2017年11月12日日曜日

『フトゥーワ』出版記念講演 要旨

『フトゥーワ』出版記念講演 要旨
2017年11月11日 イベントバー・エデン     
 中田考(同志社大学客員教授)

1.「フトゥーワ」
「フルースィーヤ馬術」≒「ムルーアおとこらしさ」≒「フトゥーワ若々しさ」
騎手、男性、若者という特定の集団に特有の気質、倫理、理想像などを表す語になった。
イブン・カイイム(1350年没)『ムハンマドのフルースィーヤ(騎士道)』(注)
「フルースィーヤと勇敢さには二種類ある。最も完全なものは宗教と信仰の持ち主のものであり、もう一つは全ての勇者に共通するものである。本書はムハンマドのシャリーアに適った騎士道について纏めたものであるが、それは心と身体を共に捧げる最高の崇拝の形態であり、その徒を慈悲深き御方(アッラー)のための戦いに駆り立て、楽園の最上階に導くのである」
2.スラミー
アブドゥッラフマーン・スラミー(1021年没)
ニーシャープールで活躍した高名なハディース学者であり、イスラーム思想史上初めてスーフィーの立場からクルアーンの注釈書を書いた。多くの弟子を育てたが、中でも有名なのは同じニーシャープール出身の古典教科書『クシャイリーの書簡』の著者クシャイリー。
3.スーフィズムとは
スラミー『スーフィズムについての序論』
「(スーフィズムの要件)現世における禁欲、念神(ズィクル)と崇拝の励行、人々に依存しないこと、僅かな飲食や衣服で満足すること、貧しい者たちの世話、煩悩の滅却、勤行(ムジャーハダ)、謙抑(ワラウ)、常に志を高くもつこと、最小限しか食べず必要なことだけを話し睡魔に襲われた時だけ眠ること、自己反省、被造物(人間)から遠ざかり疎遠になること、導師たち(マシャーイフ)の拝顔、モスクで時間を過ごすこと、粗衣の着用」

(注)勇気は人間の性格の中の高貴な性格の一つであり、以下の四つの形で結実する。(1)果敢であるべきところでの果敢さ、(2)自重すべきところでの自重、(3)堅忍であるべきところでの堅忍、(4)転身すべきところでの転身。その逆は勇気の瑕疵であるが、それは臆病、無分別、軽薄、放心である。そして見識と勇気を兼ね備えた男こそが、軍隊を率い戦事行政を行うことができるのである。人には、「男」、「半人前」、「なにものでもない者」の三種がある。「男」とは正しい見識と勇気を兼備した者である。・・・「半人前の男」とは、二つのうちの一つを有するが他方を持たない者であり、「なにものでもない者」とは、どちらも欠く者である。・・・    ムジャーヒド(聖戦士)には5つの特質がある。どんな軍であれそれらが揃えば、相手の多寡にかかわらず、神佑に恵まれずにはいない。第1:堅忍不抜。第2:至高なるアッラーを多く念ずること。第3:アッラーと、アッラーの使徒への服従。第4:合意があり、失敗と弱体化を招く内紛がないこと。第5:その全ての要、支、そして基礎であるもの、即ち忍耐である。これら5つの上に勝利のドームが建てられる。

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