2024年9月6日金曜日

『イスラーム諸学の革新・要約』とイスラームの解釈学的アプローチ

『イスラーム諸学の革新・要約』とイスラームの解釈学的アプローチ


1.はじめに


本稿は、現代世界に求められるイスラームの解釈学的アプローチにおけるガザーリーの『イスラーム諸学の革新・要約』の有用性とその限界を明らかにする。

現在の世界は、サミュエル・ハンチントン が予言した低強度のフォルトライン紛争が同時多発的に世界中で発生し、特にガザ戦争以降、第二次世界大戦後の国際秩序の既得権益を守ろうとする欧米(+日本)とその偽善と不正に異議を申し立て、西欧列強が作ったゲームのルールを変えようとする「グローバルサウス」と総称される非西欧文化圏の対立が一挙に加速、先鋭化し、コントロールの利かない世界大戦に発展しかねない危機的状況にある。

この現状はミクロとマクロの両レベルでの行き過ぎたアイデンティティ・ポリティクスによって煽られた人々の分断をもたらす国家主義的で排他的なジンゴイズムの言説の世界各地での増大を特徴としているが、それにはデジタル資本主義の急速な発展によって引き起こされた側面が大きい。私見によると、この全世界/人類を巻き込む破滅的な戦争の危機を解決する鍵は、創造物への絶対的な忠誠を要求する偶像崇拝の束縛から人類と地球を解放する共役不能な異なる価値観を有する複数の文明圏が共存する新たな国際秩序を構築することにある。

そのためには、自己と異なる文化的背景を有する異文明圏の住人である「他者」の世界観、価値観を理解しなくてはならず、それには異文化理解の方法論としての解釈学的なアプローチが必要である。しかし我々が今必要としている解釈学的方法が古典研究や人類学などで用いられる異文化理解の方法論とは異なることを認識するには、現代の時代精神(Zeitgeist)を文明的に概観する必要がある。 そこで迂遠になるが、ここではサミュエル・ハンティントンの論文『文明の衝突』を手がかりに現代世界を紐解いてみよう。

ハンティントンは、西洋文明が普遍的な文明ではないことを認め、国際関係のルールは将来、非西洋文明のさまざまな主体によって決定されるだろうと予測し、非西洋文明との戦争がより頻繁になるだろうと警告した。それを放置すると世界大戦に発展する可能性があるため、西側諸国は他の文明の宗教的前提を理解し、彼らが大切にしているものを考慮して共存する方法を見つける必要があるのである 。

しかし、冷戦勝利後の全能感と多幸感に浸っていた西側諸国は、ハンティントンの忠告に耳を貸さなかった。 彼らは西洋の世俗主義を普遍的な文明、非西洋文明を劣ったものとみなし、その真実性の主張(Wahrheitsanspruch)を無視し、近代西洋文明の非西洋文明への度重なる文化的侵略の隠れ蓑として自らの経済力と軍事力を利用した。 

その結果、西洋文明に対する最も可能性の高い脅威は儒教文明とイスラーム文明の同盟にあるというハンティントンの事前警告にもかかわらず、イスラーム文明の中で最も西洋化された国であったトルコはないがしろにされ、反西洋文明圏に追い込まれるという事態に至っている。 

しかし、より注目すべき失敗はロシアの扱いである。 ハンティントン自身はロシアの封じ込めに楽観的であり、1993年の出来事に基づいて、ロシアとウクライナは同じ正教文明内のスラブ民族であるため、文明の点で共存できると述べていた。 

ハンティントンは、ロシアを西洋文明と正統派スラブ文明の間で世界で最も重要な「引き裂かれた国」と表現し、ロシアが伝統主義的、全体主義的、権威主義的な反西洋世俗文明の陣営に加わる可能性があることに気づいていた。 しかし、彼はロシアを日本と並んで近代西欧文明に近い国と考えていた。ハンチントンによると、短期的にはロシアや日本との協力関係を促進し維持して、中華儒教世界やイスラム世界の軍事力の拡大を抑え、地域的な文明間紛争が大規模な文明間戦争にエスカレートするのを防ぐことが西側の利益になることは明らかである。それゆえ彼は「ロシアは儒教文明やイスラーム文明といった西洋文明陣営に追いやられるべきではない」と考えていた。

しかし同時に、上で述べたように、ハンティントンは、長期的にロシアと共存するためには、西側は近代西側文明の真実の主張(Wahrheitsanspruch)を放棄し、ロシアの価値観が西洋文明の価値観とは相容れないものであることを受け入れた上で妥協点を探さなければならないと付け加えることを忘れなかった。

しかし欧米はハンチントンの提案に応えるどころか、自由、人権、民主主義の名の下に、正統文明を分断しようとし、西洋世俗主義文明による文化侵略政策を推進した。  その結果、今日私たちが見ているように、欧米は正教スラブ文明帝国であるロシアを中国、北朝鮮、イランの側に追いやることになり、期せずしてハンティントンが予言したいわゆる「儒教文明とイスラーム文明の同盟」がロシアを触媒として形成されることになったのである。さらに、2023年10月以来紛争を引き起こしたガザにおけるイスラエルの大量虐殺行為に対する西側諸国の支持は、西側文明が提唱する人権、民主主義、自由などの二重基準と偽善を暴露した。 この支援により、総称して「グローバル・サウス」として知られるアジアとアフリカ諸国の大部分が、西洋文明に対する反対だけを理由に反西洋的になるようになった。

だからと言って、ここでの論点は西洋文明の二重基準と偽善を批判することではない。 そうではなく重要なのはハンティントンが「西洋文明は西洋的であり、また近代的でもある。そして非西洋文明は西洋になることなく近代になろうとしてきたのである。 …非西洋文明は、近代の一部である富、技術、技能、機械、武器を獲得しようと試み続けるだろう」と述べた西洋近代文明の二重性である。

ハンティントンによれば、文明とは「人々の最も高度な文化的集団であり、人間を他の種から区別するものを除いて人々が持つ最も広範なレベルの文化的アイデンティティである。そしてそれは、言語、歴史、宗教、習慣、制度などの共通の客観的要素と、人々の主観的な自己認識の両方によって定義される」

イスラーム文明、中国文明、正統スラブ文明、インド文明などの非西洋文明は、主観的な自己同一化によって民族の自己同一性を維持してきた。しかし、共通の客観的要素という観点から見ると、絶滅の危機に瀕しているブラジルの未接触の先住民族を除いて、地球上のすべての民族は現在、「近代化された」西洋のやり方の採用を強いられている。

