2020年3月6日金曜日

ボードゲーム「カリフ」イジュティハード


1 経済アドバイザーを名乗る男が現れ、金貨銀貨を廃止し自国に紙幣を発行する中央銀行を作るよう言ってきた。アドバイスを受け入れるべき? 
シャリーアの認める通貨(ナクド)は金と銀だけであり、義務の浄財(ザカー)の最低額、殺人・傷害の血の代償(ディヤ)などは金、銀によって定められています。ハナフィー派では義務の浄財の最低額は金20ディーナールか銀20ディルハムです。(現代の度量衡だと金1ディーナールは22金で約4.25グラム、銀は約3グラム)。殺人の血の代償はアブー・ハニーファは「ラクダか金か銀」と述べており、第二代正統カリフ・ウマルはラクダなら百頭、金なら千ディーナール、銀なら一万ディルハムと定めました。
金貨、銀貨の品質管理はカリフの職務の一つであり、金、銀の裏付がないただの無価値な紙片を、武力による威嚇を背景に高価な物品との交換を強制することは詐欺に他ならず、カリフであっても許されません。
 但し個人の間で自分たちの信用に基づく約束手形を発行するのは自由ですので、金銀をいつも身につけて持ち運ぶ必要はありません。

2 息子がラッパーになりたいと言い出した。父親である貴方はこれを認めるべきだろうか。
音楽については、楽器、特に管楽器の使用は禁じられているという説が有力です。預言者ムハンマドも「音楽に伴う 笛(ミズマール)の音と、不運に見舞われた時の呪詛(じゅそ)の声は、現世と来世で呪われます」と言われています。但し楽器の定義が曖昧であり、預言者の弟子たちも楽器を使ったとの伝承もあるため、ガザリーなどの法学者も、可否の基準は意図と目的であり、音楽の目的が遊興であり、劣情を煽(あお)り、飲酒や婚外交渉などの禁じられた行為の誘因にならないなら許される、と述べています。
ラッパーになりたいと言っているなら、楽器を使わず、神を称え、神に仕え愛と正義を実践するよう訴えるラッパーになるように勧めるべきです。

3 イスラーム法学者同士、ファトワーとファトワーが対立した場合はどうするのでしょうか。
ファトワーとは質問に対する答えであり、ムスリムは誰にでも好きなことを尋ねることが出来ます。ですからいろいろな人がいろいろな人にいろいろな質問をするので、いろいろなファトワーが世の中に出回ることになります。自分が尋ねたのでもない人間のファトワーを気にする必要はありません。とはいえ、自分で質問したからといって、そのファトワーに従う義務もありませんし、たまたま目にした知らない人の発したファトワーでも、それに納得すれば従っても構いません。
ただしイスラーム法を学ぶ者の間では、クルアーンとハディースの解釈はアブー・ハニーファ、マーリク・ブン・アナス、シャーフィイー、アフマド・ブン・ハンバルの4人の法学祖がイジュティハードで演繹(えんえき)した法体系に収斂(しゅうれん)し、4つの法学派が確立しているので、自分でイジュティハードできるようになりたいとの志がある学徒はいずれかの法学派に属して勉強してください。

4 嘘をつくことはハラームですが、つくり物の映画はハラームだろうか。

嘘はもちろん悪で、ある意味では最も重い罪です。預言者ムハンマドは、「信仰者が不倫したり、泥棒したりしますか」と尋ねられた時は、「そういうこともあります」と答えらえましたが、「では信仰者は嘘をつきますか」と尋ねられた時には「いいえ」と答え、クルアーン「信仰のない者だけが嘘を吐く」(16105節)を読み上げられました。
  しかし定義が曖昧なので法学的な意味でのハラーム(禁止)と呼ぶのは不適切です。預言者ムハンマドも、戦争での策略の場合、いがみ合う人々の仲を取り持つ場合、夫婦の間での御世辞の3つの場合の嘘は許されました。
 クルアーンにも、不信仰者を雷雨の夜の暗闇を歩む者、聾啞(ろうあ)の盲人になぞらえる話(217‐20節)など数多くのたとえ話があります。
 要するに、たとえ話のようにつくり物だと分かっていて誰も騙(だま)されず、内容が教訓を得るという良い目的で作られたものであれば禁じられた嘘にはなりません。

