2010年12月17日金曜日

『人定法の裁定』

ここに訳出する『人定法の裁定』の著者は、ワッハーブ派の名祖ムハンマド・ブン・アブドルワッワーブ(西暦1791年没)の直系の子孫で、元サウディアラビア王国ムフティー(イスラーム教義最諮問官)ムハンマド・イブラーヒーム・アール・アル=シャイフ(ヒジュラ暦1389年西暦1969/70年没)のファトワーで、ヒジュラ暦1380年(西暦1960/1)年に初版が発行されたものです。
翻訳の底本としたのは、訳者が在サウディアラビア日本大使館に勤務中に入手したヒジュラ暦1411年(西暦1990/1)発行の「出版権は全てのムスリムに属する」と記されたダール・アル=ワタン出版による第3版です。翻訳に当たってはこの版を底本とし、Dr.サファル・アル=ハワーリーの注釈『人定法の裁定・注釈』を参照しました。
ムハンマド・イブラーヒーム師は、本書の中で、西欧法を継受したイスラーム諸国を不信仰の最悪の形態の多神崇拝を犯すもの、として激しく批判していますが、実は、イスラーム法裁判所長官であったヒジュラ暦1375年(西暦1956年)にサウジの商工会議所設立令の布告に当たってそれが人定法の裁定に当たるとして断固拒否する書簡をリヤド州知事に送っています。
それゆえ、ムハンマド・イブラーヒーム・アール・アル=シャイフの名は半ばタブーとなっており、その業績を知っている者も多くは口を噤んでいます。『人定法の裁定』の注釈を書いたサファル博士も、訳者のリヤド勤務中に、逮捕され長く監禁生活を送っていましたが、幸い『人定法の裁定・注釈』はネット上で読むことが出来ます。
 本書を読めば、政治が宗教と不可分であり、しかも単なる行為規範の問題ではなく、信仰の根幹に関わること、そしてそれが一般に非政治的だと思われているサラフィー主義、ワッハーブ派の当代最高権威によって、解釈の余地なく明らかにされていることが理解できるかと思います。アッラーフアゥラム


 慈悲遍く慈愛深きアッラーの御名において

 呪われるべき人定法をクルアーンと取り替えることこそ、明々白々な最大の不信仰であり、「なにごとであれ汝らが相争うなら、汝らがアッラーと最後の日を信ずるなら、それをアッラーとその使徒のもとに持ち込め。それが最善であり、最も良い結論である。」との尊くも畏きアッラーの御言葉に対する違背、頑迷な敵対である。クルアーンは天使ジブリールが、ムハンマドの心に明瞭なアラビア語で啓示したものであり、それによって世々を統べ治め、係争者たちの訴訟にあたって準拠すべきものであり、彼が警告者の一人となるように、とのものであった。
 自分たちの間に生じた争いについて、預言者ムハンマドに裁定を求めない者について、アッラーは、否定詞の繰り返しと誓言によって強調された否認によって、その者が信仰を有することを否定している。至高者は仰せられる。「それゆえ否。汝(ムハンマド)の主に誓って、彼らは自分たちの間に生じた争いを汝に裁定を求め、それで汝が判決を下したことに心にわだかまりを抱かず、服従し従うまで、信仰したことにはならない。」彼らが単に使徒ムハンマドに裁定を求めるだけではなく、加えて心にわだかまりを少しでも抱かないのでない限り、アッラーは十分であるとはされなかった。それは「汝が判決を下したことに心にわだかまりを抱かず」との御言葉に基づくが、「わだかまり」とは「不満」であり、使徒の裁定によって彼らの心が晴れ、懸念や疑問を抱かないことが必要とされるのである。
 またアッラーは、服従が付け加えられない限り、それら二つ(使徒に裁定を求めその裁定に不満を抱かないこと)だけでも十分とはされなかった。服従とは、使徒の裁定に対する完全な従順であり、それに対して心に何事も気に留めず、それを真理の裁定に、最も完全な服従によって従うことによるのである。それゆえ、そこにおいては単に従うだけでは十分ではなく、絶対的服従が必要であることを明らかにする「服従し」との御言葉の強調の同属目的語の動名詞によって、アッラーはそれを強調されているのである。
 第一のアッラーの御言葉「なにごとであれ汝らが相争うなら、汝らがアッラーと最後の日を信ずるなら、それをアッラーとその使徒のもとに持ち込め。それが最善であり、最も良い結論である。」争いの種類や量が想像できる一般論である「汝らが争うなら」との条件節の中で、「なにごとであれ」との非限定名詞をアッラーがいかにして用いられているかを、よく考えてみよ。
 次いで、「汝らがアッラーと最後の日を信ずるなら」との御言葉で、アッラーがいかにしてそれをアッラーと最後の日に対する信仰の成立の条件とされたかを、よく考えてみよ。
