2021年11月13日土曜日

アンドリュー・H・ワトキンス著「タリバンの復権から3ヵ月後の評価」 (CTC SENTINEL第14巻第9号) 序文仮訳

タリバン政権の3ヵ月後の評価

(CTC SENTINEL第14巻第9号)

著者

アンドリュー・H・ワトキンス

要旨:過去10年間にタリバンの影の統治が浸透し、軍事的・政治的な勢いが増しているにもかかわらず、復活したイスラーム首長国の最初の3カ月間は、国家の統治の担当に苦労していることが明らかになった。タリバンは、政権掌握に専念し、脅威には迅速かつ厳しく対応してきた。彼らは国家の管轄や構造を明確に定義しておらず、2021年8月15日以前と同じように活動を続けている多くのメンバーたちに長期的な計画を知らせていない。タリバンの指導者たちは、内部の結束を維持することが引き続き重要であると考えている。これはタリバンの昔からの特徴であり、差し迫ったアフガニスタンの経済的・人道的危機への対応の障害となる可能性が高い。

2021年8月15日、春先に開始された激しい軍事作戦でアフガニスタンの大部分を制圧した後、アシュラフ・ガニー政権指導部と実質的にすべての治安部隊が姿を消ししたカブールに、タリバンは進軍しほぼ無血で同日中に入城した 。(注1)

欧米が支援するイスラーム共和国の崩壊は迅速かつ広範囲に及び、米国やその他の同盟国が混乱した避難を完了するために奔走している間にも、タリバンは直ちにその空白に踏み込んだ。

ある意味では、タリバンは自分たちの幹部たちや戦闘員を、手早く新設の政府に押し込んだ。タリバンは2カ月足らずの間に、国内に残っているほとんどの政治指導者から忠誠を誓うか、少なくとも黙認のジェスチャーを引き出し、暫定政府(あるいはそのように見せかけた政府)の閣僚を任命し、都市部では厳しいく強圧的だが概ね秩序ある新しい治安体制を確立し、国境をしっかりと管理し、経済的苦難を考慮して税関を設定した。周辺国との地域内域外交を行い、山岳地帯の州で起きた抵抗運動を迅速かつ冷徹に鎮圧し、イスラーム国ホラーサン(ISK)支部に対する戦闘や、多くの元治安当局者への報復など、治安上の課題を根絶するために多くの資源を投入した。  (注2)

しかし多くの点で、タリバンの意思決定は、指導者たちの協議と合意形成による時間のかかる保守的なものであることが明らかになった。それは彼らの武装闘争が長続きした原動力であったが、全国規模での責任ある迅速で効率的な統治には妨げにもなる(注3)。 

政権復帰後もタリバンの行動の多くは、彼らがそうではないと主張したり、観察者が不和の証拠だと指摘したりする行為であっても、タリバンを特徴づける目標や原則に基づいている。

1)タリバンは、組織レベルでも個人レベルでも、脅威の認識に基づいて行動している。20年以上にわたって抵抗運動を存続発展させるためには、潜在的な脅威を常に認識し、解決する必要があった。脅威を特定し、狙いを定め、排除するか、懐柔することは、昔も今もほとんどのタリバンのメンバーたちの中心的な仕事である。

2) タリバンの指導者たちが政策を議論したり、戦略的な行動を決定したりするときには、内部の結束力を維持することを優先し、それを確実にするような選択をしてきたという一貫した実績がある 。(注4) 派閥による権力争い、若い戦闘員の間での過激化した意見、ISKによるイデオロギー的な挑戦、技術者の能力不足にもかかわらず、政権を取ってからのタリバンは、抵抗運動であった時期に育んできた結束力を今のところ維持することができている。しかし、アフガニスタンの民衆に大きな犠牲を強い、飢えた民衆を遠ざけたり、近代国家を維持するのに十分な資金を確保できなかったりするリスクを冒してでも、内部分裂を防ぐことを最優先しようとの決意によって、あらゆる場面で意思決定がなされてきた。

3)最後に、イスラーム共和国の崩壊とタリバンの全国制覇があまりに早かったため、8月15日の時点ではタリバンはまだ不安定で、国内の掌握には更に努力を要すると考えられていたことが忘れられがちである。

