戦略的重厚性
目
1.序文
第一部 概念的、歴史的理枠組
第1章:パワーのパラメーターと戦略
Ⅰ.勢力均衡とその諸要素
1.定数:地理、歴史、人口、文化
2.変数:経済、技術、軍事力
3.戦略思考、文化的アイデンティティ
4.戦略と政治的野望
Ⅱ.人的要素と戦略的制度における乗数効果
Ⅲ.典型的応用領域:防衛産
1.パワーのパラメーターと防衛産業
2.トルコのパワーのパラメーターと防衛体制
第2章 戦略理論の不備とその帰結
Ⅰ.トルコのパワーの要素の再評価
Ⅱ.戦略理論の不備
1.文化的、構造的背景
2.歴史的背
3.心理的背景:引き裂かれた自我と歴史意識
第3章 歴史遺産とトルコの国際的地位
Ⅰ.歴史におけるトルコの国際的地位
Ⅱ.ポスト冷戦期と国際的地位の外的変数
Ⅲ.政治文化と国際的地位の内的変数
1.歴史遺産と政治文化の下部構造
2.歴史的連続性と政治トレンド
3.ポスト冷戦期と政治トレンド
第二部 理論枠組:漸進戦略と領域政治
第1章 地政学理論:ポスト冷戦期とトルコ
Ⅰ.空間把握、地理認識、地図
Ⅱ.地政学理論とグローバル戦略
Ⅲ.ポスト冷戦期と地政学的空白地帯
Ⅳ.トルコの地政学的構造の再評価
第2章 近隣陸上圏域 バルカン半島-中東-コーカサス
Ⅰ.歴史・地政学的諸問題とバルカン半島
Ⅱ.アジアへの扉とコーカサス
Ⅲ.不可欠のヒンターランド:中東
Ⅳ.近隣陸上圏域の境界の柔軟性と近隣諸国との関係
第3章 近隣海上圏域 黒海-東地中海-ペルシャ湾-カスピ海
Ⅰ.歴史的背景
Ⅱ.冷戦期とトルコの海洋政策
Ⅲ.ポスト冷戦期の新海洋政策の諸要素
1.黒海と周辺の水路
2.ユーラシアの戦略的結節点:海峡
3.東地中海圏域:エーゲ海とキプロス
4.バスラ湾(ペルシャ湾)とインド洋
5.カスピ海
第4章 近隣大陸圏域 欧州、北アフリカ、南アジア、中央アジア、東アジア
Ⅰ.ポスト冷戦期の規範的大陸政策とその定義
Ⅱ.グローバル大国と地域大国の大陸政策
Ⅲ.トルコの近隣大陸圏域の主要素
1.ヨーロッパ概念の変遷とトルコ
2.アジアの重厚性
3.アフリカへの展開
4.諸大陸の交流地域:大西洋、ステップ地帯、北アフリカ、西アジア
第三部 応用領域:戦略目標と地域政策
第1章 トルコの戦略的関係と外交目標
Ⅰ.NATOの新戦略ミッションの枠組みにおける大西洋枢軸とトルコ
1.アメリカの戦略とNATO
2.ポスト冷戦期とNATOの新しいミッションの模索
3.コソボ作戦とNATOのグローバルなミッションの定義
4.NATOの新しい戦略ミッションとトルコ
Ⅱ.全ヨーロパ安全保障協力機構AGİT
Ⅲ.İKÖ:アフロ・ユーラシアの地政学的人文地理学的交流図
1.20世紀のイスラーム世界:概念的、政治的変化
2.ポスト冷戦期と21世紀のイスラーム世界
3.トルコとイスラーム世界
4.İKÖ の未来と再組織化
Ⅳ.ECO:アジアの重厚性
Ⅴ.KEİ:ステップと黒海
Ⅵ.G-8 とアジアアフリカ関係
Ⅶ.国際政治経済とG-20
第2章 戦略的変化とバルカン諸国
Ⅰ.ポスト冷戦期後の組織的矛盾とバルカン諸国
Ⅱ.ポスト冷戦期と域内勢力均衡
Ⅲ.ボスニア危機とダイトン協定
Ⅳ.NATOの介入とコソボの未来
Ⅴ.トルコのバルカン政策の基礎
1.歴史遺産とバルカン諸国
2.域内諸国関係
3.域内勢力均衡
4.地域を取り巻く政治
5.バルカン政策におけるグローバルな戦略目標
第3章 中東:政治経済的、戦略的勢力均衡の鍵
Ⅰ.中東の国際的な地位に影響する要素
1.地理的、地政学的要因
2.歴史的、人文地理的要素
3.経済地理的要素
Ⅱ.グローバル大国と中東
1.アメリカの戦略の基本的パラメーターと中東
2.ヨーロッパ諸勢力と中東
3.アジア諸勢力と中東
Ⅲ.域内勢力均衡と中東
1.地域の地政学と戦略的三角メカニズム
2.アラブ世界の勢力均衡:アラブ民族主義の危機と政治的正当性問題
3.イスラエルの新戦略と中東
4.地域勢力均衡と中東和平プロセス
Ⅳ.中東政策の基本的ダイナミズムとトルコ
1.国際経済の視点からのトルコの北中東政策
2.中東の地政学的変化とトルコの北中東(東大西洋‐メソポタミア)政策:トルコ、シリア、イラク
3.トルコ―アラブ関係から見たトルコの中東政策
4.トルコ―イスラエル関係のグローバルな次元と地域的次元
5.歴史的重厚性の視点からみたクルド問題
6.グローバル及び地域的勢力均衡の視点から見たクルド問題
第4章 ユーラシアの勢力均衡における中央アジア政策
Ⅰ.中央アジアの国際的地位に影響を与える要素
1.地理的、地政学的要素
2.歴史的、人文地理的要素
3.人口学的要素
Ⅱ.ポストソ連期と中央アジアの変化
Ⅲ.ポスト冷戦期の国際諸勢力の勢力均衡と中央アジア
1.グローバル大国と中央アジア
2.アジア内勢力均衡、地域大国と中央アジア
3.域内勢力均衡
Ⅳ.トルコ外交と中央アジア政策
第5章 ヨーロッパ共同体:多次元的、多面的関係の分析
Ⅰ.外交的/政治的関係の平面
Ⅱ.経済的/社会的分析の平面
Ⅲ.法的分析の平面
Ⅳ.戦略的分析の平面
1.グローバル次元
2.大陸的次元
3.地域的次元
4.二国間戦略の分析の例:歴史的重厚性とポスト冷戦期のトルコ‐アルメニア関係
Ⅴ.文明/文化思想の平面
1. 新しい伝統的反応としてのEUの歴史的背景
2.周辺化/中心化の振り子運動における歴史的背景とEU-トルコ関係
Ⅵ.歴史の反映の把持におけるトルコ-EU関係
結語
前書
ポスト冷戦期の戦略のテーマを定め、再評価するように努めることは大変難しい。というのは、それ自体が極めてダイナミックな問題を、それもまた極度にダイナミックな環境の文脈の中で主題化して理解する試みだからである。おそらく建国以来最も重要な変化を経験しつつあるトルコが、やはり歴史上最も大きな変化の舞台となっている国際環境の中で、新たな変容を遂げつつあるのだ。形成途上にあるこのダイナミックな過程は、本書の序文で定義する記述、解明、理解、説明、指針化はどれも、どの頁においてもすべてその全体において、極度に濃密な思考活動の断片にとどまっている。
これらの方法論的困難にもかかわらず、時空(歴史と地理)の理解の中で意味を有する論理的に首尾一貫した合理的な戦略を分析することが、価値判断とは別に行うべき固有性を有することは、この問題構成自体に由来する。安定した構造であれば静態的な枠組の中で問題設定を行い、平板な頭脳活動によって理解することが出来る。そのような(静態的)分析も、状況がもっと安定している時代であったならば、事実を明晰に再構成できたであろう。しかしダイナミックな変化を経験している危機の移行期には、歴史的な影響力を考慮にいれた上で継続性のある戦略を練り上げることが重要となる。国の未来のオルタナティブを視野に入れた戦略分析の枠組が今こそ必要であるが、本書がそのためのささやかな貢献となることを望んでいる。
社会の大きな変化の時代に即した方法論のこの問題に真剣に取り組み、超克に努める戦略的アプローチ、分析、理論化は、社会が歴史の舞台へ躍り出て、歴史の舞台の立役者たちによる既存の体制の推進力を変化させうる可能性を乗数的に加速させることが出来る。近代のドイツの国力を成立させたドイツの戦略的指針設定の基礎が、ドイツ統一の形成期の苦難の中で築かれたこと、安定的、累積的なイギリスの戦略思考がイギリス内戦後の進歩とその思想の向上の帝国拡張期の経験の中で、ロシアの戦略的オリエンテーションがすべてのパラメーターと19世紀のダイナミックな勢力均衡の中で形成されたこと、「アメリカの世紀」を現出させた戦略の蓄積が第一次、第二次世界大戦後の混乱期に集中したことは決して偶然ではない。
ダイナミックな変化の過程にある社会の中にあって、それに属する個体として、当該社会に関する戦略を分析することは、急いで流れる波頭の高い川に流されながら、川床、流速、水流の方向、他の川との関係などの問題を研究することに似ている。自分が調査している川の中で自分自身も流されつつも、その流れの性質を理解し、その特質に鑑みて、その川に関して、記述、解明、理解化、説明、指針化の理論的枠組を考えださねばならないのである。川の外にいる傍観者として、(同時代の歴史の)流れに翻弄される人々の心情と人生を客体化することは、道義的に無関心な月並みで表面的な観察に成り下がる。一方、(歴史の)川に飛び込んで流れに身をまかせてしまっては、自分が飲み込まれた流れについて、事態を客観的に理解することはできず、自分の期待が混じっては、歴史の本当の意義を把握することはできない。社会科学の方法論において、このジレンマは、研究者「自身が試験管内で暮らす」と表現されている。