 次いで、アッラーは「それが最善」と仰せられている。そしてアッラーが無条件に(不定名詞で)「最善」と仰せになられたものは、悪が決して触れることがなく、現世と来世における純粋な善なのである。
 次いで、アッラーは「最善の結論」と仰せられている。つまり、現世と来世における(最善の)結末を意味する。それゆえ、係争におけるアッラーの使徒ムハンマド以外への準拠は、純粋な悪であり、現世と来世における最悪の結末となることを帰結する。
 それは丁度、偽信者たちが「我らは善行と調停を望むのみである」、「ただ我々は改善者である」と言うのと逆であり、それゆえアッラーは、こうした偽信者たちを論駁して「彼らこそは害悪をなす者ではないか。しかし彼らは気づいていない。」と仰せられているのである。
 またそれは、世界は人定法への準拠を必要としている、いやそれが必要不可欠である、との人定法支持者たちの人定法についての判断とも逆である。そしてそれはアッラーの使徒ムハンマドがもたらしたものに対する純粋な蔑視、アッラーとその使徒の明証の軽侮、それが人々の係争を満足に解決できないとの判断なのであり、現世と来世の悪しき結末こそが、彼らに必定なのである。
 また(クルアーンの)次の節の中の「自分たちの間に生じた争いを」との御言葉の一般原則についてよく考えてみよ。
 また(クルアーンの)次の節の中の「自分たちの間に生じた争いを」との御言葉の一般原則についてよく考えてみよ。また法理学者などの見解によると、関係代名詞と関係代名詞文は一般論の形式を伴う。そしてそれの一般性、包括性は、種や類の面におけるのと同様に量の面においてもであり、ある種類を異にしても相違は無く、また多寡に拘らず変わりは無いのである。それゆえアッラーは、アッラーの使徒ムハンマドの齎したもの(クルアーン)以外に裁定を求めた偽信者たちの信仰を否定され、仰せられている。「おまえは、おまえに下されたものとおまえ以前に下されたものを信じると言い張る者たちが邪神に裁定を求めようとするのを見なかったか。それを拒絶するよう命じられていたにもかかわらず。そして悪魔は彼らが遠く迷い去ることを望んでいる。(4:60)」
 「言い張る」との御言葉は、彼らの言い張る信仰において彼らが嘘つきであるとしている。なぜならば預言者ムハンマドが齎したもの(クルアーン)以外に裁定を求めることは、人の心中の信仰とそもそも共存することはありえず、一方が他方を排除するからである。「邪神(taghut)」とは、「限界を超えること」を意味する「法外(tughyan)」の派生語である。そして預言者ムハンマドが齎したもの(クルアーン)以外によって裁く者、あるいは使徒ムハンマドが齎したもの(クルアーン)以外に裁定を求める者は全て、邪神に従って裁き、邪神に裁定を求めたことになるのである。それというのも、預言者ムハンマドが齎したもの(クルアーン)のみに基づき、それ以外に依拠することなく裁くことが、万人の義務だからである。
 また同様に預言者ムハンマドが齎したもの(クルアーン)のみに裁定を求めることが、万人の義務であり、それ以外のものに基づいて(自ら)裁くか、それ以外のものに裁定を求めた者は、(自らの)裁定、あるいは(他者に)裁定を求めることにおいて、彼の限界を超え、法外な行いを為したことになり、それによって彼の限界を超えることにより法外な邪神と化したことになるのである。
 そして「それを拒絶するよう命じられていたにもかかわらず」との御言葉についてよく考えてみよ。これから欧米人定法讃美者たちがこの問題についてアッラーが彼らに求めていることに頑迷に敵対し背反を望んでいることが知られる。なぜならば聖法によって彼らに求められていること、そしてそれによってアッラーを崇拝すべきことは、邪神の拒絶であり、邪神に裁定を求めることではないからである。「そして不正を犯した者たちは、言葉を彼らが語られたもの以外に取り替えた。」
 ついで「そして悪魔は彼らが遠く迷い去ることを望んでいる」とのアッラーの御言葉、それが迷妄であることをアッラーがいかに示されたかを、よく考えよ。欧米人定法讃美者たちは、人定法が導きとなると考えている。それはこのクルアーンの節が、欧米人定法讃美者たちが、自分たちが悪魔から遠く離れており、人定法が人々の役に立つと思い込んでいるのとは逆に、人定法(導入)は悪魔の意思であり、彼らの主張に従うと悪魔の望む諸事は人々の福利であり、アッラーの望むところのものとなり、(逆に)預言者ムハンマドが携えて遣わされたところのもの(クルアーン)は、その名(人々の利益)に値しないもの、その任(人々の福利とアッラーの御意思の実現)に耐えないものとなるのである。
