2011年7月21日木曜日

『イスラームの豊かさを考える』序





日本語の「豊か」と訳させるアラビア語の単語は「ガニー」、「貧しい」と訳される単語は「ファキール」である。
このガニーとファキールはクルアーンでは、「人々よ、お前たちはアッラーを必要とする者(ファキール)であり、アッラーこそは自足し(ガニー)賞賛されるべき御方であらせられる。」(35章15節)、ガニーはアッラーの属性、ファキールは人間の属性として、対照されている。
アラビア語において、ガニー(豊か)の基本的な意味は、いかなるものも必要としないことであり、逆にファキール(貧しい)とは、何かを必要とすることである。
ガニー(豊か)とはモノに満ち溢れた状態ではなく、ファキール(貧しい)とは、モノが不足している状態ではない。モノがいかに満ち溢れていようとも、巨万の富を所有していようと、それらに依存しているなら、その者はファキールであり(貧しく)、逆にモノをなに一つ持たない(「慈悲遍き御方」章48節)無一物であろうとも、それで自足しているなら、その者はガニーなのである。
究極の富者であるアッラーは、他のいかなる存在者をも必要とせず、ただ独り自存する御方である。世界創造以前、アッラーはただ独りおわし彼に並んで存在するものは何もなく、そして現在もまたそうである、と言われる。それゆえ真に豊かな者ガニーは、アッラーをおいて存在しない。
アッラー以外の被造物は、無から生じ無に帰し、その束の間の存在の一瞬において、その存在する場がなければならず、またその内的構成要素と外的条件が揃うことをも必要とする。被造物はどれも単独で存在することはできず、他の被造物を必要とするが、その必要とされる他の被造物もまた単独で存在することはできず、更に別の被造物を必要とする。いかなる被造物も自存することはできない。自存することのできないものは、先在する何かに拠ってしか存在することができず、自存することができない被造物の世界は、存在論的に等位にあり同じく先在者を必要とする他の被造物から生ずることはできない。被造物の世界が存在するためには、先在者を必要としない無始の自存者が必要とされる。
被造物はその存在のために、他者を必要とする、即ちファキール(貧者)であるが、被造物の存在の最終根拠となる、もはや他に何者も必要としない絶対他者が、無始の(カディーム)自存者(カイユーム)である究極の富者(ガニー)、アッラーなのである。
全ての被造物は、その存在自体を他者に依存しているがゆえに、本質的にファキールでしかありえない。しかし全ての被造物は、それが存在する限りにおいて、その瞬間毎に存在の要件を過不足なく完全に充足している、とも言える。被造物は、その存在において、その存在の前提となる時空自体を含めて、その存在の要件となる他の全ての被造物の存在とその存在の障害となる全ての被造物の不在を微塵の過不足も無く同時的に与えられることによって始めて存在する。全ての被造物は、相互依存のネットワークの一部であり、無限の必要を本質とするファキールでありながら、同時に創造主アッラーに拠ることで、その無限の必要の全てを過不足なく与えられたアッラーに拠るガニーでもある。
被造物は全て、それ自体としては本質的にファキールであると同時に、アッラーに拠って過不足なく完全にガニーであり、その意味において、「貧/富(ファキール/ガニー)」の区分は存在しない。動物の餌が無くなり死に、生命が失われるとしても、その動物は生きている間は死ぬその瞬間まで、その生命を支える全てのものを与えられてガニーとして存在し、その条件が失われるときに存在を終えるのであり、餌に囲まれていて病死する、あるいは老衰死する別の個体以上にファキールとして(貧しく)死ぬわけではない。また動植物のいる地球がガニーで、水も酸素も無い荒涼たる惑星がファキールであるわけでもなく、恒星が爆発し超新星として消滅しようとも、いずれの過程においても、ガニーになったりファキールになったりするわけではなく、いつでもその存在のために創造主による無限の配剤を必要とするファキールであると同時にその状態において存在するための条件の全てを過不足なく満たされたガニーなのである。この、存在の全ての条件を過不足なく与えられ存在が実現した状態を「カダル」と呼ぶ。カダルとは、「天命」、「予定」、と意訳されるが、原義は、「量」、即ち、万物が存在するために過不足なく与えられたそのもの特有の量、「応分」を意味するのである。
それゆえ「貧/富(ファキール/ガニー)」とは、人間の、より正確に言うなら、人間の意識、あるいは心にのみかかわる問題である。人間だけが、「本質に於いてファキールでありながらアッラーに拠って過不足なくガニーである」との完全な調和を離脱し、自らと他者をファキール、あるいはガニーとみなす。それはアッラーから「選択」と呼ばれる行為の自由度を被造物の中で特別に授かった人間のみの特質である。
あらゆる被造物の中で人間のみに「選択」が与えられた経緯は、クルアーンに以下のように述べられている。
「まことに、われらは天と地と山々に信託を提示したが、それを担うことを拒み、それに対して怯んだ。そして、人間がそれを担った。まことに、彼は不正で無知であった。(33:72)
この節の指す信託とは、善悪の選択であり、他の被造物は、善を行い悪を避ける責任を果たし得ず懲罰を被ることを恐れて、信託を担うことを拒んだが、人間だけがそれを引き受けた。人間はアッラーの命令を知り自らの判断で善悪の選択を行うため、言葉と理性を授かったが、クルアーンはこの信託を担った人間を不正で無知と形容している。それは人間が善悪の選択を自ら為すことの責任の重さを十分に自覚しておらず、また悪を犯すことによって我が身に罰を招き、自らに対して不正を犯すことになるからである。
ここには、理性と自由を有する特別な存在として人間が他の被造物より優れている、とのヨーロッパ・キリスト教的な人間観とは対極にある、イスラームの「倫理的」人間観が表明されている。人に与えられた理性と選択は、人をして善と悪の決断を強いる試練に他ならない。理性と選択は、人をして人たらしめるが、それは即自的に善である他の被造物と異なり、対自的に善を選びうる代償に悪を選んで身を滅ぼしうる倫理的存在である、ということに他ならない。
またクルアーンは、別の箇所で、「われがジン(幽精)と人間を創ったのは、彼らをわれに仕えさせるためにほかならなかった」(51章56節)と人間の創造の目的が、神に仕え崇拝することであることを明らかにしているが、クルアーン注釈者たちは、「アッラーに仕える」とは、「アッラーを知る」ことを意味すると述べている。また預言者ムハンマドの伝えるハディースによると、アッラーは「われは隠れた宝であったが、知られたいと欲し、それゆえ被造物を創造した」と仰せられた。
人間が創造されたのはアッラーに仕えるためであるが、アッラーに仕えることの究極の目的はアッラーを知ることである。人間は理性と選択を授かりながら、欲望に目を晦まされ身体を支配され真理を見失い悪行を犯す存在であるが、アッラーに仕えるために授けられた理性を、アッラーに仕えることのみを志して用いる道を選ぶなら、アッラーの崇拝は、アッラーの知に至り、その時人間は、知がそのまま崇拝となる真知の境地に達し、対即自的に善なる存在として、アッラーの創造の目的を実現することになるのである。
欲望だけでなく理性、言葉を与えられ、善悪の裁定を蒙る代償に行為の選択の自由度を獲得した存在としての人間は、ファキールでありながらも存在に必要な全ての条件をアッラーに与えられて過不足なくガニーである「今ここの自分」の存在様態に飽き足りず、今ここで別様に有り得る仮想的自分と比較して、あるいは将来どこかに存在すると仮定した自分を有らしめるために、今ここにある自分に何かが足りない、即ちファキールであると考えることが可能となる。自分の身体、自分の食べ物、自分の家、自分のお金、自分の家族、自分の財産、自分の民、自分の名誉、自分の権力、自分のモノは無限に増え続ける。そして自分のモノが増え続けるほど、自分のモノでないモノも増え続ける。今ここの自分の存在を支えるために食べたもの以外の食べ物が「自分のモノ」として所有されるとの観念が生まれたとき、「自分のモノでない食べ物」との観念が同時発生する。本当は、自分の食べ物とは、自分が存在するために既に食べられたものだけなのに。今ここの自分の存在を支えるために食べたもの以外の食べ物を「自分のモノ」と看做すことにより、「自分のモノでない食べ物」の観念が生じ、その「自分のモノでない食べ物」を所有したいとの欲望が生まれるとき、その者は「今ここの自分」の存在に不要な食べ物を必要とみなすファキールとなる。「今ここの自分」が必要としない富、権力が自分をガニーにする、と考える者は、「自分のモノ」を所有すればするほど、「自分のモノでないモノ」が増えていく。賃貸マンション住まいの者がマンションを手に入れれば、持ち家への欲求が生じ、持ち家を買えば、別荘が欲しくなり、別荘を持つ者には、海外の宮殿が視野に現れる。