このジレンマにおいては、川に(流される人々の)心情と人生を疎外させるにまかせることは道義的に責任があるが、かといって、川に流されてしまえば知的責任を負う余地は狭まってしまう。道義的責任と知的責任を共に理論的に調和させる研究者であれば、思考にあたってアカデミシャンとして言行を一致させ、社会文化的関係を普遍的真理の領域に力強く反映させることができる。思想家、知識人も、一般の人々と同じように、空間と時間、つまり歴史と地理の意味世界に、いやむしろ他の人々より以上に自己投入が可能であるために、自分が流された川だけでなく他の川の流れにも自己投入するアプローチが可能となるのである。
一個人として普遍を感知でき、実存の意識とその深みと文明の主体としての特定の時代の流れを感じられる社会帰属の主体、そして歴史意識とその重厚性、つまりその意識が反映していると考えられる場を感得できる社会帰属の主体も、戦略的意識と重厚性を必要としている。個人のレベル、つまりミクロ・レベルから、社会、文明、歴史のレベルのマクロ・レベルに向上、浸透することは完成の探求であり、そしてすべての文化圏域は、この探求それ自体を真理の定義に含めている。
本書においては、この意識のレベルが最も際立つ戦略的重厚性を、道義的学問的責任のバランスを取りつつ研究するように努めた。ずっと我々が考えてきたことを、完成への冒険の歴史の深みと実存の断片を目にする同時代の同じ川を我々と共に流れゆく同志である我々の読者たちに捧げたい。
本書の過ちは著者一人に帰されるが、主張すべきものがもしあるとすれば、主体という観点に立てば同じ川を下る冒険を共にする者たちの匿名の文化の環境の産物である。同じ理由で、なによりもこの文化環境(伝統)の歴史的連続性を担保してきた先師たちとその道統に繋がる者たち、そしてこの環境(伝統)の全ての側面を共有してきた友人たちに、筆者は恩義がある。
本書が時間理解の視角からは過去の歴史から未来への、空間理解の視角からは中心から周辺への架け橋となりますように。
1.序文
国際関係の領域も、その構造の中で保護する社会的特質の研究の基礎には以下の5つの次元がある。
(1)Tesvir(betimleme)(2)açıklama(3)anlama(4)anlamlandırma(5)yönlendırma。Tesvir(記述)の次元は、研究対象が観察された形で記述することに基礎づけられるが、(2)açıklama(解明)の次元の主目的は、観察される現象が観察されるダイナミズム自体をその(観察)体験の過程との因果関係の枠組に位置づけることである。記述の解明の間の関係は、首尾一貫した概念化を必要とする。研究の対象となる現象の通常の記述は日常的に使用される用語で単純なレベルで行われるが、この記述を解明のレベルに引き上げるには、独自の概念枠組を作り上げねばならない。基本的には、学問における記述、解明の営みとは、日常的な観方とは異なり、明晰で首尾一貫した概念化の枠組が使用されている。特に因果関係の解明とは、後続の過程もまた他の現象に関係する前提条件であるような全ての事象とその過程を対象として使用することができる概念セットを構築することなのである。
解明の次元に重厚性を加えたanlama(理解)の次元は、現象の生成過程の論理の中で概念化されることができる必要がある。説明は、研究される現象の間での因果関係の確定であるが、理解化とは現象の真相に知的想像力によって肉薄する(nufüz edebilme)試みであり、首尾一貫しシステマティックな抽象化の作業を必要とする。この抽象化作業の必須条件は、現象から知的過程へ、知的過程から現象への移行が可能であることである。理解化の次元は、この往復の移行がなされることを可能とする抽象化作業によって実現されるのである。このような類推が有用であるとすれば、観察されたものを説明することは、平面幾何学の論理を用いるようなものである。諸々の出来事が純粋な論理の枠組の中に現れること自体の中に、正しい諸要素は含まれているが、現象の真相と背景に到達するためには十分ではない。理解化が、肉薄から出発するとしても、かならず重厚性、ついでパースペクティブ(立体的見通し)が必要となってくる。これは平面幾何学との類推と共に立体幾何学のパラメーターによる知的作業がなされることを意味する。
理解化とは、研究対象が重厚性を概念化するパースペクティブである。:説明(anlamlandırma)といえば、このパースペクティブに方向性を加えた姿勢を有することと言うことができる。現象をただ記述するか、進歩の次元(ileri boyutta)で説明するだけでははならないように、現象をただ相手に意味が伝わっただけでは、総体においては説得することができたということにはならない。説得は最初は独創的な姿勢、その後には独創的な理論枠組を必要とする。これはただ肉薄するだけではなく、同時に体感されること、発展が直観されること、全体の中であるべきものがあるべきところに配置される状態ということができる。あらゆる説得の作業が全体において首尾一貫した理論的枠組に基礎づけられることは困難である。観察から概念化、概念化から抽象化、抽象化から理論への移行、記述から解明、解明から理解化、理解化から説明への移行が方法論の鍵なのである。
行動指針化(yönlendırma)とは、説明の枠組から結論を演繹し、その結論を、それに依拠したものとして、現象とその過程に応用することである。この応用は不可避的に政治的/社会的責任の領域、間接的に学問倫理の次元へと移入する。最初の4つの次元が知的な問題にとどまっているのに対して、第5の次元は、これらの知的なプロセスと実践との間の架け橋となる。この事態は特に国際関係論の領域においては大いに必要とされる。基本的に国家戦略の方向付けにおいて影響力がある多くの戦略家たちにとって、前の4つの次元はこの最後の次元の実行のための知的な中間段階なのである。異なる仮説と説明を目指す問題意識から出発したマッキンダー、マハン、スパイクマン、ポール・ケネディー、ハンチントンのような同時代に影響力があるとみなされた理論家たちの多くが、最終的に記述から解明に、解明から説明に、そしてすべてのこれらの問題意識からの出発して、行動指針化に向けて思想を発展させていった。最初の4つの次元において論理的に首尾一貫し歴史的に有効な問題意識を有していればいるだけ、最後の次元においても同じだけ永続性がある影響を残すことができるのである。
記述の平面から行動指針化の平面にまで移行すると、理念的なパラメーターがより多くり始める。記述とは、自らを境界づけることで客観性を最も高いレベルで保証する次元である。解明の次元においては記述行為の客観性の中にとどまることはたいへん容易であるが、理解化の次元で認識と象徴へと移行する。説明の次元は、研究対象以上に研究者主体が前方に現れ、この主体が概念世界と ―それを介して概念パラメーターとも― 説明のために定式化した理論枠組との間の依存関係を強化する。行動指針化は、主体が属する社会/国家/文明と自己同一化しつつ、観察対象と、その現象と過程を解釈する行為になったものである。この最近の最も知られた例の一つを、職業的には社会科学者として出発したハンチントンが「文明の衝突テーゼ」として提示した理論枠組とアメリカの戦略的思考の間に築かれた関係に見ることができる。ハンチントンの「アメリカ/その他(西洋/他者)」という範疇は、思考パラメーターとしてのその説明枠組と、研究の最後でアメリカ政府に対して行った戦略政策提言の行動指針化の枠組を直接に決定している。
解明者の記述の客観性と行動指針化する者の理解化の主体性の間の関係は、同時に戦略的分析の最も脆弱な点の一つとなっている。この主体性‐客観性問題を超えられない営為は、記述の平面から始まりつつ主体性を求めらるに至っていながらも現実に通用しないか、行動指針化の平面で客観性を訴え続けて説得性をもたないかである。
原理的に、このすべてのプロセスの全体を見る必要がある。記述できないことを解明することはできず、解明できないことを理解させることはできず、理解させられないことを説明することはできず、説明できないことを行動指針とすることはできない。逆に言うならば、態度を決めないで行動指針を持つこと、行動指針を有さずに説明枠組を作ること、説明枠組なしに現象に肉薄して理解し終点の見通せない次元を解明することはできない。健全で永続的な分析はすべてこれらすべてを内包している。この我々の重厚な方法論の領域で私たちが目指したことも、基本的に、この内的統合性を実現し、そしてこの方法論的重厚性の次元から出発して、現象的かつ地政学的/戦略的重厚性を説明するアプローチを取ることである。
この分野で重厚性な戦略的分析を選びうる条件は、静的図式の偽りの幻想の影響下に留まらないことである。現象の理解の記述に依拠する静的図式を描くこととその図式の色合い、線、パースペクティブの絶対化が、記述から解明へ、解明から理解化へ、理解化から説明へ移行する前に接ぎ木されると、最終段階で、「パワー」の意味を理解する障害となる。感覚的に明瞭に見て取れる静的な図式の互いに無関係な寄せ集めでしかない戦略分析は、時間の次元を無視した表面的で凡庸な記述となる。
