アフガニスタンの和解交渉のためのロードマップ
1.両当事者が相互にその交戦相手をそれぞれの元首によって代表される組織化された政治的実体として承認するとの声明を国際社会に向かって同時に発表する。
2.和平交渉の代理人の選定。一人は、一方の当事者(米国)の元首(オバマ大統領)によって指名された代理人、別の一人は他の当事者(アフガニスタン・イスラーム首長国)の元首(「信徒の長(Amīr al-Mu'minīn)」 ムッラー・ウマル)によって指名された代理人であり、もう一人は、両当事者の代理人双方によって承認され指名された仲裁者になります。
3.両当事者は、その交渉関係者の安全が両当事者によって保証されるアドレスが与えられます。
4.交渉は両当事者のアドレスが置かれている国で、公認の交渉の代理人によって開始されます。
5.交渉は、上記の手続き的条件を除いて、いかなる実質的な内容を伴う条件をつけることなく開始される必要があります。
6.停戦、外国軍の撤退、現行のイスラーム共和国憲法の受け入れ、及びアル=カーイダとの絶縁を含めあらゆることが、(前提条件として排除されることなく)交渉の対象とならなくてはなりません。
7.交戦中も、(アドレスが確保され)交渉のチャンネルは開かれている必要があります。
8.アフガニスタン・イスラーム共和国とアフガニスタン・イスラーム首長国の地位の最終的決定は、両当事者によって合意文書が締結されるか、あるいは統治者を選ぶアフガニスタンのイスラームの伝統であるロヤ・ジルガの適切な手続きによってアフガニスタン国民の手に委ねられます。
1.問題の背景
(1)治安情勢は米国とその連合軍の侵攻によるタリバン政権/アフガニスタン・イスラーム首長国(実効支配1996 - 2001年。以後「イスラーム首長国」と略記)の2001年の崩壊以来日増しに悪化しています。イスラーム首長国は2001年に完全に支持を失ったにもかかわらず、その後、民衆の支持(もっぱら消極的な支持であるとしても)を回復し、今では国土の70%以上が、その支配下にあると言われています。
(2)アフガニスタンの国土の大半の治安を回復し麻薬取引を撲滅することが出来た政権は、首長国(統治の最終段階)だけでした。
(3)アフガニスタンでの反政府武装闘争の増加の主な理由は、ISAFの空爆などによる民間人の犠牲、いわゆる「巻き添え被害(collateral damage)」に対する民衆の怒りです。
(4)治安の悪化とタリバン(イスラーム首長国)の復活の主たる理由は、カルザイ政府とISAFの失政であるのは明らかです。
(5)米国とその連合軍の侵攻によって、イスラーム首長国が民衆の消極的支持を失い脆くも崩壊したのは、その過酷な統治、民衆を苦しめた残虐行為のせいでした。しかし北部同盟の軍閥たちはそれよりも更に甚だしい残忍な人権侵害を行っていたのであり、そのために当時タリバン(後のイスラーム首長国)は瞬く間に彼等軍閥を追放できたのでした。
2.交渉のフレームワーク
(1)我々は準拠する共通の法体系を有しない2つの当事者間の交渉の枠組みを模索していることを自覚しなくてはなりません。イスラーム首長国が準拠する法体系は「シャリーア」、即ちイスラームの天啓法であるのに対し、カルザイ政権と米国の依拠する法体系は、実際には欧米の法律に他ならない「国際法」だからです。
(2)西欧の国際法とイスラームのシャリーアは確かに共通の要素を有してはいますが、それらの共通点は限られています。
(3)両当事者は、自己の準拠する法の適用を相手に強制することなく、本当の意味で「普遍的」な良識に照らして、アドホックベースで個別の問題の解決策を模索しなくてはなりません。
(4)両当事者は、相手方の領土内では相手の法が通用することを認め、相手方の領土内では相手方の法を敢えて侵犯はしないという消極的意味で、相手方の準拠する法に一定の「敬意」を払う必要があります。
3.問題
(1)ISAFの外国軍は西欧の治安を脅かすアル=カーイダ(al-Qāi'idah)と戦うとの口実でアフガニスタンを占領しています。ところがアル=カーイダの指導部と兵士はアフガニスタンではなくパキスタンにいることが今や明らかになっています。
(2)その主役がタリバン(イスラーム首長国)ムジャーヒディーンである反政府勢力は、西洋に住む西洋人に危害を行うために戦っているのではなく、そうした武装勢力自身を含むアフガニスタンの民衆を殺害している外国の侵略者の軍隊と戦っているのです。
(3)外国の駐留軍の存在に起因するアフガニスタンの民間人犠牲者の数はISAFの公式統計より遥かに多数にのぼっていますが、その多くは反体制武装勢力による外国軍とカルザイ政権に対する攻撃の「巻き添え被害」です。
(4)前ISAF司令官マクリスタル将軍が、アフガニスタンの民間人犠牲者のために一人当たり2500 ドルの賠償金を払うと述べた時、それが正義、平等、人道に明白に反していると思われたため、彼の発言はアフガニスタンの人々の激怒を買いました。
(5)理由が何であれ、犠牲者が内戦に苦しむアフガニスタンの民衆であることだけは事実です。
(6)アフガニスタンの援助の名の下に費やされている数十億ドルが実際には欧米企業やNGO要員、アフガニスタンの軍閥、政治家、そして彼らの縁故のビジネスマンのために消費されており、一般民衆が殆どその恩恵を受けていないことは、アフガニスタン国内だけでなく、海外でも広く認識されています。
(7)ISAFの外国軍だけではなくタリバンのムジャーヒディーンを主体とする反体制武装勢力の攻撃によっても無辜の民衆が犠牲になっており、タリバンを自称する一部のグループはイスラームに基づく抵抗の名においてアフガニスタンの民衆への残虐行為を行っています。
(8)「タリバンによる女子教育の禁止」のようにタリバンに関しては多くの誤解が存在します。(実際にその時点でタリバンによって一時的に禁止されたのは「女子教育自体」ではなく、適切な女子教育のためのリソースの不足に基づく「不適切な女子教育」に他なりませんでした)アフガニスタン国内だけではなく国際的にも公式なマスメディアは全て反タリバン勢力の支配下にあり、彼らがタリバンのイメージを歪曲しているからです。
(9)タリバンについて多くの中傷がある一方で、適切なイスラーム高等教育の欠如と厳しい監視の下にある秘密組織の常としての指揮命令系統の機能不全により、自称タリバンの反体制武装勢力のみならずタリバン(イスラーム首長国)の「影の政府」自体によってさえもイスラーム法と人権に対する多くの侵害が行われていることもまた事実です。
(10)「タリバン」は国民的な抵抗のシンボルとなっており、カルザイ大統領自身がかつてカンダハルで、西欧がこれ以上自分に圧力をかけ続けるならば自分はタリバンに参加する、と述べるまでに至っています。
(11)統計が示す通りアフガニスタン国民の90%がタリバンとの和解に賛同していますが、タリバンとの和解の必要性は西側陣営においてさえ感じられるようになっており、米国の政策立案者の一部(オバマ大統領とヒラリー・クリントン国務長官を含む)はタリバンとの交渉を開始したと思われています。
(12)しかし、カルザイ政権内の一部の旧軍閥や政治家、そして所謂人権活動家たちは、多くの虐殺、残虐行為、人権侵害を犯したタリバンは政権に参加してはならないと主張し和解に反対しています。
(13)人権とシャリーアの法の侵害をイスラーム首長国が犯し、それらの侵害がまだ償われていないのは事実であっても、タリバンよりも酷い残虐行為を働いた旧軍閥たちがカルザイ政権で要職を占めているのです。
3.解決策
(1)アフガニスタンの現状の分析の論理的な帰結は、上記の諸問題の解決の唯一の方法は、アフガニスタン復興の名の下に途方もなく膨大な富を蕩尽したにもかかわらずまともな国家運営ができなかったことを自らが証明しているカルザイ政権と外国軍に代わって、国土の大半で「影の政府」を構成している反体制武装勢力の主体であるイスラーム首長国に安全保障と統治を任せるべきである、ということです。
(2)タリバンが犯した人権侵害を理由にタリバンの政権編入に反対する主張は退けられなくてはなりません。和平実現のために旧軍閥の犯した人権侵害が不問に付され政権に編入されたのと同様に、和平のためにはタリバンも受け入れられなくてはならないからです。
(3)和平は、(時間的に先行する)長く苦しい内戦に終止符を打ち平和と治安を実現したかつてのアフガニスタンの正当な「国民的」政権「アフガニスタン・イスラーム首長国」に、外国軍の力で支配の正当性を獲得した事実上の正当な政権「アフガニスタン・イスラーム共和国」が統合される形を採ることが望ましく、逆(「イスラーム共和国」に「イスラーム首長国」が統合される)ではありません。
(4)UNAMA(国連アフガニスタン支援ミッション)の役割は、上記の課題を解決し、イスラーム首長国にイスラーム共和国が統合されるまでの過程での平和的な権力の移行を保証するために、首長国を財政的、技術的に支援することです。
(5)イスラーム首長国と憲法の最終的な形は、適切な時期に、ロヤ・ジルガによって表現されるアフガニスタンの国民の意志によって決定されなければなりません。憲法は現行のイスラーム共和国憲法に必要な改正を加えたものとなります。
(6)UNAMAは人権とイスラーム法の認める人権に対する侵害が行われないように、イスラーム首長国の官吏のイスラーム教育の発展にフルサポートを提供しなくてはなりません。
(7)女性教育の開発は、社会慣習、伝統の類似性から、2010年の時点で大学の女学生の割合が56.8パーセントを構成するに至っているサウジアラビアの女性教育をモデルとすべきです。
(8)国家元首「信徒の長」の座はカンダハルであるとしても、政府の行政機関はカーブルに置かれ、カーブルは「国際都市」としての特別な地位を与えられ、そこでは外国人の非イスラーム教徒の庇護民(Ahl al-Dhimmah:永住権獲得者)と安全保障取得者(Musta'min:短期滞在者)はシャリーアの認める信仰と宗教の実践の完全な権利を享受することができ、イスラーム教徒のアフガン国民はアッラーに対する自己責任において彼らと交流することになります。
(9)国家の宗教は、「信徒の長」の臨席するウラマーゥ(イスラーム学者)の諮問機関によって定義されるハナフィー学派のクルアーンとスンナの正統な解釈によるイスラームとなります。イスラーム教の他の学派の信仰の自由は私的領域においては保証され、シーア派イスラーム教徒同士の間の訴訟は、シーア派が多数を占める地域ではでシーアの派カーディー(裁判官)に付託されます。
(10)行政機関の再編の過渡期中はISAF(国際治安支援部隊)外国軍がカーブルの治安維持にあたりますが、ISAFはイスラーム教徒の軍隊、即ちトルコ軍およびその他の国のイスラーム教徒の軍隊に再編されるべきであり、非イスラーム教徒の外国の軍隊の存在は彼らがセキュリティを担当する大使館の内部に限定されねばなりません。
(11)人権、自由、平等、そして自由民主主義を提唱する西欧諸国は、イスラーム首長国で生きるより西欧への移住を選ぶアフガニスタン国民を手続き的、法律的、財政的、技術的にサポートしなくてはなりません。
(12)イスラーム首長国は、自ら主張する通り、欧米諸国を武力攻撃する拠点としてアフガニスタンを使用するすべての組織と関係を絶ったことの挙証責任を負わねばなりません。
(13)かつてのムジャーヒディーン政権であれ、軍閥であれ、タリバンであれ、ISAFであれ、西欧の警備会社の傭兵であれ、加害者が誰によるかを問わず、内戦の犠牲者とその遺族の応報・賠償請求は放棄されなくてはなりません。但し、それぞれの国の軍法会議などで有罪の判決を受けた者はそれぞれの国の法律に則って処罰されます。
(14)応報の権利を放棄した内戦の犠牲者、遺族は補償されるべきであり、アフガニスタンの人々に受け入れられる正義に則り、内戦の犠牲者に対する補償は、他の資金援助に優先されるべきです。
(16)実際に武器を手にして戦っていたところを殺害されたとアフガニスタンの裁判所が判決を下した者を除くすべての犠牲者の遺族は、シャリーアに従って1万ディルハム(1ディルハム= 純銀3グラム銀)、あるいは1千ディーナール(1ディーナール= 22金4.25グラム)の賠償金を受け取ることが出来ます。この損害賠償は人間の尊厳と平等で信じる全ての者にとって受け入れられるものだと思われます。そして、それはUNAMAがイスラームの正義を尊重している証とみなされ、UNAMAが内戦の犠牲者の賠償のためにディーナール金貨、あるいはディルハム銀貨を鋳造すれば、UNAMAのイスラームの尊重の目に見えるシンボルとして、アフガニスタンの人々から大いに評価されるでしょう。
2011年10月25日火曜日
2011年9月20日火曜日
『タリバンとアフガニスタンの危機』結論(試訳)
「知識の探求者[タリバン]」とアフガニスタンとパキスタンの国境のマドラサ(イスラーム神学校)と孤児院から最初に出現した時と同じく、彼らの再来のための条件を整えるにあたって、様々な国際的な主体が中心的な役割を果たした。そして「(イスラームの)啓示に基づく法と秩序」とのネオタリバンのレトリックのもたらした戦いによる不安定性を高めたのは、アフガニスタン中央政府の守護者、アメリカの政策に他ならなかった。
アフガニスタンの多様な地方の間でもっと平等に権力を分有しあうことができたであろう別のモデルを排除し、厳しい中央集権国家に固執したことにより、アメリカ人は、カブールの権威を支えることに失敗した。アフガニスタンの多彩な社会集団の間で正当性を得て存続可能な国家を構築するのではなく、カルザイ大統領の支持者たちは、適切な資産を彼から奪い、もっぱら軍事力を行使して懲罰的な掃討作戦を行い続けることにによって、様々な集団をポスト・タリバン政権(カルザイ政権)に対する反抗においやり、集団を反抗に追いやり、彼の権威を侵食し、治安の維持に失敗させた。[ムジャーヒィディーン政権の腐敗によりタリバンが出現した]1994年のように、アフガニスタン国民は秩序だけでなく、正義を求めた。かつてのアフガニスタンの支配者たち[ムジャーヒディーン政権]と同じく。カブールの御主人様たち[カルザイ政権」は、アフガニスタンの国家の危機と、国を構成する多様なコミュニティからのその[政府の」遊離を解決できなかった。「パックスアメリカーナ」は発展を約束したが、ただ中央(政権)に対する様々な敵対勢力を活性化させることによりアフガン社会を切り裂いた広い亀裂を拡大し、30年にわたる戦争の原因となった鬱憤の記憶を再燃させただけであった。
アフガニスタンの多様な地方の間でもっと平等に権力を分有しあうことができたであろう別のモデルを排除し、厳しい中央集権国家に固執したことにより、アメリカ人は、カブールの権威を支えることに失敗した。アフガニスタンの多彩な社会集団の間で正当性を得て存続可能な国家を構築するのではなく、カルザイ大統領の支持者たちは、適切な資産を彼から奪い、もっぱら軍事力を行使して懲罰的な掃討作戦を行い続けることにによって、様々な集団をポスト・タリバン政権(カルザイ政権)に対する反抗においやり、集団を反抗に追いやり、彼の権威を侵食し、治安の維持に失敗させた。[ムジャーヒィディーン政権の腐敗によりタリバンが出現した]1994年のように、アフガニスタン国民は秩序だけでなく、正義を求めた。かつてのアフガニスタンの支配者たち[ムジャーヒディーン政権]と同じく。カブールの御主人様たち[カルザイ政権」は、アフガニスタンの国家の危機と、国を構成する多様なコミュニティからのその[政府の」遊離を解決できなかった。「パックスアメリカーナ」は発展を約束したが、ただ中央(政権)に対する様々な敵対勢力を活性化させることによりアフガン社会を切り裂いた広い亀裂を拡大し、30年にわたる戦争の原因となった鬱憤の記憶を再燃させただけであった。
覚書 "The Taliban and the Crisis of Afghanistan"(2008, Harvard) by Robert D.Crews and Amin Tarzi
"The Taliban and the Crisis of
Afghanistan"(2008, Harvard) by Robert D.Crews and Amin Tarzi, which
seems to be a good book, and have some question.
(1) As the word of Wahid Muzdha, it is said taht: On December 6,
Taliban Cabinet met in Kandahar under the leadership of Defence
Minister Mullah Obaidullah Akhund and decided that Taliban would
transfer power to the tribal council headed by Hamid Karzai.They also
declared that their forces would surrender their weapons to the same
council. On the following day, December 7, the birthplace of the
Taliban movement, and the last major city in its control, was in the
hands of a tribal council - thus ending the Taliban movement`s
seven-year quest to establish am exemplary Islamic emirate in
Afghanistan.(p.278)
Is it true? And does it mean that Islamic Emirate of Afghanistan
officially relinquished its legitimacy of rule and recognized the
legitimacy of Karzai's leadership at that moment?
(2) By Muzhda's account, Osama bin Laden consistently undermined
figures like Wakil Ahmad Mutawakkil, who served as foreign minister
from mid-1997. Indeed, from 2000 or so, the movement was at war with
itself, Muzhda asserts, with Bin Laden supposedly naming Mutawakkil
as the second target, after United States,of his Jihad. (p.268)
Is it true?
(concluding remark)
As with the initial appearance of this movement of "knowledge seekers[Taliban]" from the madrasas and orpfhaneges of Afghanistan-Pakistan border, international actors played a central role in creating the conditions for their reemergence. Yet here it was the policies of the United States, the guardian of the central Afghan state, that contributed to the instability that neo-Taliban rethoric of a religiously inspired law and order sought to combat.
Having insisted on a tightly centralized state to the exclusion of models that might have shared power among Afghanistan7s diverse regions, the Americans then failed to back Kabul's authority. Rather than construct a viable state that would gain legitimacy among wide variety of Afghan social groups, Karzai's backers undermined his authority by depriving him of a proper treasury and by continuing to wield military power through punitive expeditions that turned communities against the post-Taliban government but failed to to provide security. As in 1994, Afghan sought not only order, but justice. Like the rulers of Afghanistan before them. the masters of Kabul had not resolved the crisis of the Afghan state and its dislocation from the diverse communities that make up that country. The Pax Americana promised development but only expanded the wide fissures cutting through Afghan society and, in mobilizing diverse foes against the center, rekindled memories of grievance feeding thirty years of war.
Afghanistan"(2008, Harvard) by Robert D.Crews and Amin Tarzi, which
seems to be a good book, and have some question.
(1) As the word of Wahid Muzdha, it is said taht: On December 6,
Taliban Cabinet met in Kandahar under the leadership of Defence
Minister Mullah Obaidullah Akhund and decided that Taliban would
transfer power to the tribal council headed by Hamid Karzai.They also
declared that their forces would surrender their weapons to the same
council. On the following day, December 7, the birthplace of the
Taliban movement, and the last major city in its control, was in the
hands of a tribal council - thus ending the Taliban movement`s
seven-year quest to establish am exemplary Islamic emirate in
Afghanistan.(p.278)
Is it true? And does it mean that Islamic Emirate of Afghanistan
officially relinquished its legitimacy of rule and recognized the
legitimacy of Karzai's leadership at that moment?
(2) By Muzhda's account, Osama bin Laden consistently undermined
figures like Wakil Ahmad Mutawakkil, who served as foreign minister
from mid-1997. Indeed, from 2000 or so, the movement was at war with
itself, Muzhda asserts, with Bin Laden supposedly naming Mutawakkil
as the second target, after United States,of his Jihad. (p.268)
Is it true?
(concluding remark)
As with the initial appearance of this movement of "knowledge seekers[Taliban]" from the madrasas and orpfhaneges of Afghanistan-Pakistan border, international actors played a central role in creating the conditions for their reemergence. Yet here it was the policies of the United States, the guardian of the central Afghan state, that contributed to the instability that neo-Taliban rethoric of a religiously inspired law and order sought to combat.
Having insisted on a tightly centralized state to the exclusion of models that might have shared power among Afghanistan7s diverse regions, the Americans then failed to back Kabul's authority. Rather than construct a viable state that would gain legitimacy among wide variety of Afghan social groups, Karzai's backers undermined his authority by depriving him of a proper treasury and by continuing to wield military power through punitive expeditions that turned communities against the post-Taliban government but failed to to provide security. As in 1994, Afghan sought not only order, but justice. Like the rulers of Afghanistan before them. the masters of Kabul had not resolved the crisis of the Afghan state and its dislocation from the diverse communities that make up that country. The Pax Americana promised development but only expanded the wide fissures cutting through Afghan society and, in mobilizing diverse foes against the center, rekindled memories of grievance feeding thirty years of war.
2011年9月13日火曜日
(English, Arabic Persian) Road Map for Afghan Reconciliation Negotiation
Road Map for Afghan Reconciliation Negotiation
(A tentative draft proposed by Dr.Hassan Ko Nakata written on 2011/07/27)
خريطة طريق للتفاوض بشأن المصالحة الافغانية
(مسودة أولية اقترحها د. حسن كو ناكاتا مكتوبة على 2011/09/11)
نقشه راه برای مذاکره آشتی ملی در افغانستان
(پیش نویس اولیه پیشنهاد شده توسط د حسن كو ناکاتا در 2011/11/9 نوشته شده است)
1. Simultaneous issuing statement of mutual recognition of two parties fighting each other as organized political entities which are represented by their respective sovereigns or heads of state to the international society.
1. اصدار بيان في وقت واحد تجاه في المجتمع الدولي من الاعتراف المتبادل طرفين تقاتل بعضها البعض ككيان سياسي يمثله كل منهما رئيس الدولة.
1. همزمان صدور بیانیه ای از به رسمیت شناختن متقابل دو طرف در مبارزه با هر عنوان سازماندهی نهاد های سیاسی است که توسط فرمانروایان و یا سران دولت متبوع خود را به جامعه بین المللی نشان داده.
2. Selecting persons who are authorized to be involved in the reconciliation negotiation, one of whom is a representative of one party (United States of America) nominated by its sovereign (President Obama), another is nominated by another party(Islamic Emarat of Afghanistan whose head is Ameer Almu’mineen Mollah Umar), and the third one is a mediator who is agreed by both of the nominated representative.
ض2. اختيار الأشخاص المفوض لهم أن يشاركوا في المفاوضات المصالحة ، واحد منهم هو ممثل طرف واحد (الولايات المتحدة الأمريكية) يرشحه رئيسها (الرئيس أوباما) ، يتم ترشيح آخر عن طريق طرف آخر (إمارة أفغانستان إسلامية) رئيسها أمير المؤمنين ملا عمر ، والثالث هو الوسيط الذي اتفق عليه كل من هذين الممثلين.
2. انتخاب افراد که مجاز به در مذاکرات آشتی ، یکی از آنها نماینده یک حزب (ایالات متحده آمریکا) معرفی شده توسط حاکمیت آن (پرزیدنت اوباما) درگیر می شود ، یکی دیگر از طرف دیگر (إمارت اسلامی افغانستان که رئیس نامزد امیر المؤمنين ملا عمر) ، و یک سوم یک میانجی است که توسط هر دو نماینده نامزد مورد توافق است.
3. Both of the party is given the address in which the security of the persons involved in the negotiation is guaranteed by both parties.
3. يعطى كل من الطرفين "العنوان(أدريس)" الذي يضمن أمن الأشخاص المتورطين في عملية التفاوض من قبل الطرفين.
3. با توجه أز هر دو طرف "آدريس" كه تضمین أمنيت أفراد در روند هر دو طرف مذاكره است.
.
4. The negotiation will start in the country where the addresses of the both parties are located by the authorized persons.
4. وسوف تبدأ المفاوضات في البلاد حيث يوجد العنوان من الطرفين على حد سواء من قبل الأشخاص المخولين.
4. مذاکره در کشور که در آن است آدرس هر دو از احزاب توسط افراد مجاز قرار دارد شروع می شود.
5. The negotiation should start without any substantial condition imposed except above-mentioned procedural preconditions.
5. ينبغي أن تبدأ المفاوضات من دون أي شرط مقيد المضمون باستثناء الشروط المسبقة الإجرائية المذكورة أعلاه
5. مذاکره باید بدون هیچ گونه بیماری قابل توجهی تحمیل شده به جز پیش شرط رویه فوق الذکر شروع می شود.
6. All the contents of the negotiation should be open, including ceasefire, withdrawal of foreign forces, accepting legitimacy of the present constitution, and breaking off the relation with Al-Qaidah.
6. يجب أن يكون جميع محتويات التفاوض مفتوحا ، بما في ذلك وقف إطلاق النار ، وانسحاب القوات الأجنبية ، الموافقة على شرعية الدستور الحالي ، وقطع العلاقة مع تنظيم القاعدة.
6. تمام محتویات مذاکره باید باز ، از جمله آتش بس ، خروج نیروهای خارجی ، پذیرش مشروعیت در قانون اساسی کنونی ، و قطع رابطه با القاعده.
7. The negotiation should not be abandoned and its channel should officially be kept open, even while the battles would be continuing.
7. لا ينبغي أن يكون التخلي عن المفاوضات رسميا ، وينبغي لها أن تظل قناة المفاوضات مفتوحة ، حتى أثناء حين تكون المعارك مستمرة.
7. مذاکره نباید رها شده و کانال خود را رسما باید باز نگه داشته ، حتی در حالی که جنگ خواهد بود ادامه.
8. The final agreement will be concluded by both parties, in which status of Islamic Emarat of Afghanistan and Islamic Republic of Afghanistan would be finally decided or decided to be trusted to the decision of Afghan nation through suitable means of Jirga or Afghani-Islamic way of election, Ikhtiyar al-Hakim.
8. وسيتم إبرام الاتفاق النهائي بين الطرفين ، والذي يقرر الموضع القانوني لإمارة أفغانستان الإسلامية وجمهورية أفغانستان الإسلامية, بقرار من الأمة الأفغانية من خلال جيرغا الافغانية الاسلامية أي طريقة الانتخاب لاختيار الحاكم, أو بقرارها لتفويض الشأن.
8. توافق نهایی خواهد شد توسط هر دو طرف به این نتیجه رسیدند ، که در آن وضعیت إماره اسلامی افغانستان و جمهوری اسلامی افغانستان خواهد بود در نهایت تصمیم یا تصمیم به اعتماد به تصمیم ملت افغانستان را از طریق رويا جرگه.
(A tentative draft proposed by Dr.Hassan Ko Nakata written on 2011/07/27)
خريطة طريق للتفاوض بشأن المصالحة الافغانية
(مسودة أولية اقترحها د. حسن كو ناكاتا مكتوبة على 2011/09/11)
نقشه راه برای مذاکره آشتی ملی در افغانستان
(پیش نویس اولیه پیشنهاد شده توسط د حسن كو ناکاتا در 2011/11/9 نوشته شده است)
1. Simultaneous issuing statement of mutual recognition of two parties fighting each other as organized political entities which are represented by their respective sovereigns or heads of state to the international society.
1. اصدار بيان في وقت واحد تجاه في المجتمع الدولي من الاعتراف المتبادل طرفين تقاتل بعضها البعض ككيان سياسي يمثله كل منهما رئيس الدولة.
1. همزمان صدور بیانیه ای از به رسمیت شناختن متقابل دو طرف در مبارزه با هر عنوان سازماندهی نهاد های سیاسی است که توسط فرمانروایان و یا سران دولت متبوع خود را به جامعه بین المللی نشان داده.
2. Selecting persons who are authorized to be involved in the reconciliation negotiation, one of whom is a representative of one party (United States of America) nominated by its sovereign (President Obama), another is nominated by another party(Islamic Emarat of Afghanistan whose head is Ameer Almu’mineen Mollah Umar), and the third one is a mediator who is agreed by both of the nominated representative.
ض2. اختيار الأشخاص المفوض لهم أن يشاركوا في المفاوضات المصالحة ، واحد منهم هو ممثل طرف واحد (الولايات المتحدة الأمريكية) يرشحه رئيسها (الرئيس أوباما) ، يتم ترشيح آخر عن طريق طرف آخر (إمارة أفغانستان إسلامية) رئيسها أمير المؤمنين ملا عمر ، والثالث هو الوسيط الذي اتفق عليه كل من هذين الممثلين.
2. انتخاب افراد که مجاز به در مذاکرات آشتی ، یکی از آنها نماینده یک حزب (ایالات متحده آمریکا) معرفی شده توسط حاکمیت آن (پرزیدنت اوباما) درگیر می شود ، یکی دیگر از طرف دیگر (إمارت اسلامی افغانستان که رئیس نامزد امیر المؤمنين ملا عمر) ، و یک سوم یک میانجی است که توسط هر دو نماینده نامزد مورد توافق است.
3. Both of the party is given the address in which the security of the persons involved in the negotiation is guaranteed by both parties.
3. يعطى كل من الطرفين "العنوان(أدريس)" الذي يضمن أمن الأشخاص المتورطين في عملية التفاوض من قبل الطرفين.
3. با توجه أز هر دو طرف "آدريس" كه تضمین أمنيت أفراد در روند هر دو طرف مذاكره است.
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4. The negotiation will start in the country where the addresses of the both parties are located by the authorized persons.
4. وسوف تبدأ المفاوضات في البلاد حيث يوجد العنوان من الطرفين على حد سواء من قبل الأشخاص المخولين.
4. مذاکره در کشور که در آن است آدرس هر دو از احزاب توسط افراد مجاز قرار دارد شروع می شود.
5. The negotiation should start without any substantial condition imposed except above-mentioned procedural preconditions.
5. ينبغي أن تبدأ المفاوضات من دون أي شرط مقيد المضمون باستثناء الشروط المسبقة الإجرائية المذكورة أعلاه
5. مذاکره باید بدون هیچ گونه بیماری قابل توجهی تحمیل شده به جز پیش شرط رویه فوق الذکر شروع می شود.
6. All the contents of the negotiation should be open, including ceasefire, withdrawal of foreign forces, accepting legitimacy of the present constitution, and breaking off the relation with Al-Qaidah.
6. يجب أن يكون جميع محتويات التفاوض مفتوحا ، بما في ذلك وقف إطلاق النار ، وانسحاب القوات الأجنبية ، الموافقة على شرعية الدستور الحالي ، وقطع العلاقة مع تنظيم القاعدة.
6. تمام محتویات مذاکره باید باز ، از جمله آتش بس ، خروج نیروهای خارجی ، پذیرش مشروعیت در قانون اساسی کنونی ، و قطع رابطه با القاعده.
7. The negotiation should not be abandoned and its channel should officially be kept open, even while the battles would be continuing.
7. لا ينبغي أن يكون التخلي عن المفاوضات رسميا ، وينبغي لها أن تظل قناة المفاوضات مفتوحة ، حتى أثناء حين تكون المعارك مستمرة.
7. مذاکره نباید رها شده و کانال خود را رسما باید باز نگه داشته ، حتی در حالی که جنگ خواهد بود ادامه.
8. The final agreement will be concluded by both parties, in which status of Islamic Emarat of Afghanistan and Islamic Republic of Afghanistan would be finally decided or decided to be trusted to the decision of Afghan nation through suitable means of Jirga or Afghani-Islamic way of election, Ikhtiyar al-Hakim.
8. وسيتم إبرام الاتفاق النهائي بين الطرفين ، والذي يقرر الموضع القانوني لإمارة أفغانستان الإسلامية وجمهورية أفغانستان الإسلامية, بقرار من الأمة الأفغانية من خلال جيرغا الافغانية الاسلامية أي طريقة الانتخاب لاختيار الحاكم, أو بقرارها لتفويض الشأن.
8. توافق نهایی خواهد شد توسط هر دو طرف به این نتیجه رسیدند ، که در آن وضعیت إماره اسلامی افغانستان و جمهوری اسلامی افغانستان خواهد بود در نهایت تصمیم یا تصمیم به اعتماد به تصمیم ملت افغانستان را از طریق رويا جرگه.
2011年9月12日月曜日
خريطة طريق للتفاوض بشأن المصالحة الافغانية Arabic version of Road Map for Afghan Reconciliation Negotiation
خريطة طريق للتفاوض بشأن المصالحة الافغانية
(مسودة أولية اقترحها د. حسن كو ناكاتا مكتوبة على 2011/09/11)
1. اصدار بيان في وقت واحد تجاه في المجتمع الدولي من الاعتراف المتبادل طرفين تقاتل بعضها البعض ككيان سياسي يمثله كل منهما رئيس الدولة.
2. اختيار الأشخاص المفو
ض لهم أن يشاركوا في المفاوضات المصالحة ، واحد منهم هو ممثل طرف واحد (الولايات المتحدة الأمريكية) يرشحه رئيسها (الرئيس أوباما) ، يتم ترشيح آخر عن طريق طرف آخر (إمارة أفغانستان إسلامية) رئيسها أمير المؤمنين ملا عمر ، والثالث هو الوسيط الذي اتفق عليه كل من هذين الممثلين.
3. يعطى كل من الطرفين "العنوان(أدريس)" الذي يضمن أمن الأشخاص المتورطين في عملية التفاوض من قبل الطرفين.
4. وسوف تبدأ المفاوضات في البلاد حيث يوجد العنوان من الطرفين على حد سواء من قبل الأشخاص المخولين.
5. ينبغي أن تبدأ المفاوضات من دون أي شرط مقيد المضمون باستثناء الشروط المسبقة الإجرائية المذكورة أعلاه
6. يجب أن يكون جميع محتويات التفاوض مفتوحا ، بما في ذلك وقف إطلاق النار ، وانسحاب القوات الأجنبية ، الموافقة على شرعية الدستور الحالي ، وقطع العلاقة مع تنظيم القاعدة.
7. لا ينبغي أن يكون التخلي عن المفاوضات رسميا ، وينبغي لها أن تظل قناة المفاوضات مفتوحة ، حتى أثناء حين تكون المعارك مستمرة.
8. وسيتم إبرام الاتفاق النهائي بين الطرفين ، والذي يقرر الموضع القانوني لإمارة أفغانستان الإسلامية وجمهورية أفغانستان الإسلامية, بقرار من الأمة الأفغانية من خلال جيرغا الافغانية الاسلامية أي طريقة الانتخاب لاختيار الحاكم, أو بقرارها لتفويض الشأن.
التعليق على خريطة الطريق من أجل المصالحة الأفغانية
1. خلفية المشكلة
(1) وكان الوضع الأمني متدهورا يوما بعد يوم منذ دخول القوات الامريكية وقوات التحالف لها وسقوط حكومة طالبان (إمارة أفغانستان الإسلامية :1996 - 2001. وتختصر "الإمارة") في عام 2001.
(2) يزداد التأييد للإمارة (سلبيا في المقام الأول) حتى الآن منذ سقوطها وفقدان التأييد بشكل شبه التمام في عام 2001, ويقال إن حاليا أكثر من 70 ٪ من مساحة البلاد خاضعة لسيطرتها نها
(3) يبدو أن الحكومة الوحيدة التي أمكنها أن تحقق منع تجارة المخدرات 100% تقريبا على أرض أفغانستان في تاريخها الحديثة هي الإمارة في مرحلتها النهائية.
(4) والسبب الرئيسي لزيادة حركة التمرد في أفغانستان هو غضب الناس عن ما يسمى ب "الأضرار الجانبية" ، والتي هي في الواقع الضحايا المدنيين للهجوم من قوات المساعدة الدولية لارساء الامن في أفغانستان(أيساف, اختصارا).
(5) ويبدو أن السبب الرئيسي للتدهور الأمني وعودة الإمارة هي سوء الحكم من حكومة كرزاي وقوات المساعدة الدولية لارساء الامن في أفغانستان الاحتلالية.
(6) خسر الإمارة التأييدها السلبي من الشعب الأفغاني عندما هاجمتها الولايات المتحدة ، لأن حكمها القاسي والفظائع التي جعلتهم يعانون ، على الرغم من أن أمراء الحرب في التحالف الشمالي وغيرها هم الذين ارتكبوا و ما زالوا يرتكبون حتى الآن أكثر وحشية من انتهاكات حقوق الإنسان ، التي جعل الناس تقبل الإمارة بدلا من امراء الحرب الذين كانت الإمارة يمكنها طردهم بسرعة.
2. الإطار العام للتفاوض
(1) يجب أن نلاحظ أن نبحث إطارا للتفاوض بين الطرفين التين ليست بينهما مرجعية النظام القانوني المشتركة.
(2) مرجعية النظام القانوني من الولايات المتحدة هي "القانون الدولي" ، الذي هو في الحقيقة ليس أكثر من القانون الغربي ، في حين أن مرجعية النظام القانوني بنسبة إلي الإمارة هي الشريعة أو القانون الإسلامي الإلهي.
(3) إن هناك بعض عناصر مشتركة بين القانون الدولي الغربي والقانون الإسلامي أي الشريعة, ولكن القواسم المشتركة محدودة.
(4) ينبغي لكلا الطرفين محاولة لتلمس الحلول للقضايا على حدتها على أساس المشاعر المشتركة العامة
بالمعنى الحقيقي دون فرض تطبيق قوانينها الخاصة على الطرف الآخر.
(5) وينبغي لكلا الطرفين دفع بعض "الاحترام" للقانون المرجعي للطرف الآخر ، بمعنى أنه يقبل صلاحية قانون الطرف الآخر في أراضيه ويراقبها سلبيا ولا يتعدى على قانون الطرف الآخرذلك في حال وجودهم في إقليم الطرف اللآخر.
3. المشاكل
(1) تحتل أفغانستان إيساف أو القوات الأجنبية بحجة أنهم يقاتلون ضد تنظيم القاعدة التي تهدد أمن الغرب. ولكن أصبح من الواضح أن قيادة تنظيم القاعدة والجنود هم الآن ليسوا في أفغانستان ولكنهم في باكستان.
(2) لا يقاتل المتمردون الذين ممثلهم الرئيسي حركة طالبان أو مجاهدو الإمارة من أجل إلحاق ضرر للناس الذين يعيشون في أوطانهم في الغرب ، لكنهم يقاتلون ضد قوات الغزاة الأجانب الذين بايديهم تم قتل المواطنين الأفغان بما في ذلك تلك المتمردين.
(3) وعدد الضحايا المواطنين الأفغان الذين لقوا حتفهم بسبب معارك الغزاة الأجانب حتى الآن أكثر من ما جاء رسميا من قبل القوة الدولية ، على الرغم من الكثير منهم "الاضرار الجانبية" الناجمة عن هجمات المتمردين ضدالقوة الأجنبية وحكومة قرضاي.
(4) عندما عرض الجنرال ماك كريستال فدية 2500 دولار للضحايا من المدنيين الأفغان في العام الماضي أصبحوا غاضبين لأنه بدا عكس بشكل صارخ على المساواة والعدالة والإنسانية.
(5) ومهما كان السبب قد يكون ، هو حقيقة أن الشعب الأفغاني هم أولئك الذين قد يصبحون ضحايا للحرب الأهلية والمعاناة.
(6) ليس فقط داخل أفغانستان ولكن خارج منه ، ويعتقد على نطاق واسع أن مليارات الدولارات التي تنفق في أفغانستان باسم مساعد هي في الواقع المستهلكة للشركات الغربية ، والمنظمات غير الحكومية وموظفيها ، واغتصبت من جانب أمراء الحرب الأفغانية ، السياسيون ورجال الأعمال ذوي العلاقات السياسية ، والناس العاديين لا يكاد يأخذ فائدة منه.