西洋帝国主義列強によるアジア・アフリカの植民地化の時代であった19世紀に、西洋列強によって未開人のレッテルを貼られて奴隷のように扱われ植民地化されるのを回避するために、アジア・アフリカの全ての民族が西洋化を強いられたのである。この現象は一般に「富国強兵」政策と呼ばれている。その結果、西洋式の学校教育が義務化され、時間と生産活動の管理、近代的な工業生産と戦争が、ライフスタイルの西洋化を目的とした厳しい規律訓練を通じて実現した。

この意味で近代西洋文明は「普遍文明」として特徴づけることができる。したがって、たとえ中国の儒教文明、イスラーム文明、オーソドックス教会スラブ文明などに属していても、現代人はすべて近代西洋文明の一員とみなすことができる。

ハンティントンが雄弁に表現したように、私たちは皆、二つの文明の間で「引き裂かれ」ている。 イスラームを信仰する日本人であり、歴史的に黒船来航により開国を余儀なくされ第二次世界大戦の敗戦後の軍事占領によって「民主化」されるという米国の圧倒的影響を受けた国である日本で仏教と神道のルーツを持つ家族の中に生まれた筆者は近代西洋文明、儒教中華文明、日本固有の文明、そしてイスラーム文明の間で四つに「引き裂かれている」ことを自覚しているが、数は重要ではない。本質的なのは、非西欧文明に属する人間はすべて、近代西洋文明と自分が生まれ育った文明の間で「引き裂かれ」ているという葛藤を自覚しなければならないことである。

本稿では、この現象を社会学用語で「疎外(alienation, Entfremdung)」、イスラーム学のアラビア語で「グルバ(ghurbah)」と呼ぶ。 イスラームの疎外、グルバが、現代世界において、イスラームについての知識も理解もない非イスラーム文明圏の住人に対してだけでなく、イスラーム文明の地で生まれ育ったムスリムにイスラームを伝える場合にも、解釈学的なアプローチが必要とされる理由である。


2.イスラームのグルバ(疎外)

イスラームへの主観的な帰属意識は、現在のような世界的危機に対処するには役に立たない。そうした主観的な帰属意識を共有する者の多さは、むしろ有害無益である。なぜなら自称、他称のムスリムたちが主観的にはイスラームの教えに則っていると信じ込んでいる行動の多くが往々にしてイスラームの根本教義であるタウヒード(唯一神信仰)の原則に反しており、むしろ預言者ムハンマドが厳しく非難した「ジャヒリーヤ(「無知」を意味するアラビア語。イスラームに対比して用いられ,預言者ムハンマドにクルアーンの啓示が下る以前のまだイスラームを知らないアラブの状態を言うが、歴史用語としてはムハンマドの時代に先行する約150年間のアラブ社会を指す場合が多い) への呼びかけ(‘azā’ jāhilīyah)、あるいは党派/部族意識(ta‘aṣṣub)でしかないからである。

確かに、客人をもてなすことや貧しい人々への慈善行為などイスラームの美徳は、学者であるか庶民であるかを問わず、今なお民族の違いを超えて多くのムスリムに身体化されて共有されている。 しかし規律正しい時間厳守のライフスタイルは、近代西洋文明の産業資本主義段階で「教育」の名の下に人々に強制された労働倫理とともに、「ハビトゥス」(ピエール・ブルデュー)、あるいはエートス(マックス・ウェーバー)となって学校、工場、軍隊などの施設での訓練を通じて具体化され、無意識のうちに私たちの行動を支配している。

この意味で、私たちがクルアーン、ハディース、また千年ほど前に書かれたイスラーム学の古典を読んだとしても、それらの解釈の仕方やそれを読むことの社会的意義は、ホワイトカラー労働者が獲得すべき知識と教養に他ならない。それらの知識と教養は近代西洋文明の枠組みの中で定義され、教育の一環として学習され、その習得は社会的地位に直結している。

それゆえ現代世界の危機に対処できるダイナミックな勢力としてイスラームを復活させたいと心から願うのであれば、単にイスラームへの主観的な帰属意識を誇るだけでは十分ではなく、内省を通じてイスラームを理解しようとする自分たちの行動や属性の客観的なパターンが近代西洋文明によって飼い慣らされ、近代西欧文明の価値観を体現していることにまず気づかなければならない。言い換えれば自分自身がイスラーム文明から疎外されていることを認識し、対自的な自己理解を達成するためには、自分自身を反省の対象にしなければならない。

自分自身のイスラームからの疎外を客観的に認識することは学問的に困難なけでなく、それを主観的に認めることは感情的にも苦痛な試練である。しかし、ガザーリが『学知の革命(Iḥyā’ ‛Ulūm al-Dīn)』で強調しているように、悔い改め(タウバ)は救済の出発点であるため、イスラームを真に理解するためにはまず自己の誤りを自覚することが不可欠なのである。

しかし教義的にもイスラームの疎外に必ずしも落胆する必要はない。なぜならイスラームの疎外が預言者のハディースで予告されており、それ自体がイスラームの真実性の証しでもあるからである。 

「イスラームは奇妙なものとして始まり、また奇妙なものとして始まった姿に戻るだろう。奇妙な者たちに幸あれ」(ムスリム正伝集)

「『大食漢どもが呼びかけあって大盆に群がってくるように、諸民族があなたたちを貪ろうと呼びかけあうようになる』とアッラーの使徒が言われ、「その日には我々は少数なのか」と尋ねられると 「いや、その日あなたがたは多数だが、あなたは激流を流れる塵芥のようなゴミでしかない。アッラーがあなたの敵の胸からあなたへの恐れを取り除き、あなたの心中に弱さを投げ込むからである」と答えられた。更に「 弱さとは何でしょうか」と尋ねられると、 「現世への愛と死の恐れである」と答えられた。(アブー・ダーウード正伝集)

 約千年前、ガザリーの師であったアブドルマリク・ジュワイニー(シャーフィー派法学者、アシュアリー派神学者:1085年没)はすで「そして私たちの時代は、その状態からそう遠くない」と述べている  ジュワイニーによると、彼の時代には学匠たち(a’immah)は姿を消し、その後継者は絶え、似非学者たちはシャリーア(クルアーンとハディースの明文の教え)の枝葉末節にこだわって本質を見失い、新奇な珍説を唱えて物議を醸す問題を引き起こしたが、彼らの研究の目的は、無内容な美辞麗句で煙に巻いて議論に勝ち、無知な学徒や大衆の注目を集めることだった。それでは、シャリーアの知識は衰退し、その担い手は居なくなり、異説を列挙した書物の数は増え続けるだろう。しかし書物が増えても正しく指導してくれる教師がなければ、独学は混乱と理解の欠如を招くだけであり、人々はもはや全てを読むことができなくなり、我慢強く学ぼうとの興味が失せ、学ぶ者がいなくなるのである。 

