2010年5月5日水曜日

ターリバーンの思想的基礎(3)

ターリバーン(イスラーム首長国)の思想の基礎(3)
 
初出al-Somood, 47号
http://www.alsomod.org/index.php?option=com_content&view=article&id=2672:-----3&catid=87:47somoodmag&Itemid=58
`Abd Al-Wahhaab Al-Kaabuli著(2010/4/19)

また、ターリバーンの思想的基礎の一つに、「純粋イスラーム的方法(usluub)に基づくイスラームの実践、及び政治的制度的行動の方法において西洋への門戸の閉鎖」の理論がある。それゆえターリバーンは西洋の徒弟たち、その思想の布教師たちに対して門戸を閉ざしてきた。それは彼らが(西洋の)影響を受けており、彼らが当初から行おうとしていたその諸原理が(西洋思想との)混ざり物であったからである。
ターリバーン指導部は、西洋の手中で教育を受けその物質的原理に毒された者たちが、イスラームとイスラーム共同体(ウンマ)にいかなる純粋な忠誠をも捧げないことをよく知っている。なぜならば彼らの頭の中にある最高の理想像は生活の全ての領域における西洋の理想像であり、彼らの考えではイスラームとは政治体制や人間の問題の処理とは無関係な単なる精神的な教えを指すに過ぎないのである。それゆえムスリムたちを西洋的生活様式に染め上げることが彼らの一大関心事なのである。これらの者たちは、イスラーム団体で指導部、影響力のある地位に就けば必ず、たとえ名前だけは異なろうともそれらの内実が西洋思想に合致するように堕落、汚染させようと努めるのである。
但し、ターリバーンのこの立場は、自らの国土と民衆に、安全保障に役立つ科学的な活用を待っているその天然資源を援用して奉仕するために、自分たちが西洋で有益な科学知識を学んで帰国した自らの宗教(イスラーム)と祖国(アフガニスタン)に忠実な専門家、技術者、科学者たちを活用しないことを意味しない。ターリバーンがこの政策を採る目的は、(イスラームへの)憎しみに満ちた西洋の徒弟たちに対して、彼らが国と体制を政治的、思想的、文化的、法制的に牛耳る道をふさぐためである。なぜならばこうした人物たちがイスラーム団体の指導部内に居ること、あるいはイスラーム団体の運営にそうした影響があることは、時間の経過と共に周囲を溶かす溶解性の酸のようなものだからである。
21世紀後半のイスラーム運動の大半(の歴史)は以下の事実を証言している。それらは当初は、イスラーム共同体(ウンマ)の若者に宗教(イスラーム)に対する自尊心を蘇らせ、イスラーム共同体に偉大な奉仕を為した強力なイスラーム運動であり、そればかりかイスラームの国々を植民地の首枷から解放するために武装ジハード、軍事闘争にも参加したが、その後に大きく後退し、西洋の諸原理に影響され、政治行動のそれらの様式の一部を取り入れてからは方向転換し、その(イスラーム的)生き方を変え、その思想的言説を変化させた挙句に、終には純真なその創設者たちが基礎をおいたその本質そのものを変質させてしまったのである。その結果、それらの(イスラーム)団体は世俗主義の病弊に冒された民主主義の同類に成り下がり、西洋民主主義の尺度を行動基準とするようになり、広範な基盤を有する連立政権に参加し、政権の座に就くために、世俗主義諸政党の連合に組み込まれることになってしまった。それはあたかも、これらのイスラームを自称する諸団体の最重要目的は、無宗教の諸政党、諸政権に擦り寄るために純正なイスラーム的諸概念を放棄してでも、あるいは信仰者と不信仰者、善人と悪人が平等な西洋流の選挙に参加してであれ、あるいは様々な形でそれ(イスラーム的諸概念)と西洋とを架橋することによってであれ、あるいはイスラームのジハードによって不信仰の(西洋の)傀儡邪悪専制(t_aaghuutiyyah)諸政権を打倒した後でイスラーム的統治を樹立するために奔走している諸ジハード団体を中傷することによってであれ、いかなる手段によってであれ、政権の座を手に入れることにあるかのようである。
