2017年6月30日金曜日

イブン・タイミーヤの礼拝に関するファトワー

【礼拝の時刻について】

質問
播種・耕作・大いなる汚れの状態▼1、主人への奉仕などの仕事により夜間の礼拝を昼頃まで遅らせる人々がいるが、それは許されるか否か。

答え
昼間の礼拝を夜まで、あるいは、夜間の礼拝を昼まで遅らせることは誰にも許されない▼2。それは収穫・耕作・業務・大いなる汚れの状態・小さな汚れの状態▼3・狩猟・娯楽・遊技・主人への奉仕など、いかなる行為によるのであっても許されない。否、ムスリムはすべて、ズフルとアスルの礼拝を昼間に、ファジュルの礼拝を日の出前に行い、いかなる業務、娯楽などの行為によってもそれを怠ってはならないこと、また、主人は奴隷が、雇主は雇人が定められた刻限内に礼拝を行うことを妨げる権利がないこと、業務・狩猟・主人への奉仕などで、それらの礼拝を太陽が沈むまで遅らせる者には懲罰が科されなければならないことなどに関して、合意(イジュマー)が成立している。それどころか、学者の多数派の意見では、悔い改めを呼びかけられた後なら、(礼拝を故意に遅らせたり、怠ったりすることには)死刑を科すことが義務となる。つまり、悔い改めたなら、定刻内に礼拝しなければならず、礼拝が義務として課されるのであるが、もし、業務・狩猟などに忙殺されて、「日没後まで私は礼拝しない」と(公然と)言うならば、(そのような者は)処刑されるべきである。
 両『正伝集』によれば、預言者(彼に神の平安と祝福あれ)は、「アスルの礼拝をやり過ごした者は、家族と財産を損なうようなものだ」、あるいは、「アスルの礼拝をやり過ごした者は、彼の行為も無に帰すのである」と語られたと確認されている。(『日訳ムスリム』第1巻、422■423頁)また、(初代カリフ)篤信者アブー・バクルの(第2代カリフ)ウマルへの遺言にも、「神には、夜には夜の権利があり、それは昼には受け入れ給わない。また昼には昼の権利があり、それは夜には受け入れ給わない」と言われている。
 また、預言者(彼に神の平安と祝福あれ)はハンダクの戦いの日、不信仰者に対する聖なる戦いにかかりきりで、アスルの礼拝を遅らせ日の出の後でそれを行われた。そこで至高なる神は、「各礼拝(『日訳ムスリム』第1巻424■425頁)、中間の礼拝を守れ」(Q. 2章238節)という節を下されたのである。また、両『正伝集』は、預言者(彼に神の平安と祝福あれ)が、「中間の礼拝とはアスルの礼拝である」と言われたと伝えているが、その言葉ゆえに、大多数の学者は、(クルアーンの)この節によりアスルの礼拝の遅延は認められなくなったと言い、たとえ戦争状態にあっても、礼拝の遅延は許されず、定刻内での礼拝が義務とされるのである。これがマーリクやアッ=シャーフィイーの考えであり、またアフマド・ブン・ハンバルの考えとしても知られている。しかし、アフマド・ブン・ハンバルについては、彼は戦争状態においては、(定刻内の)礼拝の実行と、(止むを得ない)遅延のどちらかを選ぶことを許したとも伝えられている。アブー・ハニーファの考えは、先ず戦争に専念し、定刻後に礼拝すべきであるとする。業務や農業や狩猟や種々の仕事など、ジハード以外の理由による礼拝の遅延については、学者は誰もそれを認めていない。
 否、至高なる神は、「禍あれ、礼拝しながらも、礼拝に身が入らず」(Q. 107章4・5節)と仰せになったが、サラフ(初期のムスリムたち)の一部は、「それは礼拝を定刻から遅らす者のことである」と言い、また、別の者たちは、「それは、たとえ定刻内に礼拝をするとしても、定められた形でそれを行わない者のことである」と言っている。
