2017年7月17日
『帝国の復興と啓蒙の未来』出版記念講演
イベントバー・エデン
「どうなるイスラーム国消滅後の世界?」
中田考
発表レジュメ
啓蒙: 人類と世界史の誕生
世界宗教の誕生:仏教、道教、儒教、キリスト教、イスラーム
イスラームにおいて真の普遍的宗教の概念が生まれる(dīn)
アッバース朝によるイスラーム文明を地理的中心とする西欧、東欧、インド、アフリカ、中国をつなぐ世界ネットワークの形成
アッバース朝のネットワークを継承したモンゴルによるパクス・モンゴリカの時代
イル・カーン国、キプチャク・カーン国、チャガタイ・カーン国のイスラーム化
(イラン文明、ロシア文明、インド文明にイスラーム文明の刻印)
イル・カーン国宰相ラシードゥッディーン(1318年没)『集史』=最初の世界史
2.現代: 文明の再編
19世紀=西欧による世界支配
20世紀=西欧の自滅米ソによる破産処理ソ連の崩壊米の長期的衰退
21世紀=帝国の復興による文明の再編
ロシア文明、中国文明、イスラーム文明、インド文明、西欧文明
イスラーム文明:中核国家無し。トルコ、エジプト、サウジ、パキスタン、イラン
インド文明:西欧化(ブリティッシュラジャ)?イスラーム化(ムガールラジャ)?
西欧文明:西欧と英語圏(アングロスフィア)の分裂?
地政学・文明論・国際政治
それぞれが独自の主体(アクター)とタイムスパン
アクター:地政学=地域、文明論=文明、国際政治=領域国民国家
タイムスパン:地政学=長、文明論=中、国際政治=短
それぞれは独自の理路とメカニズムを有し、それらは往々にして矛盾
それゆえ、世界の動きは、その多層性、錯綜性において分析されねばならない
イスラーム文明
文明は時間的に誕生や終焉の時点を明確に言えず、空間的な広がりも領域国民国家と違い明確な国境によって区切られておらず、同一文明内部でも成熟、衰退には時間差存在。
住民と一対一で対応する関数でもなく、一人の人間が複数の文明に所属することも可。
トインビー:イスラーム文明はシリア文明(アケメネス帝国)の継承文明
三木亘:西洋「一神教諸派複合」東洋「儒・仏・道教複合」南洋「仏教・ヒンズー教複合」
井筒俊彦:西洋―東洋(イスラームを含む)
イスラーム文明
文明的一体性を認識しつつ、国際政治、地域研究では中核の中東と周辺部を区別すべき
過去にイラン文明を吸収、統合したように将来的にインド文明も統合か?
(イラン文明が独自のペルシャ・シーア派サブ文明となったようにインド文明も?)
但し「世界宗教」はリヴァイアサンとマモンを配偶神とする国家崇拝・拝金教
どの文明圏もこの「国家崇拝・拝金教」の論理で動く。イスラーム圏も例外ではない。
キリスト教(カトリック、正教、プロテスタント)、ヒンズー教、仏教、ユダヤ教だけではなく、現在「イスラーム」と呼ばれているものも、この「国家崇拝・拝金教」の正体を覆い隠す仮面として、「領域国民国家システム」と「資本主義」の支配をイデオロギー的に補強する機能を果たしている。
文明の再編
現代:西欧(+米)の長期的衰退、非西欧文明の担い手であった近世の世界帝国の継承国家(ロシア帝国、オスマン帝国、清帝国、ムガール帝国)による文明の再編の時代
西欧の覇権の衰退は不可逆であるが、西欧文明は今なお世界を動かしており、文明の再編の成否は、まず諸文明圏における「内なる西欧文明」の批判的克服を成し遂げることができるか、そしてそれを西欧(あるいは西洋、欧米)にフィードバックすることができるか否かにかかっている。(序.頁より)
地政学
覇権の海洋国家から大陸国家への移転
「新しいグレートゲーム」、中国、ロシアの挑戦。隠れた主役はトルコ。