イスラームの疎外は預言者の孫弟子(tābi‛)の時代にすでに起こっていた。預言者ムハンマドの時代には女性はモスクで男性と一緒に祈っていたがハナフィー法学の一通説では女性は自宅で祈るべきである。

ハナフィー派の法学者でハディース学者でもあったバドルッディーン・アイニー(1453年没)はその理由を以下のように説明している。


アッラーの使徒ムハンマドの未亡人アーイシャは「もし使徒様が生きていて女性たちが今何をしているのかを見ていたとしたら、イスラエルの民の女性たちと同じように、女性たちがモスクでの祈りに参加するのを必ずや阻止しただろう」(ブハーリーとムスリムの正伝集)

著名なハディース学者でハナフィー法学者のバドルッディーン・アイニー師はアーイシャのこの言葉を解説して「もしアイーシャが、近頃の女性が様々な僻事や悪行に手を染めているのを目撃していたら、女性のモスクへの立ち入りをもっと厳しく禁じるていただろう」(Badr al-Dīn al-‘Aynī, ‘Umdah al-Qāri’, Vol.3, p.230) 


アイニーは、カイロのアッバース朝カリフを名目上の宗主とする当時のスンナ派の盟主であったマムルーク朝治下に生きた碩学だった。アイニーが生きたアッバース朝カリフ政権下のマムルーク朝時代のムスリムでさえ、イスラームから疎外されていたことを自覚し、預言者ムハンマドの死後に彼の弟子たちの間で起きたものの何千倍ものイスラームからの逸脱が起こったことを嘆いていた。このような歴史的背景を考慮すると、西洋列強によって文化的に植民地化され、近代西洋文明に部分的に組み込まれている今日のムスリムが、どれほどの疎外を感じているのかを考えなければならない。

イスラームからの疎外の最も深刻な問題は、イスラームからの疎外の現実に無自覚であることである。特に今日では、クルアーンやハディースだけでなく、何万冊ものイスラーム学の古典がインターネット上にアップロードされている。さらに有名なウラマーは言うまでもなく、イスラーム諸国のイスラーム問題省や大学や、民間のイスラーム組織、正体不明の有象無象の自称宣教師、説教者によって発布された「ファトワ」が大量に存在する。実際、これらのファトワの一部は現在 AI によって作成されており、この割合は将来的に更に増加していくだろう。イスラームに関する「情報」はかつてない規模で爆発的に増加している。 しかし、正しい理解のない情報は知識ではない。{憶測は決して真理の代わりにはならない} (クルアーン10章36節)

 むしろそれらの情報は人々に自分の無知に対する謙虚な認識を失わせ、うぬぼれと虚栄心を生じさせ、 そして最終的には学ぶことに倦み疲れさせ興味を失わせる、真理を覆い隠すノイズに過ぎない。これが現代におけるイスラーム疎外の現代的形態なのである。

既述のように、この種のイスラームからの疎外の前兆はジュワイニーの時代に既に現れており、ジュワイニーの弟子であったガザーリーの著作『誤りから救うもの』や『イスラーム学知の革命』はその疎外の克服を目指して書かれたと言われている。 

しかし現代のイスラームの疎外は、ジュワイニーやガザーリーの時代よりもはるかに複雑かつ深刻である。 ガザーリーは、当時のイスラーム疎外への処方箋として、『哲学者の意図』や『哲学の自己矛盾』などで当時流行していた哲学者の語彙や論述スタイルを、利用し、シャリーア、つまりクルアーンとハディースの明文テキストから演繹されたイスラームの本質を同時代人にも理解できるように「神学、法学、スーフィズム」というパッケージの形で提示するスタイルを編み出した。。

現在求められているのは、ガザーリーが彼の時代に採用したアプローチに似ている、つまり現代西洋文明に固有の語彙と概念的枠組みを用いてのイスラームの本質を伝えるための新しい方法の定式化である。しかしそれらの語彙と概念枠組みはあまりにも深く根付き身体化されているため、その影響を対自的に自覚することは難しい。現代人の心に届く言葉で伝える解釈とは、イスラームが疎外されているために現在私たちが直面している文化的、社会的、経済的、政治的な問題にイスラームがどう対処できるかを示す解釈である。

本稿では方法論として解釈学的アプローチが使用されるが、それは「非イスラーム文明で生まれ育った非ムスリムにイスラームを伝える」といった月並みの異文化コミュニケーションの方法論ではない。 むしろ、幾重ものベールの背後に隠されたアッラーのメッセージを解読するための最初のステップは、自分自身がイスラームから疎外されていることを自覚し、自己の「内なる西洋」の毒を「自ら身を切り血を絞り出し」て解析し、その解毒剤を探し出すことなのである。


3. イスラームと解釈学サイクルの理解

前章で述べたように、今日ではイスラーム文明の中で生まれ育ったムスリムにとっても、解釈学的アプローチは不可欠である。 現在、統計ではムスリムの数は15億人から20億人と言われているが、アラビア語を母語とする人の数は約3億人に達する。 イスラームの経典、クルアーンとハディースはすべてアラビア語で書かれている。 したがってアラビア語を知らない人は、たとえムスリムであっても、アラビア語のイスラーム本来のメッセージを突然聞いても、その内容は一言も理解できないだろう。

非アラビア語を母語とするムスリムにとって、異文化間のコミュニケーションにおける翻訳の最も基本的な形式、つまり異言語間翻訳の必要性は自明である。 標準アラビア語(背側アラビア語)では、古典アラビア語と現代アラビア語は文法的に近く、外国人向けの標準アラビア語文法教育においては両者に明確な区別はない。 

しかし、すでに述べたように、預言者ムハンマドが生前長年にわたって親しく言葉を交わしていた高弟たちでさえ、自分たちの導き手である預言者を失った後は、クルアーンとハディースのメッセージを理解することができなかった。

言語学では、意味を統語論(syntaxs)的意味、意味論(semantics)的意味、語用論(pragmatics)的意味に分類する。 古典アラビア語は現代アラビア語文法で理解できるため、アラビア語話者にとって「内なる西洋」であるイスラームの疎外感を認識することは困難である。 しかし、クルアーンとハディースの統語論的意味や意味論的意味はアラビア語話者にとって理解しやすくても、彼らがライフスタイルを共有し、「言語を共に生きる」ことがなければ、語用論的な意味は理解できない。