この方法論的欠陥を克服するためには、単一の次元の安易な記述を避けて、多次元的なプロセスを考慮しなければならない。物理学における運動法則にあたるものが、戦略分析におけるプロセスに相当する。運動のない静的世界観においては物理学の意味は失われる。このような世界観の枠組においては、パワーの定式化作用を果たさせることはできず、歴史の成り行き、プロセスを無視した戦略分析では、戦略的の齟齬を見出したり、他者に説明することはできない。
たとえば、1950年代、60年代、70年代には、パワーの分立を示す静的図式によって、ソ連は2極体制の超大国の焦点の一つとみなされていた。ソ連がアフガニスタンに侵攻した80年代初頭には、スターウォーズ計画のプログラムに入れられて80年代の中盤には中止された一つ一つの戦略図式が、一枚の一覧表を作り上げていた。これに対して90年代の初頭には中止された戦略的、経済/政治的図式は、ソ連とその継承国ロシアを、多角的なこのパワーのヒエラルキーのずいぶん下位に位置づけるようになっていた。ごく短いタイムスパンに対してなされたのだとしても、静態的記述は変化のダイナミズムを明るみに出すことは不可能である。日常的変化を反映する多くの図式が作られたとしてさえ、これらが互いに時間的に関連しあうプロセスを組み込まずには、戦略を分析、解説することはできない。
社会現象を諸要素に腑分けする分析と、この分析を国際関係に反映する方策を生み出すことが、それぞれ別途に重要であるとしても、独自の国際関係論のアプローチとなるためには十分ではない。分析の対象となる戦略の部分的諸要素をシステマティックに統合して解説できること、そしてその全体が再び部分的諸要素に還元されうることが必要なのである。分析過程でミクロな部分に下って行けば、システムとしての統合性を損なうことになってしまう。あるいは逆に、システムの統合性を直接的に志向しては、現実のミクロな領域を無視することになってしまう。理論と現実へのアプローチでバランスを保つことは大変難しい。
国際関係の分野において、深みのある分析を行うと同時にシステム統合の全体の見通すためには、学際的なアプローチが必要である。高度に政治的、外交的である学問領域とみなされる国際関係論において、その割合がどんどん増えて、境界の不明瞭性で覆われるようになっていることは、その必要性の帰結でもある。国際関係論の課題とみなされる政治/外交の表舞台は、本来氷山の海面上に顔を出した部分(氷山の一角)のようなものである。氷山の見える部分から出発して、その全体像を推測することがいかに難しいのと同じく、国際関係論の対象となる事象の諸相について、決定的な結論に到達することもまた困難なのである。
一例を挙げると、中東和平プロセスの外交/社会的次元と、その次元の展開、国際関係現象がすぐ区別されるが、その結果もまた構造的に観察される部分が反映されているのである。しかし中東問題を一つの全体として概念化するためには、氷山の水面下の深さを認識するための認識論的基礎が必要となる。氷山の最も表層に近い部分は世界の産油の中心地としての政治経済学、そして大陸的影響の深みの地政学的構造があり、最後に歴史の深みに由来する文化的要素という目に見えない諸要素が中東社会の社会的心理的構造に与える影響を理解しない戦略的分析は、浅薄と言わざるをえない。ユダヤ人とムスリムのエルサレムをめぐる象徴界のクラッチペダルを踏み込んで、この象徴界の多くの色を織りなす歴史的、心理的要素を観察することで、二つの社会の双方を方向づける社会学的な動機付けのダイナミズムから、中東問題についての考察に敢えて踏み出すことは、氷山の見えている部分から敢えてその全体像の推定に踏み込むことに似ている。
目に見える現象の背後の見えない根本的な原因を把握するためには、諸宗教の歴史、政治史、政治経済学、政治社会学、宗教心理学を横断する学際的なアプローチを我が物とすることが必要であり、そうでなければ、一次元的静的図式から多次元的なプロセスを理解させることへと移行することはできない。
歴史の流れのプロセスの理解化には、時間把握の基礎となる歴史の深みと空間把握の基礎となる地理的深みが必要となる。歴史の深みを反映する精神と、地理の深みが物質界に穿った地理の深みに化身した精神に我々は影響している。ともあれ歴史のような現実に影響が存在することを地理で境界づけ、権力布置を国際社会の中に発見する試みは、この(時空の)対構造の重厚性に対する分析的かつ構造的視角による。相互連関を断ち切り断片化する歴史的な重厚性を欠く分析と、ミクロ‐マクロな重なりを主題化できない重厚性を考慮しない地理的分析は、共に表層的一般化を行うが、この近視眼的‐直線的なシステム統合の還元の過ちを正すことはここでの主題ではない。
***
トルコに国際的地位を与えることを目的とするあらゆる努力には、この方法論的必要性の自覚が不可欠である。どの国家を主題にする場合にも当てはまるこの方法論的必要は、トルコを主題とする議事録においてはより重要となる。上述の諸次元を視野にいれると、「トルコとは20世紀の歴史の舞台に現れた国民国家である」との定義は、記述の視点による諸要素からなっていることになる。しかしこの概念の説明枠組が、本書の理論的基礎となるためには、20世紀に歴史の舞台に出現した他の近代国民国家に比べて、なぜトルコが特に国際関係においてより多くの問題を抱えることになるのか、という問いに対して答えなければならない。たとえばルーマニヤ、フィリピン、ブラジル、モロッコのような、世界の激動する諸地域の他の国々とは比較して、トルコがこの記述に特に値することにより、トルコが国際的地位を有し、その地位が様々な危機的事態への影響に結実することを説明することができる。
たとえばこの定義に新しい次元を付け加えて、トルコはこの世紀初頭のユーラシアに覇を唱えた6大多民族帝国(他は英、露、オーストリア‐ハンガリー帝国、仏、独、中国、日本)の構造の一角を成した国民国家である」と記述されれば、トルコと並ぶ他の国民国家との差異を明らかにする歴史的な基準を示し、この方針の説明枠組、理論的基礎を成す記述がなされたことになる。また、たとえば「トルコは地上の中心にある大陸の地政学的主要地帯の相互影響が見出される近代国民国家である」との言明と区別される説明の次元を開く記述ともなっている。そしてこの第一の文化地理的、歴史的記述と、第二の地政学的概念化は相関している。
これらの記述が内包した基準や概念を通して、個々の事態を説明する解答を与えるための理論的基礎が置かれる。たとえばトルコがボスニア、コーカサス、中東における問題に対してこれまで無関心であることができず、これからもできない理由は、この記述によって初めて説明する道が開かれる。言うならば、独自な諸要素を内包しない記述、説明は、多次元の問題を解きうる方法論的装置を提供できないのである。
この二つの記述の双方を連関させることによって、個別の諸事象の因‐果関係を示す説明の寄せ集めであることを超えて、トルコが関わってきた時と場の深みの持つ意義を理解する枠組が設定される。時と場の深みを志向するプロセスは、不可避的に抽象化の手続きを組み込むことになる。簡潔に定義するなら、理解をもたらすということは、時と場所の深みを体験し、この深みと思想的理念の間に一種の関係を樹立することによって始まるのである。
この理解化の枠組は、時と場所の深みの体験に留まらない。;上記の理論枠組に、この深みの新しい理解の次元を加えるのである。たとえば、現行の歴史と地理のパラダイムを問い直し、トルコの独自の位置を再定義することが、そのような理解化作業の理論枠組を生み出すと言うことができる。
トルコに関わるこの例において、記述とその記述の解明、理解、理解化、行動指針化の諸次元は別様にも表現される。たとえば「トルコは反植民地闘争の結果として樹立された最初の国民国家である。」、あるいはまた「トルコは大陸性と地域性を兼ね備えた国民国家である。」と記述することもまた同様なプロセスである。こうした内容の記述は、分析の次元を豊かにする。
この方法論的問題が、トルコに関る分析が、他の国々の分析よりずっと内容がある形で論ずることができることは、トルコが世界の中心的な大陸の相互に影響しあう諸領域を含む地理的中心であり、歴史的破局を体験した人的諸要素を含んでいることとも関係している。トルコの地理的重厚性の概念化作業は、多くの陸と海の圏域と直接に関る戦略を分析し、その相関を見出すことを必要とする。
