2012年9月8日土曜日

下記、金沢での9月17日の第一講義 http://ims-japan-forums.webs.com/program-schedule の発表のレジュメです。                                 記 MSAJ Annual Meeting 2012, Kanazawa,  Muslims in Japan, Challenges & Duties 「イスラームにおける救済(The Salvation in Islam )」 2012/9/15                                中田考(同志社大学一神教学祭研究センター上席研究員) 1 「救済」とは火獄からの救済  The salvation in Islam means “the salvation from the Hell”. アラビア語で「救済」を意味する単語は三子音「n-j-w」から派生した「najāh」。 クルアーンの言う救済とは「火獄からの救済」、即ち「楽園」。  日本語の「救済」、「救い」の語には広い意味。宗教の文脈では、「心の悩みの解消」、「煩悩の滅却」、「罪の意識からの解放」といった「精神的事象」を指すことが多い。イスラームにおいてはそれらはあくまでも「来世での楽園の救済」が確保された上での二義的なオプション、比喩的用法。 2 救済の主体はアッラー The salvation is an action of Allah, not human beings’ one. 「まことにアッラーは信仰し善を行う者たちをその下に川の流れる楽園に入れ給う(إن الله يدخل الذين آمنوا وعملوا الصالحات جنات تجري من تحتها الأنهار...)」(22:14)。 ジブリール(大天使ガブリエル)は預言者ムハンマドに述べた。 「海の孤島の山頂で500年にわたり勤行に明け暮れ、跪拝したまま御許に召されるように主に祈った行者がいた。 - ジブリールは続けて言った。 - 我々は天を登り降りしていて、彼が復活の日に甦らされ、威光限りなきアッラーの御前に立たされるのを知った。威光限りなきアッラーは彼に、『我が慈悲により我が僕を楽園に入れよ』と(天使たちに)命じた。ところが彼は3度にわたって『我が主よ、私の行いによってにして下さい』と求めた。そこでアッラーは天使に、『我が僕のために、彼に対する我が恵みと彼の行為を天秤にかけよ』と命じ給うた。すると目を授けた恵みだけで500年間の崇拝の重さに達してしまい、身体の残りの部分の恵みの分が余ってしまった。アッラーは、『我が僕を火獄に入れよ』と(天使に)命じ給い、彼は火獄に引き立てられた。そこで彼が『あなたの御慈悲によって楽園に入れて下さい。あなたの御慈悲によって楽園に入れて下さい。』と呼び求めると、アッラーは彼を楽園に入れ給うた。」 ジブリールは、この話を語り終えた後、ムハンマドに「ムハンマドよ、万事はアッラーの慈悲によるのである」と述べた。(アル=ハーキムの伝えるハディース) [5] ( أن جبرائيل أخبره أن عابدا عبد الله على رأس جبل في البحر خمسمائة سنة ثم سأل ربه أن يقبضه وهو ساجد. قال: فنحن نمر عليه إذا هبطنا وعرجنا ونجد في العلم أنه يبعث يوم القيامة فيوقف بين يدي الله عز وجل فيقوله عز وجل أدخلوا عبدي الجنة برحمتي فيقول العبد يا ربي بعملي ثلاث مرات ثم يقول الله للملئكة قاسوا عبدي بنعمتي عليه وبعمله فيجدون نعمة البصر قد أحاطت بعبادة خمسمائة سنة وبقيت نعم الجسد له فيقول أدخلوا عبدي النار فيجر إلى النار فينادي ربه برحمتك أدخلني الجنة برحمتك أدخلني الجنة فيدخله الجنة. قال جبرائيل إنما الأشياء برحمة الله يامحمد.)(أخرجه الحاكم)  また別のハディースでは、アッラーの使徒ムハンマドも「誰であれその善行がその者を天国に入れるわけではない」と言われ、「あなたでさえですか」と問われて「私も違う。ただアッラーが私を慈悲でお守りくださっているのだ」と答えられた、と伝えられている(قال ما من أحد يدخله عمله الجنة. قيل: ولا أنت؟ قال: ولا أنا إلا أن يتغمدني ربي برحمة.)」(أخرجه مسلم)。  無謬の使徒でさえ自らの行いによって楽園に入るのでないと告げるこのハディースは、アッラーが人を楽園に入れ給うのは、人間の自力の作善によってではなく、ただその御慈悲による純粋な恩寵としてであることを明示している。 3 救済されるのはムハンマドの共同体だけではない  Those who are saved are not only Ummah Muhammad(s). 救済は「ムハンマドのウンマ(宗教共同体)」を超える。イブン・マスウードの伝えるハディースによると預言者ムハンマドは教友たちに「私はあなたたちの数が楽園の住民の総数の半分にも達することを願っています(إني لأرجو أن تكونوا شطر أهل الجنة)」と述べた。(『日訳サヒーフ・ムスリム』(日本ムスリム協会)第1巻、182頁参照)(أخرجه مسلم) 4 「中間時の民」の民の救済 The salvation of Ahl al-Fatrah アブドッラー・アル=グンマーリー 1993年没 Khawāṭir Dīnīyah, (Ahl al-Fatrah Nājūn) 「中間時の民」=「自分たちに遣わされた使徒が現存していない時代に生きた人々(الذين عاشوا في زمن لم يكن فيه رسول إليهم )」。 「中間時の民」は多神教徒の偶像崇拝者であっても救済される、というのがスンナ派の通説であると述べる。そしてその典拠はクルアーンの章句「使徒を遣わすまでは、我らは彼らを罰しはしない(والحكم فيهم عند الجمهور أنهم ناجون ولو عبدوا الأصنام لقوله تعالى(وما كنا معذبين حتى نبعث رسولا))」(17:15)。 ムハンマドは「万世への慈悲(رحمة للعالمين)」(21:107)として民族を越えて全人類に遣わされた最後の預言者「預言者たちの封印(خاتم النبيين)」(33:40)であり、そのメッセージ、聖法「シャリーア」は時代と場所を越えて最後の審判まで妥当する。それゆえムハンマドの召命以降には「中間時の民」はいない。しかし理念的にムハンマドのメッセージが普遍的最終的であっても、現実には預言者ムハンマドが伝えたメッセージの宣教がアラブ民族を超えて世界の隅々まで普及するには長い年月を要する。それゆえ「中間時の民」の規定は、預言者ムハンマド以降のイスラーム史においても「預言者ムハンマドの宣教の届いていない者」の範疇に適用されることになるのである。 イブン・アービディーン(d.1252/1836) Radd al=Mukhtār,(Maṭlab Kalām ‘alā Abawai al-Nabī wa Ahl al-Fatrah)  彼によると、アシュアリー派が、宣教が届かずに死んだ者が救われる、との立場を採るのに対し、マートゥリーディー派の通説では、唯一神信仰を怠った者は火獄の懲罰を蒙るとする。 「 両者(預言者ムハンマドの両親)が、中間時に亡くなったがために救われるとの論証は、『宣教が届かないで死んだ者は死んで救われる』とのアシュアリー派の原則に基づいている。他方、マートリィーディー派では、以下の通りである。思索が可能なだけの時を生きる前に、信仰もせず、といって背神(kufr)を信条とすることもなく死んだ者は、譴責をうけない。しかし無神論を信条としたか、あるいは時間が経った後に何も信じなかった者は別である。(أما الاستدلال على نجاتهما بأنهما ماتا في زمن الفترة فهو مبني على أصول الأشاعرة أن من مات ولم تبلغه الدعوى يموت ناجيا. أما الماتريدية فإن مات قبل مضى مدة يمكنه فيها التأمل ولم يعتقد إيمانا و كفرا فلا عقاب له بخلاف ما إذا اعتقد كفرا أو مات بعد المدة غير معتقد شيئا )」 Muḥammad Amīn al-Mashhūr bi-Ibn ‘Ābidīn, Åāshiyah Radd al=Mukhtār Sharḥ Tanwīr al=Abşār, Cairo, 1966, vol.3, p.185.  アル=スユーティー(al-Suyūṭī, d.911/1505)によると「中間時の民」は3つのカテゴリーに分かれる。 第1は、自らの洞察で唯一神崇拝に辿り着いた者である。この第一にカテゴリーは、更に(1)自分の律法を持たなかったカッス・ブン・サーイダ(Qass bn Sā‘idah 前23年/600年頃没)やザイド・ブン・アムル・ブン・ヌファイル(Zayd bn ÑAmr bn Nufail 前17/606年没)のような人々と、(2)形骸が残っていた真実の律法に従った(ユダヤ教を奉じたイエメンの王の一人)トゥッバウ(Tubba‘)やその民のような者、に分かれる。 第2は、唯一神崇拝を行わず、それを歪曲、改変し、自ら戒律と禁忌を定め、多神教を創設したイムルゥ・アル=カイス(Imru’ al=Qays ヒジュラ暦前212年西暦403年没。