クーデター」2017年<br />
M.B.N皇太子廃位し、国王の息子ムハンマド・ブン・サルマン(M.B.S)新皇太子<br />
M.B.S 2015年国防大臣としてイエメン内戦介入<br />
2017年6月 カタル断交(対イラン安全保障体制としてのGCC崩壊の危機)<br />
2017年9月 サルマン・アウダら社会派イスラーム学者ら逮捕<br />
サウジアラビア:シーア派、ムスリム同胞団、ワーッハーブの全てを敵に<br />
<br />
*クルド人は存在するのか?<br />
クルド人は「3千万人の人口を有する国家を持たない最大の民族」なのか???<br />
クルマンジー語(北部クルド語)とソラニー語(南部クルド語)は互いに通じない。<br />
*クルディスタン独立<br />
1.1920年 セーブル条約でクルディスタン独立承認(1923年ローザンヌ条約で反故)<br />
2.1946年 クルディスタン人民共和国(ソ連によってイラン北部に建国)<br />
3.1990-1年 湾岸戦争:アメリカはサダムフセイン政権への反乱を煽り梯子を外す<br />
→ クルド人自治地域(1970~ ハラブジャ事件1988年)に飛行禁止地帯<br />
2003年クルド地域(自治)政府(KRG)<br />
2014年 イスラーム国台頭によるイラク政府軍撤退、KRG事実上の独立<br />
*クルディスタン民主党(KDP)、クルディスタン愛国同盟(PUK)の対立、政治的腐敗<br />
*2003年サダムフセイン政権崩壊直後比較的治安定のクルディスタン復興バブル<br />
*KRGの腐敗、マーリキーとバルザーニーの対立による中央政府からの配布金カット<br />
*2014年以降、油田地帯のキリクークを支配下においたが経済回復せず<br />
*2017年9月26日 クルディスタン独立投票 <br />
イラクだけでなく隣国トルコ、イランも反対 ←→ 賛成派イスラエルだけ<br />
イラクは空路閉鎖<br />
*クルド人は世俗国家に賛成か?<br />
「失われたクルド人」東アラブの近代スーフィズム覚醒運動の担い手としてのクルド人<br />
ハーリド・バグダーディー(1827年没)<br />
トルコ共和国成立時のシャイフ・サイードの乱(1925年)<br />
現在のトルコのマドラサ・ネットワーク<br />
シリア前ムフティー・アフマド・クフタロー(2014年没)<br />
アサドの御用学者ブーティー(2013年没)<br />
<br />
<br />
<br />
<br /></div>
hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-26642446901223136992017-10-02T10:15:00.000+09:002017-10-02T10:15:34.141+09:00ダウトオウル『戦略的縦深』第1部 1章 3節 2.トルコのパワーのパラメーターと防衛体制<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
2.トルコのパワーのパラメーターと防衛体制<br />
我々が扱う時代のトルコの他の国々の相違として、上記の定式に照らしてその防衛体制を例として説明すべきである。この防衛体制における歴史の要因は、トルコをして、現行の国際法上の国境の暫定的な影響を超えた防衛戦略を取る必要性に直面させている。オスマン帝国の歴史的、地政学的領土に生まれてその遺産を引き継ぐトルコ共和国の防衛体制は、主権を有する国境内だけに限定されて構築されることはできない。<br />
この歴史遺産は、トルコ共和国の国境を超えた介入を必要とする事実上の状況をいつでも生み出しうる。ボスニア、コソボ紛争は、その最も印象的な例であった。バルカン諸国政策を冷戦パラメーターがもたらした二極構造の周辺に位置したNATO(北米条約機構)の枠組に組み込まれたトルコは、国境を接する隣国であるブルガリアとの関係は、(資本主義・自由主義)ブロックの内部紛争、ギリシャとの関係はブロック内の脅威とみなし、その<br />
考えに基づいて空軍力を整備する。したがってユーゴスラヴィアの解体によって、ドラヴァ-サバ島を地政学的枢軸とするボスニア紛争、モラヴァ-ヴァルダルを地政学的中枢とするコソボ-マケドニア紛争に介入する可能性に基づいて、防衛体制を構築したのである。そしてこの紛争が起きた時、トルコの航空機がボスニア上空で滞空時間がわずか数分しかなかったことが明らかになったため、空中での燃料補給が可能な航空機の購入につながった。その教訓を踏まえると、トルコの防衛戦略は、防衛産業が有する歴史的責任を視野に入れた上で立案しなければならないことがわかる。<br />