また「今ここの自分」の存在に満足しない者は、存在しない未来の自分を妄想し、その妄想が妄想の必要を生み出し、ファキールに成り下がる。老後のセキュリティー完備の看護老人ホームの購入資金の数億円を所有しないことがファキールであることになり、今ここでの自分の存在の豊かさ、ガニーであることは忘れ去られる。
全ての被造物は、現象的には他の被造物の存在を自己の存在の条件とし、究極的には存在するためにアッラーを必要し、それ自体としては何物をも所有しない無一物、ファキールである。しかし善悪の選択を与えられた人間は、善を行うために、アッラーから「自分のモノ」として用いることの許された力「クドラ」を信託される。
繰り返し述べている通り、人間は本来無一物であり、いかなる所有もない。この信託された力「クドラ」もまた預かり物に過ぎず、全ての人間がその者に固有のクドラを授かっており、そのクドラの範囲は本人を含めて誰にも確定することはできない。
人は全て各自のクドラに応じて善を行い悪を避ける責任を負う。イスラームにおいては、善と悪は、シャリーア(聖法)と呼ばれる掟として、アッラーの使徒を通じて人間の言葉で語られた啓示によって規範の体系として示される。しかし各自のクドラはそのような形で一義的に示されるものではない。
人間には、身体的な力、経済力、政治力、知力など様々なクドラがある。そして身体的な力にしても、自分がどのような力を持っているかは自分自身にも自明ではない。目の前で急流で子供が溺れている場合、たとえ泳げる人間でも、その子を助けるクドラが自分にあるかどうかをとっさに判断することは容易ではなかろう。また立って礼拝を行うことが出来ない者には座った姿勢での礼拝が許されているが、足自体に障害があるのではない重篤な病人の場合、立って礼拝を行うクドラがあるかどうかの判断は微妙である。またまたラマダーン月の日中の斎戒はそれを行うことクドラのない病人には課されないが、日中食を断つクドラの有無もまた一義的に決まるものではない。また集団的行為や時間の要素が入った場合は問題はより複雑になる。「イスラームの居住圏」が侵略された場合には、住民には侵略者の撃退のためのジハードが義務になるが、そのクドラがない場合には、義務は免じられる。しかし敵を撃退するのにどれだけの戦力が必要になるか自体が確定的に知りえないことに加え、敵を撃退する戦力は個人のクドラの範囲を超えているが、長期にわたって武器を調達し抵抗軍を組織し侵略者を撃退するクドラを自分が有するかどうかは、自分自身の身体能力や財力を超えた政治力、信用、胆力、情報収集能力、情報分析能力などを総合したものでありその有無を一義的に判断することは誰にもできない。
授かった理性と選択をもってアッラーに自ら仕えるために、自分に委ねられたクドラを知ること、つまり自分に何ができるかを知ることが、最初に人間に課された義務である。
自分のクドラの下にあるモノはアッラーに仕えるために用いなければならない。人間が自らの選択によってアッラーに仕える存在である以上、自らのクドラの下にあるモノに対して一定の裁量権があることは当然である。しかし自分のクドラの下にあるモノも全てアッラーからの預かりものである以上、自由に裁量してよいわけではない。その裁量の範囲を定めるのは、聖法である。自分のクドラの下にある自らの肉体ですら、西欧的な意味での自由な処分を許されるわけではなく、自殺も自傷行為も許されず、自らを債務奴隷として売ることも、性行為を賃労働に供することも許されない。また自分の後見の下にある孤児の財産を自分自身のために売り払ったり利用することは許されず、たとえ自分自身の財産であれ賭け事に浪費することも、利子を取って貸し付けることも許されない。
人は己に委ねられたクドラに応じてアッラーに仕える義務を負うが、アッラーに仕えるために何を為すべきかは、聖法によって知られる。アッラーに仕えるために何を為すべきかは聖法によって知られるが、それは人のクドラに応じる。従って、人が為すべきことは、人のクドラによって異なる。アッラーに仕える段階は、大別して、3つある。
第一は、信仰の段階であり、先ず理性を授かり神について考えるクドラを備え更にアッラーの使徒の啓示についての教えを知るクドラを得た者には、唯一なる神アッラーの存在を信じ使徒の教えを信仰すること、即ちイスラーム、帰依が最初の義務となる。この信仰、イスラームの帰依なくしては、いかなる行為も、神に仕える善行として嘉されることはない。このイスラームの信仰を持つことが、アッラーに仕える第一歩である。
第二の段階は、シャリーア(聖法)の行為規範の遵守の段階となる。聖法はイスラームの信仰を得た後の人間の行為範疇を(1)義務、(2)推奨、(3)合法、(4)忌避、(5)禁止の5範疇に分類する。聖法を遵守するためには、先ず、シャリーアを学ばなければならない。アッラーの啓示は使徒を通して人間の言葉を通してなされる。そして使徒は、共同体全体に対してその共同体全体を律する規範を伝えるために遣わされた者であるので、シャリーアは共同体の普通の成員であれば誰もが理解できるレベルの容易に理解できる容易な言葉遣いで表現されている。このレベルでは、自分のクドラの下にある「自分のモノ」は「自分のモノ」、「他人のモノ」は「他人のモノ」と素朴に認識し、「自分のモノ」は自分で好きなように処分し、「他人のモノ」も出来るならなんとか手に入れたいとの欲望を抱くような霊的にも知的にもごく普通の凡人にも分る形で、アッラーに仕えて現世で良く生きる指針を来世での賞罰を動機付けとする(来世的)宗教法の言語で説く。それが、(1)最低限行うべき義務、(2)犯してはならない禁忌、(3)できることなら為した方がよいがしなくても罰を受けるのではない推奨行為、(4)避けた方が良いが行ってしまっても罰は無い自粛すべき忌避行為、(5)そして行っても行わなくてもどちらでも良い道徳的に中立な合法行為、との上記のイスラーム法の行為の5範疇分類である。
第三の段階は、真智求道の段階で、創造の目的であるアッラーの知がそのままアッラーの崇拝であるような、アッラー御自身への希求、絶対帰依の段階である。この段階では、人が目指すのは、現世のみならず来世の賞罰ですらなく、アッラー御自身であり、この段階での言説は、賞罰を動機付けとする(来世的)宗教法の言語ではなく、日常世界の意味とを超えた神秘主義的真理の言語によって語られる。この段階においては自分の授かったクドラが引き起こす行為の真の主体はアッラーに他ならず、「自分のモノ」は何一つ存在せず、森羅万象の全てはアッラーの御意志による、その属性の顕現であることが明らかになり、アッラーの真知の中に「自分の行為」は消滅し、アッラーへの崇拝、賞賛だけが浮かび上がる。
我々は、イスラームについて語る時、アッラーに仕えること、即ち、イスラームには上記の3つのレベルがあることに注意しなくてはならない。救済宗教としてのイスラームを考える時、イスラームの教えを知るクドラのない者、あるいは教えを聞いてもその意味をよく理解するクドラのない者、あるいは教えを理解しても欲望に打ち克つ意志のクドラを持たない者は、礼拝や斎戒の義務を行わない、飲酒や姦通の禁忌を犯すだけではなく、たとえ強盗、強姦、殺人と極悪非道の限りを尽くそうとも、心の隅に唯一なる神の慈悲に縋る信仰の欠片を宿していれば、それによって楽園の救済に与ることができる。それもまたイスラームである。しかしだからと言って、アッラーの慈悲に縋って極悪非道の限りを尽くすことがイスラームだと言うのは、イスラームの説明として正しいとは言い難い。また聖法のレベルでも、義務を果たし禁忌を犯しさえしなければ来世での懲罰を被ることはない。最低限の義務と禁止を守るならば、それはイスラームなのである。しかし法律を子細に検討し法に抵触しないぎりぎりの合法的行為を狙うのは、ヤクザや詐欺師であって堅気の善良な市民ではない。イスラームでも禁に触れないというだけで、それをイスラーム的と呼ぶのは問題である。むしろ義務を果たし禁忌を犯さないのは当然の前提であり、それ以上の推奨行為を行い、忌避行為を自粛してこそ、イスラーム的と呼ぶべきではなかろうか。また推奨行為の励行、忌避行為の自粛は現世の利害を超越し来世を志向するがゆえに、間違いなく宗教的行為と言えるが、なおそれが賞罰の言語で語られる以上、楽園の報奨ではなくアッラー御自身を希求するイスラームの理想を表すものではない、とも言える。
