2011年9月20日火曜日

『タリバンとアフガニスタンの危機』結論(試訳)

「知識の探求者[タリバン]」とアフガニスタンとパキスタンの国境のマドラサ(イスラーム神学校)と孤児院から最初に出現した時と同じく、彼らの再来のための条件を整えるにあたって、様々な国際的な主体が中心的な役割を果たした。そして「(イスラームの)啓示に基づく法と秩序」とのネオタリバンのレトリックのもたらした戦いによる不安定性を高めたのは、アフガニスタン中央政府の守護者、アメリカの政策に他ならなかった​​。
 アフガニスタンの多様な地方の間でもっと平等に権力を分有しあうことができたであろう別のモデルを排除し、厳しい中央集権国家に固執したことにより、アメリカ人は、カブールの権威を支えることに失敗した。アフガニスタンの多彩な社会集団の間で正当性を得て存続可能な国家を構築するのではなく、カルザイ大統領の支持者たちは、適切な資産を彼から奪い、もっぱら軍事力を行使して懲罰的な掃討作戦を行い続けることにによって、様々な集団をポスト・タリバン政権(カルザイ政権)に対する反抗においやり、集団を反抗に追いやり、彼の権威を侵食し、治安の維持に失敗させた。[ムジャーヒィディーン政権の腐敗によりタリバンが出現した]1994年のように、アフガニスタン国民は秩序だけでなく、正義を求めた。かつてのアフガニスタンの支配者たち[ムジャーヒディーン政権]と同じく。カブールの御主人様たち[カルザイ政権」は、アフガニスタンの国家の危機と、国を構成する多様なコミュニティからのその[政府の」遊離を解決できなかった。「パックスアメリカーナ」は発展を約束したが、ただ中央(政権)に対する様々な敵対勢力を活性化させることによりアフガン社会を切り裂いた広い亀裂を拡大し、30年にわたる戦争の原因となった鬱憤の記憶を再燃させただけであった。

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