ラフミー朝イラク国王、「焚刑王」の異名をとった暴君)やアムル・ブン・ルハイユ・アル=フザーイー(‘Amr bn LuÆayy al-Khuzā‘ī 生没年不明:イスマーイールの宗教を改変して偶像崇拝を始めた最初のアラブ人)など。 第3は、唯一神崇拝も多神崇拝もせず、いかなる預言者の律法にも従わなかったが、自ら律法を制定したり宗教を創始したりせず、生涯宗教に無関心に暮らした者。  真の意味での「中間時の民」とは第3のカテゴリーに属する者であり、彼らには決して懲罰がない。懲罰を蒙るとのハディースが伝えられているのは、第2のカテゴリーに属する者で、免責の余地がないからである。 ワッハーブ派の見解 هل كل الأجانب الكفار في النار !! جواب: الشيخ العريفي http://www.youtube.com/watch?v=y3eHHGpwtQ0&feature=player_detailpage 以下の三種の不信仰者は火獄に入らない。(1)イスラームが全く知られていない者 (2)イスラームが誤って伝えられている者 (3)イスラームについての情報はあっても明証を携えて自分に宣教する者が誰もいない者  الكفار الأجانب ثلاثة أقسام, قسم من لم يبلغ عن الإسلام أبداً, وقسم من يبلغ عن الإسلام مشوّهاً, وقسم من سمع عن الإسلام سمعاّ عامّاً ولم يأته أحد يبينه الحجة, وجميع هذه الأقسام لا يدخل النار. 5 自ら一神教に到達したムスリムの救済 The Salvation of those who reach the knowledge of God by themselves アル=バグダーディー(al-Baghdādī, d.429/1037) 我々の学派(アシュアリー派)は、「義務は全て、それが義務であることは啓示(shar‘)によって(初めて)知られる」、と言う。また同派の考えは以下の通りである。難関の彼方や隔絶した土地にいて、イスラームの宣教の届いていない者については、議論の余地がある。 (しかし結論としては)(神の)正義と唯一性を真理と信じてはいるが、シャリーアの諸規定や諸使徒については知らない者については、彼の(属する)範疇はムスリムと判断され、(シャリーアの)諸規定について知らないことは免責される。というのは彼にはそれについて証明がなされていないからである。一方、そうした者の中でも無神論、不信仰、否定神学を信条とする者は不信仰者である。尤も、それについても議論の余地はあるのであるが。 (قال أصحابنا إن الواجبات كلها معلوم وجوبها بالشرع وقالوا فيمن كان وراء السد أو في قطر من الأرض ولم تبلغه دعوة الإسلام ينظر فيه. فإن اعتقد الحق في العدل التوحيد وجهل شرائع الأحكام والرسل فحكمه حكم المسلمين وهو معذور فيما جهل به من الأحكام لأنه لم يقم به الحجة عليه. ومن اعتقد منهم الإلحاد والكفر والتعطيل فهو كافر بالاعتقاد و ينظر فيه ) アブー・ハニーファ(767年没) (Tentative Japanese & English translation by Mujahid Yohei Matsuyama) 「・・・もしその者が、『私はこの(クルアーンの)節を信じる。だが、その意味も知らないし、その解釈も解からない』と言った場合、不信仰とはみなされない。なぜなら彼は啓示を信じているのであり、その説明を誤っているだけだからである。解釈の誤りによって、人は不信仰者とみなされない。そして、多神崇拝の地における無知な者は、不信仰者とみなされない。」私は彼(アブー・ハニーファ)に言った。「もし、多神崇拝の地において、イスラーム全体を認めたものの、義務や法についての知識を一切持たず、したがって、クルアーンを認めず、イスラームの教説を一切認めず、ただ、アッラーを認め、信仰を認めるのみで、信仰の条件を一切認めずに死んだ者がいた場合、彼は信仰者(ムーミン)でしょうか。」彼(アブー・ハニーファ)は言った。「そうだ。」 فإن قال أؤمن بهذه الآية ولا أعلم تأويلها ولا أعلم تفسيرها فإنه لا يكفر لأنه مؤمن بالتنزيل ومخطىء في التفسير / الخطأ في التاويل لا يكفر به المرء والجاهل في أرض الشرك لا يكفر / قلت له لو أقر بجملة الاسلام في أرض الشرك ولا يعلم شيئا من الفرائض والشرائع ولا يقر بالكتاب ولا بشيء من شرائع الإسلام إلا أنه مقر بالله تعالى وبالإيمان ولا يقر بشيء من شرائع الإيمان فمات أهو مؤمن / قال نعم / قلت ولو لم يعلم شيئا ولم يعمل به إلا أنه مقر بالإيمان فمات / قال هو مؤمن "...If one says "I believe this āyah though I do not know its ta’wīl, nor its tafsīr," he does not be regarded as an unbeliever, because he is a believer of the revelation but just fails in its explanation. A failure in interpretation is not a reason for regarding a person as an unbeliever. An ignorant person in the land of polytheism would not be regarded as an unbeliever." I said to him (Imam Abu Hanifah) "If one who approves of Islam as a whole in the land of polytheism, although he knows neither any religious obligation nor any legislation, not approving of the Kitāb nor of any legislation of Islam, and just approves of Allah and the faith, but does not approve any rule of the faith, pass away, is he a believer (mu’min)?" He (Imam Abu Hanifah) said "Yes." I said "And if he did not know anything and did not perform anything, but merely approved of the faith and died?" He (Imam Abu Hanifah) said "He is a believer (mu’min)." このアブー・ハニーファの言葉に基づき、ハナフィー派では、無神論者や多神教徒については神の唯一性を認めればムスリムとなるとの見解が通説となる。 アル=ハスカフィー(al-Ḥaşkafī, d.1088/1677)は言う。「不信仰者は5種類。(1)無神論者のように創造主を否定する者。(2)(善悪)二神論者のように神の唯一性を否定する者。・・・この最初の2つの範疇の者には、『アッラーの他に神はない』との言葉で(イスラームへの入信の判断は)十分である。(الكفار أصناف خمسة: من ينكر الصانع كالدهرية, ومن ينكر الوحدانية كالثنوية, .... فيكتفي في الأولين بقول لا إله إلا الله.)」Muḥammad Amīn al-Mashhūr bi-Ibn ‘Ābidīn, Ḥāshiyah Radd al=Muḥtār Sharḥ Tanwīr al=Abşār, Cairo, 1966, vol.4, pp.226-227. 6 イスラーム入信後の「戦争の家」での新入信者の義務 The obligation of the new converts who embraced Islam in Dār al-Ḥarb アル=ナーブルスィー(al-Nābulsī, d.1308/1891) どの二人の預言者の間の「中間時の民については、彼らの時代には宣教が届いていないことから彼らの諸行為には罪はない。人々から離れている者、「戦争の家(≒非イスラーム世界)(Dār al-Ḥarb)」で生まれ育ちイスラームの地に移住しなかった者も同様である。但しこれらは全て身体の行為の話である。至高なるアッラーへの不信仰については、誰も免責されない。なぜならそれを認識するのには理性のみで十分であるからである。 أهل الفترة بين كل نبيين ليس في أعمالهم ذنوب لعدم حصول التبليغ في زمانهم وكذلك من نشأ في مكان منقطع عن الناس أو أسلم في دار الحرب ولم يهاجر إلى دار الإسلام وهذا كله في الأعمال بالجوارح وأما ذنب الكفر بالله تعالى فلا يعذر فيه أحد لأن العقل كاف في معرفة ذلك.

