2018年6月16日土曜日

俺の妹がカリフなわけがない! 【エピソード0】

俺の妹がカリフなわけがない!


إذا رأيتم الرايات السود قد جائت من قبل المشرق فأتوه فإن فيها خليفة الله المهدي

若見黑旗來自東方 汝等即往 彼有訶黎佛都羅 乃天導者也




【エピソード0】
世界制覇を公約に掲げて生徒会長に当選した俺の妹が「生徒会長」を「カリフ」に改称した。俺の妹がカリフなわけがない!男性であることは、カリフ有資格者の10条件の一つだ!!





「カリフになれ」
小さくつぶやかれた言葉が、耳に残る。あれはまだ俺と双子の妹愛紗が四歳にも満たなかった頃。
「お兄しゃま、かりふとはなんでしょう」
「エラい人のことだぞ、きっと。長官よりもエラいんだぞ」
あの頃の俺には、幼児向け特撮戦隊モノの長官が、誰より偉い人に見えていたんだと思う。祖父の今際の枕元でそんな会話をする俺たち兄妹に、父夢眠は無言だった。
「垂葉、愛紗……天馬家の使命を受け継ぐ子どもたち」
俺たちの頭をゆっくりと撫で、そうして祖父は静かに息を引き取ったのだ。



君府学院は、俺たち兄妹の祖父天馬真筆のさらに祖父天馬真人が設立した、中等部・高等部を持ち、全寮制の、完全学費無料の学校で、自由と正義を実現する人材を創るという理念を掲げている。
でも、完全学費無料で全寮制とか、無理があるに決まっている。普通に考えてどうやって経営するんだ?と思うだろう?俺だってそう思う。
それでも祖父の代までは苦しいながらも頑張っていたようだ。しかし、それも父が経営破綻させて、世界的大企業、石造財閥に譲り渡すことになるのは、祖父の死後あっという間だった。
少人数教育、徳育重視で大アジア主義に基づき、外国語として中国語、アラビア語、トルコ語、ペルシャ語が学べるという風変りな学校だったが、経営破綻した学院をグローバル・エリートを養成する受験名門校へと生まれ変わらせたのが石造財閥の長、石造高遠新理事長だ。
新たにクラスは成績順に分けられ、石造理事長が建てた新校舎に上位クラスを移動させ、中でもプラチナクラスの教室は高遠の徹底したエリート主義、能力主義、信賞必罰の教育方針に基づいて、生徒一人一人の椅子も飛行機のファーストクラス並みの快適さだ……と学院パンフレットには書いてある。
そうして、学院近くの邸宅をも追われ、学院の経営からも身を引いた父は、石造財閥当主の恩情というか、俺は絶対に嫌がらせだと思うんだが、用務員兼雑用として小さな部屋を与えられ、俺たち兄妹もそのまま君府学院に通うことが許されたんだ。