我々の前に開かれた21世紀とは、「カロリング朝欧州」を中核とする西欧の大陸国家がオスマン朝カリフ国の旧領を統合した「新しいローマ帝国」として西欧・中東の文明的的見取り図を塗り替え、トルコとイギリスを二つの焦点として、トルコを焦点に中央アジアのチュルク系諸国、ロシア、中国のユーラシア帝国同盟を、イギリスを焦点に、英語文化圏諸国と連帯する楕円構造を有することでハートランドを制し、ワールドアイランドを支配するような未来が可能性として開かれているような世界
イスラーム国の出現の背景
フランス革命以来のヨーロッパの植民地支配における民族主義とヒューマニズムの矛盾
国境の廃絶、領域国民国家システムの打破
シーア派の台頭:イラン・イスラーム革命、法学者の統治論によるシーア派の統一
アッバース朝の首都バグダードがシーア派イランの勢力圏に
チェルディラーンの戦い(1514年-ゾハブ条約1638年)以来の勢力図の塗り替え
スンナ派は腐敗堕落、分裂、為す術無し カリフ制再興だけが解答
イスラーム国が壊した世界
民族主義の差別主義とヒューマニズムの矛盾を糊塗する虚飾と偽善の世界
暴力と差別の第三世界への囲い込みに風穴 可視化 西欧への浸潤
イスラーム、アラブの大義と国益(支配者の私益)の矛盾を糊塗する偽善と矛盾の世界
サラフィー主義、ムスリム同胞団などスンナ派ムスリム運動全ての弾圧
イスラエルとサウジの接近
カリフ制再興
「大地と人類を領域国民国家システムの牢獄から解放するカリフ制」の理念
スペクタクルなイスラーム国樹立、カリフ制再興宣言により世界に拡散
人類の啓蒙が不十分な時点での領域支配は時期尚早 「イスラーム国」消滅
カリフ制の理念と共に、第三世界に囲い込まれていた「暴力と差別」が「平等に」「先進国」にも拡散 (先進国におけるテロとゼノフォビア)
イスラーム国の世界同時(ジハード)革命路線によるイスラーム国樹立(領域支配)
一国議会主義によりカリフ制樹立を目指していたエルドアンを窮地に
(西欧からカリフ制に対する懸念が強まり、支持者からは生温いと突き上げ)
エルドアン支持:オスマン朝再興を目指すナクシュバンディー教団+ムスリム同胞団
イスラーム国がもたらしたスンナ派世界の分裂(影の主役はイスラーム国)
イスラーム(カリフ)派と(カタル・トルコ枢軸)vs
反イスラーム派に分裂(サウジアラビア、UAE、エジプト)
GCC危機(カタル・ボイコット) サウジアラビア滅亡加速化
10.「平等な世界」
西欧の啓蒙によって自由、民主主義の平等な世界の実現ではなく、暴力による強権支配と民族差別による西欧の後進国化による世界の平等の実現
西欧の欺瞞と偽善が破綻 右翼(ゼノフォビア+ファシズム)の台頭(トランプ、安倍)
結論
世界の未来は文明の再編の複数の可能性に開かれており、私たちの双肩にかかっている
「大地と人類を領域国民国家システムの牢獄から解放するカリフ制」だけが解答
資料『帝国の復興と啓蒙の未来』
序 (6頁)
21世紀は文明の再編の時代であるが、それは「カロリング朝欧州」(ドイツ財務相ショイブレ)を中核とする西欧の大陸国家がオスマン朝カリフ国の旧領を統合した「新しいローマ帝国」として西欧・中東の文明的的見取り図を塗り替え、トルコとイギリスを二つの焦点として、トルコを焦点に中央アジアのチュルク系諸国、ロシア、中国のユーラシア帝国同盟を、イギリスを焦点に、英語文化圏諸国と連帯する楕円構造を有することでハートランドを制し、ワールドアイランドを支配するような未来が可能性として開かれているような世界なのである。
西欧の覇権の衰退は不可逆であるが、西欧文明は今なお世界を動かしており、文明の再編の成否は、まず諸文明圏における「内なる西欧文明」の批判的克服を成し遂げることができるか、そしてそれを西欧(あるいは西洋、欧米)にフィードバックすることができるか否かにかかっている。そして文明の再編は、ウィーン条約体制とも言われる、相互に独立平等と仮定された主権国家を単位とする領域国民国家システムの解体を必要とする。