2012年6月24日日曜日

カーブル作戦で侵略者25名、その傀儡19名殺害。 (アフガニスタン・イスラーム首長国報道官)ザビフッラー・ムジャーヒド カーブル 2012年6月22日 自爆服、ライフル銃、携行ロケットなどの火器で武装したイスラーム首長国のムジャーヒディーンは、木曜夜カルガ湖近くのスポズハマイ・ホテルを攻撃し、数十名の高位の外国人外交官、軍人、その(アフガン人の)傀儡を殺害した。 下種な外国人とアフガン人の高官たちがその薄汚い肉欲を満たすために特に木曜の夜に頻繁に訪れる猥褻、淫行のハブとみなされており、イスラームに敵対する集会が開催されるのが常であったこのホテルが当夜に攻撃されたのである。12時間以上にわたる包囲の後にも戦闘は継続しており、外国人とアフガン人の多くの軍人と役人がムジャーヒディーンによって人質として捕えられた。ホテルの中のムジャーヒディーンの一人が携帯電話でイスラーム首長国に語ったところによると、殉教志願のムジャーヒディーンは全員無事で、地上と空からの攻撃を撃退し、多勢の敵軍に対して更なる厳しい抵抗、反撃を行っている。現地の上空では多くのヘリコプターや戦闘機が飛び回っているが、ムジャーヒディーンをとらえることができていない。 最新のレポートによると、ホテルの宿泊客であった25名の外国人外交官と軍人、高級下級将校を含むアフガン人14名がホテルの内部で殺害され、4名の殉教志願のムジャーヒディーンとの戦闘において、5名の警官と警護兵が殺害され、他にも数人が負傷した。この4名はロガール州出身のハヤートゥッラー、カムラン、ザブール州出身のアイマツッラー、カンダハル出身のスライマンであり、彼らは最後に血の一滴を流しきるまで敵と戦い14時間以上の抵抗の末に命を落とした。 この4名の英雄的なムジャーヒディーンたちはホテルを急襲した後、民間人の犠牲を減らすために民間人を安全な場所の部屋に閉じ込め、宿泊客たちの身分証明書を確認し、外国人の外交官か軍人、あるいは彼らの傀儡のアフガン政府の軍人か役人であると判明した者はその場で殺害した。こうして確認された者のうち25名が外国人であり、14名がアフガン人の傀儡であった。しかし、その後も、最後のムジャーヒドが殉教し、殉教者としての最高の位を得るまで、戦闘は続いた。 25 foreign invaders, 19 puppets killed in Kabul operation Zabihullah Mujahid Friday, 02 Sya'ban 1433Friday, 22 June 2012 10:40 KABUL, Jun. 22 - Mujahideen of the Islamic Emirate armed with explosive vests, assault rifles and rocket-propelled grenades and other explosives stormed the Spozhmai hotel near Qarga Lake, later on Thursday night, killing and wounding several dozens of the top-level foreign diplomats and military figures and high-ranking puppets. The hotels which are seen as hub of obscenity and vulgarity frequented by the lusty foreign and local top-level military and officials to satisfy their impure lust especially on Thursday nights and where anti-Islamic meeting are usually being held was attacked this night, and after more than a 12-hour siege the fighting was still going and a larger number of the the foreign and local military and official as hostages were taken as hostages by Mujahideen. A Mujahid, from within the hotel during the fighting hours told Al-Emara on his cell phone that all the martyrdom-seeking Mujahideen, being sound and safe, were putting up a far more rigorous resistance and fighting a larger number of the enemy troops, repelling both the ground and aerial attacks, whereas many of other attack helicopters and fighter crafts were hovering overhead but were unable to target Mujahideen. According to the latest news reports, as many as 25 foreign diplomats, and military figures being the guests in the hotel and 14 local including top-level and low-level officials military troops were killed within the hotel, whereas 5 policemen and security forces were killed and several more wounded during the fighting with a team of the four martyrdom-seeking Mujahideen, Hayatullah and Kamran from Logar province, Naimatullah from Zabul and Sulaiman from Kandahar province, who combated the enemies till the last drop of their blood and laid their lives after a resistance of about more than 14 hours. The team of 4 heroic Mujahideen, after storming the hotel, locked the civilians in a safe area in some rooms so that may reduce the civilian casualties and after checking the documents of the guests and recognizing them as foreign diplomats or military men or as military men or officials of the puppets government, killed them on the spot. Among those recognized and killed were 25 foreigners and 14 puppets. However, the fighting was over this day after the last Mujahid embraced martyrdom and joined the highest ranks of martyrs. http://www.shahamat-english.com/index.php?option=com_content&view=article&id=19717:several-top-level-foreign-diplomat-military-top-figures-and-puppets-killed-in-martyr-attack&catid=1:news&Itemid=2