トルコの人的諸要素は歴史体験の重厚性の刻印を帯びており、そしてこの体験に道を開いた政治、社会、文化的特性の拍動は、文明という軸を有し深みのある歴史の分析が常に不可避である。トルコの人的諸要素が織りなした歴史の深みは、我々の手になる他の営為に意味を与える研究の基礎となり、資料に基づき実証できる外交の戦略的重厚性、歴史の重厚性の研究に資する参照枠組の境界付けることになる。この戦略的重厚性を、人文地理学的、地政学的、経済地理学的に行動指針として統合することで把握し、そしてこの重厚性が戦略の行動指針化に必然的に影響を及ぼす独自性を明らかにしなければならない。
トルコの基準に適う国家戦略の重厚性を表現しうる記述、解明、理解化、説明、行動指針化の次元は、統合的な視角から、方法論的問題を主題化しながら、発見されることを必要とする。トルコの国際的地位に関わるこの必要性は、国際関係の激動を体験した世代にとっては、魅力的なまでに自明である。冷戦の静態的な二極構造におけるパワー(覇権国)が有した多くの独自な特性は、冷戦後に起きた激動の危機的事態において、すべての側面が明らかになっている。安定した冷静な外交で対応できると思われていた冷戦の下での定型的な国際的危機の記憶に固執することが、歴史と地理の重厚性を有する戦略的を統合的に解き明かすことの障害となる。冷戦期には安定が期待されていたバルカン諸国があっという間に最高強度の紛争による不安定なカオスに陥ったことは、 逆に地政学的、経済地理学的、人文地理学的な様々な要素が、冷戦後期の国際的危機が一触即発のものであることと、歴史と地理の重厚性は戦略の領域にダイナミックな影響を及ぼすことの関係性の、最も説得的な実例となっている。
全て、このダイナミックな変化の中心においても、周辺においてもである;しかし冷戦後期にその影響下にあったトルコに対して行われた戦略的予想が3つの点でいつも揺れ動いていた根本的な理由も、ダイナミックな独自性を有するトルコが、ダイナミックな国際的な危機的状況によって加速されて歴史の舞台に登場したからである。
本書の様々な個所で明らかにしていくが、トルコは一面では戦略上、グローバル、および地域的な焦点に位置する枢軸国でありながら、別の面ではアイデンティティーが分裂している国(ハンチントンの言葉によると、「引き裂かれた国」)とみなされるのは、小さな建物を大きな建物に建て替えるためには、外枠の構造を変えなければならないのと同じである。それは互いに全く逆であり、二つの異なる記述と説明枠組を互いに持ち寄りながら異なった点で立ち止まる戦略家たちによる解明と理解化のレベルの根本的な差異の結果に正確に対応している。
トルコでは、政策決定者と知識人のレベルでの知的混乱は、根本においてこの二つのダイナミックな構造に由来するカオスを浮き彫りにする公式な記述において必要な地理的歴史的深みの次元に達しないことと、システマティックな理解化の統合を達成できないこと重要な関係がある。ダイナミックに変化しつつある国際システムの中で生じている新しい事態は、トルコの戦略的定義と新たな順応の問題とを対立させている。新たな順応の必要と、トルコの歴史的地理的重厚性を新たに説明する必要性は、各々互いに引き寄せあう。静的な定義に慣れた知性は、この新たな説明を必要とするシステム統合の中で出会う事象を無視しては、静的な記述だけで説明できる連関さえ明らかにできない。記述と解明から理解と説明の次元に達しない静的なアプローチによる行動指針化は、スローガンが静的であることの、あるいは静的なスローガンの限界を超えることができない。国際システムにおける激動の逆流の渦に巻き込まれないよう抗う知性は、説明のモメンタムを失い、絶え間なく浮沈を繰り返すことになる。そして逆流の渦に巻き込まれることを拒む知性は、内向的になってしまい、静的な説明枠組では国際的危機に対応できないことを理解できなくなる。
ダイナミックな国際的環境に身を置きながら、自分自身もダイナミックな変化の過程の中にある社会の前には、3つの異なる心理に基づく3つの選択肢が存在する。第一は、己自身のダイナミズムを抑制し安定を志向し、国際的な構造変化のダイナミズムの消滅を期待し、あらゆる自己定義を国際システムの安定まで先延ばしすることである。もしある社会自体がダイナミズムを志向する自信を有さずむしろそれを恐れ、それゆえ静的な自画像の維持を志向するなら、この選択肢を取ることになる。
第二は、グローバリゼーションのダイナミズムの展開に心を奪われ、自分自身に焦点を当て覇権の諸要素の一つとしてそのダイナミズムを説明できないことである。これは、自分自体を歴史の主体として定義付けることができず、歴史が流れる川であり、グローバルな覇権の中心はこの川の流れを方向づける要因であるが、自分自身はその流れに巻き込まれるだけの横並びの無個性な対象でしかないとの視点の所産なのである。
第三は、自分自身のダイナミズムのポテンシャルを、国際的なダイナミズムの坩堝における覇権のパラメーターに変容する営為である。この選好は、二つのダイナミズムの源泉の双方のメカニズムと流れの成り行きを記述し、解明し、理解し、説明できるアプローチの所産である。
第一の場合は自信、第二の場合は(アイデンティティー)自己認識の問題と取り組むことになるが、第三の場合は、自己の歴史と地理の深みに由来する自尊の精神力のみにより他の二つのアプローチをリスクの要素とみなし、自己のダイナミズムが覇権の生成プロセスの一部であることを自覚するに留まらず、同時に国際的なダイナミズムのバランスの中に位置づけるプロセスにおいて決定的となる戦略のパフォーマンスを示すことが可能となるのである。この枠組においては、第一に、時間を稼ぎ、ダイナミズムを無視すること、第二に、ダイナミズムの興奮の中で時間を忘れること、第三に、時間のあらゆる瞬間を、未来を形作るポテンシャルを担う大きな価値として認識し正しく価値評価することに費やべきすべての時間を、逃した大きな機会として見ることである。第一に、社会が自分自身のポテンシャルをコントロールの下に置き、第二に、社会が自分自身を疎外しグローバルなトレンドの汽車を逃さないように努め、第三に、自分自身の歴史的の進む方向に安定的に歩む中で、社会自身の構造が内包するあらゆるダイナミックな要素が必要とする時間と形態を用いなければならない。第一に、自分自身の(地元の)地域の実存の領域を守り、第二に、(地元の)地域的実存の領域を超えて可能な短期間でグローバルな実存の領域に達し、第三に、自己の内部に地域的実存とグローバルな実存領域の間の新しい了解関係を樹立し、未来の世代を歴史上の名誉ある独自の主体に変える基礎を準備するように努めるのである。第一に、カオスの逆流の渦から身を守り、第二に、この渦に身を任せ、第三に、カオスからコスモスに移行する行為主体となるのである。
この枠組において、トルコは歴史の重要な道の岐路の前に立っている。トルコが自己の歴史と地理の深みを合理的戦略の立案によって再統合できることは、この一対のダイナミズムの展開がポテンシャルのある状態に変化できる可能性を認めることである。トルコの内部のダイナミズムも、国際関係のグローバル、大陸的、そして地域的な基準でのダイナミックな諸要因、記述、解明、理解化、説明、行動指針化の諸次元を統合的に研究することは、トルコの戦略理論の不在の解消と、それに替わるオルタナティブの創出を実現するのである。
本書もまた、この不在の解消を目指している。本書は3部構成である。第1部は基本概念と問題提起の3章から成っている。第1章での国家のパワーのパラメーターに関する定義と例証がなされる。第2章ではトルコにおける戦略理論の不在の背景、第3章では国際的関係を方向づける歴史的伝統の内外政のパラメーターに関する影響の研究がなされる。
戦略分析理論の枠組を設定する第2部は4章からなっている。第1章では、戦略分析により地理の深みを理解し、そしてそれを実現するための主要な概念的、理論的装置の批判的視角による地政学パラダイムへの適用の要旨を示す。そしてこの枠組によって、独自の概念枠組として練り上げられた「近い地」、「近い海」、「近い大陸」のような圏域の定義が説明される。残りの3章では順に、トルコの「近い陸」、「近い海」、「近い大陸」の3つの圏域の独自性と、冷戦後の危機の連関にこの圏域を組み込んだ新しい戦略がトルコの外交に与えた影響を議論する。この分析枠組では、この圏域の間のシステマティックで首尾一貫した戦略を立案する上での主要因を確定するように努めた。
またこの理論枠組の外の外交を扱う第3部は5章からなるが、まずトルコの外交に役立つ基本的戦略の道具としてのNATO、AGIT、ECO、İKÖ、KEİ、D-8とG-20を論じ、続いてバルカン諸国、中東、中央アジア、EUの政治を順に評価し、起こりうる未来の枠内で実施する必要があると考えられる外交の基本を、歴史的、地理的分析に基づく戦略の重厚性のアプローチによって提起する。