 アッラーはこの類の輩を拒絶し、彼らが無明時代の裁定を欲していることを確証し、アッラー御自身の裁定が最善の裁定であることを明らかにした上で、「それでも汝らは無明時代の裁定を望むのか。確信する民にとって、アッラーよりその裁定が勝る者が誰かいようか。」とおおせられているのである。この節が、裁定の区分は二元的であり、アッラーの裁定以外には、無明時代の裁定しか存在しないこと、そして欧米人定法讃美者たちは、彼ら自身がそれを認めようと認めまいと、無明の徒の仲間であること、いや彼らよりも性状が邪悪で言論において嘘が多いことを示されているかをよく考えてみよ。
というのは、無明の徒には、この件に関して、二枚舌だけはないからである。一方、欧米人定法讃美者たちたちは預言者ムハンマドが齎したもの(クルアーン)を信ずると言い張りながらも、それに矛盾することを行い、「その中間に(折衷の)道を得ようと望んでいるから」(4章150節)である。そしてアッラーはこうした類の輩について「これらの者たちこそ、本当に不信仰者である。我らは不信仰者たちに恥辱の懲罰を用意した。」と仰せられている。
また、この節が、欧米人定法讃美者たちに対して、彼らの思いつきのがらくた、でっちあげた考えが素晴らしいとの主張を、「確信する民にとって、アッラーよりその裁定が勝る者が誰かいようか。」との御言葉で、いかに論駁しているかをよく考えてみよ。
ハディース学匠イブン・カスィール(1373年没)は、この節の注釈の中で以下のように述べている。
「あらゆる良きものを含みあらゆる悪を禁ずる確定したアッラーの裁定から離れ、アッラーの聖法に依拠せずにそれ以外に人間が作った思いつき、妄念、制度などに逸れる者を拒否される。それは丁度無明時代の者たちが、彼らの思いつきや妄念によって作り上げた虚妄に依拠して裁定したのと同じであり、また(イルハン国の)モンゴル人たちが、ジンギズカンが彼らに制定したユダヤ教、キリスト教、イスラームなどの様々な教えの部分を抜き出した法規の寄せ集めの法典から取った政令に依拠して裁定したのと同じなのである。そしてその中にはただの彼らの思いつき、妄念から作り出した多くの規定があり、それらは彼の子孫たちにとって従われるべき法となり、彼ら(イスラームに改修したイルハン国のモンゴル人の王たち)はそれをクルアーンとアッラーの使徒ムハンマドのスンナに基づく裁定に優先しているのである。そしてそのようなことを行う者は不信仰者であり、そうした者に対しては、アッラーとその使徒の裁定に帰順し、多少に拘らずそれ以外のものに裁定を求めなくなる迄、戦闘が義務となる。
アッラーは「それでも汝らは無明時代の裁定を望むのか」(5:50)、つまり、アッラーの裁定から逸れて無明自体の裁定を好み欲するのか」、そして「確信する民にとって、アッラーよりその裁定が勝る者が誰かいようか」(5:50)、つまりアッラーからその聖法を授かり、それを確信、信奉し、アッラーはその被造物に対して母親がその子に対するよりも慈悲深いことを知った者にとって、裁定においてアッラーよりも更に公正な者が誰かいようか、と仰せられている。なぜならアッラーこそ、全てのことを知り、全てのことが可能で、全てのものに対して公正な御方であらせられるからである。」(了)
 またアッラーはこの前の節で、その預言者ムハンマドに語りかけ、「それゆえ彼らの間をアッラーが下されたものによって裁き、おまえにもたらされた真理から離れ、彼らの欲望に従ってはならない。・・・(5:48)」、「そして彼らの間はアッラーが下されたもので裁き、彼らの欲望に従ってはならない。彼らがおまえを、アッラーがおまえに下されたものの一部から惑わし逸らせることを、彼らに警戒せよ。」(5:49)と仰せられている。
またアッラーはその預言者ムハンマドに、ユダヤ教徒たちが彼の許に裁定を求めてやってきた場合に、彼らの間を裁くか、あるいはそれを拒むかのどちらを選ぶことも許され、仰せられた。「・・・それでもし彼らがおまえの許に来たなら、彼らの間を裁くか、あるいは彼らから背を向けよ。そしてたとえおまえが彼らから背を向けても、彼らはおまえをわずかにも害することは決してない。また、もし、おまえが裁くなら、彼らの間を公平に裁け。まことにアッラーは公正な者たちを愛し給う。」(5:42)「公平」とは「公正」であり、本当はアッラーとその使徒の裁定以外には「公正」は存在せず、それ以外に基づく裁定は不公平、不正、迷妄、不信仰、邪悪なのである。それゆえアッラーはその後の節で「・・・アッラーが下し給うたもので裁かない者、それらの者こそは不信仰者である」(5:44)、「・・・そしてアッラーの下されたもので裁かない者、それらの者こそは不正な者である」(5:45)、「・・・そしてアッラーが下されたものによって裁かない者、それらの者こそは邪な者である」(5:47)と仰せなのである。