そしてこの文明の再編の鍵を握っているのは私見によるとトルコである。理由は現在のトルコのエルドアン政権が地政学的にもアフロ・ヨーロシアの世界国家オスマン帝国の自覚的な継承国家を目指しており、中央アジアのチュルク系国家の盟主的地位にあることだけではない。西欧の植民地支配の遺制であるサイクス・ピコ協定によるイラクとシリアの国境を「解放」し、領域国民国家システムに真っ向から挑戦し、イスラームの合法政体「カリフ制」の再興を謳った「イスラーム国」が2014年に成立し、アメリカの主導する有志連合による侵攻で破綻国家化していたイラクに次いで、「アラブの春」の波及による内戦によりシリアも破綻国家化し、百万人を超える難民がトルコ経由でヨーロッパに流入したことは、域内におけるトルコの存在感を高めると共に、中東における領域国民国家システムの有効性に疑問を投げかけ、オスマン帝国の統治システムの再評価を求め、人権と平等の尊重を唱えるEUの難民への対応における二重基準を非難するトルコの主張に重みを与えている。
また仮にエルドアン政権が政敵によって打倒された場合、イスラーム主義者と世俗主義者の対立が激化し、トルコは内乱に陥り、シリア化することが予想される。シリアの4倍の人口規模を持ちヨーロッパと陸続きのトルコが内戦状態になった場合、トルコから一千万人規模の「難民」がヨーロッパに押し寄せることになり、ヨーロッパの「ムスリム難民問題」は制御不能になり、新たな秩序構築のためにやはりヨーロッパは新たな根本的な変化を伴う再編を強いられることになる。トルコが文明の再編の鍵を握るとは、このポジティブな意味とネガティブな意味の二重の意味においてなのである。
後書 (277-281頁)
欧米で顕在化しつつあるのは、領域国民国家システムの中で偽善的にオブラートに包まれ明言されずにきたナショナリズムの民族差別主義、排外主義だけではない。より本質的な問題は、欧米がこれまで自らのアイデンティティの拠り所としてきた自由、人権が次々と失われつつあることである。9・11アメリカ同時多発攻撃事件を機に、ブッシュ元大統領が制定した愛国者法を皮切りに、テロ対策を口実とする自由と人権の制限が、西欧諸国で進行しつつある。
それは勿論、西欧に限ったことだけではない。偽善的ではあっても、これまで自由と人権の擁護者の役目を演じてきた欧米、特に「世界の警察」を気取ったアメリカが、その役目を放棄したことにより、箍がはずれたロシアや中国のような旧共産圏の全体主義諸国、独裁者たちが支配する第三世界の国々は「テロとの戦い」を口実に、ますます人権を蹂躙し抑圧体制を強化しつつある。
東アジアの中国、韓国、北朝鮮、日本におけるナショナリズムの差別主義、排外主義の高まりも、このグローバルな動きの一環である。そして第二次世界大戦の敗戦後、米の占領の下での改憲によって国民を主権者とする国家に生まれ変わり欧米自由民主主義陣営に組み込まれたとはいえ、戦前のファシズムの十分な清算をすませることなく、西欧流の自由主義、民主主義、人権などの価値観を表層的にしか内面化してこなかった日本において、現在、欧米から、極右と呼ばれる政権によって特定機密保護法、共謀罪などが制定され、警察国家化が進行しているのは、むしろ当然とも言えよう。
筆者は、1986年から1992年にかけてムバーラク独裁政権のエジプト、故ファハド国王が専制政治を行うサウジアラビアで暮らしていたが、日本の現状には、奇妙な既視感を抱かざるをえない。まだ大きな隔たりがあるとはいえ、日本は着実に中東の独裁、専制国家への道を歩みつつあるように思われる。