そして、クルアーンとハディースは、その統語的意味を文法的および辞書的な神学的意味で説明する釈義を書くために人間に啓示されたのではなく、自分の置かれた状況を診断し、その中でどう生きるべきかを知るための「ガイド」として、それを行動の指針として使うために啓示されたのである。言い換えれば、イスラームにとって本当に重要なのは実践的な理解、あるいはプラグマティック(語用論的/実用的)な理解なのである。。

だとすれば、排外主義やジンゴイズムによる分断と紛争による人類滅亡を救うダイナミックな力としてイスラームを復活させるために必要なのは、イスラームの解釈学的な理解でなければならない。

イスラームに対する解釈学的なアプローチの必要性は、アラブ人にとっても非アラブ人ムスリムにとっても同様であり、すべてのムスリムに共通の課題であるが、非アラビア語話者の場合には解釈学的アプローチの必要性は明らかであるのに対して、アラビア語話者にとっては解釈学的アプローチの必要性はかえって理解が難しい。

そこで本稿では、イスラームとは全く触れずに非イスラーム文明で生まれ育った非アラビア語話者がイスラームをどのように理解し、どのようにその理解を他の人々と共有すべきかについて、主に『イスラーム学知の革命・要約』の和訳を例に用いて解釈学的なアプローチとは何かを明らかにしていく。なお以下では『イスラーム学知の革命・要約』を『要約』と略記する。

「部分は全体から理解されなければならず、全体は部分から理解されなければならない」と表現される解釈学的循環は、シュライエルマッハー(Friedrich Ernst Daniel Schleiermacher) に始まり、ディルタイ(Wilhelm Dilthey) 、を経て発展し、ガダマー(Hans Georg Gadamer) のもとで普遍的な重要性を獲得したものであり、あらゆる種類のテキストの解釈に適用できる包括的な理論となっている。

創造主なる神アッラーの創造物である宇宙には、たとえ私たちには理解できなくても、それぞれに独自の表現によるあらゆる被造物の創造主への賛美が響きわたっている。宇宙とは、万物の創造神に向けられた賛美が複雑に織り込まれたテキストである。ガリレオは、聖書と宇宙は神によって書かれた二冊の本であると述べたが、セム系/アブラハム的唯一神教のアッラーの意志を理解するための主要な文書の役割を担っているのはむしろクルアーンと宇宙である。

クルアーンは、創造神にいかにイスラーム(服従)すべきかを教えると同時に、宇宙とは被造物がどのように神に服従しているかを洞察するために読むべきテキストである。イスラームを理解するとは、世界の真相を把握し、人間の生活を支配する原則を理解することであり、イスラームを正確に理解するには、宗教に関する包括的な知識が必要となる。しかしそのような理解は一夜にして得られるものではない。イスラームの理解の道行は、全体の断片的な側面の探求から始まる。しかし部分を理解するには、解釈学的循環によりその部分が置かれた文脈を認識することが不可欠である。

イスラームの教えは、信仰告白句「lā ilāh illā Allāh」に簡潔に表現されている。「lā」という用語は英語の否定詞「no」であり、「ilāh」は神を意味する。「illāh」は「しかし」を表し、「Allāh」は崇拝に値する真の神を意味する。 イスラーム全体の探求を始める出発点としては、簡潔なこの信仰告白句が最適である。この句はイスラームの最小の断片、「部分」であるが、それを構成する単語との関係においては「全体」となる。

このイスラームの信仰告白句を総合的に理解するには、まず「lā ilāh」(神は存在しない)を理解する必要がある。ただしこの最初の部分「lā ilāh」だけを取り出すと、神の存在の否定となる。「lā ilāh」まで読んで、本を閉じ、イスラームの教えは神を否認する無神論だ、と結論したなら、それはイスラームの理解として不完全であるばかりか、完全な根本的誤解となる。

これは極めて簡単な例にすぎないが、イスラームを学ぶことの本質が凝縮されている。ゼロからイスラームを理解する旅に出ようとする者は、特に日本のようにムスリム学者と実際に接する機会が少ない環境では、最初は不完全で偏った情報から始めるしかない。つまり包括的な文脈を欠いたたまたまその時点で自分に提示されたイスラームの不完全で部分的な断片をイスラームだと思いなすことになる。

「lā ilāh illā Allah」という信仰告白句のフレーズは甚だ簡潔であるため、その全体を簡単に見渡すことができる。しかしクルアーンという啓典となると、文庫本(岩波文庫)で3巻、学術書となると分厚いながら一冊に収まる一点の書物であるが、一目で見渡せる量ではなく、概要、大意であれ全文の意味を理解することは簡単なことではない。クルアーン全巻を暗唱しているのは言うまでもなく何千、何万ものハディースに精通していた千年前のアラブ系のイスラーム学の碩学たちにとってさえ、その意味を理解するのは容易なことではなかった。長年にわたって数多くのクルアーン釈義書(tafsīr)が書き継がれてきたのはそのためである。

たとえアラブ人であっても、特に西洋の社会文化システムの枠組みの中で教育を受けたアラブ人にとって、何年もかけて古典アラビア語を習得し、古典釈義書を参照しながらクルアーンを研究することは、解釈学的螺旋を昇る最初の第一歩としては適切ではない。なぜならば解釈学的サイクルのうち、全体に見通しを与える部分は、それ自体が一目で見渡すことができる包括的な全体でなければならないからである。

その意味でイスラームを学ぼうとする初学者に、ガザーリーの『要約』をテキストして用いることは、たとえ部分的なものであるとしても、イスラーム理解の予備的な概要を提供し、イスラームの全体を垣間見る、という目的に役立つ。その理由は次章で詳しく説明しよう。


4.イスラーム学の革新

クルアーンとハディースに明らかにされた神の意志を理解するために、イスラーム文明は 神学、法学、スーフィズムの三つの学問分野を確立した。アブー・ハーミド・ムハンマド・ガザーリー(1111年没)は、神に仕えるイスラーム研究体系の発展において極めて重要な役割を果たした。彼は、精神性を失い外枠となった「外面の学問」(‛ilm ẓāhir)神学、「内面の学問(‛ilm bāṭin)」であるスーフィズムとを有機的に統合することによってこそれを達成したのであり、 彼の記念碑的な大著『イスラーム学知の革命』は、この統合の証である。

イスラーム学の書誌学者として名高いハーッジ・ハリーファ(1657年没)は、『イスラーム学知の革命』の永続的な重要性を強調し、それをスンナ派イスラーム研究の標準的な古典であり、『神学大全』と呼んでいる。シーア派神秘哲学者でハディース学者のファイド・カシャーニー(1680年没)による『イスラーム学知の革命』の注釈である『白い大道(al-Maḥājjāh al-Bayḍā')』は、それが世界的に認められ、よく練り上げられた構造を有し明晰に書かれ論理的に整理されていると述べている。つまり同書はスンナ派とシーア派の間の根深い宗派対立を超えて900年以上にわたって世界中のムスリムの間で広く受け入れられており、あらゆる形の党派主義による人間社会の分断が特徴的な今日の世界において、非常に貴重で有益な作品と言うことができる。