 礼拝を定刻より遅らすことは、学者たちの間の合意によれば、禁止事項(ハラーム)であるとされる。学者たちは、夜間の礼拝を昼に、昼間の礼拝を夜に遅らせることは、ラマダーン月の断食斎戒をシャッワール月に遅らせることに等しい、という見解で一致している。つまり、「ズフルとアスルの礼拝を夜に行なう」と言う者は、「私はシャッワール月に断食斎戒する」と言う者と等しいということで、学者たちの意見は一致している。
 遅延が許されるのは、寝過ごした者と、(礼拝の時刻を)忘れていた者のみである。それは、預言者(彼に神の平安と祝福あれ)が次のように言われたとおりである。「礼拝を寝過ごしたり、あるいは、忘れていた者は、そのことに気づいた時に礼拝を行え。そしてその時が、礼拝の時刻となるのであり、それ以外に償いは必要ではない。」
 また、大いなる汚れ、小さい汚れ、それ以外の汚れ▼4などを理由として、定められた時刻から礼拝を遅らせることも認められない。
 ひとは、(それぞれの)状況に応じて「定刻内に礼拝しなければならない。つまり、小さい汚れの状態にあって、水がないか、あるいは、水の使用が有害である場合は、土や砂による洗浄▼5を行ってから礼拝すべきである。大いなる汚れの状態にあるときも同様で、水がないか、病気に障ったり冷たすぎるなど、水の使用が有害であるとの恐れがあるなら、土や砂で体を浄めてから礼拝すべきである。また同様に、裸体の者も、裸体のままで、定刻内に礼拝すべきであり、着衣で礼拝できるようになるまで礼拝を遅らしてはならない。また、ひとに、拭い去れない汚れがある時には、その状態のまま定刻内に礼拝すべきである。
 また、預言者(彼に神の平安と祝福あれ)がイムラーン・ブン・フサインに、「立って礼拝せよ。もしできなければ座って、もしそれもできなければ横になってせよ」と言われたように、病人も同様に、その病状に従ってそれぞれの状態で定刻内に礼拝すべきである。学者たちの一致した見解では、病人は、立つことによって病状が重くなるようなら、座るか、横になって定刻内に礼拝しなければならず、(病状の回復を待って)定刻を過ぎてから、立って礼拝しようなどと考えるべきではない。
 それはつまり礼拝は定刻内に行うことが義務であり、時刻こそ礼拝に関する諸義務の中で最も優先されるべきものだからである。それはラマダーン月の斎戒が、その期間内の遂行が義務であり、誰にもそれを遅らせることが許されないのと同じである。但し(礼拝に関しては)ムスリムたちのイジュマーで、アラファ▼6でのズフルとアスルを一緒に続けて行うこと(結合)、ムズダリファでのマグリブとイシャーアを一緒に続けて行うこと(結合)は許されており、また多くの学者の意見によると、旅行や病気などの理由があれば、マグリブとイシャーア、ズフルとアスルの礼拝を一緒に続けて行うこと(結合)も許されるのである。
 しかし昼間の礼拝を夜に、夜間の礼拝を昼まで遅らすことについては、学者のイジュマーで、病気によっても、旅行によっても、どんな仕事、工作によっても許されない。(ウマイヤ朝第8代カリフ)ウマル・ブン・アブド・アル=アジーズ(神よ彼を嘉し給え)は言った。「理由なく2つの礼拝を一緒に続けて行うこと(結合すること)は大罪の一つである。しかし旅行者は2ラクア▼7の礼拝で済ますことができ、4ラクアの礼拝をする義務はない。」学者のイジュマーによって、「短縮」(の許される)旅行中の旅行者には2ラクアで足りるのである。
「全ての旅行者が、4ラクアの礼拝を行わねばならない」と言う者は「全ての旅行者が、ラマダーン月に斎戒を行わねばならない。」と言う者と同じで、どちらもともに誤っているのである。また、ムスリムたちのイジュマーに反しているのである。それを唱える者は悔い改めを求められ、それがいれられなければ処刑される。ムスリムたちは、旅行者が4ラクアの礼拝を2ラクアで行いファジュルの礼拝を2ラクア、マグリブの礼拝を4ラクアで行い、ラマダーン月に斎戒を行わず、後にその埋め合せの斎戒(断食)を行えば良いことでイジュマーに達している。