2012年3月11日日曜日

預言者・預言・啓示

「預言者・預言・啓示」
現代日本語における「預言者」、「預言」、「啓示」は、明治の開国以降の欧米諸語の訳語として定着したものであり、本来それぞれヨーロッパのユダヤ・キリスト教の伝統に基礎をおく概念である。ヨーロッパ諸語の預言者はギリシャ語の「プロフェーテース」を語源とする。「プロフェーテース」の語義は「代わりに語る者」であったが、ヘブライ語聖書(タナハ)の「預言者」の訳語となったことにより、ユダヤ・キリスト教の術語として「神の代弁者」を意味するようになった。ヘブライ語聖書において預言者を指す語としては、「見る」を意味するヘブライ語の派生形「ホーゼー(見者)」「ローエー(見者)」、神の人を意味する「イシュ・ハ・エロヒーム」、アッカド語の「ナブー(呼ぶ)」に由来する「ナービー(神に召し出された者)」があるが、後のユダヤ教・キリスト教の術語としては「ナービー」が用いられるようになる。
ヘブライ語聖書の配列では、「トーラー(律法、モーセ五書)」の後に「諸預言者」が置かれるが、そこで言う預言者たちとは、ヨシュア、サムエルなどの前期預言者とイザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの後期預言者を指す。しかし、創世記ではアブラハムも「ナービー」と呼ばれており、ラビ・ユダヤ教はモーセをトーラーの作者にして、最大の預言者とみなす。またラビ・ユダヤ教においては、預言者たちの中でもモーセだけが神から直接に預言を授かった特別な存在とされ、トーラーは全てモーセが書いた神の言葉そのものとみなされ、他の預言者たちは、トーラーの内容を変更することも、それを超えた新しい教えをもたらすこともなく、彼らの預言の機能はトーラーの解説に過ぎないとされる。また預言はエズラの時代をもって終わり、その後には、ただその残響「バト・コール(声の娘)」が残るのみとされる。
新約においては、イエスを預言者と信じた民衆の存在、自らを預言者に擬したイエスの言葉が伝えられているが、イエスが単なる預言者ではなく、預言者以上のもの、神の子であることが強調されており、ヨハネがイエスの先駆けとなる預言者と位置づけられている。また使徒言行録は、預言者と呼ばれる者たちの初代教会における存在と活動を明記しているが、12使徒やパウロが預言者と呼ばれることはなく、その地位は決して高くはない。また後のキリスト教神学の中では、術語としての預言者はヘブライ語聖書における預言者たちのみを指すことになる。
近現代の西洋においては「預言者」の語はユダヤ・キリスト教の教義から離れた使用法も一般化している。古代ユダヤの預言者たちを典型とする倫理預言と、釈迦を典型とする自己救済の模範を示す模範預言を対比されたマックス・ウェーバーの預言の2類型論は有名である。
 イスラームにおいては、預言者はヘブライ語と同語根の「ナビー」であり、ムハンマドの預言者性の信仰は創造主アッラーの唯一性の信仰と相俟ってイスラームの信仰告白を構成する二柱の一つである。クルアーン中のムハンマドの称号には「預言者」と並んで、(アッラーの)使徒(ラスール)、吉報伝達者(バシール)、警告者(ナズィール)などがあるが、最も多用され、イスラーム学の術語として定着するのは、預言者と、使徒である。預言者は、アッラーからの啓示を授かった者、使徒はその啓示を民に伝える使命を授かった者、と概念上は区別されるが、歴史に名を残した預言者は全て使徒であるため、預言者と使徒は事実上同義で、ムハンマドに関しても両者は互換的に用いられる。イスラームでは、ムハンマドは最後の預言者であることは、宗派を問わず合意の成立した教義であるため、ムハンマド以降のいかなる人間に対しても決して預言者の呼称が用いられることはなく、新しい預言者の出現を説く者は背教者とみなされる。
 啓示は、より広い概念であり、ヘブライ語聖書には明白に対応する語はなく、新約ではアポカリプスが、ヨーロッパ諸語の「啓示」(英語ではリベレーション)に当るが、アポカリプスと呼ばれるものだけが啓示なわけではない。ユダヤ・キリスト教の神学においては、むしろ神は歴史の過程の中に自己を開示するものとみなされるようになる。ラビ・ユダヤ教では、歴史は何よりも先ず、神の言葉、トーラーを中核とするヘブライ語聖書において示されると考えられた。一方、キリスト教では、神の啓示とは、ヘブライ語聖書、あるいはイエスの言行録である福音書、新約などの書物ではなく、神の言葉(ロゴス)であるイエス自身であると考えられた。西洋の宗教学は、ユダヤ教・キリスト教の神秘主義思想をも啓示の一種とみなしており、また近代の西洋のユダヤ・キリスト教においては、自然の中に神の摂理を見る「自然的啓示」の思想が発展した。
 一方、クルアーンでは、「啓示」と訳されて来た言葉は、アッラーの教示である「ワフユ」である。クルアーンなどの啓典は天使ジブリールを介してアッラーから預言者に下されたものと表象される。クルアーンの中ではワフユの対象は預言者に限らないが、後のイスラーム学では預言者への啓示に限定して用いられるようになる。イスラームは、ムハンマド以降には預言者の存在を認めないが、アッラーと人間とのコミュニケーションの可能性を全否定するわけではない。術語としては、預言者ならぬ可謬の宗教者が神から授かる知は、ワフユとは別の単語、イルハーム(霊感)、カシュフ(開示)などの語によって呼び分けられる。またイスラームにおいて自然的啓示は、自然現象が、クルアーンの節と同じく、「アッラーの徴(アーヤ)」と呼ばれていることによって基礎付けられている。
F. E. Peters, The Voice, the Word, the Books: the Sacred Scripture of the Jews, Christians, and Muslims, 2007, New Jersey