この意味で『イスラーム学知の革命』も『要約』にも、人間相互間の問題(‘ādāt)に焦点を当てた第二部に「イマーム/カリフ職」に関する章が含まれていないことは注目に値する。この時代、ガザリー自身が『信条における中庸(al-Iqtiṣād fī al-I‛tiqād)』の中で述べているように、神学書の中にイマーム/カリフを擁立する義務を論証する「イマーム・カリフ職」の章を設けるのがイスラーム学の慣行であった。そうであるならばイスラーム学大全である『イスラーム学知の革命』に「イマーム・カリフ職」の章が存在しないのは不自然であり、説明を要する。  その理由の一つは、ガザリがイマーム/カリフ論を論ずるに足る重要な問題とは考えていなかったことである。それどころか、彼はこれをムスリムの間の分裂と内戦を助長する可能性のある危険な問題とみなしていた。

ガザーリーの時代には、アンダルスのウマイヤ朝と北アフリカのファーティマ朝の両王朝がカリフを自称し、アッバース朝カリフの権威が失墜しただけでなく、イスラーム世界全体で半独立の地方政府が乱立して混乱に陥っていた。イランでは、イスマーイール派の分派のニザール派がアラムート要塞から暗殺部隊を派遣し、アッバース朝カリフを宗主とするセルジューク朝に対して激しい武力闘争を行っていた。

ガザーリーは「それは狂信、独善、党派意識の源泉であり、たとえそれが正しかったととしても、それを深入りするよりも避ける方が賢明である。正しくてさえ避ける方が良いなら、間違っていたならどれほど有害であろうか」と述べているが、誰が正当なイマーム/カリフかについて議論することは、合理的な議論によって解決され統一をもたらすのではなく、独善と分裂と内戦を招くだけだという彼の政治的見解は当時の政治状況を反映していると考えられる。 

しかし、『イスラーム学知の革命』にカリフに関するセクションがないことは、ガザーリーが読者に「政治」から完全に遠ざかるように促していることも、彼が権力者に媚びへつらい、その不正を容認する「静寂主義者」であったことも意味しない。それは『イスラーム学知の革命』にはカリフに関する章の代わりに「勧善懲悪(amr bi-l-ma‛rūf wa-nahy ‘an al-munkar:善を命じ悪を禁ずること)」に関する章を設けていることによって裏付けられる。  この章では「勧善懲悪」の主体がカリフではなくすべての信者であることが強調され 、カリフがはむしろその悪行、不正、暴虐が非難される対象となる。((暴君に対する勧善懲悪を進めて、ガザーリーは「最高の殉教者は、ハムザ・イブン・アブドゥルムッタリブであり、次に、イマームの前に立ち、彼に服従し、神の意志に反する行為を禁じた人物であり、そのために殺された者である」「不義の支配者のもとでの真実の言葉は最高のジハードであり、そのような行為をした者が殺された場合、彼は殉教者である」の二つのハディースを引用している))

ガザーリーは、イマームの正当性について論ずることが、イスラーム社会に分裂や内紛が生じさせることを警戒していたが、彼のこの懸念は「勧善懲悪」にも当てはまる。 彼によれば、「勧善懲悪」には、(1)告知(ta'rīf)、(2)忠告(wa'aẓ)、(3)脅迫( takhshīn fī qawl)、(4)暴力による強制阻止(man' bi-qahr)の4つの段階がある。しかし権力者(スルタン)に対しする暴力による脅迫や強制的阻止は、内戦(fitnah)を引き起こし、既に悪い状況をさらに悪化させる危険があるために許されない。

但しガザーリーは、内戦の危険がなければ、それは許され、さらには推奨されるだろうとも付け加えている。  自分の同時代のウラマーが臆病な俗物であり、暴君を前にして何も言えなかったという『イスラーム学知の革命』での彼の痛烈なウラマー批判は、それを裏付けている。

 

シャリーアはカリフの擁立(naṣb al-imām)が命じていることがイスラーム法学の合意事項であることをガザーリーは認めているだけでなく、政治哲学的にカリフ制が不可欠性であることを論証している。 シャリーアが最後の審判に至るまで妥当するとの法的安定性の観点からも、人々がカリフ制の義務を理解することは教学的にも極めて重要である。しかし当時の現実に照らすと、イスラーム法的に正当なただ一人のカリフを選ぶ法的義務をいかに果たすべきか、と、実践に踏み込んで考えることは、学識を欠く初学者が無い知恵を絞ってみても、かえってイスラーム共同体の分裂、紛争、内戦を招くだけなので考えない方がましであると『要約』は教えているのである。私見によると、この『要約』のリアリズムはイスラームの疎外という現在の状況においても示唆的である。

厳密な学術的研究、特に数学を基礎とする研究では、体系的な「積み上げ」式アプローチが不可欠である。この学習スタイルでは、各ステップが個々の概念 (パスカルが「幾何学の精神」と呼んだ哲学) の正確な理解に基づいて、一歩ずつ着実に歩を進めることが求められる。 しかし、宗教、文化、文明の理解には、それとは別のアプローチが必要となる。事象の全体を「瞬時に」(tout d'un coup)、「一目で」(d'un)把握できる「繊細な世親」が必要となるのである。  。こ繊細な精神により解釈学的循環が可能になり、全体とその構成部分の理解の間での不断の螺旋状の上昇による理解の深化が実現するのである。本稿ではこの解釈学的理解の深化の過程を「解釈学的螺旋」と呼ぼう。

異言語および異文化翻訳の場合、最初のステップは字義通りの翻訳、または逐語訳であり、「ソース言語」のテキストを別の「ターゲット言語」に翻訳する。 例えば、5世紀初頭頃、日本は朝鮮半島を経由して中国から漢字とともに仏教や儒教などの中国文化を学んだ。 そして、最初の日本語辞書『新撰字鏡』は、9世紀末から10世紀初頭に僧昌住によって書かれた。 

辞書を使った逐語訳は、厳密な学術研究の体系的な「積み上げ」式アプローチに似ており、幾何学の精神と相性が良い。クルアーンとハディース、そしてイスラーム学の古典はすべて、辞書で各単語のアラビア語の意味を調べれば、一語一語日本語に翻訳できる。しかし、解釈学の文脈では、この逐語訳は理解の手始めの最も低いレベルでしかない。