イスラームは、多様な人間のクドラに応じて、様々な形で発現する。そのことをもって、「イスラームの豊かさ」と呼ぶことができるかもしれない。

2011年7月19日火曜日

ブログ版『日本でイスラームを生きる』 序

ブログ版『日本でイスラームを生きる』 序


 イスラームの教えは、イスラームの信仰告白の第一段であるタウヒード(唯一神教)の宣言「lā ilāha illā Allāh(No god but Allah)」に凝縮されている。
 アラビア語の「ilāh(god)」とは「崇拝されるべきもの(ma'būd)」を意味する。つまり、「世界の中に崇拝すべきものは何一つない。但し、世界を超えた存在であるアッラーは別である。」との被造物の神化の拒否こそが、イスラーム(帰依)のアルファ、第一歩であると同時に、そのオメガ、究極の到着点でもある。
 この地上にも、宇宙のどこにも、世界の中の何物も、崇拝に値するものは存在しない。人間も、地球も、空間の中に場を占めるこの宇宙の全てのものは、過去、現在、未来の一定の時間の中で無から生じ無に帰す。無限の空間と時間の中において、束の間の時間を一定の場所を占める存在者の間の差異は無に等しい。世界の中に在る全ての存在者は無限の時空に対して無であることに於いて平等である。これらの無であることにおいて平等である存在者の間には「崇拝に値する者」と「崇拝を捧げる者」の区別は成り立たない。時空の中の存在者は、何者も他の何者に対しても崇拝を要求することはできない。言い換えれば、時空の中の存在者は他の何者に対しても何かを命令すること、善と悪とを定立することはできない。
「全ては時が滅ぼすのみ」。イスラームの根底には、無から生じ無に帰すのみのこの時空の世界の中にはいかなる価値も存在しないとの冷徹なニヒリズムが存在する。この虚無の世界に泡沫のように漂う<私>に、「正しくあれ」との命令は、ただ時空を超えた世界の彼方から、闇を切り裂く一瞬の稲妻の閃光のように、「奇跡」として、届く。この世界において現象するか否かにかかわらず、永遠の相において絶対的に正しくあるような「善」と「悪」の「存在」が、世界の中の何処にもいない存在者の彼方からの声として<私>の許に届く。
時空の中に束の間に顕れ消える世界の存在者の中にはいかなる価値、善と悪の根拠がないことを見据える時、<私>の中に植えつけられた、時空の世界の中にいかなる根拠も持たない善と悪を知るアプリオリな天性が、この時空の現象/仮象の世界の彼方に、現象の存在とは別の仕方で有る主なる神の存在を指し示す。
この時空の現象の中の世界の彼方にある世界の創造主なる御方だけが、時空の中の現象を超えて妥当する善悪を定立する立法者であり、創造主/立法者を唯一の存在と認めその命(めい)のみに服することが、イスラーム(帰依)の根本教義である。そして、この唯一なる創造主/立法者を「アッラー」と同定し、アッラーの使徒ムハンマドに従い、彼に下された啓典クルアーンを唯一なる創造者/立法者を知るための縁(よすが)として生きる者たちが「ムスリム」と呼ばれる人々なのである。
創造主アッラーは、被造物である人間に対して啓示の形で自らの真実を伝える。そしてその啓示を授かる者が預言者、それを人々に伝える使命を担わされた者が使徒である。アッラーと人間のコミュニケーションの可能性は原理的には閉ざされていないが、通常は、アッラーは人間に直接語りかけることはなく、その御意思は、預言者を通じて人類に示される。イスラームとは、アッラーへの帰依を意味するが、アッラーはその使徒を通じて自らを示されるので、実際にはイスラームとは、アッラーの使徒に対する服従と同義となる。アッラーは人類に自らを示すために使徒を遣わされたが、使徒たちが逝くとイスラームの教えは失われ、それゆえアッラーは人類に多くの使徒たちを送り続けられた。
 アッラーは預言者ムハンマドを通じて、ムハンマドが人類全ての対して遣わされた最後の使徒であり、最後の審判に至るまで彼以降もはや使徒が遣わされることはないと宣言された。イスラームとは、アッラーが自らを示すために選ばれた使徒に従うことであり、最後の使徒ムハンマドの逝去後にはもはや使徒はいないならば、ムハンマド没後にはもはやイスラームは有りえないことになる。
 しかしムハンマドが人類全てに対して遣わされた最後の預言者であることから、ムスリムは、ムハンマドの没後は彼に下された啓典クルアーンと彼の言行録ハディースを生きる指針とすることが使徒に従うことに他ならない、との教義を確立する。クルアーンとハディースの教えは膨大であり、その全てを一望することは、古典アラビア語に通じた大学者たちですら困難であり、ましてや初学者には不可能である。かくしてイスラーム学徒たちは、クルアーンと短いハディース集の暗記から始め、神学、法学、スーフィズム(霊学)等の教義学の簡単な綱要を学ぶことで満足することになり、クルアーンと無数のハディースの古今の解釈に通じた大学者の数は極めて限られ、一般の信徒に至っては、6信5行の基本教義と日々の礼拝の定型句を知っているかどうかも覚束ないという者も珍しくはない。
使徒ムハンマドの死後千数百年が経った現在、使徒ムハンマドへの服従の本来の意味は忘れ去られ、人伝に聞いたクルアーンとハディースの解釈をもってイスラームの理解を自認し、他人にイスラームを教える悪習が蔓延している。しかし、使徒ムハンマドに付き従った預言者の直弟子たちの記憶が人々の間にまだ活き活きと残っていたイスラーム学の創成期には、学徒たちは、ムスリム社会の常識に盲従することなく、人間が人間として先ず何を義務として課されるのか、ムスリムであれば行うべきことは何かを自ら真摯に問うていた。
彼らが到達した結論は、生きるための狩猟、採集、農業などに追われ息つく暇もない労働者を除き、物事を少しでも考える時間のゆとりができた者には、神について思いをめぐらすことが、人間が人間である限りにおいて最初の義務である、ということである。そして神について想いを巡らせば、健全な天性の持ち主であれば、善美なる斉一な自然の法の定立者である唯一の善なる神の存在に思い至るはずである、とイスラーム学の創設者たちは考えた。
しかし神の高級の義務以上については、人間が自らの理性によって唯一にして善美なる神の存在に思い至りそれを知ることが義務であるとしても、その信仰がアッラーの使徒によって義務として明示的に課されない限り不信仰も懲罰に値する罪にはならないと考える学派と、唯一の善美なる神の存在への信仰だけは使徒による啓示を俟たずして理性のみによって義務として課されると考える学派が生まれ、見解が分かれている。いずれにしても、使徒が遣わされていない者には、神への内心の信仰が義務となる以外には、四肢が犯すいかなる行為も罪とはならず免責されることはイスラーム学の通説となる。
既述のようにイスラームとはアッラーの使徒への服従であり、アッラーの使徒が亡くなった後には、使徒のもたらした啓典の法も失われ、その遵守の義務も消滅する。但し、最後の使徒ムハンマドのもたらした啓典、シャリーアの法は人類全てに対して妥当する法であるため、「ウンマ(ムスリムの共同体)が全体として使徒の後継者として啓典の教えを歪曲、改竄、消滅から守る義務を負った」と、スンナ派イスラーム学は考える。そしてアッラーの使徒ムハンマドの没後、ウンマ(ムスリム共同体)はアッラーの使徒の後継者である一人のカリフの指揮下にシャリーア(天啓法)の律法を護持、施行する単一の広大な法治空間「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」を形成した。