(7) ليس فقط قوة ايساف الأجنبية ولكن أيضا من الجماعات المتمردة التي فاعلهم الرئيسي مجاهدو طالبان قتلوا مجموعة من الأبرياء. وحصلت من "طالبان المزعومة" المرتبطة بالجماعات المتمردة سلوكيات وحشية قاسية للمواطنين الافغان باسم المقاومة الإسلامية.
(8) وهناك الكثير من سوء الفهم حول طالبان مثل " حظر طالبان للتعليم الفتاة" ، وذلك لأن جميع وسائل الإعلام الرسمية خاضع لسيطرة المنظمات المعادية لطالبان ، ليس فقط داخل أفغانستان ولكن دوليا وأنها تظهر صورة طالبان بتشويه.
(9) إلى جانب العديد من الافتراءات حول حركة طالبان ، صحيح أن العديد من الانتهاكات ضد حقوق الإنسان وقواعد الشريعة الإسلامية ما زالت يحدث من قبل "حكومة الظل" لطالبان فضلا عن "الجماعات المتمردة المزعومة الذاتية لطالبان ، وذلك لأنهم لم يتلقوا تعليم العلوم الشرعية العالية وضعف خط القيادة بسبب كونها جماعة سرية تحت المراقبة المشددة.
(10) وأصبح 'طالبان' اسم رمزا للمقاومة الوطنية ، وحتى الرئيس قرضاي نفسه قال ذات مرة في قندهار انه سينضم الى طالبان اذا كان الغرب سيواصل بذل الضغوط عليه.
(11) ضرورة المصالحة مع طالبان يأتي ليكون محسوسا حتى في صفوف قوات الاحتلال الغربية ، وبعض صانعي السياسة الأمريكية (بما في ذلك أوباما وهيلاري كلينتون) ويبدو أن تقرر بدء التفاوض مع حركة طالبان ، في حين بين الأفغان أنفسهم ، وتشير الإحصاءات إلى أن حوالي 90 ٪ من الاتفاق مع المصالحة مع طالبان.
(12) ولكن السياسيين وأمراء الحرب السابقين من حكومة كرزاي يعارضون المصالحة وكذلك الذين يدعون أنفسهم "نشطاء حقوق الإنسان" زاعما أن حركة طالبان لا ينبغي أن تشارك في الحكومة لأنهم ارتكبوا فظائع المذابح والانتهاكات العديدة لحقوق الإنسان خلال حكمهم.
(13) صحيح أن الإمارة قد انتهك حقوق الإنسان وقواعد الشريعة الإسلامية والعديد من هذه الانتهاكات لم افتدى بعد ، ولكن كما هو نفسه مع أمراء الحرب السابقين أو الفظائع التي قطعتها حتى الآن أسوأ من طالبان ، الذين هم الآن يحتلون مناصب رفيعة في حكومة قرضاي.
4. حل
(1) والاستنتاج المنطقي من تحليل الوضع الراهن في أفغانستان هو أن السبيل الوحيد لايجاد حل للمشاكل المذكورة أعلاه هي وضع الإمارة التي هي الفاعل الرئيسي للجماعات المسلحة وتتألف من "حكومة الظل" في معظم البلد ، في المكان المسؤول عن إدارة وأمن الأمة الأفغانية بدلا من حكومة كارزي والقوة الأجنبية التي أثبتت بنفسها من عدم كفاءتهم للحكم في البلد على الرغم من تسليم كمية ضخمة جدا من الأموال التي أنفقت باسم اعادة اعمار افغانستان.
(2) ينبغي أن يكون رفض مطالبة المعارضة لاحتواء طالبان بسبب انتهاكاتهم العديدة لحقوق الإنسان خلال حكمهم وذلك لأن المصالحة معهم أمر ضروري كما كان ينبغي أن يحتوي أمراء الحرب الآثمة في الحكومة من أجل السلام.
(3) المصالحة بشكل أفضل هو انضمام جمهورية أفغانستان الإسلامية التي أنشئت تحت السيطرة الكاملة للقوة الأجنبية وبذا حققت شرعية الحكم كقوة واقعية إلى الحكومة السابقة الشرعية الوطنية وهي إمارة أفغانستان الإسلامية التي حققت السلام والأمن على أرض أفغنستان عن طريق إنهاء الحرب الأهلية الطويلة من المعاناة ، وليس العكس ، أي انضمام إمارة أفغانستان الإسلامية إلى جمهورية أفعنستان الاسلامية.
(4) ودور بعثة الأمم المتحدة لتقديم المساعدة في أفغانستان هو مساعدة ماليا وتقنيا الإمارة لحل المشاكل المذكورة أعلاه ، وضمان انتقال سلمي للسلطة من خلال عملية الانضمام جمهورية أفغنستان الإسلامية إلى الإمارة.
(5) وقرر أن يكون الشكل النهائي للإمارة والدستور وفقا لارادة الأمة الأفغانية التي سيتم التعبير عنها من خلال رويا جيرغا أو الشورى الكبرى في الوقت المناسب ، وسوف يستند الدستورالجديد على الدستور الحالي لجمهورية أفغنستان الإسلامية مع بعض التعديلات الضرورية.
(6) ينبغي أن توفر البعثة للإمارة مع الدعم الكامل لتطوير التعليم الإسلامي لأفراد الإمارة لكي لا تحصل منهم انتهاكات حقوق الإنسان التي ضمنتها الشريعة الإسلامية.
(7) من الأفضل أن يقتدي تطوير تعليم المرأة في أفغنستان بالنموذج السعودي ، الذي فيه نسبة الطالبات في الجامعات وتتألف 56.8 ٪ في عام 2010 ، وذلك بسبب التشابه بين التقاليد الاجتماعية بين البلدين في هذا الصدد.
(8) قد يكون مقر أمير المؤمنين ، رئيس الدولة, في قندهار في حين يجب أن يكون الجهاز الإداري للحكومة في كابل التي تمنح وضعا خاصا باعتبارها "مدينة عالمية" ويمكن فيها الأجانب غير المسلمين من أهل الذمة والمستأمن أن يتمتع بحقوقهم في حرية العقيدة وممارسة شعائرهم وينبغي للمواطنين الأفغان المسلمين أن يتعاشروا معهم ومراعاة حقوقهم مسؤوليتهم أمام الله.
(9) ودين الدولة هو الإسلام وفقا للمذهب الحنفي الذي تحدده هيئة استشارية من العلماء في حضور أمير المؤمنين ، في حين أن حرية العقيدة من المذاهب الأخرى مكفولة وفي مناطق أغلبية سكانها الشيعة لا بد من نصب القاضي الشيعي ليحكم في قضايا متعلقة على خصوصيتهم.
(10) يمكن ضمان الأمن في كابل من قبل أيساف, قوات المساعدة الدولية لارساء الامن في أفغانستان, خلال الفترة الانتقالية للتحول من الجهاز الاداري من الحكومة ولكن ينبغي إعادة تشكيل لأيساف, قوات المساعدة الدولية لارساء الامن في أفغانستان ، أي استبدال الجيش الإسلامي من تركيا و البلدان الأخرى ، في حين ينبغي أن وجود الجيوش الأجنبية غير المسلمة يقتصر داخل السفارات حيث هم مسؤولون عن أمنها.
(11) وينبغي للبلدان الغربية التي تدعو إلى "حقوق الإنسان" ، والحرية ، والمساواة ، و "الديمقراطية الليبرالية" دعما ماليا وقانونيا وإجرائيا وفنيا, الهجرة من المواطنين الأفغان الذين لا يقتنعون بأن يعيشون في أفغنستان.
(12) ينبغي للإمارة أن تثبت نفسها من مقاطعتها عن أي المنظمات التي تستخدم أفغانستان كقاعدة لمهاجمة الدول الغربية عسكريا.
(13) ينبغي التخلي عن الحق في الانتقام للضحايا بسبب الحروب الأهلية منذ عصر حكومة المجاهدين حتى الآن ، وأيمن كان الجناة قد يكون ، من جنود طالبان الأفغان أو أمراء الحرب أو ايساف أو الجيوش "مرتزقة" من الشركات الأمنية الغربية ، باستثناء معاقبة الجنود الذين سيكون حكم إدانتهم من قبل محكمة عسكرية بموجب القانون في كل بلد.
(14) وبدلا من التنازل عن حق الانتقام ، ينبغي تعويض الضحايا عائلاتهم ، و وينبغي إعطاء الأولوية للتعويض عن الضحايا المدنيين على أساس العدل الذي مقبول لدى الشعب الأفغاني على المساعدات المالية الأخرى.
(15) وقد يكون من الأفضل تعويض القتلى ب 1000 دينار من الذهب أو 10,000 درهم من الفضة وفقا لأحكام الشريعة الإسلامية لجميع الضحايا باستثناء الذين المحكمة الأفغانية تثبت أنهم قتلوا فعلا أثناء القتال بالأسلحة.
يبدوهذا التعويض مقبول ليس لدي الشعب الأفغاني فقط ولكن لدي الجميع الذين يؤمنون بكرامة الإنسان والمساواة ، واذا كانت بعثة الأمم المتحدة لتقديم المساعدة في أفغانستان تصك عملة دينار أو درهم لتعويض الضحايا, يقدر ذلك الشعب الأفغاني تقديرا كثيرا لأنه يثبت احترام للبعثة عدالة الشريعة، وعملة الدينار أو الدرهم الذي تصك بعثة الأمم المتحدة سوف تكون رمزا واضحا لاحترامها للإسلام.
(مسودة أولية اقترحها د. حسن كو ناكاتا مكتوبة على 2011/09/11)
1. اصدار بيان في وقت واحد تجاه في المجتمع الدولي من الاعتراف المتبادل طرفين تقاتل بعضها البعض ككيان سياسي يمثله كل منهما رئيس الدولة.
2. اختيار الأشخاص المفو
ض لهم أن يشاركوا في المفاوضات المصالحة ، واحد منهم هو ممثل طرف واحد (الولايات المتحدة الأمريكية) يرشحه رئيسها (الرئيس أوباما) ، يتم ترشيح آخر عن طريق طرف آخر (إمارة أفغانستان إسلامية) رئيسها أمير المؤمنين ملا عمر ، والثالث هو الوسيط الذي اتفق عليه كل من هذين الممثلين.
3. يعطى كل من الطرفين "العنوان(أدريس)" الذي يضمن أمن الأشخاص المتورطين في عملية التفاوض من قبل الطرفين.
4. وسوف تبدأ المفاوضات في البلاد حيث يوجد العنوان من الطرفين على حد سواء من قبل الأشخاص المخولين.
5. ينبغي أن تبدأ المفاوضات من دون أي شرط مقيد المضمون باستثناء الشروط المسبقة الإجرائية المذكورة أعلاه
6. يجب أن يكون جميع محتويات التفاوض مفتوحا ، بما في ذلك وقف إطلاق النار ، وانسحاب القوات الأجنبية ، الموافقة على شرعية الدستور الحالي ، وقطع العلاقة مع تنظيم القاعدة.
7. لا ينبغي أن يكون التخلي عن المفاوضات رسميا ، وينبغي لها أن تظل قناة المفاوضات مفتوحة ، حتى أثناء حين تكون المعارك مستمرة.
8. وسيتم إبرام الاتفاق النهائي بين الطرفين ، والذي يقرر الموضع القانوني لإمارة أفغانستان الإسلامية وجمهورية أفغانستان الإسلامية, بقرار من الأمة الأفغانية من خلال جيرغا الافغانية الاسلامية أي طريقة الانتخاب لاختيار الحاكم, أو بقرارها لتفويض الشأن.
التعليق على خريطة الطريق من أجل المصالحة الأفغانية
1. خلفية المشكلة
(1) وكان الوضع الأمني متدهورا يوما بعد يوم منذ دخول القوات الامريكية وقوات التحالف لها وسقوط حكومة طالبان (إمارة أفغانستان الإسلامية :1996 - 2001. وتختصر "الإمارة") في عام 2001.
(2) يزداد التأييد للإمارة (سلبيا في المقام الأول) حتى الآن منذ سقوطها وفقدان التأييد بشكل شبه التمام في عام 2001, ويقال إن حاليا أكثر من 70 ٪ من مساحة البلاد خاضعة لسيطرتها نها
(3) يبدو أن الحكومة الوحيدة التي أمكنها أن تحقق منع تجارة المخدرات 100% تقريبا على أرض أفغانستان في تاريخها الحديثة هي الإمارة في مرحلتها النهائية.
(4) والسبب الرئيسي لزيادة حركة التمرد في أفغانستان هو غضب الناس عن ما يسمى ب "الأضرار الجانبية" ، والتي هي في الواقع الضحايا المدنيين للهجوم من قوات المساعدة الدولية لارساء الامن في أفغانستان(أيساف, اختصارا).
(5) ويبدو أن السبب الرئيسي للتدهور الأمني وعودة الإمارة هي سوء الحكم من حكومة كرزاي وقوات المساعدة الدولية لارساء الامن في أفغانستان الاحتلالية.
(6) خسر الإمارة التأييدها السلبي من الشعب الأفغاني عندما هاجمتها الولايات المتحدة ، لأن حكمها القاسي والفظائع التي جعلتهم يعانون ، على الرغم من أن أمراء الحرب في التحالف الشمالي وغيرها هم الذين ارتكبوا و ما زالوا يرتكبون حتى الآن أكثر وحشية من انتهاكات حقوق الإنسان ، التي جعل الناس تقبل الإمارة بدلا من امراء الحرب الذين كانت الإمارة يمكنها طردهم بسرعة.
2. الإطار العام للتفاوض
(1) يجب أن نلاحظ أن نبحث إطارا للتفاوض بين الطرفين التين ليست بينهما مرجعية النظام القانوني المشتركة.
(2) مرجعية النظام القانوني من الولايات المتحدة هي "القانون الدولي" ، الذي هو في الحقيقة ليس أكثر من القانون الغربي ، في حين أن مرجعية النظام القانوني بنسبة إلي الإمارة هي الشريعة أو القانون الإسلامي الإلهي.
(3) إن هناك بعض عناصر مشتركة بين القانون الدولي الغربي والقانون الإسلامي أي الشريعة, ولكن القواسم المشتركة محدودة.
(4) ينبغي لكلا الطرفين محاولة لتلمس الحلول للقضايا على حدتها على أساس المشاعر المشتركة العامة
بالمعنى الحقيقي دون فرض تطبيق قوانينها الخاصة على الطرف الآخر.
(5) وينبغي لكلا الطرفين دفع بعض "الاحترام" للقانون المرجعي للطرف الآخر ، بمعنى أنه يقبل صلاحية قانون الطرف الآخر في أراضيه ويراقبها سلبيا ولا يتعدى على قانون الطرف الآخرذلك في حال وجودهم في إقليم الطرف اللآخر.
3. المشاكل
(1) تحتل أفغانستان إيساف أو القوات الأجنبية بحجة أنهم يقاتلون ضد تنظيم القاعدة التي تهدد أمن الغرب. ولكن أصبح من الواضح أن قيادة تنظيم القاعدة والجنود هم الآن ليسوا في أفغانستان ولكنهم في باكستان.
(2) لا يقاتل المتمردون الذين ممثلهم الرئيسي حركة طالبان أو مجاهدو الإمارة من أجل إلحاق ضرر للناس الذين يعيشون في أوطانهم في الغرب ، لكنهم يقاتلون ضد قوات الغزاة الأجانب الذين بايديهم تم قتل المواطنين الأفغان بما في ذلك تلك المتمردين.
(3) وعدد الضحايا المواطنين الأفغان الذين لقوا حتفهم بسبب معارك الغزاة الأجانب حتى الآن أكثر من ما جاء رسميا من قبل القوة الدولية ، على الرغم من الكثير منهم "الاضرار الجانبية" الناجمة عن هجمات المتمردين ضدالقوة الأجنبية وحكومة قرضاي.
(4) عندما عرض الجنرال ماك كريستال فدية 2500 دولار للضحايا من المدنيين الأفغان في العام الماضي أصبحوا غاضبين لأنه بدا عكس بشكل صارخ على المساواة والعدالة والإنسانية.
(5) ومهما كان السبب قد يكون ، هو حقيقة أن الشعب الأفغاني هم أولئك الذين قد يصبحون ضحايا للحرب الأهلية والمعاناة.
(6) ليس فقط داخل أفغانستان ولكن خارج منه ، ويعتقد على نطاق واسع أن مليارات الدولارات التي تنفق في أفغانستان باسم مساعد هي في الواقع المستهلكة للشركات الغربية ، والمنظمات غير الحكومية وموظفيها ، واغتصبت من جانب أمراء الحرب الأفغانية ، السياسيون ورجال الأعمال ذوي العلاقات السياسية ، والناس العاديين لا يكاد يأخذ فائدة منه.
(7) ليس فقط قوة ايساف الأجنبية ولكن أيضا من الجماعات المتمردة التي فاعلهم الرئيسي مجاهدو طالبان قتلوا مجموعة من الأبرياء. وحصلت من "طالبان المزعومة" المرتبطة بالجماعات المتمردة سلوكيات وحشية قاسية للمواطنين الافغان باسم المقاومة الإسلامية.
(8) وهناك الكثير من سوء الفهم حول طالبان مثل " حظر طالبان للتعليم الفتاة" ، وذلك لأن جميع وسائل الإعلام الرسمية خاضع لسيطرة المنظمات المعادية لطالبان ، ليس فقط داخل أفغانستان ولكن دوليا وأنها تظهر صورة طالبان بتشويه.
(9) إلى جانب العديد من الافتراءات حول حركة طالبان ، صحيح أن العديد من الانتهاكات ضد حقوق الإنسان وقواعد الشريعة الإسلامية ما زالت يحدث من قبل "حكومة الظل" لطالبان فضلا عن "الجماعات المتمردة المزعومة الذاتية لطالبان ، وذلك لأنهم لم يتلقوا تعليم العلوم الشرعية العالية وضعف خط القيادة بسبب كونها جماعة سرية تحت المراقبة المشددة.
(10) وأصبح 'طالبان' اسم رمزا للمقاومة الوطنية ، وحتى الرئيس قرضاي نفسه قال ذات مرة في قندهار انه سينضم الى طالبان اذا كان الغرب سيواصل بذل الضغوط عليه.
(11) ضرورة المصالحة مع طالبان يأتي ليكون محسوسا حتى في صفوف قوات الاحتلال الغربية ، وبعض صانعي السياسة الأمريكية (بما في ذلك أوباما وهيلاري كلينتون) ويبدو أن تقرر بدء التفاوض مع حركة طالبان ، في حين بين الأفغان أنفسهم ، وتشير الإحصاءات إلى أن حوالي 90 ٪ من الاتفاق مع المصالحة مع طالبان.
(12) ولكن السياسيين وأمراء الحرب السابقين من حكومة كرزاي يعارضون المصالحة وكذلك الذين يدعون أنفسهم "نشطاء حقوق الإنسان" زاعما أن حركة طالبان لا ينبغي أن تشارك في الحكومة لأنهم ارتكبوا فظائع المذابح والانتهاكات العديدة لحقوق الإنسان خلال حكمهم.
(13) صحيح أن الإمارة قد انتهك حقوق الإنسان وقواعد الشريعة الإسلامية والعديد من هذه الانتهاكات لم افتدى بعد ، ولكن كما هو نفسه مع أمراء الحرب السابقين أو الفظائع التي قطعتها حتى الآن أسوأ من طالبان ، الذين هم الآن يحتلون مناصب رفيعة في حكومة قرضاي.
4. حل
(1) والاستنتاج المنطقي من تحليل الوضع الراهن في أفغانستان هو أن السبيل الوحيد لايجاد حل للمشاكل المذكورة أعلاه هي وضع الإمارة التي هي الفاعل الرئيسي للجماعات المسلحة وتتألف من "حكومة الظل" في معظم البلد ، في المكان المسؤول عن إدارة وأمن الأمة الأفغانية بدلا من حكومة كارزي والقوة الأجنبية التي أثبتت بنفسها من عدم كفاءتهم للحكم في البلد على الرغم من تسليم كمية ضخمة جدا من الأموال التي أنفقت باسم اعادة اعمار افغانستان.
(2) ينبغي أن يكون رفض مطالبة المعارضة لاحتواء طالبان بسبب انتهاكاتهم العديدة لحقوق الإنسان خلال حكمهم وذلك لأن المصالحة معهم أمر ضروري كما كان ينبغي أن يحتوي أمراء الحرب الآثمة في الحكومة من أجل السلام.
(3) المصالحة بشكل أفضل هو انضمام جمهورية أفغانستان الإسلامية التي أنشئت تحت السيطرة الكاملة للقوة الأجنبية وبذا حققت شرعية الحكم كقوة واقعية إلى الحكومة السابقة الشرعية الوطنية وهي إمارة أفغانستان الإسلامية التي حققت السلام والأمن على أرض أفغنستان عن طريق إنهاء الحرب الأهلية الطويلة من المعاناة ، وليس العكس ، أي انضمام إمارة أفغانستان الإسلامية إلى جمهورية أفعنستان الاسلامية.
(4) ودور بعثة الأمم المتحدة لتقديم المساعدة في أفغانستان هو مساعدة ماليا وتقنيا الإمارة لحل المشاكل المذكورة أعلاه ، وضمان انتقال سلمي للسلطة من خلال عملية الانضمام جمهورية أفغنستان الإسلامية إلى الإمارة.
(5) وقرر أن يكون الشكل النهائي للإمارة والدستور وفقا لارادة الأمة الأفغانية التي سيتم التعبير عنها من خلال رويا جيرغا أو الشورى الكبرى في الوقت المناسب ، وسوف يستند الدستورالجديد على الدستور الحالي لجمهورية أفغنستان الإسلامية مع بعض التعديلات الضرورية.
(6) ينبغي أن توفر البعثة للإمارة مع الدعم الكامل لتطوير التعليم الإسلامي لأفراد الإمارة لكي لا تحصل منهم انتهاكات حقوق الإنسان التي ضمنتها الشريعة الإسلامية.
(7) من الأفضل أن يقتدي تطوير تعليم المرأة في أفغنستان بالنموذج السعودي ، الذي فيه نسبة الطالبات في الجامعات وتتألف 56.8 ٪ في عام 2010 ، وذلك بسبب التشابه بين التقاليد الاجتماعية بين البلدين في هذا الصدد.
(8) قد يكون مقر أمير المؤمنين ، رئيس الدولة, في قندهار في حين يجب أن يكون الجهاز الإداري للحكومة في كابل التي تمنح وضعا خاصا باعتبارها "مدينة عالمية" ويمكن فيها الأجانب غير المسلمين من أهل الذمة والمستأمن أن يتمتع بحقوقهم في حرية العقيدة وممارسة شعائرهم وينبغي للمواطنين الأفغان المسلمين أن يتعاشروا معهم ومراعاة حقوقهم مسؤوليتهم أمام الله.
(9) ودين الدولة هو الإسلام وفقا للمذهب الحنفي الذي تحدده هيئة استشارية من العلماء في حضور أمير المؤمنين ، في حين أن حرية العقيدة من المذاهب الأخرى مكفولة وفي مناطق أغلبية سكانها الشيعة لا بد من نصب القاضي الشيعي ليحكم في قضايا متعلقة على خصوصيتهم.
(10) يمكن ضمان الأمن في كابل من قبل أيساف, قوات المساعدة الدولية لارساء الامن في أفغانستان, خلال الفترة الانتقالية للتحول من الجهاز الاداري من الحكومة ولكن ينبغي إعادة تشكيل لأيساف, قوات المساعدة الدولية لارساء الامن في أفغانستان ، أي استبدال الجيش الإسلامي من تركيا و البلدان الأخرى ، في حين ينبغي أن وجود الجيوش الأجنبية غير المسلمة يقتصر داخل السفارات حيث هم مسؤولون عن أمنها.
(11) وينبغي للبلدان الغربية التي تدعو إلى "حقوق الإنسان" ، والحرية ، والمساواة ، و "الديمقراطية الليبرالية" دعما ماليا وقانونيا وإجرائيا وفنيا, الهجرة من المواطنين الأفغان الذين لا يقتنعون بأن يعيشون في أفغنستان.
(12) ينبغي للإمارة أن تثبت نفسها من مقاطعتها عن أي المنظمات التي تستخدم أفغانستان كقاعدة لمهاجمة الدول الغربية عسكريا.
(13) ينبغي التخلي عن الحق في الانتقام للضحايا بسبب الحروب الأهلية منذ عصر حكومة المجاهدين حتى الآن ، وأيمن كان الجناة قد يكون ، من جنود طالبان الأفغان أو أمراء الحرب أو ايساف أو الجيوش "مرتزقة" من الشركات الأمنية الغربية ، باستثناء معاقبة الجنود الذين سيكون حكم إدانتهم من قبل محكمة عسكرية بموجب القانون في كل بلد.
(14) وبدلا من التنازل عن حق الانتقام ، ينبغي تعويض الضحايا عائلاتهم ، و وينبغي إعطاء الأولوية للتعويض عن الضحايا المدنيين على أساس العدل الذي مقبول لدى الشعب الأفغاني على المساعدات المالية الأخرى.
(15) وقد يكون من الأفضل تعويض القتلى ب 1000 دينار من الذهب أو 10,000 درهم من الفضة وفقا لأحكام الشريعة الإسلامية لجميع الضحايا باستثناء الذين المحكمة الأفغانية تثبت أنهم قتلوا فعلا أثناء القتال بالأسلحة.
يبدوهذا التعويض مقبول ليس لدي الشعب الأفغاني فقط ولكن لدي الجميع الذين يؤمنون بكرامة الإنسان والمساواة ، واذا كانت بعثة الأمم المتحدة لتقديم المساعدة في أفغانستان تصك عملة دينار أو درهم لتعويض الضحايا, يقدر ذلك الشعب الأفغاني تقديرا كثيرا لأنه يثبت احترام للبعثة عدالة الشريعة، وعملة الدينار أو الدرهم الذي تصك بعثة الأمم المتحدة سوف تكون رمزا واضحا لاحترامها للإسلام.
2011年9月11日日曜日
Road Map for Afghan Reconciliation Negotiation (revised version on 2011/09/11)
Road Map for Afghan Reconciliation Negotiation
(A tentative draft proposed by Dr.Hassan Ko Nakata written on 2011/09/11)
1. Simultaneous issuing statement of mutual recognition of two parties fighting each other as organized political entities which are represented by their respective sovereigns or heads of state to the international society.
2. Selecting persons who are authorized to be involved in the reconciliation negotiation, one of whom is a representative of one party (United States of America) nominated by its sovereign (President Obama), another is nominated by another party(Islamic Emarat of Afghanistan whose head is Amīr Almu’minīn Mollāh ̒Umar), and the third one is a mediator who is agreed by both of the nominated representative.
3. Both of the party is given the address in which the security of the persons involved in the negotiation is guaranteed by both parties.
4. The negotiation will start in the country where the addresses of the both parties are located by the authorized persons.
5. The negotiation should start without any substantial condition imposed except above-mentioned procedural preconditions.
6. All the contents of the negotiation should be open, including ceasefire, withdrawal of foreign forces, accepting legitimacy of the present constitution, and breaking off the relation with Al-Qā‛idah.
7. The negotiation should not be abandoned and its channel should officially be kept open, even while the battles would be continuing.
8. The final agreement will be concluded by both parties, in which status of Islamic Emarat of Afghanistan and Islamic Republic of Afghanistan would be finally decided or decided to be trusted to the decision of Afghan nation through suitable means of Jirga or Afghani-Islamic way of election, Ikhtiyār al-Ḥākim.
Commentary on Road Map for Afghan Reconciliation
1. Background of the Problem
(1) The security situation has been deteriorating day by day since entry of US and her coalition force and collapse of Taliban government(Islamic Emarat of Afghanistan:1996-2001. It will be abbreviated bellow as Emarat) in 2001.
(2) Emarat has recovered its (mainly negative) support until now it is said that more than 70% of the country is under its control, since it lost it completely in 2001.
(3) The sole government which realized security almost all over the land of Afghanistan and abolished drug trade was Emarat in its final stage.
(4) The main reason of the increase of insurgence movement in Afghanistan is the anger of people for so called “collateral damages”, which are in fact civilian victims of INSAF force’s attack.
(5) It seems that main reason of the deterioration of security and return of Emarat is the ill governance of Karzai government and ISAF occupying force.
(6) Emarat lost its negative support from Afghan people when US attacked it, because of its harsh rule and atrocities which it made them suffered, although the warlords of the Northern alliance and others committed by far the more brutal infringements of human rights, which made people accept Emarat in place of those warlords so that Emarat could expelled them so quickly.
2. General Framework of Negotiation
(1) We should notice that we are searching a framework of negotiation between two parties which do not share common legal reference system.
(2) The legal reference system of US is ‘the International law’, which is in fact nothing more than the Western law, while the legal reference system is Sharī‘ah, the Islamic Divine Law.
(3) The Western international law and Islamic Sharī‘ah share some common elements but the commonalities are limited.
(4) Both parties should try to grope solutions for respective issues on ad hoc basis referring to the ‘true universal common sense’ without forcing application of their own law on the another party.
(5) Both parties should pay some ‘respect’ to the reference law of the another party, in sense that they admit validity of the law of the another party in its territory and observe negatively, ie., don’t infringe on it, the law of the another party in case they are in another parties territory.
3. Problems
(1) ISAF foreign forces are occupying Afghanistan by the pretext that they are fighting against al-Qāi‘idah which threatens the security of the West. But it became clear that Al- Qā‘idah’s leadership and soldiers are now not in Afghanistan but in Pakistan.
(2) The insurgents, main actor of whom are Taliban (Mujahideen of Emarat) , are not fighting for doing harm to Western people living their own counties in the West, but fighting against the foreign invader force who has been killing Afghan citizens including those insurgents.
(3) The number of victims Afghan citizens who were killed because of the foreign invader forcer are by far the more than as is officially stated by ISAF, though a quite a lot of whom are ‘collateral damage’ caused by the insurgents’ attacks against the foreign force and Karzai government.
(4) When General MacCristal, offered 2500$ for Afghan civilian victims, Afghan people got to be furious because it seemed blatantly contrary to justice, equality and humanity.
(5) Whatever the reason might be, it is the fact that Afghan peoples are those who have become victims of the civil war and been suffering.
(6) Not only inside Afghanistan but outside of it, it is widely believed that billions of dollars which are spent in the name of Afghanistan aide are in fact consumed for the Western companies, NGOs, and their personnel, and usurped by Afghan warlords, politicians, and businessmen with political ties, and ordinary people hardly take benefit of it.
(7) Not only ISAF foreign force but also the insurgent groups, whose main actor is Taliban Mujahedeen group, has killed innocent people. And some alleged 'Taliban related' insurgents groups have committed atrocities and cruel behaviors to Afghan citizens under the cause of Islamic resistance.
(8) There are many misunderstandings about Taliban like “Taliban ban girl’s education”, because all the official mass media are under the control of anti-Taliban groups not only inside Afghanistan but internationally and they are distorting Taliban's image.
(9) Beside many slanders about Taliban, it is true that many infringements against human rights and rules of Sharī‘ah still has been happening by Taliban’s ‘shadow government’ as well as ‘self-alleged Taliban’ insurgent groups, because of lack of proper higher Islamic educations and dysfunction of line of command among them as clandestine organizations under close surveillance.
(10) The name ‘Taliban’ has become the symbol of national resistance, even the President Karzai himself once said in Kandahar that he would join Taliban if the West would continue to make pressure on him.
(11) Necessity of reconciliation with Taliban comes to be felt even among the Western occupying forces, and some American policy makers (including Obama and Hilary Clinton) seem to decide to start negotiation with Taliban, while among Afghans themselves, statistics show that around 90% are agreeing with reconciliation with Taliban.
(12) But politicians and former warlords of Karzai government are opposing reconciliation as well as self-alleged “human rights activists” claiming that Taliban should not participate in the government because they committed atrocities of massacres and numerous violations of human rights during their rule.
(13) It is true that Emarat had infringed human rights and Sharī‘ah’s rules many and these infringements have not yet been redeemed, but as is same with former warlords or they made atrocities by far the worse than Taliban, who are now in occupying high offices of Karzai government.
4. Solution
(1) The logical conclusion from analysis of current situation in Afghanistan is that the sole way of solution of the above mentioned problems are to put Emarat, which is the main actor of the insurgent groups and consist of ‘shadow government’ in the most part of the country, in charge of governance and security of Afghan nation in place of the government and the foreign force which has proved by themselves of their incompetence of the governance in the country in spite of the tremendously huge amount of the money which they have spent in the name of Afghanistan reconstruction.
(2) The claim opposing containment of Taliban because of their commitment of numerous violations of human rights during their rule should be dismissed and the reconciliation with them is necessary, just same as sinful warlords should have been accommodated for the peace.
(3) The reconciliation had better form the integration of Islamic Republic of Afghanistan (IRA) which was established under the full control of the foreign force and attained the legitimacy as de fact power into the former legitimate ‘national’ government of Islamic Emarat of Afghanistan which realized peace and security by finishing the long suffering civil war, not the contrary, ie., integration of Emarat into Islamic Republic.
(4) The role of UNAMA (United Nations Assistance Mission in Afghanistan) is to help financially and technically Emarat to solve the above mentioned problems and guarantee the peaceful transition of the power during the process of integration of IRA into Emarat.
(5) The final form of Emarat and the constitution will be decided by the will of Afghan nation which will be expressed through Roya Jirga in suitable time, and the constitution will be based on the present constitution of IRA with some necessary amendments.
(6) UNAMA should provide Emarat with full support for development of Islamic education of EMARAT personnel lest they should infringe human rights which Shari‘ah, Islamic law guarantees.
(7) Development of the education of women had better follow Saudi Arabian model, in which the rate of girl students of universities consist 56.8% in 2010, because of the similarities of the social tradition between two countries in this respect.
(8) The place of Amīr al-Mu’minīn, the head of the state, might be Kandahar, while the administrative organ of the government should be located in Kabul, which is given special status as a “cosmopolitan city” in which non-Muslim foreigners of “Ahl al-dhimmah” and “Musta’min” can enjoy full rights of their freedom of faith and its practice and Muslim Afghan nationals should associate with them on their responsibility in front of Allah.
(9) The religion of the state is Islam according to the orthodox interpretation of Hanafi legal school which is to be defined by consultative body of Ulamā’ in the presence of Amīr al-Mu’minīn, while the freedom of faith of other schools of Islam is guaranteed in private areas and the lawsuits between Shiite Muslims are dealt by Shiite Qaḍīs(judges) in Shiite majority districts.
(10) Security of Kabul will be guaranteed by foreign force of ISAF during the transitional period of transformation of the administrative body, but ISAF should be reorganized into Muslim force, ie, Turkish army and Muslim soldiers of the other countries, while the existence of non-Muslim foreign armies should be restricted inside the embassies where they are in charge of the security.
(11) The Western countries which advocate the ‘Human Right’, freedom, equality, and ‘liberal democracy’ should support financially, legally, procedurally, and technically immigration of Afghan nationals who prefer it to living in Emarat.
(12) Emarat should prove itself being detached from any organizations which use Afghanistan as their base to attack militarily the Western countries as it claims.
(13) The right of revenge of victims because of civil wars since Mujahedeen government up to now should be relinquished, whoever the offenders might be, soldiers of Afghan warlords or Taliban or ISAF armies or ‘mercenary’ of Western security companies, except the soldiers who would be sentenced guilty by the court-martial should be punished by law of the respective country.
(14) In place of resignation of the right of revenge, the victims and the bereaved families should be compensated and the compensation for civilian victims based on justice acceptable to Afghan people, should be given priority to the other financial aids.
(15) The compensation had better be 1,000 Dinar (1 Dinar =4.25g 22 Karat gold) or 10,000 Dirham (1 Dirham = 3 gram silver) according to Sharī‘ah for all the victims except whom Afghan court proves that they are actually fighting with weapons. It seems acceptable as well to all who believe in human dignity and equality, and if UNAMA would coin Dinars for compensation, Afghan people would appreciate it very much because it proves respect of UNAMA for the justice of Sharī‘ah, and UNAMA’s Dinar or Dirham will be the visible symbol of it.
(A tentative draft proposed by Dr.Hassan Ko Nakata written on 2011/09/11)
1. Simultaneous issuing statement of mutual recognition of two parties fighting each other as organized political entities which are represented by their respective sovereigns or heads of state to the international society.
2. Selecting persons who are authorized to be involved in the reconciliation negotiation, one of whom is a representative of one party (United States of America) nominated by its sovereign (President Obama), another is nominated by another party(Islamic Emarat of Afghanistan whose head is Amīr Almu’minīn Mollāh ̒Umar), and the third one is a mediator who is agreed by both of the nominated representative.
3. Both of the party is given the address in which the security of the persons involved in the negotiation is guaranteed by both parties.
4. The negotiation will start in the country where the addresses of the both parties are located by the authorized persons.
5. The negotiation should start without any substantial condition imposed except above-mentioned procedural preconditions.
6. All the contents of the negotiation should be open, including ceasefire, withdrawal of foreign forces, accepting legitimacy of the present constitution, and breaking off the relation with Al-Qā‛idah.
7. The negotiation should not be abandoned and its channel should officially be kept open, even while the battles would be continuing.
8. The final agreement will be concluded by both parties, in which status of Islamic Emarat of Afghanistan and Islamic Republic of Afghanistan would be finally decided or decided to be trusted to the decision of Afghan nation through suitable means of Jirga or Afghani-Islamic way of election, Ikhtiyār al-Ḥākim.
Commentary on Road Map for Afghan Reconciliation
1. Background of the Problem
(1) The security situation has been deteriorating day by day since entry of US and her coalition force and collapse of Taliban government(Islamic Emarat of Afghanistan:1996-2001. It will be abbreviated bellow as Emarat) in 2001.
(2) Emarat has recovered its (mainly negative) support until now it is said that more than 70% of the country is under its control, since it lost it completely in 2001.
(3) The sole government which realized security almost all over the land of Afghanistan and abolished drug trade was Emarat in its final stage.
(4) The main reason of the increase of insurgence movement in Afghanistan is the anger of people for so called “collateral damages”, which are in fact civilian victims of INSAF force’s attack.
(5) It seems that main reason of the deterioration of security and return of Emarat is the ill governance of Karzai government and ISAF occupying force.
(6) Emarat lost its negative support from Afghan people when US attacked it, because of its harsh rule and atrocities which it made them suffered, although the warlords of the Northern alliance and others committed by far the more brutal infringements of human rights, which made people accept Emarat in place of those warlords so that Emarat could expelled them so quickly.
2. General Framework of Negotiation
(1) We should notice that we are searching a framework of negotiation between two parties which do not share common legal reference system.
(2) The legal reference system of US is ‘the International law’, which is in fact nothing more than the Western law, while the legal reference system is Sharī‘ah, the Islamic Divine Law.
(3) The Western international law and Islamic Sharī‘ah share some common elements but the commonalities are limited.
(4) Both parties should try to grope solutions for respective issues on ad hoc basis referring to the ‘true universal common sense’ without forcing application of their own law on the another party.
(5) Both parties should pay some ‘respect’ to the reference law of the another party, in sense that they admit validity of the law of the another party in its territory and observe negatively, ie., don’t infringe on it, the law of the another party in case they are in another parties territory.
3. Problems
(1) ISAF foreign forces are occupying Afghanistan by the pretext that they are fighting against al-Qāi‘idah which threatens the security of the West. But it became clear that Al- Qā‘idah’s leadership and soldiers are now not in Afghanistan but in Pakistan.