トルコの地理は、その防衛産業の構造に直接的に影響を与える重要な様々な要素を含んでいる。半身を三方向で海に囲まれている一方で、陸に奥行きがあるトルコの地理は、多くの国々とは逆に、海と空の防衛戦略を統合的に組み立てることによって守られる。この地理が国防上の必要事項をもその交差する領域で規定する。1964年と1967年のキプロス紛争において、海軍が必要な水陸両用車を保有していなかったことが外交政策のオプションを狭めることが明らかになったことは、その好例である。この軍事的欠陥とジョンソン書簡が海軍の体制を立て直し、トルコは1974年の上陸(キプロス軍事介入)作戦を行うことにできるようになった。この地理的要因の影響の好例は、トルコのエーゲ海政策に見ることができる。エーゲ海の3000近くの大小さまざまな島々や小島より更に小さい岩礁を保有するトルコは、そのような地理が要請する海軍の建設を必要としている。<br />
人口急増の時代が始まったため、20世紀初頭の1500万人から20世紀末には7000万人に達し、この30~40年で人口が二倍になると予想されるトルコのこの(人材という)重要な与件を正当に評価するためには、経済力と防衛の需要、体制、構造の間に持続的で首尾一貫した関係を築く必要がある。正しい価値観を有し健全な教育を受けた国家の機動力である人口という要素は、必要とされる用意周到に準備された状況においても不安定の原因ともなり得る。トルコのような強大な人的潜在力を有し世界の最も不安定な地域の地政学的交差点に位置する国々は場当たり的な政策によっては安定しえない。<br />
トルコの勢力均衡におけるこれらの定項を実現させる大きな可能性は、防衛体制の観点からは同時に大きなリスクでもある。このリスクを最小に減らしながら、その可能性を実行に移すことは、歴史、地理、人口のような定項と、農業、産業構造、交通、天然資源のような経済的諸要因と技術的潜在力をマッチングする戦略を立案することによって初めて可能となる。<br />
この点において、経済発展戦略と防衛戦略の間の関係は、安定した上位戦略によって規定されねばならない。トルコは現在までそれを行わなかったことの問題に直面している。80年代までは、輸入補助制度に頼る経済発展戦略を採用していたトルコは、この戦略に適合した防衛産業(育成)戦略を発展させた。トルコにそのような連携がなかったことで、1974年に平和運動の前にキプロス問題で難局に陥ったことは、受け身の場当たり的な戦略的体制の所産であった。また経済力、技術力と防衛体制の間の緊密な関係に気づけば、それが必然的であったと付言できる。<br />
80年代の後の輸出志向経済発展戦略を採用した時代においても、防衛(産業)部門の輸出の潜在力は十分に評価されておらず、その部門での技術革新も望ましい規模で実現されていなかった。近年では、潜水艦のような一部の製品によって、極東市場に参入を試みたのも、この不足に遅ればせながら気づいたことを示している。F-16戦闘機のアセンブリー生産の部品の一部の生産を担うようになったことを重要な一歩として評価することができるなら、国産技術の発明を付け加えるレベルでの本物の持続的な成功を成し遂げることができよう。航空機の近代化にまだ外国からの支援が必要であることを痛感したトルコが、輸入によって入手された航空機部品の近代化においても、パワーの能力の定項と変項の視点からは、(トルコより)はるかに遅れた国々にも頼らざるをえないことに気づいたことは、問題の深刻さを示していた。<br />
トルコはポスト冷戦期に関して、まだ自前の首尾一貫した戦略を持つに至っていない。防衛産業を含んだ形での新しい戦略を立案することなしには、次第に地域性、グローバル性を増しつつある危機に即応することはできない。今日では、パワーの諸要素と戦略の立案の調整においてなされた最も重大な間違いは、パワーの定項諸要素がダイナミックに活用せず取り残されたままにされていることである。外交における重大な失策に道を開いた静的な理解とその遅れも、元はと言えば、定項と変項の諸要素を調整し統合する長期的な戦略的一体性の不在の結果であったのである。このこともまた、戦略的計画と政治意志の欠如という問題に我々を向い合せる。共同体の政治的、経済的、精神的伝統を統合する新しい戦略の構築と防衛産業を、この枠組みにおいて、パワーの定項要素をダイナミックな解釈し、パワーの変項の潜在力を起動させる形で新しく考え直すことが、基本となる出発点でなくてはならないのである。<br />
<div>
<br /></div>
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hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-23467244947026202292017-09-27T10:06:00.000+09:002017-09-27T10:06:14.447+09:00ダウトオウル『戦略的縦深』1部 1章 Ⅲ.応用分野例:防衛産業<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