この法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)は、単一のカリフの名の下にシャリーアの法規の解釈の一体性が守られ、基本ルールが人々に周知されており、誰もが生命、財産、名誉の安全を保障され、国境などに妨げられることなく関税を徴収されることもなくどこにでも自由に行き来することが出来る領域である。アッラーの使徒がマッカでイスラームの宣教を始めた当初、彼に従うムスリムは多神教徒の社会の中で弱体な少数派であり政治的な権力を有さなかった。このイスラーム初期、マッカ時代の啓示は、アッラーの属性や来世、個人の道徳や社会正義の教えであり、社会を律し罰則を定めるような所謂「法律」の啓示が下されるのは、使徒ムハンマドが信徒たちと共にマディーナに移住(ヒジュラ)しそこに後のダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の原型となる都市国家を樹立してからのことである。
つまり啓典の法シャリーアと法治空間「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」とは本来的に相関概念であり、「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」はシャリーアの法秩序が実現した時に初めて成立するのであり、そしてこの「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」の中においてのみ、シャリーアは「法律」としてムスリムに課されることになるのである。
イスラーム学の用語において、この「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」の家の対義語は、「ダール・アル=ハルブ」、字義通りには「戦争の家」である。ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)がアッラーの天啓のシャリーアの法が支配する法治空間であるのに対して、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)とは無法地帯である。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)にも一見、秩序があるように見えるが、それは実は「法令」の形をとった強者による弱者の支配、人による人の支配であり、「法」とは似て非なる「弱肉強食のジャングルのルール」に他ならないからである。そしてダール・アル=ハルブ(戦争の家)は、天啓のシャリーアの真理と正義に敵対する世界であるため、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においては、正義を示すシャリーアの法の教説は弾圧され、歪曲を蒙らざるをえない。
 それゆえダール・アル=ハルブ(戦争の家)で生まれ育った者には、シャリーアの法の細則を行うことはもとより知ることすらできない。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に住み続ける限り、そこで求められるのは、アッラーの使徒の啓示を継承するウンマ(ムスリム共同体)の使命であるシャリーアの法の知と実践ではなく、人間が人間である限りにおいて最初に負う義務、神の唯一性の哲理の究明なのである。
歴史的にも近代に至るまでイスラームと縁がなく、イスラーム教徒も殆ど存在しない日本のような土地で「イスラームを学ぶ」ためには、どのような心構えが必要であり、またどのように学んでいくかについて、盛期オスマン・カリフ国のイスラーム学を代表する碩学アブドルガニー・アル=ナーブルスィー師がイスラームの奥義を解き明かした『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』と、日本と同じくイスラーム世界の外の欧米諸国などで暮らすムスリム移民たちが非イスラーム社会で暮らすが故に直面する特殊な問題に対するマニュアルとして世界で広く読まれているユースフ・アル=カルダーウィー師の『ムスリム・マイノリティーに関するイスラーム法学』、という二冊の権威あるイスラーム学者の原典に寄り添いつつ考えて行きたい。
アブドルガニー・アル=ナーブルスィー師は、「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)で生まれ育ちイスラームを受け入れた者は、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しない限り、身体の行動に関わるイスラームの法規定の負荷を免じられる」と明言する。師のこの言葉は、イスラーム世界から最も遠く歴史的にも殆ど接触のなかったダール・アル=ハルブ(戦争の家)の最果ての地、日本でイスラームを学び、入信を考える者が何よりも先に知っておくべきイスラームの規定であろう。
所謂「大航海時代」以来、世界の覇権はヨーロッパに移り、20世紀を迎えた時点でかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の大半はヨーロッパ列強によって分割、植民地化され、植民地主義者が「原住民」を搾取するジャングルのルールが敷かれ、「法の支配」の下に住民が移動の自由を享受する「法治空間」は分断され機能不全に陥った。そして1922-3年には曲がりなりにも形の上では独立を保っていたオスマン・カリフ国が崩壊し、「法の支配」の象徴的な統一性すらも失われ、天啓のシャリーアの法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)は名実共に生滅した。
 第二次世界大戦後、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の植民地諸国は旧宗主国から名目的に独立を果たしたが、それはイスラーム的な法治空間の回復では全くなく、逆に西欧の弱肉強食のジャングルのルールに他ならない「民主主義」の「人による人による支配」による天啓のシャリーアの「法の支配」の廃棄と、「領域国民国家システム」による単一の法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の分断状況の固定化を意味したに過ぎなかった。
1922-3年のオスマン・カリフ制の崩壊によって、法治空間「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」が消滅した、即ち世界は全て無法地帯「ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」に転化した。既述のように、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)は、天啓のシャリーアの真理と正義に敵対する世界であり、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においては、正義を示すシャリーアの法の教説は弾圧され、歪曲を蒙らざるをえない。それゆえ、現在の世界では、イスラームと長い歴史的な敵対関係にあった西洋の国々ではなく、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の国々においても、シャリーアの法の教えをあからさまに説く者は弾圧に晒されているため、その言説は構造的な歪曲を被っている。そして、そうしたシャリーアの法の教説における現代の歪曲のうちでも最も重大な歪曲は、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の消滅と全世界のダール・アル=ハルブ(戦争の家)への転化の隠蔽、あるいはその前景化の抑圧であろう。この全世界のダール・アル=イスラーム(イスラームの家)への転化の隠蔽は大きな問題を引き起こしている。
 イスラームの信仰において、アッラーの使徒ムハンマドは最後の預言者であり、彼のもたらした天啓のシャリーアの法は人類全体に対して有効であり最後の審判まで妥当する。しかし、法自体が有効であっても、責任能力のない者、あるいは違法性阻却事由がある場合に法への違背が有罪とされないように、シャリーアの法もまた、特定の状況の下では、義務が免じられる。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)において、姦通罪に対する石打刑、鞭打刑、窃盗罪への手首切断、飲酒罪の鞭内刑のようなフドゥード(イスラーム法定刑)の執行が停止されることは、イスラーム法の諸学派の合意事項であることがその好例である。