(2) The insurgents, main actor of whom are Taliban (Mujahideen of Emarat) , are not fighting for doing harm to Western people living their own counties in the West, but fighting against the foreign invader force who has been killing Afghan citizens including those insurgents.
(3) The number of victims Afghan citizens who were killed because of the foreign invader forcer are by far the more than as is officially stated by ISAF, though a quite a lot of whom are ‘collateral damage’ caused by the insurgents’ attacks against the foreign force and Karzai government.
(4) When General MacCristal, offered 2500$ for Afghan civilian victims, Afghan people got to be furious because it seemed blatantly contrary to justice, equality and humanity.
(5) Whatever the reason might be, it is the fact that Afghan peoples are those who have become victims of the civil war and been suffering.
(6) Not only inside Afghanistan but outside of it, it is widely believed that billions of dollars which are spent in the name of Afghanistan aide are in fact consumed for the Western companies, NGOs, and their personnel, and usurped by Afghan warlords, politicians, and businessmen with political ties, and ordinary people hardly take benefit of it.
(7) Not only ISAF foreign force but also the insurgent groups, whose main actor is Taliban Mujahedeen group, has killed innocent people. And some alleged 'Taliban related' insurgents groups have committed atrocities and cruel behaviors to Afghan citizens under the cause of Islamic resistance.
(8) There are many misunderstandings about Taliban like “Taliban ban girl’s education”, because all the official mass media are under the control of anti-Taliban groups not only inside Afghanistan but internationally and they are distorting Taliban's image.
(9) Beside many slanders about Taliban, it is true that many infringements against human rights and rules of Sharī‘ah still has been happening by Taliban’s ‘shadow government’ as well as ‘self-alleged Taliban’ insurgent groups, because of lack of proper higher Islamic educations and dysfunction of line of command among them as clandestine organizations under close surveillance.
(10) The name ‘Taliban’ has become the symbol of national resistance, even the President Karzai himself once said in Kandahar that he would join Taliban if the West would continue to make pressure on him.
(11) Necessity of reconciliation with Taliban comes to be felt even among the Western occupying forces, and some American policy makers (including Obama and Hilary Clinton) seem to decide to start negotiation with Taliban, while among Afghans themselves, statistics show that around 90% are agreeing with reconciliation with Taliban.
(12) But politicians and former warlords of Karzai government are opposing reconciliation as well as self-alleged “human rights activists” claiming that Taliban should not participate in the government because they committed atrocities of massacres and numerous violations of human rights during their rule.
(13) It is true that Emarat had infringed human rights and Sharī‘ah’s rules many and these infringements have not yet been redeemed, but as is same with former warlords or they made atrocities by far the worse than Taliban, who are now in occupying high offices of Karzai government.
4. Solution
(1) The logical conclusion from analysis of current situation in Afghanistan is that the sole way of solution of the above mentioned problems are to put Emarat, which is the main actor of the insurgent groups and consist of ‘shadow government’ in the most part of the country, in charge of governance and security of Afghan nation in place of the government and the foreign force which has proved by themselves of their incompetence of the governance in the country in spite of the tremendously huge amount of the money which they have spent in the name of Afghanistan reconstruction.
(2) The claim opposing containment of Taliban because of their commitment of numerous violations of human rights during their rule should be dismissed and the reconciliation with them is necessary, just same as sinful warlords should have been accommodated for the peace.
(3) The reconciliation had better form the integration of Islamic Republic of Afghanistan (IRA) which was established under the full control of the foreign force and attained the legitimacy as de fact power into the former legitimate ‘national’ government of Islamic Emarat of Afghanistan which realized peace and security by finishing the long suffering civil war, not the contrary, ie., integration of Emarat into Islamic Republic.
(4) The role of UNAMA (United Nations Assistance Mission in Afghanistan) is to help financially and technically Emarat to solve the above mentioned problems and guarantee the peaceful transition of the power during the process of integration of IRA into Emarat.
(5) The final form of Emarat and the constitution will be decided by the will of Afghan nation which will be expressed through Roya Jirga in suitable time, and the constitution will be based on the present constitution of IRA with some necessary amendments.
(6) UNAMA should provide Emarat with full support for development of Islamic education of EMARAT personnel lest they should infringe human rights which Shari‘ah, Islamic law guarantees.
(7) Development of the education of women had better follow Saudi Arabian model, in which the rate of girl students of universities consist 56.8% in 2010, because of the similarities of the social tradition between two countries in this respect.
(8) The place of Amīr al-Mu’minīn, the head of the state, might be Kandahar, while the administrative organ of the government should be located in Kabul, which is given special status as a “cosmopolitan city” in which non-Muslim foreigners of “Ahl al-dhimmah” and “Musta’min” can enjoy full rights of their freedom of faith and its practice and Muslim Afghan nationals should associate with them on their responsibility in front of Allah.
(9) The religion of the state is Islam according to the orthodox interpretation of Hanafi legal school which is to be defined by consultative body of Ulamā’ in the presence of Amīr al-Mu’minīn, while the freedom of faith of other schools of Islam is guaranteed in private areas and the lawsuits between Shiite Muslims are dealt by Shiite Qaḍīs(judges) in Shiite majority districts.
(10) Security of Kabul will be guaranteed by foreign force of ISAF during the transitional period of transformation of the administrative body, but ISAF should be reorganized into Muslim force, ie, Turkish army and Muslim soldiers of the other countries, while the existence of non-Muslim foreign armies should be restricted inside the embassies where they are in charge of the security.
(11) The Western countries which advocate the ‘Human Right’, freedom, equality, and ‘liberal democracy’ should support financially, legally, procedurally, and technically immigration of Afghan nationals who prefer it to living in Emarat.
(12) Emarat should prove itself being detached from any organizations which use Afghanistan as their base to attack militarily the Western countries as it claims.
(13) The right of revenge of victims because of civil wars since Mujahedeen government up to now should be relinquished, whoever the offenders might be, soldiers of Afghan warlords or Taliban or ISAF armies or ‘mercenary’ of Western security companies, except the soldiers who would be sentenced guilty by the court-martial should be punished by law of the respective country.
(14) In place of resignation of the right of revenge, the victims and the bereaved families should be compensated and the compensation for civilian victims based on justice acceptable to Afghan people, should be given priority to the other financial aids.
(15) The compensation had better be 1,000 Dinar (1 Dinar =4.25g 22 Karat gold) or 10,000 Dirham (1 Dirham = 3 gram silver) according to Sharī‘ah for all the victims except whom Afghan court proves that they are actually fighting with weapons. It seems acceptable as well to all who believe in human dignity and equality, and if UNAMA would coin Dinars for compensation, Afghan people would appreciate it very much because it proves respect of UNAMA for the justice of Sharī‘ah, and UNAMA’s Dinar or Dirham will be the visible symbol of it.
2011年9月5日月曜日
アフガニスタン難民、パキスタン難民への支援のお願い!
ジャパン・イスラミック・トラスト(宗教法人・日本イスラーム文化センター)
マスジド(モスク)大塚 から
アフガニスタン難民、パキスタン難民への支援のお願い!
■冬用の衣類支援
2001年から続けてきましたアフガン難民への越冬衣類支援も今年で10年を迎えました。 また、2008年からは大地震や洪水の被害などで住む場所を失い、厳しい冬を越すための準備もなく困難な状況にある多くのパキスタン難民へも支援を行なってきました。
みなさまがあたたかいお気持ちで贈ってくださった支援は、多くの難民キャンプや辺境の村々などに配布することができました。また、医療品や食糧の配布、給水も実現することができました。しかし寒さが厳しい冬を越すために支援を必要としている方がまだまだたくさんいます。どうぞみなさまの暖かいお気持ちをアフガニスタン、パキスタンの方たちへお贈りください。
なお、支援物資はすべて下記の倉庫へ郵送してください。マスジド大塚へは持ち込まないよう、ご理解とご協力の程よろしくお願いします。
期間:2011年9月5(月)〜9月12日(月)必着(土日祝日休み・期間内必着厳守)
(ジャパンエキスプレスでは救援物資ということで、特別のサービスを提供下さっております。従いまして、期間内に必着するようお願い致します。)
送付先:〒140-0003 東京都品川区八潮2-9 ジャパンエキスプレス大井物流センター
TEL:03-3971-5631(伝票記載専用)『アフガニスタン救援物資』と明記のこと
*マスジド大塚には保管場所がありません。マスジドには送らないでください。
*個人持込は出来ません。必ず郵送でお願いします。
<<<贈っていただきたいもの>>>
○セーター ○ジャケット ○カーディガン ○暖かい肌着、靴下 ○子供用衣類 ○毛布、タオル
船便で送るため、保管期間が長くなります。クリーニング・洗濯後の乾燥等につきましてもご配慮下さるようお願い致します。
■現地までの運賃(船便+現地輸送費)を必ずお振り込み下さい。
ミカン箱(縦+横+高さ=120cm未満を目安)よりも、小さな箱(1箱)・・・500円、大きな箱(1箱)・・・1,000円
振込先:
■郵便振替00150-9-98307 JITアフガン難民ファンド
■三菱東京UFJ銀行大塚支店 普通口座1415181 JITアフガン難民ファンド
※ 一部ネットバンクなどでは、ジェーアイティーアフガンナンミンファンドと記入してください。
※ 経費の節約により余剰金が出来た場合は、医療品、食糧、毛布などを現地で購入するための資金とすることをご了承下さい。カンパも合わせてお願いしています。
※ 集荷場所までの送料は別途お支払い下さい。
※ 箱の中に、お金を入れないでください。現地でゴミと間違われてしまいます。よろしくお気遣いください。
ジャパン・イスラミック・トラスト(マスジド大塚)
TEL: 03-3971-5631 URL: http://www.islam.or.jp/
マスジド(モスク)大塚 から
アフガニスタン難民、パキスタン難民への支援のお願い!
■冬用の衣類支援
2001年から続けてきましたアフガン難民への越冬衣類支援も今年で10年を迎えました。 また、2008年からは大地震や洪水の被害などで住む場所を失い、厳しい冬を越すための準備もなく困難な状況にある多くのパキスタン難民へも支援を行なってきました。
みなさまがあたたかいお気持ちで贈ってくださった支援は、多くの難民キャンプや辺境の村々などに配布することができました。また、医療品や食糧の配布、給水も実現することができました。しかし寒さが厳しい冬を越すために支援を必要としている方がまだまだたくさんいます。どうぞみなさまの暖かいお気持ちをアフガニスタン、パキスタンの方たちへお贈りください。
なお、支援物資はすべて下記の倉庫へ郵送してください。マスジド大塚へは持ち込まないよう、ご理解とご協力の程よろしくお願いします。
期間:2011年9月5(月)〜9月12日(月)必着(土日祝日休み・期間内必着厳守)
(ジャパンエキスプレスでは救援物資ということで、特別のサービスを提供下さっております。従いまして、期間内に必着するようお願い致します。)
送付先:〒140-0003 東京都品川区八潮2-9 ジャパンエキスプレス大井物流センター
TEL:03-3971-5631(伝票記載専用)『アフガニスタン救援物資』と明記のこと
*マスジド大塚には保管場所がありません。マスジドには送らないでください。
*個人持込は出来ません。必ず郵送でお願いします。
<<<贈っていただきたいもの>>>
○セーター ○ジャケット ○カーディガン ○暖かい肌着、靴下 ○子供用衣類 ○毛布、タオル
船便で送るため、保管期間が長くなります。クリーニング・洗濯後の乾燥等につきましてもご配慮下さるようお願い致します。
■現地までの運賃(船便+現地輸送費)を必ずお振り込み下さい。
ミカン箱(縦+横+高さ=120cm未満を目安)よりも、小さな箱(1箱)・・・500円、大きな箱(1箱)・・・1,000円
振込先:
■郵便振替00150-9-98307 JITアフガン難民ファンド
■三菱東京UFJ銀行大塚支店 普通口座1415181 JITアフガン難民ファンド
※ 一部ネットバンクなどでは、ジェーアイティーアフガンナンミンファンドと記入してください。
※ 経費の節約により余剰金が出来た場合は、医療品、食糧、毛布などを現地で購入するための資金とすることをご了承下さい。カンパも合わせてお願いしています。
※ 集荷場所までの送料は別途お支払い下さい。
※ 箱の中に、お金を入れないでください。現地でゴミと間違われてしまいます。よろしくお気遣いください。
ジャパン・イスラミック・トラスト(マスジド大塚)
TEL: 03-3971-5631 URL: http://www.islam.or.jp/
2011年8月13日土曜日
「カダフィの追放の本当の原因:金貨の野望か? 」Real Cause for Gaddafi's Expulsion: Wanted Gold Currency?
Real Cause for Gaddafi's Expulsion: Wanted Gold Currency?
Thursday, May 05, 2011 – by Russia Today
「カダフィの追放の本当の原因:金貨の野望か? 」
2011年5月5日(木曜日) - 『ロシア・トゥディ』紙
Some believe it [the NATO/US-led Libyan invasion] is about protecting civilians, others say it is about oil, but some are convinced intervention in Libya is all about Gaddafi's plan to introduce the gold dinar, a single African currency made from gold, a true sharing of the wealth.
[NATO /米国主導のリビア侵攻]は民間人を保護するためであると信ずる者があり、いや、それは石油のためだ、と言う者もある。しかし、リビア介入(侵攻)の理由は、カダフィが真の富の共有となる統一アフリカ統一通貨としてのディーナール金貨を導入しようと計画していたために他ならないと確信している者もいる。
Gaddafi did not give up. In the months leading up to the military intervention, he called on African and Muslim nations to join together to create this new currency that would rival the dollar and euro. They would sell oil and other resources around the world only for gold dinars.
カダフィは決して諦めなかった。軍事介入に至るまでの数ヶ月の間、彼はアフリカとムスリム諸国に、ドルとユーロと競合できるこの新通貨の創設のために結集するように呼びかけていた。世界中の石油や他の天然資源はこのディーナール金貨によってのみ決済されるようになるというのである。
It is an idea that would shift the economic balance of the world.
それは世界の経済のバランスを転換しようとのアイデアなのである。
"If Gaddafi had an intent to try to re-price his oil or whatever else the country was selling on the global market and accept something else as a currency or maybe launch a gold dinar currency, any move such as that would certainly not be welcomed by the power elite today, who are responsible for controlling the world's central banks," says Anthony Wile, founder and Chief Editor of the Daily Bell.
「もしカダフィが、石油であれ他の何であれ、国際市場で販売しているものの価格を再設定しよう、あるいは何か別のものを通貨として認めよう、あるいはディーナール金貨を流通させよう、と意図したとすれば、そのようないかなる動きであれ、(世界各国の)中央銀行を支配する任にある今日のパワーエリートにとって歓迎されないことは確かである。」創設者および『デイリー・ベル』紙の創設者であり編集長でもあるアンソニーワイリーは述べる。
"So yes, that would certainly be something that would cause his immediate dismissal and the need for other reasons to be brought forward from moving him from power."
「そう、確かにそれは、彼を権力の座から引き摺り下ろす別の口実をでっちあげて即座に彼を追放すべき理由であったのだ。」
And it has happened before.
そしてそれは以前にも起こったことである。
In 2000, Saddam Hussein announced Iraqi oil would be traded in euros, not dollars. Some say sanctions and an invasion followed because the Americans were desperate to prevent OPEC from transferring oil trading in all its member countries to the euro.
一部の者の説では、2000年にサダム・フセインはイラクの石油はユーロではなくドルで取引されると発表したので、石油輸出国機構(OPEC)がすべての加盟国の石油取引(通貨)を(ドルから)ユーロに変更するのを防ぐためにアメリカ人が必死になった結果、一連の制裁そして侵攻に至ったのである。
A gold dinar would have had serious consequences for the world financial system, but may also have empowered the people of Africa, something black activists say the US wants to avoid at all costs.
ディーナール金貨は世界の金融システムに深刻な影響を与えた可能性、そしてアフリカの人々をエンパワーしていた可能性があった。黒人活動家たちは、それこそ米国がいかなる犠牲を払おうとも阻止したいと望むことである、と述べている。
Some say the US and its NATO allies literally could not afford to let that happen.
ある者が言うには、米国とそのNATO同盟国には文字通りその実現を許す余裕が無かったのである。 (了)
http://www.thedailybell.com/2226/Real-Cause-for-Gaddafis-Expulsion-Wanted-Gold-Currency.html
Thursday, May 05, 2011 – by Russia Today
「カダフィの追放の本当の原因:金貨の野望か? 」
2011年5月5日(木曜日) - 『ロシア・トゥディ』紙
Some believe it [the NATO/US-led Libyan invasion] is about protecting civilians, others say it is about oil, but some are convinced intervention in Libya is all about Gaddafi's plan to introduce the gold dinar, a single African currency made from gold, a true sharing of the wealth.
[NATO /米国主導のリビア侵攻]は民間人を保護するためであると信ずる者があり、いや、それは石油のためだ、と言う者もある。しかし、リビア介入(侵攻)の理由は、カダフィが真の富の共有となる統一アフリカ統一通貨としてのディーナール金貨を導入しようと計画していたために他ならないと確信している者もいる。
Gaddafi did not give up. In the months leading up to the military intervention, he called on African and Muslim nations to join together to create this new currency that would rival the dollar and euro. They would sell oil and other resources around the world only for gold dinars.
カダフィは決して諦めなかった。軍事介入に至るまでの数ヶ月の間、彼はアフリカとムスリム諸国に、ドルとユーロと競合できるこの新通貨の創設のために結集するように呼びかけていた。世界中の石油や他の天然資源はこのディーナール金貨によってのみ決済されるようになるというのである。
It is an idea that would shift the economic balance of the world.
それは世界の経済のバランスを転換しようとのアイデアなのである。
"If Gaddafi had an intent to try to re-price his oil or whatever else the country was selling on the global market and accept something else as a currency or maybe launch a gold dinar currency, any move such as that would certainly not be welcomed by the power elite today, who are responsible for controlling the world's central banks," says Anthony Wile, founder and Chief Editor of the Daily Bell.
「もしカダフィが、石油であれ他の何であれ、国際市場で販売しているものの価格を再設定しよう、あるいは何か別のものを通貨として認めよう、あるいはディーナール金貨を流通させよう、と意図したとすれば、そのようないかなる動きであれ、(世界各国の)中央銀行を支配する任にある今日のパワーエリートにとって歓迎されないことは確かである。」創設者および『デイリー・ベル』紙の創設者であり編集長でもあるアンソニーワイリーは述べる。
"So yes, that would certainly be something that would cause his immediate dismissal and the need for other reasons to be brought forward from moving him from power."
「そう、確かにそれは、彼を権力の座から引き摺り下ろす別の口実をでっちあげて即座に彼を追放すべき理由であったのだ。」
And it has happened before.
そしてそれは以前にも起こったことである。
In 2000, Saddam Hussein announced Iraqi oil would be traded in euros, not dollars. Some say sanctions and an invasion followed because the Americans were desperate to prevent OPEC from transferring oil trading in all its member countries to the euro.
一部の者の説では、2000年にサダム・フセインはイラクの石油はユーロではなくドルで取引されると発表したので、石油輸出国機構(OPEC)がすべての加盟国の石油取引(通貨)を(ドルから)ユーロに変更するのを防ぐためにアメリカ人が必死になった結果、一連の制裁そして侵攻に至ったのである。
A gold dinar would have had serious consequences for the world financial system, but may also have empowered the people of Africa, something black activists say the US wants to avoid at all costs.
ディーナール金貨は世界の金融システムに深刻な影響を与えた可能性、そしてアフリカの人々をエンパワーしていた可能性があった。黒人活動家たちは、それこそ米国がいかなる犠牲を払おうとも阻止したいと望むことである、と述べている。
Some say the US and its NATO allies literally could not afford to let that happen.
ある者が言うには、米国とそのNATO同盟国には文字通りその実現を許す余裕が無かったのである。 (了)
http://www.thedailybell.com/2226/Real-Cause-for-Gaddafis-Expulsion-Wanted-Gold-Currency.html
2011年8月8日月曜日
アフガニスタン和平交渉素案
Road Map for Afghan Reconciliation Negotiation
(A tentative draft proposed by Dr.Hassan Ko Nakata written on 2011/07/27)
1. Simultaneous issuing statement of mutual recognition of two parties fighting each other as organized political entities which are represented by their respective sovereigns or heads of state to the international society.
2. Selecting persons who are authorized to be involved in the reconciliation negotiation, one of whom is a representative of one party (United States of America) nominated by its sovereign (President Obama), another is nominated by another party(Islamic Emarat of Afghanistan whose head is Ameer Almu’mineen Mollah Umar), and the third one is a mediator who is agreed by both of the nominated representative.
3. Both of the party is given the address in which the security of the persons involved in the negotiation is guaranteed by both parties.
4. The negotiation will start in the country where the addresses of the both parties are located by the authorized persons.
5. The negotiation should start without any substantial condition imposed except above-mentioned procedural preconditions.
6. All the contents of the negotiation should be open, including ceasefire, withdrawal of foreign forces, accepting legitimacy of the present constitution, and breaking off the relation with Al-Qaidah.
7. The negotiation should not be abandoned and its channel should officially be kept open, even while the battles would be continuing.
8. The final agreement will be concluded by both parties, in which status of Islamic Emarat of Afghanistan and Islamic Republic of Afghanistan would be finally decided or decided to be trusted to the decision of Afghan nation through suitable means of Jirga or Afghani-Islamic way of election, Ikhtiyar al-Hakim.
Commentary on Road Map for Afghan Reconciliation
1. Background of the Problem
(1) The security situation has been deteriorating day by day since entry of US and her coalition force and collapse of Taliban government(Islamic Emarat of Afghanistan:1996-2001). It will be abbreviated bellow as Emarat) in 2001.
(2) Emarat has recovered its (mainly negative) support until now it is said that more than 70% of the country is under its control, since it lost it completely in 2001.
(3) The sole government which realized security almost all over the land of Afghanistan and abolished drug trade was Emarat in its final stage.
(4) The main reason of the increase of insurgence movement in Afghanistan is the anger of people for so called “collateral damages”, which are in fact civilian victims of INSAF force’s attack.
(5) It seems that main reason of the deterioration of security and return of Emarat is the ill governance of Karzai government and ISAF occupying force.
(6) Emarat lost its negative support from Afghan people when US attacked it, because of its harsh rule and atrocities which it made them suffered, although the warlords of the Northern alliance and others committed by far the more brutal infringements of human rights, which made people accept Emarat in place of those warlords so that Emarat could expelled them so quickly.
2. General Framework of Negotiation
(1) We should notice that we are searching a framework of negotiation between two parties which do not share common legal reference system.
(2) The legal reference system of US is ‘the International law’, which is in fact nothing more than the Western law, while the legal reference system is Shari‘ah, the Islamic Divine Law.
(3) The Western international law and Islamic Shari‘ah share some common elements but the commonalities are limited.
(4) Both parties should try to grope solutions for respective issues on ad hoc basis referring to the ‘true universal common sense’ without forcing application of their own law on the another party.
(5) Both parties should pay some ‘respect’ to the reference law of the another party, in sense that they admit validity of the law of the another party in its territory and observe negatively, ie., don’t infringe on, the law of the another party in case they are in another parties territory.
3. Problems
(1) ISAF foreign forces are occupying Afghanistan by the pretext that they are fighting against al-Qaidah which threatens the security of the West. But it became clear that Al-Qaidah’s leadership and soldiers are now not in Afghanistan but in Pakistan.
(2) The insurgents, main actor of whom are Taliban (Mujahideen of Emarat) , are not fighting for doing harm to Western people living their own counties in the West, but fighting against the foreign invader force who has been killing Afghan citizens including those insurgents.
(3) The number of victims Afghan citizens who were killed because of the foreign invader forcer are by far the more than as is officially stated by ISAF, though a quite a lot of whom are ‘collateral damage’ caused by the insurgents’ attacks against the foreign force and Karzai government.
(4) When General MacCristal, offered 2500$ for Afghan civilian victims, Afghan people got to be furious because it seemed blatantly contrary to justice, equality and humanity.
(5) Whatever the reason might be, it is the fact that Afghan peoples are those who have become victims of the civil war and been suffering.
(6) Not only inside Afghanistan but outside of it, it is widely believed that billions of dollars which are spent in the name of Afghanistan aide are in fact consumed for the Western companies, NGOs, and their personnel, and usurped by Afghan warlords, politicians, and businessmen with political ties, and ordinary people hardly take benefit of it.
(7) Not only ISAF foreign force but also the insurgent groups, whose main actor is Taliban Mujahedeen group, has killed innocent people. And some alleged 'Taliban related' insurgents groups have committed atrocities and cruel behaviors to Afghan citizens under the cause of Islamic resistance.
(8) There are many misunderstandings about Taliban like “Taliban ban girl’s education”, because all the official mass media are under the control of anti-Taliban groups not only inside Afghanistan but internatinally and they are distorting Taliban's image.
(9) Beside many slanders about Taliban, it is true that many infringements against human rights and rules of Shari‘ah still has been happening by Taliban’s ‘shadow government’ as well as ‘self-alleged Taliban’ insurgent groups, because of lack of proper higher Islamic educations and dysfunction of line of command among them as clandestine organizations under close surveillance.
(10) The name ‘Taliban’ has become the symbol of national resistance, even the President Karzai himself once said in Kandahar that he would join Taliban if the West would continue to make pressure on him.
(11) Necessity of reconciliation with Taliban comes to be felt even among the Western occupying forces, and some American policy makers (including Obama and Hilary Clinton) seem to decide to start negotiation with Taliban, while among Afghans themselves, statistics show that around 90% are agreeing with reconciliation with Taliban.
(12) But politicians and former warlords of Karzai government are opposing reconciliation as well as self-alleged “human rights activists” claiming that Taliban should not participate in the government because they committed atrocities of massacres and numerous violations of human rights during their rule.
(13) It is true that Emarat had infringed human rights and Shari‘ah’s rules many and these infringements have not yet been redeemed, but as is same with former warlords or they made atrocities by far the worse than Taliban, who are now in occupying high offices of Karzai government.
4. Solution
(1) The logical conclusion from analysis of current situation in Afghanistan is that the sole way of solution of the above mentioned problems are to put Emarat, which is the main actor of the insurgent groups and consist of ‘shadow government’ in the most part of the country, in charge of governance and security of Afghan nation in place of the government and the foreign force which has proved by themselves of their incompetence of the governance in the country in spite of the tremendously huge amount of the money which they have spent in the name of Afghanistan reconstruction.
(2) The claim opposing containment of Taliban because of their commitment of numerous violations of human rights during their rule should be dismissed and the reconciliation with them is necessary, just same as sinful warlords should have been accommodated for the peace.
(3) The reconciliation had better form the integration of Islamic Republic of Afghanistan (IRA) which was established under the full control of the foreign force and attained the legitimacy as de fact power into the former legitimate ‘national’ government of Islamic Emarat of Afghanistan which realized peace and security by finishing the long suffering civil war, not the contrary, ie., integration of Emarat into Islamic Republic.
(4) The role of UNAMA (United Nations Assistance Mission in Afghanistan) is to help financially and technically Emarat to solve the above mentioned problems and guarantee the peaceful transition of the power during the process of integration of IRA into Emarat.
(5) The final form of Emarat and the constitution will be decided by the will of Afghan nation which will be expressed through Roya Jirga in suitable time, and the constitution will be based on the present constitution of IRA with some necessary amendments.
(6) UNAMA should provide Emarat with full support for development of Islamic education of EMARAT personnel lest they should infringe human rights which Shari‘ah, Islamic law guarantees.
(7) Development of the education of women had better follow Saudi Arabian model, in which the rate of girl students of universities consist 56.8% in 2010, because of the similarities of the social tradition between two countries in this respect.
(8) The place of Ameer al-Mu’mineen, the head of the state, might be Kandahar, while the administrative organ should be located in Kabul, which is given special status as a “cosmopolitan city” in which non-Muslim foreigners of “Ahl al-dhimmah” and “Musta’min” can enjoy full rights of their freedom of faith and its practice and Muslim Afghan nationals should associate with them on their responsibility in front of Allah.
(9) Security of Kabul will be guaranteed by foreign force of ISAF during the transitional period of transformation of the administrative body, but ISAF should be reorganized into Muslim force, ie, Turkish army and Muslim soldiers of the other countries, while the existence of non-Muslim foreign armies should be restricted inside the embassies where they are in charge of the security.
(10) The Western countries which advocate the ‘Human Right’, freedom, equality, and ‘liberal democracy’ should support financially, legally, procedurally, and technically immigration of Afghan nationals who prefer it to living in Emarat.
(11) Emarat should prove itself being detached from any organizations which use Afghanistan as their base to attack militarily the Western countries as it claims.
(12) The right of revenge of victims because of civil wars since Mujahedeen government up to now should be relinquished, whoever the offenders might be, soldiers of Afghan warlords or Taliban or ISAF armies or ‘mercenary’ of Western security companies, except the soldiers who would be sentenced guilty by the court-martial should be punished by law of the respective country.
(13) In place of resignation of the right of revenge, the victims and the bereaved families should be compensated and the compensation for civilian victims based on justice acceptable to Afghan people, should be given priority to the other financial aids.
(14) The compensation had better be 1,000 Dinar (1 Dinar =4.25g 22 Karat gold) or 10,000 Dirham (1 Dirham = 3 gram silver) according to Shari‘ah for all the victims except whom Afghan court proves that they are actually fighting with weapons. It seems acceptable as well to all who believe in human dignity and equality, and if UNAMA would coin Dinars for compensation, Afghan people would appreciate it very much because it proves respect of UNAMA for the justice of Shari‘ah, and UNAMA’s Dinar or Dirham will be the visible symbol of it.
(A tentative draft proposed by Dr.Hassan Ko Nakata written on 2011/07/27)
1. Simultaneous issuing statement of mutual recognition of two parties fighting each other as organized political entities which are represented by their respective sovereigns or heads of state to the international society.
2. Selecting persons who are authorized to be involved in the reconciliation negotiation, one of whom is a representative of one party (United States of America) nominated by its sovereign (President Obama), another is nominated by another party(Islamic Emarat of Afghanistan whose head is Ameer Almu’mineen Mollah Umar), and the third one is a mediator who is agreed by both of the nominated representative.
3. Both of the party is given the address in which the security of the persons involved in the negotiation is guaranteed by both parties.
4. The negotiation will start in the country where the addresses of the both parties are located by the authorized persons.
5. The negotiation should start without any substantial condition imposed except above-mentioned procedural preconditions.
6. All the contents of the negotiation should be open, including ceasefire, withdrawal of foreign forces, accepting legitimacy of the present constitution, and breaking off the relation with Al-Qaidah.
7. The negotiation should not be abandoned and its channel should officially be kept open, even while the battles would be continuing.
8. The final agreement will be concluded by both parties, in which status of Islamic Emarat of Afghanistan and Islamic Republic of Afghanistan would be finally decided or decided to be trusted to the decision of Afghan nation through suitable means of Jirga or Afghani-Islamic way of election, Ikhtiyar al-Hakim.
Commentary on Road Map for Afghan Reconciliation
1. Background of the Problem
(1) The security situation has been deteriorating day by day since entry of US and her coalition force and collapse of Taliban government(Islamic Emarat of Afghanistan:1996-2001). It will be abbreviated bellow as Emarat) in 2001.
(2) Emarat has recovered its (mainly negative) support until now it is said that more than 70% of the country is under its control, since it lost it completely in 2001.
(3) The sole government which realized security almost all over the land of Afghanistan and abolished drug trade was Emarat in its final stage.
(4) The main reason of the increase of insurgence movement in Afghanistan is the anger of people for so called “collateral damages”, which are in fact civilian victims of INSAF force’s attack.
(5) It seems that main reason of the deterioration of security and return of Emarat is the ill governance of Karzai government and ISAF occupying force.
(6) Emarat lost its negative support from Afghan people when US attacked it, because of its harsh rule and atrocities which it made them suffered, although the warlords of the Northern alliance and others committed by far the more brutal infringements of human rights, which made people accept Emarat in place of those warlords so that Emarat could expelled them so quickly.
2. General Framework of Negotiation
(1) We should notice that we are searching a framework of negotiation between two parties which do not share common legal reference system.
(2) The legal reference system of US is ‘the International law’, which is in fact nothing more than the Western law, while the legal reference system is Shari‘ah, the Islamic Divine Law.
(3) The Western international law and Islamic Shari‘ah share some common elements but the commonalities are limited.
(4) Both parties should try to grope solutions for respective issues on ad hoc basis referring to the ‘true universal common sense’ without forcing application of their own law on the another party.
(5) Both parties should pay some ‘respect’ to the reference law of the another party, in sense that they admit validity of the law of the another party in its territory and observe negatively, ie., don’t infringe on, the law of the another party in case they are in another parties territory.
3. Problems
(1) ISAF foreign forces are occupying Afghanistan by the pretext that they are fighting against al-Qaidah which threatens the security of the West. But it became clear that Al-Qaidah’s leadership and soldiers are now not in Afghanistan but in Pakistan.
(2) The insurgents, main actor of whom are Taliban (Mujahideen of Emarat) , are not fighting for doing harm to Western people living their own counties in the West, but fighting against the foreign invader force who has been killing Afghan citizens including those insurgents.
(3) The number of victims Afghan citizens who were killed because of the foreign invader forcer are by far the more than as is officially stated by ISAF, though a quite a lot of whom are ‘collateral damage’ caused by the insurgents’ attacks against the foreign force and Karzai government.
(4) When General MacCristal, offered 2500$ for Afghan civilian victims, Afghan people got to be furious because it seemed blatantly contrary to justice, equality and humanity.
(5) Whatever the reason might be, it is the fact that Afghan peoples are those who have become victims of the civil war and been suffering.
(6) Not only inside Afghanistan but outside of it, it is widely believed that billions of dollars which are spent in the name of Afghanistan aide are in fact consumed for the Western companies, NGOs, and their personnel, and usurped by Afghan warlords, politicians, and businessmen with political ties, and ordinary people hardly take benefit of it.
(7) Not only ISAF foreign force but also the insurgent groups, whose main actor is Taliban Mujahedeen group, has killed innocent people. And some alleged 'Taliban related' insurgents groups have committed atrocities and cruel behaviors to Afghan citizens under the cause of Islamic resistance.
(8) There are many misunderstandings about Taliban like “Taliban ban girl’s education”, because all the official mass media are under the control of anti-Taliban groups not only inside Afghanistan but internatinally and they are distorting Taliban's image.
(9) Beside many slanders about Taliban, it is true that many infringements against human rights and rules of Shari‘ah still has been happening by Taliban’s ‘shadow government’ as well as ‘self-alleged Taliban’ insurgent groups, because of lack of proper higher Islamic educations and dysfunction of line of command among them as clandestine organizations under close surveillance.
(10) The name ‘Taliban’ has become the symbol of national resistance, even the President Karzai himself once said in Kandahar that he would join Taliban if the West would continue to make pressure on him.
(11) Necessity of reconciliation with Taliban comes to be felt even among the Western occupying forces, and some American policy makers (including Obama and Hilary Clinton) seem to decide to start negotiation with Taliban, while among Afghans themselves, statistics show that around 90% are agreeing with reconciliation with Taliban.
(12) But politicians and former warlords of Karzai government are opposing reconciliation as well as self-alleged “human rights activists” claiming that Taliban should not participate in the government because they committed atrocities of massacres and numerous violations of human rights during their rule.
(13) It is true that Emarat had infringed human rights and Shari‘ah’s rules many and these infringements have not yet been redeemed, but as is same with former warlords or they made atrocities by far the worse than Taliban, who are now in occupying high offices of Karzai government.
4. Solution
(1) The logical conclusion from analysis of current situation in Afghanistan is that the sole way of solution of the above mentioned problems are to put Emarat, which is the main actor of the insurgent groups and consist of ‘shadow government’ in the most part of the country, in charge of governance and security of Afghan nation in place of the government and the foreign force which has proved by themselves of their incompetence of the governance in the country in spite of the tremendously huge amount of the money which they have spent in the name of Afghanistan reconstruction.
(2) The claim opposing containment of Taliban because of their commitment of numerous violations of human rights during their rule should be dismissed and the reconciliation with them is necessary, just same as sinful warlords should have been accommodated for the peace.
(3) The reconciliation had better form the integration of Islamic Republic of Afghanistan (IRA) which was established under the full control of the foreign force and attained the legitimacy as de fact power into the former legitimate ‘national’ government of Islamic Emarat of Afghanistan which realized peace and security by finishing the long suffering civil war, not the contrary, ie., integration of Emarat into Islamic Republic.
(4) The role of UNAMA (United Nations Assistance Mission in Afghanistan) is to help financially and technically Emarat to solve the above mentioned problems and guarantee the peaceful transition of the power during the process of integration of IRA into Emarat.
(5) The final form of Emarat and the constitution will be decided by the will of Afghan nation which will be expressed through Roya Jirga in suitable time, and the constitution will be based on the present constitution of IRA with some necessary amendments.
(6) UNAMA should provide Emarat with full support for development of Islamic education of EMARAT personnel lest they should infringe human rights which Shari‘ah, Islamic law guarantees.
(7) Development of the education of women had better follow Saudi Arabian model, in which the rate of girl students of universities consist 56.8% in 2010, because of the similarities of the social tradition between two countries in this respect.
(8) The place of Ameer al-Mu’mineen, the head of the state, might be Kandahar, while the administrative organ should be located in Kabul, which is given special status as a “cosmopolitan city” in which non-Muslim foreigners of “Ahl al-dhimmah” and “Musta’min” can enjoy full rights of their freedom of faith and its practice and Muslim Afghan nationals should associate with them on their responsibility in front of Allah.
(9) Security of Kabul will be guaranteed by foreign force of ISAF during the transitional period of transformation of the administrative body, but ISAF should be reorganized into Muslim force, ie, Turkish army and Muslim soldiers of the other countries, while the existence of non-Muslim foreign armies should be restricted inside the embassies where they are in charge of the security.
(10) The Western countries which advocate the ‘Human Right’, freedom, equality, and ‘liberal democracy’ should support financially, legally, procedurally, and technically immigration of Afghan nationals who prefer it to living in Emarat.
(11) Emarat should prove itself being detached from any organizations which use Afghanistan as their base to attack militarily the Western countries as it claims.
(12) The right of revenge of victims because of civil wars since Mujahedeen government up to now should be relinquished, whoever the offenders might be, soldiers of Afghan warlords or Taliban or ISAF armies or ‘mercenary’ of Western security companies, except the soldiers who would be sentenced guilty by the court-martial should be punished by law of the respective country.
(13) In place of resignation of the right of revenge, the victims and the bereaved families should be compensated and the compensation for civilian victims based on justice acceptable to Afghan people, should be given priority to the other financial aids.
(14) The compensation had better be 1,000 Dinar (1 Dinar =4.25g 22 Karat gold) or 10,000 Dirham (1 Dirham = 3 gram silver) according to Shari‘ah for all the victims except whom Afghan court proves that they are actually fighting with weapons. It seems acceptable as well to all who believe in human dignity and equality, and if UNAMA would coin Dinars for compensation, Afghan people would appreciate it very much because it proves respect of UNAMA for the justice of Shari‘ah, and UNAMA’s Dinar or Dirham will be the visible symbol of it.
