2012年9月8日土曜日

下記、金沢での9月17日の第一講義 http://ims-japan-forums.webs.com/program-schedule の発表のレジュメです。                                 記 MSAJ Annual Meeting 2012, Kanazawa,  Muslims in Japan, Challenges & Duties 「イスラームにおける救済(The Salvation in Islam )」 2012/9/15                                中田考(同志社大学一神教学祭研究センター上席研究員) 1 「救済」とは火獄からの救済  The salvation in Islam means “the salvation from the Hell”. アラビア語で「救済」を意味する単語は三子音「n-j-w」から派生した「najāh」。 クルアーンの言う救済とは「火獄からの救済」、即ち「楽園」。  日本語の「救済」、「救い」の語には広い意味。宗教の文脈では、「心の悩みの解消」、「煩悩の滅却」、「罪の意識からの解放」といった「精神的事象」を指すことが多い。イスラームにおいてはそれらはあくまでも「来世での楽園の救済」が確保された上での二義的なオプション、比喩的用法。 2 救済の主体はアッラー The salvation is an action of Allah, not human beings’ one. 「まことにアッラーは信仰し善を行う者たちをその下に川の流れる楽園に入れ給う(إن الله يدخل الذين آمنوا وعملوا الصالحات جنات تجري من تحتها الأنهار...)」(22:14)。 ジブリール(大天使ガブリエル)は預言者ムハンマドに述べた。 「海の孤島の山頂で500年にわたり勤行に明け暮れ、跪拝したまま御許に召されるように主に祈った行者がいた。 - ジブリールは続けて言った。 - 我々は天を登り降りしていて、彼が復活の日に甦らされ、威光限りなきアッラーの御前に立たされるのを知った。威光限りなきアッラーは彼に、『我が慈悲により我が僕を楽園に入れよ』と(天使たちに)命じた。ところが彼は3度にわたって『我が主よ、私の行いによってにして下さい』と求めた。そこでアッラーは天使に、『我が僕のために、彼に対する我が恵みと彼の行為を天秤にかけよ』と命じ給うた。すると目を授けた恵みだけで500年間の崇拝の重さに達してしまい、身体の残りの部分の恵みの分が余ってしまった。アッラーは、『我が僕を火獄に入れよ』と(天使に)命じ給い、彼は火獄に引き立てられた。そこで彼が『あなたの御慈悲によって楽園に入れて下さい。あなたの御慈悲によって楽園に入れて下さい。』と呼び求めると、アッラーは彼を楽園に入れ給うた。」 ジブリールは、この話を語り終えた後、ムハンマドに「ムハンマドよ、万事はアッラーの慈悲によるのである」と述べた。(アル=ハーキムの伝えるハディース) [5] ( أن جبرائيل أخبره أن عابدا عبد الله على رأس جبل في البحر خمسمائة سنة ثم سأل ربه أن يقبضه وهو ساجد. قال: فنحن نمر عليه إذا هبطنا وعرجنا ونجد في العلم أنه يبعث يوم القيامة فيوقف بين يدي الله عز وجل فيقوله عز وجل أدخلوا عبدي الجنة برحمتي فيقول العبد يا ربي بعملي ثلاث مرات ثم يقول الله للملئكة قاسوا عبدي بنعمتي عليه وبعمله فيجدون نعمة البصر قد أحاطت بعبادة خمسمائة سنة وبقيت نعم الجسد له فيقول أدخلوا عبدي النار فيجر إلى النار فينادي ربه برحمتك أدخلني الجنة برحمتك أدخلني الجنة فيدخله الجنة. قال جبرائيل إنما الأشياء برحمة الله يامحمد.)(أخرجه الحاكم)  また別のハディースでは、アッラーの使徒ムハンマドも「誰であれその善行がその者を天国に入れるわけではない」と言われ、「あなたでさえですか」と問われて「私も違う。ただアッラーが私を慈悲でお守りくださっているのだ」と答えられた、と伝えられている(قال ما من أحد يدخله عمله الجنة. قيل: ولا أنت؟ قال: ولا أنا إلا أن يتغمدني ربي برحمة.)」(أخرجه مسلم)。  無謬の使徒でさえ自らの行いによって楽園に入るのでないと告げるこのハディースは、アッラーが人を楽園に入れ給うのは、人間の自力の作善によってではなく、ただその御慈悲による純粋な恩寵としてであることを明示している。 