政権を握ってからの3ヶ月間、この反体制組織は、自分たちが倒した国家とあまり変わらない近代国家の輪郭に沿って機能し始めようと、あるいはそうする気がない/できない場合には、少なくとも機能しているように見せようと奔走している。(注5) タリバンの各層のメンバーや戦闘員たちは、ジャーナリストやアフガニスタンの人々に、この国の問題を解決するには時間がかかると繰り返し語ってきた 。(注6)このような能力不足のために、タリバンは多くの点で戦時中のデフォルトのスタイルや作戦モードに戻り、民間人に厳しい制限を加え、場合によっては人権侵害、誘拐、殺害を行っている 。(注7)

本稿では、この最初の3カ月間の出来事を、ガバナンスと安全保障に焦点を当てて検証する。第1章では、タリバンがカブールに侵入した後の政権交代を検証する。第2章では、タリバンが権力を固めていく過程での、タリバンの統治の主要な目標と原則を明らかにする。第3章では、タリバンの政府形成と統治スタイルを詳細に検討する。第4章では、「イスラーム国」の挑戦にどう対応したかなど、安全保障に対するタリバンのこれまでの取り組みを評価する。第5章では、過去3カ月間に同グループが課した社会的制約、「イスラーム国」との関係にどう対応したか、女性の教育問題への取り組み方など、タリバンによる社会サービスの提供について検討し、最後に、結論を述べる。

筆者は、8月15日以降、アフガニスタンの複数の地域に残っていた数十人のアフガニスタン人や外国人に遠隔地でインタビューを行った(安全上の理由で正式なインタビューができなかった場合は、証言を得た)。本稿では、国際的なメディアやアフガニスタンのメディアの報道を引用しながら、和平交渉や政治的イデオロギーに対するタリバンの考え方や、結束力を重視してきたタリバンの長い歴史について、筆者のこれまでの研究成果を紹介する。

注:本稿では主にタリバンを単一のアクターとして捉え、そのように分析している(ただし、全体を通して派閥や個人の行動には注意を払っている)。しかしそれは、タリバンの錯綜した利害関係者、派閥、部族連合、思想潮流、家族の徒党、個人(時には国境を越えた)のネットワークの複雑さや多様性を無視したり、最小化したりすることを意図したものではない。そうではなく、この分析手法は選択は認識論的、文体的なものである。米軍や外国軍がアフガニスタンに駐留していた時期でさえ、タリバンは指導者の死を2年近くも極秘にしていた。この3ヵ月間、アフガニスタンでは多くのことが変化してきた。タリバンの様々な構成要素とそれらの間の力学に関する外部の人間の認識はしょせんは不完全で、すぐに時代遅れになる可能性が高いことは確かなのである。


(注1)反乱軍の2021年キャンペーンについては、Jonathan Schroden, “Lessons from the Collapse of Afghanistan’s Security Forces”, CTC Sentinel 14:8 (2021)参照。
(注2)  元治安当局者の標的については、Yogita Limaye, "Amid violent reprisals, Afghans fear the Taliban's 'amnesty' was empty," BBC, August 31, 2021.
(注3) このグループの意思決定の遅さは、武装抵抗勢力としてのタリバンが戦争の政治的解決を目指して米国との交渉を開始した過去2年間のほとんどの期間で目立っていた。米国およびイスラム共和国の代表者との交渉の中で、タリバンは何度も重要な場面で、指導部に持ち帰って厳しい協議をするために一時中断を要求した(そのために何度もパキスタンに戻っている)。Kathy Gannon, "Taliban leaders visit Pakistan to talk Afghan peace push," Associated Press, August 24, 2020.
(注4)Andrew Watkins, "Taliban Fragmentation: Fact, Fiction and Future," U.S. Institute of Peace, March 2020.
(注5)タリバンは、COVID-19の対応が実際には貧弱なものであったことを増幅させようとした広報キャンペーンと同様に、各州での閣僚会議や法令、活動を広報しているが、その中には包括的で持続可能なサービス提供を開始したと思われるものはほとんどない。パンデミックへの対応については、Ashley Jackson, "For the Taliban, the pandemic is a ladder," Foreign Policy, May 6, 2020.
(注6)一例として、Ayesha Tanzeem, "What's next in Afghanistan. "を参照。VOA speaks with a Taliban footsoldier," Voice of America, October 21, 2021.