Ⅲ.応用分野例:防衛産業<br />
1.パワーのパラメーターと防衛産業<br />
国の防衛産業はその国のパワーバランスの産物でもあると同時にその重要なパラメーターでもある。この枠組において、国の防衛産業は基本的に変項の産物であると共に前記のパワーの等式の全ての要素が相互に影響する領域で生まれる。防衛産業の成り立ちは、変わらないものとして我々が扱ってきた国の歴史と対外政策の間のバランスに応じて決まる。カール大帝の神聖ローマ・ゲルマン帝国以来現在に至るまで、ヨーロッパの北から中央へと拡大していったドイツの中枢とその中枢の東ヨーロッパの草原地帯における後背地が必要とする陸地が優先的に防衛され、歴史的な遺産が防衛されてきたことは、影響がいかなる形をとるかを示す良い例である。同様にヨーロッパ大陸の政治と、グローバルな国際政治を、ユーラシア大陸を取り囲む海を支配することによって行う伝統を有するイギリスの国防が海洋を重視するのも、歴史的与件による戦略と防衛の重点化の所産である。<br />
歴史は、パワーの等式における定数として、国防に直接的に影響する。この点で、オスマン帝国の継承国としてのトルコ共和国は、いまだに形を変えて帝国的性格を維持し続けようとするロシアとも、そのような遺産を守る義務があるルーマニヤとも、歴史にあまり拘束されないデンマークとも、大変大きく異なる防衛戦略を取る必要がある。<br />
定数である地理も防衛体制や産業の発展に直接的に影響する。たとえば海に全く接しない内陸国オーストリアのような国には、海洋戦略を編み出すことも、その戦略に必要な海軍力を持つことも問題とはならない。ただ海に通ずるドナウ川でのどのようなことができるかを立案できるだけなのである。逆に数千の島からなるインドネシアは海軍を無視した陸軍重視の国防戦略では生き残ることができない。アフロユーラシア大陸と遠く海で隔てられたアメリカ大陸から世界中にヘゲモニーを行使しなければならないため、アメリカは陸海空軍を統合的に使用する特殊な戦略に対応できる独特な戦略を有することになった。機動力と兵站補給能力を有する海軍と航空母艦保有の優位は、アメリカがこの独自の地理から必要としたものなのである。<br />
人口は短期間には変わらない定数であり、また国防体制と産業構造に影響する要素の一つでもある。そのことは防衛産業の生産段階と、生産された武器使用の領域の双方において見いだされる。人口7千万のトルコの国防と、2百万人のアルメニアの国防では、必要とされるものは同じではない。防衛産業戦略は、経済開発戦略全体と調和する最適な比率でこの人口という要素(人材)を配分することによってこそ成果をあげられる。<br />
この定数の多方面にわたる影響にもかかわらず、防衛産業のあり方を直接的に決める主たる要因は、経済的、技術的、軍事的能力のような変数である。国家の歴史、地理、人口のパワーがどれだけの規模の防衛産業を必要とするとしても、それを実現する変数は、その経済の発展レベルとテクノロジーの力なのである。経済発展戦略と国防が必要とするものとを調和、統合することができない防衛産業が、経済全般の均衡と無関係に重要な発展を成し遂げることは不可能である。こうした国々はせいぜい武器の密輸ができる規模での武器の生産と輸送をする程度の国家になることができるだけである。<br />
重要なのは経済発展なのか、安全保障のパラメーターなのか、との議論が割れている国がその双方で一貫して目に見えた成果をあげることは大変難しい。この件で最も不経済な行動を取るのは、安全保障のパラメーターが必要とする費用を優先し、経済発展を二の次にしておきながら、その安全保障のために必要な兵器と防衛体制を全面的に輸入に頼る国々である。このような国々は、一方で、乏しい資源を経済的には利益をもたらさない兵器の購入に振り向けながら、他方で、自前の防衛産業の経済部門(育成)を疎かにしたせいで、一般的には対外債務のバランスと兵器生産の依存のような国家の経済的、軍事的脅威結果の形で見ている。逆にこの件で最も生産性が高いのはは、防衛セクターを経済の独自分野として位置づけ、そのセクターが防衛の需要に対応し、また生産した兵器、防衛体制が経済を牽引するように計画を立案する国家である。第三世界の国家はこの分類では第一の範疇に入り、先進国は第二の範疇に入り、それによって新植民地主義体制の(存続)を保証している。<br />