 旅行中に、ラマダーン月に斎戒(断食)を行い、あるいは4ラクアの礼拝を行う者については、学者の間で判断に相違があることが知られている。中には、「それは正しくない」という者もある。病人に関してはムスリムのイジュマーで斎戒を遅らすことが許されるが、逆に礼拝は遅らすことが出来ないのがムスリムたちのイジュマーなのである。旅行者は斎戒は遅らすことが出来るが、礼拝は遅らすことが許されない、というのがムスリムたちのイジュマーなのである。
 そしてこれは、礼拝を定刻に行うことの遵守が、期間中に斎戒を行うことより、より重要であることを示すものである。至高なる神は、「礼拝を放擲し、欲情に耽ける後継者が彼らの跡を継いだのだ」(Q. 19章59節)と仰せになったが、サラフの或る者たちは、「『礼拝を放擲し』とは、礼拝の遅延のことを指す。(なぜなら)もし彼らが礼拝を拒否するなら、彼らは不信仰者となるのだから」と言っている。
 預言者(彼に平安と祝福あれ)は言われた。「私の後ろに礼拝を定刻から遅らせる指導者たちが出現することになる。しかし定刻どおりに礼拝を行え。そして彼らと行う汝らの礼拝は、任意の礼拝とせよ。」ムスリムはアブー・ザッル(教友)からの伝承として、それを伝えている。アブー・ザッルはこう述べている。「預言者(彼に平安と祝福あれ)は言われた。『もしおまえの上に、礼拝を定刻から遅らせ、後回しにする指導者が現れたらどうする。』私は言った。『私に何をお命じになるのですか。』彼は言われた。『定刻内に礼拝を行え。そのうえで彼らの礼拝に居合わせたなら、ともに礼拝せよ。それはおまえにとって任意の礼拝となる。』」
 またウバーダ・ブン・サーミト(教友)によると、預言者(彼に平安と祝福あれ)はこう言われた。「『汝らの上に、世事にかまけて定刻が過ぎるまで礼拝を怠る者が出る。しかし礼拝は定刻内に行え。』ある男が言った。『私は彼らと礼拝します。』預言者は言われた。『うむ、もしおまえがそうしたいなら。そしてそれは任意の礼拝とせよ。』」アフマド・ブン・ハンバルとアブー・ダーウードがそのハディースを伝えている。また、イブン・マスウードはこう伝えている。「預言者は言われた。『もし私にそれが起こったなら、私に何をお命じになりますか、アッラーの使徒よ。』彼は言われた。『定刻内に礼拝せよ。そして彼らとの礼拝は任意のものとせよ。』」
 それゆえ、船が難破したとか、追い剝ぎが服を奪ってしまったとかで、裸になってしまった者は、裸ででも定刻内に礼拝すべきである、ということで学者たちはイジュマーに達している。また旅行者は、定刻過ぎに水を見つけられるとしても、水がなければ砂で浄め(タヤンムム)を行って礼拝すべきことが学者たちのイジュマーである。同様に大汚の旅行者も、水がなければ砂で浄めをして礼拝し、やり直しの必要がないことは、四法学派の学祖たちのイジュマーである。同様に、寒さが厳しくとも、沐浴をしてから礼拝しようと、礼拝を遅らしてはならないのである。預言者(彼に平安と祝福あれ)は言われた。「たとえ10年間水を見いださなかったとしても、清浄な砂がムスリムを浄めてくれる。しかし水を見つけたときは、それで皮膚を濡らせよ。それはなお良いからである。」
 水(による浄め)によって許されるようになることは、全て砂による浄めによっても許される。それゆえ、砂による、礼拝のための義務の浄めを行ったなら、礼拝の中であれ、それ以外の時であれ、たとえ大汚の状態にあったとしても、クルアーンを読むことが出来るのである。