前述の通り、イスラームの信仰告白句は英語では「No god but Allah」と訳される。英語の「God」は通常、日本語では「神」と訳される。しかし、特に8世紀に書かれた古事記 や日本書紀 のような作品を紐解くと、日本語の「神」には、先史時代以来の重層的な含意が意味があることが分かる。そしてそれらの意味は、クルアーンの「神(ilāh)」の意味とは大きく異なる。逐語訳はイスラームやセム系あるいはアブラハムの一神教に対する深い理解のない一般の日本人にとっては、イスラームの大まかな理解の第一歩としてなら許容可能ではあるかもしれない。しかしその時点で理解したと思って何の疑問も抱かず好奇心を失い知識を求める旅(ṭalab al-‛ilm)を止めてしまっては、イスラーム文明圏の住人たちの平均的なイスラームの理解のレベルにさえ達することはできない 。

こうした解釈学的螺旋は『要約』の翻訳にも同じことが当てはまる。したがって同書を読み進めるに当たっては、個々の単語の厳密な意味の理解にこだわるのではなく、この一冊の本もまた本来の理解の対象である「全体」の「一部」に過ぎないことに常に自覚的であることが不可欠となる。『要約』を読む目的は、「一目で」そして「一息に」全体像を見渡すような読書体験を通じて『要約』に通底するロジックを「一気に」把握することにあるからである。

筆者は、6年前にイスラームに改宗したばかりの日本の大学でアラビア語を学ぶ学徒のために、アラビア語古典原文講読のテキストとして『要約』を選び1年余りをかけて通読し 、昨年(2023年)マルマラ大学神学部の山本直輝先生と共訳して公刊したが、最優先事項は、真のイスラームの知識を求める初学者にこの作品をできるだけ早くアクセスできるようにすることだった。つまり『要約』の翻訳は、イスラームの厳密な文献学的読解を目指す学究を読者として想定してではなく、イスラームに興味を有するすべての識字層の読者を念頭において行われたものなのである。

従って『要約』がその「一部」として位置付けられる「全体」の文脈を設定することは読者に委ねられている。その文脈には、宗教現象全般でも、セム系/アブラハム的一神教でも、イスラーム文明でも、スンナ派イスラームでも、より専門化された古典イスラーム文献研究でも、あるいは『要約』の元になった『イスラーム学知の革命・要約』自体であっても構わない。読書の目的を選ぶ責任はあくまでも読者自身のものなのである。


5. 解釈学的地平融合

解釈学的には、イスラームに対する私たちの理解は解釈学的循環を経て、地平線融合の途切れることのないプロセスを通じて上向きに螺旋を描く。 ただし、私たちが立っている地平線を正しく認識することなしには、実りある地平の融合 は起こり得ないことに注意することが重要だ。

19世紀の西洋の時代以降、東アジアの中国文明、アフロ・ユーラシアのイスラーム文明、東ヨーロッパのロシア正教文明を含む地球全体が、世俗主義的な近代西洋の文化植民地、西洋文明の従属文明となった。 西洋文明の 私たちは、歴史的なイスラーム文明の多くの要素を共有し続けている一方で、政治、経済、教育、文化制度などのさまざまな領域でその覇権の下にいる。 すなわち、私たちは現代西洋文明と伝統的なイスラーム文明の両方からの二重の疎外を経験しているのである。

実際、疎外感は単なる客観的事実ではなく、主観的に認めるのが苦痛なトラウマ的経験でもある。 しかし、私たちの人生を解釈学的螺旋と地平融合の場として考えるならば、疎外はむしろ新たな真実の開示の機会として積極的に見ることができる。

翻訳理論では、元の言語を「ソース言語」と呼び、翻訳された言語を「ターゲット言語」と呼ぶ。 クルアーンの日本語翻訳の場合、「原文言語」は古典アラビア語、「訳文言語」は現代日本語となる。 本稿では、文化解釈学において解釈される文化を「ソース文化」、その中で解釈される文化を「ターゲット文化」と呼ぼう。

最初の段階では、私たちが生まれ育った幼少期の母語や、初等・中等教育で学んだ語彙のネットワークからなる「ターゲット文化」の中で、さまざまな「ソース文化」を解釈する。

気が付いた時には我々は国家に登録された家族の子供である。 次いで国家の管理する学校に通う子どもたちには、定められた学齢に達すると、国家が定めた国語あるいは公用語で書かれた教科書が与えられ、定められた学区で固定の人数のクラスに配置され、国家によって任用された教員によって定められた国家が定めたカリキュラムを教えられる。それが私たちの「ターゲット文化」である。

国家も国語も学校も住民登録も家庭裁判所も法定通貨も存在しない時代に預言者ムハンマドの信奉者たちがどのようにしてシャリーアの知識を獲得したのかを理解するための最初のステップとしては、我々は「ソース文化」に自分の先行理解を投影するしかない。「ターゲット文化」となる現代アラブ世界では、初等教育は「タルビヤ(tarbīyah)」、中等教育および高等教育は「タアリーム(ta‘rīm)」と呼ばれる。事実「イスラーム的タルビヤ」や「イスラーム的タアリーム」などの表現が使用されており、本質的に近代西洋文化の概念を預言者の時代に押し付けている。これは完全な時代錯誤、誤解であり、よく言ってもミスリーディンであるが、その是非を問うても無意味である。なぜなら最初の段階では、それ以外のことはできないからである。

第二段階から解釈学的循環が始まる。ここで「ターゲット文化」は現代アラブ文化であるが、「ソース文化」は西欧列強による文化植民地化以前の前近代・イスラーム世界である。実際、近代以前の西洋とイスラーム世界は、ヘブライ語聖書のヘブライズムとギリシャの学問であるヘレニズムという二つの学問体系を共有する双子文明であり、学校制度などではイスラーム世界の方が進んでいた。アラブ・イスラーム文化は西洋文化に大きな影響を与えてきた。

したがって、ソース文化とターゲット文化の間の距離は近く、はるかに理解し易い。そして現時点では、アラビア語と西洋諸言語の両方で「客観的な」学術研究があり、それも参照することができる。ガザーリーの『要約』が解釈学的アプローチの最も適切な参考文献として使用できるのもこの段階である。

解釈の最初の段階では「ソース文化」の個々の概念を「ターゲット文化」のそれに類似した概念に置き換えるだけで理解できたように感じて、それで十分である。しかし次の段階では、ソース文化とターゲット文化の近似概念の正確な意味を、それぞれの意味ネットワークの文脈に戻した上で、文献学的手続きによって厳密に確定し、その微妙な差異を明らかにした上で、それぞれの分化システムの中における両概念の構造的な位置と機能を探らなければならない。