ウンマの一体性、政治的権威の統一性の象徴であるカリフが不在で、国境のない単一の法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が分断され、シャリーアの正義の法の支配が実現していないダール・アル=ハルブ(戦争の家)では、フドゥード(イスラーム法定刑)は執行されない。ところが、現在全世界がダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したことが隠蔽されているために、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)内の住民の多数がムスリムである領域国民国家群では、一部の政府がフドゥード(イスラーム法定刑)を施行したと称して統治のイスラーム性を正当化したり、反体制イスラーム運動が、フドゥード(イスラーム法定刑)の施行を政策目標に掲げたりする事態が生じる。
 またかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)がもはやダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したことから目を逸らすことから、「西洋や日本のような紛れもないダール・アル=ハルブ(戦争の家)さえも、ダール・アル=スルフ(講和の家)、あるいはダール・アル=アフド(条約の家)であって、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)ではない」と強弁する者さえ現れることになる。しかしダール・アル=ハルブ(戦争の家)の異教徒の国々とスルフ(講和)、アフド(条約)を締結する権限は、シャリーアの法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の元首カリフにのみあり、それゆえダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が消滅しカリフが不在の現代世界にはダール・アル=スルフもダール・アル=アフドも存在しえないのである。
 世界がダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したとしても、かつてダール・アル=イスラーム(イスラームの家)でありながらダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化した国々と、元々のダール・アル=ハルブ(戦争の家)は同じではない。ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)からダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化した土地は、「外見上の(スーラタン)ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」と呼ばれ、法規定上はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のままであり、可能な範囲内でシャリーアの法を護りつつ、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に戻すことが求められる。
 ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)からダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化した「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」については、『イスラームを学ぶ:ムスリム・マイノリティーの抱える問題とその解決』で詳論することにし、本稿では、アル=ナーブルスィー師の思想を手掛かりに、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」に転化し、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が消滅してしまった世界において本来のダール・アル=ハルブ(戦争の家)でイスラームをいかに学ぶべきかについての概略を示したい。
 アル=ナーブルスィー師は、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者はイスラームに入信しても、そこに住み続ける限り、イスラーム法上の行為に関する規則の違反は全て免責される、とまで極言することにより、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ住む者に求められるのは、ただ信仰だけであることを強調する。
実は、イスラーム法の規定する行為ではなく、正しい信仰こそが、ムスリムにとって最重要であることはダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ住む者だけではなく、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に生まれ住む者にとっても同様なのである。
本書の付録のアル=ナーブルスィー師の『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』は、極めて異例の構成を取っている。同書は、イスラームの教義、義務、信仰について論ずる前に、先ず、そもそも罪とは何か、と問いかける。師によると、真の罪とは、一般のムスリムたちが素朴に前提としているような戒律の違反なのではなく、時間と空間の中で束の間に現れて消える我々被造物を、無限、永遠の絶対存在であるアッラーと並んで独立に存在する実体と思いなすことに他ならないのである。
真の罪が、神の唯一性に対する認識の誤りであるなら、人が先ず最初に求めるべきは、正しい神と被造物の関係の認識であることになる。
アッラーと被造物の関係とは、存在の五層構造におけるアッラーの本体(dhāt)、属性(şifāt)、行為(af ‘āl)の顕現に他ならない。存在は一方の極、頂点に無限、永遠の唯一絶対者である純粋存在、そして底辺にあたる他方の極に純粋無が位置する五層構造を有する。無限、永遠の唯一絶対者である純粋存在が、豊穣な多様性において顕現するのが第二の神的属性のレベルである。この神の様々の属性が動的に展開されるのが、第三の神的行為のレベルである。そしてこの神的行為の残した跡が第四の神的行跡(munfa ‘alāt)であり、被造物の世界はこの第四の神的行跡のレベルであり、第五の存在レベル純粋無が第三の神的行為に接する臨界面なのである。
人間や被造物は、それ自体は純粋無であるが、無限永遠の唯一絶対者たるアッラーの顕現により、その神的行為の純粋無に映る影としてのみ存在に与るに過ぎない。それゆえアッラーの存在の影でしかない被造物が、自らをアッラーと並ぶ独立の実体であるかのように思うことこそが、アッラーの唯一性の否定、イスラームにおける最大の罪、多神崇拝に他ならないことになるのである。
アッラーの使徒ムハンマドがもたらしたクルアーンと、ハディースの教えに従うことが、聖法に則るイスラーム、つまりダール・アル=イスラーム(イスラームの家)で実践されるイスラーム、イスラーム法の施行であるのに対し、「真のイスラーム(Islām fī ĥaqīqah)」とは、アッラーの「有れ」との命令(クルアーン3章47節、36章82節他)に従って、存在することそのものである。アル=ナーブルスィー師は、全ての存在者は、その不信仰と不従順のまさにその瞬間においてさえ、アッラーの存在命令への服従ゆえに、イスラームを体現しており、全ての存在者は、アッラーの命令の具象であるが故に、不信仰者ですら、その存在様態の中において不信仰の偶発のただ一点においてのみ不信仰者と言われるのであり、それ以外の全様態においてムスリムであり、不信仰者もその不信仰すらもアッラーに帰依する者、ムスリムに他ならないと断言する。