目
1.序文
第一部 概念的、歴史的理枠組
第1章:パワーのパラメーターと戦略
Ⅰ.勢力均衡とその諸要素
1.定数:地理、歴史、人口、文化
2.変数:経済、技術、軍事力
3.戦略思考、文化的アイデンティティ
4.戦略と政治的野望
Ⅱ.人的要素と戦略的制度における乗数効果
Ⅲ.典型的応用領域:防衛産
1.パワーのパラメーターと防衛産業
2.トルコのパワーのパラメーターと防衛体制
第2章 戦略理論の不備とその帰結
Ⅰ.トルコのパワーの要素の再評価
Ⅱ.戦略理論の不備
1.文化的、構造的背景
2.歴史的背
3.心理的背景:引き裂かれた自我と歴史意識
第3章 歴史遺産とトルコの国際的地位
Ⅰ.歴史におけるトルコの国際的地位
Ⅱ.ポスト冷戦期と国際的地位の外的変数
Ⅲ.政治文化と国際的地位の内的変数
1.歴史遺産と政治文化の下部構造
2.歴史的連続性と政治トレンド
3.ポスト冷戦期と政治トレンド
第二部 理論枠組:漸進戦略と領域政治
第1章 地政学理論:ポスト冷戦期とトルコ
Ⅰ.空間把握、地理認識、地図
Ⅱ.地政学理論とグローバル戦略
Ⅲ.ポスト冷戦期と地政学的空白地帯
Ⅳ.トルコの地政学的構造の再評価
第2章 近隣陸上圏域 バルカン半島-中東-コーカサス
Ⅰ.歴史・地政学的諸問題とバルカン半島
Ⅱ.アジアへの扉とコーカサス
Ⅲ.不可欠のヒンターランド:中東
Ⅳ.近隣陸上圏域の境界の柔軟性と近隣諸国との関係
第3章 近隣海上圏域 黒海-東地中海-ペルシャ湾-カスピ海
Ⅰ.歴史的背景
Ⅱ.冷戦期とトルコの海洋政策
Ⅲ.ポスト冷戦期の新海洋政策の諸要素
1.黒海と周辺の水路
2.ユーラシアの戦略的結節点:海峡
3.東地中海圏域:エーゲ海とキプロス
4.バスラ湾(ペルシャ湾)とインド洋
5.カスピ海
第4章 近隣大陸圏域 欧州、北アフリカ、南アジア、中央アジア、東アジア
Ⅰ.ポスト冷戦期の規範的大陸政策とその定義
Ⅱ.グローバル大国と地域大国の大陸政策
Ⅲ.トルコの近隣大陸圏域の主要素
1.ヨーロッパ概念の変遷とトルコ
2.アジアの重厚性
3.アフリカへの展開
4.諸大陸の交流地域:大西洋、ステップ地帯、北アフリカ、西アジア
第三部 応用領域:戦略目標と地域政策
第1章 トルコの戦略的関係と外交目標
Ⅰ.NATOの新戦略ミッションの枠組みにおける大西洋枢軸とトルコ
1.アメリカの戦略とNATO
2.ポスト冷戦期とNATOの新しいミッションの模索
3.コソボ作戦とNATOのグローバルなミッションの定義
4.NATOの新しい戦略ミッションとトルコ
Ⅱ.全ヨーロパ安全保障協力機構AGİT
Ⅲ.İKÖ:アフロ・ユーラシアの地政学的人文地理学的交流図
1.20世紀のイスラーム世界:概念的、政治的変化
2.ポスト冷戦期と21世紀のイスラーム世界
3.トルコとイスラーム世界
4.İKÖ の未来と再組織化
Ⅳ.ECO:アジアの重厚性
Ⅴ.KEİ:ステップと黒海
Ⅵ.G-8 とアジアアフリカ関係
Ⅶ.国際政治経済とG-20
第2章 戦略的変化とバルカン諸国
Ⅰ.ポスト冷戦期後の組織的矛盾とバルカン諸国
Ⅱ.ポスト冷戦期と域内勢力均衡
Ⅲ.ボスニア危機とダイトン協定
Ⅳ.NATOの介入とコソボの未来
Ⅴ.トルコのバルカン政策の基礎
1.歴史遺産とバルカン諸国
2.域内諸国関係
3.域内勢力均衡
4.地域を取り巻く政治
5.バルカン政策におけるグローバルな戦略目標
第3章 中東:政治経済的、戦略的勢力均衡の鍵
Ⅰ.中東の国際的な地位に影響する要素
1.地理的、地政学的要因
2.歴史的、人文地理的要素
3.経済地理的要素
Ⅱ.グローバル大国と中東
1.アメリカの戦略の基本的パラメーターと中東
2.ヨーロッパ諸勢力と中東
3.アジア諸勢力と中東
Ⅲ.域内勢力均衡と中東
1.地域の地政学と戦略的三角メカニズム
2.アラブ世界の勢力均衡:アラブ民族主義の危機と政治的正当性問題
3.イスラエルの新戦略と中東
4.地域勢力均衡と中東和平プロセス
Ⅳ.中東政策の基本的ダイナミズムとトルコ
1.国際経済の視点からのトルコの北中東政策
2.中東の地政学的変化とトルコの北中東(東大西洋‐メソポタミア)政策:トルコ、シリア、イラク
3.トルコ―アラブ関係から見たトルコの中東政策
4.トルコ―イスラエル関係のグローバルな次元と地域的次元
5.歴史的重厚性の視点からみたクルド問題
6.グローバル及び地域的勢力均衡の視点から見たクルド問題
第4章 ユーラシアの勢力均衡における中央アジア政策
Ⅰ.中央アジアの国際的地位に影響を与える要素
1.地理的、地政学的要素
2.歴史的、人文地理的要素
3.人口学的要素
Ⅱ.ポストソ連期と中央アジアの変化
Ⅲ.ポスト冷戦期の国際諸勢力の勢力均衡と中央アジア
1.グローバル大国と中央アジア
2.アジア内勢力均衡、地域大国と中央アジア
3.域内勢力均衡
Ⅳ.トルコ外交と中央アジア政策
第5章 ヨーロッパ共同体:多次元的、多面的関係の分析
Ⅰ.外交的/政治的関係の平面
Ⅱ.経済的/社会的分析の平面
Ⅲ.法的分析の平面
Ⅳ.戦略的分析の平面
1.グローバル次元
2.大陸的次元
3.地域的次元
4.二国間戦略の分析の例:歴史的重厚性とポスト冷戦期のトルコ‐アルメニア関係
Ⅴ.文明/文化思想の平面
1. 新しい伝統的反応としてのEUの歴史的背景
2.周辺化/中心化の振り子運動における歴史的背景とEU-トルコ関係
Ⅵ.歴史の反映の把持におけるトルコ-EU関係
結語
前書
ポスト冷戦期の戦略のテーマを定め、再評価するように努めることは大変難しい。というのは、それ自体が極めてダイナミックな問題を、それもまた極度にダイナミックな環境の文脈の中で主題化して理解する試みだからである。おそらく建国以来最も重要な変化を経験しつつあるトルコが、やはり歴史上最も大きな変化の舞台となっている国際環境の中で、新たな変容を遂げつつあるのだ。形成途上にあるこのダイナミックな過程は、本書の序文で定義する記述、解明、理解、説明、指針化はどれも、どの頁においてもすべてその全体において、極度に濃密な思考活動の断片にとどまっている。
これらの方法論的困難にもかかわらず、時空(歴史と地理)の理解の中で意味を有する論理的に首尾一貫した合理的な戦略を分析することが、価値判断とは別に行うべき固有性を有することは、この問題構成自体に由来する。安定した構造であれば静態的な枠組の中で問題設定を行い、平板な頭脳活動によって理解することが出来る。そのような(静態的)分析も、状況がもっと安定している時代であったならば、事実を明晰に再構成できたであろう。しかしダイナミックな変化を経験している危機の移行期には、歴史的な影響力を考慮にいれた上で継続性のある戦略を練り上げることが重要となる。国の未来のオルタナティブを視野に入れた戦略分析の枠組が今こそ必要であるが、本書がそのためのささやかな貢献となることを望んでいる。
社会の大きな変化の時代に即した方法論のこの問題に真剣に取り組み、超克に努める戦略的アプローチ、分析、理論化は、社会が歴史の舞台へ躍り出て、歴史の舞台の立役者たちによる既存の体制の推進力を変化させうる可能性を乗数的に加速させることが出来る。近代のドイツの国力を成立させたドイツの戦略的指針設定の基礎が、ドイツ統一の形成期の苦難の中で築かれたこと、安定的、累積的なイギリスの戦略思考がイギリス内戦後の進歩とその思想の向上の帝国拡張期の経験の中で、ロシアの戦略的オリエンテーションがすべてのパラメーターと19世紀のダイナミックな勢力均衡の中で形成されたこと、「アメリカの世紀」を現出させた戦略の蓄積が第一次、第二次世界大戦後の混乱期に集中したことは決して偶然ではない。
ダイナミックな変化の過程にある社会の中にあって、それに属する個体として、当該社会に関する戦略を分析することは、急いで流れる波頭の高い川に流されながら、川床、流速、水流の方向、他の川との関係などの問題を研究することに似ている。自分が調査している川の中で自分自身も流されつつも、その流れの性質を理解し、その特質に鑑みて、その川に関して、記述、解明、理解化、説明、指針化の理論的枠組を考えださねばならないのである。川の外にいる傍観者として、(同時代の歴史の)流れに翻弄される人々の心情と人生を客体化することは、道義的に無関心な月並みで表面的な観察に成り下がる。一方、(歴史の)川に飛び込んで流れに身をまかせてしまっては、自分が飲み込まれた流れについて、事態を客観的に理解することはできず、自分の期待が混じっては、歴史の本当の意義を把握することはできない。社会科学の方法論において、このジレンマは、研究者「自身が試験管内で暮らす」と表現されている。