2021年10月14日木曜日

試訳(Tentative translation of Speech by Minister of Foreign Affaris of Afghanistan):「アフガニスタン暫定外務大臣アミール・ハーン・ムッタキー演説 」

アフガニスタン暫定外務大臣アミール・ハーン・ムッタキー演説

   於:ドーハ・インスティテュート紛争人道研究センター 2021年10月11日

       Center for Conflict and Humanitarian Studies at Doha Institute 2021/10/11

あなた方に平安と神の慈悲と祝福がありますように

こんばんは、何よりもまず、皆さまを歓迎します

アフガニスタンに平和と安定が戻り、40年に及ぶ戦争の後、初めてアフガニスタンが単一の政治的権威の下に置かれた時に、ドーハで友人たちに会えることを、私は心から喜んでいます。

ドーハという名前は、アフガニスタンの独立と平和というテーマと結びついています。2020年2月、ここでアメリカと歴史的な協定を結んだことで、外国軍がアフガニスタンから撤退し、主権が回復し、大きな前向きの変化が生じました。

良き友スルタン・バラカト教授とその同僚の方々が、これまでもアフガニスタン問題の専門家と関係者を集めて学術会議をアレンジしてくださっているスルタン・バラカ先生と同僚の皆さまに大変感謝しています。

ご列席の皆さま。

昨年8月、アフガニスタンは重大かつ歴史的な変化を遂げました。この変化は、多くの分析や予測に反して、非常に平和的な形で展開されました。20年間にわたる正当な抵抗の後、私たちはついに、外国の干渉を受けずに独立したイスラーム政府の基礎を築くことができました。

レジスタンス運動が勝利した時には、流血と大規模な破壊が起こるのが常です。それゆえこの(平和的)展開は多くの人にとって驚きでした。しかし私たちの軍は復讐心を持たず、平和、兄弟愛、相互承認、国民の団結というメッセージを掲げてカブールに入り、長年の政治的・軍事的ライバルをも受け入れました。

当初、我々は話し合いによって納得の上でカブールに入ることを目指していましたが、旧政権のトップとその治安担当者の逃亡に伴う権力の空白が生じたため、地域のリーダーやカブールの住民から我々の軍がカブールに入り、安全を提供することを求められました。

参加者の皆さま

アフガニスタンは全世界に前向きな関係のメッセージを伝えています。我々はどの国の内政にも干渉せず、また他の国も我々の内政に干渉しないことを期待しています。アフガニスタンは、1978年以来、外国からの干渉、侵略、内戦、その他さまざまな不幸の犠牲となってきました。

私たちは、地域や世界との外交関係、そして国内での良き統治の新たな頁を開きたいと考えています。私たちは、他の国々の正当な利益と要求を十分に尊重し、その代わりに他国からの互恵的な扱いを期待しています。私たちは、アフガニスタンの不安定さと紛争が長期化した主な理由のひとつは、外国人による占領と政治体制への干渉であると考えています。もし外国人による干渉や押し付けられたモデルがなければ、平和を愛する国家としての我々アフガニスタン人は、すでにずっと前に和解し、平和と安定を手に入れていたでしょう。アフガニスタンの状況が改善された主要な原因の一つは、我々の国が政治的独立と自決権を回復したことです。

外国軍の全面撤退に先立って私もメンバーとして参加させていただいた交渉チームは、アフガニスタンの人々を代表して米国と約2年間にわたる真剣な交渉を行い、2020年2月に合意書に署名しました。ドーハ合意は、アフガニスタンからの外国軍の安全な撤退への道を開いただけでなく、アフガニスタン・イスラーム首長国と国際社会との間の前向きな関係の新たな段階を迎えたのです。

ドーハ合意は、アフガニスタンと世界、特に米国との関係を定めるための枠組みを提供しています。ドーハ合意が完全に実施されれば、アフガニスタン・イスラーム首長国と米国およびその同盟国との関係における既存のすべての障壁を取り除くことができると、私たちは信じています。そのためにも、当事者はドーハ合意の内容にコミットし続けなければなりません。

親愛なる皆さま。

先ほど申し上げたように、私たちは全世界との前向きな関係を望んでいます。私たちはバランスのとれた外交政策を信じており、バランスのとれた政治的アプローチのみがアフガニスタンを不安定な状態から救い出し、私たちの利益と世界の利益を守ることができると信じています。

また、私たちは協力と相互理解に基づく隣国、地域との前向きな関係を望んでいます。地理的な観点から言えば、アフガニスタンは地域の十字路の役割を果たしています。新政府は、アフガニスタンのこの能力を十分に活用し、地域の大きな経済変革への道を切り開く決意をしています。

アフガニスタンはイスラーム教国として、イスラーム世界の政府や国家と緊密で前向きな関係を望んでいる。アフガニスタンは、イスラーム世界の重要な一部です。また、アラブ諸国や湾岸諸国との特別な関係を望んでいます。アフガニスタンは外国の紛争に巻き込まれることを望んでおらず、すべての側との前向きな関係を望んでいます。