2011年10月25日火曜日

アフガニスタンの和解交渉のためのロードマップ

アフガニスタンの和解交渉のためのロードマップ

1.両当事者が相互にその交戦相手をそれぞれの元首によって代表される組織化された政治的実体として承認するとの声明を国際社会に向かって同時に発表する。
2.和平交渉の代理人の選定。一人は、一方の当事者(米国)の元首(オバマ大統領)によって指名された代理人、別の一人は他の当事者(アフガニスタン・イスラーム首長国)の元首(「信徒の長(Amīr al-Mu'minīn)」 ムッラー・ウマル)によって指名された代理人であり、もう一人は、両当事者の代理人双方によって承認され指名された仲裁者になります。
3.両当事者は、その交渉関係者の安全が両当事者によって保証されるアドレスが与えられます。
4.交渉は両当事者のアドレスが置かれている国で、公認の交渉の代理人によって開始されます。
5.交渉は、上記の手続き的条件を除いて、いかなる実質的な内容を伴う条件をつけることなく開始される必要があります。
6.停戦、外国軍の撤退、現行のイスラーム共和国憲法の受け入れ、及びアル=カーイダとの絶縁を含めあらゆることが、(前提条件として排除されることなく)交渉の対象とならなくてはなりません。
7.交戦中も、(アドレスが確保され)交渉のチャンネルは開かれている必要があります。
8.アフガニスタン・イスラーム共和国とアフガニスタン・イスラーム首長国の地位の最終的決定は、両当事者によって合意文書が締結されるか、あるいは統治者を選ぶアフガニスタンのイスラームの伝統であるロヤ・ジルガの適切な手続きによってアフガニスタン国民の手に委ねられます。

1.問題の背景

(1)治安情勢は米国とその連合軍の侵攻によるタリバン政権/アフガニスタン・イスラーム首長国(実効支配1996 - 2001年。以後「イスラーム首長国」と略記)の2001年の崩壊以来日増しに悪化しています。イスラーム首長国は2001年に完全に支持を失ったにもかかわらず、その後、民衆の支持(もっぱら消極的な支持であるとしても)を回復し、今では国土の70%以上が、その支配下にあると言われています。
(2)アフガニスタンの国土の大半の治安を回復し麻薬取引を撲滅することが出来た政権は、首長国(統治の最終段階)だけでした。
(3)アフガニスタンでの反政府武装闘争の増加の主な理由は、ISAFの空爆などによる民間人の犠牲、いわゆる「巻き添え被害(collateral damage)」に対する民衆の怒りです。
(4)治安の悪化とタリバン(イスラーム首長国)の復活の主たる理由は、カルザイ政府とISAFの失政であるのは明らかです。 
(5)米国とその連合軍の侵攻によって、イスラーム首長国が民衆の消極的支持を失い脆くも崩壊したのは、その過酷な統治、民衆を苦しめた残虐行為のせいでした。しかし北部同盟の軍閥たちはそれよりも更に甚だしい残忍な人権侵害を行っていたのであり、そのために当時タリバン(後のイスラーム首長国)は瞬く間に彼等軍閥を追放できたのでした。

