3.戦略思考、文化的アイデンティティー
共同体の戦略思考とは、文化的、心理学的、宗教的、社会的価値世界も含む歴史的伝統とこの伝統が作り反映される地理的生活領域の共同産物としての意識と、その共同体が世界の上でいかなる位置を占めるかについての観方の決定の産物である。この観点からは、思考と戦略の関係は、地理的与件に関わる空間把握と歴史意識に関わる時間把握が交差する領域に生成する。異なる共同体が異なる戦略的視点を有することは、本来この異なる場所と時間の次元による世界観の産物である。
共同体自体の地理的位置を枢軸とする空間把握と、自己の歴史的経験を枢軸とする時間把握は、方針と対外政策策形成に影響する思考の下部構造を作る。民族の昔からの政治的一体性は、移ろいゆく個々人から成る社会よりもずっと安定した過程の産物としての長い歴史の事象の積み重ねの一体性を受け入れるなら、その戦略思考が政治プロセスの中でアイデンティティー意識を主張することと、不断に更新される一時だけの仮象の政治的浮き沈みを共に超えた連続性を示していることを我々は知ることができる。
たとえばドイツの戦略的発想は、神聖ローマ・ゲルマン帝国の起源に遡り9世紀にわたる歴史的経験の、近代国民国家が哲学的基礎、歴史的現実性、イデオロギー的下部構造を備える19世紀に至るまで伸びた歴史意識の所産である。この(歴史)意識は、中世の封建的/宗教的伝統と近代世俗/イデオロギー的伝統の諸要素とを共に含む。ヘーゲルによるドイツ意識の歴史的起源を明らかにする歴史的解釈とヒトラーの第三帝国の概念の間にある平行関係はこの戦略的発想の継続性から生まれた。
同じように正教に基づくロシア帝国と無神論に基づくソビエト連邦共和国の戦略上の優先事項の間の平行関係と継続性も、共同体の戦略が歴史や地理のような与件によってどの程度まで決定されていたかを示す指標である。ロシアのアイデンティティーが普遍的イデオロギーとしての社会主義であったにもかかわらず、冷戦期に急進マルクス主義が取ることになった新しい民族主義的潮流の中でも自己の政治的アイデンティティーを再設定して存続できたことは、この戦略思考が継続していた結果である。政治的キャリアを、社会主義者として始めたミロセヴィッチがポスト冷戦期に急進的な人種主義者に変わったスラブ民族主義のリーダーになったこともその例である。
我々自身の歴史から例を挙げるならば、セユートで勢力があったトルコマン人が建国した小侯国(ベイリク)から始めて時を経て、古代から場を占めてきた文明の圏域全体に広まり、人類史上最も多様、混交的、複合的な政治構造体の一つにオスマン朝を進化させた主たる要素も、その政治的下部構造を織りなす時空意識なのであった。この戦略思考がオスマン朝の伝統のパワーと、この伝統のパワーが作るオスマン体制(オスマンの平和;パクス・オスマニカ)の安定を実現させた。過去に遡る「万古の」という概念も、未来を規定する「不滅の国家」という概念も、この戦略的思考を作り上げる歴史とアイデンティティー意識を反映している。
オスマン朝の解体過程も、トルコ共和国の樹立から今日に至るまで直面してきた国際問題の中で現れた最も重要な緊張の領域も、この連続する戦略意識のさまざまな要素と国際的パワーバランスの間の差が生んだ心理的緊張と、この緊張のアイデンティティー意識の上に、トラウマとしての影響を及ぼしている。この視点から、オスマン‐トルコ戦略意識の主なもろもろの要素のうちで継続するものと変化するものを改めてこの視点から議論することは、我々が直面しなければならない最も重要な例の一つである。
アイデンティティーと時空意識を歴史的伝統と目前の現実の枠組において再構成することが、歴史の中での存在し、人類の伝統を守ることができるための必須条件である。戦略思考なしには、翻弄されるばかりである。戦略思考を有し、その戦略思考を変更条件に応じて新しい概念、手段、形式によって再生産できる共同体は、国際的パワーのパラメーターを操作することができる。この逆に、戦略思考を急に破却することでアイデンティティーを失った共同体は、自らの歴史的実存を危険に晒し、他の共同体を操るべき対象としかみなさいことで人間性の理念を見失い自己疎外に陥る。
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