さらに、欧州連合(EU)の理解と積極的な関与も求めています。アフガニスタンは、戦争を終えた以上、積極的な関わりを持ちたいと考えています。新政府は、自国民が欧州に避難することを奨励したり、強制したりすることを望んでいません。そのような状況は誰の利益にもなりませんし、アフガニスタン難民がヨーロッパの負担になることも望んでいません。アフガニスタン人は、故郷であるアフガニスタンで豊かな生活を送らなければならないのです。

錚々たる参加者の皆さま。

私たちは、グローバルなレベルでの政治的多様性を信じています。思想、イデオロギー、民族、言語の違いは現存しており、この現実は認められなければなりません。

アフガニスタンという国、そしてアフガニスタン人という国民は、他の世界の国々との類似点と相違点を持っています。私たちが他者との違いを理解しているように、他者もまた私たちとの違いを理解してくれることを期待しています。アフガニスタンでは、外国からイデオロギーや政治モデルを押し付けても、成功しません。今、アフガニスタン人は、自分たちの社会的、国家的、宗教的な価値観に沿った政治体制を樹立する機会を得ており、国内での説明責任を果たすとともに、国際的な義務を果たすことができるようになっている。

アフガニスタン新政府の内閣は、国内のあらゆる地域から能力ある者が参加する管理内閣です。行政サービスの遅れを防ぐために、我々の指導者(信者たちの長:ハイバトゥッラー・アフンザダ)は暫定内閣を発表することを決めました。改革は内閣と省庁のレベルの両方で行われています。

私たち(タリバン暫定政府)の下で、前政権(アシュラフ・ガニー政権)で働いていた50万人の公務員が働いており、給料をもらっています。私たちは、前政権で働いていた公務員を一人も解雇しておらず、その能力を新イスラーム政府のために活用したいと考えています。新政府は、既存の能力を差別なく活用し、すべてのアフガニスタン人、特に若い世代が政府に参加できるようにすることを目指しています。

親愛なる同僚の皆さん。

私たちはここ数日、上級代表団の一員としてドーハに滞在し、米国をはじめとする各国の代表者と生産的な会議を行いました。これらの会合は、双方の関係にポジティブな影響を与えると信じています。

ここに改めて、戦争と抑圧の段階が終わったことをお伝えしたいと思います。アフガニスタンは国際関係の新しい段階に入っており、この新しい段階に応じて新たに必要とするものが生じます。それゆえすべての当事者は共通の利益に向けて努力すべきなのです。

最後になりましたが、長年にわたって私たちに交渉の場を与えてくださったカタール国に、改めて感謝の意を表します。また、本日、皆様の前でお話をさせていただく機会を与えてくださった私の良き友人である「紛争・人道問題研究センター所長」のバラカット教授にも感謝いたします。そして今回の会議に共に参加してくださったゲストの皆様にも感謝しています。

どうもありがとうございました。

みなさまの未来が祝福されますように。


Speech by Minister of Foreign Affaris

Director of the Center for Conflict and Humanitarian Studies at Doha Institute Prof. Sultan Barakat, Doha-based ambassadors, representatives of International Organizations and respected academics, 


Assalam o Alaikum Wa Rahmatullah wa Barakathu, 


First and foremost, I welcome you all and good evening, 


I am overjoyed that I see friends in Doha at a time when peace and stability has returned to Afghanistan and for the first time after four decades of war, Afghanistan is under the shade of a single political authority. 

The name Doha is linked with the topic of independence and peace in Afghanistan. In February 2020 when we signed a historic agreement with the United States of America right here, it resulted in foreign troops withdrawing from Afghanistan, our sovereignty being restored and a great positive change taking place. I am very thankful to Prof. Sultan Barkat and his colleagues who, from time to time, have arranged academic discussions between experts and professionals regarding issues affecting Afghanistan.

Distinguished participants, 

Afghanistan passed through a crucial and historic change last August. This change, contrary to many analyses and calculations, unfolded in a very peaceful manner. Following two decades of legitimate resistance, we were finally able to lay down the foundation of an independent Islamic government without any foreign interference. 

The development was a surprise for many because when a resistance group succeeds, bloodshed and widespread destruction naturally occur, but our forces entered Kabul sans spirit of revenge and with a message of peace, brotherhood, acceptance of one another and national unity, and we even embraced our longtime political and military rivals. 

At the beginning we sought to enter Kabul through talks and understanding, however, following a power vacuum left in the wake of the escape of the head of the former regime and his security officials, community leaders and Kabul residents solicited our forces to enter the city and provide security. 