防衛産業で経済力、経済の発展水準と並んで二番目に重要な要素は技術力である。軍事的要請と経済発展、技術のイノベーションの間には、想像以上に近い関係がある。経済発展とパラレルな技術のイノベーションが軍事戦略は重要な規模で影響するが、逆の過程も同様である。多くの重要な技術的発見、イノベーションは、最初はまず軍事的要請によってなされ、この意味で防衛産業は技術的発展の機動力をなしている。アメリカの国防において使用された多くの新技術は、後に民生に転用されたが、第一次世界大戦は技術的観点からはるかに大きな重要な変化があったことが忘れられてはならない。同様に、特に飛行機産業において第二次世界大戦の継続を可能にした技術の進歩は、後に重要な技術として民生に転用されたことも事実である。<br />
技術の裏付けなく単なる安全保障上の一時の危機的状況に強いられて国家が防衛産業に参入したとしても、短期的には生産の限界を克服できたとしても、長期的には技術の拘束性を逃れることはできない。<br />
国家の防衛戦略とそれに適した産業構造は、その定項が要請する最適水準と経済的、技術的、軍事的能力の間の最適のバランスの実現の下で決定されるのであるが、そのバランスの調和をその時々において適切にもたらすためには、それを動かす要因としての政治的意思と、戦略的計画立案が必要である。したがって、このきわめて多面的な与件の間の関係を可能にする主たる要因は、戦略的な計画の存在と、その計画を発展させたり実行に移す政治意志なのである。<br />
そのような政治意志も戦略的な計画もない行動は、人間は短期的には見かけ上の成功を収めることがあっても、長期的には国家の全体的な均衡を方向づける機動力になることない。長期的な計画の中で行為する国は、後に残る成果を積み重ねていくが、短期的な危機的状況に場当たり的に反応する国は、継続性がある戦略から逸れる定めにある。この戦略から逸脱することは、長期的には、防衛体制を腐食し、同時に対外依存をもたらす。防衛体制がこのような状態で、外国に依存する国家は、独立国家としてのぶれ、のない政治意志を有することはできない。<br />
長期的かつ継続性がある要素に基づいたアメリカ、ドイツ、ロシアは、その防衛産業の構造を、定項と変項といかなる規模ででも正確に適応させられることは明白である。アメリカが大陸を超えた戦略において依拠する原則は、いまだに海洋地勢学者マハンが20世紀の初めに定式化した基本法則に基づいている。この戦略的連続性と確固たる政治的権威こそが、アメリカをして、勢力均衡における定項と変項を有利に利用して世界覇権国(ヘゲモニック・グローバル・パワー)にさせた根本的な理由なのである。その逆に、仲間内での見栄の張り合いから巨額の武器を購入している富裕な中東産油国は、戦略的計画性も確固たる政治意志もない国防政策によって、武器の代わりに石油収入を言いなりに差し出す相手方の金庫のようなものになっているのである。<br />
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hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-39681090981004525492017-09-19T00:36:00.000+09:002017-09-19T00:43:04.082+09:00ダウトオウル『戦略的縦深』第一部 1章 2節:人材とその戦略への影響<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<br />
<br />
Ⅱ.人材とその戦略への影響<br />
パワーの定式においては、定数と変数は組み合わされて相互に影響する。つまり、歴史、地理、人口学的、文化的要素、そしてその他の要素の影響の合計がパワーに及ぼす影響の規模となる。そのための定式によって、すべての指標によって示されているのである。戦略思考、戦略計画、政治意志は、これらすべての要素に、わかりやすい例として大きく影響する。つまり、定数や変数にどれだけ大きな優位があるとしても、戦略的に思考せず、戦略的計画と戦略的意思を十分強く一貫して行動に移さない国家は、パワーを実現することはできない。(逆に)時にはネガティブな戦略立案と政治的意思があれば、マイナスの乗数さえ、定数と変数の総計である(国家の)パワーを減ずるという形で実現される。<br />
第一次世界大戦で、特に、コーカサスとパレスチナの戦線での戦略的計画の不在が道を開いた悲劇が、オスマン帝国のパワーバランスにマイナスの乗数による大いなる衰退をもたらしたことが、その分かりやすい例である。アッラーフエクベル山脈で7万人の兵士が凍死したことも、拙劣な戦略の計画が、変数としての軍隊を加速度的に弱体化させた最も明らかな例の一つである。同じ地域で数年後にカズム・カラベキル将軍がカルスとアルダハン地域を救い出した「東方作戦」は、凋落した国家の極度に弱体化した軍隊であれ、正しい一貫した戦略計画があれば通常のパワーの定式のパフォーマンスを示すことができることの良い例である。<br />