この段階では、同じ単語、たとえ類似した概念であっても、異なる歴史的文脈ではまったく異なる状況の現象である可能性があることが理解される。この段階で初めて、解釈学的地平融合が起こり、西洋近代文化を古典イスラーム文化との違いを意識して相対化し、逆に古典イスラーム文化をその意識を介して相対化し、その過程において認識主体としての二つの文明の間で「引き裂かれ」た自己の変容が生ずる。 

我々は現在、ナショナリズム、人種差別、ジンゴイズム、排外主義の蔓延から生じる分裂と紛争の増大によって加速される世界のブロック化、グローバリゼーションと様々の非国家主体の増殖による相互確証破壊理論 による拡大核抑止の向こうかによる核戦争のチキンレースによる第三次世界大戦の脅威に直面している。

私見によるとこれらの問題は、世俗主義的な現代西洋文明によって促進された「本来の自己」の存在を前提に自己と他者との差異を強調する行き過ぎたアイデンティティ・ポリティクスによって引き起こされたものである。それゆえ古典的なイスラーム研究と近代西洋に生まれた世俗主義を批判的に比較するための指針として『要約』を利用しすることで、解釈学的なアプローチを通じて、自他の相違を強調する排外主義の蔓延という現代の課題に対するイスラーム文明のあるべき対応とは何かを明晰に分析することができるのである。

実のところ、次のような疑問が生じる。数千年にわたってイスラーム文明が発展させてきた多元主義社会における多言語、多民族、多宗教の共存システムを、近代西洋文明の文化帝国主義的覇権主義に対抗するものとして、今日の国際関係においてどのようにして復活させることができるのだろうか?そしてさらにどうすればそれをムスリムと非ムスリムの双方に効果的に伝えることができるだろうか?

しかし実のところ、ガザーリーの『要約』を参照しての哲学解釈学を通じたイスラーム文明と近代世俗西洋文明の地平融合は、準備段階にすぎない。現代の危機を克服するための真のイスラーム的対応の探求は、哲学的解釈学の範囲をはるかに超えているからである。哲学解釈学は、イスラーム文明と近代西洋文明の間で引き裂かれている現在のムスリムの疎外感を癒す効果をもたらしているに過ぎない。

実際、ガザーリの『要約』の文脈で証明されているように、イスラーム文明と現代の世俗的な西洋文明を融合するために哲学解釈学を採用することは、単なる初期段階を表している。 現代の危機に対処するためのイスラーム的解決策の探求は、哲学解釈学の領域を超えている。 哲学解釈学は、イスラーム文明と西洋文明の間で引き裂かれているムスリムが経験している現在の疎外感を緩和し、トラウマからの回復を促進し、新たなスタートを切るのに役立っていますが、まだ始まりにすぎない。 私たちの前には、挑戦的で未知の道が待っている。


6.ネオ・イジュティハード

一般的なケースに適用できる規定(ḥukm)をシャリーアから演繹するにせよ、特定の実際の問題にいかに対処すべきかを問われて回答(iftā')するにせよ、現実を深く理解しその状況の中で具体的にいかに行動すべきかを考える必要がある。

我々の用語では、「現実の理解」とは、「ターゲット文化」の文脈における状況の理解に相当し、「現実を深く理解しその状況の中で具体的にいかに行動すべきかを考える」とは、すなわちクルアーンとハディースの「ソース文化」の文脈における意味が文献学的に確定できる「明文テキスト(nūṣūṣ)」を通して、「現実を深く理解しその状況の中で具体的にいかに行動すべきかを考える必要がある」とは「解釈学的地平融合」が求められることを意味する。 


既述のようにガザーリーはイスラーム研究を神への奉仕に捧げられた学問として再生させた。当時偽善的な形式主義に堕していた神学と法学にスーフィズムの精神性を吹き込み三つの学問分野を統合することでそれを達成した。そして、シャラフ・ナワウィー(Sharaf al-Dīn al-Nawawī:1277年没) の『諸目標(al-Maqāṣid)』を皮切りに、神学、法律、スーフィズムを一冊の本に纏めた初学者(ṭalabah al-'ilm)向けのイスラームのさまざまな入門書が書かれてきた。

クルアーンは一冊の書物ではあるが、論理的に順序付けられた章に編成されておらず主題毎に整理されてもいない。ましてや数百万冊のハディースは預言者ムハンマドによって書かれた本でさえなく、多くの伝達者によって記憶された預言者の記憶を聞き取り調査をした後世の学者によって収集された記録のコレクションである。そのように乱雑に並べられた膨大なハディースやクルアーンを「一目見て(d'un seul respect)」「瞬時に(tout d'un)」把握できる人間はいない。 

ガザーリーが統合した神学(uṣōl al-dīn)、法学(fiqh)、スーフィズム(taṣawwuf)の三対の教義体系は、初学者(ṭalabah al-'ilm)がシャリーアの総体を学ぶために、ウラマーが8世紀半ばから13世紀半ばまでの約5世紀にわたって切磋琢磨し地平融合を繰り返し解釈学的螺旋を昇りながら作り上げた「解釈体系」である。

しかしアイニーが生きた14-15世紀や、ガザーリーとその師のジュワイニーが生きた11-12世紀だけでなく、預言者の高弟子たちさえも神の啓示を授かった完璧な指導者である預言者ムハンマドの死後、「グルバ」つまりイスラームからの疎外を自覚していた。

ガザーリーでさえハディース学は弱かったと言われており  そして、ハディースに精通した学者ḥāfiẓ、ḥujjah、ḥākim (「ハーフィズ・ハディース」とは10万のハディースについて、その内容や伝承経路の全てについて知識を持つ者、「フッジャ」とは30万のハディースについて、その内容や伝承経路の全て、そしてその語り手の伝記情報について詳しく知る者のことであり、ハーキムとは、語り継がれているすべてのハディースについて知識を持つ者のことである)は偉大なウラマーの中でも稀であった少数だった。「たとえイスラーム学の文献がすべて失われてしまっても『イスラーム学知の革命』だけが残ればそれだけで十分である」とまで称賛された『イスラーム学知の革命』も、実のところ、神の啓示の全体に直接アクセスできずクルアーンとハディースを自分で解釈することのできない学徒のための「間に合わせ」でしかない。