 砂で浄めて礼拝を行うことを禁ずる者は、ユダヤ教徒やキリスト教徒の類である。なぜなら、砂による浄めはムハンマド(彼に平安と祝福あれ)に従った者の共同体にのみ、許されたことだからである。そして、それは預言者(彼に平安と祝福あれ)が、真正なハディースにおいて、次のように言われている通りである。
「我々は次の三点で、他の人々に優る恩恵を与えられている。先ず、我々の団結(列)は、天使の団結(列)のようにされている。第二に、私のために大地がモスクとされ、その土が(ムスリムを)浄めるものとされた。第三に、私は戦利品を取ることが許されたが、それは私以前の預言者たちには許されていなかったのである。」また別のテキストでは「私のために大地が、モスクであり、かつ(ムスリムを)浄めるものとされた。それゆえ、我がウンマに属する者は、どこで礼拝の時間をむかえようとも、その土地がモスクとなり、それによって身を浄めることが出来るのである。」
 定刻前に砂での浄めが許されるか、また砂での浄めは各礼拝毎に行わねばならないか、言い換えるならば、、定刻が過ぎれば無効となるのか、それとも水で浄めた場合と同様に礼拝でき、洗浄を無効とするものによってのみ無効とされるのか。あるいは、水の使用が可能となった時点で無効となるのか、などの問題については学者の間に見解の対立がある。水の使用が可能となった時点で無効となる、というのがハナフィー派の見解であり、ハンバリー派などにもこの説を採るものがある。それは預言者(彼に平安と祝福あれ)が、「たとえ10年間、水を見いださなかったとしても、清浄な土埃がムスリムを浄めてくれる。しかし水を見つけたときは、それで皮膚を濡らせ。それはなお良いからである」と言われたからである。アッ=ティルミジーはこの伝承を正しく真正ものだと言っている。
 またある人に汚れがあり、それを取り除く手段がない場合には、汚れのあるまま定刻内に礼拝すべきである。ウマルも傷が出血していたとき、定刻が過ぎるまで礼拝を遅らせず、そのまま礼拝した。
 汚れた衣服しか持たない者については、裸体で礼拝せよとも、それを着けて礼拝し、(あとで清浄な服を着て)やり直せとも、それを着て礼拝すれば良く、やり直すには及ばないとも言われるが、最後の説が正しい学説である。なぜなら、神は義務の礼拝を繰り返すことを、命じ給わないからである。ただし、可能であったのに、やるべきことをやらなかった場合は別である。例えば、各動作毎に間をとらずに礼拝した場合は、その礼拝はやり直すべきであり、預言者(彼に平安と祝福あれ)は、間合いを取らずに礼拝をした者に、「戻って礼拝をやり直せ。おまえは礼拝をしたことにならない」と言われて、礼拝のやり直しを命ぜられたのである。
 同様に浄めを忘れ、洗浄しないで礼拝をした者も、礼拝をやり直さねばならない。預言者(彼に平安と祝福あれ)は、洗浄をしながらも、足の一部を洗い忘れて、水がかからなかった者に、洗浄と礼拝のやり直しを命ぜられたのである。
 命じられたことを力の限り行った者については、至高なる神は、「可能な限り、神を畏れよ」と仰せになり、預言者(彼に平安と祝福あれ)も、「私が汝らに何かを命じたなら、出来る限りのことを果たせ」と言われている。
 定刻内に目覚めたが、水が遠くにしかなく、そこまで行くと定刻が過ぎてしまう場合には、砂で浄めを行って定刻内に礼拝すべし、というのが学者たちのイジュマーである。
 同様に寒さが厳しく、冷水が身体(健康)を損なうとき、風呂に行ったり、湯を沸かしていると、定刻が過ぎてしまう場合には、砂で浄めを行って定刻内に礼拝すべし、というのが学者たちのイジュマーである。
 このことに関して男女の区別はなく、二人が大汚の状態にあり、定刻内に沐浴が不可能ならば、その二人は砂で浄めを行って、定刻内に礼拝すべきなのである。
