タリバン政権の3ヵ月後の評価
(CTC SENTINEL第14巻第9号)
著者
アンドリュー・H・ワトキンス
要旨:過去10年間にタリバンの影の統治が浸透し、軍事的・政治的な勢いが増しているにもかかわらず、復活したイスラーム首長国の最初の3カ月間は、国家の統治の担当に苦労していることが明らかになった。タリバンは、政権掌握に専念し、脅威には迅速かつ厳しく対応してきた。彼らは国家の管轄や構造を明確に定義しておらず、2021年8月15日以前と同じように活動を続けている多くのメンバーたちに長期的な計画を知らせていない。タリバンの指導者たちは、内部の結束を維持することが引き続き重要であると考えている。これはタリバンの昔からの特徴であり、差し迫ったアフガニスタンの経済的・人道的危機への対応の障害となる可能性が高い。
2021年8月15日、春先に開始された激しい軍事作戦でアフガニスタンの大部分を制圧した後、アシュラフ・ガニー政権指導部と実質的にすべての治安部隊が姿を消ししたカブールに、タリバンは進軍しほぼ無血で同日中に入城した 。(注1)
欧米が支援するイスラーム共和国の崩壊は迅速かつ広範囲に及び、米国やその他の同盟国が混乱した避難を完了するために奔走している間にも、タリバンは直ちにその空白に踏み込んだ。
ある意味では、タリバンは自分たちの幹部たちや戦闘員を、手早く新設の政府に押し込んだ。タリバンは2カ月足らずの間に、国内に残っているほとんどの政治指導者から忠誠を誓うか、少なくとも黙認のジェスチャーを引き出し、暫定政府(あるいはそのように見せかけた政府)の閣僚を任命し、都市部では厳しいく強圧的だが概ね秩序ある新しい治安体制を確立し、国境をしっかりと管理し、経済的苦難を考慮して税関を設定した。周辺国との地域内域外交を行い、山岳地帯の州で起きた抵抗運動を迅速かつ冷徹に鎮圧し、イスラーム国ホラーサン(ISK)支部に対する戦闘や、多くの元治安当局者への報復など、治安上の課題を根絶するために多くの資源を投入した。 (注2)
しかし多くの点で、タリバンの意思決定は、指導者たちの協議と合意形成による時間のかかる保守的なものであることが明らかになった。それは彼らの武装闘争が長続きした原動力であったが、全国規模での責任ある迅速で効率的な統治には妨げにもなる(注3)。
政権復帰後もタリバンの行動の多くは、彼らがそうではないと主張したり、観察者が不和の証拠だと指摘したりする行為であっても、タリバンを特徴づける目標や原則に基づいている。
1)タリバンは、組織レベルでも個人レベルでも、脅威の認識に基づいて行動している。20年以上にわたって抵抗運動を存続発展させるためには、潜在的な脅威を常に認識し、解決する必要があった。脅威を特定し、狙いを定め、排除するか、懐柔することは、昔も今もほとんどのタリバンのメンバーたちの中心的な仕事である。
2) タリバンの指導者たちが政策を議論したり、戦略的な行動を決定したりするときには、内部の結束力を維持することを優先し、それを確実にするような選択をしてきたという一貫した実績がある 。(注4) 派閥による権力争い、若い戦闘員の間での過激化した意見、ISKによるイデオロギー的な挑戦、技術者の能力不足にもかかわらず、政権を取ってからのタリバンは、抵抗運動であった時期に育んできた結束力を今のところ維持することができている。しかし、アフガニスタンの民衆に大きな犠牲を強い、飢えた民衆を遠ざけたり、近代国家を維持するのに十分な資金を確保できなかったりするリスクを冒してでも、内部分裂を防ぐことを最優先しようとの決意によって、あらゆる場面で意思決定がなされてきた。
3)最後に、イスラーム共和国の崩壊とタリバンの全国制覇があまりに早かったため、8月15日の時点ではタリバンはまだ不安定で、国内の掌握には更に努力を要すると考えられていたことが忘れられがちである。
政権を握ってからの3ヶ月間、この反体制組織は、自分たちが倒した国家とあまり変わらない近代国家の輪郭に沿って機能し始めようと、あるいはそうする気がない/できない場合には、少なくとも機能しているように見せようと奔走している。(注5) タリバンの各層のメンバーや戦闘員たちは、ジャーナリストやアフガニスタンの人々に、この国の問題を解決するには時間がかかると繰り返し語ってきた 。(注6)このような能力不足のために、タリバンは多くの点で戦時中のデフォルトのスタイルや作戦モードに戻り、民間人に厳しい制限を加え、場合によっては人権侵害、誘拐、殺害を行っている 。(注7)
本稿では、この最初の3カ月間の出来事を、ガバナンスと安全保障に焦点を当てて検証する。第1章では、タリバンがカブールに侵入した後の政権交代を検証する。第2章では、タリバンが権力を固めていく過程での、タリバンの統治の主要な目標と原則を明らかにする。第3章では、タリバンの政府形成と統治スタイルを詳細に検討する。第4章では、「イスラーム国」の挑戦にどう対応したかなど、安全保障に対するタリバンのこれまでの取り組みを評価する。第5章では、過去3カ月間に同グループが課した社会的制約、「イスラーム国」との関係にどう対応したか、女性の教育問題への取り組み方など、タリバンによる社会サービスの提供について検討し、最後に、結論を述べる。
筆者は、8月15日以降、アフガニスタンの複数の地域に残っていた数十人のアフガニスタン人や外国人に遠隔地でインタビューを行った(安全上の理由で正式なインタビューができなかった場合は、証言を得た)。本稿では、国際的なメディアやアフガニスタンのメディアの報道を引用しながら、和平交渉や政治的イデオロギーに対するタリバンの考え方や、結束力を重視してきたタリバンの長い歴史について、筆者のこれまでの研究成果を紹介する。
注:本稿では主にタリバンを単一のアクターとして捉え、そのように分析している(ただし、全体を通して派閥や個人の行動には注意を払っている)。しかしそれは、タリバンの錯綜した利害関係者、派閥、部族連合、思想潮流、家族の徒党、個人(時には国境を越えた)のネットワークの複雑さや多様性を無視したり、最小化したりすることを意図したものではない。そうではなく、この分析手法は選択は認識論的、文体的なものである。米軍や外国軍がアフガニスタンに駐留していた時期でさえ、タリバンは指導者の死を2年近くも極秘にしていた。この3ヵ月間、アフガニスタンでは多くのことが変化してきた。タリバンの様々な構成要素とそれらの間の力学に関する外部の人間の認識はしょせんは不完全で、すぐに時代遅れになる可能性が高いことは確かなのである。