Honorable participants, 

Afghanistan conveys a message of positive relations to the whole world. We do not want to interfere in the internal affairs of any country, and our expectation from others is also that they not interfere in our domestic affairs. Afghanistan – since the year 1978 – has been a victim of foreign interferences, invasions, civil wars and a range of other miseries. 

We want to open a new chapter of diplomatic relations with the region and the world, and good governance at home. We fully respect the legitimate interests and demands of other countries, and in return we expect reciprocal treatment from others. We believe one of the major reasons for prolonged instability and conflict in Afghanistan has been occupation and interferences in our political structure by foreigners. Had it not been for foreign interferences and imposed models, we the Afghans, as a peace-loving nation, would already have reconciled and attained peace and stability a long time ago. One of the major reasons for the current positive situation in Afghanistan is the political independence and the right of self-determination of our entire nation. 

Prior to the full withdrawal of foreign troops, our negotiating team in which I also had the honor of being a member, held almost two years of serious negotiations with the United States of America on behalf of Afghan people, culminating in signing of an agreement in February 2020. The Doha agreement not only paved the way for the safe withdrawal of foreign forces from Afghanistan, but it also opened a new chapter of positive relations between the Islamic Emirate of Afghanistan and the international community. 

The Doha agreement provides a framework in defining relations between Afghanistan with the world, and particularly with the United States of America. We believe that the complete implementation of the Doha agreement can iron out all existing barriers for relations between the Islamic Emirate of Afghanistan and the United States of America along with its allies. On this basis, parties must remain committed to the contents of the Doha agreement. 

Dear colleagues, 

As I alluded to earlier, we want positive relations with the entire world. We believe in a balanced foreign policy and we believe only balanced political approach can rescue Afghanistan from instability and also protect our interests and interests of the world. 

We also want positive relations with our neighbors and the region based on cooperation and understanding. From a geographical perspective, Afghanistan serves as a regional crossroads. The new government is determined to fully utilize this capacity of Afghanistan and to pave the way for a great regional economic transformation. 

Afghanistan, as a Muslim country, wants close and positive relations with the governments and nations of the Islamic world. Afghanistan is an important part of the Islamic world. We also want special relations with the Arab and Gulf states. Afghanistan does not want to partake in foreign conflicts, rather we want positive relations with all sides. 

Moreover, we also seek to have understanding and positive engagement with the European Union. Afghanistan wants to have positive engagement after closing the chapter of war. The new government does not want its people to be encouraged or be forced to take refuge in the Europe. Such a situation is not in the interest of anyone, nor do we want Europe to be burdened with our refugees. Afghans must have a prosperous life in their home, Afghanistan. 

Distinguished participants, 

We believe in political diversity on a global level. The differences of ideas, ideologies, ethnicities, languages is a reality, and this reality must be acknowledged. 

Afghanistan as a country, and Afghans as a nation have similarities and differences with other world nations. Just as we are able to grasp differences of others with us, our expectation is that others also grasp our differences with them. The imposition of ideologies and political models on Afghanistan from outside has not yielded results. The Afghans now have an opportunity to form a political system in line with its societal, national and religious values such that it will be accountable at home and also be able to fulfill its international obligations.

Cabinet of the new Afghan government is caretaker and qualified individuals from all parts of the country are represented. In order to prevent delay in government services, our leadership decided to declare a caretaker cabinet. Reforms are being undertaken both in the cabinet and ministerial level. 

We have five hundred thousand civil servants working and being paid by us that also used to work in the previous administration. We have not discharged any former government workers, and we want to use their capabilities for the new Islamic government. The new government seeks to utilize the existing capabilities without any discrimination and allow all Afghans specifically the young generation to partake in the political structure. 

Dear colleagues, 

We have been in Doha for the last few days as part of a high level delegation. We had productive meetings with representatives of the United States and other sides. We believe these meetings will have positive impact on the relations of both sides. 

I once again want to remind you that the phase of war and pressure has ended. Afghanistan is entering a new chapter in its relations and this new chapter has new requirements. Therefore, all parties should work towards our common interests.