このジレンマにおいては、川に(流される人々の)心情と人生を疎外させるにまかせることは道義的に責任があるが、かといって、川に流されてしまえば知的責任を負う余地は狭まってしまう。道義的責任と知的責任を共に理論的に調和させる研究者であれば、思考にあたってアカデミシャンとして言行を一致させ、社会文化的関係を普遍的真理の領域に力強く反映させることができる。思想家、知識人も、一般の人々と同じように、空間と時間、つまり歴史と地理の意味世界に、いやむしろ他の人々より以上に自己投入が可能であるために、自分が流された川だけでなく他の川の流れにも自己投入するアプローチが可能となるのである。
一個人として普遍を感知でき、実存の意識とその深みと文明の主体としての特定の時代の流れを感じられる社会帰属の主体、そして歴史意識とその重厚性、つまりその意識が反映していると考えられる場を感得できる社会帰属の主体も、戦略的意識と重厚性を必要としている。個人のレベル、つまりミクロ・レベルから、社会、文明、歴史のレベルのマクロ・レベルに向上、浸透することは完成の探求であり、そしてすべての文化圏域は、この探求それ自体を真理の定義に含めている。
本書においては、この意識のレベルが最も際立つ戦略的重厚性を、道義的学問的責任のバランスを取りつつ研究するように努めた。ずっと我々が考えてきたことを、完成への冒険の歴史の深みと実存の断片を目にする同時代の同じ川を我々と共に流れゆく同志である我々の読者たちに捧げたい。
本書の過ちは著者一人に帰されるが、主張すべきものがもしあるとすれば、主体という観点に立てば同じ川を下る冒険を共にする者たちの匿名の文化の環境の産物である。同じ理由で、なによりもこの文化環境(伝統)の歴史的連続性を担保してきた先師たちとその道統に繋がる者たち、そしてこの環境(伝統)の全ての側面を共有してきた友人たちに、筆者は恩義がある。
本書が時間理解の視角からは過去の歴史から未来への、空間理解の視角からは中心から周辺への架け橋となりますように。
1.序文
国際関係の領域も、その構造の中で保護する社会的特質の研究の基礎には以下の5つの次元がある。
(1)Tesvir(betimleme)(2)açıklama(3)anlama(4)anlamlandırma(5)yönlendırma。Tesvir(記述)の次元は、研究対象が観察された形で記述することに基礎づけられるが、(2)açıklama(解明)の次元の主目的は、観察される現象が観察されるダイナミズム自体をその(観察)体験の過程との因果関係の枠組に位置づけることである。記述の解明の間の関係は、首尾一貫した概念化を必要とする。研究の対象となる現象の通常の記述は日常的に使用される用語で単純なレベルで行われるが、この記述を解明のレベルに引き上げるには、独自の概念枠組を作り上げねばならない。基本的には、学問における記述、解明の営みとは、日常的な観方とは異なり、明晰で首尾一貫した概念化の枠組が使用されている。特に因果関係の解明とは、後続の過程もまた他の現象に関係する前提条件であるような全ての事象とその過程を対象として使用することができる概念セットを構築することなのである。
解明の次元に重厚性を加えたanlama(理解)の次元は、現象の生成過程の論理の中で概念化されることができる必要がある。説明は、研究される現象の間での因果関係の確定であるが、理解化とは現象の真相に知的想像力によって肉薄する(nufüz edebilme)試みであり、首尾一貫しシステマティックな抽象化の作業を必要とする。この抽象化作業の必須条件は、現象から知的過程へ、知的過程から現象への移行が可能であることである。理解化の次元は、この往復の移行がなされることを可能とする抽象化作業によって実現されるのである。このような類推が有用であるとすれば、観察されたものを説明することは、平面幾何学の論理を用いるようなものである。諸々の出来事が純粋な論理の枠組の中に現れること自体の中に、正しい諸要素は含まれているが、現象の真相と背景に到達するためには十分ではない。理解化が、肉薄から出発するとしても、かならず重厚性、ついでパースペクティブ(立体的見通し)が必要となってくる。これは平面幾何学との類推と共に立体幾何学のパラメーターによる知的作業がなされることを意味する。
理解化とは、研究対象が重厚性を概念化するパースペクティブである。:説明(anlamlandırma)といえば、このパースペクティブに方向性を加えた姿勢を有することと言うことができる。現象をただ記述するか、進歩の次元(ileri boyutta)で説明するだけでははならないように、現象をただ相手に意味が伝わっただけでは、総体においては説得することができたということにはならない。説得は最初は独創的な姿勢、その後には独創的な理論枠組を必要とする。これはただ肉薄するだけではなく、同時に体感されること、発展が直観されること、全体の中であるべきものがあるべきところに配置される状態ということができる。あらゆる説得の作業が全体において首尾一貫した理論的枠組に基礎づけられることは困難である。観察から概念化、概念化から抽象化、抽象化から理論への移行、記述から解明、解明から理解化、理解化から説明への移行が方法論の鍵なのである。
行動指針化(yönlendırma)とは、説明の枠組から結論を演繹し、その結論を、それに依拠したものとして、現象とその過程に応用することである。この応用は不可避的に政治的/社会的責任の領域、間接的に学問倫理の次元へと移入する。最初の4つの次元が知的な問題にとどまっているのに対して、第5の次元は、これらの知的なプロセスと実践との間の架け橋となる。この事態は特に国際関係論の領域においては大いに必要とされる。基本的に国家戦略の方向付けにおいて影響力がある多くの戦略家たちにとって、前の4つの次元はこの最後の次元の実行のための知的な中間段階なのである。異なる仮説と説明を目指す問題意識から出発したマッキンダー、マハン、スパイクマン、ポール・ケネディー、ハンチントンのような同時代に影響力があるとみなされた理論家たちの多くが、最終的に記述から解明に、解明から説明に、そしてすべてのこれらの問題意識からの出発して、行動指針化に向けて思想を発展させていった。最初の4つの次元において論理的に首尾一貫し歴史的に有効な問題意識を有していればいるだけ、最後の次元においても同じだけ永続性がある影響を残すことができるのである。
記述の平面から行動指針化の平面にまで移行すると、理念的なパラメーターがより多くり始める。記述とは、自らを境界づけることで客観性を最も高いレベルで保証する次元である。解明の次元においては記述行為の客観性の中にとどまることはたいへん容易であるが、理解化の次元で認識と象徴へと移行する。説明の次元は、研究対象以上に研究者主体が前方に現れ、この主体が概念世界と ―それを介して概念パラメーターとも― 説明のために定式化した理論枠組との間の依存関係を強化する。行動指針化は、主体が属する社会/国家/文明と自己同一化しつつ、観察対象と、その現象と過程を解釈する行為になったものである。この最近の最も知られた例の一つを、職業的には社会科学者として出発したハンチントンが「文明の衝突テーゼ」として提示した理論枠組とアメリカの戦略的思考の間に築かれた関係に見ることができる。ハンチントンの「アメリカ/その他(西洋/他者)」という範疇は、思考パラメーターとしてのその説明枠組と、研究の最後でアメリカ政府に対して行った戦略政策提言の行動指針化の枠組を直接に決定している。
解明者の記述の客観性と行動指針化する者の理解化の主体性の間の関係は、同時に戦略的分析の最も脆弱な点の一つとなっている。この主体性‐客観性問題を超えられない営為は、記述の平面から始まりつつ主体性を求めらるに至っていながらも現実に通用しないか、行動指針化の平面で客観性を訴え続けて説得性をもたないかである。
原理的に、このすべてのプロセスの全体を見る必要がある。記述できないことを解明することはできず、解明できないことを理解させることはできず、理解させられないことを説明することはできず、説明できないことを行動指針とすることはできない。逆に言うならば、態度を決めないで行動指針を持つこと、行動指針を有さずに説明枠組を作ること、説明枠組なしに現象に肉薄して理解し終点の見通せない次元を解明することはできない。健全で永続的な分析はすべてこれらすべてを内包している。この我々の重厚な方法論の領域で私たちが目指したことも、基本的に、この内的統合性を実現し、そしてこの方法論的重厚性の次元から出発して、現象的かつ地政学的/戦略的重厚性を説明するアプローチを取ることである。
この分野で重厚性な戦略的分析を選びうる条件は、静的図式の偽りの幻想の影響下に留まらないことである。現象の理解の記述に依拠する静的図式を描くこととその図式の色合い、線、パースペクティブの絶対化が、記述から解明へ、解明から理解化へ、理解化から説明へ移行する前に接ぎ木されると、最終段階で、「パワー」の意味を理解する障害となる。感覚的に明瞭に見て取れる静的な図式の互いに無関係な寄せ集めでしかない戦略分析は、時間の次元を無視した表面的で凡庸な記述となる。