5 私財を投じて他人へ施すことと、他人の世話にならないように個人の財産を貯蓄することのどちらを優先すべきだろうか。

自分と妻子の扶養分以上の財産があれば、喜捨することがスンナです。しかしイスラーム法は、妻子の扶養を蔑ろにして施すことは罪であると定めています。
 預言者ムハンマドは「上の手(施す手)は下の手(物乞いの手)に勝る。おまえの扶養する者から始めよ。最善の喜捨は富裕な者によるもの。」「人間にとって自分が養う者を飢えさせることより重い罪があろうか」 と言われています。
 妻子の扶養義務を怠って施すことは禁じられますが、妻子の扶養の義務には将来のために貯蓄することは含まれません。将来のことはアッラーに任せればよいからです。
 アッラーは仰せです。「彼(アッラーを畏れる者)には彼が考えもつかないところから、(アッラーは)恵みを与えられる。アッラーを信頼する者には、かれは万全であられる。」(653節)


6 自分の息子/娘が同性愛者かもしれない。その場合は息子/娘にどのように接すればいいだろうか。

「同性愛」という表現は不正確です。男女の別なくムスリム同士は愛し合うべきですから。禁じられているのは心中の「愛」ではなく「婚外性交」という行為であり、イスラーム法は、全ての婚外性交を禁じていますが、同性性交の禁止はロトの逸話に遡るもので創世記19章に、クルアーンでは78081節に述べられています。
しかしハディースには「アッラーは善悪を定め教えられた。悪行をしようと思ったが思いとどまった者にアッラーは一つの善行を行ったと書き留め、それを犯した者には一つの悪を行ったと書き留められる。」と言われています。
 ハディースには「ムスリムの隠し事を追求するな」とも言われており、性行為は秘め事ですから、公然と行わないなら追求すべきではありません。親の義務はクルアーンとハディースを教えることだけです。同性を愛し性交を望んだ者が実行して罪を犯すか、自制して善行の報奨を得るか、どちらを選ぶかは本人に任されます。

7 イスラム教に改宗したキリスト教徒に、改宗の意思がない配偶者と、成人していない子供がいる場合、家族の中で自分だけがイスラム教徒として生活するということは許されるのだろうか。

クルアーン55節「今日(清き)良いものがあなたがたに許される。中略あなたがた以前に啓典を授けられた民の中の貞節な女も。」により、キリスト教徒の妻との結婚は許されており、夫のイスラーム入信後も入信前の婚姻契約がそのまま有効です。
子供については、父親の入信後に生まれたなら自動的にムスリムになりますが、イスラーム入信前に生まれていた場合にはその規定は適用されません。父親は子供にイスラームを教えなければなりませんが、強制はできません。キリスト教に入信した二人の息子に入信を強要して拒まれたムスリムの男が、息子を連れて預言者ムハンマドの許にやって来て「地獄の業火が自分の子供たちに迫っているのを、どうして見逃せましようか」と訴えた時、「宗教に強制はない」とのクルアーンの節(2256節)が啓示され、預言者が二人を放免したと伝えられていることから、子供は成人後に自分で宗教を選ぶことになるでしょう。

8 夫婦喧嘩をして、どちらも主張を譲らない場合、夫と妻のどちらが妥協するべきでしょうか。
  喧嘩の内容によります。イスラーム法は夫と妻にそれぞれ権利と義務を定めていますので、喧嘩の内容が、夫に権利があることであれば、妻はその義務を果たさなければなりません。逆に妻に権利があることであれば夫は自分の義務を果たさなければなりません。
 夫の権利は生理期間を除き妻と性交をすることであり、妻の義務は夫の性交の求めに応じ夫の許可がない限り家に居て夫の財産を保管することです。妻の権利は結婚する時に婚資(マハル)、結婚している間に扶養費、離婚する時に離婚金をもらうこと、夫との性生活を楽しむことです。
 妻が義務を果たさなければ、クルアーンに「男は女の上に立つ者である。 中略 反抗的な女たちには諭し、臥所(ふしど)に置き去りにし、打擲(ちょうちゃく)せよ」(434節)とあるように夫は言うことをきかせる権利があり、それでも言うことを聞かなければ離婚します。夫が義務を果たさなかった場合は妻は裁判官に訴え離婚することが出来ます。