これまで日本は、市民革命で民主化を達成した先進欧米諸国を範として学び近代化を進めてきた。麻生副総理は「ナチスの手口に学べ」と発言し物議をかもしたが、現代日本がモデルとすべきは、もはや欧米ではなく、中東諸国なのかもしれない。世界システム論者のイマニュエル・ウォーラーステインは、西欧は世界を、自らの属する西欧近代文明社会、他者たる近代以前の高文明社会、未開社会に分け、西欧近代文明社会の認識には社会科学(社会学、経済学、政治学、社会心理学etc.)、高文明社会の認識には東洋学(オリエンタリズム)、未開社会の認識には人類学を割り振ってきた。しかしグローバリゼーションと世界システムの一体化がここまで進行した現在、この認識論的分断はもはや維持できない。
そして皮肉なことにグローバリゼーションは、「進んだ」西欧によって啓蒙された世界ではなく、「遅れた東洋」の「専制」抑圧体制が西欧に浸透し、ハイブリッドな全体主義的システム独裁警察国家のジョージ・オーウェル的ディストピアを生み出そうとしているようにも見える。
そうであるならば、我々に今求められているのは、これまで「他者」として排除してきた「東洋(オリエント)」、特にエドワード・サイードの『オリエンタリズム』が主たる研究対象とした中東・イスラーム世界を、相互に絡まり支え混ざり合い一つにシステムを構成する同時代現象の一部として、自分たちの主体的な自己認識の中に組み込むことであろう。
本書が、イスラーム研究の立場から、我々が目の当たりにしているリアルタイムの帝国の復興と文明の再編のプロセスを描き出した所以である。30万人の死者、500万人の難民を出したシリア内戦を我々と無関係な遠い世界の問題ではない。「テロ」対策の名の下に万単位の国民を平然と殺すことができるアサド政権は、ブッシュの「テロとの戦争」が生み出した警察国家のディストピアの戯画であり、それは明日の日本の姿かもしれない。そして過去において多くの文明と共存し、それを統合し発展してきたイスラーム文明の歴史の中には、西欧文明の病理であるナショナリズムの差別主義、排外主義と、全体主義的システム独裁に対する解毒剤、有効な処方箋が見つかるかもしれない。
文明の再編は歴史の必然であるが、不幸なのは、世界的な政治の劣化の中でそれが行われつつあることである。ブッシュは「対テロ」戦争の名の下に、アフガニスタンでターリバーン政権、イラクでサダム・フセイン政権を打倒した。軍事的には、最初から勝敗の帰趨は最初から明らかであったが、政権崩壊後の青写真が描けないために、イスラーム地域研究者たちはおしなべて軍事行動に反対であった。ところがブッシュは圧倒的な軍事力、経済力があれば軍事的な制圧のみならず、その後の民主化、西欧化も容易であると考えて軍事行動に踏み切った。そしてその結果として、アフガニスタンでは国土の7割から8割がターリバーンの支配下に入り、イラクでは「イスラーム国」が樹立されるなど、両国は破綻国家化することになったのである。占領軍に対するレジスタンスが殆ど皆無であった第二次世界大戦後のドイツ、日本におけるアメリカの占領行政と比べても、今日のアメリカ政治の劣化は誰の目にも明らかである。
アメリカのネオリベラリズムに見られるように、病膏肓に入った資本主義社会において、資本は、あらゆるものを物理的な形を取り数量化され計算可能で短期的に確実な利益が見込めるものに還元し支配しようとするようになるが、そうした視野が狭く単眼的な資本主義的思考様式が至らしめるところが、現在欧米だけでなく日本でも進行しつつある政治の劣化なのである。
文明の再編がカタストロフをもたらさないためには、こうした政治の劣化に歯止めをかけねばならない。そのためには軍事や経済だけではなく、現在なお命脈を保っている諸文明が千年以上にわたって存続することを可能にさせたその基底にある世界観、即ち人間の生を宇宙と歴史と社会の中に位置づけ、生きる意味と行動の指針を与える宗教が蓄積してきた宗教の叡智に再び目を向け、謙虚に耳を傾ける必要がある。本書が、読者諸賢が今もなお生きる宗教の叡智の学びへと誘うことができれば筆者にとって望外の喜びである。