それゆえ、アッラーが下されたもの以外によって裁く者たちについて、アッラーが、いかに不信仰、不正、邪悪と書き留められたかを見よ。
アッラーが下されたもの以外によって裁く者をアッラーが不信仰者と名づけておられるのに、その者が不信後者ではない、ということは有りえず、行為における不信仰か、信条における不信仰のいずかの、総称的不信仰者なのである。そしてターウースなどが伝えるところの、この節に関するイブン・アッバースの言葉は、アッラーが下されたもの以外によって裁く者が、ムスリム共同体から破門される(nqil al-millah)信条の不信仰か、共同体から破門まではされない行為における不信仰のいずれかの不信仰者であることを示しているのである。
第一は、信条の不信仰であり、それにはいくつかの種類がある。
それらの第一はアッラーの下されたもの以外によって裁く者が、アッラーとその使徒の裁定の最善性を否定する場合である。これがイブン・アッバースから伝えられた意味であり、イブン・ジャリール(アル=タバリー)が、これこそがアッラーが下された聖法の裁定の否定であると選定したものであり、これについては学識者の間に異論は存在しない。なぜなら、宗教の基礎(神学的信条)のうちの一つ、あるいは宗教の枝葉(法学的規範)であってもコンセンサスの成立している一つの事項を否定する、あるいはアッラーの使徒が確実に齎したと知られるもののうちの一言でも拒絶する者は、イスラーム共同体から破門される不信仰を犯した不信仰者であることは学識者の間で合意され確定した原則だからである。
第二はアッラーの下されたもの以外によって裁く者が、アッラーとその使徒の裁定が正しいことは否定しないが、アッラーの使徒以外の裁定の方が、使徒の裁定よりも更に良く完全で、また人々の間の係争を裁くにあたって彼らが必要とするものについてよい行き届いていると信ずることである。それは一般的であっても、時代の進歩と状況の変化の結果として生じた現代的な事柄に関してであろうと、やはり疑いの余地無く不信仰である。なぜならその者は、被造物である人間のがらくたのような思いつき、こしらえた考えを誉むべき英明なる御方(アッラー)の裁定よりも勝ると考えているからである。
アッラーとその使徒の裁定は、それ自体においては、時代の進歩、状況の変化、事象の進展によって変わることはない。なぜなら、いかなる問題であれ、テキストの明文、表意、含意などの形で、クルアーンとアッラーの使徒のスンナの中にその裁定がないものは存在しないからである。そのことを知る者は知っているが、知らない者が知らないのである。
状況の変化によってファトワー(教義回答)が変化する、とイスラーム学者たちが述べている意味は、イスラームの諸規範の論点、事由の知識が乏しいか無い者たちが考えているのとは違うのである。というのは、彼らはその意味を自分たちの間違った有害な動物的欲求、現世的願望、考えに合うように都合よく解釈しているからである。それゆえ彼らはそれを擁護し、(クルアーンとスンナの)明文テキストを力の限りその下位に置き、従属させ、その言葉を文脈から外して歪曲しているのである。
それゆえ、状況と時代の変化に伴いファトワーが変るという意味は、イスラーム学者たちの意図するところでは、聖法の基本、考慮すべき事由、アッラーとその使徒が意図していた種類の福利は変らずに継続しているようなものなのである。欧米人定法の信奉者たちは、それから逸脱しており、なんであれ自分たちの欲望に適うことしか言わないのである。現実が何よりも雄弁な証拠である。
第三は、(欧米人定法が)アッラーとその使徒の裁定よりも良いとは信じないが、それと同等だと信ずることである。これは、イスラーム共同体から破門される不信仰を犯した不信仰者であることにおいて前の二つの範疇と同じである。なぜならばそれは、、被造物(人間)を創造主(アッラー)と同等とすることを帰結し、また「何ものも彼(アッラー)のようではない」との御言葉のような主(アッラー)の完全性の占有、本体、属性、行為における人々の係争の裁定における被造物に対する優越の超越性を示しているクルアーンの諸節への違背、頑迷な敵対であるからである。
第四は、アッラーの下されたもの以外によって裁く者の裁定が、アッラーとその使徒の裁定より優れていることはもとより、それと同等とも信じないが、にもかかわらずアッラーとその使徒の裁定と異なるものによる裁定が許されると信ずることである。決定的に明瞭な真正な(クルアーンとスンナの)明文テキストによって禁じられていることが知られることをその者が許されると信じているために、これにも前の諸範疇に当てはまること(イスラーム共同体から破門される不信仰)が当てはまる。