 また、月経のあった女性が、礼拝時刻内に、出血が止まったが、沐浴をしていると定刻が過ぎてしまう場合には、砂による浄めを行い礼拝すべきなのである。
 定刻を過ぎても、水で洗浄を行ってから礼拝する方が、砂で浄めをするだけで定刻内に礼拝を行うより、よいと考える者は無学で誤っているのである。
 ファジュルの礼拝の定刻の終わるギリギリに目覚め、沐浴をしていると日が昇ってしまう場合には、大多数の学者は、「沐浴をして日の昇った後に礼拝すべきである」と述べている。ハナフィー派、シャーフィイー派、ハンバリー派はこの説を採るが、マーリキー派には、「いやこの場合も、砂の浄めを行っただけで、日の出前に礼拝すべきである」という説を採る者もいる。その根拠は、これまで述べたような、「砂の浄めによる定刻内の礼拝は、沐浴による定刻後の礼拝に優る」ことであろうが、ここでは多数派説の方が正しい。なぜなら眠っていた者にとっての定刻とは、目覚めたときだからである。それは預言者(彼に平安と祝福あれ)も、「礼拝を寝過ごしたか、忘れていた者は、気付いた時それを行え。そしてその時こそ礼拝の時刻なのである」と言われているとおりなのである。つまり眠っていた者にとっての定刻とは、目覚めたときにほかならず、それ以前のことについては、それは彼にとっては礼拝時刻ではなかったのである。そしてそうであれば、日の出前に目覚め、沐浴と礼拝をしていて日が昇ってしまった者は、その礼拝を定刻通りに行なったことになり、やり過ごしたことにはならないのである。それは、定刻の初めに目覚めた者の場合とは違うのであり、彼の場合の定刻は、日の出前までなのであり、礼拝を遅らせてはならないのである。
 また礼拝を忘れていた者の場合も同様で、いかなる時刻であれ、思い出したときに、沐浴をし礼拝をすればよいのである。それは彼にとっては、気付いた時が礼拝時刻だからである。
 ハイバル遠征の時、預言者(彼に平安と祝福あれ)の教友たちが礼拝を寝過ごして目覚めたときのように、日が出てから目覚めた者は、たとえ太陽の南中まで礼拝を遅らすことになろうとも、完全な清めの上で礼拝すべきである。もし、大汚の状態であるようなら、太陽の南中近くまで礼拝を遅らすことになろうとも、風呂に入り沐浴をすべきであり、砂による浄めだけして礼拝してはならないのである。また(この場合)預言者(彼に平安と祝福あれ)が、「ここは悪魔が我々を襲った場所である」と言われ、教友たちとともに、寝過ごした場所から移動したことから、寝過ごした場所から移動することが望ましい。アフマド・ブン・ハンバルらがそれを規定しているが、その場所で礼拝したとしても、その礼拝は無効ではある。
「それはカダー(定刻内に出来なかったことを後で行うこと)なのか、アダー(定刻内に行うこと)なのか」と問われるなら、それらの語の区別は神とその使徒の言葉に根拠を持たない虚構の区別に過ぎない。なぜなら至高なる神は、金曜の集団礼拝について、「礼拝をカダーすれば(済ませば)、大地に散らばれ。(62章10節)」と仰せになり、また(巡礼について)「汝らの儀礼をカダーし(果たし)神を唱念せよ(2章196節)」と仰せになられているが、どちらも定刻内に行われたことに対して用いられているのである。「カダー」とは、語源的には、ものごとを仕上げること、完成することを意味する。つまり、至高なる神は、「そしてそれらを7つの天にカダーした」と仰せられたが、それはすなわち、仕上げたとか、完成させたという意味なのである。