9 日本人でもカリフになれますか。
  イスラーム法はカリフの資格を成人、理性、イスラーム、イスラーム法の学識、公正さ、敬虔(けいけん)、男性、政治力、勇気、健常な四肢と感覚、クライシュ族の男系出自、カリフの選出手続きをイスラーム学者と政治権力者たちによる選挙か、前任のカリフからの後継者指名、と定めています。
ですから日本人がカリフになるには、クライシュ族の男性が日本に渡来し日本人女性と結婚して生まれた男子が前任のカリフから後継者に指名されるか、カリフに選ばれるかどちらかです。
しかしシャーフィイー派の大学者アブドルカリーム・ラーフィイー(1226年没)が、武力で覇権を握ってダールルイスラームに実効支配を確立した場合、カリフの資格を満たさず、選挙されたのでもなく前任のカリフからの指名もなくとも正当なカリフと認める、との理論を編み出しましたので、クライシュ族でない日本人でもダールルイスラームを武力で征服すればカリフになれることになります。

10 仕事ができず、いつも皆に迷惑をかけています。自分なりに頑張っているのですがうまくいきません。どうすれば有能な人間になれるでしょうか。

一般に無能な人間は有能にはなれません。アッラーは誰にも、できないことをしろ、とは命じられません。あなたはあなたにできることだけを真面目にやればそれで十分です。できない仕事を押し付けてミスが生じたなら、そのミスの責任は、あなたではなく、あなたの能力を見誤った上司にあります。失敗の責任を取るために、上司は大きな権限を持たされ高い給料をもらっているのです。
「アッラーは誰にもその能力以上のことは課されません。誰もが自分が稼いだものに権利があり、自分が犯してしまったことに責任を負う。我らが主よ、私たちが忘れたり、ミスを犯したとしても、私たちを責めないでください。」(クルアーン2286節)

11 彼女が欲しいのですがなかなかできません。どうすればモテるでしょうか。

預言者ムハンマドは、「財産、貴い家柄、美しさ、宗教性の4つによって、結婚しなさい。宗教的な女性を娶(めと)れば糟糠(そうこう)の妻となる。」と言われました。学者たちによるとこのハディースは男性にも当てはまります。
生まれついての家柄は自分ではどうしようもありません。ですので、もてたければ、金持ちになるか、美しくなるか、宗教的になるか、のどれかを目指すのがよいでしょう。化粧すれば少しはカッコよくなるかもしれませんが、美しくなるのもかなりハードルが高いでしょう。金持ちになるのも、元手か商才か運のどれかがないと難しいです。一番簡単なのが、宗教的になることです。内心の敬虔(けいけん)はなかなか身に付きませんが、モスクに足繁く通ったり、礼拝をたくさんしたり、斎戒断食したり、顎鬚(あごひげ)を伸ばしたり、宗教的に見える振る舞いをするのは誰にでもできますので、やってみましょう。

12 神はなぜ人間を作ったのですか。
 アッラーはクルアーンの中で「私が人間とジンを創造したのは、ただ彼らが私を崇拝するためにでしかない。」(5156節)と仰せです。
 預言者の高弟イブン・アッバースは、「崇拝する」とは「知る」という意味だと解説しています。人間が創造された目的は神に仕え神を知ることです。
 また「己を知る者はその主を知る」とも言われています。主に仕えることで、己を知り神を知ることが人間が存在する意味です。

13 神様が本当にいるのなら、虐げられている弱者を助けないのはなぜですか。

神は「死と生を、あなた方の誰が最も良い行いをするか、あなたがたを試みるために創造した御方」(クルアーン672節)です。
生も死も幸運も不運も神からの試練です。虐げられている弱者が、神から命じられている忍耐を行い死後の楽園の報奨をもらい、虐げられた弱者を助ける者が正義を行うことで来世で楽園の報奨をもらう機会を得るためです。