To end, I again express my gratitude to the State of Qatar that has hosted our negations for many years. I would also like to thank my good friend Prof. Barakat, the Director of the Center for Conflict and Humanitarian Studies, who has provided me with the opportunity to be in your presence for a few moments today. And I am also thankful to all the guests who have participated with us in this meeting

Thank you very much, 

May you remaining time be blessed



2021年10月7日木曜日

「戦争犯罪で告発された CIAのアフガン人の代理人たちは アメリカで再出発することになった」(2021年10月6日)

 「戦争犯罪で告発された CIAのアフガン人の代理人たちは アメリカで再出発することになった」(2021年10月6日)

アンドリュー・キルティ、マシュー・コール

『インターセプト』

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%97%E3%83%88)


https://theintercept.com/2021/10/05/zero-units-cia-afghanistan-taliban/?utm_campaign=theintercept&utm_source=twitter&utm_medium=social


― CIAはゼロ部隊とその家族を優先的に避難させ、多くの弱者である米国の従業員や人権活動家を取り残した ―


2021年8月24日、アフガニスタンのカブールで、ハミド・カルザイ国際空港への入国を希望するアフガニスタン人たちは、悪名高いCIAが支援する準軍事組織「01」の戦闘員によって締め出されていた。

タリバンが8月にカブールを制圧する前、アメリカの支援を受けたアフガニスタンのコマンド部隊「ゼロユニット」は、アフガンの戦場の亡霊のような存在だった。CIAのアドバイザーとともに、彼らは恐れられ、近年ではほとんど目立たなくなっていた。

しかし、タリバンが勝利してから米軍が撤退するまでの慌ただしく激しい数週間、「01」と呼ばれるゼロ部隊に所属する戦闘員たちは、他の連携した民兵たちと合わせてNSU(National Strike Unit)と呼ばれ、アメリカ軍がハミド・カルザイ国際空港を確保するのを助けた。昼夜を問わず威嚇射撃を行い、「01」の戦闘員は、避難便に乗るために空港に入ろうとするアフガニスタン人や外国人の群衆を拘束し、捜索しようとした。同時期にタリバンの戦闘員が他の空港入口で支配権を維持しようと奮闘していたのと同じである。

8月下旬のある晩、空港の北西ゲートを警備していたアフガン「01」の司令官が、写真を撮っていたインターセプトのジャーナリストに、その戦闘機のアメリカ人ハンドラーに自分の名前を教えてほしいと頼んだ。野球帽をかぶり、腰に拳銃を下げていたそのハンドラーは、ジャーナリストが避難便で出発したいなら、すぐにそうしてくれと言った。その男は、すぐに「私の仲間」(01戦闘員のこと)を避難させると言った。そうすれば、ゲートは完全に閉じられる。アメリカ人は、01戦闘機の司令官に向かって、自分たちがこれから向かう国の国民が報道の自由を重視していることを説明した。

CIAはゼロ部隊のメンバーのアフガニスタンからの退去を優先させ、7,000人もの元隊員とその親族を飛行機で送り出したが、その一方で、弱者である数千人の元米政府・軍人、人権活動家、援助者が取り残されていた。『アルジャジーラ』が報じたところによると、NSUコマンドーは、元米政府通訳の女性が、自分と夫と3人の子供のためにそれぞれ5,000ドルを渡さない限り、空港のゲートを通過させることを拒否したという。この女性は、自分と親戚が空港でNSUのメンバーに殴られたと言っていたが、賄賂を払う余裕はなかった。米国で訓練された別の軍隊、アフガン国軍のKKA(アフガン・スペシャル・ユニット)の元隊員2人が、カブールの隠れ家で『インターセプト』に語ったところによると、彼らを避難させるための正式な努力は行われず、飛行機に乗ることができた隊員は個人的なコネでそうなったという。2人の元隊員は、空港の北西ゲートに近づいた後、01人の民兵に追い返されたという。それ以来、少なくとも4人のKKA隊員がタリバンに追われて死亡したという。

同盟国民を避難させるCIAの能力は、他の米国政府機関をはるかにしのぐものであり、この戦争におけるCIAの重要な役割を示している。ワシントン・ポスト紙によると、CIAは2万人ものアフガン人の「パートナー」とその親族を避難させており、これは米国が受け入れた6万人のアフガン人全体のほぼ3分の1にあたる。なお、CIAはコメントを求められても答えなかった。

CIAの取り組みについての報道は、ほとんどが賞賛されている。しかし、ゼロ部隊は、アフガニスタン全土で数え切れないほどの民間人を殺害した致命的な夜間襲撃で知られていた。『インターセプト』は、「01」部隊がカブール南西部のワーダック州で行った10回の襲撃を記録しており、その中で子供を含む少なくとも51人の民間人が殺害されている。「01」の任務のほとんどは、アフガニスタンの戦闘員が知っているように、少数のCIA「アドバイザー」や、米国防総省の統合特殊作戦司令部から借り受けた米国の特殊部隊が率いていた。