2.交渉のフレームワーク

(1)我々は準拠する共通の法体系を有しない2つの当事者間の交渉の枠組みを模索していることを自覚しなくてはなりません。イスラーム首長国が準拠する法体系は「シャリーア」、即ちイスラームの天啓法であるのに対し、カルザイ政権と米国の依拠する法体系は、実際には欧米の法律に他ならない「国際法」だからです。
(2)西欧の国際法とイスラームのシャリーアは確かに共通の要素を有してはいますが、それらの共通点は限られています。
(3)両当事者は、自己の準拠する法の適用を相手に強制することなく、本当の意味で「普遍的」な良識に照らして、アドホックベースで個別の問題の解決策を模索しなくてはなりません。
(4)両当事者は、相手方の領土内では相手の法が通用することを認め、相手方の領土内では相手方の法を敢えて侵犯はしないという消極的意味で、相手方の準拠する法に一定の「敬意」を払う必要があります。
3.問題
(1)ISAFの外国軍は西欧の治安を脅かすアル=カーイダ(al-Qāi'idah)と戦うとの口実でアフガニスタンを占領しています。ところがアル=カーイダの指導部と兵士はアフガニスタンではなくパキスタンにいることが今や明らかになっています。
(2)その主役がタリバン(イスラーム首長国)ムジャーヒディーンである反政府勢力は、西洋に住む西洋人に危害を行うために戦っているのではなく、そうした武装勢力自身を含むアフガニスタンの民衆を殺害している外国の侵略者の軍隊と戦っているのです。
(3)外国の駐留軍の存在に起因するアフガニスタンの民間人犠牲者の数はISAFの公式統計より遥かに多数にのぼっていますが、その多くは反体制武装勢力による外国軍とカルザイ政権に対する攻撃の「巻き添え被害」です。
(4)前ISAF司令官マクリスタル将軍が、アフガニスタンの民間人犠牲者のために一人当たり2500 ドルの賠償金を払うと述べた時、それが正義、平等、人道に明白に反していると思われたため、彼の発言はアフガニスタンの人々の激怒を買いました。
(5)理由が何であれ、犠牲者が内戦に苦しむアフガニスタンの民衆であることだけは事実です。
(6)アフガニスタンの援助の名の下に費やされている数十億ドルが実際には欧米企業やNGO要員、アフガニスタンの軍閥、政治家、そして彼らの縁故のビジネスマンのために消費されており、一般民衆が殆どその恩恵を受けていないことは、アフガニスタン国内だけでなく、海外でも広く認識されています。
(7)ISAFの外国軍だけではなくタリバンのムジャーヒディーンを主体とする反体制武装勢力の攻撃によっても無辜の民衆が犠牲になっており、タリバンを自称する一部のグループはイスラームに基づく抵抗の名においてアフガニスタンの民衆への残虐行為を行っています。
(8)「タリバンによる女子教育の禁止」のようにタリバンに関しては多くの誤解が存在します。(実際にその時点でタリバンによって一時的に禁止されたのは「女子教育自体」ではなく、適切な女子教育のためのリソースの不足に基づく「不適切な女子教育」に他なりませんでした)アフガニスタン国内だけではなく国際的にも公式なマスメディアは全て反タリバン勢力の支配下にあり、彼らがタリバンのイメージを歪曲しているからです。
(9)タリバンについて多くの中傷がある一方で、適切なイスラーム高等教育の欠如と厳しい監視の下にある秘密組織の常としての指揮命令系統の機能不全により、自称タリバンの反体制武装勢力のみならずタリバン(イスラーム首長国)の「影の政府」自体によってさえもイスラーム法と人権に対する多くの侵害が行われていることもまた事実です。
(10)「タリバン」は国民的な抵抗のシンボルとなっており、カルザイ大統領自身がかつてカンダハルで、西欧がこれ以上自分に圧力をかけ続けるならば自分はタリバンに参加する、と述べるまでに至っています。
(11)統計が示す通りアフガニスタン国民の90%がタリバンとの和解に賛同していますが、タリバンとの和解の必要性は西側陣営においてさえ感じられるようになっており、米国の政策立案者の一部(オバマ大統領とヒラリー・クリントン国務長官を含む)はタリバンとの交渉を開始したと思われています。
(12)しかし、カルザイ政権内の一部の旧軍閥や政治家、そして所謂人権活動家たちは、多くの虐殺、残虐行為、人権侵害を犯したタリバンは政権に参加してはならないと主張し和解に反対しています。
(13)人権とシャリーアの法の侵害をイスラーム首長国が犯し、それらの侵害がまだ償われていないのは事実であっても、タリバンよりも酷い残虐行為を働いた旧軍閥たちがカルザイ政権で要職を占めているのです。

3.解決策

(1)アフガニスタンの現状の分析の論理的な帰結は、上記の諸問題の解決の唯一の方法は、アフガニスタン復興の名の下に途方もなく膨大な富を蕩尽したにもかかわらずまともな国家運営ができなかったことを自らが証明しているカルザイ政権と外国軍に代わって、国土の大半で「影の政府」を構成している反体制武装勢力の主体であるイスラーム首長国に安全保障と統治を任せるべきである、ということです。
(2)タリバンが犯した人権侵害を理由にタリバンの政権編入に反対する主張は退けられなくてはなりません。和平実現のために旧軍閥の犯した人権侵害が不問に付され政権に編入されたのと同様に、和平のためにはタリバンも受け入れられなくてはならないからです。
(3)和平は、(時間的に先行する)長く苦しい内戦に終止符を打ち平和と治安を実現したかつてのアフガニスタンの正当な「国民的」政権「アフガニスタン・イスラーム首長国」に、外国軍の力で支配の正当性を獲得した事実上の正当な政権「アフガニスタン・イスラーム共和国」が統合される形を採ることが望ましく、逆(「イスラーム共和国」に「イスラーム首長国」が統合される)ではありません。
(4)UNAMA(国連アフガニスタン支援ミッション)の役割は、上記の課題を解決し、イスラーム首長国にイスラーム共和国が統合されるまでの過程での平和的な権力の移行を保証するために、首長国を財政的、技術的に支援することです。
(5)イスラーム首長国と憲法の最終的な形は、適切な時期に、ロヤ・ジルガによって表現されるアフガニスタンの国民の意志によって決定されなければなりません。憲法は現行のイスラーム共和国憲法に必要な改正を加えたものとなります。
(6)UNAMAは人権とイスラーム法の認める人権に対する侵害が行われないように、イスラーム首長国の官吏のイスラーム教育の発展にフルサポートを提供しなくてはなりません。
(7)女性教育の開発は、社会慣習、伝統の類似性から、2010年の時点で大学の女学生の割合が56.8パーセントを構成するに至っているサウジアラビアの女性教育をモデルとすべきです。
(8)国家元首「信徒の長」の座はカンダハルであるとしても、政府の行政機関はカーブルに置かれ、カーブルは「国際都市」としての特別な地位を与えられ、そこでは外国人の非イスラーム教徒の庇護民(Ahl al-Dhimmah:永住権獲得者)と安全保障取得者(Musta'min:短期滞在者)はシャリーアの認める信仰と宗教の実践の完全な権利を享受することができ、イスラーム教徒のアフガン国民はアッラーに対する自己責任において彼らと交流することになります。
(9)国家の宗教は、「信徒の長」の臨席するウラマーゥ(イスラーム学者)の諮問機関によって定義されるハナフィー学派のクルアーンとスンナの正統な解釈によるイスラームとなります。イスラーム教の他の学派の信仰の自由は私的領域においては保証され、シーア派イスラーム教徒同士の間の訴訟は、シーア派が多数を占める地域ではでシーアの派カーディー(裁判官)に付託されます。
(10)行政機関の再編の過渡期中はISAF(国際治安支援部隊)外国軍がカーブルの治安維持にあたりますが、ISAFはイスラーム教徒の軍隊、即ちトルコ軍およびその他の国のイスラーム教徒の軍隊に再編されるべきであり、非イスラーム教徒の外国の軍隊の存在は彼らがセキュリティを担当する大使館の内部に限定されねばなりません。
(11)人権、自由、平等、そして自由民主主義を提唱する西欧諸国は、イスラーム首長国で生きるより西欧への移住を選ぶアフガニスタン国民を手続き的、法律的、財政的、技術的にサポートしなくてはなりません。
(12)イスラーム首長国は、自ら主張する通り、欧米諸国を武力攻撃する拠点としてアフガニスタンを使用するすべての組織と関係を絶ったことの挙証責任を負わねばなりません。
(13)かつてのムジャーヒディーン政権であれ、軍閥であれ、タリバンであれ、ISAFであれ、西欧の警備会社の傭兵であれ、加害者が誰によるかを問わず、内戦の犠牲者とその遺族の応報・賠償請求は放棄されなくてはなりません。但し、それぞれの国の軍法会議などで有罪の判決を受けた者はそれぞれの国の法律に則って処罰されます。
(14)応報の権利を放棄した内戦の犠牲者、遺族は補償されるべきであり、アフガニスタンの人々に受け入れられる正義に則り、内戦の犠牲者に対する補償は、他の資金援助に優先されるべきです。
(16)実際に武器を手にして戦っていたところを殺害されたとアフガニスタンの裁判所が判決を下した者を除くすべての犠牲者の遺族は、シャリーアに従って1万ディルハム(1ディルハム= 純銀3グラム銀)、あるいは1千ディーナール(1ディーナール= 22金4.25グラム)の賠償金を受け取ることが出来ます。この損害賠償は人間の尊厳と平等で信じる全ての者にとって受け入れられるものだと思われます。そして、それはUNAMAがイスラームの正義を尊重している証とみなされ、UNAMAが内戦の犠牲者の賠償のためにディーナール金貨、あるいはディルハム銀貨を鋳造すれば、UNAMAのイスラームの尊重の目に見えるシンボルとして、アフガニスタンの人々から大いに評価されるでしょう。