『帝国の復興と啓蒙の未来』出版記念講演
イベントバー・エデン
「どうなるイスラーム国消滅後の世界?」
中田考
発表レジュメ
啓蒙: 人類と世界史の誕生
世界宗教の誕生:仏教、道教、儒教、キリスト教、イスラーム
イスラームにおいて真の普遍的宗教の概念が生まれる(dīn)
アッバース朝によるイスラーム文明を地理的中心とする西欧、東欧、インド、アフリカ、中国をつなぐ世界ネットワークの形成
アッバース朝のネットワークを継承したモンゴルによるパクス・モンゴリカの時代
イル・カーン国、キプチャク・カーン国、チャガタイ・カーン国のイスラーム化
(イラン文明、ロシア文明、インド文明にイスラーム文明の刻印)
イル・カーン国宰相ラシードゥッディーン(1318年没)『集史』=最初の世界史
2.現代: 文明の再編
19世紀=西欧による世界支配
20世紀=西欧の自滅米ソによる破産処理ソ連の崩壊米の長期的衰退
21世紀=帝国の復興による文明の再編
ロシア文明、中国文明、イスラーム文明、インド文明、西欧文明
イスラーム文明:中核国家無し。トルコ、エジプト、サウジ、パキスタン、イラン
インド文明:西欧化(ブリティッシュラジャ)?イスラーム化(ムガールラジャ)?
西欧文明:西欧と英語圏(アングロスフィア)の分裂?
地政学・文明論・国際政治
それぞれが独自の主体(アクター)とタイムスパン
アクター:地政学=地域、文明論=文明、国際政治=領域国民国家
タイムスパン:地政学=長、文明論=中、国際政治=短
それぞれは独自の理路とメカニズムを有し、それらは往々にして矛盾
それゆえ、世界の動きは、その多層性、錯綜性において分析されねばならない
イスラーム文明
文明は時間的に誕生や終焉の時点を明確に言えず、空間的な広がりも領域国民国家と違い明確な国境によって区切られておらず、同一文明内部でも成熟、衰退には時間差存在。
住民と一対一で対応する関数でもなく、一人の人間が複数の文明に所属することも可。
トインビー:イスラーム文明はシリア文明(アケメネス帝国)の継承文明
三木亘:西洋「一神教諸派複合」東洋「儒・仏・道教複合」南洋「仏教・ヒンズー教複合」
井筒俊彦:西洋―東洋(イスラームを含む)
イスラーム文明
文明的一体性を認識しつつ、国際政治、地域研究では中核の中東と周辺部を区別すべき
過去にイラン文明を吸収、統合したように将来的にインド文明も統合か?
(イラン文明が独自のペルシャ・シーア派サブ文明となったようにインド文明も?)
但し「世界宗教」はリヴァイアサンとマモンを配偶神とする国家崇拝・拝金教
どの文明圏もこの「国家崇拝・拝金教」の論理で動く。イスラーム圏も例外ではない。
キリスト教(カトリック、正教、プロテスタント)、ヒンズー教、仏教、ユダヤ教だけではなく、現在「イスラーム」と呼ばれているものも、この「国家崇拝・拝金教」の正体を覆い隠す仮面として、「領域国民国家システム」と「資本主義」の支配をイデオロギー的に補強する機能を果たしている。
文明の再編
現代:西欧(+米)の長期的衰退、非西欧文明の担い手であった近世の世界帝国の継承国家(ロシア帝国、オスマン帝国、清帝国、ムガール帝国)による文明の再編の時代
西欧の覇権の衰退は不可逆であるが、西欧文明は今なお世界を動かしており、文明の再編の成否は、まず諸文明圏における「内なる西欧文明」の批判的克服を成し遂げることができるか、そしてそれを西欧(あるいは西洋、欧米)にフィードバックすることができるか否かにかかっている。(序.頁より)
地政学
覇権の海洋国家から大陸国家への移転
「新しいグレートゲーム」、中国、ロシアの挑戦。隠れた主役はトルコ。