「米国は、戦争犯罪や深刻な人権侵害を犯した者に安全な避難場所を提供するべきではない」と、この部隊の虐待に関する報告書を執筆した『ヒューマン・ライツ・ウォッチ』のアジア部門アソシエイト・ディレクター、パトリシア・ゴスマン氏は言う。「アフガニスタンでは、これらの部隊は、略式処刑やその他の虐待を含む自分たちの行動に対して責任を負うことはなかった。米国およびこれらの部隊のメンバーを再配置する国は、到着した部隊を選別し、人権侵害に関与した可能性のある者を調査すべきである」と述べている。

この作戦を直接知る元米情報機関高官によると、このゼロ部隊のメンバーのほとんどはカタールに空輸され、そこでCIA準軍事将校がアフガニスタンの元同僚を米国に送るよう働きかけたという。

この元米高官、2人の元アフガン情報機関高官、そしてゼロ部隊の一部のメンバーと同じ米軍基地に避難してきた別のアフガン部隊の元コマンドーによると、元アフガン・コマンドーは再定住を待つ間、バージニア州とニュージャージー州の2つの基地を含む米軍基地とドイツのラムシュタイン空軍基地に収容されている。ゼロ部隊の別の少人数グループはアラブ首長国連邦にいるが、数週間以内に渡米する予定だと、元アフガン関係者の1人が「インターセプト」に語った。両元アフガン関係者は、以前ゼロ部隊に所属していて、現在は米国にいる親族と話をしたことがあるという。

ゼロ部隊は、米国政府内では「モホーク」と呼ばれていたが、CIAが管理する非正規のコマンド部隊としてスタートした。情報機関は、主にパキスタン国境近くの北部と東部にある米国の小さな前哨基地からゲリラ戦闘員として活動するチームを訓練した。このプログラムの当初の目的の多くは、CIAがパキスタンへの国境を越えた襲撃を行うことであった。

ゼロ部隊は、米国が説明責任を回避するための偽装工作を可能にするもので、ベトナム戦争時のCIAのフェニックス計画に似たところがあった。フェニックス計画では、CIAはアメリカ人指揮官が率いる南ベトナムのゲリラを中心とした地方偵察隊を作った。アフガンのゼロ部隊と同様に、PRUは情報収集とベトコン容疑者の暗殺を行った。

2010年、アフガニスタン政府はCIAと協定を結び、NSUをアフガニスタンの旧諜報機関である国家安全保障局(NDS)との共同プログラムにすることを決めた。この2人の元アフガン政府高官は『インターセプト』に、このミッションは共同で運営されたが、部隊の資金は引き続き米国政府が独占的に提供していたと語っている。この変更により、CIAは人権侵害や戦争犯罪の告発に対して、もっともらしい反証を主張することができるようになった。

しかし2019年、アフガニスタンの最上級防衛官僚であるハムドゥラ・モヒブ(当時のアフガン国家安全保障顧問)は、「01」はCIAにコントロールされていると『インターセプト』に語った。「率直に言って、彼らがどのように機能しているのか...完全には把握していません」と彼は当時語っている。「私たちは、これらの活動がどのように行われているのか、誰が関与しているのか、どのような構造になっているのかを明らかにするよう求めてきた。これらの作戦がどのように行われているのか、誰が関与しているのか、どのような構造になっているのかを明らかにするよう求めてきた。」

ジョー・バイデン大統領が1月に就任した直後、CIAはNDSに1年分の予算を与え、もうゼロ部隊を支援しないし、資金提供も継続しないと言ったと、元アフガン情報機関関係者の1人が『インターセプト』に語っている。

2021年9月6日、カブールのダウンタウンから数マイル北東に位置し、アメリカがアフガニスタンから撤退する前に中央情報局と「01」が拠点としていたイーグル・ベース内で、アメリカが支援する「01」部隊を示すスプレー・ペイントが見られる。

カブールの北東の丘の中腹にある広大なCIAと01の施設「イーグルベース」は、かつてはアメリカの最も近い同盟国以外は立ち入ることができなかった。

高速道路からは、丘の中腹に作られた射撃場と、ベージュ色の建物群に向かって蛇行する細い道路が見える。ヘリコプターの格納庫、弾薬庫、兵舎、そして戦争初期に尋問や拷問が行われていた「ソルトピット」と呼ばれるCIAのブラックサイトなどが見えた。