 それゆえ、宗教行為(イバーダ)を完全に行う者は、たとえそれが定刻内であってもカダーしたと言えるのである。私の知る限り、定刻内であると信じ、礼拝のアダーを意図して礼拝し、後に定刻を過ぎていたことがわかったとき、あるいは、逆に定刻が過ぎていると信じ、礼拝のカダーを意図し、後にまだ時間が残っていたことが判明したときには、どちらの場合もその礼拝が有効であることについて、学者たちのイジュマーがある。アダーであると意図しようと、カダーであると意図しようと、命じられた時間にその儀礼(礼拝)を行った者すべてにとって、その礼拝は有効なのである。金曜の集団礼拝はアダーで行なおうと意図しても、カダーで行おうと意図しても、ともに有効である。(カダーの場合も)彼はクルアーンに述べられた(語の用法での)カダーを意図しているのである。礼拝を寝過ごした者、忘れていた者に関しては、目覚めたり、気付いた時に礼拝すれば、彼ら以外の人たちにとっては定刻過ぎとなる時刻に礼拝しようと、礼拝を命じられた時間内に礼拝したことになるのである。それをこの意味でカダーと呼び、一般的には命じられた定刻を過ぎて宗教行為を行うことをカダーと言うことについては、毒にも薬にもならない。
 要約するなら、どんな人間であれ、昼間の礼拝を夜に、夜間の礼拝を昼に遅らせるといった形で、定刻の礼拝をしなくて済むようになる、いかなる事態も存在しないということである。礼拝は必ず時刻内に行わなければならない。その際、人は各々の状況に応じて礼拝すべきなのであり、やるべきことのうちできることは行なうべきであり、できないことは免除されるのである。ただし、理由があれば、昼間の二つの礼拝、夜間の二つの礼拝を一緒に続けて行う(結合する)ことが許される、というのが学者たちの多数意見であり、また旅行者も旅が厳しいときは(昼間夜間の二つの礼拝を)一緒に続けて行うこと(結合)が許される、というのが、マーリクとアッ=シャーフィイーの見解である。アフマド・ブン・ハンバルに関してはそれを認めたとも、認めなかったとも伝えられている。また、認めないというのがアブー・ハニーファの見解である。
(礼拝の)短縮の場合と異なり、困難がなければ定刻内に礼拝を行う方が、一緒に続けて結合を行うより優る。(逆に短縮に関しては)学者たちの多数意見では、(短縮の)2ラクアの方が4ラクアより優るのであり、旅行者が4ラクアの礼拝した場合、その礼拝が有効であるかどうかについては二説ある。預言者(彼に平安と祝福あれ)は、彼の旅行すべてにおいて、2ラクアの礼拝を行っていたのであり、一度も4ラクアの礼拝を行わなかったし、アブー・バクルもウマルもやはりそうであった。

▼1 交接、月経、出産などにより陥る不浄。
▼2 スンナ派では一日の礼拝は、ズフル、アスル、マグリブ、イシャーァ、ファジュルの5回であるが、昼間の礼拝とはズフルとアスルの礼拝であり、ズフルの定刻は太陽の南中からアスルの始まりまで。アスルの定刻は陰の長さが本体と同じになる時刻からマグリブの始まりまで。マグリブの定刻は日没からイシャーァの始まりまで。イシャーァの定刻は後の残光が消えてからファジュルの始まりまで、ファジュルの定刻は夜が白み始めてから日の出まで。
▼3 排泄、嘔吐などにより陥る不浄。
▼4 豚、犬などに由来する不浄。
▼5 地面の土埃に触れた手で、手や顔を擦ることによる浄め、水による浄めの代用。
▼6 アラファ、ムズダリファは共にメッカ郊外の地名。巡礼は、カァバ神殿での儀礼を終えた後、この両地を訪れる。
▼7 ラクアとは、立札、座礼などからなる礼拝の動作の単位を指し、ズフル、アスルは4ラクア、マグリブは2ラクア、イシャーァは4ラクア、ファジュルは2ラクアからなるが、旅行時には、ズフル、アスル、イシャーァの4ラクアを2ラクアに短縮して行なうことが許される。

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