同様にアブデュルハミド2世の治世の政治意志を実行に移すことを可能とする外交的手段である国家の歴史と地理という定数が、加速度的な国家崩壊を(一時的に)食い込めたことは明瞭である。それとは逆に第二憲政期における政治意志の混乱は同じ定数と変数にマイナスの乗数効果を及ぼし、史上最も長く続いた国家(オスマン帝国)を終焉に導いたこともまた事実である。<br />
ワイマール共和国とヒトラーのドイツの間のパワーの相違も、同じ定数と変数であっても、(違って)戦略的計画に政治意志によって、いかに異なったパワーバランスに道を開くか、のもう一つの分かりやすい例である。この事実は我々の地域からの例も支持している。サウジアラビアのパワーバランスにおける最も重要な要素としての石油を中心とする経済の潜在力は、(皇太子から国王への)移行期のファイサルの治世の政治意志を伴うことで、重要なパワーの要素となったが、その後に、政治意志を欠くことにより、機能しなくなったことはだれの目にも明らかなことである。<br />
要約すると、国家のパワーバランスにおける重さは、定数と変数の戦略的計画と政治意志は、加速度的決定が結果的に現れた。良い戦略的計画と政治意志があること、定数と変数、弱い国に自己潜在力の上でパワーとなることを実現して、一貫性のない戦略的計画と弱い政治意志、潜在力のある国自身の基準よりもっと下がったレベルでパワーバランスを有することに道を開くことができる。<br />
この状況は国家の最も基本的な戦略的なパワーが人材であることを明らかにする。戦略上の定数としての地理と歴史は変えることはできない。しかしこの優秀な人材はこの地理と歴史に新しい地平を開く意味を与えることができる。(逆に)人材が劣悪であれば地理と歴史という要素が同じであっても国家は弱体化する。<br />
神聖ローマ‐ゲルマン帝国の内部でドイツ人がばらばらに住んでいたことは、カール大帝(814年没)以来18世紀に至るまで、歴史と地理に由来する大きな弱点であった。同じ歴史と地理の与件は、フリードリッヒ2世の手で捏ね合わせて作られたパン、ビスマルクの鉄拳の下で柱石を積み重ねた建物、ヴィルヘルム2世の手でグローバルなパワーとなった。この伝統から無敵の紋章を引き出したヒトラーは同じ地理と歴史を悪用したために大破滅を招くことになった。こうした例は大規模な戦略を展開するすべての共同体に見いだされる。<br />
歴史と地理に反する戦略の変数の間に場を得る経済発展は、技術的、軍事的能力は、直接的に人的要素の質と力にかかっている。質が高い、高等教育を受けた、民族の目標を体現する人材は、廃墟からでも偉大な経済を復興することができる。ドイツと日本が第二次世界大戦後に成し遂げた経済発展、アメリカの1929年の大恐慌を克服することで示したパフォーマンスは、人材と民族の戦略的団結の関係の最も分かりやすい例である。莫大な天然資源の潜在力を有する中東諸国が、その潜在力を戦略的パワーに変換できない主たる原因は、人材の欠如、あるいは良質の人材が政治制度によって戦略目標を正しく具体化できる計画に沿って組織されていないことである。<br />
トルコの戦略方針における最も良い例もまた人材に関わるものである。トルコは歴史と地理の与件とそれらの与件の活用を可能にする文化的下部構造の観点からは、グローバルな戦略を展開する多くの国々を羨ましがらせる蓄積を有している。しかし、それだけでは十分ではない。これらの戦略的パワーを構成しうる全ての要素も、それをダイナミックに意味づけし、変転する国際情勢に適応させ、相対立するパワーの諸要素を調整することができる牽引力があり視野の広い人材を欠くならば、これら全ての潜在力から動力を引き出すことはできないのである。こうした牽引力のある人材が存在する場合でさえ、その人材と政治制度による戦略的選好との間に調和的な理解と正当性の共有関係が成り立たないと、その有能な人材も、不適切な職場で能力を発揮できずに無駄骨を折らされることになる。<br />
国家の戦略的な開放性の最もデリケートで重要な要素は、制度の中枢の政治意志と社会の指導的市民の人材の間の正当性(meşruiet)共有関係である。現代において頻繁に用いられる慣用表現で言うと、「深遠な国家には深遠な国民がいる」のである。国民の深遠に達せず、その深みにおいて共有された価値システムに由来する霊的一体性を発現させることができない国家の深遠性は、粗暴なパワーになり下がるほかないのである。<br />
人材と政治システムの間の正当性共有関係の最も重要な点は、信頼関係である。人材の信頼をかちえることができない国家は戦略的地平を開拓することも、社会の潜在力を動機づける戦術的目標を設定することも、その戦術的目標に適した手段を正しいタイミングで実行することもできない。同様に、国家の意思決定メカニズムから疎外された人材は戦略の立案者となることも、その一翼を担うこともできない。戦略的パワーは、そのパワーを実現することができる人材を信頼することで、真の実存を獲得するのである。<br />