第五は、聖法に対する頑迷な敵対、その諸法規を見下す傲慢、アッラーとその使徒への背反、イスラーム法裁判所に対する競合において、装備、浸透性、所管、基礎付け、展開、組織性、多様性、実効性、強制性、準拠法令、公文書において、(それら不信仰の信条のうちで)最も重大で、最も包括的で、最も明白なものである。(それらに準拠法令、公文書があるのは)イスラーム法裁判所にもその根拠が全てクルアーンとその使徒のスンナのみである演繹された準拠法令があるのと同じく、それらの(欧米実定法)裁判所にも準拠法令がある。それはフランス法、アメリカ法、イギリス法などの多くの法律や、聖法を僭称する異端的諸派の様々な法の寄せ集めの法律なのである。
イスラームの諸国の多くのこれらの裁判所は、完全に整備され、門戸が開かれ、人々はそれに続々と押し寄せ、それらの支配者たちは人々をクルアーンとスンナに背くその人定法の諸法規によって裁き、人々にそれを強制し、彼らにそれを認めさせ、それを義務付けるのである。この不信仰よりも重大ないかなる不信仰があろうか。そして「ムハンマドはアッラーの使徒である」との信仰告白に対する違背があろうか。この違背以上の、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に対するいかなる違背があろうか。

上記に簡単に述べた典拠の全体は周知でもあり、ここで繰り返すことはできない。理性を有する者たち、賢者たち、知恵ある者たちよ。あなた方と同等か、それ以下の者たちの(作った)法規、思い付きがあなたがたに課せられることにどうすれば満足していられるか。彼らは過ちを犯すことがあるというのに。いや、彼らは間違うことの方が正しいことより遥かに多い。いや、彼らの裁定が正しいのは、明文テキストにしろ含意によるにしろ、アッラーとその使徒の裁定から演繹された場合だけなのである。どうすればあなた方は、彼らが過ちが生じることがなく決して不正が起きない誉むべき英明なるアッラーからの啓示であるアッラーとその使徒の裁定によってあなた方を裁くことを怠り拒否する一方で、あなた方の身体、血、皮膚、名誉、そしてあなた方の妻子、家族、そしてあなた方の財産、その他の全ての権利について(人定法で)裁くのを放置していることが出来るのか。人々がその主アッラーの裁定に従い、服するのは、自分を崇拝するようにと人間を創造された御方アッラーの裁定に従い、服することである。それゆえ人間がアッラー以外に跪拝せず、アッラー以外に崇拝を捧げず、被造物を崇拝しないのと同じように、疑惑、妄執、混乱によって滅び、無関心、冷酷、不義に心を奪われた不正で無知な被造物の裁定を拒否せねばならず、慈悲深く憐れみ深く誉むべき全能な英知ある御方アッラーの裁定以外に従い、服し、屈することがあってはならないのである。
それゆえ理性ある者は、「・・・アッラーが下し給うたもので裁かない者、それらの者こそは不信仰者である」(5:44)とのアッラーの御言葉の明文により、それ(人定法による支配)が不信仰であることに加えて、人間の奴隷化、人間に対する欲望、悪意の目的、迷妄、過誤による支配があるが故にそれを警戒しなければならないのである。
第六は、砂漠の遊牧部族、氏族の族長たちの多くが則って裁定している父祖の言い伝えや、自分たちの「サルーム」と呼んでいる慣習である。無明時代の掟に留まり、アッラーとその使徒の裁定からの離反を望み、彼らはそれを先祖代々受け継ぎ、それによって裁き、係争に当たってはそれに裁定を求めるのである。
アッラーの他に力も権能もありません。

アッラーの下されたもの以外によって裁く者の不信仰の二つの種類のうちの第二のものは、イスラーム共同体からの破門を招かないものである。
「・・・アッラーが下し給うたもので裁かない者、それらの者こそは不信仰者である」(5:44)とのアッラーの御言葉についてのイブン・アッバースの釈義が、この種類の不信仰に該当することは既に述べた。それは、この節についての「不信仰以下の不信仰」、及び「あなた方が思い浮かべる不信仰ではない」との言葉である。
それは、欲望と煩悩に負けてアッラーが下されたもの以外によって問題の裁定をしてしまうことで、アッラーとその使徒の裁定こそが真理であることを信じ、自分が間違っており、導きから逸れていることを自分自身でも認めた上でのことなのである。
これはその不信仰がイスラーム共同体からの破門を招くものではないとしても、姦通、飲酒、窃盗、偽証などの諸々の大罪よりも重大な背神行為なのである。なぜならばアッラーがクルアーンの中で「不信仰」と呼ばれている背神行為は、「不信仰」と呼ばれなかった背神行為よりも重大だからである。