2011年7月21日木曜日
『イスラームの豊かさを考える』序
序
日本語の「豊か」と訳させるアラビア語の単語は「ガニー」、「貧しい」と訳される単語は「ファキール」である。
このガニーとファキールはクルアーンでは、「人々よ、お前たちはアッラーを必要とする者(ファキール)であり、アッラーこそは自足し(ガニー)賞賛されるべき御方であらせられる。」(35章15節)、ガニーはアッラーの属性、ファキールは人間の属性として、対照されている。
アラビア語において、ガニー(豊か)の基本的な意味は、いかなるものも必要としないことであり、逆にファキール(貧しい)とは、何かを必要とすることである。
ガニー(豊か)とはモノに満ち溢れた状態ではなく、ファキール(貧しい)とは、モノが不足している状態ではない。モノがいかに満ち溢れていようとも、巨万の富を所有していようと、それらに依存しているなら、その者はファキールであり(貧しく)、逆にモノをなに一つ持たない(「慈悲遍き御方」章48節)無一物であろうとも、それで自足しているなら、その者はガニーなのである。
究極の富者であるアッラーは、他のいかなる存在者をも必要とせず、ただ独り自存する御方である。世界創造以前、アッラーはただ独りおわし彼に並んで存在するものは何もなく、そして現在もまたそうである、と言われる。それゆえ真に豊かな者ガニーは、アッラーをおいて存在しない。
アッラー以外の被造物は、無から生じ無に帰し、その束の間の存在の一瞬において、その存在する場がなければならず、またその内的構成要素と外的条件が揃うことをも必要とする。被造物はどれも単独で存在することはできず、他の被造物を必要とするが、その必要とされる他の被造物もまた単独で存在することはできず、更に別の被造物を必要とする。いかなる被造物も自存することはできない。自存することのできないものは、先在する何かに拠ってしか存在することができず、自存することができない被造物の世界は、存在論的に等位にあり同じく先在者を必要とする他の被造物から生ずることはできない。被造物の世界が存在するためには、先在者を必要としない無始の自存者が必要とされる。
被造物はその存在のために、他者を必要とする、即ちファキール(貧者)であるが、被造物の存在の最終根拠となる、もはや他に何者も必要としない絶対他者が、無始の(カディーム)自存者(カイユーム)である究極の富者(ガニー)、アッラーなのである。
全ての被造物は、その存在自体を他者に依存しているがゆえに、本質的にファキールでしかありえない。しかし全ての被造物は、それが存在する限りにおいて、その瞬間毎に存在の要件を過不足なく完全に充足している、とも言える。被造物は、その存在において、その存在の前提となる時空自体を含めて、その存在の要件となる他の全ての被造物の存在とその存在の障害となる全ての被造物の不在を微塵の過不足も無く同時的に与えられることによって始めて存在する。全ての被造物は、相互依存のネットワークの一部であり、無限の必要を本質とするファキールでありながら、同時に創造主アッラーに拠ることで、その無限の必要の全てを過不足なく与えられたアッラーに拠るガニーでもある。
被造物は全て、それ自体としては本質的にファキールであると同時に、アッラーに拠って過不足なく完全にガニーであり、その意味において、「貧/富(ファキール/ガニー)」の区分は存在しない。動物の餌が無くなり死に、生命が失われるとしても、その動物は生きている間は死ぬその瞬間まで、その生命を支える全てのものを与えられてガニーとして存在し、その条件が失われるときに存在を終えるのであり、餌に囲まれていて病死する、あるいは老衰死する別の個体以上にファキールとして(貧しく)死ぬわけではない。また動植物のいる地球がガニーで、水も酸素も無い荒涼たる惑星がファキールであるわけでもなく、恒星が爆発し超新星として消滅しようとも、いずれの過程においても、ガニーになったりファキールになったりするわけではなく、いつでもその存在のために創造主による無限の配剤を必要とするファキールであると同時にその状態において存在するための条件の全てを過不足なく満たされたガニーなのである。この、存在の全ての条件を過不足なく与えられ存在が実現した状態を「カダル」と呼ぶ。カダルとは、「天命」、「予定」、と意訳されるが、原義は、「量」、即ち、万物が存在するために過不足なく与えられたそのもの特有の量、「応分」を意味するのである。
それゆえ「貧/富(ファキール/ガニー)」とは、人間の、より正確に言うなら、人間の意識、あるいは心にのみかかわる問題である。人間だけが、「本質に於いてファキールでありながらアッラーに拠って過不足なくガニーである」との完全な調和を離脱し、自らと他者をファキール、あるいはガニーとみなす。それはアッラーから「選択」と呼ばれる行為の自由度を被造物の中で特別に授かった人間のみの特質である。
あらゆる被造物の中で人間のみに「選択」が与えられた経緯は、クルアーンに以下のように述べられている。
「まことに、われらは天と地と山々に信託を提示したが、それを担うことを拒み、それに対して怯んだ。そして、人間がそれを担った。まことに、彼は不正で無知であった。(33:72)
この節の指す信託とは、善悪の選択であり、他の被造物は、善を行い悪を避ける責任を果たし得ず懲罰を被ることを恐れて、信託を担うことを拒んだが、人間だけがそれを引き受けた。人間はアッラーの命令を知り自らの判断で善悪の選択を行うため、言葉と理性を授かったが、クルアーンはこの信託を担った人間を不正で無知と形容している。それは人間が善悪の選択を自ら為すことの責任の重さを十分に自覚しておらず、また悪を犯すことによって我が身に罰を招き、自らに対して不正を犯すことになるからである。
ここには、理性と自由を有する特別な存在として人間が他の被造物より優れている、とのヨーロッパ・キリスト教的な人間観とは対極にある、イスラームの「倫理的」人間観が表明されている。人に与えられた理性と選択は、人をして善と悪の決断を強いる試練に他ならない。理性と選択は、人をして人たらしめるが、それは即自的に善である他の被造物と異なり、対自的に善を選びうる代償に悪を選んで身を滅ぼしうる倫理的存在である、ということに他ならない。
またクルアーンは、別の箇所で、「われがジン(幽精)と人間を創ったのは、彼らをわれに仕えさせるためにほかならなかった」(51章56節)と人間の創造の目的が、神に仕え崇拝することであることを明らかにしているが、クルアーン注釈者たちは、「アッラーに仕える」とは、「アッラーを知る」ことを意味すると述べている。また預言者ムハンマドの伝えるハディースによると、アッラーは「われは隠れた宝であったが、知られたいと欲し、それゆえ被造物を創造した」と仰せられた。
人間が創造されたのはアッラーに仕えるためであるが、アッラーに仕えることの究極の目的はアッラーを知ることである。人間は理性と選択を授かりながら、欲望に目を晦まされ身体を支配され真理を見失い悪行を犯す存在であるが、アッラーに仕えるために授けられた理性を、アッラーに仕えることのみを志して用いる道を選ぶなら、アッラーの崇拝は、アッラーの知に至り、その時人間は、知がそのまま崇拝となる真知の境地に達し、対即自的に善なる存在として、アッラーの創造の目的を実現することになるのである。
欲望だけでなく理性、言葉を与えられ、善悪の裁定を蒙る代償に行為の選択の自由度を獲得した存在としての人間は、ファキールでありながらも存在に必要な全ての条件をアッラーに与えられて過不足なくガニーである「今ここの自分」の存在様態に飽き足りず、今ここで別様に有り得る仮想的自分と比較して、あるいは将来どこかに存在すると仮定した自分を有らしめるために、今ここにある自分に何かが足りない、即ちファキールであると考えることが可能となる。自分の身体、自分の食べ物、自分の家、自分のお金、自分の家族、自分の財産、自分の民、自分の名誉、自分の権力、自分のモノは無限に増え続ける。そして自分のモノが増え続けるほど、自分のモノでないモノも増え続ける。今ここの自分の存在を支えるために食べたもの以外の食べ物が「自分のモノ」として所有されるとの観念が生まれたとき、「自分のモノでない食べ物」との観念が同時発生する。本当は、自分の食べ物とは、自分が存在するために既に食べられたものだけなのに。今ここの自分の存在を支えるために食べたもの以外の食べ物を「自分のモノ」と看做すことにより、「自分のモノでない食べ物」の観念が生じ、その「自分のモノでない食べ物」を所有したいとの欲望が生まれるとき、その者は「今ここの自分」の存在に不要な食べ物を必要とみなすファキールとなる。「今ここの自分」が必要としない富、権力が自分をガニーにする、と考える者は、「自分のモノ」を所有すればするほど、「自分のモノでないモノ」が増えていく。賃貸マンション住まいの者がマンションを手に入れれば、持ち家への欲求が生じ、持ち家を買えば、別荘が欲しくなり、別荘を持つ者には、海外の宮殿が視野に現れる。
また「今ここの自分」の存在に満足しない者は、存在しない未来の自分を妄想し、その妄想が妄想の必要を生み出し、ファキールに成り下がる。老後のセキュリティー完備の看護老人ホームの購入資金の数億円を所有しないことがファキールであることになり、今ここでの自分の存在の豊かさ、ガニーであることは忘れ去られる。
全ての被造物は、現象的には他の被造物の存在を自己の存在の条件とし、究極的には存在するためにアッラーを必要し、それ自体としては何物をも所有しない無一物、ファキールである。しかし善悪の選択を与えられた人間は、善を行うために、アッラーから「自分のモノ」として用いることの許された力「クドラ」を信託される。
繰り返し述べている通り、人間は本来無一物であり、いかなる所有もない。この信託された力「クドラ」もまた預かり物に過ぎず、全ての人間がその者に固有のクドラを授かっており、そのクドラの範囲は本人を含めて誰にも確定することはできない。
人は全て各自のクドラに応じて善を行い悪を避ける責任を負う。イスラームにおいては、善と悪は、シャリーア(聖法)と呼ばれる掟として、アッラーの使徒を通じて人間の言葉で語られた啓示によって規範の体系として示される。しかし各自のクドラはそのような形で一義的に示されるものではない。
人間には、身体的な力、経済力、政治力、知力など様々なクドラがある。そして身体的な力にしても、自分がどのような力を持っているかは自分自身にも自明ではない。目の前で急流で子供が溺れている場合、たとえ泳げる人間でも、その子を助けるクドラが自分にあるかどうかをとっさに判断することは容易ではなかろう。また立って礼拝を行うことが出来ない者には座った姿勢での礼拝が許されているが、足自体に障害があるのではない重篤な病人の場合、立って礼拝を行うクドラがあるかどうかの判断は微妙である。またまたラマダーン月の日中の斎戒はそれを行うことクドラのない病人には課されないが、日中食を断つクドラの有無もまた一義的に決まるものではない。また集団的行為や時間の要素が入った場合は問題はより複雑になる。「イスラームの居住圏」が侵略された場合には、住民には侵略者の撃退のためのジハードが義務になるが、そのクドラがない場合には、義務は免じられる。しかし敵を撃退するのにどれだけの戦力が必要になるか自体が確定的に知りえないことに加え、敵を撃退する戦力は個人のクドラの範囲を超えているが、長期にわたって武器を調達し抵抗軍を組織し侵略者を撃退するクドラを自分が有するかどうかは、自分自身の身体能力や財力を超えた政治力、信用、胆力、情報収集能力、情報分析能力などを総合したものでありその有無を一義的に判断することは誰にもできない。
授かった理性と選択をもってアッラーに自ら仕えるために、自分に委ねられたクドラを知ること、つまり自分に何ができるかを知ることが、最初に人間に課された義務である。
自分のクドラの下にあるモノはアッラーに仕えるために用いなければならない。人間が自らの選択によってアッラーに仕える存在である以上、自らのクドラの下にあるモノに対して一定の裁量権があることは当然である。しかし自分のクドラの下にあるモノも全てアッラーからの預かりものである以上、自由に裁量してよいわけではない。その裁量の範囲を定めるのは、聖法である。自分のクドラの下にある自らの肉体ですら、西欧的な意味での自由な処分を許されるわけではなく、自殺も自傷行為も許されず、自らを債務奴隷として売ることも、性行為を賃労働に供することも許されない。また自分の後見の下にある孤児の財産を自分自身のために売り払ったり利用することは許されず、たとえ自分自身の財産であれ賭け事に浪費することも、利子を取って貸し付けることも許されない。
人は己に委ねられたクドラに応じてアッラーに仕える義務を負うが、アッラーに仕えるために何を為すべきかは、聖法によって知られる。アッラーに仕えるために何を為すべきかは聖法によって知られるが、それは人のクドラに応じる。従って、人が為すべきことは、人のクドラによって異なる。アッラーに仕える段階は、大別して、3つある。
第一は、信仰の段階であり、先ず理性を授かり神について考えるクドラを備え更にアッラーの使徒の啓示についての教えを知るクドラを得た者には、唯一なる神アッラーの存在を信じ使徒の教えを信仰すること、即ちイスラーム、帰依が最初の義務となる。この信仰、イスラームの帰依なくしては、いかなる行為も、神に仕える善行として嘉されることはない。このイスラームの信仰を持つことが、アッラーに仕える第一歩である。
第二の段階は、シャリーア(聖法)の行為規範の遵守の段階となる。聖法はイスラームの信仰を得た後の人間の行為範疇を(1)義務、(2)推奨、(3)合法、(4)忌避、(5)禁止の5範疇に分類する。聖法を遵守するためには、先ず、シャリーアを学ばなければならない。アッラーの啓示は使徒を通して人間の言葉を通してなされる。そして使徒は、共同体全体に対してその共同体全体を律する規範を伝えるために遣わされた者であるので、シャリーアは共同体の普通の成員であれば誰もが理解できるレベルの容易に理解できる容易な言葉遣いで表現されている。このレベルでは、自分のクドラの下にある「自分のモノ」は「自分のモノ」、「他人のモノ」は「他人のモノ」と素朴に認識し、「自分のモノ」は自分で好きなように処分し、「他人のモノ」も出来るならなんとか手に入れたいとの欲望を抱くような霊的にも知的にもごく普通の凡人にも分る形で、アッラーに仕えて現世で良く生きる指針を来世での賞罰を動機付けとする(来世的)宗教法の言語で説く。それが、(1)最低限行うべき義務、(2)犯してはならない禁忌、(3)できることなら為した方がよいがしなくても罰を受けるのではない推奨行為、(4)避けた方が良いが行ってしまっても罰は無い自粛すべき忌避行為、(5)そして行っても行わなくてもどちらでも良い道徳的に中立な合法行為、との上記のイスラーム法の行為の5範疇分類である。
第三の段階は、真智求道の段階で、創造の目的であるアッラーの知がそのままアッラーの崇拝であるような、アッラー御自身への希求、絶対帰依の段階である。この段階では、人が目指すのは、現世のみならず来世の賞罰ですらなく、アッラー御自身であり、この段階での言説は、賞罰を動機付けとする(来世的)宗教法の言語ではなく、日常世界の意味とを超えた神秘主義的真理の言語によって語られる。この段階においては自分の授かったクドラが引き起こす行為の真の主体はアッラーに他ならず、「自分のモノ」は何一つ存在せず、森羅万象の全てはアッラーの御意志による、その属性の顕現であることが明らかになり、アッラーの真知の中に「自分の行為」は消滅し、アッラーへの崇拝、賞賛だけが浮かび上がる。
我々は、イスラームについて語る時、アッラーに仕えること、即ち、イスラームには上記の3つのレベルがあることに注意しなくてはならない。救済宗教としてのイスラームを考える時、イスラームの教えを知るクドラのない者、あるいは教えを聞いてもその意味をよく理解するクドラのない者、あるいは教えを理解しても欲望に打ち克つ意志のクドラを持たない者は、礼拝や斎戒の義務を行わない、飲酒や姦通の禁忌を犯すだけではなく、たとえ強盗、強姦、殺人と極悪非道の限りを尽くそうとも、心の隅に唯一なる神の慈悲に縋る信仰の欠片を宿していれば、それによって楽園の救済に与ることができる。それもまたイスラームである。しかしだからと言って、アッラーの慈悲に縋って極悪非道の限りを尽くすことがイスラームだと言うのは、イスラームの説明として正しいとは言い難い。また聖法のレベルでも、義務を果たし禁忌を犯しさえしなければ来世での懲罰を被ることはない。最低限の義務と禁止を守るならば、それはイスラームなのである。しかし法律を子細に検討し法に抵触しないぎりぎりの合法的行為を狙うのは、ヤクザや詐欺師であって堅気の善良な市民ではない。イスラームでも禁に触れないというだけで、それをイスラーム的と呼ぶのは問題である。むしろ義務を果たし禁忌を犯さないのは当然の前提であり、それ以上の推奨行為を行い、忌避行為を自粛してこそ、イスラーム的と呼ぶべきではなかろうか。また推奨行為の励行、忌避行為の自粛は現世の利害を超越し来世を志向するがゆえに、間違いなく宗教的行為と言えるが、なおそれが賞罰の言語で語られる以上、楽園の報奨ではなくアッラー御自身を希求するイスラームの理想を表すものではない、とも言える。
イスラームは、多様な人間のクドラに応じて、様々な形で発現する。そのことをもって、「イスラームの豊かさ」と呼ぶことができるかもしれない。
日本語の「豊か」と訳させるアラビア語の単語は「ガニー」、「貧しい」と訳される単語は「ファキール」である。
このガニーとファキールはクルアーンでは、「人々よ、お前たちはアッラーを必要とする者(ファキール)であり、アッラーこそは自足し(ガニー)賞賛されるべき御方であらせられる。」(35章15節)、ガニーはアッラーの属性、ファキールは人間の属性として、対照されている。
アラビア語において、ガニー(豊か)の基本的な意味は、いかなるものも必要としないことであり、逆にファキール(貧しい)とは、何かを必要とすることである。
ガニー(豊か)とはモノに満ち溢れた状態ではなく、ファキール(貧しい)とは、モノが不足している状態ではない。モノがいかに満ち溢れていようとも、巨万の富を所有していようと、それらに依存しているなら、その者はファキールであり(貧しく)、逆にモノをなに一つ持たない(「慈悲遍き御方」章48節)無一物であろうとも、それで自足しているなら、その者はガニーなのである。
究極の富者であるアッラーは、他のいかなる存在者をも必要とせず、ただ独り自存する御方である。世界創造以前、アッラーはただ独りおわし彼に並んで存在するものは何もなく、そして現在もまたそうである、と言われる。それゆえ真に豊かな者ガニーは、アッラーをおいて存在しない。
アッラー以外の被造物は、無から生じ無に帰し、その束の間の存在の一瞬において、その存在する場がなければならず、またその内的構成要素と外的条件が揃うことをも必要とする。被造物はどれも単独で存在することはできず、他の被造物を必要とするが、その必要とされる他の被造物もまた単独で存在することはできず、更に別の被造物を必要とする。いかなる被造物も自存することはできない。自存することのできないものは、先在する何かに拠ってしか存在することができず、自存することができない被造物の世界は、存在論的に等位にあり同じく先在者を必要とする他の被造物から生ずることはできない。被造物の世界が存在するためには、先在者を必要としない無始の自存者が必要とされる。
被造物はその存在のために、他者を必要とする、即ちファキール(貧者)であるが、被造物の存在の最終根拠となる、もはや他に何者も必要としない絶対他者が、無始の(カディーム)自存者(カイユーム)である究極の富者(ガニー)、アッラーなのである。
全ての被造物は、その存在自体を他者に依存しているがゆえに、本質的にファキールでしかありえない。しかし全ての被造物は、それが存在する限りにおいて、その瞬間毎に存在の要件を過不足なく完全に充足している、とも言える。被造物は、その存在において、その存在の前提となる時空自体を含めて、その存在の要件となる他の全ての被造物の存在とその存在の障害となる全ての被造物の不在を微塵の過不足も無く同時的に与えられることによって始めて存在する。全ての被造物は、相互依存のネットワークの一部であり、無限の必要を本質とするファキールでありながら、同時に創造主アッラーに拠ることで、その無限の必要の全てを過不足なく与えられたアッラーに拠るガニーでもある。
被造物は全て、それ自体としては本質的にファキールであると同時に、アッラーに拠って過不足なく完全にガニーであり、その意味において、「貧/富(ファキール/ガニー)」の区分は存在しない。動物の餌が無くなり死に、生命が失われるとしても、その動物は生きている間は死ぬその瞬間まで、その生命を支える全てのものを与えられてガニーとして存在し、その条件が失われるときに存在を終えるのであり、餌に囲まれていて病死する、あるいは老衰死する別の個体以上にファキールとして(貧しく)死ぬわけではない。また動植物のいる地球がガニーで、水も酸素も無い荒涼たる惑星がファキールであるわけでもなく、恒星が爆発し超新星として消滅しようとも、いずれの過程においても、ガニーになったりファキールになったりするわけではなく、いつでもその存在のために創造主による無限の配剤を必要とするファキールであると同時にその状態において存在するための条件の全てを過不足なく満たされたガニーなのである。この、存在の全ての条件を過不足なく与えられ存在が実現した状態を「カダル」と呼ぶ。カダルとは、「天命」、「予定」、と意訳されるが、原義は、「量」、即ち、万物が存在するために過不足なく与えられたそのもの特有の量、「応分」を意味するのである。
それゆえ「貧/富(ファキール/ガニー)」とは、人間の、より正確に言うなら、人間の意識、あるいは心にのみかかわる問題である。人間だけが、「本質に於いてファキールでありながらアッラーに拠って過不足なくガニーである」との完全な調和を離脱し、自らと他者をファキール、あるいはガニーとみなす。それはアッラーから「選択」と呼ばれる行為の自由度を被造物の中で特別に授かった人間のみの特質である。
あらゆる被造物の中で人間のみに「選択」が与えられた経緯は、クルアーンに以下のように述べられている。
「まことに、われらは天と地と山々に信託を提示したが、それを担うことを拒み、それに対して怯んだ。そして、人間がそれを担った。まことに、彼は不正で無知であった。(33:72)
この節の指す信託とは、善悪の選択であり、他の被造物は、善を行い悪を避ける責任を果たし得ず懲罰を被ることを恐れて、信託を担うことを拒んだが、人間だけがそれを引き受けた。人間はアッラーの命令を知り自らの判断で善悪の選択を行うため、言葉と理性を授かったが、クルアーンはこの信託を担った人間を不正で無知と形容している。それは人間が善悪の選択を自ら為すことの責任の重さを十分に自覚しておらず、また悪を犯すことによって我が身に罰を招き、自らに対して不正を犯すことになるからである。
ここには、理性と自由を有する特別な存在として人間が他の被造物より優れている、とのヨーロッパ・キリスト教的な人間観とは対極にある、イスラームの「倫理的」人間観が表明されている。人に与えられた理性と選択は、人をして善と悪の決断を強いる試練に他ならない。理性と選択は、人をして人たらしめるが、それは即自的に善である他の被造物と異なり、対自的に善を選びうる代償に悪を選んで身を滅ぼしうる倫理的存在である、ということに他ならない。
またクルアーンは、別の箇所で、「われがジン(幽精)と人間を創ったのは、彼らをわれに仕えさせるためにほかならなかった」(51章56節)と人間の創造の目的が、神に仕え崇拝することであることを明らかにしているが、クルアーン注釈者たちは、「アッラーに仕える」とは、「アッラーを知る」ことを意味すると述べている。また預言者ムハンマドの伝えるハディースによると、アッラーは「われは隠れた宝であったが、知られたいと欲し、それゆえ被造物を創造した」と仰せられた。
人間が創造されたのはアッラーに仕えるためであるが、アッラーに仕えることの究極の目的はアッラーを知ることである。人間は理性と選択を授かりながら、欲望に目を晦まされ身体を支配され真理を見失い悪行を犯す存在であるが、アッラーに仕えるために授けられた理性を、アッラーに仕えることのみを志して用いる道を選ぶなら、アッラーの崇拝は、アッラーの知に至り、その時人間は、知がそのまま崇拝となる真知の境地に達し、対即自的に善なる存在として、アッラーの創造の目的を実現することになるのである。
欲望だけでなく理性、言葉を与えられ、善悪の裁定を蒙る代償に行為の選択の自由度を獲得した存在としての人間は、ファキールでありながらも存在に必要な全ての条件をアッラーに与えられて過不足なくガニーである「今ここの自分」の存在様態に飽き足りず、今ここで別様に有り得る仮想的自分と比較して、あるいは将来どこかに存在すると仮定した自分を有らしめるために、今ここにある自分に何かが足りない、即ちファキールであると考えることが可能となる。自分の身体、自分の食べ物、自分の家、自分のお金、自分の家族、自分の財産、自分の民、自分の名誉、自分の権力、自分のモノは無限に増え続ける。そして自分のモノが増え続けるほど、自分のモノでないモノも増え続ける。今ここの自分の存在を支えるために食べたもの以外の食べ物が「自分のモノ」として所有されるとの観念が生まれたとき、「自分のモノでない食べ物」との観念が同時発生する。本当は、自分の食べ物とは、自分が存在するために既に食べられたものだけなのに。今ここの自分の存在を支えるために食べたもの以外の食べ物を「自分のモノ」と看做すことにより、「自分のモノでない食べ物」の観念が生じ、その「自分のモノでない食べ物」を所有したいとの欲望が生まれるとき、その者は「今ここの自分」の存在に不要な食べ物を必要とみなすファキールとなる。「今ここの自分」が必要としない富、権力が自分をガニーにする、と考える者は、「自分のモノ」を所有すればするほど、「自分のモノでないモノ」が増えていく。賃貸マンション住まいの者がマンションを手に入れれば、持ち家への欲求が生じ、持ち家を買えば、別荘が欲しくなり、別荘を持つ者には、海外の宮殿が視野に現れる。
また「今ここの自分」の存在に満足しない者は、存在しない未来の自分を妄想し、その妄想が妄想の必要を生み出し、ファキールに成り下がる。老後のセキュリティー完備の看護老人ホームの購入資金の数億円を所有しないことがファキールであることになり、今ここでの自分の存在の豊かさ、ガニーであることは忘れ去られる。
全ての被造物は、現象的には他の被造物の存在を自己の存在の条件とし、究極的には存在するためにアッラーを必要し、それ自体としては何物をも所有しない無一物、ファキールである。しかし善悪の選択を与えられた人間は、善を行うために、アッラーから「自分のモノ」として用いることの許された力「クドラ」を信託される。
繰り返し述べている通り、人間は本来無一物であり、いかなる所有もない。この信託された力「クドラ」もまた預かり物に過ぎず、全ての人間がその者に固有のクドラを授かっており、そのクドラの範囲は本人を含めて誰にも確定することはできない。
人は全て各自のクドラに応じて善を行い悪を避ける責任を負う。イスラームにおいては、善と悪は、シャリーア(聖法)と呼ばれる掟として、アッラーの使徒を通じて人間の言葉で語られた啓示によって規範の体系として示される。しかし各自のクドラはそのような形で一義的に示されるものではない。
人間には、身体的な力、経済力、政治力、知力など様々なクドラがある。そして身体的な力にしても、自分がどのような力を持っているかは自分自身にも自明ではない。目の前で急流で子供が溺れている場合、たとえ泳げる人間でも、その子を助けるクドラが自分にあるかどうかをとっさに判断することは容易ではなかろう。また立って礼拝を行うことが出来ない者には座った姿勢での礼拝が許されているが、足自体に障害があるのではない重篤な病人の場合、立って礼拝を行うクドラがあるかどうかの判断は微妙である。またまたラマダーン月の日中の斎戒はそれを行うことクドラのない病人には課されないが、日中食を断つクドラの有無もまた一義的に決まるものではない。また集団的行為や時間の要素が入った場合は問題はより複雑になる。「イスラームの居住圏」が侵略された場合には、住民には侵略者の撃退のためのジハードが義務になるが、そのクドラがない場合には、義務は免じられる。しかし敵を撃退するのにどれだけの戦力が必要になるか自体が確定的に知りえないことに加え、敵を撃退する戦力は個人のクドラの範囲を超えているが、長期にわたって武器を調達し抵抗軍を組織し侵略者を撃退するクドラを自分が有するかどうかは、自分自身の身体能力や財力を超えた政治力、信用、胆力、情報収集能力、情報分析能力などを総合したものでありその有無を一義的に判断することは誰にもできない。
授かった理性と選択をもってアッラーに自ら仕えるために、自分に委ねられたクドラを知ること、つまり自分に何ができるかを知ることが、最初に人間に課された義務である。
自分のクドラの下にあるモノはアッラーに仕えるために用いなければならない。人間が自らの選択によってアッラーに仕える存在である以上、自らのクドラの下にあるモノに対して一定の裁量権があることは当然である。しかし自分のクドラの下にあるモノも全てアッラーからの預かりものである以上、自由に裁量してよいわけではない。その裁量の範囲を定めるのは、聖法である。自分のクドラの下にある自らの肉体ですら、西欧的な意味での自由な処分を許されるわけではなく、自殺も自傷行為も許されず、自らを債務奴隷として売ることも、性行為を賃労働に供することも許されない。また自分の後見の下にある孤児の財産を自分自身のために売り払ったり利用することは許されず、たとえ自分自身の財産であれ賭け事に浪費することも、利子を取って貸し付けることも許されない。
人は己に委ねられたクドラに応じてアッラーに仕える義務を負うが、アッラーに仕えるために何を為すべきかは、聖法によって知られる。アッラーに仕えるために何を為すべきかは聖法によって知られるが、それは人のクドラに応じる。従って、人が為すべきことは、人のクドラによって異なる。アッラーに仕える段階は、大別して、3つある。
第一は、信仰の段階であり、先ず理性を授かり神について考えるクドラを備え更にアッラーの使徒の啓示についての教えを知るクドラを得た者には、唯一なる神アッラーの存在を信じ使徒の教えを信仰すること、即ちイスラーム、帰依が最初の義務となる。この信仰、イスラームの帰依なくしては、いかなる行為も、神に仕える善行として嘉されることはない。このイスラームの信仰を持つことが、アッラーに仕える第一歩である。
第二の段階は、シャリーア(聖法)の行為規範の遵守の段階となる。聖法はイスラームの信仰を得た後の人間の行為範疇を(1)義務、(2)推奨、(3)合法、(4)忌避、(5)禁止の5範疇に分類する。聖法を遵守するためには、先ず、シャリーアを学ばなければならない。アッラーの啓示は使徒を通して人間の言葉を通してなされる。そして使徒は、共同体全体に対してその共同体全体を律する規範を伝えるために遣わされた者であるので、シャリーアは共同体の普通の成員であれば誰もが理解できるレベルの容易に理解できる容易な言葉遣いで表現されている。このレベルでは、自分のクドラの下にある「自分のモノ」は「自分のモノ」、「他人のモノ」は「他人のモノ」と素朴に認識し、「自分のモノ」は自分で好きなように処分し、「他人のモノ」も出来るならなんとか手に入れたいとの欲望を抱くような霊的にも知的にもごく普通の凡人にも分る形で、アッラーに仕えて現世で良く生きる指針を来世での賞罰を動機付けとする(来世的)宗教法の言語で説く。それが、(1)最低限行うべき義務、(2)犯してはならない禁忌、(3)できることなら為した方がよいがしなくても罰を受けるのではない推奨行為、(4)避けた方が良いが行ってしまっても罰は無い自粛すべき忌避行為、(5)そして行っても行わなくてもどちらでも良い道徳的に中立な合法行為、との上記のイスラーム法の行為の5範疇分類である。
第三の段階は、真智求道の段階で、創造の目的であるアッラーの知がそのままアッラーの崇拝であるような、アッラー御自身への希求、絶対帰依の段階である。この段階では、人が目指すのは、現世のみならず来世の賞罰ですらなく、アッラー御自身であり、この段階での言説は、賞罰を動機付けとする(来世的)宗教法の言語ではなく、日常世界の意味とを超えた神秘主義的真理の言語によって語られる。この段階においては自分の授かったクドラが引き起こす行為の真の主体はアッラーに他ならず、「自分のモノ」は何一つ存在せず、森羅万象の全てはアッラーの御意志による、その属性の顕現であることが明らかになり、アッラーの真知の中に「自分の行為」は消滅し、アッラーへの崇拝、賞賛だけが浮かび上がる。
我々は、イスラームについて語る時、アッラーに仕えること、即ち、イスラームには上記の3つのレベルがあることに注意しなくてはならない。救済宗教としてのイスラームを考える時、イスラームの教えを知るクドラのない者、あるいは教えを聞いてもその意味をよく理解するクドラのない者、あるいは教えを理解しても欲望に打ち克つ意志のクドラを持たない者は、礼拝や斎戒の義務を行わない、飲酒や姦通の禁忌を犯すだけではなく、たとえ強盗、強姦、殺人と極悪非道の限りを尽くそうとも、心の隅に唯一なる神の慈悲に縋る信仰の欠片を宿していれば、それによって楽園の救済に与ることができる。それもまたイスラームである。しかしだからと言って、アッラーの慈悲に縋って極悪非道の限りを尽くすことがイスラームだと言うのは、イスラームの説明として正しいとは言い難い。また聖法のレベルでも、義務を果たし禁忌を犯しさえしなければ来世での懲罰を被ることはない。最低限の義務と禁止を守るならば、それはイスラームなのである。しかし法律を子細に検討し法に抵触しないぎりぎりの合法的行為を狙うのは、ヤクザや詐欺師であって堅気の善良な市民ではない。イスラームでも禁に触れないというだけで、それをイスラーム的と呼ぶのは問題である。むしろ義務を果たし禁忌を犯さないのは当然の前提であり、それ以上の推奨行為を行い、忌避行為を自粛してこそ、イスラーム的と呼ぶべきではなかろうか。また推奨行為の励行、忌避行為の自粛は現世の利害を超越し来世を志向するがゆえに、間違いなく宗教的行為と言えるが、なおそれが賞罰の言語で語られる以上、楽園の報奨ではなくアッラー御自身を希求するイスラームの理想を表すものではない、とも言える。
イスラームは、多様な人間のクドラに応じて、様々な形で発現する。そのことをもって、「イスラームの豊かさ」と呼ぶことができるかもしれない。
2011年7月19日火曜日
ブログ版『日本でイスラームを生きる』 序
ブログ版『日本でイスラームを生きる』 序
イスラームの教えは、イスラームの信仰告白の第一段であるタウヒード(唯一神教)の宣言「lā ilāha illā Allāh(No god but Allah)」に凝縮されている。
アラビア語の「ilāh(god)」とは「崇拝されるべきもの(ma'būd)」を意味する。つまり、「世界の中に崇拝すべきものは何一つない。但し、世界を超えた存在であるアッラーは別である。」との被造物の神化の拒否こそが、イスラーム(帰依)のアルファ、第一歩であると同時に、そのオメガ、究極の到着点でもある。
この地上にも、宇宙のどこにも、世界の中の何物も、崇拝に値するものは存在しない。人間も、地球も、空間の中に場を占めるこの宇宙の全てのものは、過去、現在、未来の一定の時間の中で無から生じ無に帰す。無限の空間と時間の中において、束の間の時間を一定の場所を占める存在者の間の差異は無に等しい。世界の中に在る全ての存在者は無限の時空に対して無であることに於いて平等である。これらの無であることにおいて平等である存在者の間には「崇拝に値する者」と「崇拝を捧げる者」の区別は成り立たない。時空の中の存在者は、何者も他の何者に対しても崇拝を要求することはできない。言い換えれば、時空の中の存在者は他の何者に対しても何かを命令すること、善と悪とを定立することはできない。
「全ては時が滅ぼすのみ」。イスラームの根底には、無から生じ無に帰すのみのこの時空の世界の中にはいかなる価値も存在しないとの冷徹なニヒリズムが存在する。この虚無の世界に泡沫のように漂う<私>に、「正しくあれ」との命令は、ただ時空を超えた世界の彼方から、闇を切り裂く一瞬の稲妻の閃光のように、「奇跡」として、届く。この世界において現象するか否かにかかわらず、永遠の相において絶対的に正しくあるような「善」と「悪」の「存在」が、世界の中の何処にもいない存在者の彼方からの声として<私>の許に届く。
時空の中に束の間に顕れ消える世界の存在者の中にはいかなる価値、善と悪の根拠がないことを見据える時、<私>の中に植えつけられた、時空の世界の中にいかなる根拠も持たない善と悪を知るアプリオリな天性が、この時空の現象/仮象の世界の彼方に、現象の存在とは別の仕方で有る主なる神の存在を指し示す。
この時空の現象の中の世界の彼方にある世界の創造主なる御方だけが、時空の中の現象を超えて妥当する善悪を定立する立法者であり、創造主/立法者を唯一の存在と認めその命(めい)のみに服することが、イスラーム(帰依)の根本教義である。そして、この唯一なる創造主/立法者を「アッラー」と同定し、アッラーの使徒ムハンマドに従い、彼に下された啓典クルアーンを唯一なる創造者/立法者を知るための縁(よすが)として生きる者たちが「ムスリム」と呼ばれる人々なのである。
創造主アッラーは、被造物である人間に対して啓示の形で自らの真実を伝える。そしてその啓示を授かる者が預言者、それを人々に伝える使命を担わされた者が使徒である。アッラーと人間のコミュニケーションの可能性は原理的には閉ざされていないが、通常は、アッラーは人間に直接語りかけることはなく、その御意思は、預言者を通じて人類に示される。イスラームとは、アッラーへの帰依を意味するが、アッラーはその使徒を通じて自らを示されるので、実際にはイスラームとは、アッラーの使徒に対する服従と同義となる。アッラーは人類に自らを示すために使徒を遣わされたが、使徒たちが逝くとイスラームの教えは失われ、それゆえアッラーは人類に多くの使徒たちを送り続けられた。
アッラーは預言者ムハンマドを通じて、ムハンマドが人類全ての対して遣わされた最後の使徒であり、最後の審判に至るまで彼以降もはや使徒が遣わされることはないと宣言された。イスラームとは、アッラーが自らを示すために選ばれた使徒に従うことであり、最後の使徒ムハンマドの逝去後にはもはや使徒はいないならば、ムハンマド没後にはもはやイスラームは有りえないことになる。
しかしムハンマドが人類全てに対して遣わされた最後の預言者であることから、ムスリムは、ムハンマドの没後は彼に下された啓典クルアーンと彼の言行録ハディースを生きる指針とすることが使徒に従うことに他ならない、との教義を確立する。クルアーンとハディースの教えは膨大であり、その全てを一望することは、古典アラビア語に通じた大学者たちですら困難であり、ましてや初学者には不可能である。かくしてイスラーム学徒たちは、クルアーンと短いハディース集の暗記から始め、神学、法学、スーフィズム(霊学)等の教義学の簡単な綱要を学ぶことで満足することになり、クルアーンと無数のハディースの古今の解釈に通じた大学者の数は極めて限られ、一般の信徒に至っては、6信5行の基本教義と日々の礼拝の定型句を知っているかどうかも覚束ないという者も珍しくはない。
使徒ムハンマドの死後千数百年が経った現在、使徒ムハンマドへの服従の本来の意味は忘れ去られ、人伝に聞いたクルアーンとハディースの解釈をもってイスラームの理解を自認し、他人にイスラームを教える悪習が蔓延している。しかし、使徒ムハンマドに付き従った預言者の直弟子たちの記憶が人々の間にまだ活き活きと残っていたイスラーム学の創成期には、学徒たちは、ムスリム社会の常識に盲従することなく、人間が人間として先ず何を義務として課されるのか、ムスリムであれば行うべきことは何かを自ら真摯に問うていた。
彼らが到達した結論は、生きるための狩猟、採集、農業などに追われ息つく暇もない労働者を除き、物事を少しでも考える時間のゆとりができた者には、神について思いをめぐらすことが、人間が人間である限りにおいて最初の義務である、ということである。そして神について想いを巡らせば、健全な天性の持ち主であれば、善美なる斉一な自然の法の定立者である唯一の善なる神の存在に思い至るはずである、とイスラーム学の創設者たちは考えた。
しかし神の高級の義務以上については、人間が自らの理性によって唯一にして善美なる神の存在に思い至りそれを知ることが義務であるとしても、その信仰がアッラーの使徒によって義務として明示的に課されない限り不信仰も懲罰に値する罪にはならないと考える学派と、唯一の善美なる神の存在への信仰だけは使徒による啓示を俟たずして理性のみによって義務として課されると考える学派が生まれ、見解が分かれている。いずれにしても、使徒が遣わされていない者には、神への内心の信仰が義務となる以外には、四肢が犯すいかなる行為も罪とはならず免責されることはイスラーム学の通説となる。
既述のようにイスラームとはアッラーの使徒への服従であり、アッラーの使徒が亡くなった後には、使徒のもたらした啓典の法も失われ、その遵守の義務も消滅する。但し、最後の使徒ムハンマドのもたらした啓典、シャリーアの法は人類全てに対して妥当する法であるため、「ウンマ(ムスリムの共同体)が全体として使徒の後継者として啓典の教えを歪曲、改竄、消滅から守る義務を負った」と、スンナ派イスラーム学は考える。そしてアッラーの使徒ムハンマドの没後、ウンマ(ムスリム共同体)はアッラーの使徒の後継者である一人のカリフの指揮下にシャリーア(天啓法)の律法を護持、施行する単一の広大な法治空間「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」を形成した。
この法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)は、単一のカリフの名の下にシャリーアの法規の解釈の一体性が守られ、基本ルールが人々に周知されており、誰もが生命、財産、名誉の安全を保障され、国境などに妨げられることなく関税を徴収されることもなくどこにでも自由に行き来することが出来る領域である。アッラーの使徒がマッカでイスラームの宣教を始めた当初、彼に従うムスリムは多神教徒の社会の中で弱体な少数派であり政治的な権力を有さなかった。このイスラーム初期、マッカ時代の啓示は、アッラーの属性や来世、個人の道徳や社会正義の教えであり、社会を律し罰則を定めるような所謂「法律」の啓示が下されるのは、使徒ムハンマドが信徒たちと共にマディーナに移住(ヒジュラ)しそこに後のダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の原型となる都市国家を樹立してからのことである。
つまり啓典の法シャリーアと法治空間「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」とは本来的に相関概念であり、「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」はシャリーアの法秩序が実現した時に初めて成立するのであり、そしてこの「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」の中においてのみ、シャリーアは「法律」としてムスリムに課されることになるのである。
イスラーム学の用語において、この「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」の家の対義語は、「ダール・アル=ハルブ」、字義通りには「戦争の家」である。ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)がアッラーの天啓のシャリーアの法が支配する法治空間であるのに対して、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)とは無法地帯である。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)にも一見、秩序があるように見えるが、それは実は「法令」の形をとった強者による弱者の支配、人による人の支配であり、「法」とは似て非なる「弱肉強食のジャングルのルール」に他ならないからである。そしてダール・アル=ハルブ(戦争の家)は、天啓のシャリーアの真理と正義に敵対する世界であるため、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においては、正義を示すシャリーアの法の教説は弾圧され、歪曲を蒙らざるをえない。
それゆえダール・アル=ハルブ(戦争の家)で生まれ育った者には、シャリーアの法の細則を行うことはもとより知ることすらできない。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に住み続ける限り、そこで求められるのは、アッラーの使徒の啓示を継承するウンマ(ムスリム共同体)の使命であるシャリーアの法の知と実践ではなく、人間が人間である限りにおいて最初に負う義務、神の唯一性の哲理の究明なのである。
歴史的にも近代に至るまでイスラームと縁がなく、イスラーム教徒も殆ど存在しない日本のような土地で「イスラームを学ぶ」ためには、どのような心構えが必要であり、またどのように学んでいくかについて、盛期オスマン・カリフ国のイスラーム学を代表する碩学アブドルガニー・アル=ナーブルスィー師がイスラームの奥義を解き明かした『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』と、日本と同じくイスラーム世界の外の欧米諸国などで暮らすムスリム移民たちが非イスラーム社会で暮らすが故に直面する特殊な問題に対するマニュアルとして世界で広く読まれているユースフ・アル=カルダーウィー師の『ムスリム・マイノリティーに関するイスラーム法学』、という二冊の権威あるイスラーム学者の原典に寄り添いつつ考えて行きたい。
アブドルガニー・アル=ナーブルスィー師は、「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)で生まれ育ちイスラームを受け入れた者は、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しない限り、身体の行動に関わるイスラームの法規定の負荷を免じられる」と明言する。師のこの言葉は、イスラーム世界から最も遠く歴史的にも殆ど接触のなかったダール・アル=ハルブ(戦争の家)の最果ての地、日本でイスラームを学び、入信を考える者が何よりも先に知っておくべきイスラームの規定であろう。
所謂「大航海時代」以来、世界の覇権はヨーロッパに移り、20世紀を迎えた時点でかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の大半はヨーロッパ列強によって分割、植民地化され、植民地主義者が「原住民」を搾取するジャングルのルールが敷かれ、「法の支配」の下に住民が移動の自由を享受する「法治空間」は分断され機能不全に陥った。そして1922-3年には曲がりなりにも形の上では独立を保っていたオスマン・カリフ国が崩壊し、「法の支配」の象徴的な統一性すらも失われ、天啓のシャリーアの法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)は名実共に生滅した。
第二次世界大戦後、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の植民地諸国は旧宗主国から名目的に独立を果たしたが、それはイスラーム的な法治空間の回復では全くなく、逆に西欧の弱肉強食のジャングルのルールに他ならない「民主主義」の「人による人による支配」による天啓のシャリーアの「法の支配」の廃棄と、「領域国民国家システム」による単一の法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の分断状況の固定化を意味したに過ぎなかった。
1922-3年のオスマン・カリフ制の崩壊によって、法治空間「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」が消滅した、即ち世界は全て無法地帯「ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」に転化した。既述のように、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)は、天啓のシャリーアの真理と正義に敵対する世界であり、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においては、正義を示すシャリーアの法の教説は弾圧され、歪曲を蒙らざるをえない。それゆえ、現在の世界では、イスラームと長い歴史的な敵対関係にあった西洋の国々ではなく、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の国々においても、シャリーアの法の教えをあからさまに説く者は弾圧に晒されているため、その言説は構造的な歪曲を被っている。そして、そうしたシャリーアの法の教説における現代の歪曲のうちでも最も重大な歪曲は、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の消滅と全世界のダール・アル=ハルブ(戦争の家)への転化の隠蔽、あるいはその前景化の抑圧であろう。この全世界のダール・アル=イスラーム(イスラームの家)への転化の隠蔽は大きな問題を引き起こしている。
イスラームの信仰において、アッラーの使徒ムハンマドは最後の預言者であり、彼のもたらした天啓のシャリーアの法は人類全体に対して有効であり最後の審判まで妥当する。しかし、法自体が有効であっても、責任能力のない者、あるいは違法性阻却事由がある場合に法への違背が有罪とされないように、シャリーアの法もまた、特定の状況の下では、義務が免じられる。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)において、姦通罪に対する石打刑、鞭打刑、窃盗罪への手首切断、飲酒罪の鞭内刑のようなフドゥード(イスラーム法定刑)の執行が停止されることは、イスラーム法の諸学派の合意事項であることがその好例である。
ウンマの一体性、政治的権威の統一性の象徴であるカリフが不在で、国境のない単一の法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が分断され、シャリーアの正義の法の支配が実現していないダール・アル=ハルブ(戦争の家)では、フドゥード(イスラーム法定刑)は執行されない。ところが、現在全世界がダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したことが隠蔽されているために、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)内の住民の多数がムスリムである領域国民国家群では、一部の政府がフドゥード(イスラーム法定刑)を施行したと称して統治のイスラーム性を正当化したり、反体制イスラーム運動が、フドゥード(イスラーム法定刑)の施行を政策目標に掲げたりする事態が生じる。
またかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)がもはやダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したことから目を逸らすことから、「西洋や日本のような紛れもないダール・アル=ハルブ(戦争の家)さえも、ダール・アル=スルフ(講和の家)、あるいはダール・アル=アフド(条約の家)であって、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)ではない」と強弁する者さえ現れることになる。しかしダール・アル=ハルブ(戦争の家)の異教徒の国々とスルフ(講和)、アフド(条約)を締結する権限は、シャリーアの法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の元首カリフにのみあり、それゆえダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が消滅しカリフが不在の現代世界にはダール・アル=スルフもダール・アル=アフドも存在しえないのである。