右派医療機関のネットワークがヒドロキシクロロキンとイベルメクチンで数百万円を稼いでいることがハッキングされたデータで明らかになった。

周囲の警備は、アフガニスタンの基準から見ても非常に厳しいものだった。高さ6フィートの土の壁の周りには溝がある。次に、コンセルティーナワイヤー、スチールケーブルでつながれた色あせた赤いボラード、さらにコンセルティーナワイヤーで覆われた高さ10フィートの泥とコンクリートの壁が続き、300フィートごとに高台の見張り台が設置されている。夜間は投光器が全周を照らしている。

2019年以前、「01」戦闘機は夜間の任務のために車両の護衛隊でイーグル基地を出発していた。ワルダック州での襲撃に「01」を同行させていたNDSの元テロ対策担当者によると、2回のワルダック州でのミッションで護送車が待ち伏せされたことで変化があったという。その後、「01」のミッションのほとんどは、アメリカのチヌーク・ヘリでワルダックに飛来するようになった。イーグル基地周辺の住民が2019年に『インターセプト』に語ったところによると、週に数回、夕刻に出発して夜明け前に戻ってくるデュアルローターのヘリコプターの独特な音を聞いたという。それ以外では、「01」の戦闘機はほとんど見られなかった。

しかし、タリバンは誰がイーグル基地を占拠しているかを知っていた。2019年7月25日、ゲートに到着した無印のトヨタ・ランドクルーザーで移動するCIA職員を狙った自爆テロが発生したと、タリバンのスポークスマン、ザビフラ・ムジャヒドが同年のインタビューで語っている。地元住民は、その日、屋敷の門で白いランドクルーザーに対して爆弾テロが行われたことを確認した。この事件はメディアの注目をほとんど集めなかった。米軍のアフガニスタン派遣部隊である「確固たる支援任務(Resolute Support Mission=RSM)」(とアフガニスタン・イスラム共和国の治安部隊(ANDSF)に対して北大西洋条約機構(NATO)が訓練・助言・支援を行う任務。これは13年間に渡って14万人が参加し2014年12月28日に完了した国際治安支援部隊(ISAF)に続く任務であり指揮官は元デルタフォース指揮官のオースティン・S・ミラー大将。なおアメリカ軍は訓練だけでなく対テロ作戦の「自由の番人作戦」を行った)。「確固たる支援任務」のスポークスマンは、『インターセプト』に対し、その日にカブールで外国軍の犠牲者が出たことは知らないと述べた。また、CIAもコメントを控えた。

この広大な施設は、8月末の米軍のアフガニスタン撤退の最終日に火災や爆発物で施設の一部が破壊されて以来、タリバンの戦闘員が占拠している。最後の米軍機がカブールを出発してから1週間後の9月初旬、「01」部隊が着用していたのと同じ虎縞模様のファティーグを黒っぽく着たタリバンの戦闘員たちが、ジャーナリストたちをイーグルベースの廃墟に案内していた。

タリバンの「バドル」313旅団は、1400年前に預言者ムハンマドがわずか313人で敵軍を制圧したとされる「バドルの戦い」にちなんで名づけられた精鋭コマンド部隊である。彼らを率いるのは、民族衣装にサングラス、手術用マスクをつけた40代の英語を話すタリバン隊員だった。

その約2週間前の8月26日の夕暮れ時、空港での自爆攻撃とその後の銃撃戦で、米軍兵士13名を含む約170名が死亡した。カブールの住民は緊張していた。夜半前に市内で大きな爆発音がした時、多くの人は2度目の攻撃があったのではないかと心配した。しかし、この爆発は制御された爆発で、弾薬庫、武器庫、車両、イーグル基地内のさまざまな施設が破壊された。CIAが放棄した後、タリバンに残したくなかった施設である。アムネスティ・インターナショナルの武器・軍事作戦担当シニア・クライシス・アドバイザーで、元米空軍爆発物処理官のブライアン・カスナーは、「インターセプト」が撮影した現場の写真を見て、「非常に性急で混乱した撤退だった」と語った。

銃弾、迫撃砲、手榴弾が、火事で破壊された弾薬庫の炭化した土台の上に散らばっていた。武器庫と思われる焼け跡には、カラシニコフ、ベルト給弾式のPKMやDShK機関銃、ロケット弾発射機、迫撃砲の筒などの銃身が拾い棒のように積み上げられていた。

寮の建物の中には、ゼロ部隊のトレードマークであるトラ柄のユニフォームがフックに掛けられ、床に散らばっていた。鉄製のロッカーには、戦術兵器のパッケージや若い家族のパスポート写真が捨てられていたが、五角形の軍章には「The Shield & Swords of Afg, NSU (01)」と書かれていた。


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