3 救済されるのはムハンマドの共同体だけではない  Those who are saved are not only Ummah Muhammad(s). 救済は「ムハンマドのウンマ(宗教共同体)」を超える。イブン・マスウードの伝えるハディースによると預言者ムハンマドは教友たちに「私はあなたたちの数が楽園の住民の総数の半分にも達することを願っています(إني لأرجو أن تكونوا شطر أهل الجنة)」と述べた。(『日訳サヒーフ・ムスリム』(日本ムスリム協会)第1巻、182頁参照)(أخرجه مسلم) 4 「中間時の民」の民の救済 The salvation of Ahl al-Fatrah アブドッラー・アル=グンマーリー 1993年没 Khawāṭir Dīnīyah, (Ahl al-Fatrah Nājūn) 「中間時の民」=「自分たちに遣わされた使徒が現存していない時代に生きた人々(الذين عاشوا في زمن لم يكن فيه رسول إليهم )」。 「中間時の民」は多神教徒の偶像崇拝者であっても救済される、というのがスンナ派の通説であると述べる。そしてその典拠はクルアーンの章句「使徒を遣わすまでは、我らは彼らを罰しはしない(والحكم فيهم عند الجمهور أنهم ناجون ولو عبدوا الأصنام لقوله تعالى(وما كنا معذبين حتى نبعث رسولا))」(17:15)。 ムハンマドは「万世への慈悲(رحمة للعالمين)」(21:107)として民族を越えて全人類に遣わされた最後の預言者「預言者たちの封印(خاتم النبيين)」(33:40)であり、そのメッセージ、聖法「シャリーア」は時代と場所を越えて最後の審判まで妥当する。それゆえムハンマドの召命以降には「中間時の民」はいない。しかし理念的にムハンマドのメッセージが普遍的最終的であっても、現実には預言者ムハンマドが伝えたメッセージの宣教がアラブ民族を超えて世界の隅々まで普及するには長い年月を要する。それゆえ「中間時の民」の規定は、預言者ムハンマド以降のイスラーム史においても「預言者ムハンマドの宣教の届いていない者」の範疇に適用されることになるのである。 イブン・アービディーン(d.1252/1836) Radd al=Mukhtār,(Maṭlab Kalām ‘alā Abawai al-Nabī wa Ahl al-Fatrah)  彼によると、アシュアリー派が、宣教が届かずに死んだ者が救われる、との立場を採るのに対し、マートゥリーディー派の通説では、唯一神信仰を怠った者は火獄の懲罰を蒙るとする。 「 両者(預言者ムハンマドの両親)が、中間時に亡くなったがために救われるとの論証は、『宣教が届かないで死んだ者は死んで救われる』とのアシュアリー派の原則に基づいている。他方、マートリィーディー派では、以下の通りである。思索が可能なだけの時を生きる前に、信仰もせず、といって背神(kufr)を信条とすることもなく死んだ者は、譴責をうけない。しかし無神論を信条としたか、あるいは時間が経った後に何も信じなかった者は別である。(أما الاستدلال على نجاتهما بأنهما ماتا في زمن الفترة فهو مبني على أصول الأشاعرة أن من مات ولم تبلغه الدعوى يموت ناجيا. أما الماتريدية فإن مات قبل مضى مدة يمكنه فيها التأمل ولم يعتقد إيمانا و كفرا فلا عقاب له بخلاف ما إذا اعتقد كفرا أو مات بعد المدة غير معتقد شيئا )」 Muḥammad Amīn al-Mashhūr bi-Ibn ‘Ābidīn, Åāshiyah Radd al=Mukhtār Sharḥ Tanwīr al=Abşār, Cairo, 1966, vol.3, p.185.  アル=スユーティー(al-Suyūṭī, d.911/1505)によると「中間時の民」は3つのカテゴリーに分かれる。 第1は、自らの洞察で唯一神崇拝に辿り着いた者である。この第一にカテゴリーは、更に(1)自分の律法を持たなかったカッス・ブン・サーイダ(Qass bn Sā‘idah 前23年/600年頃没)やザイド・ブン・アムル・ブン・ヌファイル(Zayd bn ÑAmr bn Nufail 前17/606年没)のような人々と、(2)形骸が残っていた真実の律法に従った(ユダヤ教を奉じたイエメンの王の一人)トゥッバウ(Tubba‘)やその民のような者、に分かれる。 第2は、唯一神崇拝を行わず、それを歪曲、改変し、自ら戒律と禁忌を定め、多神教を創設したイムルゥ・アル=カイス(Imru’ al=Qays ヒジュラ暦前212年西暦403年没。ラフミー朝イラク国王、「焚刑王」の異名をとった暴君)やアムル・ブン・ルハイユ・アル=フザーイー(‘Amr bn LuÆayy al-Khuzā‘ī 生没年不明:イスマーイールの宗教を改変して偶像崇拝を始めた最初のアラブ人)など。 