世界がダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したとしても、かつてダール・アル=イスラーム(イスラームの家)でありながらダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化した国々と、元々のダール・アル=ハルブ(戦争の家)は同じではない。ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)からダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化した土地は、「外見上の(スーラタン)ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」と呼ばれ、法規定上はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のままであり、可能な範囲内でシャリーアの法を護りつつ、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に戻すことが求められる。
ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)からダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化した「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」については、『イスラームを学ぶ:ムスリム・マイノリティーの抱える問題とその解決』で詳論することにし、本稿では、アル=ナーブルスィー師の思想を手掛かりに、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」に転化し、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が消滅してしまった世界において本来のダール・アル=ハルブ(戦争の家)でイスラームをいかに学ぶべきかについての概略を示したい。
アル=ナーブルスィー師は、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者はイスラームに入信しても、そこに住み続ける限り、イスラーム法上の行為に関する規則の違反は全て免責される、とまで極言することにより、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ住む者に求められるのは、ただ信仰だけであることを強調する。
実は、イスラーム法の規定する行為ではなく、正しい信仰こそが、ムスリムにとって最重要であることはダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ住む者だけではなく、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に生まれ住む者にとっても同様なのである。
本書の付録のアル=ナーブルスィー師の『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』は、極めて異例の構成を取っている。同書は、イスラームの教義、義務、信仰について論ずる前に、先ず、そもそも罪とは何か、と問いかける。師によると、真の罪とは、一般のムスリムたちが素朴に前提としているような戒律の違反なのではなく、時間と空間の中で束の間に現れて消える我々被造物を、無限、永遠の絶対存在であるアッラーと並んで独立に存在する実体と思いなすことに他ならないのである。
真の罪が、神の唯一性に対する認識の誤りであるなら、人が先ず最初に求めるべきは、正しい神と被造物の関係の認識であることになる。
アッラーと被造物の関係とは、存在の五層構造におけるアッラーの本体(dhāt)、属性(şifāt)、行為(af ‘āl)の顕現に他ならない。存在は一方の極、頂点に無限、永遠の唯一絶対者である純粋存在、そして底辺にあたる他方の極に純粋無が位置する五層構造を有する。無限、永遠の唯一絶対者である純粋存在が、豊穣な多様性において顕現するのが第二の神的属性のレベルである。この神の様々の属性が動的に展開されるのが、第三の神的行為のレベルである。そしてこの神的行為の残した跡が第四の神的行跡(munfa ‘alāt)であり、被造物の世界はこの第四の神的行跡のレベルであり、第五の存在レベル純粋無が第三の神的行為に接する臨界面なのである。
人間や被造物は、それ自体は純粋無であるが、無限永遠の唯一絶対者たるアッラーの顕現により、その神的行為の純粋無に映る影としてのみ存在に与るに過ぎない。それゆえアッラーの存在の影でしかない被造物が、自らをアッラーと並ぶ独立の実体であるかのように思うことこそが、アッラーの唯一性の否定、イスラームにおける最大の罪、多神崇拝に他ならないことになるのである。
アッラーの使徒ムハンマドがもたらしたクルアーンと、ハディースの教えに従うことが、聖法に則るイスラーム、つまりダール・アル=イスラーム(イスラームの家)で実践されるイスラーム、イスラーム法の施行であるのに対し、「真のイスラーム(Islām fī ĥaqīqah)」とは、アッラーの「有れ」との命令(クルアーン3章47節、36章82節他)に従って、存在することそのものである。アル=ナーブルスィー師は、全ての存在者は、その不信仰と不従順のまさにその瞬間においてさえ、アッラーの存在命令への服従ゆえに、イスラームを体現しており、全ての存在者は、アッラーの命令の具象であるが故に、不信仰者ですら、その存在様態の中において不信仰の偶発のただ一点においてのみ不信仰者と言われるのであり、それ以外の全様態においてムスリムであり、不信仰者もその不信仰すらもアッラーに帰依する者、ムスリムに他ならないと断言する。
存在者は全てアッラーの命令の具象であり、存在する限りにおいて、全てムスリムである。それゆえ、不信仰、多神崇拝の大罪により、火獄での永遠の懲罰に定められた者でさえ、永劫の懲罰の中で、自らの懲罰がアッラーの峻厳の属性の顕現に他ならないことを悟る時、楽園の民がアッラーの優美の顕現を見惚れて楽園の全ての褒章を忘れ去るのと同じく、アッラーの峻厳を目にする恍惚に懲罰の苦痛さえも感じなくなる。
ダール・アル=ハルブ(戦争の家)で生まれ育った者が学ぶべきイスラームとは、時空を超えた永遠、無限なる絶対存在アッラーと、そのアッラーによる被造物の創造の哲理を考えること、即ち、時空を超えた絶対者の顕現の中に我々の生を位置づけ、その意味を見出すことである。
ダール・アル=ハルブ(戦争の家)では、アッラーの使徒の後継者としての権威をもって、クルアーンとハディースとその意味の解釈への服従を我々に義務付ける、と主張する資格を有する者は誰もいない。シャリーアの法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が失われ、アッラーの使徒の政治的権威の後継者としてシャリーアを守護し執行する責任を負ったカリフが不在の現代においてはなおさらである。
ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においてイスラームを学ぶにあたっては、現世と来世の懲罰に怯え報償に釣られるのではなく、アッラーの優美と峻厳の顕現への憧憬から、無限永遠の絶対存在アッラーの唯一性へと学ぶ進むことこそが求められる。カリフ制なき現代において、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者が、権威に頼ることなく、自らの天性を清め理性を研ぎ澄ませ、アッラーへの憧憬から、イスラーム学の全盛期の古典を参考としつつ、信頼すべきイスラーム学徒と共に、クルアーンとハディースを学ぶにあたって、アル=ナーブルスィー師の『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』は格好のテキストである。
同師は、神学、法学、スーフィズムなどイスラーム諸学において膨大な業績を残した碩学であるが、特に哲学的スーフィズムにおいて、イブン・アラビーに端を発する所謂「存在一性論」をイブン・タイミーヤの批判を取り込みつつ総合し、理知的な正統学説を確立したと評価することが出来る。またアル=ナーブルスィーは、口授による学問の相承を基本とするイスラーム学の伝統においては、珍しく、独学の読書による学びを推奨したことにおいても知られている。『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』が邦訳され、日本の読者が同書を読んでイスラームの真義を学ぶことは、師にとっても本意であろうと思われる。
他方、西欧や日本などでマイノリティーとして暮らすムスリム移民の抱える問題とその背景を学ぶためには、現代を代表するウラマーゥ(イスラーム学者)の一人でありムスリム同胞団の思想家としても有名なユースフ・アル=カラダーウィー師の『ムスリム・マイノリティーに関するイスラーム法学』を、ムスリム移民との共存の道を探す手掛かりとしたい。
ムスリム・マイノリティーの原語はAqallīyāt Islāmīyah, Aqallīyāt Muslimahであるが、これは現代では広く用いられているが、古典イスラーム学には存在しなかった用語である。ムスリムがマイノリティーとして暮らす場合の特殊な法規定は、古典イスラーム法学においてダール・アル=ハルブ(戦争の家)の規定として知られていたものとほぼ重なる。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)をダール・アル=イスラーム(イスラームの家)から区別するものは、シャリーアの行為規定が「国法」として施行されているかどうかであり、それが可能な権力がウンマ(ムスリム共同体)の手にあることであり、ムスリムが多数を占めるか、少数派であるかは、二義的に過ぎない。正統カリフ時代からウマイヤ朝にかけての「イスラームの大征服」、そして「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」、「ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」の概念が作られたイスラーム法学の創成期において、カリフを元首とするウンマ(ムスリム共同体)はイスラーム法を施行する政治権力を握ってはいたが、住民のイスラーム化は漸進的にしか進んでおらず、彼らの多くは従来の宗教にとどまっており、ムスリムは数的には少数派であった。またインド亜大陸はイスラームの地に組み込まれたが、遂にムガール帝国の崩壊にいたるまでムスリムが多数派となることはなかった。
アル=カルダーウィー師は「ムスリム・マイノリティー法学」の概念について解説する本書の第一部において、ファトワー(教義回答)の中では参照が不可欠な「ダール・アル=イスラーム」の語を一切用いない。「ムスリム・マイノリティー」の語は、イスラーム法の施行の権力の問題を回避し、ムスリムの数の問題に巧妙にすりかえている。かつての「イスラームの家」にある「領域国民国家」群は、カリフの不在により政治的統一を欠き国境により分断されている点を度外視して内政に話を限っても、司法・行政・立法の全てにおいてイスラームの教えは施行されず、西洋流の人定法が強制されている。イスラームの教えが蔑ろにされているこれらの国々は果たしてダール・アル=イスラームなのか。またイスラームの法を無視する一方で、イスラームの法に矛盾、対立する法令を人々に押し付ける統治者たちはそもそもムスリムと呼ぶことができるのか。
「ムスリム・マイノリティー」の用語は、現在においてダール・アル=イスラーム(イスラームの家)とダール・アル=ハルブ(戦争の家)とは何かを問うことを回避し、ムスリムが多数を占めるダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のムスリム諸国が抱える内部矛盾から目を逸らし、欧米などでマイノリティーとして生きるムスリムの問題がダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のムスリム多数派の問題から派生していることを隠蔽するものである。
アッラーの使徒ムハンマドは最後の預言者であり、彼の天啓のシャリーアの法は人類全体に対して有効であり最後の審判まで妥当する。しかし、法自体が有効であっても、責任能力のない者、あるいは違法性阻却事由がある場合に法への違背が有罪とされないように、シャリーアの法もまた、特定の状況の下では、義務が免じられる。シャリーアの法が、窃盗に対する手首切断刑、飲酒に対する鞭刑、既婚者の姦通の石打刑、未婚者の姦通の鞭打追放刑などのフドゥード(法定刑)執行を命じているが、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)ではムスリムはこれらフドゥード(イスラーム法定刑)の執行が停止されることは、イスラーム法の諸学派の合意事項であることがその好例である。
しかし、ムスリムとはアッラーに服する者に他ならない以上、シャリーアの法に従って生きることが望ましいことは言うまでもない。それ故、ムスリムはシャリーアの実践が出来ないようであれば、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住することが求められる。シャリーア実践のメルクマールとして挙げられるのが、フドゥード(イスラーム法定刑)の施行の有無であり、居住地でムスリム共同体がフドゥード(法定刑)を施行できないようであれば、その地はダール・アル=ハルブ(戦争の家)であり、ムスリムはその地を去ってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなくてはならない。
つまり、ムスリムは、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)でシャリーアの法規定が守れないようなら、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなくてはならず、異教徒が彼らの移住を妨げるようならダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のムスリムには、彼らを救出しなくてはならない。つまりジハードにより彼らを異教徒から解放するか、身請けしてダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住させることが義務となるのである。シャリーアの法を守れなければダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなければならない以上、「ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においてシャリーアの法を実践できない」という「問題」が生ずるのは、中国やミャンマーのようにムスリムの出国が厳しく制限されておりダール・アル=イスラーム(イスラームの家)への移住が困難な場合に限られる。欧米や日本のようにムスリムの出国が自由な国々においては、そもそもそのような問題は生じえないはずなのである。
「ムスリム・マイノリティー法学」とは主として欧米のムスリムが抱える問題への対応として考え出されたものである。ところが、欧米はイスラーム世界と長年にわたる敵対関係にあり、500年あまりのムスリム支配を経験したイベリア半島等を除きムスリムが殆ど住んでいなかった本来的なダール・アル=ハルブ(戦争の家)である。ところが、近代になって、この欧米との戦争において、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の大半が敗れて植民地化され、ダール・アル=ハルブに転化してしまった。このことが「問題」の根源であることを、「ムスリム・マイノリティー法学」は隠蔽しているのである。
既述の通り20世紀を迎えた時点でかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の大半はヨーロッパ列強によって分割、植民地化され、1923年には曲がりなりにも形の上では独立を保っていたオスマン・カリフ国が崩壊し、「法の支配」の象徴的な統一性すらも失われ、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)は名実共に消滅した。第二次世界大戦後、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の植民地諸国は旧宗主国から名目的に独立を果たしたが、西欧の弱肉強食のジャングルのルール「民主主義」の「人による人による支配」による「法の支配」の廃棄と、「領域国民国家システム」による単一の法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の分断状況の固定化を意味した。
ムスリムが統治権を失いシャリーアの法が施行されなくなったことにより、ダール・アル=イスラームからダール・アル=ハルブに転化した土地を「外見上の(スーラタン)ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」と呼ぶ。この「ダール・アル=ハルブ・スーラタン(ダール・アル=ハルブ(外見上の戦争の家))は、法規定上はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のままであり、可能な範囲内でシャリーアの法を守り、ダール・アル=イスラームに戻すことがムスリム住民に求められる。
つまり、現在の世界は、シャリーアの法が施行されないダール・アル=ハルブ(戦争の家)であるが、欧米や日本のような本来のダール・アル=ハルブ(戦争の家)と、元はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)でありながらイスラーム法が施行されなくなったことによりダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したが住民にイスラームの家に戻すことが課されている「外見上のダール=アル=ハルブ(戦争の家)」に二分されていることになる。
ダール・アル=イスラームはシャリーアの正義の法が統治する公正な法治空間であるのに対し、ダール・アル=ハルブは強者が弱者を支配する不正な弱肉強食の世界である。ダール・アル=イスラームがダール・アル=ハルブに転化したということは、ダール・アル=イスラームが、不正な支配者たちに分割統治される事態に立ち至ったことを意味し、その現状を変え正義の法治空間ダール・アル=イスラームに戻そうとの主張は、それによって不正な権力と富の既得権を脅かされる支配者たちの弾圧を蒙ることになる。
2011年の所謂「アラブの春」によって明らかになったように、ムスリム諸国はおしなべて腐敗堕落した不正な独裁者たちにより支配されており、それに輪をかけて猶悪いことに、その事実を指摘する声は封殺されており、本来シャリーアの真理と正義の護り手であるべきウラマーゥ(イスラーム学者)たちもこれらの不正な権力の走狗に成り下がり、イスラームの政治理念に反した現状を批判することもなく、また彼らからイスラームの「あるべき統治の姿」であるシャリーアの法が支配し単一のカリフ制の許に統一された法治空間ダール・アル=イスラームの再興の義務を訴える声が聞かれることもなかったのである。
本来、ムスリムはダール・アル=ハルブ(戦争の家)においてシャリーアの法に従って生きることができないという問題が生じれば、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住することが解決であった。ところが、現在の世界には移住すべきダール・アル=イスラーム(イスラームの家)がもはや存在せず、またその事実自体が隠蔽されているため、ムスリムたちが、「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」をダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に戻す努力を怠り、ある者は物質的豊かさ、社会的公正を求め、またある者は腐敗堕落した不正な権力を嫌い、あるいはその迫害を逃れて、欧米や日本などの本来のダール・アル=ハルブ(戦争の家)に移住するという今日の「異常事態」が生じているのである。
たとえば、「世俗主義」を国是とするトルコでは、今日に至るまで公務員や国立学校・大学の教員、学生の女性ムスリムが、シャリーアの法が定めるスカーフ(頭巾:ヒジャーブ)を被ることを禁じられており、アラブ諸国でも最近までそうである国が多かった。それ故、スカーフ(頭巾:ヒジャーブ)を被る「自由」、つまりイスラーム法の規定を行う自由を守るために、イスラーム法の実践が制限されている元々はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)であったトルコなどの国々から、「信教の自由」が保障されており、女性がスカーフを被ったままで公的な場に顔を出すことが許される元々のダール・アル=ハルブ(戦争の家)である欧米や日本にムスリムが亡命するというような捩れたケースさえも少なくないのである。またイスラーム法の施行、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再興を訴えたために自国の政府から弾圧され、政治的自由があり人権が保障される欧米に亡命したムスリムも少なくない。
「ムスリム・マイノリティー法学」の立場は、こうしたムスリム共同体内部の矛盾、問題から目を逸らさせ、「ムスリムがマイノリティーであり差別され不利益を蒙っている」として、責任を異教徒に転嫁し自らを被害者のポジションに置くものである。ムスリム・マイノリティー法学の創始者と言われるターハー・ジャービル・アル=アルワーニー師も旧バアス党のイスラーム主義弾圧を逃れ本国イラクを離れサウディアラビア、アメリカで活動しており、本書で訳出した『ムスリム・マイノリティー法学』の著者アル=カルダーウィー師もまた本国エジプトでのムスリム同胞団への迫害を逃れてカタルに亡命しており、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の消失、シャリーアの法の不履行、政権の腐敗と不正、言論の弾圧といった今日のムスリム諸国が抱える問題を熟知していながら、ムスリム・マイノリティー法学を論ずるに当たって、それを正面から論じることを回避しているのである。
例えば、アル=カルダーウィー師は、欧米では、ムスリム移民にとって持ち家が必要であり、その必要性に鑑みて禁じられた利子付の銀行ローンを組んで家を買うことが許される、と論ずる。しかし彼は、そもそもイスラーム法を守れないなら、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に住むことは禁じられダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなければならないというのに、なぜわざわざダール・アル=イスラーム(イスラームの家)であるはずの本国を離れてイスラーム法に抵触する生活を送らねばならないダール・アル=ハルブ(戦争の家)の欧米に移住する「必要」があるのか、については口を噤んでおり、同書に収録された様々なイスラーム団体のファトワー(教義回答)も同様である。
つまり、ムスリム・マイノリティー法学は、西欧のようなダール・アル=ハルブ(戦争の家)でシャリーアの法を守って生きようとする場合に遭遇する問題を姑息に回避する弥縫策を提示することで、ムスリムがダール・アル=ハルブ(戦争の家)の欧米に移住しなければならない本当の原因、つまり、本国におけるシャリーアの「法の支配」の不在、政治の腐敗、不正、搾取、人権の抑圧、反体制派に対する弾圧、そしてそれらに起因する貧困と失業などの問題を隠蔽し、根本的な解決を妨げているのである。
確かに、マイノリティー・ムスリム法学は、欧米などの非ムスリム社会でマイノリティーとして暮らすムスリムに、一般信徒には馴染みの薄いダール・アル=ハルブ(戦争の家)の特殊規定を教える点では一定の成果をあげているが、カリフ空位、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の消滅と「外見上の」ダール・アル=ハルブ(戦争の家)への転化というウンマ(ムスリム共同体)の現状を隠蔽することで、欧米のようなダール・アル=イスラーム(イスラームの家)在住のムスリムの求めるべきイスラームの生き方の指針を与えることには失敗しているのである。
盛期オスマン・カリフ国の碩学アル=ナーブルスィー師(1731年没)は、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住するまでは、イスラーム法の行為規範への違背は全て免責される、と述べている。ところが、1923年のカリフ制崩壊によってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が全てダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したとすれば、現代のムスリムはダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者であり、移住すべきダール・アル=イスラーム(イスラームの家)ももはやない以上、ウンマ(ムスリム共同体)の課題は、ダール=ハルブ(戦争の家)に転化したこの世界で、アッラーの使徒の後継者(カリフ)の資格を持たない者たちによる来世の罰の威嚇に怯えてシャリーアの法の細則の遵守にこだわることではなく、信仰の基本に立ち返ることである。
それは、アッラーへの服従、アッラーの使徒への服従に立ち返ることであり、それはアッラーの使徒の逝去は彼の後継者カリフを擁立しシャリーアの解釈の最終審級、施行の権威を明らかにし、その下に団結してシャリーアの法の支配する法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)を再興することなのであり、シャリーアの法の細則の遵守を問題とするべきなのは、カリフ制によるウンマの統一と法治空間ダール・アル=イスラームの再興の後のことなのである。
クルアーンの最初期の啓示は、神の唯一性、生命の永遠性、最後の審判と来世の存在などの信仰の基礎、不正な富の偏在の糾弾と社会的弱者の庇護などの倫理の教えであった。また礼拝(サラー)にしても、なるほど礼拝自体はクルアーンの最初期から命じられているが、現在のような形式での礼拝を一日に5回の定刻内に行うことが義務付けられるのは、最初の啓示から8年あまりが経った後である。また飲酒の禁止が定められたのは使徒ムハンマドとムスリムたちがマディーナに移住(ヒジュラ)してから後のことであり、女性のヒジャーブ(頭巾)の着用が義務付けられるのも移住(ヒジュラ)の後である。
アッラーと来世を信じ、使徒ムハンマドの権威の下に団結して社会正義の実現に向けて努めるだけで、一日の5回の礼拝もせず酒も飲んでいたとしても、使徒ムハンマドの宣教の初期においては、それは紛れもなくアッラーによって嘉される十全なイスラームであった。他方、一人の権威の下に団結して社会正義の実現のために努めることなくして、食物規定や服装規定の細則のみにこだわるといったことは、使徒ムハンマドの存命中には決して起きなかった、即ち、それは使徒の伝えたイスラームではないのである。
現在のウンマの義務は、「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」、つまりかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の地を、国境のない統合された単一の法治空間ダール・アル=イスラームに戻すためにカリフを擁立して団結することである。アメリカや日本などの本来のダール・アル=ハルブにいるムスリム移民もまた、本国に戻ってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再建に加わるべきである。しかしどうしてもやむをえない事情で本国に帰国できない者は、外国の居住地においてできる範囲でダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再建に協力しつつ、先ず信仰の要諦を学び、社会正義に適った道徳的生活を送り、しかる後に、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)の法規定を本質的なものから順次、可能な範囲で実践することが求められるのである。
ムスリム移民を受け入れるホスト社会も、「ムスリム・マイノリティー問題」がまさに問題として立ち現れるに至った現代のウンマ(ムスリム共同体)の現状を正しく理解する必要がある。そのような理解に立つなら、ムスリムが安心してシャリーアに適った生活を送ることができ、全てのムスリムがその内部では国境や関税に妨げられずに自由に安全にどこへでも移動できる法治空間ダール・アル=イスラームが再興されることによって、政治、社会、経済的問題から本国を逃れてホスト社会に移住、あるいは亡命せざるをえない者がいなくなるように国際的に働きかけることが可能になる。
その上で、ホスト社会でシャリーアの法を守って生きようと望むムスリムに対しては、ホスト社会は先ず、ムスリム移民は本国に帰ってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再建することが第一選択肢であることを教え、帰国のための便宜を図ることが求められる。その上で、ホスト社会がムスリム移民の定住を望むのであれば、彼らを一つの法共同体として扱い、独自のカーディー(裁判官)を立ててフドゥード(法定刑)を成員に科すことを最大限とする自治を可能な範囲で与えることが望ましい。
但し、以上に述べたことは、あくまでも理論上の理念型に基づく議論であり、実際のムスリムは多様であり決して一枚岩ではなく、イスラームの理念の忠実な実現を目指す者もあれば、西欧流の「政教分離」を信じ内心の信仰と個人的領域でのみイスラームの実践に努める者もおり、またシャリーアに関心もなく実践しようとも望まない名ばかりの「世俗的」ムスリムもいるのであり、現実の対応は、ホスト社会とムスリム移民の双方の事情に即して臨機応変に行わざるを得ない。
アル=カルダーウィー師の『ムスリム・マイノリティー法学』を手掛かりに、シャリーアの法を出来る限り実践しつつホスト社会に適応しようとのイスラーム意識の高いムスリム移民たちの営みに光を当てると共に、「ムスリム・マイノリティー問題」が生じた背景を分析し、ホスト社会がそれにどう対応すべきか、についても理論的に道筋を示す試みである。
本書が、今日のムスリムたちのおかれた現状を理解し、ムスリムたちの抱える問題と西欧の偏見のノイズを取り払い、イスラームの真髄を理解する一助になれば、著者たちの望外の喜びである。ミナッラーヒッタウフィーク
イスラームの教えは、イスラームの信仰告白の第一段であるタウヒード(唯一神教)の宣言「lā ilāha illā Allāh(No god but Allah)」に凝縮されている。
アラビア語の「ilāh(god)」とは「崇拝されるべきもの(ma'būd)」を意味する。つまり、「世界の中に崇拝すべきものは何一つない。但し、世界を超えた存在であるアッラーは別である。」との被造物の神化の拒否こそが、イスラーム(帰依)のアルファ、第一歩であると同時に、そのオメガ、究極の到着点でもある。
この地上にも、宇宙のどこにも、世界の中の何物も、崇拝に値するものは存在しない。人間も、地球も、空間の中に場を占めるこの宇宙の全てのものは、過去、現在、未来の一定の時間の中で無から生じ無に帰す。無限の空間と時間の中において、束の間の時間を一定の場所を占める存在者の間の差異は無に等しい。世界の中に在る全ての存在者は無限の時空に対して無であることに於いて平等である。これらの無であることにおいて平等である存在者の間には「崇拝に値する者」と「崇拝を捧げる者」の区別は成り立たない。時空の中の存在者は、何者も他の何者に対しても崇拝を要求することはできない。言い換えれば、時空の中の存在者は他の何者に対しても何かを命令すること、善と悪とを定立することはできない。
「全ては時が滅ぼすのみ」。イスラームの根底には、無から生じ無に帰すのみのこの時空の世界の中にはいかなる価値も存在しないとの冷徹なニヒリズムが存在する。この虚無の世界に泡沫のように漂う<私>に、「正しくあれ」との命令は、ただ時空を超えた世界の彼方から、闇を切り裂く一瞬の稲妻の閃光のように、「奇跡」として、届く。この世界において現象するか否かにかかわらず、永遠の相において絶対的に正しくあるような「善」と「悪」の「存在」が、世界の中の何処にもいない存在者の彼方からの声として<私>の許に届く。
時空の中に束の間に顕れ消える世界の存在者の中にはいかなる価値、善と悪の根拠がないことを見据える時、<私>の中に植えつけられた、時空の世界の中にいかなる根拠も持たない善と悪を知るアプリオリな天性が、この時空の現象/仮象の世界の彼方に、現象の存在とは別の仕方で有る主なる神の存在を指し示す。
この時空の現象の中の世界の彼方にある世界の創造主なる御方だけが、時空の中の現象を超えて妥当する善悪を定立する立法者であり、創造主/立法者を唯一の存在と認めその命(めい)のみに服することが、イスラーム(帰依)の根本教義である。そして、この唯一なる創造主/立法者を「アッラー」と同定し、アッラーの使徒ムハンマドに従い、彼に下された啓典クルアーンを唯一なる創造者/立法者を知るための縁(よすが)として生きる者たちが「ムスリム」と呼ばれる人々なのである。
創造主アッラーは、被造物である人間に対して啓示の形で自らの真実を伝える。そしてその啓示を授かる者が預言者、それを人々に伝える使命を担わされた者が使徒である。アッラーと人間のコミュニケーションの可能性は原理的には閉ざされていないが、通常は、アッラーは人間に直接語りかけることはなく、その御意思は、預言者を通じて人類に示される。イスラームとは、アッラーへの帰依を意味するが、アッラーはその使徒を通じて自らを示されるので、実際にはイスラームとは、アッラーの使徒に対する服従と同義となる。アッラーは人類に自らを示すために使徒を遣わされたが、使徒たちが逝くとイスラームの教えは失われ、それゆえアッラーは人類に多くの使徒たちを送り続けられた。
アッラーは預言者ムハンマドを通じて、ムハンマドが人類全ての対して遣わされた最後の使徒であり、最後の審判に至るまで彼以降もはや使徒が遣わされることはないと宣言された。イスラームとは、アッラーが自らを示すために選ばれた使徒に従うことであり、最後の使徒ムハンマドの逝去後にはもはや使徒はいないならば、ムハンマド没後にはもはやイスラームは有りえないことになる。
しかしムハンマドが人類全てに対して遣わされた最後の預言者であることから、ムスリムは、ムハンマドの没後は彼に下された啓典クルアーンと彼の言行録ハディースを生きる指針とすることが使徒に従うことに他ならない、との教義を確立する。クルアーンとハディースの教えは膨大であり、その全てを一望することは、古典アラビア語に通じた大学者たちですら困難であり、ましてや初学者には不可能である。かくしてイスラーム学徒たちは、クルアーンと短いハディース集の暗記から始め、神学、法学、スーフィズム(霊学)等の教義学の簡単な綱要を学ぶことで満足することになり、クルアーンと無数のハディースの古今の解釈に通じた大学者の数は極めて限られ、一般の信徒に至っては、6信5行の基本教義と日々の礼拝の定型句を知っているかどうかも覚束ないという者も珍しくはない。
使徒ムハンマドの死後千数百年が経った現在、使徒ムハンマドへの服従の本来の意味は忘れ去られ、人伝に聞いたクルアーンとハディースの解釈をもってイスラームの理解を自認し、他人にイスラームを教える悪習が蔓延している。しかし、使徒ムハンマドに付き従った預言者の直弟子たちの記憶が人々の間にまだ活き活きと残っていたイスラーム学の創成期には、学徒たちは、ムスリム社会の常識に盲従することなく、人間が人間として先ず何を義務として課されるのか、ムスリムであれば行うべきことは何かを自ら真摯に問うていた。
彼らが到達した結論は、生きるための狩猟、採集、農業などに追われ息つく暇もない労働者を除き、物事を少しでも考える時間のゆとりができた者には、神について思いをめぐらすことが、人間が人間である限りにおいて最初の義務である、ということである。そして神について想いを巡らせば、健全な天性の持ち主であれば、善美なる斉一な自然の法の定立者である唯一の善なる神の存在に思い至るはずである、とイスラーム学の創設者たちは考えた。
しかし神の高級の義務以上については、人間が自らの理性によって唯一にして善美なる神の存在に思い至りそれを知ることが義務であるとしても、その信仰がアッラーの使徒によって義務として明示的に課されない限り不信仰も懲罰に値する罪にはならないと考える学派と、唯一の善美なる神の存在への信仰だけは使徒による啓示を俟たずして理性のみによって義務として課されると考える学派が生まれ、見解が分かれている。いずれにしても、使徒が遣わされていない者には、神への内心の信仰が義務となる以外には、四肢が犯すいかなる行為も罪とはならず免責されることはイスラーム学の通説となる。
既述のようにイスラームとはアッラーの使徒への服従であり、アッラーの使徒が亡くなった後には、使徒のもたらした啓典の法も失われ、その遵守の義務も消滅する。但し、最後の使徒ムハンマドのもたらした啓典、シャリーアの法は人類全てに対して妥当する法であるため、「ウンマ(ムスリムの共同体)が全体として使徒の後継者として啓典の教えを歪曲、改竄、消滅から守る義務を負った」と、スンナ派イスラーム学は考える。そしてアッラーの使徒ムハンマドの没後、ウンマ(ムスリム共同体)はアッラーの使徒の後継者である一人のカリフの指揮下にシャリーア(天啓法)の律法を護持、施行する単一の広大な法治空間「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」を形成した。
この法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)は、単一のカリフの名の下にシャリーアの法規の解釈の一体性が守られ、基本ルールが人々に周知されており、誰もが生命、財産、名誉の安全を保障され、国境などに妨げられることなく関税を徴収されることもなくどこにでも自由に行き来することが出来る領域である。アッラーの使徒がマッカでイスラームの宣教を始めた当初、彼に従うムスリムは多神教徒の社会の中で弱体な少数派であり政治的な権力を有さなかった。このイスラーム初期、マッカ時代の啓示は、アッラーの属性や来世、個人の道徳や社会正義の教えであり、社会を律し罰則を定めるような所謂「法律」の啓示が下されるのは、使徒ムハンマドが信徒たちと共にマディーナに移住(ヒジュラ)しそこに後のダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の原型となる都市国家を樹立してからのことである。
つまり啓典の法シャリーアと法治空間「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」とは本来的に相関概念であり、「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」はシャリーアの法秩序が実現した時に初めて成立するのであり、そしてこの「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」の中においてのみ、シャリーアは「法律」としてムスリムに課されることになるのである。
イスラーム学の用語において、この「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」の家の対義語は、「ダール・アル=ハルブ」、字義通りには「戦争の家」である。ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)がアッラーの天啓のシャリーアの法が支配する法治空間であるのに対して、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)とは無法地帯である。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)にも一見、秩序があるように見えるが、それは実は「法令」の形をとった強者による弱者の支配、人による人の支配であり、「法」とは似て非なる「弱肉強食のジャングルのルール」に他ならないからである。そしてダール・アル=ハルブ(戦争の家)は、天啓のシャリーアの真理と正義に敵対する世界であるため、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においては、正義を示すシャリーアの法の教説は弾圧され、歪曲を蒙らざるをえない。
それゆえダール・アル=ハルブ(戦争の家)で生まれ育った者には、シャリーアの法の細則を行うことはもとより知ることすらできない。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に住み続ける限り、そこで求められるのは、アッラーの使徒の啓示を継承するウンマ(ムスリム共同体)の使命であるシャリーアの法の知と実践ではなく、人間が人間である限りにおいて最初に負う義務、神の唯一性の哲理の究明なのである。
歴史的にも近代に至るまでイスラームと縁がなく、イスラーム教徒も殆ど存在しない日本のような土地で「イスラームを学ぶ」ためには、どのような心構えが必要であり、またどのように学んでいくかについて、盛期オスマン・カリフ国のイスラーム学を代表する碩学アブドルガニー・アル=ナーブルスィー師がイスラームの奥義を解き明かした『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』と、日本と同じくイスラーム世界の外の欧米諸国などで暮らすムスリム移民たちが非イスラーム社会で暮らすが故に直面する特殊な問題に対するマニュアルとして世界で広く読まれているユースフ・アル=カルダーウィー師の『ムスリム・マイノリティーに関するイスラーム法学』、という二冊の権威あるイスラーム学者の原典に寄り添いつつ考えて行きたい。
アブドルガニー・アル=ナーブルスィー師は、「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)で生まれ育ちイスラームを受け入れた者は、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しない限り、身体の行動に関わるイスラームの法規定の負荷を免じられる」と明言する。師のこの言葉は、イスラーム世界から最も遠く歴史的にも殆ど接触のなかったダール・アル=ハルブ(戦争の家)の最果ての地、日本でイスラームを学び、入信を考える者が何よりも先に知っておくべきイスラームの規定であろう。
所謂「大航海時代」以来、世界の覇権はヨーロッパに移り、20世紀を迎えた時点でかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の大半はヨーロッパ列強によって分割、植民地化され、植民地主義者が「原住民」を搾取するジャングルのルールが敷かれ、「法の支配」の下に住民が移動の自由を享受する「法治空間」は分断され機能不全に陥った。そして1922-3年には曲がりなりにも形の上では独立を保っていたオスマン・カリフ国が崩壊し、「法の支配」の象徴的な統一性すらも失われ、天啓のシャリーアの法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)は名実共に生滅した。
第二次世界大戦後、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の植民地諸国は旧宗主国から名目的に独立を果たしたが、それはイスラーム的な法治空間の回復では全くなく、逆に西欧の弱肉強食のジャングルのルールに他ならない「民主主義」の「人による人による支配」による天啓のシャリーアの「法の支配」の廃棄と、「領域国民国家システム」による単一の法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の分断状況の固定化を意味したに過ぎなかった。
1922-3年のオスマン・カリフ制の崩壊によって、法治空間「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」が消滅した、即ち世界は全て無法地帯「ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」に転化した。既述のように、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)は、天啓のシャリーアの真理と正義に敵対する世界であり、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においては、正義を示すシャリーアの法の教説は弾圧され、歪曲を蒙らざるをえない。それゆえ、現在の世界では、イスラームと長い歴史的な敵対関係にあった西洋の国々ではなく、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の国々においても、シャリーアの法の教えをあからさまに説く者は弾圧に晒されているため、その言説は構造的な歪曲を被っている。そして、そうしたシャリーアの法の教説における現代の歪曲のうちでも最も重大な歪曲は、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の消滅と全世界のダール・アル=ハルブ(戦争の家)への転化の隠蔽、あるいはその前景化の抑圧であろう。この全世界のダール・アル=イスラーム(イスラームの家)への転化の隠蔽は大きな問題を引き起こしている。
イスラームの信仰において、アッラーの使徒ムハンマドは最後の預言者であり、彼のもたらした天啓のシャリーアの法は人類全体に対して有効であり最後の審判まで妥当する。しかし、法自体が有効であっても、責任能力のない者、あるいは違法性阻却事由がある場合に法への違背が有罪とされないように、シャリーアの法もまた、特定の状況の下では、義務が免じられる。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)において、姦通罪に対する石打刑、鞭打刑、窃盗罪への手首切断、飲酒罪の鞭内刑のようなフドゥード(イスラーム法定刑)の執行が停止されることは、イスラーム法の諸学派の合意事項であることがその好例である。
ウンマの一体性、政治的権威の統一性の象徴であるカリフが不在で、国境のない単一の法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が分断され、シャリーアの正義の法の支配が実現していないダール・アル=ハルブ(戦争の家)では、フドゥード(イスラーム法定刑)は執行されない。ところが、現在全世界がダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したことが隠蔽されているために、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)内の住民の多数がムスリムである領域国民国家群では、一部の政府がフドゥード(イスラーム法定刑)を施行したと称して統治のイスラーム性を正当化したり、反体制イスラーム運動が、フドゥード(イスラーム法定刑)の施行を政策目標に掲げたりする事態が生じる。
またかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)がもはやダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したことから目を逸らすことから、「西洋や日本のような紛れもないダール・アル=ハルブ(戦争の家)さえも、ダール・アル=スルフ(講和の家)、あるいはダール・アル=アフド(条約の家)であって、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)ではない」と強弁する者さえ現れることになる。しかしダール・アル=ハルブ(戦争の家)の異教徒の国々とスルフ(講和)、アフド(条約)を締結する権限は、シャリーアの法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の元首カリフにのみあり、それゆえダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が消滅しカリフが不在の現代世界にはダール・アル=スルフもダール・アル=アフドも存在しえないのである。
世界がダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したとしても、かつてダール・アル=イスラーム(イスラームの家)でありながらダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化した国々と、元々のダール・アル=ハルブ(戦争の家)は同じではない。ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)からダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化した土地は、「外見上の(スーラタン)ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」と呼ばれ、法規定上はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のままであり、可能な範囲内でシャリーアの法を護りつつ、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に戻すことが求められる。
ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)からダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化した「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」については、『イスラームを学ぶ:ムスリム・マイノリティーの抱える問題とその解決』で詳論することにし、本稿では、アル=ナーブルスィー師の思想を手掛かりに、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」に転化し、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が消滅してしまった世界において本来のダール・アル=ハルブ(戦争の家)でイスラームをいかに学ぶべきかについての概略を示したい。