この方法論的欠陥を克服するためには、単一の次元の安易な記述を避けて、多次元的なプロセスを考慮しなければならない。物理学における運動法則にあたるものが、戦略分析におけるプロセスに相当する。運動のない静的世界観においては物理学の意味は失われる。このような世界観の枠組においては、パワーの定式化作用を果たさせることはできず、歴史の成り行き、プロセスを無視した戦略分析では、戦略的の齟齬を見出したり、他者に説明することはできない。
たとえば、1950年代、60年代、70年代には、パワーの分立を示す静的図式によって、ソ連は2極体制の超大国の焦点の一つとみなされていた。ソ連がアフガニスタンに侵攻した80年代初頭には、スターウォーズ計画のプログラムに入れられて80年代の中盤には中止された一つ一つの戦略図式が、一枚の一覧表を作り上げていた。これに対して90年代の初頭には中止された戦略的、経済/政治的図式は、ソ連とその継承国ロシアを、多角的なこのパワーのヒエラルキーのずいぶん下位に位置づけるようになっていた。ごく短いタイムスパンに対してなされたのだとしても、静態的記述は変化のダイナミズムを明るみに出すことは不可能である。日常的変化を反映する多くの図式が作られたとしてさえ、これらが互いに時間的に関連しあうプロセスを組み込まずには、戦略を分析、解説することはできない。
社会現象を諸要素に腑分けする分析と、この分析を国際関係に反映する方策を生み出すことが、それぞれ別途に重要であるとしても、独自の国際関係論のアプローチとなるためには十分ではない。分析の対象となる戦略の部分的諸要素をシステマティックに統合して解説できること、そしてその全体が再び部分的諸要素に還元されうることが必要なのである。分析過程でミクロな部分に下って行けば、システムとしての統合性を損なうことになってしまう。あるいは逆に、システムの統合性を直接的に志向しては、現実のミクロな領域を無視することになってしまう。理論と現実へのアプローチでバランスを保つことは大変難しい。
国際関係の分野において、深みのある分析を行うと同時にシステム統合の全体の見通すためには、学際的なアプローチが必要である。高度に政治的、外交的である学問領域とみなされる国際関係論において、その割合がどんどん増えて、境界の不明瞭性で覆われるようになっていることは、その必要性の帰結でもある。国際関係論の課題とみなされる政治/外交の表舞台は、本来氷山の海面上に顔を出した部分(氷山の一角)のようなものである。氷山の見える部分から出発して、その全体像を推測することがいかに難しいのと同じく、国際関係論の対象となる事象の諸相について、決定的な結論に到達することもまた困難なのである。
一例を挙げると、中東和平プロセスの外交/社会的次元と、その次元の展開、国際関係現象がすぐ区別されるが、その結果もまた構造的に観察される部分が反映されているのである。しかし中東問題を一つの全体として概念化するためには、氷山の水面下の深さを認識するための認識論的基礎が必要となる。氷山の最も表層に近い部分は世界の産油の中心地としての政治経済学、そして大陸的影響の深みの地政学的構造があり、最後に歴史の深みに由来する文化的要素という目に見えない諸要素が中東社会の社会的心理的構造に与える影響を理解しない戦略的分析は、浅薄と言わざるをえない。ユダヤ人とムスリムのエルサレムをめぐる象徴界のクラッチペダルを踏み込んで、この象徴界の多くの色を織りなす歴史的、心理的要素を観察することで、二つの社会の双方を方向づける社会学的な動機付けのダイナミズムから、中東問題についての考察に敢えて踏み出すことは、氷山の見えている部分から敢えてその全体像の推定に踏み込むことに似ている。
目に見える現象の背後の見えない根本的な原因を把握するためには、諸宗教の歴史、政治史、政治経済学、政治社会学、宗教心理学を横断する学際的なアプローチを我が物とすることが必要であり、そうでなければ、一次元的静的図式から多次元的なプロセスを理解させることへと移行することはできない。
歴史の流れのプロセスの理解化には、時間把握の基礎となる歴史の深みと空間把握の基礎となる地理的深みが必要となる。歴史の深みを反映する精神と、地理の深みが物質界に穿った地理の深みに化身した精神に我々は影響している。ともあれ歴史のような現実に影響が存在することを地理で境界づけ、権力布置を国際社会の中に発見する試みは、この(時空の)対構造の重厚性に対する分析的かつ構造的視角による。相互連関を断ち切り断片化する歴史的な重厚性を欠く分析と、ミクロ‐マクロな重なりを主題化できない重厚性を考慮しない地理的分析は、共に表層的一般化を行うが、この近視眼的‐直線的なシステム統合の還元の過ちを正すことはここでの主題ではない。
***
トルコに国際的地位を与えることを目的とするあらゆる努力には、この方法論的必要性の自覚が不可欠である。どの国家を主題にする場合にも当てはまるこの方法論的必要は、トルコを主題とする議事録においてはより重要となる。上述の諸次元を視野にいれると、「トルコとは20世紀の歴史の舞台に現れた国民国家である」との定義は、記述の視点による諸要素からなっていることになる。しかしこの概念の説明枠組が、本書の理論的基礎となるためには、20世紀に歴史の舞台に出現した他の近代国民国家に比べて、なぜトルコが特に国際関係においてより多くの問題を抱えることになるのか、という問いに対して答えなければならない。たとえばルーマニヤ、フィリピン、ブラジル、モロッコのような、世界の激動する諸地域の他の国々とは比較して、トルコがこの記述に特に値することにより、トルコが国際的地位を有し、その地位が様々な危機的事態への影響に結実することを説明することができる。
たとえばこの定義に新しい次元を付け加えて、トルコはこの世紀初頭のユーラシアに覇を唱えた6大多民族帝国(他は英、露、オーストリア‐ハンガリー帝国、仏、独、中国、日本)の構造の一角を成した国民国家である」と記述されれば、トルコと並ぶ他の国民国家との差異を明らかにする歴史的な基準を示し、この方針の説明枠組、理論的基礎を成す記述がなされたことになる。また、たとえば「トルコは地上の中心にある大陸の地政学的主要地帯の相互影響が見出される近代国民国家である」との言明と区別される説明の次元を開く記述ともなっている。そしてこの第一の文化地理的、歴史的記述と、第二の地政学的概念化は相関している。
これらの記述が内包した基準や概念を通して、個々の事態を説明する解答を与えるための理論的基礎が置かれる。たとえばトルコがボスニア、コーカサス、中東における問題に対してこれまで無関心であることができず、これからもできない理由は、この記述によって初めて説明する道が開かれる。言うならば、独自な諸要素を内包しない記述、説明は、多次元の問題を解きうる方法論的装置を提供できないのである。
この二つの記述の双方を連関させることによって、個別の諸事象の因‐果関係を示す説明の寄せ集めであることを超えて、トルコが関わってきた時と場の深みの持つ意義を理解する枠組が設定される。時と場の深みを志向するプロセスは、不可避的に抽象化の手続きを組み込むことになる。簡潔に定義するなら、理解をもたらすということは、時と場所の深みを体験し、この深みと思想的理念の間に一種の関係を樹立することによって始まるのである。
この理解化の枠組は、時と場所の深みの体験に留まらない。;上記の理論枠組に、この深みの新しい理解の次元を加えるのである。たとえば、現行の歴史と地理のパラダイムを問い直し、トルコの独自の位置を再定義することが、そのような理解化作業の理論枠組を生み出すと言うことができる。
トルコに関わるこの例において、記述とその記述の解明、理解、理解化、行動指針化の諸次元は別様にも表現される。たとえば「トルコは反植民地闘争の結果として樹立された最初の国民国家である。」、あるいはまた「トルコは大陸性と地域性を兼ね備えた国民国家である。」と記述することもまた同様なプロセスである。こうした内容の記述は、分析の次元を豊かにする。
この方法論的問題が、トルコに関る分析が、他の国々の分析よりずっと内容がある形で論ずることができることは、トルコが世界の中心的な大陸の相互に影響しあう諸領域を含む地理的中心であり、歴史的破局を体験した人的諸要素を含んでいることとも関係している。トルコの地理的重厚性の概念化作業は、多くの陸と海の圏域と直接に関る戦略を分析し、その相関を見出すことを必要とする。