ムスリムが団結し信服してクルアーンに裁定を求めるようになることを我らはアッラーに祈り求めます。まことにアッラーこそ、それがおできになり、それを引き受け給う御方にあらせられます。



المقدمة

أما بعد, فقد بعث الله تعالى الشيخ محمد بن عبد الوهاب رحمه الله لأمة حبيبه محمد صلى الله عليه وسلم كي يمكنها تمييز الإسلام من الشرك من جديد حتى تعود كونها ظاهرة على الحق وتقود البسرية قاطبة كما كانت في صدر الإسلام, حين وقعت في مظلمة التقاليد الباطلة المخالفة للسنة التي ارتكمت أثر تطورات الأزمنة وتغيرات أحوالها حتى تدهورت فغُلِبت واستُعمرت بأيدي الكفرة سياسياً واقتصادياً وثقافيا كما قال رسول الله صلى الله عليه وسلم:" تداعت عليكم الأمم كتداعيكم على قصعة الطعام."
فما زال الشيخ وأتباعه سوط الله الذي هذّب الله تعالى به الأمة حتى كَتَبَ آخِرُ دعاتهم العظام الشيخ محمد بن إبراهيم آل الشيخ رحمه الله, مفتي الديار السعودية الأسبق, المجتهد المجاهد الممتثل بقوله صلى الله عليه وسلم " أفضل الجهاد كلمة عدل(في رواية"كلمة حق") عند سلطان جائر "كتاب " تحكيم القوانين" التي بين يدي القارئ وهو ,مع صغر حجمه, أهم كتاب كُتِبَ في مجال السياسة الشرعية كما في مجال الدعوة السلفية في عصرنا هذا.
في حقيقة الأمر, القوانين الوضعية هي روح الحضارة الغربية وسر تغلبها على العالم ووسيلة هيمنتها على الشعوب الأقوام بالإضافة إلى كونها شركاَ حيث أنها إلزام أوامر المخلوقين ونواهيهم على الناس بكلّ قوة الدولة و إلزام الأوامر والنواهي على المخلوق هو عين الألوهية التي لا بد من توحيدها لله الخالق رب العالمين وحده لا شريك له.
فإذاً لا يمكن الأمة أن تحقّق توحيد الألوهية فتكون أمة مسلمة, فضلاً عن أن تتخلّص من الاستعمار الغربي, إلا بعد أن تتجرّد من نظام القوانين الوضعية المصطنعة في الغرب الذي يسيطر على البلاد الإسلامية

وقد أوضح الشيخ محمد رحمه الله حقيقة نظام القوانين الوضعية وحكمها وضوح الشمس حتى لا يترك أي شبهة قابلة لسوء فهمه أو تأويل خاطئ, لأن أسلوب كتاب " تحكيم القوانين" منظّمٌ ومنهجيٌّ بحسن الترتيب حيث أنها بيّن في بداية الكتاب أن تحكيم القوانين الوضعية ما هو إلا نقيض الحكم بما أنزل الله و جزم كفره ثمّ بعد ذلك قسّم في بداية الكتاب الكفر إلي قسمَْينِ.والقسم الأول هو كفر اعتقادٍ يُخرج صاحبه عن الملّة والقسم الثاني هو كفرُ عملٍ لا يُخرج صاحبه عن الملّة.