我々の前に開かれた21世紀とは、「カロリング朝欧州」を中核とする西欧の大陸国家がオスマン朝カリフ国の旧領を統合した「新しいローマ帝国」として西欧・中東の文明的的見取り図を塗り替え、トルコとイギリスを二つの焦点として、トルコを焦点に中央アジアのチュルク系諸国、ロシア、中国のユーラシア帝国同盟を、イギリスを焦点に、英語文化圏諸国と連帯する楕円構造を有することでハートランドを制し、ワールドアイランドを支配するような未来が可能性として開かれているような世界
イスラーム国の出現の背景
フランス革命以来のヨーロッパの植民地支配における民族主義とヒューマニズムの矛盾
国境の廃絶、領域国民国家システムの打破
シーア派の台頭:イラン・イスラーム革命、法学者の統治論によるシーア派の統一
アッバース朝の首都バグダードがシーア派イランの勢力圏に
チェルディラーンの戦い(1514年-ゾハブ条約1638年)以来の勢力図の塗り替え
スンナ派は腐敗堕落、分裂、為す術無し カリフ制再興だけが解答
イスラーム国が壊した世界
民族主義の差別主義とヒューマニズムの矛盾を糊塗する虚飾と偽善の世界
暴力と差別の第三世界への囲い込みに風穴 可視化 西欧への浸潤
イスラーム、アラブの大義と国益(支配者の私益)の矛盾を糊塗する偽善と矛盾の世界
サラフィー主義、ムスリム同胞団などスンナ派ムスリム運動全ての弾圧
イスラエルとサウジの接近
カリフ制再興
「大地と人類を領域国民国家システムの牢獄から解放するカリフ制」の理念
スペクタクルなイスラーム国樹立、カリフ制再興宣言により世界に拡散
人類の啓蒙が不十分な時点での領域支配は時期尚早 「イスラーム国」消滅
カリフ制の理念と共に、第三世界に囲い込まれていた「暴力と差別」が「平等に」「先進国」にも拡散 (先進国におけるテロとゼノフォビア)
イスラーム国の世界同時(ジハード)革命路線によるイスラーム国樹立(領域支配)
一国議会主義によりカリフ制樹立を目指していたエルドアンを窮地に
(西欧からカリフ制に対する懸念が強まり、支持者からは生温いと突き上げ)
エルドアン支持:オスマン朝再興を目指すナクシュバンディー教団+ムスリム同胞団
イスラーム国がもたらしたスンナ派世界の分裂(影の主役はイスラーム国)
イスラーム(カリフ)派と(カタル・トルコ枢軸)vs
反イスラーム派に分裂(サウジアラビア、UAE、エジプト)
GCC危機(カタル・ボイコット) サウジアラビア滅亡加速化
10.「平等な世界」
西欧の啓蒙によって自由、民主主義の平等な世界の実現ではなく、暴力による強権支配と民族差別による西欧の後進国化による世界の平等の実現
西欧の欺瞞と偽善が破綻 右翼(ゼノフォビア+ファシズム)の台頭(トランプ、安倍)
結論
世界の未来は文明の再編の複数の可能性に開かれており、私たちの双肩にかかっている
「大地と人類を領域国民国家システムの牢獄から解放するカリフ制」だけが解答
資料『帝国の復興と啓蒙の未来』
序 (6頁)
21世紀は文明の再編の時代であるが、それは「カロリング朝欧州」(ドイツ財務相ショイブレ)を中核とする西欧の大陸国家がオスマン朝カリフ国の旧領を統合した「新しいローマ帝国」として西欧・中東の文明的的見取り図を塗り替え、トルコとイギリスを二つの焦点として、トルコを焦点に中央アジアのチュルク系諸国、ロシア、中国のユーラシア帝国同盟を、イギリスを焦点に、英語文化圏諸国と連帯する楕円構造を有することでハートランドを制し、ワールドアイランドを支配するような未来が可能性として開かれているような世界なのである。
西欧の覇権の衰退は不可逆であるが、西欧文明は今なお世界を動かしており、文明の再編の成否は、まず諸文明圏における「内なる西欧文明」の批判的克服を成し遂げることができるか、そしてそれを西欧(あるいは西洋、欧米)にフィードバックすることができるか否かにかかっている。そして文明の再編は、ウィーン条約体制とも言われる、相互に独立平等と仮定された主権国家を単位とする領域国民国家システムの解体を必要とする。