第3は、唯一神崇拝も多神崇拝もせず、いかなる預言者の律法にも従わなかったが、自ら律法を制定したり宗教を創始したりせず、生涯宗教に無関心に暮らした者。  真の意味での「中間時の民」とは第3のカテゴリーに属する者であり、彼らには決して懲罰がない。懲罰を蒙るとのハディースが伝えられているのは、第2のカテゴリーに属する者で、免責の余地がないからである。 ワッハーブ派の見解 هل كل الأجانب الكفار في النار !! جواب: الشيخ العريفي http://www.youtube.com/watch?v=y3eHHGpwtQ0&feature=player_detailpage 以下の三種の不信仰者は火獄に入らない。(1)イスラームが全く知られていない者 (2)イスラームが誤って伝えられている者 (3)イスラームについての情報はあっても明証を携えて自分に宣教する者が誰もいない者  الكفار الأجانب ثلاثة أقسام, قسم من لم يبلغ عن الإسلام أبداً, وقسم من يبلغ عن الإسلام مشوّهاً, وقسم من سمع عن الإسلام سمعاّ عامّاً ولم يأته أحد يبينه الحجة, وجميع هذه الأقسام لا يدخل النار. 5 自ら一神教に到達したムスリムの救済 The Salvation of those who reach the knowledge of God by themselves アル=バグダーディー(al-Baghdādī, d.429/1037) 我々の学派(アシュアリー派)は、「義務は全て、それが義務であることは啓示(shar‘)によって(初めて)知られる」、と言う。また同派の考えは以下の通りである。難関の彼方や隔絶した土地にいて、イスラームの宣教の届いていない者については、議論の余地がある。 (しかし結論としては)(神の)正義と唯一性を真理と信じてはいるが、シャリーアの諸規定や諸使徒については知らない者については、彼の(属する)範疇はムスリムと判断され、(シャリーアの)諸規定について知らないことは免責される。というのは彼にはそれについて証明がなされていないからである。一方、そうした者の中でも無神論、不信仰、否定神学を信条とする者は不信仰者である。尤も、それについても議論の余地はあるのであるが。 (قال أصحابنا إن الواجبات كلها معلوم وجوبها بالشرع وقالوا فيمن كان وراء السد أو في قطر من الأرض ولم تبلغه دعوة الإسلام ينظر فيه. فإن اعتقد الحق في العدل التوحيد وجهل شرائع الأحكام والرسل فحكمه حكم المسلمين وهو معذور فيما جهل به من الأحكام لأنه لم يقم به الحجة عليه. ومن اعتقد منهم الإلحاد والكفر والتعطيل فهو كافر بالاعتقاد و ينظر فيه ) アブー・ハニーファ(767年没) (Tentative Japanese & English translation by Mujahid Yohei Matsuyama) 「・・・もしその者が、『私はこの(クルアーンの)節を信じる。だが、その意味も知らないし、その解釈も解からない』と言った場合、不信仰とはみなされない。なぜなら彼は啓示を信じているのであり、その説明を誤っているだけだからである。解釈の誤りによって、人は不信仰者とみなされない。そして、多神崇拝の地における無知な者は、不信仰者とみなされない。」私は彼(アブー・ハニーファ)に言った。「もし、多神崇拝の地において、イスラーム全体を認めたものの、義務や法についての知識を一切持たず、したがって、クルアーンを認めず、イスラームの教説を一切認めず、ただ、アッラーを認め、信仰を認めるのみで、信仰の条件を一切認めずに死んだ者がいた場合、彼は信仰者(ムーミン)でしょうか。」彼(アブー・ハニーファ)は言った。「そうだ。」 