アル=ナーブルスィー師は、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者はイスラームに入信しても、そこに住み続ける限り、イスラーム法上の行為に関する規則の違反は全て免責される、とまで極言することにより、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ住む者に求められるのは、ただ信仰だけであることを強調する。
実は、イスラーム法の規定する行為ではなく、正しい信仰こそが、ムスリムにとって最重要であることはダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ住む者だけではなく、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に生まれ住む者にとっても同様なのである。
本書の付録のアル=ナーブルスィー師の『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』は、極めて異例の構成を取っている。同書は、イスラームの教義、義務、信仰について論ずる前に、先ず、そもそも罪とは何か、と問いかける。師によると、真の罪とは、一般のムスリムたちが素朴に前提としているような戒律の違反なのではなく、時間と空間の中で束の間に現れて消える我々被造物を、無限、永遠の絶対存在であるアッラーと並んで独立に存在する実体と思いなすことに他ならないのである。
真の罪が、神の唯一性に対する認識の誤りであるなら、人が先ず最初に求めるべきは、正しい神と被造物の関係の認識であることになる。
アッラーと被造物の関係とは、存在の五層構造におけるアッラーの本体(dhāt)、属性(şifāt)、行為(af ‘āl)の顕現に他ならない。存在は一方の極、頂点に無限、永遠の唯一絶対者である純粋存在、そして底辺にあたる他方の極に純粋無が位置する五層構造を有する。無限、永遠の唯一絶対者である純粋存在が、豊穣な多様性において顕現するのが第二の神的属性のレベルである。この神の様々の属性が動的に展開されるのが、第三の神的行為のレベルである。そしてこの神的行為の残した跡が第四の神的行跡(munfa ‘alāt)であり、被造物の世界はこの第四の神的行跡のレベルであり、第五の存在レベル純粋無が第三の神的行為に接する臨界面なのである。
人間や被造物は、それ自体は純粋無であるが、無限永遠の唯一絶対者たるアッラーの顕現により、その神的行為の純粋無に映る影としてのみ存在に与るに過ぎない。それゆえアッラーの存在の影でしかない被造物が、自らをアッラーと並ぶ独立の実体であるかのように思うことこそが、アッラーの唯一性の否定、イスラームにおける最大の罪、多神崇拝に他ならないことになるのである。
アッラーの使徒ムハンマドがもたらしたクルアーンと、ハディースの教えに従うことが、聖法に則るイスラーム、つまりダール・アル=イスラーム(イスラームの家)で実践されるイスラーム、イスラーム法の施行であるのに対し、「真のイスラーム(Islām fī ĥaqīqah)」とは、アッラーの「有れ」との命令(クルアーン3章47節、36章82節他)に従って、存在することそのものである。アル=ナーブルスィー師は、全ての存在者は、その不信仰と不従順のまさにその瞬間においてさえ、アッラーの存在命令への服従ゆえに、イスラームを体現しており、全ての存在者は、アッラーの命令の具象であるが故に、不信仰者ですら、その存在様態の中において不信仰の偶発のただ一点においてのみ不信仰者と言われるのであり、それ以外の全様態においてムスリムであり、不信仰者もその不信仰すらもアッラーに帰依する者、ムスリムに他ならないと断言する。
存在者は全てアッラーの命令の具象であり、存在する限りにおいて、全てムスリムである。それゆえ、不信仰、多神崇拝の大罪により、火獄での永遠の懲罰に定められた者でさえ、永劫の懲罰の中で、自らの懲罰がアッラーの峻厳の属性の顕現に他ならないことを悟る時、楽園の民がアッラーの優美の顕現を見惚れて楽園の全ての褒章を忘れ去るのと同じく、アッラーの峻厳を目にする恍惚に懲罰の苦痛さえも感じなくなる。
ダール・アル=ハルブ(戦争の家)で生まれ育った者が学ぶべきイスラームとは、時空を超えた永遠、無限なる絶対存在アッラーと、そのアッラーによる被造物の創造の哲理を考えること、即ち、時空を超えた絶対者の顕現の中に我々の生を位置づけ、その意味を見出すことである。
ダール・アル=ハルブ(戦争の家)では、アッラーの使徒の後継者としての権威をもって、クルアーンとハディースとその意味の解釈への服従を我々に義務付ける、と主張する資格を有する者は誰もいない。シャリーアの法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が失われ、アッラーの使徒の政治的権威の後継者としてシャリーアを守護し執行する責任を負ったカリフが不在の現代においてはなおさらである。
ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においてイスラームを学ぶにあたっては、現世と来世の懲罰に怯え報償に釣られるのではなく、アッラーの優美と峻厳の顕現への憧憬から、無限永遠の絶対存在アッラーの唯一性へと学ぶ進むことこそが求められる。カリフ制なき現代において、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者が、権威に頼ることなく、自らの天性を清め理性を研ぎ澄ませ、アッラーへの憧憬から、イスラーム学の全盛期の古典を参考としつつ、信頼すべきイスラーム学徒と共に、クルアーンとハディースを学ぶにあたって、アル=ナーブルスィー師の『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』は格好のテキストである。
同師は、神学、法学、スーフィズムなどイスラーム諸学において膨大な業績を残した碩学であるが、特に哲学的スーフィズムにおいて、イブン・アラビーに端を発する所謂「存在一性論」をイブン・タイミーヤの批判を取り込みつつ総合し、理知的な正統学説を確立したと評価することが出来る。またアル=ナーブルスィーは、口授による学問の相承を基本とするイスラーム学の伝統においては、珍しく、独学の読書による学びを推奨したことにおいても知られている。『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』が邦訳され、日本の読者が同書を読んでイスラームの真義を学ぶことは、師にとっても本意であろうと思われる。
他方、西欧や日本などでマイノリティーとして暮らすムスリム移民の抱える問題とその背景を学ぶためには、現代を代表するウラマーゥ(イスラーム学者)の一人でありムスリム同胞団の思想家としても有名なユースフ・アル=カラダーウィー師の『ムスリム・マイノリティーに関するイスラーム法学』を、ムスリム移民との共存の道を探す手掛かりとしたい。
ムスリム・マイノリティーの原語はAqallīyāt Islāmīyah, Aqallīyāt Muslimahであるが、これは現代では広く用いられているが、古典イスラーム学には存在しなかった用語である。ムスリムがマイノリティーとして暮らす場合の特殊な法規定は、古典イスラーム法学においてダール・アル=ハルブ(戦争の家)の規定として知られていたものとほぼ重なる。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)をダール・アル=イスラーム(イスラームの家)から区別するものは、シャリーアの行為規定が「国法」として施行されているかどうかであり、それが可能な権力がウンマ(ムスリム共同体)の手にあることであり、ムスリムが多数を占めるか、少数派であるかは、二義的に過ぎない。正統カリフ時代からウマイヤ朝にかけての「イスラームの大征服」、そして「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」、「ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」の概念が作られたイスラーム法学の創成期において、カリフを元首とするウンマ(ムスリム共同体)はイスラーム法を施行する政治権力を握ってはいたが、住民のイスラーム化は漸進的にしか進んでおらず、彼らの多くは従来の宗教にとどまっており、ムスリムは数的には少数派であった。またインド亜大陸はイスラームの地に組み込まれたが、遂にムガール帝国の崩壊にいたるまでムスリムが多数派となることはなかった。
アル=カルダーウィー師は「ムスリム・マイノリティー法学」の概念について解説する本書の第一部において、ファトワー(教義回答)の中では参照が不可欠な「ダール・アル=イスラーム」の語を一切用いない。「ムスリム・マイノリティー」の語は、イスラーム法の施行の権力の問題を回避し、ムスリムの数の問題に巧妙にすりかえている。かつての「イスラームの家」にある「領域国民国家」群は、カリフの不在により政治的統一を欠き国境により分断されている点を度外視して内政に話を限っても、司法・行政・立法の全てにおいてイスラームの教えは施行されず、西洋流の人定法が強制されている。イスラームの教えが蔑ろにされているこれらの国々は果たしてダール・アル=イスラームなのか。またイスラームの法を無視する一方で、イスラームの法に矛盾、対立する法令を人々に押し付ける統治者たちはそもそもムスリムと呼ぶことができるのか。
「ムスリム・マイノリティー」の用語は、現在においてダール・アル=イスラーム(イスラームの家)とダール・アル=ハルブ(戦争の家)とは何かを問うことを回避し、ムスリムが多数を占めるダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のムスリム諸国が抱える内部矛盾から目を逸らし、欧米などでマイノリティーとして生きるムスリムの問題がダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のムスリム多数派の問題から派生していることを隠蔽するものである。
アッラーの使徒ムハンマドは最後の預言者であり、彼の天啓のシャリーアの法は人類全体に対して有効であり最後の審判まで妥当する。しかし、法自体が有効であっても、責任能力のない者、あるいは違法性阻却事由がある場合に法への違背が有罪とされないように、シャリーアの法もまた、特定の状況の下では、義務が免じられる。シャリーアの法が、窃盗に対する手首切断刑、飲酒に対する鞭刑、既婚者の姦通の石打刑、未婚者の姦通の鞭打追放刑などのフドゥード(法定刑)執行を命じているが、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)ではムスリムはこれらフドゥード(イスラーム法定刑)の執行が停止されることは、イスラーム法の諸学派の合意事項であることがその好例である。
しかし、ムスリムとはアッラーに服する者に他ならない以上、シャリーアの法に従って生きることが望ましいことは言うまでもない。それ故、ムスリムはシャリーアの実践が出来ないようであれば、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住することが求められる。シャリーア実践のメルクマールとして挙げられるのが、フドゥード(イスラーム法定刑)の施行の有無であり、居住地でムスリム共同体がフドゥード(法定刑)を施行できないようであれば、その地はダール・アル=ハルブ(戦争の家)であり、ムスリムはその地を去ってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなくてはならない。
つまり、ムスリムは、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)でシャリーアの法規定が守れないようなら、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなくてはならず、異教徒が彼らの移住を妨げるようならダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のムスリムには、彼らを救出しなくてはならない。つまりジハードにより彼らを異教徒から解放するか、身請けしてダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住させることが義務となるのである。シャリーアの法を守れなければダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなければならない以上、「ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においてシャリーアの法を実践できない」という「問題」が生ずるのは、中国やミャンマーのようにムスリムの出国が厳しく制限されておりダール・アル=イスラーム(イスラームの家)への移住が困難な場合に限られる。欧米や日本のようにムスリムの出国が自由な国々においては、そもそもそのような問題は生じえないはずなのである。
「ムスリム・マイノリティー法学」とは主として欧米のムスリムが抱える問題への対応として考え出されたものである。ところが、欧米はイスラーム世界と長年にわたる敵対関係にあり、500年あまりのムスリム支配を経験したイベリア半島等を除きムスリムが殆ど住んでいなかった本来的なダール・アル=ハルブ(戦争の家)である。ところが、近代になって、この欧米との戦争において、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の大半が敗れて植民地化され、ダール・アル=ハルブに転化してしまった。このことが「問題」の根源であることを、「ムスリム・マイノリティー法学」は隠蔽しているのである。
既述の通り20世紀を迎えた時点でかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の大半はヨーロッパ列強によって分割、植民地化され、1923年には曲がりなりにも形の上では独立を保っていたオスマン・カリフ国が崩壊し、「法の支配」の象徴的な統一性すらも失われ、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)は名実共に消滅した。第二次世界大戦後、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の植民地諸国は旧宗主国から名目的に独立を果たしたが、西欧の弱肉強食のジャングルのルール「民主主義」の「人による人による支配」による「法の支配」の廃棄と、「領域国民国家システム」による単一の法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の分断状況の固定化を意味した。
ムスリムが統治権を失いシャリーアの法が施行されなくなったことにより、ダール・アル=イスラームからダール・アル=ハルブに転化した土地を「外見上の(スーラタン)ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」と呼ぶ。この「ダール・アル=ハルブ・スーラタン(ダール・アル=ハルブ(外見上の戦争の家))は、法規定上はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のままであり、可能な範囲内でシャリーアの法を守り、ダール・アル=イスラームに戻すことがムスリム住民に求められる。
つまり、現在の世界は、シャリーアの法が施行されないダール・アル=ハルブ(戦争の家)であるが、欧米や日本のような本来のダール・アル=ハルブ(戦争の家)と、元はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)でありながらイスラーム法が施行されなくなったことによりダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したが住民にイスラームの家に戻すことが課されている「外見上のダール=アル=ハルブ(戦争の家)」に二分されていることになる。
ダール・アル=イスラームはシャリーアの正義の法が統治する公正な法治空間であるのに対し、ダール・アル=ハルブは強者が弱者を支配する不正な弱肉強食の世界である。ダール・アル=イスラームがダール・アル=ハルブに転化したということは、ダール・アル=イスラームが、不正な支配者たちに分割統治される事態に立ち至ったことを意味し、その現状を変え正義の法治空間ダール・アル=イスラームに戻そうとの主張は、それによって不正な権力と富の既得権を脅かされる支配者たちの弾圧を蒙ることになる。
2011年の所謂「アラブの春」によって明らかになったように、ムスリム諸国はおしなべて腐敗堕落した不正な独裁者たちにより支配されており、それに輪をかけて猶悪いことに、その事実を指摘する声は封殺されており、本来シャリーアの真理と正義の護り手であるべきウラマーゥ(イスラーム学者)たちもこれらの不正な権力の走狗に成り下がり、イスラームの政治理念に反した現状を批判することもなく、また彼らからイスラームの「あるべき統治の姿」であるシャリーアの法が支配し単一のカリフ制の許に統一された法治空間ダール・アル=イスラームの再興の義務を訴える声が聞かれることもなかったのである。
本来、ムスリムはダール・アル=ハルブ(戦争の家)においてシャリーアの法に従って生きることができないという問題が生じれば、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住することが解決であった。ところが、現在の世界には移住すべきダール・アル=イスラーム(イスラームの家)がもはや存在せず、またその事実自体が隠蔽されているため、ムスリムたちが、「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」をダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に戻す努力を怠り、ある者は物質的豊かさ、社会的公正を求め、またある者は腐敗堕落した不正な権力を嫌い、あるいはその迫害を逃れて、欧米や日本などの本来のダール・アル=ハルブ(戦争の家)に移住するという今日の「異常事態」が生じているのである。
たとえば、「世俗主義」を国是とするトルコでは、今日に至るまで公務員や国立学校・大学の教員、学生の女性ムスリムが、シャリーアの法が定めるスカーフ(頭巾:ヒジャーブ)を被ることを禁じられており、アラブ諸国でも最近までそうである国が多かった。それ故、スカーフ(頭巾:ヒジャーブ)を被る「自由」、つまりイスラーム法の規定を行う自由を守るために、イスラーム法の実践が制限されている元々はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)であったトルコなどの国々から、「信教の自由」が保障されており、女性がスカーフを被ったままで公的な場に顔を出すことが許される元々のダール・アル=ハルブ(戦争の家)である欧米や日本にムスリムが亡命するというような捩れたケースさえも少なくないのである。またイスラーム法の施行、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再興を訴えたために自国の政府から弾圧され、政治的自由があり人権が保障される欧米に亡命したムスリムも少なくない。
「ムスリム・マイノリティー法学」の立場は、こうしたムスリム共同体内部の矛盾、問題から目を逸らさせ、「ムスリムがマイノリティーであり差別され不利益を蒙っている」として、責任を異教徒に転嫁し自らを被害者のポジションに置くものである。ムスリム・マイノリティー法学の創始者と言われるターハー・ジャービル・アル=アルワーニー師も旧バアス党のイスラーム主義弾圧を逃れ本国イラクを離れサウディアラビア、アメリカで活動しており、本書で訳出した『ムスリム・マイノリティー法学』の著者アル=カルダーウィー師もまた本国エジプトでのムスリム同胞団への迫害を逃れてカタルに亡命しており、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の消失、シャリーアの法の不履行、政権の腐敗と不正、言論の弾圧といった今日のムスリム諸国が抱える問題を熟知していながら、ムスリム・マイノリティー法学を論ずるに当たって、それを正面から論じることを回避しているのである。
例えば、アル=カルダーウィー師は、欧米では、ムスリム移民にとって持ち家が必要であり、その必要性に鑑みて禁じられた利子付の銀行ローンを組んで家を買うことが許される、と論ずる。しかし彼は、そもそもイスラーム法を守れないなら、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に住むことは禁じられダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなければならないというのに、なぜわざわざダール・アル=イスラーム(イスラームの家)であるはずの本国を離れてイスラーム法に抵触する生活を送らねばならないダール・アル=ハルブ(戦争の家)の欧米に移住する「必要」があるのか、については口を噤んでおり、同書に収録された様々なイスラーム団体のファトワー(教義回答)も同様である。
つまり、ムスリム・マイノリティー法学は、西欧のようなダール・アル=ハルブ(戦争の家)でシャリーアの法を守って生きようとする場合に遭遇する問題を姑息に回避する弥縫策を提示することで、ムスリムがダール・アル=ハルブ(戦争の家)の欧米に移住しなければならない本当の原因、つまり、本国におけるシャリーアの「法の支配」の不在、政治の腐敗、不正、搾取、人権の抑圧、反体制派に対する弾圧、そしてそれらに起因する貧困と失業などの問題を隠蔽し、根本的な解決を妨げているのである。
確かに、マイノリティー・ムスリム法学は、欧米などの非ムスリム社会でマイノリティーとして暮らすムスリムに、一般信徒には馴染みの薄いダール・アル=ハルブ(戦争の家)の特殊規定を教える点では一定の成果をあげているが、カリフ空位、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の消滅と「外見上の」ダール・アル=ハルブ(戦争の家)への転化というウンマ(ムスリム共同体)の現状を隠蔽することで、欧米のようなダール・アル=イスラーム(イスラームの家)在住のムスリムの求めるべきイスラームの生き方の指針を与えることには失敗しているのである。
盛期オスマン・カリフ国の碩学アル=ナーブルスィー師(1731年没)は、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住するまでは、イスラーム法の行為規範への違背は全て免責される、と述べている。ところが、1923年のカリフ制崩壊によってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が全てダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したとすれば、現代のムスリムはダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者であり、移住すべきダール・アル=イスラーム(イスラームの家)ももはやない以上、ウンマ(ムスリム共同体)の課題は、ダール=ハルブ(戦争の家)に転化したこの世界で、アッラーの使徒の後継者(カリフ)の資格を持たない者たちによる来世の罰の威嚇に怯えてシャリーアの法の細則の遵守にこだわることではなく、信仰の基本に立ち返ることである。
それは、アッラーへの服従、アッラーの使徒への服従に立ち返ることであり、それはアッラーの使徒の逝去は彼の後継者カリフを擁立しシャリーアの解釈の最終審級、施行の権威を明らかにし、その下に団結してシャリーアの法の支配する法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)を再興することなのであり、シャリーアの法の細則の遵守を問題とするべきなのは、カリフ制によるウンマの統一と法治空間ダール・アル=イスラームの再興の後のことなのである。
クルアーンの最初期の啓示は、神の唯一性、生命の永遠性、最後の審判と来世の存在などの信仰の基礎、不正な富の偏在の糾弾と社会的弱者の庇護などの倫理の教えであった。また礼拝(サラー)にしても、なるほど礼拝自体はクルアーンの最初期から命じられているが、現在のような形式での礼拝を一日に5回の定刻内に行うことが義務付けられるのは、最初の啓示から8年あまりが経った後である。また飲酒の禁止が定められたのは使徒ムハンマドとムスリムたちがマディーナに移住(ヒジュラ)してから後のことであり、女性のヒジャーブ(頭巾)の着用が義務付けられるのも移住(ヒジュラ)の後である。
アッラーと来世を信じ、使徒ムハンマドの権威の下に団結して社会正義の実現に向けて努めるだけで、一日の5回の礼拝もせず酒も飲んでいたとしても、使徒ムハンマドの宣教の初期においては、それは紛れもなくアッラーによって嘉される十全なイスラームであった。他方、一人の権威の下に団結して社会正義の実現のために努めることなくして、食物規定や服装規定の細則のみにこだわるといったことは、使徒ムハンマドの存命中には決して起きなかった、即ち、それは使徒の伝えたイスラームではないのである。
現在のウンマの義務は、「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」、つまりかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の地を、国境のない統合された単一の法治空間ダール・アル=イスラームに戻すためにカリフを擁立して団結することである。アメリカや日本などの本来のダール・アル=ハルブにいるムスリム移民もまた、本国に戻ってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再建に加わるべきである。しかしどうしてもやむをえない事情で本国に帰国できない者は、外国の居住地においてできる範囲でダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再建に協力しつつ、先ず信仰の要諦を学び、社会正義に適った道徳的生活を送り、しかる後に、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)の法規定を本質的なものから順次、可能な範囲で実践することが求められるのである。
ムスリム移民を受け入れるホスト社会も、「ムスリム・マイノリティー問題」がまさに問題として立ち現れるに至った現代のウンマ(ムスリム共同体)の現状を正しく理解する必要がある。そのような理解に立つなら、ムスリムが安心してシャリーアに適った生活を送ることができ、全てのムスリムがその内部では国境や関税に妨げられずに自由に安全にどこへでも移動できる法治空間ダール・アル=イスラームが再興されることによって、政治、社会、経済的問題から本国を逃れてホスト社会に移住、あるいは亡命せざるをえない者がいなくなるように国際的に働きかけることが可能になる。
その上で、ホスト社会でシャリーアの法を守って生きようと望むムスリムに対しては、ホスト社会は先ず、ムスリム移民は本国に帰ってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再建することが第一選択肢であることを教え、帰国のための便宜を図ることが求められる。その上で、ホスト社会がムスリム移民の定住を望むのであれば、彼らを一つの法共同体として扱い、独自のカーディー(裁判官)を立ててフドゥード(法定刑)を成員に科すことを最大限とする自治を可能な範囲で与えることが望ましい。
但し、以上に述べたことは、あくまでも理論上の理念型に基づく議論であり、実際のムスリムは多様であり決して一枚岩ではなく、イスラームの理念の忠実な実現を目指す者もあれば、西欧流の「政教分離」を信じ内心の信仰と個人的領域でのみイスラームの実践に努める者もおり、またシャリーアに関心もなく実践しようとも望まない名ばかりの「世俗的」ムスリムもいるのであり、現実の対応は、ホスト社会とムスリム移民の双方の事情に即して臨機応変に行わざるを得ない。
アル=カルダーウィー師の『ムスリム・マイノリティー法学』を手掛かりに、シャリーアの法を出来る限り実践しつつホスト社会に適応しようとのイスラーム意識の高いムスリム移民たちの営みに光を当てると共に、「ムスリム・マイノリティー問題」が生じた背景を分析し、ホスト社会がそれにどう対応すべきか、についても理論的に道筋を示す試みである。
本書が、今日のムスリムたちのおかれた現状を理解し、ムスリムたちの抱える問題と西欧の偏見のノイズを取り払い、イスラームの真髄を理解する一助になれば、著者たちの望外の喜びである。ミナッラーヒッタウフィーク
2011年6月29日水曜日
人道的介入国際会議発表原稿追加
Addition
“Humanitarian Intervention from Sunnite Islamic Perspective”
Dr. Hassan Ko Nakata
(in end of Capter 5. Rescue of the Oppressed Muslims)
Although the scope of Islamic teaching of Jihad for rescue of Muslims oppressed in Dar al-Harb is limited to Muslims, it seems that we can deduce from it some implications for contemporary humanitarian intervention. Islamic teaching shows that the first choice in case of the persecution, massacre, and genocide is an escape or immigration, and the military operation for rescue is the second choice only if the oppressed people are under the condition that they cannot escape by themselves for some reasons. Obviously this can be applied to “humanitarian intervention”. The international society is responsible to provide the victims for means of escape from the emergent crises before the invasion to the country in which such crises has happened. Namely, the airplanes and helicopters should be sent not for sake of military attack but for sake of pick up the victims to bring to safe countries. It is not so unrealistic because “humanitarian intervention” presupposes the possession of command of the air or air supremacy. Of course, we can add here that the international society should make effort to facilitate immigration of these victims by ordinary diplomatic channels first, issuing visa, in addition to financial support for the travel. Here we can point out that we have a famous precedence of “Operation Magic Carpet” by which Israel brought around 54,000 Jews from Yemen to Israel during 1949-51.
Therefore the notion of “R2P” or “Responsibility of Protect” of “humanitarian intervention” should be transformed to “Responsibility to Provide all the means of immigration including dispatching airplanes, helicopters and ships”. It means as well the substantialization of “the freedom to emigrate” which is admitted in the Universal Declaration of Human Rights, as "Everyone has the right to leave any country, including his own, and to return to his country". And this “rescue of the victims of the persecutions to emigrate from their countries” seems more suitable to be called “humanitarian intervention”.
“Humanitarian Intervention from Sunnite Islamic Perspective”
Dr. Hassan Ko Nakata
(in end of Capter 5. Rescue of the Oppressed Muslims)
Although the scope of Islamic teaching of Jihad for rescue of Muslims oppressed in Dar al-Harb is limited to Muslims, it seems that we can deduce from it some implications for contemporary humanitarian intervention. Islamic teaching shows that the first choice in case of the persecution, massacre, and genocide is an escape or immigration, and the military operation for rescue is the second choice only if the oppressed people are under the condition that they cannot escape by themselves for some reasons. Obviously this can be applied to “humanitarian intervention”. The international society is responsible to provide the victims for means of escape from the emergent crises before the invasion to the country in which such crises has happened. Namely, the airplanes and helicopters should be sent not for sake of military attack but for sake of pick up the victims to bring to safe countries. It is not so unrealistic because “humanitarian intervention” presupposes the possession of command of the air or air supremacy. Of course, we can add here that the international society should make effort to facilitate immigration of these victims by ordinary diplomatic channels first, issuing visa, in addition to financial support for the travel. Here we can point out that we have a famous precedence of “Operation Magic Carpet” by which Israel brought around 54,000 Jews from Yemen to Israel during 1949-51.
Therefore the notion of “R2P” or “Responsibility of Protect” of “humanitarian intervention” should be transformed to “Responsibility to Provide all the means of immigration including dispatching airplanes, helicopters and ships”. It means as well the substantialization of “the freedom to emigrate” which is admitted in the Universal Declaration of Human Rights, as "Everyone has the right to leave any country, including his own, and to return to his country". And this “rescue of the victims of the persecutions to emigrate from their countries” seems more suitable to be called “humanitarian intervention”.
2011年6月27日月曜日
“Humanitarian Intervention from Sunnite Islamic Perspective”
Doshisha International Conference on Humanitarian Intervention:
“Asian Perspectives on Humanitarian Intervention in the 21st Century”
Kyoto 28-29 June 2011
“Humanitarian Intervention from Sunnite Islamic Perspective”
Dr. Hassan Ko Nakata (Doshisha University)
1. Introduction
In this presentation, we argue that
(1) Jihad in Islam as its totality is to be interpreted as “a sort of humanitarian intervention”, and
(2) Islam has also the more articulated teaching about the humanitarian intervention in case of violation of “human rights” of the oppressed Muslims.
But before that, we should explain the outline of Islamic world view to clarify that Islamic idea of “humanitarian intervention” is never to be realized in the frame work of “territorial nation state system” because it contradicts Islamic worldview as well as “humanity”.
The sole legitimate Islamic political system is Khilafah, the caliphate, which is intrinsically the global governance. It cannot be realized in “territorial nation state system” in spite that it can co-exist with “territorial nation state system”, because Islamic world view is dichotomy of Dar al-Islam(House of Islam) / Dar al-Harb(House of War), namely, Dar al-Islam(whose political system is Khilafah) is conceived to be forced to coexist with Dar al-Harb according to rules of Siyar, Islamic international law, and the world of the “territorial nation state system” is regarded as this Dar al-Harb(House of War).
In these days, most of the discourse talking about Islam in “public spheres” are systematically distorted under the pressure of the “global” ruling class or Establishment supporting “territorial nation state system” who are oppressing “the true Islamic political discourse” of Khilafah by banning its publications, rejecting its advocators’access to the offices of the government and the mass media, arresting them and killing them. That is why we hardly have heard about Khilafah, especially in terminology of social sciences, consequently have no understanding\of its real meaning and actual implications in the contemporary world.
Therefore we should explain about Khilafah before entering our main topic.
2. Meaning of Khilafah
In Islamic law, Khilafah is synonymous with Imamah Kubra, and defined as “the supreme leadership in the religion and this world by the succession of the Prophet Muhammad”.
Establishment of Khilafah, Caliphate, is the consensus of all the scholars of Islam, Ulama’, from the disciples of the Prophet Muhammad up to now. Even the most voluminous contemporary encyclopedia of Islamic law officially endorsed by Kuwait and Saudi Arabia declares that Ummah(Islamic community) anonymously agreed upon the obligation of establishment of Imamah(Caliphate) by the consensus of Sahabah wa-Tabi‘un(Prophetic disciples and their followers) .
Although in Islamic law, Khalifah is abbreviation of Khalifah Rasul Allah, i.e., the successor of the Apostle of Allah, not Khalifah Allah, the vicegerent of Allah on the earth, but the connotation of the vicegerent of Allah on the Earth has never been forgotten. al-Qurtubi says in his famous Qur’anic commentary “This verse (“And when thy Lord said unto the angels: Lo! I am about to place a viceroy in the earth…Q:2:30) is the base for the appointment of Imam or Khalifah who is listened to and obeyed in order that the opinion would be agreed and rules of the people be carried on.” (al-Qurtbi, al-Jami‘ li-Ahkam al-Qur’an, n.p., n.d., vol.1, p.264)
Khalifah is the vicegerent of Allah on the earth, thus the globalism and universalism is essential for Islamic politics, because Allah is not the Lord of any certain country but the Lord of the earth, thus Tawhid (uniqueness of Allah) requires the acceptance of oneness of the lordship of Allah on the earth as well as denial of the lordship for any other creatures on any places on it. And the place on which the unique lordship of Allah is realized, namely the Shari‘ah or the Divine Law of Allah alone is enacted and implemented to rule the people, is called Dar al-Islam. And the uniqueness of Khalifah symbolizes the unity and integrity of Dar al-Islam.
Khalifah must also be one person and two or more Khalifahs (Khulafa’ )’ coexistence is severely forbidden. The Prophet Muhammad ordered loyalty to single Khalifah in one age in order of accession to the throne, saying,; “although there is no prophet after me any longer, Khulafa’ (successors) will appear and their number will quite a large. Give loyalty in order one by one, and follow the authority which Allah vested in them.” (Hadith: Muslim), and he did not only rejected the legitimacy of the second and following Khalifahs but ordered decisively execution of them, saying,; “When the pledge of allegiance is given to two Khalifas, kill the second one.”
(Hadith: Muslim)
When the Prophet Muhammad passed away, many tribes of Arabia refused to give Zakah to Madinah, the capital of the Khalifah Abu Bakr. At this time, the Khalifah Abu Bakr subjugated them in spite that they confessed “there is no god but Allah and Muhammad is the apostle of Allah” and performed the prayer (Salah). This battle is called “apostasy (Riddah)” war. This decision of the Abu Bakr shows that the supremacy of the headship, Khilafah, and the unity of the Ummah(Muslim community) are fatally important for Islam.
The earth is one and indivisible, and consequently, the Khalifah as the vicegerent of Allah on the earth should be one and indivisible, as the lordship of Allah for the earth is one and indivisible, there is no god but Allah.