存在者は全てアッラーの命令の具象であり、存在する限りにおいて、全てムスリムである。それゆえ、不信仰、多神崇拝の大罪により、火獄での永遠の懲罰に定められた者でさえ、永劫の懲罰の中で、自らの懲罰がアッラーの峻厳の属性の顕現に他ならないことを悟る時、楽園の民がアッラーの優美の顕現を見惚れて楽園の全ての褒章を忘れ去るのと同じく、アッラーの峻厳を目にする恍惚に懲罰の苦痛さえも感じなくなる。
 ダール・アル=ハルブ(戦争の家)で生まれ育った者が学ぶべきイスラームとは、時空を超えた永遠、無限なる絶対存在アッラーと、そのアッラーによる被造物の創造の哲理を考えること、即ち、時空を超えた絶対者の顕現の中に我々の生を位置づけ、その意味を見出すことである。
 ダール・アル=ハルブ(戦争の家)では、アッラーの使徒の後継者としての権威をもって、クルアーンとハディースとその意味の解釈への服従を我々に義務付ける、と主張する資格を有する者は誰もいない。シャリーアの法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が失われ、アッラーの使徒の政治的権威の後継者としてシャリーアを守護し執行する責任を負ったカリフが不在の現代においてはなおさらである。
 ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においてイスラームを学ぶにあたっては、現世と来世の懲罰に怯え報償に釣られるのではなく、アッラーの優美と峻厳の顕現への憧憬から、無限永遠の絶対存在アッラーの唯一性へと学ぶ進むことこそが求められる。カリフ制なき現代において、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者が、権威に頼ることなく、自らの天性を清め理性を研ぎ澄ませ、アッラーへの憧憬から、イスラーム学の全盛期の古典を参考としつつ、信頼すべきイスラーム学徒と共に、クルアーンとハディースを学ぶにあたって、アル=ナーブルスィー師の『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』は格好のテキストである。
 同師は、神学、法学、スーフィズムなどイスラーム諸学において膨大な業績を残した碩学であるが、特に哲学的スーフィズムにおいて、イブン・アラビーに端を発する所謂「存在一性論」をイブン・タイミーヤの批判を取り込みつつ総合し、理知的な正統学説を確立したと評価することが出来る。またアル=ナーブルスィーは、口授による学問の相承を基本とするイスラーム学の伝統においては、珍しく、独学の読書による学びを推奨したことにおいても知られている。『主の勝利と慈悲の横溢(イスラームの本質と秘義)』が邦訳され、日本の読者が同書を読んでイスラームの真義を学ぶことは、師にとっても本意であろうと思われる。
 他方、西欧や日本などでマイノリティーとして暮らすムスリム移民の抱える問題とその背景を学ぶためには、現代を代表するウラマーゥ(イスラーム学者)の一人でありムスリム同胞団の思想家としても有名なユースフ・アル=カラダーウィー師の『ムスリム・マイノリティーに関するイスラーム法学』を、ムスリム移民との共存の道を探す手掛かりとしたい。
ムスリム・マイノリティーの原語はAqallīyāt Islāmīyah, Aqallīyāt Muslimahであるが、これは現代では広く用いられているが、古典イスラーム学には存在しなかった用語である。ムスリムがマイノリティーとして暮らす場合の特殊な法規定は、古典イスラーム法学においてダール・アル=ハルブ(戦争の家)の規定として知られていたものとほぼ重なる。ダール・アル=ハルブ(戦争の家)をダール・アル=イスラーム(イスラームの家)から区別するものは、シャリーアの行為規定が「国法」として施行されているかどうかであり、それが可能な権力がウンマ(ムスリム共同体)の手にあることであり、ムスリムが多数を占めるか、少数派であるかは、二義的に過ぎない。正統カリフ時代からウマイヤ朝にかけての「イスラームの大征服」、そして「ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)」、「ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」の概念が作られたイスラーム法学の創成期において、カリフを元首とするウンマ(ムスリム共同体)はイスラーム法を施行する政治権力を握ってはいたが、住民のイスラーム化は漸進的にしか進んでおらず、彼らの多くは従来の宗教にとどまっており、ムスリムは数的には少数派であった。またインド亜大陸はイスラームの地に組み込まれたが、遂にムガール帝国の崩壊にいたるまでムスリムが多数派となることはなかった。
アル=カルダーウィー師は「ムスリム・マイノリティー法学」の概念について解説する本書の第一部において、ファトワー(教義回答)の中では参照が不可欠な「ダール・アル=イスラーム」の語を一切用いない。「ムスリム・マイノリティー」の語は、イスラーム法の施行の権力の問題を回避し、ムスリムの数の問題に巧妙にすりかえている。かつての「イスラームの家」にある「領域国民国家」群は、カリフの不在により政治的統一を欠き国境により分断されている点を度外視して内政に話を限っても、司法・行政・立法の全てにおいてイスラームの教えは施行されず、西洋流の人定法が強制されている。イスラームの教えが蔑ろにされているこれらの国々は果たしてダール・アル=イスラームなのか。またイスラームの法を無視する一方で、イスラームの法に矛盾、対立する法令を人々に押し付ける統治者たちはそもそもムスリムと呼ぶことができるのか。
 「ムスリム・マイノリティー」の用語は、現在においてダール・アル=イスラーム(イスラームの家)とダール・アル=ハルブ(戦争の家)とは何かを問うことを回避し、ムスリムが多数を占めるダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のムスリム諸国が抱える内部矛盾から目を逸らし、欧米などでマイノリティーとして生きるムスリムの問題がダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のムスリム多数派の問題から派生していることを隠蔽するものである。
 アッラーの使徒ムハンマドは最後の預言者であり、彼の天啓のシャリーアの法は人類全体に対して有効であり最後の審判まで妥当する。しかし、法自体が有効であっても、責任能力のない者、あるいは違法性阻却事由がある場合に法への違背が有罪とされないように、シャリーアの法もまた、特定の状況の下では、義務が免じられる。シャリーアの法が、窃盗に対する手首切断刑、飲酒に対する鞭刑、既婚者の姦通の石打刑、未婚者の姦通の鞭打追放刑などのフドゥード(法定刑)執行を命じているが、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)ではムスリムはこれらフドゥード(イスラーム法定刑)の執行が停止されることは、イスラーム法の諸学派の合意事項であることがその好例である。
しかし、ムスリムとはアッラーに服する者に他ならない以上、シャリーアの法に従って生きることが望ましいことは言うまでもない。それ故、ムスリムはシャリーアの実践が出来ないようであれば、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住することが求められる。シャリーア実践のメルクマールとして挙げられるのが、フドゥード(イスラーム法定刑)の施行の有無であり、居住地でムスリム共同体がフドゥード(法定刑)を施行できないようであれば、その地はダール・アル=ハルブ(戦争の家)であり、ムスリムはその地を去ってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなくてはならない。