14 万物は神が作ったものなら、どうして食べてはいけない物があるのですか
豚肉の禁止(5節)などが書かれたクルアーン5[食卓章]は「信仰する者たちよ、契約を守れ。」から始まり、「アッラーは困難をあなたがたに課すことを望まれない」(6節)を挟み、「(アッラーが)あなたがたと結ばれた約定を思い起こし、アッラーを畏れなさい」(7節)で結ばれます。
 食べ物だけではなく、人間の行為を含む森羅万象は全て、アッラーの創造になります。食べ物の禁止も、行為の禁止も、全て神との契約であり、人間にとっての悪とは契約に背くことです。神が禁止を定めたのは人間を苦しめるためではなく、恵みを授けるためです。預言者ムハンマドは「悪行をしようと思ったが思いとどまった者にアッラーは一つの善行を行ったと書き留められる。」と言われました。
 食べたいのを我慢するだけで来世で報奨をもらえるために食べてはいけない物があるのです。しかしもっと大切なのは、禁じられた食べ物を見る度に、神の恩恵を思い出すことです。

15 カリフ制は国家を否定すると聞きました。国家とは何でしょうか。
 国家とは幻想、虚構です。国家を否定する、という意味は、存在するものを拒絶して無くそう、ということではありません。存在もしないものが存在するかのように騙(だま)されない、ということです。
 フランス国王ルイ14世は「朕は国家なり」と言いました。では天皇、それとも首相、それとも「主権者」と言われる私やあなたが日本の国家なのでしょうか。それとも国会議事堂の建物が国家でしょうか。あるいは富士山や琵琶湖が国家でしょうか。
 政治学では主権、国民、領土を国家の三要素を言います。しかしそんなものが戦争をしたり、税金を取ったり、子供の教育をしたりするでしょうか。
カリフ制と神の法による人間の生き方です。最初のカリフは人類の太祖アーダムです「私(アッラーは)は地上にカリフをおいた」(クルアーン230節)名前に欺かれ、教育、福祉、安全保障を非在の国家に委ね、国家の名に隠れて人間が権力を恣(ほしいまま)にするのを許してはならないのです。

16 いじめを目撃しました。止めたいですが止めると自分が次の標的になってしまいます。どうしたらよいでしょうか。

預言者ムハンマドは言われました。「お前たちの誰でも悪行を見かけたら自分の手でそれを変えなさい。それができなければ自分の舌で。それもできなければ心で。だがそれしかできない者は、もっとも信仰の弱い者。」
いじめている者たちより自分の方が強くて仕返しされないと思えば力づくでとめればよいでしょう。それができそうもなければ、いじめをやめるように説得してとめれれると思うなら説得してみればよいでしょう。それもできそうもなければ、心の中でいじめがなくなるように、と神に祈ればよいでしょう。大切なのは自分に何ができるかを見極めることです。

17 毎日がつらくて死にたくなります。どうしたらよいでしょうか。
預言者ムハンマドは言われました。「刃剣で割腹自殺した者は、地獄の火中でその刃剣を手にもって自らの腹を永久に刺し続ける者となるだろう。また、毒を飲んで自殺した者は、地獄の火中で永遠に毒をすすり続ける者となるだろう。更にまた、山頂から投身自殺した者は、地獄の火中を永遠に落ち続ける者となるだろう。」 
イスラームでは自殺は禁じられていますが、殉教で死ぬことは勧められています。ムハンマドは言われます。「死後、アッラーの御許で恩典を与えられた者は、たとえこの世とそれに存在する全てを与えられるとしても、再びこの世に帰ることを望む者は一人も無いであろう。だが殉教者は別である。彼は殉教の恩典として受けるものがあまりにも素晴らしい故、再びこの世に戻って殉教することを望むであろう。」 
どうしても死にたければ、過酷な戦場にジハードに行き殉教しましょう。

18 就職活動がうまくいきません。どうすれば良い仕事につけるでしょうか。
 アッラーは仰せです。「またアッラーを畏れる者には、彼は脱出口を備えられる。(アッラーは)考えつかないところから彼に糧を恵まれる。アッラーに拠り頼む者には、彼は十全であられる。」(652-3節) 
 アッラーにお任せすれば、思いもかけない良い仕事が見つかるかもしれません。取りあえず祈りましょう。

19 幼いわが子がちっとも可愛いと思えません。このままでは虐待しそうです。
 あんな芋虫みたいなもの、可愛いと思う方がおかしいです。預言者ムハンマドも当時のクライシュ族の習慣に従って、4年から5年、砂漠に送られ乳母の許で育てられ、歩けるようになると牧童として羊などの家畜の世話をするようになりました。
 可愛くない子供は砂漠に送って働かせましょう。