西洋の真似と影響の病弊に冒されたこれらの諸集団は少なくなく、また小さな団体でもなく、沢山あり、大団体でもある。そうした例はエジプト、チュニジア、アルジェリア、スーダン、ヨルダン、トルコ、アラビア湾岸諸国、インド亜大陸諸国、タジキスタン、そして最後にアメリカ人たちが樹立した政府に参加するために占領者たちに味方したイラクなどに見出すことができる。
アフガニスタンと、ほんの暫く前までジハードの旗を掲げ、イスラーム政府樹立のスローガンを叫んでいたイスラーム及びジハードの政党を名乗っていたその(アフガニスタンの)諸政党は今日、イスラーム世界のその同類の諸政党の中でも最悪の状態に陥っている。なぜなら、それらは全て、なんらかの形で、(西洋の)十字(キリスト教)軍たちがその地を占領した後で樹立した傀儡アフガニスタン行政府の枠組み内で十字の旗の下に立っているからである。
こうした諸団体の一部はジハードとジハード戦士たちに対する露骨な敵対政策を採り(外国軍による)占領政府に公式に参加し、別の諸団体は裏取引、日和見政策に長けており、大胆に公式に宣言して正面玄関から入閣はしないが
そのメンバーと組織の支持層の多くを、様々な別名のカーテンを下ろした様々な隠し扉から(政府が)取り込んでいるのである。
そのメンバーの殆どは占領政府に参加しており、ほんの一握りの少数がジハードとジハード戦士を売り物に政府の外に留まっており、政権への参加に唾液が湧いた(欲が出た)時には、傀儡政府との秘密交渉、時には公然交渉をも恥じないのである。但し、それには占領(軍)が将来的にアフガニスタンに遺していく行政府の中で最大の分け前を得ることが条件となるのである。
これらの準世俗主義諸(自称イスラーム)団体の思想における逸脱の根源を探求すると、堕落は以下のような入り口からそれらに侵入してくるのを見出す。
(1) 生活と業務において、西洋の流儀を採用すること。
(2) 西洋の徒弟たちがその内部で行動し影響を及ぼすことができるようになること。
(3) 個人的、組織的行動において、イスラームに基づく忠誠と絶縁の信条を放棄すること。
(4) 安穏な生活と現世的快楽を求め、粗末な生活と教え込まれた厳格さ(`zz_iimah)から逃避すること。
(5) 不信仰の西洋が「原理主義」、「過激」、「反動」などの蔑称で呼ぶ純粋清浄なイスラーム的な考え方を擁することを恥じること。
(6) 西欧物質文明の一部の事象に幻惑され、イスラーム的行動において、それと(イスラームの)精神的霊的規律とを取り替えてしまうこと。
(7) 西洋との闘いの中で育った世代に敗北主義的助言を吹き込み、闘いを早く終わらせるために、たとえ純正なイスラーム的な考え方と信条、純正なイスラーム体制の樹立を犠牲にしてでも、西洋に媚び諂うことに専念すること。
(8) 邪悪専制(t_aaghuutiyyah)政権との戦いと純正なイスラーム的方法論に基づくイスラーム的統治の確立を志向する替りに政権の座に着くことばかりを志向すること。
その他、イスラーム諸団体の堕落の諸原因を成す様々な原因、要因があるのである。
他方、ターリバーン運動は、モスクの壁龕、純正なイスラーム学校の寄宿舎から出立した者たちが指導しているため、現在に至るまで、アッラーの御恵みにより、こうした堕落を免れており、西洋とその西洋化の策謀に反対を表明する政策において堅忍不抜であり、自らの原則を売り渡すことはなく、西洋の徒弟たちが組織に入り込む危険を見逃すこともなかった。それゆえ彼らは西洋に門戸を開放しなかった。そうならなかったのは、彼らが西洋との思想闘争において得心しているからなのである。そして(ターリバーンは)その道を行く政策を継続する限り、至高なるアッラーが望み給う限り、良きものであり続けるであろう。しかし(ターリバーンが)その指導者たちの門戸を、西洋人の思想に従って教育されたか、その影響を受けた者たちに開いたなら、その日のうちから、堕落が始まるのである。

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