2017年10月9日月曜日

ダウトオウル『戦略的縦深』第一部 第二章:戦略理論 希少性とその解決 1.トルコのパワーの要素の見直し

第二章:戦略理論 希少性とその解決
1.トルコのパワーの要素の見直し
 近年ではしばしば、トルコの国際関係における正しいパワーの潜在力がどれほどの規模であるか、そしてそのパワーの潜在力が外交的視点からどれだけの規模で使用可能であるのかに関して議論がなされている。この問題における議論とアプローチは、両極端の間を行き来している。ときには静態的で場当たり的な評価によって、トルコが手に入れることができるパワーの潜在力は、実際より遥かに下のレベルで見積もられ、トルコにとって外部のパワーセンターが用意した政策を適用するように努める。また時としては逆に、トルコのパワーの定数と潜在的な変数は、新しい国際情勢における新規でダイナミックなパワーであるとの大いに楽観的な観測がなされる。
 90年代を特徴づけていた不安定な同盟関係にある国々の短期間に移り変わる行動と、対外政策における官僚主義のリスクを負わない外交の間を揺れ動き、戦術的行為が戦略的に統合されないこともまた、この問題において共通の観方が存在しないためである。「細くて長い道」で始まったEUの冒険も、「おお、入ろう、おお、入ろう」という態度と、「入らないこともある、唯一の選択肢がEUというわけではない、と人々は考えている」という考え方の間で行きつ戻りつしていた。希望に満ちて主張される「アドリア海から万里の長城まではトルコ世界である」とのスローガンは、時として中央アジア諸国さえも警戒させ弁解を要する危うさともなる。イスラーム世界に対する友愛と文化的紐帯の言葉は、東と南からやってくる脅威の認識と反対である。スローガンに過ぎない西洋への帰属と感情の籠った第三世界への帰属の間で板挟みの外交辞令は、外務大臣の気持ち次第で移り変わるものに過ぎない。
 この戦略的希少性の最も重要な原因は、対外政策の構造の主な要素としての、定数と潜在力の与件の視点の首尾一貫性のない変化によって、この与件を、魅力的な影響で、対外政策の影響に変わる戦略思考は、政治意志と戦略計画の主題における希少性である。短期間のラディカルな変化を示すことが可能でないことのために対外政策構造の定項要素である歴史、地理、文化、人口の要素の観点、政治エリート、官僚機構、平凡な市民の間の深刻な差異を示している。一つの集団が対外政策における最も重要な基礎とみなす歴史的、文化的諸要素が、別の集団からは、最も重い足枷とみなされた。(全ての当事者に)共有される視点で理解されるべきトルコの地理も深刻な差異の焦点である。またトルコが近くの圏域との統合を押し進めるべきであるとの思想と、できる限りこの圏域での影響を地域を超えて拡張し多面的に統合する必要があるという考えの間の対立もまた、もう一つの別の要素となっている。もっと客観的な人口についてさえも見解が一致しているわけではない。この点に関して、トルコの最も重要な資産である若年人口でさえ、時として最大の障害と否定的に評価されるのである。
 潜在力の与件という点でも、状況はそう違わない。政治的意思と行動に左右される短期間においてさえそれが変化することの好例は、定項与件と名付けた経済力、技術力、軍事力の最も戦略的な要素の一つであるエネルギー問題において見られる対応の不一致である。
 これらの全ての与件に著しい影響を与える政治的意思に関しても、ここ10年の政治的不安定がもたらした短期政権のせいで、大きな浮き沈みがあった。時の政権に左右される政治的意思形成は、政府外要因が入り込むことで更に複雑化する。物理力が異なる方向性に分散させられると、その客体は動くことができないか、不安定に揺れ動くしかないように、90年代のトルコの対外政策も秩序や調和からはほど遠い外見を呈していた。対外政策の優先順位における突然の変化は、戦略的連続性を著しく弱めてしまう。90年代のトルコの対外政策の連続性を示す唯一のものは外務大臣の度重なるすげ替えだけであった。それは他の要素としての戦略立案にも深甚な影響を与える。有効な戦略計画によって対外政策が大きく左右されると、内的整合性を毀損し、ひいては対外イメージをも損ねることになる。
 パワーの構成要素について今日なされている議論における最も重大な誤りは、パワーの定項のダイナミックな解釈が活発でなく、遅れていることである。イデオロギーの優先順位が、歴史と文化のパラメーターと照らして、冷戦期においては正しかった諸前提が、地理のパラメーターに照らして、静的な枠組で分析されているのである。対外政策における重大な逸脱に道を開いた静的な解釈と遅れも、元来は(パワーの)定項と潜在力を調和的に長期的な戦略的の一体性の一環として扱われなかったことの結果である。これも我々に戦略計画と政治的意思の欠如の問題に直面している。
 90年代に入って我々が採用したと称される対外政策の言説が、90年代の終わりにかけて謎のイメージの悪化を被った原因もこの戦略的一貫性の欠如である。逆に二千年代に似たようなイメージの悪化がなかったのは対外政策の主な要素に関して共通の戦略理論の基礎を形成できたからである。

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