فإن قال أؤمن بهذه الآية ولا أعلم تأويلها ولا أعلم تفسيرها فإنه لا يكفر لأنه مؤمن بالتنزيل ومخطىء في التفسير / الخطأ في التاويل لا يكفر به المرء والجاهل في أرض الشرك لا يكفر / قلت له لو أقر بجملة الاسلام في أرض الشرك ولا يعلم شيئا من الفرائض والشرائع ولا يقر بالكتاب ولا بشيء من شرائع الإسلام إلا أنه مقر بالله تعالى وبالإيمان ولا يقر بشيء من شرائع الإيمان فمات أهو مؤمن / قال نعم / قلت ولو لم يعلم شيئا ولم يعمل به إلا أنه مقر بالإيمان فمات / قال هو مؤمن "...If one says "I believe this āyah though I do not know its ta’wīl, nor its tafsīr," he does not be regarded as an unbeliever, because he is a believer of the revelation but just fails in its explanation. A failure in interpretation is not a reason for regarding a person as an unbeliever. An ignorant person in the land of polytheism would not be regarded as an unbeliever." I said to him (Imam Abu Hanifah) "If one who approves of Islam as a whole in the land of polytheism, although he knows neither any religious obligation nor any legislation, not approving of the Kitāb nor of any legislation of Islam, and just approves of Allah and the faith, but does not approve any rule of the faith, pass away, is he a believer (mu’min)?" He (Imam Abu Hanifah) said "Yes." I said "And if he did not know anything and did not perform anything, but merely approved of the faith and died?" He (Imam Abu Hanifah) said "He is a believer (mu’min)." このアブー・ハニーファの言葉に基づき、ハナフィー派では、無神論者や多神教徒については神の唯一性を認めればムスリムとなるとの見解が通説となる。 アル=ハスカフィー(al-Ḥaşkafī, d.1088/1677)は言う。「不信仰者は5種類。(1)無神論者のように創造主を否定する者。(2)(善悪)二神論者のように神の唯一性を否定する者。・・・この最初の2つの範疇の者には、『アッラーの他に神はない』との言葉で(イスラームへの入信の判断は)十分である。(الكفار أصناف خمسة: من ينكر الصانع كالدهرية, ومن ينكر الوحدانية كالثنوية, .... فيكتفي في الأولين بقول لا إله إلا الله.)」Muḥammad Amīn al-Mashhūr bi-Ibn ‘Ābidīn, Ḥāshiyah Radd al=Muḥtār Sharḥ Tanwīr al=Abşār, Cairo, 1966, vol.4, pp.226-227. 6 イスラーム入信後の「戦争の家」での新入信者の義務 The obligation of the new converts who embraced Islam in Dār al-Ḥarb アル=ナーブルスィー(al-Nābulsī, d.1308/1891) どの二人の預言者の間の「中間時の民については、彼らの時代には宣教が届いていないことから彼らの諸行為には罪はない。人々から離れている者、「戦争の家(≒非イスラーム世界)(Dār al-Ḥarb)」で生まれ育ちイスラームの地に移住しなかった者も同様である。但しこれらは全て身体の行為の話である。至高なるアッラーへの不信仰については、誰も免責されない。なぜならそれを認識するのには理性のみで十分であるからである。 أهل الفترة بين كل نبيين ليس في أعمالهم ذنوب لعدم حصول التبليغ في زمانهم وكذلك من نشأ في مكان منقطع عن الناس أو أسلم في دار الحرب ولم يهاجر إلى دار الإسلام وهذا كله في الأعمال بالجوارح وأما ذنب الكفر بالله تعالى فلا يعذر فيه أحد لأن العقل كاف في معرفة ذلك.

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