Islamic law prescribes the uniqueness of Khalifah and strictly forbids its plurality, because the Islamic order includes security of the freedom of immigration. An angel says in Qur’an; “But was not God’s earth spacious that you might have emigrated therein. (4:97), and Ibn ‘Abbas in his Qur’anic commentary Tanwir al-Miqbas, explains this verse; “…My earth is spacious…” as “the land of al-Madinah is safe, so immigrate to it.” (Ibn ‘Abbas, Tanwir al-Miqbas, 1992, Lebanon, p.102) Namely, al-Madinah, Dar al-Islam should be the place to which all the Muslims can immigrate. The oneness of the Khalifah symbolizes the oneness of the Islamic order, and the Islamic order secures the free movement of human beings and commodities within its territory, Dar al-Islam.
The earth belongs to nobody, but solely to Allah. Therefore, contrary to the ideology of the “territorial nation state” of modern Western Europe, Islam neither allows anyone to cut it into parts and restrict immigration in it, nor allow human beings to be divided into separate nations. This is because Allah created human beings as various ethnic groups so that they could know each other, as Allah says; “We have indeed created you from a male and a female, and made you nations and tribes that you may come to know one another.” (49:13), and the freedom of the immigration is the precondition for mutual-understanding. And Allah orders us to travel in the earth to learn the history of nature and the history of human beings by saying,; “... Travel in the land and observe how He originated creation.” (29:20), “...so travel in the land and behold how
was the end of those who denied.” (3:137, 6:11, 16:36). The liberation of the earth by the abolition of the borders and the unity of the Islamic order are essential conditions for the Islamic mission.
In order to understand the true implication of Islamic globalism, we should reconsider the conception of nationalism in the light of Islam. Nationalism is a form of neo-tribalism born in Western Europe in the second half of the 18th century. The Prophet Muhammad said; “Those who were killed under the flag of delusion which appeals for or support tribalism(‘Asabiyyah) died the death of the Jahiliyyah(pre-Islamic ignorance)” (Hadith: Muslim) and said, “Those who appealed for tribalism are not our fellows. And those who fought for tribalism are not our fellows. And those who died for tribalism are not our fellows.” (Being asked “What is tribalism?”) He answered; “It is supporting your tribe in injustice.” (Hadith: Abu Dawud) Tribalism was of the normal way of life for the Arabs of the Jahiliyyah (pre-Islamic ignorance), and the good tidings for all mankind was the advent of Islamic justice. Now the conquest of this
"neotribalism" has become the major objective of the Islamic mission.
The Western scholars always criticize the Khilafah system as a form of dictatorship because of the lifetime tenure of Khalifah or as a kind of theocracy because Khalifah is the successor of the Holy Prophet.
But it is almost self-evident for Sunnite Muslims that Khilafah is neither dictatorship nor theocracy, because the Sunnite scholarship define Khalifah as the layman elected by the people contrary to the Shiite Imam the divinely nominated infallible saint.
The Prophet Muhammad’s government was based on “unity of Religion and Politics”, thus “religious.” As already stated, the Prophet Muhammad was governing based on Allah’ revelation. That is, a political decision of the outbreak of war etc. was also made based on Divine Will. And much of revelation had taken the form of the individual command responding to each situation, a legal system had not been formed yet, a political system and legal system were still undifferentiated. That is, the Prophet Muhammad’s government is “religious”, in the meaning that it was based on
the transcendental authority of the divine will of a revelation of Allah to which common believers has no access except through him, and is based on the “unity of Politics and Religion” in the meaning that both of the law and the politics were based on his transcendental authority in the undifferentiated form because the legal system and the political system was still undifferentiated.
The Prophet Muhammad’s government was typical “hierocracy” or “theocracy” in terminology of Western political sciences in the meaning that the religious person who represents divine will governs, and we can call Shiite Imamah also “hierocracy” or “theocracy”, because Shiite Imam is also divinely nominated by Allah and infallibly guided by Allah, namely, he alone has the access to Allah, consequently has absolute authority over all the Shiite Muslims. However, according to the Sunnite creed , the revelation ceased since the death of the Prophet Muhammad, and the Khalifah has no special access to the Divine Will. Thus there was no transcendental element in the Khalifah’s political determination, it was carried out through the realistic worldly calculation.
The inaugural speech of the first Sunnite Khalifah Abu Bakr, ; “as long as I follow Allah and His Apostle, follow me. Supposing I disobey Allah and His Apostle, it is not obligatory for you to follow me.” (narated by al-Tabari), shows clearly that the Sunnite Khalifah, the successor of the Apostle, was homogeneous as the fallible Apostolic deputy officials under the reign of the Apostle who obeyed the Divine commandments embodied in Qur’an and Sunnah. Namely, Khilafah is“the rule of law” contrary to Imamah which is “the rule of men”, for the Divine Will is known through Shari‘ah, Divine Law, according to Sunni thinking, while it is known only through the divinely appointed infallible Imam according to the Shiite Imamology.
In addition to the fact that the Sunnite Khilafah is based on the theory of election by people (Ikhtiyar) opposing to the theory of the Divine nomination(Nass) in the Shiite Imamology, consultation with people(Shura) for Khalifah or the Ruler is strongly required. Some scholars say that Shura is obligatory while the others say that it is recommended, for Allah says in Qur’an; “{… So pardon the and ask forgiveness for them and consult with them upon the conduct of the affairs…”(3:159) and “And those who answer the call of their Lord and establish worship, and whose affairs are a matter of counsel, and who spend of what We have bestowed on them”(42:38),
As for the Shiite theory, Imam is the divinely appointed infallible successor of the Apostle of Allah Muhammad. On the other hand, Sunni Khalifah is neither divinely appointed nor infallible. Thus Khilafah is neither theocracy nor dictatorship, but nomocracy or “the rule of law”.
3. Khilafah as “the Rule of Law”
As we told, Islamic politics is nomocracy or “rule of Law”. Here we clarify the meaning of “rule of law” in our usage of it.
H. L. A. Hart (d.1992), one of the most influential legal philosopher of the 20th century, pointed out in his book “The Concept of Law” that the ad hoc orders of the rulers cannot be called law, criticizing John Austin’s (d.1819) famous legal positivist theory that “law is the command of the sovereign backed by the threat of punishment”. The law is different from the commands of the sovereign. We should differentiate the law from the commands of “the sovereign” which are legislated by the parliament.
According to Gustav Radbruch (d.1919), famous German legal philosopher, the law has 3 mutually contradicting elements, Gleichheit (justice), Zweckmäßigkeit (purposiveness or effectiveness) and Rechtssicherheit (legal certainty), but the most fundamental is the legal certainty. The legal certainty means stability and predictability. The law should be unchanging and continuous to some ranges of time as well as understandable and well known to people.
We can duly call the Islamic law, Ahkam al-Fiqh, “the very Law”. As for the stability, the Islamic law system started to be formed around in 8–9 century and had been established around in 12/13 century and has little change since then. It remains almost unchanging as well as valid, in spite that the rulers of the Western-made “territorial nation states” in the former Dar al-Islam have no longer enforced Islamic law. Why?
The Islamic law is said to be a typical jurist’s law beside Roman law. Actually, while Roman law became law after its authorization by the Emperor and he is above the law, formation of the Islamic law had been independent from Khalifah’s authorization, rather the jurists, Fuqaha’ had rejected any interference from Khalifah in its formation, needless to say that they had rejected admitting that Khalifah is above it.
Therefore Islamic law is still valid for all the Muslims, in spite that the rulers of the Western-made “territorial nation states” in the former Dar al-Islam have no longer enforced Islamic law, because the ruler has nothing to do with the formation of Islamic law, and consequently its validity is not depending on their enforcement. We are eye-witnessing hundreds of millions Muslims are observing Islamic law voluntarily without being forced by governments, rather even under the severe oppressions and persecutions from their own governments.
As for the legal certainty as the predictability, Muslims are familiar with Islamic law, both substantial rules, Ahkam Taklifiyyah, and legal concepts, Ahkam Wad‘iyyah, because the learning of Islamic law is obligatory on every Muslim. So it is not unusual that ordinary Muslim children learn classical texts books of Islamic law even in elementary school or junior high school.
Islamic law is considerably stable, for it has been almost unchanging nearly one thousand years and same in its contents from Indonesia to Morocco, rather even in US and Europe now.
If you compare Islamic law with Western laws, you would find that the Western laws are not worthy of the name of “law” but commands of the sovereigns which are just expressions of their ever-changing whims. It is same with even the “human rights” of Western laws. Despite that they are claimed to be eternal and universal, they are in fact nothing but the products of the certain age and certain place, namely, they are invented in West Europe in 17 century, and their contents are changing even during this short period. So they are neither “eternal” nor “universal” at all, rather they have still very limited numbers of followers among people in the world in spite of the effort of the Western countries for spreading their ideas among non-Western nations. As for international law, their knowledge are monopolized by the narrow circle of people in the Establishment of “territorial nation state system” and there is no place to teach them in elementary and middle educational institutes at all.
On the other hand, Islamic law is taught from elementary school to university and millions of Muslim children all over the world are learning the basic ideas of Islamic international law, Siyar, in schools, beside Ulama’(scholars of Islamic knowledge) who specialize it.
The Islamic law is not ever-changing arbitral commands of the sovereign but the stable and well known law, because the Islamic law stems from Shari‘ah, the last revelation from Allah, which is considered to be perfect and valid until the day of the Judgments. That is why Islamic politics is nomocracy or “rule of law”. Khilafah is the political system in which the sovereign is Allah, the Legislator of Shari‘ah. The pivot of Khilafah is the law, Shari‘ah, not the person of Khalifah himself. We find the clearest expression of it in the works of the great Islamic jurist of 13-14 centuries Ibn Taimiyyah (d.1328). In his book on Islamic politics, al-Siyasah al-Shar‘iyyah, he never mentions about Khalifah. And in his treatise on the revolt, he affirmed that the true revolt which should be subdued as the apostasy is the violation of the law, Khuruj ‘an Shari‘ah, not the revolt against the ruler Khuruj ‘ala Hakim, i.e., the person of Khalifah. (Ibn Taymiyyah, Majmu‘ah al-Fatawa, vol.28, pp.468–469, pp.502–504, pp.520–521)
“The rule of men” is the essential feature of the Christian societies. Katou Takashi, a Japanese scholar of New Testament and comparative civilization, proved theologically that Western political thought is classified definitely by “the rule of men”. Kato argues, “the rule of men by man” has become the most essential characteristic of Christianity since the infant community of Jerusalem transformed from a sect to the Jerusalem
Church” and “the feature of this principle is that the human beings are divided into two types and the upper class is to control or manage the lower class.”
The comparative analyses between Western political thoughts, Islamic one, and
Chinese one brings to light the fact that the basic frame work of Western political thought is rule of the man, while Islamic one, Khilafah, is rule of law and Chinese one is rule of virtue(Dézhì徳治).
In the process of theorization of Khilafah of Sunni school, counter-argument against Shiite Imamology has crystallized the concept of “rule of the law”, the sovereignty of Shari‘ah, in contrast to concept of “rule of the man” of Shiite Imamology in which the person of the divinely nominated infallible Imam is the sole source of legitimacy of the rule and only it is what guarantees the good governance, which we can find clearly even in contemporary Shiite political thought of post-Imam Era (Ghaibah) symbolically called theory of “Wilayah al-Faqih (Guardianship of the Islamic Jurist )”
Unfortunately Western scholarship obsessed with the Aristotelian tradition of typology of ruler can neither understand the real nature of Khilafah as “the rule of law” nor esteem its significance correctly, hence they can scarcely imagine form of the rule other than “rule of the man”, i.e., rule of the single person, monarchy or dictatorship, rule of the minority, aristocracy or oligarchy, and rule of the majority or democracy.
The idea of rule of the law only appeared quite recently in 17 century in England, and even this new borne concept of law has soon degenerated into “rule by the law” in Chinese sense(Fǎzhì法治), or Rechtshtaat, or “rule of the commandments of the rulers” in our terminology. We can only find trace of concept of rule of the law in Western political thought in the concept of “human rights” as supplement to “the rule of men” of the democracy to complement its defects and to neutralize its evils.
Nowadays there is no country where the true “rule of law” exists, even though there might be a Rechtsstaat in which “men” rule “by law”. It is worth mentioning that in Islam even the taxation is under “the rule of law”, not “the rule of men”, contrary to the West in which the taxation is under “the rule of men” justified by the slogan “No taxation without representation”, hence “the representatives” can impose taxes as they like under the name of “people”. On the other hand, Islam does not approve of any tax except what is legislated by Shari‘ah, i.e., Zakah for Muslims, Jizyah for NonMuslims, and Kharaj for the utility of the lands conquered. Any other taxes imposed by human beings are strictly prohibited. Ibn Taimiyyah(d.1328) says; ‘Levying taxes
are what is not permitted by the agreement of legal schools’.(Ibn Taimiyyah, Majmu‘ah al-Fatawa, al-Mansurah, 2001, vol.28, p.155) Another great jurist of the Hanafi legal school, al-Jassas (d.981) is so severe that he says that every Muslim should fight against those who levy taxes (Al-Jasas, Akam al-Qur‘an, 1986, Beirut, vol.1, p.472), and he should even kill them if they are armed. Consequently, any tariff is not allowed in Dar al-Islam, in which the rule of law is prevalent, because Dar al-Islam is a unified law-governed space, thus it is not permitted to make borders in it to prevent the free movement of people, commodities, and money or capitals by imposing man-made tariffs or any other kind of taxes or fees.
Contrary to “democracy”, in Islam the economy including taxation and currency is under “the rule of law”, not “the rule of men”, so abrogation of borders and tariffs inside Dar al-Islam and monetary system of Gold Dinar and Silver Dirham, as clause 130 of Al-Majallah, a civil code of the Ottoman Khilafah, prescribes that “the Nuqud (species) are gold and silver”, is an important and integral part of Khilafah or the Rule of Law.
Khilafah is “the rule of law” and “the law-governed space” in which Khalifah, the head of the Ummah, rules according to Islamic law and the security of life, property, and honor for all the inhabitants is called Dar al-Islam(House of Islam). To expand “the rule of law”, Khilafah, and the law-governed space, Dar al-Islam, by Jihad to liberates all the human beings and the earth from “the rule of men” is the mission of Islam.
In the next chapter, we try to explain about Jihad for expansion of Khilafah in the frame work of “humanitarian intervention”.
4. Jihad as a Humanitarian Intervention
In Islamic law, “Jihad” is defined as “ a war of a Muslim for sake of exaltation of the Word of Allah against an infidel with whom the treaty has not been concluded after inviting him to Islam and his rejection of it”.(al-Mawsu‘ah al-Fiqhiyyah, vol.26, p.63) “Jihad” is the Islamic war against non-Muslims on some conditions. We will clarify its true meaning by explaining its conditions in details.
Waging Jihad is permitted only after inviting non-Muslims to Islam. This invitation is the charge of Khalifah. Khalifah should send his official invitation for Islam to all the nations before waging Jihad. But what is the meaning of “inviting non-Muslims to Islam”? Does it mean demanding them faith in Islam?
A lot of contemporary Muslim apologists are trying to show that Islam denies the use of force except for self-defense, reacting to the slander against Islam from the West like “Koran in the right hand, left hand sword ”. The refutation is justifiable, if it means that Islam forces nobody to convert to Islam by compulsion. However, if it means that Islam does not accept the use of military force to realize its cause at all, it contradicts clearly the Shari‘ah’s teaching as well as the historical facts. Islam rejects forcing conversion to Islam by means of threat by physical violence but does not reject the use of military power in order to realize its cause and spread its governance to all over the world, rather Islam consider the fight for the sake of spread its governance as its obligatory mission.
Islam advocates love and peace and is not fond of unnecessary violence. However, Islam is not unconditional absolute pacifism. Rather, Islam teaches that the believers should practice commanding good deeds and prohibiting evil (Amr bi-Ma‘ruf wa-Nahy ‘an Munkar) according to their power, respectively. The ruler, as the holder of the greatest power, is especially burdened with the obligation to uphold the “statutory penalties (Hudud)” and to wage Jihad, i.e., sometimes even to resort to violence for the sake of peace, security, and justice for the Islamic society.
When Makkah was conquered, and Arabian Peninsula was unified under the banner of Islam, and the revelation given to the Prophet Muhammad was completed, the Islamic mission transformed from propagation of the individual faith and ethics in Makkah term to the liberation of the earth by spreading the Islamic governance. The transformation of Islamic mission to “the liberation of the earth by spreading the Islamic governance” means that the spread of Islamic governance came to be given a priority as the aim of group behavior of the Ummah which came to have the military strength which now enables them to establish the Islamic order.
Jihad is to be put in this context. Allah says, in Qur’an; “Fight those who do not believe in God, nor in the Last Day, and who do not forbid what God and His Messenger have forbidden, nor do they practice the religion of truth, from among of those who have been given the Scripture, until they pay the Jizyah tribute, readily being subdued.”(9:29)
And al-Mugirah, a companion of the Prophet, said to the Persian army on the day of battle of Nihavand(642 ?),; the Prophet who is the Apostle of our Lord ordered “Fight until you worship only Allah or you pay the tax (Jizyah)”. (Hadith: al-Bukhahri).
On these textual bases of Qur’an and Hadith, Islamic law prescribes if only the Jizyah tax is paid, fighting is no more allowed, even though they don’t embrace Islam, but fighting becomes inescapable when tax payment is refused. That is, the purpose of the
Jihad was admission of the Islam order by tax payment, not conversion to Islam. In other words, spread the Islamic governance was the first priority which must be promoted even with military force. Muslim community started to perform their mission toward the whole world after the completion of the revelation to the Prophet Muhammad and the unification of the Arabian Peninsula under the banner of Islam. However, what was not allowed to refuse in confronting this mission and was to be forced even by military power was the payment of the Jizyah tax, not conversion to Islam, and the payment of the Jizyah tax is metonymy of the obedience to Islamic governance.
That is why we can say that the mission of Islam in its complete form is to expand this Dar al-Islam in order to spread Islamic governance to all over the world even by resort to the military force, though there is no compulsion in the religion, as is declared clearly in the famous verse in Qur’an; “Let there be no compulsion in religion”.(2:256)
After passing away of the Prophet, Ummah whose head is Khalifah has taken over this mission. Khilafah, “the rule of law” , should be spread and Dar al-Islam, Law governed space, should be expanded all over the world, even by Jihad. However, before Jihad is waged, “the formal appeal from the Islamic authority which assumes the duty to make the invitation, or Islamic call (Da‘wah), i.e., “official Islamic propagation by the Islamic authority(Khalifah)”, should be made first .
As we explained above, the legitimate Islamic regime is Khilafah, which is in fact nothing but “the rule of law”. And Islamic scholarship categorizes basic human needs(Daruriyyat) into 5 kinds, (1) religion(Din), (2)life(Nafs), (3)reason(‘Aql), (4)family line(Nasl), (5)property(Mal), and the aim of the legislation of Shari‘ah is to realize these basic human needs. So many books has been written on this Islamic five basic human needs(Daruriyyat Khams) by contemporary Muslim apologists who try to equate them with Western human rights , so here we point out only specific purposes of Khilafah contradicting Western political thoughts.
Islam never forces the faith of Islam upon anyone. However, the Islamic domain, Khilafah, and the lands under Islamic law, Dar al-Islam, should be spread to all over the world, in order that the Erath and human beings would be liberated from the unjust rulers who usurp the sovereignty of Allah.
Although Islam does not enforce the faith of Islam, Islamic order, the Islamic domain, and Dar al-Islam must be expanded to all the Earth, even by resorting to military power.
Why? Islam means total submission to Allah, i.e., obedience only to Allah’s command. In other words, Islam means denying the power of all the things that rule over people beside Allah. As for what is related only with the inner minds of human beings and what they obey according to their own judgment, such as religion in a narrow sense, we must liberate ourselves from its rule after thinking and judging by ourselves, and liberation from outside by force is impossible.
However, when external rule enforced by violence, i.e., political domination, exists, it is necessary to liberate the ruled from the ruler by counter-violence or violent confrontation. For this reason, Muslims performed the mission of establishing Islamic order with the sword to liberate people from local rulers who enclosed the people within their domain in order to exploit them by tax collection, enforced labor and conscription.
The earth belongs to nobody, but solely to Allah. Therefore, contrary to the ideology of the “territorial nation state” of modern Western Europe, Islam neither allows anyone to cut it into parts and restrict immigration in it, nor allow human beings to be divided into separate nations. This is because Allah created human beings as various
The earth differs in climate regionally, and there are also differences in its underground resources. Additionally life in a particular area may be made temporarily difficult by a natural or manmade disaster. So, freedom of migration on the Earth is the first step to enabling the justice and equality of life among mankind. So, the abolition of borders which bar the migration of people is an indispensable part of the Islamic order. And for realizing this, the existence of the single Khalifah is necessary to prevent the discriminatory “territorial nation-state” system, which is nothing but the cartel of the rulers of each country in the world, who mutually agree to divide the world for the purpose of protecting their own vested interests.
John Rawls (d.2002) argued that the unfairness is the situation, in which what rational person cannot choose living under the veil of ignorance, i.e., without knowing whether he or she is part of the poor members or the rich. Without doubt, the contemporary “territorial nation state” system is unfair, in which the small number of nations of the advanced countries enjoy the wealth while the majority of human beings are forced to live inside the under developed countries separated by borders of “territorial nation state” from the advanced countries in order that they cannot immigrate, and number of the poor who live in starvation with less than 1 US dollar per day is 960 millions, which any rational person can accept, assumed under the veil of ignorance.
Therefore, the territorial nation state system is not only contradicting Shari‘ah but also contradicting the ideal of the justice and the humanity which the West claim to advocate, thus the borders of the territorial nation states should be eliminated, in order that the earth would be liberated for all the human beings and the complete freedom of migration would be guaranteed.
Moreover, even in terms of economical development, the liberation of the earth, i.e., permission of the free migration is the best way. The Newsweek writes, ; Pretty much every expert agrees that creating a guest-worker program in the rich world would be one of the best ways to fight poverty and boost global incomes. The economic effects of migration are “profound,” says Dilip Ratha, an economist at the World Bank. “Even a small increase in migration can produce significant welfare gains, and those welfare gains can be much larger than complete trade liberalization.”
In fact, the establishment of Khilafah and Dar al-Islam means liberation of the earth for free migration of the whole human beings through the elimination of the unfair rulers who enclose their exploited subjects by the border of their territory. It should be started from so-called “Muslim countries”, then expanded to all over the world.
The “humanitarian intervention” is defined as “Entry into a country of the armed forces of another country or international organization with the aim of protecting citizens from persecution or the violation of their human rights.” (The Concise Oxford Dictionary of Politics: http://www.highbeam.com/doc/1O86-humanitarianintervention.html)
Now the similarity between Jihad and humanitarian intervention has become obvious, because Jihad is an entry of Khilafah’s army into another country in Dar al-Harb(House of War, i.e., Infidels land) to liberate people from the violation of the human rights by the unfair rulers who enclose their exploited subjects inside the border of their territory to exploit their wealth under the name of tax collection and impose the enforced labor and the conscription.
We can call Jihad a kind of “humanitarian intervention” because it is a military invasion to another country to liberating its citizen from the violation of human right and to establish the rule of law to guarantee the security of religion, life, reason, family line and property for all the citizens regardless of their race, ethnicity, religion, language, and nation.
However, in spite of many similarities, we should notice that there is negligible difference, i.e., this kind of Jihad is waged only by Khilafah, and consequently any war waged by any “territorial nation state” is not categorically Jihad, because all the countries which are integrated into the “territorial nation state” system in their totality are nothing but Dar al-Harb. As for self-defensive Jihad, we will discuss about it in the next chapter.
Islamic law prescribes that Jihad is obligatory, based on Qur’anic verses; “Warfare is ordained for you, though it is hateful unto you; but it may happen that ye hate a thing which is good for you, and it may happen that ye love a thing which is bad for you. Allah knoweth, ye know not.” (2:216), “Let those fight in the way of Allah who sell the life of this world for the other. Whoso fighteth in the way of Allah, be he slain or be he victorious, on him We shall bestow a vast reward.”(4:74), and so on. But it is not a individual obligation(Fard ‘Ain) but a collective obligation(Fard Kifayah) , which if some Muslims perform the others are exempted from.(al-Mausu ‘ah al-Fiqhiyyah, vol.16, p.57)Therefore those Muslims who don’t participated in Jihad are not punished though the Jihad fighters are promised to be rewarded more. Allah says; “Those of the believers who sit still, other than those who have a (disabling) hurt, are not on an equality with those who strive in the way of Allah with their wealth and lives. Allah hath conferred on those who strive with their wealth and lives a rank above the sedentary. Unto each Allah hath promised good, but He hath bestowed on those who strive a great reward above the sedentary.”(4:95)
Muslims are ordered to fight Jihad to establish “the rule of law” until relieve all the human beings from the oppression of the unfair rulers, even if their own lives are at risk, as said in Qur’an; “Let those fight in the way of Allah who sell the life of this world for the other.” But this obligation is not unconditional but on the condition that Muslims are not outnumbered overwhelmingly. Allah says in Qur’an, “O Prophet! Exhort the believers to fight. If there be of you twenty steadfast they shall overcome two hundred, and if there be of you a hundred (steadfast) they shall overcome a thousand of those who disbelieve, because they (the disbelievers) are a folk without intelligence. Now hath Allah lightened your burden, for He knoweth that there is weakness in you. So if there be of you a steadfast hundred they shall overcome two hundred, and if there be of you a thousand (steadfast) they shall overcome two thousand by permission of Allah. Allah is with the steadfast.”(8:65-66)
Therefore it is concluded that Jihad is considered as a kind of “humanitarian intervention” and consequently “humanitarian intervention” is not only permissible but also obligatory. And theoretically Jihad should be waged against all the countries in Dar al-Harb in which “the rule of men” is dominant in place of “the rule of law” and all the regimes of the contemporary “territorial nation state” system like democracy, monarchy, communism, and so on, are “the rule of men” and “all the rule of men” is categorically unfair in Islamic perspective.
However, we should re-emphasize two points. The first is that this Islamic Jihad of “humanitarian intervention-like nature” can be waged only by Khalifah, thus there can be no Jihad of this kind in the contemporary world. In fact, all the so-called “Islamic countries” are not in charge of waging Jihad, rather they are all to be fought until they are melted into Khilafah. The second is that the obligation of this “humanitarian interbention” of Jihad is restricted by the condition that Muslims are not far weaker than Non-Muslims, and Muslims are by far the more weaker than Non-Muslims not only militarily, but also politically, economically and scientifically, thus Jihad hardly seems to happen due to this weakness of Muslims.
5. Rescue of the Oppressed Muslims
In the last chapter, we have explained Jihad for sake of establishing Khilafah, “the rule of law”, as “humanitarian intervention”. But there is another type of Jihad, which is nearer to the “humanitarian intervention” in the Western sense.
As we have mentioned, Jihad is a collective obligation(Fard ‘Ain) but it becomes an individual obligation in three cases; (1) when Muslims’ army meets Non-Muslim enemy’ army, (2) when the one is called by Khalifah for Jihad, (3) Non-Muslim enemy’s army invades a Muslims’ land. So if the Non-Muslims’ enemy invades Muslims’s land, its Muslim inhabitants should fight Jihad without waiting for the permission of Khalifah.
This type of Jihad can be called defensive Jihad, which is very important topic of Islamic politics. But this paper is not a place to discuss it in details.
Topic of this chapter is the case of Muslim inhabitants’ being persecuted in their homeland of Dar al-Harb. Allah says in Qur’an; “How should ye not fight for the cause of Allah and of the feeble among men and of the women and the children who are crying: Our Lord! Bring us forth from out this town of which the people are oppressors! Oh, give us from thy presence some protecting friend! Oh, give us from Thy presence some defender!”(4:75)
This Qur’anic verse is related to Muslims of Makkah who could not immigrate to Madinah with the Prophet Muhammad and was persecuted by polytheists of Quraish tribe. Al-Fakhr al-Razi(d.1209) says that this verse shows that Jihad is obligatory(in this case). (Tafsir al-Fakhr al-Razi, Beirut, n.d., vol.9, p.187) al-Qurtubi(d.1272) says; “this verse urged Jihad. It implies rescue of the oppressed people from the hands of the polytheist infidels who persecuted them severely and seduced them from the religion(Islam). Allah imposed Jihad for sake of exaltation of His word, propagate His religion and the oppressed believers of His servants, even if it might cause the loss of the lives.” (al-Qurtubi, al-Jami‘ li-Ahkam al-Qur’an, n.p., n.d., vol.5, p.279)
So Islamic law prescribes Jihad of “humanitarian intervention” to relieve the persecuted Muslims, in case they ask Khilafah for rescue, even if it would cost the lives of Khilafah’s army. Contrary to the general theory of Jihad of “humanitarian intervention” for establishing “the rule of law” which we explained in the last chapter, this type of Jihad of “humanitarian intervention” is specific, because it is limited to the rescue of the oppressed Muslims if they request for help.
But this verse should be interpreted with verse 97-98. “Lo! as for those whom the angels take (in death) while they wrong themselves, (the angels) will ask: In what were ye engaged ? They will say: We were oppressed in the land. (The angels) will say: Was not Allah’s earth spacious that ye could have migrated therein ? As for such, their habitation will be hell, an evil journey’s end, except the feeble among men, and the women, and the children, who are unable to devise a plan and are not shown a way.” (4:97-98) According to al-Qurtbi’s commentary, this verse shows that Muslims living in Makka, i.e., Dar al-Harb, after Hijrah(immigration) of the Prophet Muhammad should have immigrated to Madinah, Dar al-Islam, except those who were not able to immigrate to Madinah.
Therefore the obligation of Jihad of “humanitarian intervention” for rescue of the persecuted Muslims living in Dar al-Harb is limited to the persecuted Muslims who are so physically or economically or socially or politically week that they are not able to immigrate to Dar al-Islam, because the oppressed Muslims living in Dar al-Harb who are able to immigrate to Dar al-Islam, should immigrate to Dar al-Islam in place of asking rescue.
As mentioned before, in Islamic law the term “Jihad” is used only for the war against Non-Muslim for sake of Allah. But Islamic law has another category of war which is related to “humanitarian intervention”. That is the war against the revolt(Baghy). Islamic law prescribes rules of the war against the revolt based on the Qur’anic verse; “And if two parties of believers fall to fighting, then make peace between them. And if one party of them doeth wrong to the other, fight ye that which doeth wrong till it return unto the ordinance of Allah; then, if it return, make peace between them justly, and act equitably. Lo! Allah loveth the equitable.”(49:9)
“Revels(Bughat)” is defined as “Those Muslims deviating from the obedience to Khalifah with their interpretation of Islam who own the military force.” (al-Muwsu‘ah al-Fiqhiyyah, vol.8, p.52)
It is worth mentioning that this kind of revolt with interpretation of Islam(Baghy)
itself is not considered as a crime to be punished, even if the war(Qital) is required to subdue it. al-Fakhr al-Razi clearly says, “the war is not punishment on the revel”(Tafsir al-Fakhr al-Razi, vol.129). And even if the revels kill the soldiers of Khalifah and destroy the properties, there is neither punishment nor compensation imposed to the revels after the war.
In difference to the West which call the insurgents “terrorist” to demonize them and reject the negotiation with them categorically, Islamic law demands Khalifah to negotiate with them at first, because Allah orders reconciliation saying; “make peace between them”. Here we cite the word of Encyclopedia of Islamic law; “Khalifah should call the revels for return to the society and the obedience to him hoping the response and acceptance of his call as if the evils would be avoided, because their repentance is able to be anticipated. As well as he should ask them the reason of their revolt, if there is injustice in his side he should remove it, if they mention the reason which is possible to solve he should resolve, if they complained heresy he should clarify their doubt. Because Allah ordered reconciliation before waging war saying; “And if two parties of believers fall to fighting, then make peace between them.”
Khilafah is not a centralized “territorial nation state”, government of which monopolizes military force and local people enjoy independence and autonomy under Islamic law. The above mentioned Qur’anic verse literally talking about the case that two parties are fighting, one of which is persecuting the other unjustly. In this case, Khalifah should try to reconciliation these two parties by peaceful means first, and if they does not work well, then he should make “humanitarian intervention” to fight the unjust party until the injustice is removed. But afterward Islamic jurisprudence deduces from this verse the concept of the revolt(Baghy) in which Khalifah is the head of two fighting parties.
Though Khalifah’s party is named “people of the truth(Ahl al-Haqq)”, it is assumed as the matter of fact that injustice can occur from Khalifah’s party, as is mentioned in Encyclopedia of Islamic law; “if there is injustice in his(i.e., Khalifah’s) side he should remove it”, and in this case, the injustice of Khalifah’s party should be removed and no punishment is imposed on the rebels.
It seems to mean implicitly that if there happened injustice from Khilafah’s government in some country inside Dar al-Islam, Muslim power can rise in revolt of “humanitarian intervention” with military force to defend its people and remove the injustice. Maybe we can say this is a kind of “the right of resistance” expressed in Islamic manner and is related to the topic of “humanitarian intervention”, because the “humanitarian intervention” is always closely involved with political issue of injustice and right of resistance.
In terminology of Islamic law, there is no such controversial word as “terrorist” which is used not only for justifying the vested interest of the Establishment but also for concealing the existence of its injustice. Realistic approach of Islamic law which deals with revolt and resistance “neutrally” and gives preference to negotiation with the insurgent seems more suitable for the peace building.
Jihad for rescue of Muslims oppressed in Dar al-Harb and rescue by revolt (Baghy) for Muslims oppressed by Khilafah’s government are only related to Muslims, and in the sense that it lacks generality, it is a little bit difficult to call them “humanitarian intervention” but they have many commonalities with Western notion of “humanitarian intervention”.
6. Conclusion
In Islamic worldview, the world is classified into Dar al-Islam(House of Islam) and Dar al-Harb(House of War). And the polity of this Dar al-Islam is Khilafah, which is nothing but “the rule of law”. Khilafah is the general leadership for all the Ummah (Musulim community), thus undividable. Khilafah is only the sole legitimate political regime of Islam.
Jihad is the war against Non-Muslim for sake of Allah(fi sabil Allah), which has some sub-categories. Defensive Jihad is in case of Non-Muslim enemy’s invasion into Dar al-Islam and become obligatory for Muslim inhabitants of the land invaded. It does not need the permission from Khalifah. As for Jihad to spread Khilafah, the rule of law to all over the world to transform it to Dar al-Islam, law-governed space, it is collective obligation and decision of Jihad is the prerogative of Khalifah.
Rules of Jihad in Islamic law shows that war of Jihad against Non-Muslim is permitted only after their denial of payment of Jizya-tax, ie, the rule of law of Islam, not after denial of Islamic faith. The aim of Jihad war is “for sake of Allah(fi sabil Allah), but it does not means for sake of forcing Islamic faith but means for sake of spreading the rule of law of Islam. In other word, Jihad is a kind of “humanitarian intervention”, because it is a entry of Khilafah’s army into another country of Dar al-Harb in order to remove the violation of human rights from its inhabitant and restore the rule of law.
The Prophet Muhammad is sent not only for specific nations but for human being in totality as Allah says to him; “And We have not sent you but as mercy for all the worlds.” (21:107), and the Divine Law revealed to him, Shari’ah, is universal and valid until the Day of Judgment. And Ummah(Muslim community) is in its essence missionary community to establish this universal law to all over the world as Allah says; “Let there be one community of you calling to good, and enjoining decency, and forbidding indecency; those are the successful.”(3:104) and “You are the best community brought forth to men, enjoining decency, and forbidding indecency, and believing in God…”(3:110)
Therefore from Islamic point of view, all the “rules of men” on the earth are injustice, and consequently should be replaced by the rule of law of Shari’ah、Islamic Divine Law. Especially the contemporary Western “territorial nation state system” is categorically unjust because it differentiates nations and separates them by national-borders and contains them into their respective countries, i.e., it violates basic human rights like equality and freedom of migration.
Not only Islam accept “humanitarian intervention”, but Islamic Jihad is a kind of “humanitarian intervention”. But this “Islamic humanitarian intervention” is not possible except under Khilafah, which is nothing but the rule of law, the true universal Divine Law of Shari‘ah. Any “territorial nation state” in the former Dar al-Islam is not an actor which is in charge of perform “Islamic humanitarian intervention” of Jihad, but the obstacle to prevent establishing Khilafah.
Therefore it is necessary to abolish all the “territorial nation states” in ex-Dar al-Islam for establishing Khilafah in order to perform “humanitarian intervention” and liberate human beings and the earth from the prison of “territorial nation state system” under “the rule of men”
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Reference
Hassan Ko Nakata, The Mission of Islam in the Contemporary World – Aiming for the Liberation of the Earth through Reestablishment of the Caliphate, 2009/4, Kuala Lumpur,
Saba Islamic Media, 71p.
Hassan Ko Nakata, “The Deconstruction of Sunnite Theory of Caliphate: Spreading the Rule of Law on the Earth”, JISMOR, 2011, pp. 67-86.
“Asian Perspectives on Humanitarian Intervention in the 21st Century”
Kyoto 28-29 June 2011
“Humanitarian Intervention from Sunnite Islamic Perspective”
Dr. Hassan Ko Nakata (Doshisha University)
1. Introduction
In this presentation, we argue that
(1) Jihad in Islam as its totality is to be interpreted as “a sort of humanitarian intervention”, and
(2) Islam has also the more articulated teaching about the humanitarian intervention in case of violation of “human rights” of the oppressed Muslims.
But before that, we should explain the outline of Islamic world view to clarify that Islamic idea of “humanitarian intervention” is never to be realized in the frame work of “territorial nation state system” because it contradicts Islamic worldview as well as “humanity”.
The sole legitimate Islamic political system is Khilafah, the caliphate, which is intrinsically the global governance. It cannot be realized in “territorial nation state system” in spite that it can co-exist with “territorial nation state system”, because Islamic world view is dichotomy of Dar al-Islam(House of Islam) / Dar al-Harb(House of War), namely, Dar al-Islam(whose political system is Khilafah) is conceived to be forced to coexist with Dar al-Harb according to rules of Siyar, Islamic international law, and the world of the “territorial nation state system” is regarded as this Dar al-Harb(House of War).
In these days, most of the discourse talking about Islam in “public spheres” are systematically distorted under the pressure of the “global” ruling class or Establishment supporting “territorial nation state system” who are oppressing “the true Islamic political discourse” of Khilafah by banning its publications, rejecting its advocators’access to the offices of the government and the mass media, arresting them and killing them. That is why we hardly have heard about Khilafah, especially in terminology of social sciences, consequently have no understanding\of its real meaning and actual implications in the contemporary world.
Therefore we should explain about Khilafah before entering our main topic.
2. Meaning of Khilafah
In Islamic law, Khilafah is synonymous with Imamah Kubra, and defined as “the supreme leadership in the religion and this world by the succession of the Prophet Muhammad”.
Establishment of Khilafah, Caliphate, is the consensus of all the scholars of Islam, Ulama’, from the disciples of the Prophet Muhammad up to now. Even the most voluminous contemporary encyclopedia of Islamic law officially endorsed by Kuwait and Saudi Arabia declares that Ummah(Islamic community) anonymously agreed upon the obligation of establishment of Imamah(Caliphate) by the consensus of Sahabah wa-Tabi‘un(Prophetic disciples and their followers) .