20 実力がないのにチヤホヤされている人を見るとイライラします。ああいう人が注目されないようにするにはどうすればいいでしょうか。

預言者ムハンマドは「自分に関係のないことは放っておくことが、ムスリムの美点です」と言われています。 そういう人を見るといらいらするなら、足を引っ張ろうなどと考えず、そもそもそんな人のことなど見ないようにするのが一番です。

21 保険加入や貯金は神を信じていないことになりますか。
アッラーは「彼らは酒と賭矢に就いてあなたに問うであろう。言ってやるがいい。『それらは大きな罪であるが、人間のために益もある。だがその罪は益よりも大である』。」(クルアーン2219節) と仰せになり、賭博を禁じられました。また預言者ムハンマドはリスク(gharar)の売買を禁じられました。
イスラーム法は不確定な未来の売買を禁じています。起きるかどうか分らないリスクに対して決まった対価を与える保険には、禁じられた賭博とリスクの売買の要素があり、合法性に疑いの余地があります。
またアッラーは「(アッラーは)考えつかないところから彼に糧を恵まれる。アッラーに拠り頼む者には、彼は十全であられる。」(652-3節)と仰せなので、アッラーへの深い信頼があれば保険や貯金などは要らない、とも言えます。 
しかし、これらは罪や信仰の弱さではあっても、不信仰、多神崇拝にはあたりません。

22 イスラム教のお坊さんはなんという名前なのですか。
神の子や、神の代理人のような特別な人間の存在を認めないイスラームには、聖職者、いわゆる「お坊さん」はいません。それでも日本人から見て、「お坊さん」のように見える人はいます。地方や民族によって、いろいろな呼び名がありますが、アラビア語の主だった名前には以下のようなものがあります。まずはアーリム。イスラーム学者の意味です。複数形のウラマーの方が有名かもしれません。その他、導師を意味するイマーム、老師を意味するシャイフ、教義回答者の意味のムフティーなどの呼び名もあります。またマウラーナー(我らが主)、サイイディー(我が)のような敬称もあります。


23 自国内の異教徒は改宗させるべきか?

 クルアーンには「宗教に強制はない」(2256節)とあります。バイダーウィーのクルアーン注釈によると、使徒の召命以前にキリスト教に入信した二人の息子がいたムスリムが「地獄の業火が私の子供たちに迫っているのを、見逃せましようか」と言って二人の息子を連れて預言者の許に来てイスラームの入信を強要するように求めて預言者ムハンマドの許に来た時、この節が啓示され、預言者は二人の息子を自由にしたと言われています。
 また異教徒がダールルイスラームにやってきた場合も、イスラームが実践される姿を見て承服し見習って自発的に入信しなかった場合は改宗を強制することはできず、以下のクルアーンの聖句により安全に本国に送還しなければなりません。
「もし多神教徒の中に,あなたに保護を求める者があれば保護し,アッラーの御言葉を聞かせ,その後かれを安全な所に送れ。これはかれらが,知識のない民のためである。」(クルアーン96節)

24 専業主婦の妻が家事を一切やりたくないのでメイドが欲しいと言ってきた。雇ってあげるべき?

 雇う余裕があれば夫には雇う義務があります。イブン・マージャ「夫に余裕があれば、妻は召使いを一人所有する権利があり、夫には召使いの経費を負担する義務がある。それは妻には、夫の身の回りの世話に専念するために家事を司り彼女に仕える召使いが必要だからである。」と夫に妻のために召使いを雇う義務を明言しています。クルアーン656節に基づき夫には妻の扶養の義務があるからです。
妻の義務は、夫との性交と貞節を護ること、留守中の夫を家財の保管で、「夫の身の回りの世話」とは快適な性生活の用意をすることです。家事は妻が望まねば、夫は召使いを雇わねばなりません。
 勿論、これは夫にそれなりの収入がある場合のことで、「アッラーは誰にもできないことは課されない」(クルアーン2286節)の原則により、夫が貧しい場合には借金をしてまで無理に雇う必要はなく、夫婦で家事を分担するか、別れるか、二人で相談して決めます。