あれから10年、成績順に別れたクラスに、やはり成績順、男女別に分けられた寮へと別れ住むことになった愛紗と顔を合わせることはほとんどない。
「は?愛紗が生徒会長に立候補?え、あり得ないだろ?」
成績最下位クラスのブロンズクラスが定席の俺と違って、愛紗は入学以来常に学年トップを走り続けているし、成績だけで言えば不思議でもなんでもないんだが。
「だって……誰が愛紗になんか入れるんだ?」
俺は生徒会役員選挙告示の前で、本気で首を捻った。
確かに愛紗は成績もいいし、アラブの血が混ざっていると言われれば納得するくらいには、彫りも深く大きな目に小さな頭、整った顔立ちをしている。美人と言って差し支えないと思う。まっすぐに伸びた背中、凜とした立ち姿は彼女が武道を嗜んでいるからだろうか。
だが、いかんせん愛紗の無愛想さは常軌を逸したレベルだ。喜怒哀楽という人間らしい感情を持っていないんじゃないかとすら思わせる。それに生真面目で一切の妥協を許さないという性格だから、友だちらしい友だちはいないはず……いや、愛紗と2人だけの武術部で鍛錬している新免衣織だけは、もしかしたら愛紗の親友と言えるかも知れない。
「親友っていうより、信奉者ぽいけどな」
思わず苦笑が漏れる。高校一年で剣道の全日本大会を征した、剣術二天一流の達人である衣織と、手裏剣術の愛紗。幼い頃から二天一流の継承者として育てられ、武道一筋で浮き世離れした言動で、同級生たちから敬遠されていた衣織に、愛紗だけが生真面目に相手をして、決して笑うことがなかった。そのせいか、衣織は愛紗の信奉者とも言えるほどに、愛紗を慕っているようだ。
「まぁ、でも愛紗が生徒会長とか……普通にあり得ないだろ」
そう、その時は俺もそう思っていた。
生徒会長立候補者は2人。多少美人でも無愛想で、口を開けばウエメセで人をバカにしたような話し方しかできない愛紗には人望とうものが決定的に欠けている。その上愛紗の対立候補・石造無碍は、父のあと理事長になった石造財閥当主の御曹司で、愛紗と同じプラチナクラス、つまり成績トップのクラスで、演劇部部長、さらにテニス部にも在籍しエースでもある、という絵に描いたような王子様だ。
しかもその王子様は学院の広告塔とも言える、子役からのアイドル藤田波瑠哉を筆頭に、見目麗しい男女のお取り巻きを引き連れているのだ。
「だいたい、なんで生徒会長になんかなりたいんだ?愛紗のヤツ」
双子には以心伝心がある、なんて漫画の世界のことだ。俺には妹の考えていることがまったく、これっぽっちも理解できない。
実際、チラホラと聞こえてくる下馬評も圧倒的に無碍有利だったんだ。
そう、その日生徒会総選挙の立候補者演説で、少なくとも無碍の挨拶が終わるまでは、確実に。
「私たちは、神に自由な人間として創造されました。私はこの学院の創立者の掲げた理念に則り、自由と正義に基づく地球の解放の前衛とするために、地上における神の代理人、神の預言者の後継者、カリフとして、生徒会長に立候補します」
壇上の愛紗は声を張り上げるでもなく、淡々とそう言うと言葉を切った。
ざわざわと生徒達の声が広がる。
「なに、あれ?マジで言ってるの?」
「中二病?でもオレらもう高校生だよな」
「あの人、学年トップの天才じゃなかったの?」
戸惑いよりも嘲笑の声が多いのも当然だろう。
応援演説のために衣織が愛紗に近寄っても、ざわついた講堂は静かにならない。
「私たちは生徒会のために、この身と命を捧げます」
愛紗の前に膝を折った衣織が、腰に佩いた長刀を一閃する。
左腕を真っ直ぐに伸ばしていた愛紗は身動ぎもしなかった。
「きゃーーーーー!」
女生徒の悲鳴があがる。
「きゅっ救急車を!!」
「な、なんてことを……」
阿鼻叫喚と化した講堂で、壇上の2人だけが静かだった。
自分が切り落とした愛紗の左腕をそっと持ち上げた衣織が、愛紗に付き従う。
「大丈夫です。救急車は事前に呼んであります。剣の達人に名工の鍛えた刀で切られた者は、切られたことに気づかないと言います。筋肉繊維も神経も骨組織も壊さず切り落とした腕は直ぐに縫合すれば元通りになるはずです。私たちには神のご加護があるのです」
さすがにこの度肝を抜くパフォーマンスの後で、生徒会選挙はいったん中止になった……はずだった。
翌日、愛紗が自らの言葉通り、なんでもない顔をして登校してくるまでは。
立候補者演説、応援演説とも終了していたため、日を改めて行われた投票は、下馬評をひっくり返して、圧倒的多数により、愛紗が当選してしまったのだ。
「いや、まぁ生徒会長になろうと、なんだっていいけどさ」
双子の兄妹として産まれながら、片や成績トップの生徒会長様、片や万年最下位クラスの俺としては、やっぱり少し面白くないっていうか……。
そんな俺の前で生徒会長就任挨拶のために再び壇上に上がった愛紗が淡々とした表情のまま、口を開いた。
「皆さんの信託に基づき、私、天馬愛紗は生徒会を自由と正義に基づく解放の礎とすべく、最初の仕事として、生徒会長をカリフと改称致します」
「ちょっと待てーーーーっ!」
俺は思わず起ち上がって叫んでいた。
「それ、おかしいだろう?なんだってたかが一私立学校の生徒会長がカリフなんだよ、だ、第一高校生が真剣を持ち歩いてるとかあり得ないだろうがっっ」
「はぁ、もう少し静かに、論理的に話せないのですか?衣織が腰に差しているのは、新免家に代々伝わる銘刀《姥捨て》と《過労死》、本阿弥光悦が研いだ逸品で重要文化財に指定された美術品です。丁重に取り扱えば何の問題はありません。」
「いや大問題だろ~、いきなり人の腕を切り落とすのは!」
 「あれは古来より伝わる刀の切れ味の鑑定法、試し斬りです。校医のドクター和田も、さすが重要文化財、見事な切れ味、と感心していました」
「あのマッドサイエンティスト、ってか、校内で手術済ませたのか?」
「我らが君府学院の保健室は創立以来救急病院の指定を受けているのです」
「ウソだろぅ…いや……だから、そうじゃなくて、カリフ制なんて、とっくの昔に廃止されてるだろう」
俺だって祖父さんの死後、ちょっとは気になってカリフについて勉強したんだ。
「トルコ共和国でカリフ制度が廃止されたのは一九二四年でしたね」
「あ、ああ、そうだ。なのに……」
「しかし、そもそもカリフ制はトルコ共和国が作ったものではありません。従ってトルコ共和国によって廃止されることもありません。世界はお兄様がネットを覗いて想像していらっしゃるよりもずっと複雑で奥深いものなのです」
「……あっ、うっ」
「では、まだ少し貧血気味ですので、カリフ就任挨拶はここまででよろしいですね?」
これが、俺の妹、天馬愛紗がカリフに就任した瞬間だった……わけがない!生徒会長とカリフが一緒にされていいわけがない!俺の妹がカリフなわけがない!