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hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-50557766315414633302017-09-10T13:22:00.000+09:002017-09-19T00:42:20.538+09:00ダウトオウル『戦略的縦深』 第一部 1章 1節 4項:戦略計画と政治意志<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
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<span style="font-family: "ms 明朝" , serif; font-size: 10.5pt; line-height: 120%;">4.戦略計画と政治意志</span></div>
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<span style="font-family: "ms 明朝" , serif; font-size: 10.5pt; line-height: 120%;"> 戦略思考と戦略計画の間には、内容‐形式の関係が存在する。与件が決定する戦略思考の内容は、その潜在項を合理的な筋書きに整序する戦略的計画によって理解できるように造形される。著名な軍略学者カール・フォン・クラウゼビッツ(1831年没)は戦術と戦略の間の関係を「戦術は、兵力を戦争のために使用する技法、戦略は戦争を最終的な平和のために使用する技法である」と定義している。どのような兵力が、どんな小さな戦争で、どのような規模で使用されたかは、それらの戦争の結末の平和が何を目的にしているかを明らかにすることで確定することができる。これは両面的関係である。戦略の方針を決める軍団が互いに無関係な小競り合いで単発的な勝利を収めても、最終的な平和をもたらすことにはならない。同じく、理論的な戦略的方針と共に、その一部をなす戦闘の戦術を有さない軍団が成功することも可能ではない。</span></div>
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<span style="font-family: "ms 明朝" , serif; font-size: 10.5pt; line-height: 120%;"> 外交においても事情はそうは異ならない。ただ最終目的に到達するための手段が違うだけである。戦術に従事する人間たちを一つの方針の中で纏めあげることは、時間が経つと戦略方針を大きく変えることにも繋がる。なぜなら戦術にかかわる人間を任命する外交官たち自身が戦術にかかわる人間を戦略上の駒として見始めるからである。自分が指揮する戦闘を、平和に向けての戦略全体と同一視する将官が、最終的な平和に関して軍の戦略においてどれほど誤った方針に道を開くか、自分の戦術的選好を国家の外交の中心に据える外交官も同じように深刻な過失を犯す。オスマン帝国軍が第一次世界大戦において多方面で戦果をあげながらも最終的には敗北したことは、その最も良い例である。自らの戦略的方針が定まらなかったため、オスマン帝国軍をドイツの戦略に追随させた(オスマン帝国の)軍事/外交的指導者たちが、その戦略の一貫性を失って以来、戦況はオスマン帝国に不利になっていった。</span></div>
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<span style="font-family: "ms 明朝" , serif; font-size: 10.5pt; line-height: 120%;"> 特に一時的で経済的利害に基づいているような同盟関係において、短期的戦術が決定的であるようなダイナミックな勢力均衡が成り立っている状況で成功するための最も重要な条件は、長期的戦略と短期的戦術の均衡のとれた組み合わせである。あらゆる種類の変化に対応して勢力均衡を実現できる戦略的目的を短期、即決の戦術に落とし込めることができる国家が発展するのである。それは意思決定において、外交関係を絶対化せず、千変万化の戦略目的の選択にあたって柔軟でありながら右往左往しないことが必要なのである。そのように活動できる国家は、長期的な勢力均衡を実現する上で有利になっていく。冷戦終了後の僅かな間、アメリカ一極構造なった国際関係は、今日では加速度的に(再び)勢力均衡の諸特性を示し始めているようだ。前もってその準備があった地域大国は、多くの選択肢を有する政策と、柔軟な外交に舵を切ることができた。</span></div>