Although in Islamic law, Khalifah is abbreviation of Khalifah Rasul Allah, i.e., the successor of the Apostle of Allah, not Khalifah Allah, the vicegerent of Allah on the earth, but the connotation of the vicegerent of Allah on the Earth has never been forgotten. al-Qurtubi says in his famous Qur’anic commentary “This verse (“And when thy Lord said unto the angels: Lo! I am about to place a viceroy in the earth…Q:2:30) is the base for the appointment of Imam or Khalifah who is listened to and obeyed in order that the opinion would be agreed and rules of the people be carried on.” (al-Qurtbi, al-Jami‘ li-Ahkam al-Qur’an, n.p., n.d., vol.1, p.264)
Khalifah is the vicegerent of Allah on the earth, thus the globalism and universalism is essential for Islamic politics, because Allah is not the Lord of any certain country but the Lord of the earth, thus Tawhid (uniqueness of Allah) requires the acceptance of oneness of the lordship of Allah on the earth as well as denial of the lordship for any other creatures on any places on it. And the place on which the unique lordship of Allah is realized, namely the Shari‘ah or the Divine Law of Allah alone is enacted and implemented to rule the people, is called Dar al-Islam. And the uniqueness of Khalifah symbolizes the unity and integrity of Dar al-Islam.
Khalifah must also be one person and two or more Khalifahs (Khulafa’ )’ coexistence is severely forbidden. The Prophet Muhammad ordered loyalty to single Khalifah in one age in order of accession to the throne, saying,; “although there is no prophet after me any longer, Khulafa’ (successors) will appear and their number will quite a large. Give loyalty in order one by one, and follow the authority which Allah vested in them.” (Hadith: Muslim), and he did not only rejected the legitimacy of the second and following Khalifahs but ordered decisively execution of them, saying,; “When the pledge of allegiance is given to two Khalifas, kill the second one.”
(Hadith: Muslim)
When the Prophet Muhammad passed away, many tribes of Arabia refused to give Zakah to Madinah, the capital of the Khalifah Abu Bakr. At this time, the Khalifah Abu Bakr subjugated them in spite that they confessed “there is no god but Allah and Muhammad is the apostle of Allah” and performed the prayer (Salah). This battle is called “apostasy (Riddah)” war. This decision of the Abu Bakr shows that the supremacy of the headship, Khilafah, and the unity of the Ummah(Muslim community) are fatally important for Islam.
The earth is one and indivisible, and consequently, the Khalifah as the vicegerent of Allah on the earth should be one and indivisible, as the lordship of Allah for the earth is one and indivisible, there is no god but Allah.
Islamic law prescribes the uniqueness of Khalifah and strictly forbids its plurality, because the Islamic order includes security of the freedom of immigration. An angel says in Qur’an; “But was not God’s earth spacious that you might have emigrated therein. (4:97), and Ibn ‘Abbas in his Qur’anic commentary Tanwir al-Miqbas, explains this verse; “…My earth is spacious…” as “the land of al-Madinah is safe, so immigrate to it.” (Ibn ‘Abbas, Tanwir al-Miqbas, 1992, Lebanon, p.102) Namely, al-Madinah, Dar al-Islam should be the place to which all the Muslims can immigrate. The oneness of the Khalifah symbolizes the oneness of the Islamic order, and the Islamic order secures the free movement of human beings and commodities within its territory, Dar al-Islam.
The earth belongs to nobody, but solely to Allah. Therefore, contrary to the ideology of the “territorial nation state” of modern Western Europe, Islam neither allows anyone to cut it into parts and restrict immigration in it, nor allow human beings to be divided into separate nations. This is because Allah created human beings as various ethnic groups so that they could know each other, as Allah says; “We have indeed created you from a male and a female, and made you nations and tribes that you may come to know one another.” (49:13), and the freedom of the immigration is the precondition for mutual-understanding. And Allah orders us to travel in the earth to learn the history of nature and the history of human beings by saying,; “... Travel in the land and observe how He originated creation.” (29:20), “...so travel in the land and behold how
was the end of those who denied.” (3:137, 6:11, 16:36). The liberation of the earth by the abolition of the borders and the unity of the Islamic order are essential conditions for the Islamic mission.
In order to understand the true implication of Islamic globalism, we should reconsider the conception of nationalism in the light of Islam. Nationalism is a form of neo-tribalism born in Western Europe in the second half of the 18th century. The Prophet Muhammad said; “Those who were killed under the flag of delusion which appeals for or support tribalism(‘Asabiyyah) died the death of the Jahiliyyah(pre-Islamic ignorance)” (Hadith: Muslim) and said, “Those who appealed for tribalism are not our fellows. And those who fought for tribalism are not our fellows. And those who died for tribalism are not our fellows.” (Being asked “What is tribalism?”) He answered; “It is supporting your tribe in injustice.” (Hadith: Abu Dawud) Tribalism was of the normal way of life for the Arabs of the Jahiliyyah (pre-Islamic ignorance), and the good tidings for all mankind was the advent of Islamic justice. Now the conquest of this
"neotribalism" has become the major objective of the Islamic mission.
The Western scholars always criticize the Khilafah system as a form of dictatorship because of the lifetime tenure of Khalifah or as a kind of theocracy because Khalifah is the successor of the Holy Prophet.
But it is almost self-evident for Sunnite Muslims that Khilafah is neither dictatorship nor theocracy, because the Sunnite scholarship define Khalifah as the layman elected by the people contrary to the Shiite Imam the divinely nominated infallible saint.
The Prophet Muhammad’s government was based on “unity of Religion and Politics”, thus “religious.” As already stated, the Prophet Muhammad was governing based on Allah’ revelation. That is, a political decision of the outbreak of war etc. was also made based on Divine Will. And much of revelation had taken the form of the individual command responding to each situation, a legal system had not been formed yet, a political system and legal system were still undifferentiated. That is, the Prophet Muhammad’s government is “religious”, in the meaning that it was based on
the transcendental authority of the divine will of a revelation of Allah to which common believers has no access except through him, and is based on the “unity of Politics and Religion” in the meaning that both of the law and the politics were based on his transcendental authority in the undifferentiated form because the legal system and the political system was still undifferentiated.
The Prophet Muhammad’s government was typical “hierocracy” or “theocracy” in terminology of Western political sciences in the meaning that the religious person who represents divine will governs, and we can call Shiite Imamah also “hierocracy” or “theocracy”, because Shiite Imam is also divinely nominated by Allah and infallibly guided by Allah, namely, he alone has the access to Allah, consequently has absolute authority over all the Shiite Muslims. However, according to the Sunnite creed , the revelation ceased since the death of the Prophet Muhammad, and the Khalifah has no special access to the Divine Will. Thus there was no transcendental element in the Khalifah’s political determination, it was carried out through the realistic worldly calculation.
The inaugural speech of the first Sunnite Khalifah Abu Bakr, ; “as long as I follow Allah and His Apostle, follow me. Supposing I disobey Allah and His Apostle, it is not obligatory for you to follow me.” (narated by al-Tabari), shows clearly that the Sunnite Khalifah, the successor of the Apostle, was homogeneous as the fallible Apostolic deputy officials under the reign of the Apostle who obeyed the Divine commandments embodied in Qur’an and Sunnah. Namely, Khilafah is“the rule of law” contrary to Imamah which is “the rule of men”, for the Divine Will is known through Shari‘ah, Divine Law, according to Sunni thinking, while it is known only through the divinely appointed infallible Imam according to the Shiite Imamology.
In addition to the fact that the Sunnite Khilafah is based on the theory of election by people (Ikhtiyar) opposing to the theory of the Divine nomination(Nass) in the Shiite Imamology, consultation with people(Shura) for Khalifah or the Ruler is strongly required. Some scholars say that Shura is obligatory while the others say that it is recommended, for Allah says in Qur’an; “{… So pardon the and ask forgiveness for them and consult with them upon the conduct of the affairs…”(3:159) and “And those who answer the call of their Lord and establish worship, and whose affairs are a matter of counsel, and who spend of what We have bestowed on them”(42:38),
As for the Shiite theory, Imam is the divinely appointed infallible successor of the Apostle of Allah Muhammad. On the other hand, Sunni Khalifah is neither divinely appointed nor infallible. Thus Khilafah is neither theocracy nor dictatorship, but nomocracy or “the rule of law”.
3. Khilafah as “the Rule of Law”
As we told, Islamic politics is nomocracy or “rule of Law”. Here we clarify the meaning of “rule of law” in our usage of it.
H. L. A. Hart (d.1992), one of the most influential legal philosopher of the 20th century, pointed out in his book “The Concept of Law” that the ad hoc orders of the rulers cannot be called law, criticizing John Austin’s (d.1819) famous legal positivist theory that “law is the command of the sovereign backed by the threat of punishment”. The law is different from the commands of the sovereign. We should differentiate the law from the commands of “the sovereign” which are legislated by the parliament.
According to Gustav Radbruch (d.1919), famous German legal philosopher, the law has 3 mutually contradicting elements, Gleichheit (justice), Zweckmäßigkeit (purposiveness or effectiveness) and Rechtssicherheit (legal certainty), but the most fundamental is the legal certainty. The legal certainty means stability and predictability. The law should be unchanging and continuous to some ranges of time as well as understandable and well known to people.
We can duly call the Islamic law, Ahkam al-Fiqh, “the very Law”. As for the stability, the Islamic law system started to be formed around in 8–9 century and had been established around in 12/13 century and has little change since then. It remains almost unchanging as well as valid, in spite that the rulers of the Western-made “territorial nation states” in the former Dar al-Islam have no longer enforced Islamic law. Why?
The Islamic law is said to be a typical jurist’s law beside Roman law. Actually, while Roman law became law after its authorization by the Emperor and he is above the law, formation of the Islamic law had been independent from Khalifah’s authorization, rather the jurists, Fuqaha’ had rejected any interference from Khalifah in its formation, needless to say that they had rejected admitting that Khalifah is above it.
Therefore Islamic law is still valid for all the Muslims, in spite that the rulers of the Western-made “territorial nation states” in the former Dar al-Islam have no longer enforced Islamic law, because the ruler has nothing to do with the formation of Islamic law, and consequently its validity is not depending on their enforcement. We are eye-witnessing hundreds of millions Muslims are observing Islamic law voluntarily without being forced by governments, rather even under the severe oppressions and persecutions from their own governments.
As for the legal certainty as the predictability, Muslims are familiar with Islamic law, both substantial rules, Ahkam Taklifiyyah, and legal concepts, Ahkam Wad‘iyyah, because the learning of Islamic law is obligatory on every Muslim. So it is not unusual that ordinary Muslim children learn classical texts books of Islamic law even in elementary school or junior high school.
Islamic law is considerably stable, for it has been almost unchanging nearly one thousand years and same in its contents from Indonesia to Morocco, rather even in US and Europe now.
If you compare Islamic law with Western laws, you would find that the Western laws are not worthy of the name of “law” but commands of the sovereigns which are just expressions of their ever-changing whims. It is same with even the “human rights” of Western laws. Despite that they are claimed to be eternal and universal, they are in fact nothing but the products of the certain age and certain place, namely, they are invented in West Europe in 17 century, and their contents are changing even during this short period. So they are neither “eternal” nor “universal” at all, rather they have still very limited numbers of followers among people in the world in spite of the effort of the Western countries for spreading their ideas among non-Western nations. As for international law, their knowledge are monopolized by the narrow circle of people in the Establishment of “territorial nation state system” and there is no place to teach them in elementary and middle educational institutes at all.
On the other hand, Islamic law is taught from elementary school to university and millions of Muslim children all over the world are learning the basic ideas of Islamic international law, Siyar, in schools, beside Ulama’(scholars of Islamic knowledge) who specialize it.
The Islamic law is not ever-changing arbitral commands of the sovereign but the stable and well known law, because the Islamic law stems from Shari‘ah, the last revelation from Allah, which is considered to be perfect and valid until the day of the Judgments. That is why Islamic politics is nomocracy or “rule of law”. Khilafah is the political system in which the sovereign is Allah, the Legislator of Shari‘ah. The pivot of Khilafah is the law, Shari‘ah, not the person of Khalifah himself. We find the clearest expression of it in the works of the great Islamic jurist of 13-14 centuries Ibn Taimiyyah (d.1328). In his book on Islamic politics, al-Siyasah al-Shar‘iyyah, he never mentions about Khalifah. And in his treatise on the revolt, he affirmed that the true revolt which should be subdued as the apostasy is the violation of the law, Khuruj ‘an Shari‘ah, not the revolt against the ruler Khuruj ‘ala Hakim, i.e., the person of Khalifah. (Ibn Taymiyyah, Majmu‘ah al-Fatawa, vol.28, pp.468–469, pp.502–504, pp.520–521)
“The rule of men” is the essential feature of the Christian societies. Katou Takashi, a Japanese scholar of New Testament and comparative civilization, proved theologically that Western political thought is classified definitely by “the rule of men”. Kato argues, “the rule of men by man” has become the most essential characteristic of Christianity since the infant community of Jerusalem transformed from a sect to the Jerusalem
Church” and “the feature of this principle is that the human beings are divided into two types and the upper class is to control or manage the lower class.”
The comparative analyses between Western political thoughts, Islamic one, and
Chinese one brings to light the fact that the basic frame work of Western political thought is rule of the man, while Islamic one, Khilafah, is rule of law and Chinese one is rule of virtue(Dézhì徳治).
In the process of theorization of Khilafah of Sunni school, counter-argument against Shiite Imamology has crystallized the concept of “rule of the law”, the sovereignty of Shari‘ah, in contrast to concept of “rule of the man” of Shiite Imamology in which the person of the divinely nominated infallible Imam is the sole source of legitimacy of the rule and only it is what guarantees the good governance, which we can find clearly even in contemporary Shiite political thought of post-Imam Era (Ghaibah) symbolically called theory of “Wilayah al-Faqih (Guardianship of the Islamic Jurist )”
Unfortunately Western scholarship obsessed with the Aristotelian tradition of typology of ruler can neither understand the real nature of Khilafah as “the rule of law” nor esteem its significance correctly, hence they can scarcely imagine form of the rule other than “rule of the man”, i.e., rule of the single person, monarchy or dictatorship, rule of the minority, aristocracy or oligarchy, and rule of the majority or democracy.
The idea of rule of the law only appeared quite recently in 17 century in England, and even this new borne concept of law has soon degenerated into “rule by the law” in Chinese sense(Fǎzhì法治), or Rechtshtaat, or “rule of the commandments of the rulers” in our terminology. We can only find trace of concept of rule of the law in Western political thought in the concept of “human rights” as supplement to “the rule of men” of the democracy to complement its defects and to neutralize its evils.
Nowadays there is no country where the true “rule of law” exists, even though there might be a Rechtsstaat in which “men” rule “by law”. It is worth mentioning that in Islam even the taxation is under “the rule of law”, not “the rule of men”, contrary to the West in which the taxation is under “the rule of men” justified by the slogan “No taxation without representation”, hence “the representatives” can impose taxes as they like under the name of “people”. On the other hand, Islam does not approve of any tax except what is legislated by Shari‘ah, i.e., Zakah for Muslims, Jizyah for NonMuslims, and Kharaj for the utility of the lands conquered. Any other taxes imposed by human beings are strictly prohibited. Ibn Taimiyyah(d.1328) says; ‘Levying taxes
are what is not permitted by the agreement of legal schools’.(Ibn Taimiyyah, Majmu‘ah al-Fatawa, al-Mansurah, 2001, vol.28, p.155) Another great jurist of the Hanafi legal school, al-Jassas (d.981) is so severe that he says that every Muslim should fight against those who levy taxes (Al-Jasas, Akam al-Qur‘an, 1986, Beirut, vol.1, p.472), and he should even kill them if they are armed. Consequently, any tariff is not allowed in Dar al-Islam, in which the rule of law is prevalent, because Dar al-Islam is a unified law-governed space, thus it is not permitted to make borders in it to prevent the free movement of people, commodities, and money or capitals by imposing man-made tariffs or any other kind of taxes or fees.
Contrary to “democracy”, in Islam the economy including taxation and currency is under “the rule of law”, not “the rule of men”, so abrogation of borders and tariffs inside Dar al-Islam and monetary system of Gold Dinar and Silver Dirham, as clause 130 of Al-Majallah, a civil code of the Ottoman Khilafah, prescribes that “the Nuqud (species) are gold and silver”, is an important and integral part of Khilafah or the Rule of Law.
Khilafah is “the rule of law” and “the law-governed space” in which Khalifah, the head of the Ummah, rules according to Islamic law and the security of life, property, and honor for all the inhabitants is called Dar al-Islam(House of Islam). To expand “the rule of law”, Khilafah, and the law-governed space, Dar al-Islam, by Jihad to liberates all the human beings and the earth from “the rule of men” is the mission of Islam.
In the next chapter, we try to explain about Jihad for expansion of Khilafah in the frame work of “humanitarian intervention”.
4. Jihad as a Humanitarian Intervention
In Islamic law, “Jihad” is defined as “ a war of a Muslim for sake of exaltation of the Word of Allah against an infidel with whom the treaty has not been concluded after inviting him to Islam and his rejection of it”.(al-Mawsu‘ah al-Fiqhiyyah, vol.26, p.63) “Jihad” is the Islamic war against non-Muslims on some conditions. We will clarify its true meaning by explaining its conditions in details.
Waging Jihad is permitted only after inviting non-Muslims to Islam. This invitation is the charge of Khalifah. Khalifah should send his official invitation for Islam to all the nations before waging Jihad. But what is the meaning of “inviting non-Muslims to Islam”? Does it mean demanding them faith in Islam?
A lot of contemporary Muslim apologists are trying to show that Islam denies the use of force except for self-defense, reacting to the slander against Islam from the West like “Koran in the right hand, left hand sword ”. The refutation is justifiable, if it means that Islam forces nobody to convert to Islam by compulsion. However, if it means that Islam does not accept the use of military force to realize its cause at all, it contradicts clearly the Shari‘ah’s teaching as well as the historical facts. Islam rejects forcing conversion to Islam by means of threat by physical violence but does not reject the use of military power in order to realize its cause and spread its governance to all over the world, rather Islam consider the fight for the sake of spread its governance as its obligatory mission.
Islam advocates love and peace and is not fond of unnecessary violence. However, Islam is not unconditional absolute pacifism. Rather, Islam teaches that the believers should practice commanding good deeds and prohibiting evil (Amr bi-Ma‘ruf wa-Nahy ‘an Munkar) according to their power, respectively. The ruler, as the holder of the greatest power, is especially burdened with the obligation to uphold the “statutory penalties (Hudud)” and to wage Jihad, i.e., sometimes even to resort to violence for the sake of peace, security, and justice for the Islamic society.
When Makkah was conquered, and Arabian Peninsula was unified under the banner of Islam, and the revelation given to the Prophet Muhammad was completed, the Islamic mission transformed from propagation of the individual faith and ethics in Makkah term to the liberation of the earth by spreading the Islamic governance. The transformation of Islamic mission to “the liberation of the earth by spreading the Islamic governance” means that the spread of Islamic governance came to be given a priority as the aim of group behavior of the Ummah which came to have the military strength which now enables them to establish the Islamic order.
Jihad is to be put in this context. Allah says, in Qur’an; “Fight those who do not believe in God, nor in the Last Day, and who do not forbid what God and His Messenger have forbidden, nor do they practice the religion of truth, from among of those who have been given the Scripture, until they pay the Jizyah tribute, readily being subdued.”(9:29)
And al-Mugirah, a companion of the Prophet, said to the Persian army on the day of battle of Nihavand(642 ?),; the Prophet who is the Apostle of our Lord ordered “Fight until you worship only Allah or you pay the tax (Jizyah)”. (Hadith: al-Bukhahri).
On these textual bases of Qur’an and Hadith, Islamic law prescribes if only the Jizyah tax is paid, fighting is no more allowed, even though they don’t embrace Islam, but fighting becomes inescapable when tax payment is refused. That is, the purpose of the
Jihad was admission of the Islam order by tax payment, not conversion to Islam. In other words, spread the Islamic governance was the first priority which must be promoted even with military force. Muslim community started to perform their mission toward the whole world after the completion of the revelation to the Prophet Muhammad and the unification of the Arabian Peninsula under the banner of Islam. However, what was not allowed to refuse in confronting this mission and was to be forced even by military power was the payment of the Jizyah tax, not conversion to Islam, and the payment of the Jizyah tax is metonymy of the obedience to Islamic governance.
That is why we can say that the mission of Islam in its complete form is to expand this Dar al-Islam in order to spread Islamic governance to all over the world even by resort to the military force, though there is no compulsion in the religion, as is declared clearly in the famous verse in Qur’an; “Let there be no compulsion in religion”.(2:256)
After passing away of the Prophet, Ummah whose head is Khalifah has taken over this mission. Khilafah, “the rule of law” , should be spread and Dar al-Islam, Law governed space, should be expanded all over the world, even by Jihad. However, before Jihad is waged, “the formal appeal from the Islamic authority which assumes the duty to make the invitation, or Islamic call (Da‘wah), i.e., “official Islamic propagation by the Islamic authority(Khalifah)”, should be made first .
As we explained above, the legitimate Islamic regime is Khilafah, which is in fact nothing but “the rule of law”. And Islamic scholarship categorizes basic human needs(Daruriyyat) into 5 kinds, (1) religion(Din), (2)life(Nafs), (3)reason(‘Aql), (4)family line(Nasl), (5)property(Mal), and the aim of the legislation of Shari‘ah is to realize these basic human needs. So many books has been written on this Islamic five basic human needs(Daruriyyat Khams) by contemporary Muslim apologists who try to equate them with Western human rights , so here we point out only specific purposes of Khilafah contradicting Western political thoughts.
Islam never forces the faith of Islam upon anyone. However, the Islamic domain, Khilafah, and the lands under Islamic law, Dar al-Islam, should be spread to all over the world, in order that the Erath and human beings would be liberated from the unjust rulers who usurp the sovereignty of Allah.
Although Islam does not enforce the faith of Islam, Islamic order, the Islamic domain, and Dar al-Islam must be expanded to all the Earth, even by resorting to military power.
Why? Islam means total submission to Allah, i.e., obedience only to Allah’s command. In other words, Islam means denying the power of all the things that rule over people beside Allah. As for what is related only with the inner minds of human beings and what they obey according to their own judgment, such as religion in a narrow sense, we must liberate ourselves from its rule after thinking and judging by ourselves, and liberation from outside by force is impossible.
However, when external rule enforced by violence, i.e., political domination, exists, it is necessary to liberate the ruled from the ruler by counter-violence or violent confrontation. For this reason, Muslims performed the mission of establishing Islamic order with the sword to liberate people from local rulers who enclosed the people within their domain in order to exploit them by tax collection, enforced labor and conscription.
The earth belongs to nobody, but solely to Allah. Therefore, contrary to the ideology of the “territorial nation state” of modern Western Europe, Islam neither allows anyone to cut it into parts and restrict immigration in it, nor allow human beings to be divided into separate nations. This is because Allah created human beings as various
The earth differs in climate regionally, and there are also differences in its underground resources. Additionally life in a particular area may be made temporarily difficult by a natural or manmade disaster. So, freedom of migration on the Earth is the first step to enabling the justice and equality of life among mankind. So, the abolition of borders which bar the migration of people is an indispensable part of the Islamic order. And for realizing this, the existence of the single Khalifah is necessary to prevent the discriminatory “territorial nation-state” system, which is nothing but the cartel of the rulers of each country in the world, who mutually agree to divide the world for the purpose of protecting their own vested interests.
John Rawls (d.2002) argued that the unfairness is the situation, in which what rational person cannot choose living under the veil of ignorance, i.e., without knowing whether he or she is part of the poor members or the rich. Without doubt, the contemporary “territorial nation state” system is unfair, in which the small number of nations of the advanced countries enjoy the wealth while the majority of human beings are forced to live inside the under developed countries separated by borders of “territorial nation state” from the advanced countries in order that they cannot immigrate, and number of the poor who live in starvation with less than 1 US dollar per day is 960 millions, which any rational person can accept, assumed under the veil of ignorance.
Therefore, the territorial nation state system is not only contradicting Shari‘ah but also contradicting the ideal of the justice and the humanity which the West claim to advocate, thus the borders of the territorial nation states should be eliminated, in order that the earth would be liberated for all the human beings and the complete freedom of migration would be guaranteed.
Moreover, even in terms of economical development, the liberation of the earth, i.e., permission of the free migration is the best way. The Newsweek writes, ; Pretty much every expert agrees that creating a guest-worker program in the rich world would be one of the best ways to fight poverty and boost global incomes. The economic effects of migration are “profound,” says Dilip Ratha, an economist at the World Bank. “Even a small increase in migration can produce significant welfare gains, and those welfare gains can be much larger than complete trade liberalization.”
In fact, the establishment of Khilafah and Dar al-Islam means liberation of the earth for free migration of the whole human beings through the elimination of the unfair rulers who enclose their exploited subjects by the border of their territory. It should be started from so-called “Muslim countries”, then expanded to all over the world.
The “humanitarian intervention” is defined as “Entry into a country of the armed forces of another country or international organization with the aim of protecting citizens from persecution or the violation of their human rights.” (The Concise Oxford Dictionary of Politics: http://www.highbeam.com/doc/1O86-humanitarianintervention.html)
Now the similarity between Jihad and humanitarian intervention has become obvious, because Jihad is an entry of Khilafah’s army into another country in Dar al-Harb(House of War, i.e., Infidels land) to liberate people from the violation of the human rights by the unfair rulers who enclose their exploited subjects inside the border of their territory to exploit their wealth under the name of tax collection and impose the enforced labor and the conscription.
We can call Jihad a kind of “humanitarian intervention” because it is a military invasion to another country to liberating its citizen from the violation of human right and to establish the rule of law to guarantee the security of religion, life, reason, family line and property for all the citizens regardless of their race, ethnicity, religion, language, and nation.
However, in spite of many similarities, we should notice that there is negligible difference, i.e., this kind of Jihad is waged only by Khilafah, and consequently any war waged by any “territorial nation state” is not categorically Jihad, because all the countries which are integrated into the “territorial nation state” system in their totality are nothing but Dar al-Harb. As for self-defensive Jihad, we will discuss about it in the next chapter.
Islamic law prescribes that Jihad is obligatory, based on Qur’anic verses; “Warfare is ordained for you, though it is hateful unto you; but it may happen that ye hate a thing which is good for you, and it may happen that ye love a thing which is bad for you. Allah knoweth, ye know not.” (2:216), “Let those fight in the way of Allah who sell the life of this world for the other. Whoso fighteth in the way of Allah, be he slain or be he victorious, on him We shall bestow a vast reward.”(4:74), and so on. But it is not a individual obligation(Fard ‘Ain) but a collective obligation(Fard Kifayah) , which if some Muslims perform the others are exempted from.(al-Mausu ‘ah al-Fiqhiyyah, vol.16, p.57)Therefore those Muslims who don’t participated in Jihad are not punished though the Jihad fighters are promised to be rewarded more. Allah says; “Those of the believers who sit still, other than those who have a (disabling) hurt, are not on an equality with those who strive in the way of Allah with their wealth and lives. Allah hath conferred on those who strive with their wealth and lives a rank above the sedentary. Unto each Allah hath promised good, but He hath bestowed on those who strive a great reward above the sedentary.”(4:95)
Muslims are ordered to fight Jihad to establish “the rule of law” until relieve all the human beings from the oppression of the unfair rulers, even if their own lives are at risk, as said in Qur’an; “Let those fight in the way of Allah who sell the life of this world for the other.” But this obligation is not unconditional but on the condition that Muslims are not outnumbered overwhelmingly. Allah says in Qur’an, “O Prophet! Exhort the believers to fight. If there be of you twenty steadfast they shall overcome two hundred, and if there be of you a hundred (steadfast) they shall overcome a thousand of those who disbelieve, because they (the disbelievers) are a folk without intelligence. Now hath Allah lightened your burden, for He knoweth that there is weakness in you. So if there be of you a steadfast hundred they shall overcome two hundred, and if there be of you a thousand (steadfast) they shall overcome two thousand by permission of Allah. Allah is with the steadfast.”(8:65-66)
Therefore it is concluded that Jihad is considered as a kind of “humanitarian intervention” and consequently “humanitarian intervention” is not only permissible but also obligatory. And theoretically Jihad should be waged against all the countries in Dar al-Harb in which “the rule of men” is dominant in place of “the rule of law” and all the regimes of the contemporary “territorial nation state” system like democracy, monarchy, communism, and so on, are “the rule of men” and “all the rule of men” is categorically unfair in Islamic perspective.
However, we should re-emphasize two points. The first is that this Islamic Jihad of “humanitarian intervention-like nature” can be waged only by Khalifah, thus there can be no Jihad of this kind in the contemporary world. In fact, all the so-called “Islamic countries” are not in charge of waging Jihad, rather they are all to be fought until they are melted into Khilafah. The second is that the obligation of this “humanitarian interbention” of Jihad is restricted by the condition that Muslims are not far weaker than Non-Muslims, and Muslims are by far the more weaker than Non-Muslims not only militarily, but also politically, economically and scientifically, thus Jihad hardly seems to happen due to this weakness of Muslims.
5. Rescue of the Oppressed Muslims
In the last chapter, we have explained Jihad for sake of establishing Khilafah, “the rule of law”, as “humanitarian intervention”. But there is another type of Jihad, which is nearer to the “humanitarian intervention” in the Western sense.
As we have mentioned, Jihad is a collective obligation(Fard ‘Ain) but it becomes an individual obligation in three cases; (1) when Muslims’ army meets Non-Muslim enemy’ army, (2) when the one is called by Khalifah for Jihad, (3) Non-Muslim enemy’s army invades a Muslims’ land. So if the Non-Muslims’ enemy invades Muslims’s land, its Muslim inhabitants should fight Jihad without waiting for the permission of Khalifah.
This type of Jihad can be called defensive Jihad, which is very important topic of Islamic politics. But this paper is not a place to discuss it in details.
Topic of this chapter is the case of Muslim inhabitants’ being persecuted in their homeland of Dar al-Harb. Allah says in Qur’an; “How should ye not fight for the cause of Allah and of the feeble among men and of the women and the children who are crying: Our Lord! Bring us forth from out this town of which the people are oppressors! Oh, give us from thy presence some protecting friend! Oh, give us from Thy presence some defender!”(4:75)
This Qur’anic verse is related to Muslims of Makkah who could not immigrate to Madinah with the Prophet Muhammad and was persecuted by polytheists of Quraish tribe. Al-Fakhr al-Razi(d.1209) says that this verse shows that Jihad is obligatory(in this case). (Tafsir al-Fakhr al-Razi, Beirut, n.d., vol.9, p.187) al-Qurtubi(d.1272) says; “this verse urged Jihad. It implies rescue of the oppressed people from the hands of the polytheist infidels who persecuted them severely and seduced them from the religion(Islam). Allah imposed Jihad for sake of exaltation of His word, propagate His religion and the oppressed believers of His servants, even if it might cause the loss of the lives.” (al-Qurtubi, al-Jami‘ li-Ahkam al-Qur’an, n.p., n.d., vol.5, p.279)
So Islamic law prescribes Jihad of “humanitarian intervention” to relieve the persecuted Muslims, in case they ask Khilafah for rescue, even if it would cost the lives of Khilafah’s army. Contrary to the general theory of Jihad of “humanitarian intervention” for establishing “the rule of law” which we explained in the last chapter, this type of Jihad of “humanitarian intervention” is specific, because it is limited to the rescue of the oppressed Muslims if they request for help.
But this verse should be interpreted with verse 97-98. “Lo! as for those whom the angels take (in death) while they wrong themselves, (the angels) will ask: In what were ye engaged ? They will say: We were oppressed in the land. (The angels) will say: Was not Allah’s earth spacious that ye could have migrated therein ? As for such, their habitation will be hell, an evil journey’s end, except the feeble among men, and the women, and the children, who are unable to devise a plan and are not shown a way.” (4:97-98) According to al-Qurtbi’s commentary, this verse shows that Muslims living in Makka, i.e., Dar al-Harb, after Hijrah(immigration) of the Prophet Muhammad should have immigrated to Madinah, Dar al-Islam, except those who were not able to immigrate to Madinah.
Therefore the obligation of Jihad of “humanitarian intervention” for rescue of the persecuted Muslims living in Dar al-Harb is limited to the persecuted Muslims who are so physically or economically or socially or politically week that they are not able to immigrate to Dar al-Islam, because the oppressed Muslims living in Dar al-Harb who are able to immigrate to Dar al-Islam, should immigrate to Dar al-Islam in place of asking rescue.
As mentioned before, in Islamic law the term “Jihad” is used only for the war against Non-Muslim for sake of Allah. But Islamic law has another category of war which is related to “humanitarian intervention”. That is the war against the revolt(Baghy). Islamic law prescribes rules of the war against the revolt based on the Qur’anic verse; “And if two parties of believers fall to fighting, then make peace between them. And if one party of them doeth wrong to the other, fight ye that which doeth wrong till it return unto the ordinance of Allah; then, if it return, make peace between them justly, and act equitably. Lo! Allah loveth the equitable.”(49:9)
“Revels(Bughat)” is defined as “Those Muslims deviating from the obedience to Khalifah with their interpretation of Islam who own the military force.” (al-Muwsu‘ah al-Fiqhiyyah, vol.8, p.52)
It is worth mentioning that this kind of revolt with interpretation of Islam(Baghy)
itself is not considered as a crime to be punished, even if the war(Qital) is required to subdue it. al-Fakhr al-Razi clearly says, “the war is not punishment on the revel”(Tafsir al-Fakhr al-Razi, vol.129). And even if the revels kill the soldiers of Khalifah and destroy the properties, there is neither punishment nor compensation imposed to the revels after the war.
In difference to the West which call the insurgents “terrorist” to demonize them and reject the negotiation with them categorically, Islamic law demands Khalifah to negotiate with them at first, because Allah orders reconciliation saying; “make peace between them”. Here we cite the word of Encyclopedia of Islamic law; “Khalifah should call the revels for return to the society and the obedience to him hoping the response and acceptance of his call as if the evils would be avoided, because their repentance is able to be anticipated. As well as he should ask them the reason of their revolt, if there is injustice in his side he should remove it, if they mention the reason which is possible to solve he should resolve, if they complained heresy he should clarify their doubt. Because Allah ordered reconciliation before waging war saying; “And if two parties of believers fall to fighting, then make peace between them.”
Khilafah is not a centralized “territorial nation state”, government of which monopolizes military force and local people enjoy independence and autonomy under Islamic law. The above mentioned Qur’anic verse literally talking about the case that two parties are fighting, one of which is persecuting the other unjustly. In this case, Khalifah should try to reconciliation these two parties by peaceful means first, and if they does not work well, then he should make “humanitarian intervention” to fight the unjust party until the injustice is removed. But afterward Islamic jurisprudence deduces from this verse the concept of the revolt(Baghy) in which Khalifah is the head of two fighting parties.
Though Khalifah’s party is named “people of the truth(Ahl al-Haqq)”, it is assumed as the matter of fact that injustice can occur from Khalifah’s party, as is mentioned in Encyclopedia of Islamic law; “if there is injustice in his(i.e., Khalifah’s) side he should remove it”, and in this case, the injustice of Khalifah’s party should be removed and no punishment is imposed on the rebels.
It seems to mean implicitly that if there happened injustice from Khilafah’s government in some country inside Dar al-Islam, Muslim power can rise in revolt of “humanitarian intervention” with military force to defend its people and remove the injustice. Maybe we can say this is a kind of “the right of resistance” expressed in Islamic manner and is related to the topic of “humanitarian intervention”, because the “humanitarian intervention” is always closely involved with political issue of injustice and right of resistance.
In terminology of Islamic law, there is no such controversial word as “terrorist” which is used not only for justifying the vested interest of the Establishment but also for concealing the existence of its injustice. Realistic approach of Islamic law which deals with revolt and resistance “neutrally” and gives preference to negotiation with the insurgent seems more suitable for the peace building.
Jihad for rescue of Muslims oppressed in Dar al-Harb and rescue by revolt (Baghy) for Muslims oppressed by Khilafah’s government are only related to Muslims, and in the sense that it lacks generality, it is a little bit difficult to call them “humanitarian intervention” but they have many commonalities with Western notion of “humanitarian intervention”.
6. Conclusion
In Islamic worldview, the world is classified into Dar al-Islam(House of Islam) and Dar al-Harb(House of War). And the polity of this Dar al-Islam is Khilafah, which is nothing but “the rule of law”. Khilafah is the general leadership for all the Ummah (Musulim community), thus undividable. Khilafah is only the sole legitimate political regime of Islam.
Jihad is the war against Non-Muslim for sake of Allah(fi sabil Allah), which has some sub-categories. Defensive Jihad is in case of Non-Muslim enemy’s invasion into Dar al-Islam and become obligatory for Muslim inhabitants of the land invaded. It does not need the permission from Khalifah. As for Jihad to spread Khilafah, the rule of law to all over the world to transform it to Dar al-Islam, law-governed space, it is collective obligation and decision of Jihad is the prerogative of Khalifah.
Rules of Jihad in Islamic law shows that war of Jihad against Non-Muslim is permitted only after their denial of payment of Jizya-tax, ie, the rule of law of Islam, not after denial of Islamic faith. The aim of Jihad war is “for sake of Allah(fi sabil Allah), but it does not means for sake of forcing Islamic faith but means for sake of spreading the rule of law of Islam. In other word, Jihad is a kind of “humanitarian intervention”, because it is a entry of Khilafah’s army into another country of Dar al-Harb in order to remove the violation of human rights from its inhabitant and restore the rule of law.
The Prophet Muhammad is sent not only for specific nations but for human being in totality as Allah says to him; “And We have not sent you but as mercy for all the worlds.” (21:107), and the Divine Law revealed to him, Shari’ah, is universal and valid until the Day of Judgment. And Ummah(Muslim community) is in its essence missionary community to establish this universal law to all over the world as Allah says; “Let there be one community of you calling to good, and enjoining decency, and forbidding indecency; those are the successful.”(3:104) and “You are the best community brought forth to men, enjoining decency, and forbidding indecency, and believing in God…”(3:110)
Therefore from Islamic point of view, all the “rules of men” on the earth are injustice, and consequently should be replaced by the rule of law of Shari’ah、Islamic Divine Law. Especially the contemporary Western “territorial nation state system” is categorically unjust because it differentiates nations and separates them by national-borders and contains them into their respective countries, i.e., it violates basic human rights like equality and freedom of migration.
Not only Islam accept “humanitarian intervention”, but Islamic Jihad is a kind of “humanitarian intervention”. But this “Islamic humanitarian intervention” is not possible except under Khilafah, which is nothing but the rule of law, the true universal Divine Law of Shari‘ah. Any “territorial nation state” in the former Dar al-Islam is not an actor which is in charge of perform “Islamic humanitarian intervention” of Jihad, but the obstacle to prevent establishing Khilafah.
Therefore it is necessary to abolish all the “territorial nation states” in ex-Dar al-Islam for establishing Khilafah in order to perform “humanitarian intervention” and liberate human beings and the earth from the prison of “territorial nation state system” under “the rule of men”
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Reference
Hassan Ko Nakata, The Mission of Islam in the Contemporary World – Aiming for the Liberation of the Earth through Reestablishment of the Caliphate, 2009/4, Kuala Lumpur,
Saba Islamic Media, 71p.
Hassan Ko Nakata, “The Deconstruction of Sunnite Theory of Caliphate: Spreading the Rule of Law on the Earth”, JISMOR, 2011, pp. 67-86.
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