2011年9月20日火曜日

『タリバンとアフガニスタンの危機』結論(試訳)

「知識の探求者[タリバン]」とアフガニスタンとパキスタンの国境のマドラサ(イスラーム神学校)と孤児院から最初に出現した時と同じく、彼らの再来のための条件を整えるにあたって、様々な国際的な主体が中心的な役割を果たした。そして「(イスラームの)啓示に基づく法と秩序」とのネオタリバンのレトリックのもたらした戦いによる不安定性を高めたのは、アフガニスタン中央政府の守護者、アメリカの政策に他ならなかった​​。
 アフガニスタンの多様な地方の間でもっと平等に権力を分有しあうことができたであろう別のモデルを排除し、厳しい中央集権国家に固執したことにより、アメリカ人は、カブールの権威を支えることに失敗した。アフガニスタンの多彩な社会集団の間で正当性を得て存続可能な国家を構築するのではなく、カルザイ大統領の支持者たちは、適切な資産を彼から奪い、もっぱら軍事力を行使して懲罰的な掃討作戦を行い続けることにによって、様々な集団をポスト・タリバン政権(カルザイ政権)に対する反抗においやり、集団を反抗に追いやり、彼の権威を侵食し、治安の維持に失敗させた。[ムジャーヒィディーン政権の腐敗によりタリバンが出現した]1994年のように、アフガニスタン国民は秩序だけでなく、正義を求めた。かつてのアフガニスタンの支配者たち[ムジャーヒディーン政権]と同じく。カブールの御主人様たち[カルザイ政権」は、アフガニスタンの国家の危機と、国を構成する多様なコミュニティからのその[政府の」遊離を解決できなかった。「パックスアメリカーナ」は発展を約束したが、ただ中央(政権)に対する様々な敵対勢力を活性化させることによりアフガン社会を切り裂いた広い亀裂を拡大し、30年にわたる戦争の原因となった鬱憤の記憶を再燃させただけであった。

覚書  "The Taliban and the Crisis of Afghanistan"(2008, Harvard) by Robert D.Crews and Amin Tarzi

"The Taliban and the Crisis of
Afghanistan"(2008, Harvard) by Robert D.Crews and Amin Tarzi, which
seems to be a good book, and have some question.
(1) As the word of Wahid Muzdha, it is said taht: On December 6,
Taliban Cabinet met in Kandahar under the leadership of Defence
Minister Mullah Obaidullah Akhund and decided that Taliban would
transfer power to the tribal council headed by Hamid Karzai.They also
declared that their forces would surrender their weapons to the same
council. On the following day, December 7, the birthplace of the
Taliban movement, and the last major city in its control, was in the
hands of a tribal council - thus ending the Taliban movement`s
seven-year quest to establish am exemplary Islamic emirate in
Afghanistan.(p.278)
Is it true? And does it mean that Islamic Emirate of Afghanistan
officially relinquished its legitimacy of rule and recognized the
legitimacy of Karzai's leadership at that moment?
(2) By Muzhda's account, Osama bin Laden consistently undermined
figures like Wakil Ahmad Mutawakkil, who served as foreign minister
from mid-1997. Indeed, from 2000 or so, the movement was at war with
itself, Muzhda asserts, with Bin Laden supposedly naming Mutawakkil
as the second target, after United States,of his Jihad. (p.268)
Is it true?

(concluding remark)

As with the initial appearance of this movement of "knowledge seekers[Taliban]" from the madrasas and orpfhaneges of Afghanistan-Pakistan border, international actors played a central role in creating the conditions for their reemergence. Yet here it was the policies of the United States, the guardian of the central Afghan state, that contributed to the instability that neo-Taliban rethoric of a religiously inspired law and order sought to combat.
Having insisted on a tightly centralized state to the exclusion of models that might have shared power among Afghanistan7s diverse regions, the Americans then failed to back Kabul's authority. Rather than construct a viable state that would gain legitimacy among wide variety of Afghan social groups, Karzai's backers undermined his authority by depriving him of a proper treasury and by continuing to wield military power through punitive expeditions that turned communities against the post-Taliban government but failed to to provide security. As in 1994, Afghan sought not only order, but justice. Like the rulers of Afghanistan before them. the masters of Kabul had not resolved the crisis of the Afghan state and its dislocation from the diverse communities that make up that country. The Pax Americana promised development but only expanded the wide fissures cutting through Afghan society and, in mobilizing diverse foes against the center, rekindled memories of grievance feeding thirty years of war.