そしてこの文明の再編の鍵を握っているのは私見によるとトルコである。理由は現在のトルコのエルドアン政権が地政学的にもアフロ・ヨーロシアの世界国家オスマン帝国の自覚的な継承国家を目指しており、中央アジアのチュルク系国家の盟主的地位にあることだけではない。西欧の植民地支配の遺制であるサイクス・ピコ協定によるイラクとシリアの国境を「解放」し、領域国民国家システムに真っ向から挑戦し、イスラームの合法政体「カリフ制」の再興を謳った「イスラーム国」が2014年に成立し、アメリカの主導する有志連合による侵攻で破綻国家化していたイラクに次いで、「アラブの春」の波及による内戦によりシリアも破綻国家化し、百万人を超える難民がトルコ経由でヨーロッパに流入したことは、域内におけるトルコの存在感を高めると共に、中東における領域国民国家システムの有効性に疑問を投げかけ、オスマン帝国の統治システムの再評価を求め、人権と平等の尊重を唱えるEUの難民への対応における二重基準を非難するトルコの主張に重みを与えている。
また仮にエルドアン政権が政敵によって打倒された場合、イスラーム主義者と世俗主義者の対立が激化し、トルコは内乱に陥り、シリア化することが予想される。シリアの4倍の人口規模を持ちヨーロッパと陸続きのトルコが内戦状態になった場合、トルコから一千万人規模の「難民」がヨーロッパに押し寄せることになり、ヨーロッパの「ムスリム難民問題」は制御不能になり、新たな秩序構築のためにやはりヨーロッパは新たな根本的な変化を伴う再編を強いられることになる。トルコが文明の再編の鍵を握るとは、このポジティブな意味とネガティブな意味の二重の意味においてなのである。
後書 (277-281頁)
欧米で顕在化しつつあるのは、領域国民国家システムの中で偽善的にオブラートに包まれ明言されずにきたナショナリズムの民族差別主義、排外主義だけではない。より本質的な問題は、欧米がこれまで自らのアイデンティティの拠り所としてきた自由、人権が次々と失われつつあることである。9・11アメリカ同時多発攻撃事件を機に、ブッシュ元大統領が制定した愛国者法を皮切りに、テロ対策を口実とする自由と人権の制限が、西欧諸国で進行しつつある。
それは勿論、西欧に限ったことだけではない。偽善的ではあっても、これまで自由と人権の擁護者の役目を演じてきた欧米、特に「世界の警察」を気取ったアメリカが、その役目を放棄したことにより、箍がはずれたロシアや中国のような旧共産圏の全体主義諸国、独裁者たちが支配する第三世界の国々は「テロとの戦い」を口実に、ますます人権を蹂躙し抑圧体制を強化しつつある。
東アジアの中国、韓国、北朝鮮、日本におけるナショナリズムの差別主義、排外主義の高まりも、このグローバルな動きの一環である。そして第二次世界大戦の敗戦後、米の占領の下での改憲によって国民を主権者とする国家に生まれ変わり欧米自由民主主義陣営に組み込まれたとはいえ、戦前のファシズムの十分な清算をすませることなく、西欧流の自由主義、民主主義、人権などの価値観を表層的にしか内面化してこなかった日本において、現在、欧米から、極右と呼ばれる政権によって特定機密保護法、共謀罪などが制定され、警察国家化が進行しているのは、むしろ当然とも言えよう。
筆者は、1986年から1992年にかけてムバーラク独裁政権のエジプト、故ファハド国王が専制政治を行うサウジアラビアで暮らしていたが、日本の現状には、奇妙な既視感を抱かざるをえない。まだ大きな隔たりがあるとはいえ、日本は着実に中東の独裁、専制国家への道を歩みつつあるように思われる。