つまり、ムスリムは、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)でシャリーアの法規定が守れないようなら、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなくてはならず、異教徒が彼らの移住を妨げるようならダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のムスリムには、彼らを救出しなくてはならない。つまりジハードにより彼らを異教徒から解放するか、身請けしてダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住させることが義務となるのである。シャリーアの法を守れなければダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなければならない以上、「ダール・アル=ハルブ(戦争の家)においてシャリーアの法を実践できない」という「問題」が生ずるのは、中国やミャンマーのようにムスリムの出国が厳しく制限されておりダール・アル=イスラーム(イスラームの家)への移住が困難な場合に限られる。欧米や日本のようにムスリムの出国が自由な国々においては、そもそもそのような問題は生じえないはずなのである。
「ムスリム・マイノリティー法学」とは主として欧米のムスリムが抱える問題への対応として考え出されたものである。ところが、欧米はイスラーム世界と長年にわたる敵対関係にあり、500年あまりのムスリム支配を経験したイベリア半島等を除きムスリムが殆ど住んでいなかった本来的なダール・アル=ハルブ(戦争の家)である。ところが、近代になって、この欧米との戦争において、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の大半が敗れて植民地化され、ダール・アル=ハルブに転化してしまった。このことが「問題」の根源であることを、「ムスリム・マイノリティー法学」は隠蔽しているのである。
既述の通り20世紀を迎えた時点でかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の大半はヨーロッパ列強によって分割、植民地化され、1923年には曲がりなりにも形の上では独立を保っていたオスマン・カリフ国が崩壊し、「法の支配」の象徴的な統一性すらも失われ、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)は名実共に消滅した。第二次世界大戦後、かつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の植民地諸国は旧宗主国から名目的に独立を果たしたが、西欧の弱肉強食のジャングルのルール「民主主義」の「人による人による支配」による「法の支配」の廃棄と、「領域国民国家システム」による単一の法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の分断状況の固定化を意味した。
ムスリムが統治権を失いシャリーアの法が施行されなくなったことにより、ダール・アル=イスラームからダール・アル=ハルブに転化した土地を「外見上の(スーラタン)ダール・アル=ハルブ(戦争の家)」と呼ぶ。この「ダール・アル=ハルブ・スーラタン(ダール・アル=ハルブ(外見上の戦争の家))は、法規定上はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)のままであり、可能な範囲内でシャリーアの法を守り、ダール・アル=イスラームに戻すことがムスリム住民に求められる。
つまり、現在の世界は、シャリーアの法が施行されないダール・アル=ハルブ(戦争の家)であるが、欧米や日本のような本来のダール・アル=ハルブ(戦争の家)と、元はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)でありながらイスラーム法が施行されなくなったことによりダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したが住民にイスラームの家に戻すことが課されている「外見上のダール=アル=ハルブ(戦争の家)」に二分されていることになる。
ダール・アル=イスラームはシャリーアの正義の法が統治する公正な法治空間であるのに対し、ダール・アル=ハルブは強者が弱者を支配する不正な弱肉強食の世界である。ダール・アル=イスラームがダール・アル=ハルブに転化したということは、ダール・アル=イスラームが、不正な支配者たちに分割統治される事態に立ち至ったことを意味し、その現状を変え正義の法治空間ダール・アル=イスラームに戻そうとの主張は、それによって不正な権力と富の既得権を脅かされる支配者たちの弾圧を蒙ることになる。
 2011年の所謂「アラブの春」によって明らかになったように、ムスリム諸国はおしなべて腐敗堕落した不正な独裁者たちにより支配されており、それに輪をかけて猶悪いことに、その事実を指摘する声は封殺されており、本来シャリーアの真理と正義の護り手であるべきウラマーゥ(イスラーム学者)たちもこれらの不正な権力の走狗に成り下がり、イスラームの政治理念に反した現状を批判することもなく、また彼らからイスラームの「あるべき統治の姿」であるシャリーアの法が支配し単一のカリフ制の許に統一された法治空間ダール・アル=イスラームの再興の義務を訴える声が聞かれることもなかったのである。
 本来、ムスリムはダール・アル=ハルブ(戦争の家)においてシャリーアの法に従って生きることができないという問題が生じれば、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住することが解決であった。ところが、現在の世界には移住すべきダール・アル=イスラーム(イスラームの家)がもはや存在せず、またその事実自体が隠蔽されているため、ムスリムたちが、「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」をダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に戻す努力を怠り、ある者は物質的豊かさ、社会的公正を求め、またある者は腐敗堕落した不正な権力を嫌い、あるいはその迫害を逃れて、欧米や日本などの本来のダール・アル=ハルブ(戦争の家)に移住するという今日の「異常事態」が生じているのである。
 たとえば、「世俗主義」を国是とするトルコでは、今日に至るまで公務員や国立学校・大学の教員、学生の女性ムスリムが、シャリーアの法が定めるスカーフ(頭巾:ヒジャーブ)を被ることを禁じられており、アラブ諸国でも最近までそうである国が多かった。それ故、スカーフ(頭巾:ヒジャーブ)を被る「自由」、つまりイスラーム法の規定を行う自由を守るために、イスラーム法の実践が制限されている元々はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)であったトルコなどの国々から、「信教の自由」が保障されており、女性がスカーフを被ったままで公的な場に顔を出すことが許される元々のダール・アル=ハルブ(戦争の家)である欧米や日本にムスリムが亡命するというような捩れたケースさえも少なくないのである。またイスラーム法の施行、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再興を訴えたために自国の政府から弾圧され、政治的自由があり人権が保障される欧米に亡命したムスリムも少なくない。
「ムスリム・マイノリティー法学」の立場は、こうしたムスリム共同体内部の矛盾、問題から目を逸らさせ、「ムスリムがマイノリティーであり差別され不利益を蒙っている」として、責任を異教徒に転嫁し自らを被害者のポジションに置くものである。ムスリム・マイノリティー法学の創始者と言われるターハー・ジャービル・アル=アルワーニー師も旧バアス党のイスラーム主義弾圧を逃れ本国イラクを離れサウディアラビア、アメリカで活動しており、本書で訳出した『ムスリム・マイノリティー法学』の著者アル=カルダーウィー師もまた本国エジプトでのムスリム同胞団への迫害を逃れてカタルに亡命しており、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の消失、シャリーアの法の不履行、政権の腐敗と不正、言論の弾圧といった今日のムスリム諸国が抱える問題を熟知していながら、ムスリム・マイノリティー法学を論ずるに当たって、それを正面から論じることを回避しているのである。