私見によると、初学者がイスラームを理解するための第一歩の教材としての『革命』の重要性はまだ失われていないとしても、ウンマ(ムスリム共同体)の今日の危機に対する処方箋としてはすでに期限切れになっている。それはイスラームに関する情報が不足しているためではなく、今の時代が議論に勝ち富や名声、権力を獲得することを目的とした空虚な美辞麗句や奇を衒った詭弁、フェイクニュースがインターネット上に溢れている時代だからである。今の時代、真実は曖昧になり、何が真実なのかはもはや誰にも分からない。ジュワイニーはこのような状況を既に予見していたが、今日の現実は彼の予測を上回っている。インターネット上で質問をするだけですぐに回答が得られるこの時代に、何十年にもわたる学問の修行に勤しむ動機付けはもはや殆ど失われている。また疑わしい正体不明のWebサイトを閲覧すると、誰もが自分の好みに合った回答を見つかることができる。したがって、『要約』のような短い書物であっても、碩学の指導の下で忍耐強く読み切る学徒は稀である。

したがって、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが「梯子の上に登ったなら、梯子を捨てなければならない」(Tractatus Logico-Philosophicus:6.54) (Tractatus Logico-Philosophicus:6.54)と言ったように、ムスリム知識人、特に若い世代は、ガザーリーの『要約』を読み終えれば、それを捨て去り、未知の新たな段階に足を踏み入れなかればならない。この新しい段階を「ネオ・イジュティハード」と呼ぼう。

スンナ派イスラーム法学の一般的な見解によれば、既成の法学派の方法論に束縛されず、クルアーンとハディースを独自に解釈できる「無条件のムジュタヒド(mujtahid muṭlaq)」はもはや存在しない。しかしイブン・タイミーヤ(1328 年没)が『シャリーアによる政治(al-Siyāsah al-Shar‘īyah)』の結語で述べているように、すべてのムスリムはこの世で啓示の命令を実現するために自分の能力と知識の限りを尽くして努力しなければならないという意味で、イジュティハードを義務付けられている。

法学で概説されているイジュティハードの資格を満たしていないにもかかわらず、私たちは、スンナ派だけでなくシーア派のハディースも含む何百万ものハディースのテキストにインターネット上で容易にアクセスできる時代に生まれ合わせた以上、私たちはイブン・タイミーヤが述べた意味でのイジュティハードを行う使命があるのである。

そしてそれを実践するためには、(1)私たちが実際に住んでいる現代の世俗主義的な西洋文化の「ターゲット文化」を理解し、(2)ソース言語である古典アラビア語でクルアーンとハディースが語っていることが、我々が住んでいるこの世界で何を行うことを求めているのかをターゲット言語の適切な表現に置き換えて理解し、(3)その理解した内容を「ターゲット文化」の若い世代の共感を呼ぶ最も適切な形で伝える表現方法を理解しなければならない。

ネオ・イジュティハードの解釈学的なアプローチでは、イブン・カイイムが述べているように 、「ソース文化」から「ターゲット文化」への翻訳は弁証法的であり、解釈学的螺旋となる。 ここで強調しなければならないのは、たとえこの解釈学的アプローチが弁証法的であっても、最も重要なことは「ターゲット文化」の理解であり、特に現代の危機への対応においては、未来を担う若者の「ターゲット文化」の理解であるということである。彼らの心に響く言葉で語りかけるすことが重要なのである。 なぜなら、クルアーンやハディース、イスラーム学の古典を自由自在に引用しどれほど雄弁に滔々と論じたて、高尚な説教を行おうとも、彼らの心に届かなければ、それは単なる衒学趣味の自己満足に過ぎないからである。


7.結論に代えて

したがって、イスラームの解釈学的理解を達成するには、まず我々が永遠で不変の強固な基盤の上に立っているという幻想を払拭する必要がある。これは、本質主義者がしばしば抱く誤解だ。既に引用した「イスラームは奇妙なものとして始まり、また奇妙なものとして始まった姿に戻るだろう。奇妙な者たちに幸あれ」と「大食漢どもが呼びかけあって大盆に群がってくるように、諸民族があなたたちを貪ろうと呼びかけあうようになる」との二つのハディースがこの自覚への手がかりを提供する。

預言者の地平と我々自身の地平の違いの認識に基づいて求められる地平の融合は、現代の西洋文明をヒステリックに拒絶するものでも、無批判に受け入れるものでもない。それは「叡智は信仰者の迷いラクダである。それゆえそれを見つけた者がそれに最も権利がある」(『ティルミズィーのスンナ集成』)と「ある民族の真似をする者はその者の仲間である」(『アブー・ダーウードのスンナ集成』)の二つのハディースのバランスを考慮して行われなければならないが、イスラーム学の標準的な古典である『要約』は参照するのに最も相応しい参考文献と言えよう。

しかし中庸のバランスは確かに重要だが、近代西洋文明と衰退したイスラーム文明との間の安易な妥協を決して伴うべきではない。地球規模の人類生存の危機に対処し、異なる文明間の公平な共存を促進する新たな多元的国際秩序を生み出すには、人間の理解を超えこれまで何人も思いつかなかった真に独創的なイジュティハード、「目に見えず、耳に聞こえず、人の心に思い浮かぶことがないもの(mā lā ‛ayn ra'at wa-lā udhn sami’at wa-lā khaṭara ‛alā qalb bashar)」(ブハーリー正伝承が収録するハディース)が求められる。我々の若者たちの中に、未だ姿を現していないヒジュラ暦15世紀の「革新者(mujaddid)」(「革新者/ムジャッディド」とは、イスラーム暦の変わり目に現れ、イスラーム共同体を刷新すると言われる改革者を意味する) を見出す洞察を主が我々に授け給いますように。

したがって、この「ネオ・イジュティハード」の段階において最も重要なことは若者の「ターゲット文化」を理解し、彼らの心に響く方法で話しかけることである。筆者がラノベの形でイスラームの入門書『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社2020年)を書いた理由は、それが今では東アジアの若者だけでなく、西洋、中東、中央アジアのムスリムの若者にとっても「ビルドゥングスロマン(教養小説)」、生きる指針、成熟の為のロールモデルとなっているからである。(「トルコの若者は『心臓を捧げよ』と話しかけてくる…イスラーム圏で日本アニメが愛されている納得の理由」『プレジデントオンライン』(2024年1月16日)参照。https://news.infoseek.co.jp/article/president_77566/)

筆者は現在、その続編でムハンマド・ブン・ハサン・シャイバーニー(ハナフィー派法学者:805年没)の『大スィヤルの書』とフーゴー・グロティウス(オランダの国際法学者1645 年没)の『戦争と平和の法』の比較によって、異なる文明、帝国、国家間の正義に基づく多元国際社会の共存の原理と規則からなる「真の国際法」とは何かを提示する『愛紗と学ぶイスラーム国際法』を執筆中である。同書が若い同胞たちのネオ・イジュティハードの呼び水となりますように神佑を祈り筆を擱く。


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