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<span style="font-family: "ms 明朝" , serif; font-size: 10.5pt; line-height: 120%;"> このような状況では、こうした戦術を完全に指揮下において、軍事/外交のユニットを自在に操縦する戦略の政治的意思がなければ、戦術的勝利をいくら積み重ねても戦争に最終的勝利を手にすることはできない。国家の安全保障とその未来に開ける地平は、国際関係のスケジュール立案、交渉プロセスにおける心理的優位、イニシアチブのパワーによって測られる。未来に関わる地平は、縦深性を有する国家の政治的指導者たちは、決定した議題の跡ではない。逆に議題の彼らの手で片付くった、そしてこの形の受信、これはその国家に第三国の関係においてさえ効果ある要素になる。</span></div>
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<span style="font-family: "ms 明朝" , serif; font-size: 10.5pt; line-height: 120%;"> 政治的意思の不十分さによって、対外政策を危機的状況の浮沈の流れに任せ、スケジュール計画を受け入れることができない国家は、他者からの提案を示されての場当たりの反応によって矛盾し混迷の状況に陥る。この種の国家の政治的エリートたちは、依って立つべき歴史もなく、目指すべき地平もなく、大胆でなく決然としておらず、臆病で受け身である「解決のために私はいる。」は大胆さではない。危険なところには私はいない。」防御に熟練した心理の中でふるまう。</span></div>
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<span style="font-family: "ms 明朝" , serif; font-size: 10.5pt; line-height: 120%;"> この個性のないエリートたちは、危機的時代に前線に踊り出る決断的人間ではなく、覚悟もなく、イニシアチブを取らないことが条件となる。国々を世界管理計画の議題で役立つようにしておくことは、新たな責任を負うために受動的であることが安全で危険がない政策と見做す。議題を決定した後で舞台に出て交渉のテーブルの端に連なるようにあがく。目立つことから逃げる。しかし一旦、列車に乗り遅れるとの不安に襲われると、あわてふためいてどんな怪しい関係であれもぐりこもうとする。現象の中心にいれば安全であると思うのでもなく、傍観者であることにも満足しない。問題の中心に直接関わる責任から逃れる道を探しながらも、蚊帳の外に置かれると、中心に一歩でも近づくためなら、なんでも代わりに差し出そうとする気紛れである。行動と期待がもたらす責任から逃げることと、放置されないできることの間で行きつ戻りつし、おどおどと落ち着くことがない。</span></div>
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<span style="font-family: "ms 明朝" , serif; font-size: 10.5pt; line-height: 120%;"> チェスの駒を操る棋士なのか、それともチェスの駒なのか、己が何者なのか謎なままの矛盾を彼らは抱えている。駒を操る棋士として踏み出す一歩の結果は恐れるが、他人が操る駒となることにも甘んじられない。駒でもなく、ゲームでもなく、棋士でもなければよかったのに、と考えて混乱し、最も強い棋士の陰に隠れることが最も安全であると自己暗示をかけるのである。その後には、そのゲームは、最強の棋士たちが操る盤上(の前線)の歩兵が戦争のカギとなる。歩兵は戦争での小さな勝利を勝ち誇り、桂馬、女王、王が盤上(の前線)にないという理由で自分の弱さをごまかそうとした。ゲームのルールを変え、自分の力(弱さ)を思い出させるすべてのものを恐れる。危険を予防して、自己の潜在力を隠して、他の者たちが有する本当リアルパワーの流れに合わせて泳ぐほうがより安全だと考える。自己の歴史と地理の広大な地平で真摯に利害を考量し決断的に行為するより、他者の戦略の陰で右顧左眄することを選ぶのである。彼らが有しているのは、歴史の伝統ではない「請求書」、地理が有する戦略的潜在力とも資産でもないグレートゲームに捧げられた掛け金なのである。</span></div>
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hassankonakatahttp://www.blogger.com/profile/04196759136891534602noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3554283542911079432.post-29037896306812681452017-09-04T04:22:00.000+09:002017-09-19T00:42:01.206+09:00ダウトオウル著『戦略的縦深』第一部 1章 1節 3項:戦略思考、文化的アイデンティティー<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