2011年9月13日火曜日

(English, Arabic Persian) Road Map for Afghan Reconciliation Negotiation

Road Map for Afghan Reconciliation Negotiation

(A tentative draft proposed by Dr.Hassan Ko Nakata written on 2011/07/27)

خريطة طريق للتفاوض بشأن المصالحة الافغانية
(مسودة أولية اقترحها د. حسن كو ناكاتا مكتوبة على 2011/09/11)

نقشه راه برای مذاکره آشتی ملی در افغانستان
(پیش نویس اولیه پیشنهاد شده توسط د حسن كو ناکاتا در 2011/11/9 نوشته شده است)

1. Simultaneous issuing statement of mutual recognition of two parties fighting each other as organized political entities which are represented by their respective sovereigns or heads of state to the international society.

1. اصدار بيان في وقت واحد تجاه في المجتمع الدولي من الاعتراف المتبادل طرفين تقاتل بعضها البعض ككيان سياسي يمثله كل منهما رئيس الدولة.

1. همزمان صدور بیانیه ای از به رسمیت شناختن متقابل دو طرف در مبارزه با هر عنوان سازماندهی نهاد های سیاسی است که توسط فرمانروایان و یا سران دولت متبوع خود را به جامعه بین المللی نشان داده.

2. Selecting persons who are authorized to be involved in the reconciliation negotiation, one of whom is a representative of one party (United States of America) nominated by its sovereign (President Obama), another is nominated by another party(Islamic Emarat of Afghanistan whose head is Ameer Almu’mineen Mollah Umar), and the third one is a mediator who is agreed by both of the nominated representative.

ض2. اختيار الأشخاص المفوض لهم أن يشاركوا في المفاوضات المصالحة ، واحد منهم هو ممثل طرف واحد (الولايات المتحدة الأمريكية) يرشحه رئيسها (الرئيس أوباما) ، يتم ترشيح آخر عن طريق طرف آخر (إمارة أفغانستان إسلامية) رئيسها أمير المؤمنين ملا عمر ، والثالث هو الوسيط الذي اتفق عليه كل من هذين الممثلين.

2. انتخاب افراد که مجاز به در مذاکرات آشتی ، یکی از آنها نماینده یک حزب (ایالات متحده آمریکا) معرفی شده توسط حاکمیت آن (پرزیدنت اوباما) درگیر می شود ، یکی دیگر از طرف دیگر (إمارت اسلامی افغانستان که رئیس نامزد امیر المؤمنين ملا عمر) ، و یک سوم یک میانجی است که توسط هر دو نماینده نامزد مورد توافق است.


3. Both of the party is given the address in which the security of the persons involved in the negotiation is guaranteed by both parties.

3. يعطى كل من الطرفين "العنوان(أدريس)" الذي يضمن أمن الأشخاص المتورطين في عملية التفاوض من قبل الطرفين.

3. با توجه أز هر دو طرف "آدريس" كه تضمین أمنيت أفراد در روند هر دو طرف مذاكره است.
.

4. The negotiation will start in the country where the addresses of the both parties are located by the authorized persons.

4. وسوف تبدأ المفاوضات في البلاد حيث يوجد العنوان من الطرفين على حد سواء من قبل الأشخاص المخولين.

4. مذاکره در کشور که در آن است آدرس هر دو از احزاب توسط افراد مجاز قرار دارد شروع می شود.

5. The negotiation should start without any substantial condition imposed except above-mentioned procedural preconditions.

5. ينبغي أن تبدأ المفاوضات من دون أي شرط مقيد المضمون باستثناء الشروط المسبقة الإجرائية المذكورة أعلاه

5. مذاکره باید بدون هیچ گونه بیماری قابل توجهی تحمیل شده به جز پیش شرط رویه فوق الذکر شروع می شود.

6. All the contents of the negotiation should be open, including ceasefire, withdrawal of foreign forces, accepting legitimacy of the present constitution, and breaking off the relation with Al-Qaidah.

6. يجب أن يكون جميع محتويات التفاوض مفتوحا ، بما في ذلك وقف إطلاق النار ، وانسحاب القوات الأجنبية ، الموافقة على شرعية الدستور الحالي ، وقطع العلاقة مع تنظيم القاعدة.

6. تمام محتویات مذاکره باید باز ، از جمله آتش بس ، خروج نیروهای خارجی ، پذیرش مشروعیت در قانون اساسی کنونی ، و قطع رابطه با القاعده.

7. The negotiation should not be abandoned and its channel should officially be kept open, even while the battles would be continuing.

7. لا ينبغي أن يكون التخلي عن المفاوضات رسميا ، وينبغي لها أن تظل قناة المفاوضات مفتوحة ، حتى أثناء حين تكون المعارك مستمرة.

7. مذاکره نباید رها شده و کانال خود را رسما باید باز نگه داشته ، حتی در حالی که جنگ خواهد بود ادامه.

8. The final agreement will be concluded by both parties, in which status of Islamic Emarat of Afghanistan and Islamic Republic of Afghanistan would be finally decided or decided to be trusted to the decision of Afghan nation through suitable means of Jirga or Afghani-Islamic way of election, Ikhtiyar al-Hakim.

8. وسيتم إبرام الاتفاق النهائي بين الطرفين ، والذي يقرر الموضع القانوني لإمارة أفغانستان الإسلامية وجمهورية أفغانستان الإسلامية, بقرار من الأمة الأفغانية من خلال جيرغا الافغانية الاسلامية أي طريقة الانتخاب لاختيار الحاكم, أو بقرارها لتفويض الشأن.

8. توافق نهایی خواهد شد توسط هر دو طرف به این نتیجه رسیدند ، که در آن وضعیت إماره اسلامی افغانستان و جمهوری اسلامی افغانستان خواهد بود در نهایت تصمیم یا تصمیم به اعتماد به تصمیم ملت افغانستان را از طریق رويا جرگه.