أما كفر اعتقادٍ فقسّمه إلى ستة أنواع والأنواع الأربعة الأولية يتعلّق اعتقادها بالقلب في قضية انفرادية ورتّبها الشيخ رحمه الله بترتيب من الأشّد إلى الأخفّ, أيْ, الأول هو الاعتقاد يبطلان حكم من أحكام الله, والثاني هو الاعتقاد بالأفضلية لحكم من غير أحكام الله على حكم من أحكام الله, والثالث هو الاعتقاد بالمماثلة لحكم من غير أحكام الله على حكم من أحكام الله والرابع هو الاعتقاد بجواز لحكم من غير أحكام الله مع اعتقاده بالأفضلية حكم الله, و هذه كلّها كفرُ اعتقادٍ ناقل عن الملّة.
ثمّ ذكر الشيخ رحمه الله النوعان الآخران من كفرُ اعتقادٍ ناقل عن الملّة وليس اعتقادهما أمر باطني متعلّق بالقلب في قضية انفرادية بل هو أمر ظاهري متعلّق بنظام الحكم كظاهرة اعتقادية اجتماعية. وأولهما اتخاذ القانون المُلفّق من قوانين كثيرة كالقانون الفرنسي والقانون الأمريكي والقانون البريطاني وغيرها و بعض أحكام الشريعة وغير ذلك كمرجع لنظام الحكم بشكل تنظيمي إلزامي شامل ويقول الشيخ رحمه الله "وهو أعظمها وأشملها وأظهرها معاندة للشرع ومكابرة لأحكامه ومشاقّة لله ورسوله ومضاهاة بالمحاكم الشرعية" و" فأيُّ كُفر فوق هذا الكفر، وأيُّ مناقضة للشهادة بأنّ محمدًا رسولُ اللهِ بعد هذه المناقضة." جدير الذكر هنا أن استعمال كلمة "محاكم" لا يقتضي أن موضوع القوانين الوضعية يقتصر على نظام القضاء بل هي كناية عى نظام الحكم كلّه لأنه يقال أنها " وتُلزمهم به وتُقِرُّهم عليه وتُحتِّمُه عليهم" و ليس إقرار القوانين على الناس كمرجع التنازع وإلزام حكمها القضائي على الناس وظيفة المحكمة أبداً.
أما ثانيهما فهو متعلّق بالمجتمع السعودي خاصّةً, وهو اتخاذ عادات القبائل المسمّاة ب"سلوم" نظام الحكم على مستوى المجتمع القَبَلي.
النوعان الآخران هما النوع الخامس والسادس من كفرُ اعتقادٍ بحسب تقسيم الشيخ رحمه الله نفسه وجزم بأنهما كفر ناقل عن الملّة مثل الأنواع الأربعة الأولية ولكنه لا يناقش الشيخ رحمه الله فيهما اعتقادهم بخلاف ما ناقشه في الأنواع الأربعة السابقة لأنهما ظاهرة اعتقادية اجتماعية لا يُهِمُّها اعتقاد الأفراد فلا يحتاج إلى السؤال عن الاعتقاد القلبي الباطني بل واقع تطبيق القوانين الوضعية وإلزامها على الشكل المُنظَّم
ب ذات عينه أصدق دليله وأظهره.
وأما القسم الثاني من قسمي كفر الحاكم بغير ما أنزل الله هو الذي تحمله شهوته وهواه على الحكم في القضية بغير ما أنزل الله مع اعتقاده أن حكم الله ورسوله هو الحق واعترافه على نفسه بالخطأ ومجانبة الهدى وهو الكفر غير الناقل عن الملة الذي أُشيرَفي قول ابن عباس رضي الله عنه " كفر دون كفر" و"ليس بالكفر الذي تذهبون إليه" في تفسيره لقول الله تعالى : {ومن لم يحكم بما أنزل الله فأولئك هم الكافرون}. إلا أن هذا القسم الثاني من قسمي كفر الحاكم بغير ما أنزل الله خارج موضوع هذا الكتاب.
فليس تحكيم القوانين الوضعية أعظم كفر اعتقادٍ ناقل عن الملّة وأشمله وأظهره فقط, ولكنه أكثرانتشارا وأشدّ نفوذاً في بلاد المسلمين. بل لا تبقى على الأرض بقعة لا تُُطَبَّق فيه هذه القوانين الوضعية قط, بما فيها البلد الذي كان الشيخ رحمه الله يتولّى منصب المفتي.