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3.戦略思考、文化的アイデンティティー<br />
共同体の戦略思考とは、文化的、心理学的、宗教的、社会的価値世界も含む歴史的伝統とこの伝統が作り反映される地理的生活領域の共同産物としての意識と、その共同体が世界の上でいかなる位置を占めるかについての観方の決定の産物である。この観点からは、思考と戦略の関係は、地理的与件に関わる空間把握と歴史意識に関わる時間把握が交差する領域に生成する。異なる共同体が異なる戦略的視点を有することは、本来この異なる場所と時間の次元による世界観の産物である。<br />
共同体自体の地理的位置を枢軸とする空間把握と、自己の歴史的経験を枢軸とする時間把握は、方針と対外政策策形成に影響する思考の下部構造を作る。民族の昔からの政治的一体性は、移ろいゆく個々人から成る社会よりもずっと安定した過程の産物としての長い歴史の事象の積み重ねの一体性を受け入れるなら、その戦略思考が政治プロセスの中でアイデンティティー意識を主張することと、不断に更新される一時だけの仮象の政治的浮き沈みを共に超えた連続性を示していることを我々は知ることができる。<br />
たとえばドイツの戦略的発想は、神聖ローマ・ゲルマン帝国の起源に遡り9世紀にわたる歴史的経験の、近代国民国家が哲学的基礎、歴史的現実性、イデオロギー的下部構造を備える19世紀に至るまで伸びた歴史意識の所産である。この(歴史)意識は、中世の封建的/宗教的伝統と近代世俗/イデオロギー的伝統の諸要素とを共に含む。ヘーゲルによるドイツ意識の歴史的起源を明らかにする歴史的解釈とヒトラーの第三帝国の概念の間にある平行関係はこの戦略的発想の継続性から生まれた。<br />
同じように正教に基づくロシア帝国と無神論に基づくソビエト連邦共和国の戦略上の優先事項の間の平行関係と継続性も、共同体の戦略が歴史や地理のような与件によってどの程度まで決定されていたかを示す指標である。ロシアのアイデンティティーが普遍的イデオロギーとしての社会主義であったにもかかわらず、冷戦期に急進マルクス主義が取ることになった新しい民族主義的潮流の中でも自己の政治的アイデンティティーを再設定して存続できたことは、この戦略思考が継続していた結果である。政治的キャリアを、社会主義者として始めたミロセヴィッチがポスト冷戦期に急進的な人種主義者に変わったスラブ民族主義のリーダーになったこともその例である。<br />
我々自身の歴史から例を挙げるならば、セユートで勢力があったトルコマン人が建国した小侯国(ベイリク)から始めて時を経て、古代から場を占めてきた文明の圏域全体に広まり、人類史上最も多様、混交的、複合的な政治構造体の一つにオスマン朝を進化させた主たる要素も、その政治的下部構造を織りなす時空意識なのであった。この戦略思考がオスマン朝の伝統のパワーと、この伝統のパワーが作るオスマン体制(オスマンの平和;パクス・オスマニカ)の安定を実現させた。過去に遡る「万古の」という概念も、未来を規定する「不滅の国家」という概念も、この戦略的思考を作り上げる歴史とアイデンティティー意識を反映している。<br />
オスマン朝の解体過程も、トルコ共和国の樹立から今日に至るまで直面してきた国際問題の中で現れた最も重要な緊張の領域も、この連続する戦略意識のさまざまな要素と国際的パワーバランスの間の差が生んだ心理的緊張と、この緊張のアイデンティティー意識の上に、トラウマとしての影響を及ぼしている。この視点から、オスマン‐トルコ戦略意識の主なもろもろの要素のうちで継続するものと変化するものを改めてこの視点から議論することは、我々が直面しなければならない最も重要な例の一つである。<br />
アイデンティティーと時空意識を歴史的伝統と目前の現実の枠組において再構成することが、歴史の中での存在し、人類の伝統を守ることができるための必須条件である。戦略思考なしには、翻弄されるばかりである。戦略思考を有し、その戦略思考を変更条件に応じて新しい概念、手段、形式によって再生産できる共同体は、国際的パワーのパラメーターを操作することができる。この逆に、戦略思考を急に破却することでアイデンティティーを失った共同体は、自らの歴史的実存を危険に晒し、他の共同体を操るべき対象としかみなさいことで人間性の理念を見失い自己疎外に陥る。<br />
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