例えば、アル=カルダーウィー師は、欧米では、ムスリム移民にとって持ち家が必要であり、その必要性に鑑みて禁じられた利子付の銀行ローンを組んで家を買うことが許される、と論ずる。しかし彼は、そもそもイスラーム法を守れないなら、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に住むことは禁じられダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住しなければならないというのに、なぜわざわざダール・アル=イスラーム(イスラームの家)であるはずの本国を離れてイスラーム法に抵触する生活を送らねばならないダール・アル=ハルブ(戦争の家)の欧米に移住する「必要」があるのか、については口を噤んでおり、同書に収録された様々なイスラーム団体のファトワー(教義回答)も同様である。
つまり、ムスリム・マイノリティー法学は、西欧のようなダール・アル=ハルブ(戦争の家)でシャリーアの法を守って生きようとする場合に遭遇する問題を姑息に回避する弥縫策を提示することで、ムスリムがダール・アル=ハルブ(戦争の家)の欧米に移住しなければならない本当の原因、つまり、本国におけるシャリーアの「法の支配」の不在、政治の腐敗、不正、搾取、人権の抑圧、反体制派に対する弾圧、そしてそれらに起因する貧困と失業などの問題を隠蔽し、根本的な解決を妨げているのである。
確かに、マイノリティー・ムスリム法学は、欧米などの非ムスリム社会でマイノリティーとして暮らすムスリムに、一般信徒には馴染みの薄いダール・アル=ハルブ(戦争の家)の特殊規定を教える点では一定の成果をあげているが、カリフ空位、ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の消滅と「外見上の」ダール・アル=ハルブ(戦争の家)への転化というウンマ(ムスリム共同体)の現状を隠蔽することで、欧米のようなダール・アル=イスラーム(イスラームの家)在住のムスリムの求めるべきイスラームの生き方の指針を与えることには失敗しているのである。
 盛期オスマン・カリフ国の碩学アル=ナーブルスィー師(1731年没)は、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者はダール・アル=イスラーム(イスラームの家)に移住するまでは、イスラーム法の行為規範への違背は全て免責される、と述べている。ところが、1923年のカリフ制崩壊によってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)が全てダール・アル=ハルブ(戦争の家)に転化したとすれば、現代のムスリムはダール・アル=ハルブ(戦争の家)に生まれ育った者であり、移住すべきダール・アル=イスラーム(イスラームの家)ももはやない以上、ウンマ(ムスリム共同体)の課題は、ダール=ハルブ(戦争の家)に転化したこの世界で、アッラーの使徒の後継者(カリフ)の資格を持たない者たちによる来世の罰の威嚇に怯えてシャリーアの法の細則の遵守にこだわることではなく、信仰の基本に立ち返ることである。
それは、アッラーへの服従、アッラーの使徒への服従に立ち返ることであり、それはアッラーの使徒の逝去は彼の後継者カリフを擁立しシャリーアの解釈の最終審級、施行の権威を明らかにし、その下に団結してシャリーアの法の支配する法治空間ダール・アル=イスラーム(イスラームの家)を再興することなのであり、シャリーアの法の細則の遵守を問題とするべきなのは、カリフ制によるウンマの統一と法治空間ダール・アル=イスラームの再興の後のことなのである。
クルアーンの最初期の啓示は、神の唯一性、生命の永遠性、最後の審判と来世の存在などの信仰の基礎、不正な富の偏在の糾弾と社会的弱者の庇護などの倫理の教えであった。また礼拝(サラー)にしても、なるほど礼拝自体はクルアーンの最初期から命じられているが、現在のような形式での礼拝を一日に5回の定刻内に行うことが義務付けられるのは、最初の啓示から8年あまりが経った後である。また飲酒の禁止が定められたのは使徒ムハンマドとムスリムたちがマディーナに移住(ヒジュラ)してから後のことであり、女性のヒジャーブ(頭巾)の着用が義務付けられるのも移住(ヒジュラ)の後である。
アッラーと来世を信じ、使徒ムハンマドの権威の下に団結して社会正義の実現に向けて努めるだけで、一日の5回の礼拝もせず酒も飲んでいたとしても、使徒ムハンマドの宣教の初期においては、それは紛れもなくアッラーによって嘉される十全なイスラームであった。他方、一人の権威の下に団結して社会正義の実現のために努めることなくして、食物規定や服装規定の細則のみにこだわるといったことは、使徒ムハンマドの存命中には決して起きなかった、即ち、それは使徒の伝えたイスラームではないのである。
現在のウンマの義務は、「外見上のダール・アル=ハルブ(戦争の家)」、つまりかつてのダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の地を、国境のない統合された単一の法治空間ダール・アル=イスラームに戻すためにカリフを擁立して団結することである。アメリカや日本などの本来のダール・アル=ハルブにいるムスリム移民もまた、本国に戻ってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再建に加わるべきである。しかしどうしてもやむをえない事情で本国に帰国できない者は、外国の居住地においてできる範囲でダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再建に協力しつつ、先ず信仰の要諦を学び、社会正義に適った道徳的生活を送り、しかる後に、ダール・アル=ハルブ(戦争の家)の法規定を本質的なものから順次、可能な範囲で実践することが求められるのである。
ムスリム移民を受け入れるホスト社会も、「ムスリム・マイノリティー問題」がまさに問題として立ち現れるに至った現代のウンマ(ムスリム共同体)の現状を正しく理解する必要がある。そのような理解に立つなら、ムスリムが安心してシャリーアに適った生活を送ることができ、全てのムスリムがその内部では国境や関税に妨げられずに自由に安全にどこへでも移動できる法治空間ダール・アル=イスラームが再興されることによって、政治、社会、経済的問題から本国を逃れてホスト社会に移住、あるいは亡命せざるをえない者がいなくなるように国際的に働きかけることが可能になる。
その上で、ホスト社会でシャリーアの法を守って生きようと望むムスリムに対しては、ホスト社会は先ず、ムスリム移民は本国に帰ってダール・アル=イスラーム(イスラームの家)の再建することが第一選択肢であることを教え、帰国のための便宜を図ることが求められる。その上で、ホスト社会がムスリム移民の定住を望むのであれば、彼らを一つの法共同体として扱い、独自のカーディー(裁判官)を立ててフドゥード(法定刑)を成員に科すことを最大限とする自治を可能な範囲で与えることが望ましい。
但し、以上に述べたことは、あくまでも理論上の理念型に基づく議論であり、実際のムスリムは多様であり決して一枚岩ではなく、イスラームの理念の忠実な実現を目指す者もあれば、西欧流の「政教分離」を信じ内心の信仰と個人的領域でのみイスラームの実践に努める者もおり、またシャリーアに関心もなく実践しようとも望まない名ばかりの「世俗的」ムスリムもいるのであり、現実の対応は、ホスト社会とムスリム移民の双方の事情に即して臨機応変に行わざるを得ない。
 アル=カルダーウィー師の『ムスリム・マイノリティー法学』を手掛かりに、シャリーアの法を出来る限り実践しつつホスト社会に適応しようとのイスラーム意識の高いムスリム移民たちの営みに光を当てると共に、「ムスリム・マイノリティー問題」が生じた背景を分析し、ホスト社会がそれにどう対応すべきか、についても理論的に道筋を示す試みである。
本書が、今日のムスリムたちのおかれた現状を理解し、ムスリムたちの抱える問題と西欧の偏見のノイズを取り払い、イスラームの真髄を理解する一助になれば、著者たちの望外の喜びである。ミナッラーヒッタウフィーク