قال الشيخ رحمه الله في خطابه إلى أمير الرياض بما يلي:

فبالإشارة إلى خطابكم رقم 4926 وتاريخ 11/4/1375 المرفق به الأوراق الخاصّة بموضوع تأسيس غرفة تجارية بالرياض.
نفيدكم أنه جرى درس النظام المرفق ولاحظنا أهمها الفقرة. د - من المادّة 3, التي نصّها:أن تكون الفرفة مرجعاً لحل الخلافات التجارية بين المتنازيين من التجار سواء كان المدّعى عليه مسجّلا أو غير مسجلاً. وقد انتهى إلين انسخة عنوانها "نظام المحكمة التجارية للمملكة العربية السعودية" المطبوع بمطبعة الحكومة بمكّة عام 1379 للمرّة الثانية, ودرسنا قريباً نصفها فوجدنا مافيها نٌظما وضعية قانونية لا شرعية فتحقّقنا بذلك أنه حيث كانت تلك الغرفة هي المرجع عند النزاع أنه سيكون فيها محكمة وأن الحكام غير شرعيين بل نظاميون قانونيونى ولا ريب أن هذه مصادمة لما بعث الله به رسوله صلى الله عليه وسلم
من الشرع الذي هو وحده المتعيّن للحكم به بين الناس المستضاء منه عقائدهم وعباداتهم ومعرفة حلاحهم من حرامهم وفصل النزاع عندما يحصل التنازع. واعتبار شيء من القوانين للحكم بها ولو قلّ قليل لا شكّ أنه عدم رضا بحكم الله ورسوله ونسبة حكم الله ورسوله إلى النقص وعدم القيام بالكفاية في حل النزاع وإيصال الحقوقى إلى أربابها وحكم القوانين إلى الكمال وكفاية الناس في حلّ مشاكلهم واعتقاد هذا كفر ناقل عن الملّة والأمر كبير مهمّ وليس من الأمور الاجتهادية. وتحكيم الشرع وحده دون كلّ ما سواه شقيق عبادة الله وحده دون كلّ ما سواه, إذ مضمون الشهادتين أن يكون الله هو معبود وحده لا شريك له وأن يكون رسوله صلى الله عليه وسلم هو المَّتبَع و المحكَّم ما جاء به فقط. ولا جُرِّدت سيوف الجهاد إلا من أجل ذلك والقيام به فعلاً وتركاّ وتحكيماّ عند النزاع... - إلى آخر خطابه.

فقد أوضح الشيخ رحمه الله أن لا يتمّ التوحيد إلا بعد التبرئة من تحكيم القوانين قائلاً :"تحكيم الشرع وحده دون كلّ ما سواه شقيق عبادة الله وحده دون كلّ ما سواه" وهو مراد قول الشيخ عبد الهادي أونغ, رئيس الحزب الإسلامي الماليسي, حفظه الله : "إيمان توحيد الربوبية و الألوهية ينبغي أن يثبت بتوحيد الحاكمية,أي مرجعية الأحكام"
للأسف الشديد, لم يُسمَع كلام الشيخ في ذلك الوقت, ليس عند الحكّام فقط, ولكن عند كثير من طلبة العلم, وذلك ما كان يأدّي إلى تدهوُّر أحوال المسلمين يوماً فيوماً حتى عصرنا هذا ويجعلنا نحسّ حاجة إلى إعادة طبع هذا الكتاب القيّم و ترجمة إلى سائراللغات ونشره إلى أنحاء العالم حتى تتبرّأ الأمّة من تحكيم القوانين الوضعية الغربية الذي كفر اعتقاد ناقل عن الملّة بل أشده وأسوأه وتعود إلي توحيد الحاكمية لله وحده حتى توحّد صفوفها تحت القيادة الموحَّدة الخاضعة لحكم الشرع وحده دون كلّ ما سواه, وهي الخلافة الراشدة التي يجب علينا قيامها, كما تعود إلى مكانها الرائد لتحرير البشرية قاطبةً من عبودية المخلوق, وهي عين تحكيم القوانين الوضعية الغربية التي تسود العالم كلّه بما فيه بلاد المسلمين.
نسأل الله التوفيق, ولا حول ولا قوة إلا بالله العلي القدير.

0 件のコメント:

コメントを投稿