これまで日本は、市民革命で民主化を達成した先進欧米諸国を範として学び近代化を進めてきた。麻生副総理は「ナチスの手口に学べ」と発言し物議をかもしたが、現代日本がモデルとすべきは、もはや欧米ではなく、中東諸国なのかもしれない。世界システム論者のイマニュエル・ウォーラーステインは、西欧は世界を、自らの属する西欧近代文明社会、他者たる近代以前の高文明社会、未開社会に分け、西欧近代文明社会の認識には社会科学(社会学、経済学、政治学、社会心理学etc.)、高文明社会の認識には東洋学(オリエンタリズム)、未開社会の認識には人類学を割り振ってきた。しかしグローバリゼーションと世界システムの一体化がここまで進行した現在、この認識論的分断はもはや維持できない。
そして皮肉なことにグローバリゼーションは、「進んだ」西欧によって啓蒙された世界ではなく、「遅れた東洋」の「専制」抑圧体制が西欧に浸透し、ハイブリッドな全体主義的システム独裁警察国家のジョージ・オーウェル的ディストピアを生み出そうとしているようにも見える。
そうであるならば、我々に今求められているのは、これまで「他者」として排除してきた「東洋(オリエント)」、特にエドワード・サイードの『オリエンタリズム』が主たる研究対象とした中東・イスラーム世界を、相互に絡まり支え混ざり合い一つにシステムを構成する同時代現象の一部として、自分たちの主体的な自己認識の中に組み込むことであろう。
本書が、イスラーム研究の立場から、我々が目の当たりにしているリアルタイムの帝国の復興と文明の再編のプロセスを描き出した所以である。30万人の死者、500万人の難民を出したシリア内戦を我々と無関係な遠い世界の問題ではない。「テロ」対策の名の下に万単位の国民を平然と殺すことができるアサド政権は、ブッシュの「テロとの戦争」が生み出した警察国家のディストピアの戯画であり、それは明日の日本の姿かもしれない。そして過去において多くの文明と共存し、それを統合し発展してきたイスラーム文明の歴史の中には、西欧文明の病理であるナショナリズムの差別主義、排外主義と、全体主義的システム独裁に対する解毒剤、有効な処方箋が見つかるかもしれない。
文明の再編は歴史の必然であるが、不幸なのは、世界的な政治の劣化の中でそれが行われつつあることである。ブッシュは「対テロ」戦争の名の下に、アフガニスタンでターリバーン政権、イラクでサダム・フセイン政権を打倒した。軍事的には、最初から勝敗の帰趨は最初から明らかであったが、政権崩壊後の青写真が描けないために、イスラーム地域研究者たちはおしなべて軍事行動に反対であった。ところがブッシュは圧倒的な軍事力、経済力があれば軍事的な制圧のみならず、その後の民主化、西欧化も容易であると考えて軍事行動に踏み切った。そしてその結果として、アフガニスタンでは国土の7割から8割がターリバーンの支配下に入り、イラクでは「イスラーム国」が樹立されるなど、両国は破綻国家化することになったのである。占領軍に対するレジスタンスが殆ど皆無であった第二次世界大戦後のドイツ、日本におけるアメリカの占領行政と比べても、今日のアメリカ政治の劣化は誰の目にも明らかである。
アメリカのネオリベラリズムに見られるように、病膏肓に入った資本主義社会において、資本は、あらゆるものを物理的な形を取り数量化され計算可能で短期的に確実な利益が見込めるものに還元し支配しようとするようになるが、そうした視野が狭く単眼的な資本主義的思考様式が至らしめるところが、現在欧米だけでなく日本でも進行しつつある政治の劣化なのである。
文明の再編がカタストロフをもたらさないためには、こうした政治の劣化に歯止めをかけねばならない。そのためには軍事や経済だけではなく、現在なお命脈を保っている諸文明が千年以上にわたって存続することを可能にさせたその基底にある世界観、即ち人間の生を宇宙と歴史と社会の中に位置づけ、生きる意味と行動の指針を与える宗教が蓄積してきた宗教の叡智に再び目を向け、謙虚に耳を傾ける必要がある。本書が、読者諸賢が今もなお生きる宗教の叡智の学びへと誘うことができれば筆者にとって望外の喜びである。
0 件のコメント:
コメントを投稿