トルコの人的諸要素は歴史体験の重厚性の刻印を帯びており、そしてこの体験に道を開いた政治、社会、文化的特性の拍動は、文明という軸を有し深みのある歴史の分析が常に不可避である。トルコの人的諸要素が織りなした歴史の深みは、我々の手になる他の営為に意味を与える研究の基礎となり、資料に基づき実証できる外交の戦略的重厚性、歴史の重厚性の研究に資する参照枠組の境界付けることになる。この戦略的重厚性を、人文地理学的、地政学的、経済地理学的に行動指針として統合することで把握し、そしてこの重厚性が戦略の行動指針化に必然的に影響を及ぼす独自性を明らかにしなければならない。
トルコの基準に適う国家戦略の重厚性を表現しうる記述、解明、理解化、説明、行動指針化の次元は、統合的な視角から、方法論的問題を主題化しながら、発見されることを必要とする。トルコの国際的地位に関わるこの必要性は、国際関係の激動を体験した世代にとっては、魅力的なまでに自明である。冷戦の静態的な二極構造におけるパワー(覇権国)が有した多くの独自な特性は、冷戦後に起きた激動の危機的事態において、すべての側面が明らかになっている。安定した冷静な外交で対応できると思われていた冷戦の下での定型的な国際的危機の記憶に固執することが、歴史と地理の重厚性を有する戦略的を統合的に解き明かすことの障害となる。冷戦期には安定が期待されていたバルカン諸国があっという間に最高強度の紛争による不安定なカオスに陥ったことは、 逆に地政学的、経済地理学的、人文地理学的な様々な要素が、冷戦後期の国際的危機が一触即発のものであることと、歴史と地理の重厚性は戦略の領域にダイナミックな影響を及ぼすことの関係性の、最も説得的な実例となっている。
全て、このダイナミックな変化の中心においても、周辺においてもである;しかし冷戦後期にその影響下にあったトルコに対して行われた戦略的予想が3つの点でいつも揺れ動いていた根本的な理由も、ダイナミックな独自性を有するトルコが、ダイナミックな国際的な危機的状況によって加速されて歴史の舞台に登場したからである。
本書の様々な個所で明らかにしていくが、トルコは一面では戦略上、グローバル、および地域的な焦点に位置する枢軸国でありながら、別の面ではアイデンティティーが分裂している国(ハンチントンの言葉によると、「引き裂かれた国」)とみなされるのは、小さな建物を大きな建物に建て替えるためには、外枠の構造を変えなければならないのと同じである。それは互いに全く逆であり、二つの異なる記述と説明枠組を互いに持ち寄りながら異なった点で立ち止まる戦略家たちによる解明と理解化のレベルの根本的な差異の結果に正確に対応している。
トルコでは、政策決定者と知識人のレベルでの知的混乱は、根本においてこの二つのダイナミックな構造に由来するカオスを浮き彫りにする公式な記述において必要な地理的歴史的深みの次元に達しないことと、システマティックな理解化の統合を達成できないこと重要な関係がある。ダイナミックに変化しつつある国際システムの中で生じている新しい事態は、トルコの戦略的定義と新たな順応の問題とを対立させている。新たな順応の必要と、トルコの歴史的地理的重厚性を新たに説明する必要性は、各々互いに引き寄せあう。静的な定義に慣れた知性は、この新たな説明を必要とするシステム統合の中で出会う事象を無視しては、静的な記述だけで説明できる連関さえ明らかにできない。記述と解明から理解と説明の次元に達しない静的なアプローチによる行動指針化は、スローガンが静的であることの、あるいは静的なスローガンの限界を超えることができない。国際システムにおける激動の逆流の渦に巻き込まれないよう抗う知性は、説明のモメンタムを失い、絶え間なく浮沈を繰り返すことになる。そして逆流の渦に巻き込まれることを拒む知性は、内向的になってしまい、静的な説明枠組では国際的危機に対応できないことを理解できなくなる。
ダイナミックな国際的環境に身を置きながら、自分自身もダイナミックな変化の過程の中にある社会の前には、3つの異なる心理に基づく3つの選択肢が存在する。第一は、己自身のダイナミズムを抑制し安定を志向し、国際的な構造変化のダイナミズムの消滅を期待し、あらゆる自己定義を国際システムの安定まで先延ばしすることである。もしある社会自体がダイナミズムを志向する自信を有さずむしろそれを恐れ、それゆえ静的な自画像の維持を志向するなら、この選択肢を取ることになる。
第二は、グローバリゼーションのダイナミズムの展開に心を奪われ、自分自身に焦点を当て覇権の諸要素の一つとしてそのダイナミズムを説明できないことである。これは、自分自体を歴史の主体として定義付けることができず、歴史が流れる川であり、グローバルな覇権の中心はこの川の流れを方向づける要因であるが、自分自身はその流れに巻き込まれるだけの横並びの無個性な対象でしかないとの視点の所産なのである。
第三は、自分自身のダイナミズムのポテンシャルを、国際的なダイナミズムの坩堝における覇権のパラメーターに変容する営為である。この選好は、二つのダイナミズムの源泉の双方のメカニズムと流れの成り行きを記述し、解明し、理解し、説明できるアプローチの所産である。
第一の場合は自信、第二の場合は(アイデンティティー)自己認識の問題と取り組むことになるが、第三の場合は、自己の歴史と地理の深みに由来する自尊の精神力のみにより他の二つのアプローチをリスクの要素とみなし、自己のダイナミズムが覇権の生成プロセスの一部であることを自覚するに留まらず、同時に国際的なダイナミズムのバランスの中に位置づけるプロセスにおいて決定的となる戦略のパフォーマンスを示すことが可能となるのである。この枠組においては、第一に、時間を稼ぎ、ダイナミズムを無視すること、第二に、ダイナミズムの興奮の中で時間を忘れること、第三に、時間のあらゆる瞬間を、未来を形作るポテンシャルを担う大きな価値として認識し正しく価値評価することに費やべきすべての時間を、逃した大きな機会として見ることである。第一に、社会が自分自身のポテンシャルをコントロールの下に置き、第二に、社会が自分自身を疎外しグローバルなトレンドの汽車を逃さないように努め、第三に、自分自身の歴史的の進む方向に安定的に歩む中で、社会自身の構造が内包するあらゆるダイナミックな要素が必要とする時間と形態を用いなければならない。第一に、自分自身の(地元の)地域の実存の領域を守り、第二に、(地元の)地域的実存の領域を超えて可能な短期間でグローバルな実存の領域に達し、第三に、自己の内部に地域的実存とグローバルな実存領域の間の新しい了解関係を樹立し、未来の世代を歴史上の名誉ある独自の主体に変える基礎を準備するように努めるのである。第一に、カオスの逆流の渦から身を守り、第二に、この渦に身を任せ、第三に、カオスからコスモスに移行する行為主体となるのである。
この枠組において、トルコは歴史の重要な道の岐路の前に立っている。トルコが自己の歴史と地理の深みを合理的戦略の立案によって再統合できることは、この一対のダイナミズムの展開がポテンシャルのある状態に変化できる可能性を認めることである。トルコの内部のダイナミズムも、国際関係のグローバル、大陸的、そして地域的な基準でのダイナミックな諸要因、記述、解明、理解化、説明、行動指針化の諸次元を統合的に研究することは、トルコの戦略理論の不在の解消と、それに替わるオルタナティブの創出を実現するのである。
本書もまた、この不在の解消を目指している。本書は3部構成である。第1部は基本概念と問題提起の3章から成っている。第1章での国家のパワーのパラメーターに関する定義と例証がなされる。第2章ではトルコにおける戦略理論の不在の背景、第3章では国際的関係を方向づける歴史的伝統の内外政のパラメーターに関する影響の研究がなされる。
戦略分析理論の枠組を設定する第2部は4章からなっている。第1章では、戦略分析により地理の深みを理解し、そしてそれを実現するための主要な概念的、理論的装置の批判的視角による地政学パラダイムへの適用の要旨を示す。そしてこの枠組によって、独自の概念枠組として練り上げられた「近い地」、「近い海」、「近い大陸」のような圏域の定義が説明される。残りの3章では順に、トルコの「近い陸」、「近い海」、「近い大陸」の3つの圏域の独自性と、冷戦後の危機の連関にこの圏域を組み込んだ新しい戦略がトルコの外交に与えた影響を議論する。この分析枠組では、この圏域の間のシステマティックで首尾一貫した戦略を立案する上での主要因を確定するように努めた。
またこの理論枠組の外の外交を扱う第3部は5章からなるが、まずトルコの外交に役立つ基本的戦略の道具としてのNATO、AGIT、ECO、İKÖ、KEİ、D-8とG-20を論じ、続いてバルカン諸国、中東、中央アジア、EUの政治を順に評価し、起こりうる未来の枠内で実施する必要があると考えられる外交の基本を、歴史的、地理的分析に基づく戦略の重厚性のアプローチによって提起する。